浄霊と火事について
明主様御教え 「火事と浄霊」 (昭和27年2月20日発行)
「よく隣りまで焼けて来た火事が、御浄霊をするやたちまち風向が変り、助かったというお蔭話はよくあるが、これはどういう訳かというと、こうである。
すなわち火事というものは火の浄化作用であって、物質に穢れが溜っているとその霊も曇っているから、これに火が移り易くなる。
そこで浄霊をするとその曇りが消えるから、焼くべき材料が無くなり、火は方向転換するので全く自然である。
従って火災を無くすには、何よりも物質の霊を曇らせないようにする事で、これより外に根本的火事を無くす法はないのである、
としたらまず光明如来様を奉斎し、一家の霊界を浄めればいいのである。
ところが近来のごとく各地に火災が多く、幾ら建てても焼失が多いので、住宅難の今日いつになっても解決出来ないのはもちろん、
火災は物質の損害のみではなく、精神的損害も多大であり、回復するまでの労力や休業等の被害もすくなくないのであるから、
当局も躍起となってベストを尽してはいるが、仲々思うようにゆかないのは、右のごとき霊的根本が分っていないからである。
従って本当に火災無き日本とするには、大部分の人が本教信者になればいいんだが、
そうもゆくまいから、今のところただ物質的防火法を行うより手段はないので、
時を待つより致し方ないであろうが、いずれは神様が何とかして下さると思うのである。」
体験談 観音力の御守護により難を逃る (地上天国 2号 昭和24年3月1日発行)
日本五六七教会信教会 MK(59・男性)
「昭和二十三年三月三日午前三時俄然、竹を割るかのごとき音響あり、驚いて家族を呼び起し、
裏口を開けると当家より四五間離るる隣家の物置下家より発火しているので驚いて警鐘を鳴らし近所を起しました。
火はみるまに延焼し、物置全部に拡がり、これでは自分の家を防ぐより致し方ないと
家族一同にて家財道具を持出し自分の家は全焼と覚悟し、不肖と愚息孝雄は屋根に上り、雨と降り来る火の粉を浴びつつ消火に全力をつくしておりました。
また発火と同時に風は当家に向って火の粉を浴びる事二十分位、その時家内が観音様を守護して裏口より現場に向い、
観音様を念じ、火に向って浄霊すると、風の方向は瞬間に変り、火災を免るる事が出来ましたので、全く偉大な、神の御力を私も初めて知りました。
これも当家が日頃観音様を信心するお蔭である事をはっきりと知らされた次第であります。
なお当家は住宅外に八棟ある農家であります。」
体験談 私のいただいた奇蹟的御利益 (地上天国 2号 昭和24年3月1日発行)
日本五六七教会専信会 IS(52・女性)
「(三)当日は丁度私の廻って行き泊めていただく事に定めてあった日でした、
養老郡○○村○○で火灯し頃、家の人々を初め近所のお方何人かを浄霊していますと「パチパチ」と不思議な音に家人が飛び出し「火事だ」と騒ぎ出しました。
私も皆と一緒に外に出てみれば、西の強風にそそられて、すぐ西隣の家が焼け出し火の粉は私達の頭上に飛び始め西隣りの家も草葺、光明如来様のお祀りしてある当家も草葺両家の間隔は僅か三間位で、折柄の西風引火には非常な悪条件もう火の粉は屋根草にとび始めました。
もうかくなれば荷物出す間もないと一心に火の粉を除けつつ火の方向に向って手は独りでにお浄霊を始めていました。
あの時程無意識中に観音様にお縋りした事はございません。
十分程浄霊をしたでしょうか一生懸命でしたから五分位だったかも知れません、火の粉が北の方に変ったと思う間もなく物凄い音を立てた風と火の方向は北東に変化し類焼を免れました。
村の人々は不思議な加持祈祷と言い合っていましたが、私はその家の人と共に観音様の御加護の有難さにただただ感泣していました。」
体験談 猛火より救はる (地上天国 6号 昭和24年7月20日発行)
日本五六七教和光会 IY(男性)
「二月十七日夜十時三十分頃、道路(幅員三五米位)を隔てた向い側の家で突然祖母が「おじいさん」を狂わしく連呼する声に何事が起きたのかと驚天して土間口を飛び出てみると、
一円の猛火が赫々と燃え上がってみりみる間に真赤な烟に上下左右に炎々として燃え上がっている、アッと思う一瞬そこに立ちすくんでしまいました。
途端に祖母の叫ぶ「火事だァオラが家が火事だァ」の声に我れに帰り「消火だッ」と無意識に二足三足歩きかけると
家の中では吉田先生の提唱でお参りに来合せている人達が一斉に善言讃詞を上げ初めました
「アッそうだ、観音様にお願いする事だ」家の中は先生方が守って下さる、
私は外を見廻らねばと気付き、一心に念じつつ消火群に交り防火につとめました。
しかし向い家は折からの風にあおられて火まわりは早くつよく一棟僅かに二十分位で全焼してしまいました。
火は紅の舌を吐き山の手の家々の棟裏に風を巻いておりましたが、
何分にもへだたりが少いため私の家の軒端に火もつきそこにおいてあった藁束にも飛火で燃えうつりましたが、
小さなバケツで一杯かければかけただけ火は消え、一杯々々が無駄なく何んと御蔭の尊く有難いことでしょう。
近所の人や消防の人々が家へとび込んで中の荷物を出さねばと這入って来ても
善言讃詞を上げて手を振っている様をみて、その度にあきれて手をつかねて何一つ外に出しませんで火にも焼かれず水びたしにもならず有難さに感泣しております。
それもこれも皆観音様の御利益と吉田先生のしっかりした御指導の賜と存じます。
入信して日も浅いのにこれだけの御利益を頂きありがたく嬉しさの余り拙文にて微意を以って御礼申上ます。」
体験談 浄霊で猛火消える (地上天国 6号 昭和24年7月20日発行)
日本五六七教金輪会 NS(男性)
「朝から作業場(蒲鉾製造)にいたところ突然十時頃妻が急ぎきて「自宅の分作業場の揚物用の油鍋に火が入って大変だ」と告げに来た。
私は取りあえず跣のままかけつけた、見るともう鍋全体は火になって天井にまで燃えうつろうとしている。
早速若い者に箱をもってこさせて鍋に蓋をさせ、そこらにあった菜っ葉をほうり込んだが到底それ位ではおさまらず、蓋をした箱の隙間から猛烈な勢で吹き出ている。
私は思わず観音様を念じつつ釜に向って浄霊を行いましたところが、不思議にも火は段々と衰えついに消火しました。
同時に煙にまかれて私はそこをとび出ました、ほどなく煙もなくなり近所の人々にお詑を申しすぐ妻と二人大光明如来様に感謝申上げました。
この度のこの火が天井に燃えうつり大事に致ったなら自分の不幸はもとより近所の人や世人に対して何とお詫び申してよいやら、幸いにして無事を得ましたのは観音様の御守護とつくづく感じ涙が出ました。
そして今日程御守護と信仰の有難さを感じた事はありませんでした。」
体験談 火中に焼かれず (地上天国 8号 昭和24年9月25日発行)
日本五六七教中川教導所 NT(33・男性)
「新潟県種鶏場(西蒲原郡巻町)勤務のKH君(二十九)より四月二十三日喜びの便りがありました。
人の智慧や力を以て如何ともし難い現実を見えざる妙智力のお蔭でいとも易々と切抜けさせて戴き爾後漠としていた人生航路に初めて希望と喜びの光を輝かし得た青年の雄叫びであります。
この偉大な御守護の前に同君は勿論の事、私共一同ただ神の大御心にかなう人となりお応え致す覚悟であります。
KH君は三月二十七日入信翌四月早々の御利益であります。
手紙の原文のまま左に報告させていただきます。
この間の面会の節は色々と有難う御座いました。
お蔭様で毎日の仕事に喜びを持って働いています。
私は貴兄にお会いしてから生きる力を知り喜んでいます。
苦しむ人達を救う事の出来る私は今も熱心に続けています。
もう三人の人達が重病から救われて喜んでいます、手を振る事によって総ゆる苦痛を治す事の出来るこの力を私は今始めて知りました。
十四月の晩私は宿直の任を受け厩舎に泊りましたところ十五日午前一時二十分頃二階の異様な物音と共に厩舎は煙に巻かれてしまいました。
知った時には火は天井を破りバラバラと火の落ち来る有様育雛室の電気からだと思い飛んで行った時はすでに辺りは一面に火の海と化し雛がピヨピヨ鳴きながら同じ所をクルクルと、廻っていました。
私は申し訳ないと言う気持と共に大の中に飛込み一心に消火に努めましたが火の中に立つ私は少しの熱さも知らず天井の落ちるまで戦いました。
そしてこの場所が最後の場所であると選んだのでしたが観音様のお蔭で疵一つ受けず、また自分の孵卵舎を守る事に気がつき観音様に種鶏場の心臓部を救い給えとお願いし一生懸命火に向って手を振りました。
人々は早く出よ出よと呶嗚っていましたが、神あるなれば必ず助けて下さると続ける中十五分後には不思議に風が変り火は空に舞上るのみで近くの孵卵舎検定舎は無事助かりました。
そして友達は衣類を全部焼きシャツ一枚でいますのに私は万年筆と白衣一つ失ったのみで何一つ焼きませんでした。
私の室は孵卵舎にありましたので孵卵舎が焼けたら共に死ぬ決心しつつ火の中に立ったのですが観音様のお蔭で助かりました。
近所に見ていた人達も神様の力だと感心していました。
私の室が焼残っているので焼出されの仲間達と一諸に泊めています。
私を笑った人達も私の信ずる観音様の御力を知ったらしく私が為す仕事にはどんな苦痛を凌いでも喜んでやってくれます。
観音様のお蔭である事をはっきり知りました。
今後も世の人達のためになる仕事を続けると共にこの偉大な力を人々に伝えます。」
体験談 軒先迄燃え焼失を免る (昭和24年10月5日発行)
日本五六七教啓光会 KT(52・女性)
「一月二十二日午前一時四十分頃、突然隣に寝ていた長女に「火事だ」と起されたので反射的に表の方をみますと、
僅か一寸程開いている襖の間から道路に面した座敷の障子が真赤にみえましたので、早速表座敷の障子を開けて近所の人々に大声で火災を告げました。
この騒ぎに階下に寝ていた次女、三女も起きて二階に来て光明如来様に祝詞を上げ始めました。
私も長女もこれに伍して一心に祝詞を上げました。何しろ火事は意外に近く私の家から僅か七、八米の筋向いの二階家です。
深夜の事故人々は集まらず、火の廻りは意外に早く猛火は私の家の真前の二階に移ってしまいました。
近隣の半鐘も漸く乱打され始めました。
この間まったく数分間のように思われましたが、実際はそれほどでもなかったのでしょう。
私の家も既に類焼を免れない事を私は覚悟しました。女手ばかりのところへ長女が病気の為どうにもならず、
私はすべてを光明如来様にお任せする事に決め、さらに祝詞を奏上火に向って浄霊いたしておりました。
火は漸く猛威を揮い私の家も軒下一杯に火がはってまいりました。
ガラスは次々に音を立てて割れてゆき、階下で誰かがT屋(私の家の屋号)についたという声をききました時には、流石に心の動揺を禁じ得ませんでしたが、
すでにこの期に及んではいたし方がありませんので、更に神に対する信念をつよめ、浄霊を続けておりました。
この時不思議と申しましては誠に勿体ない事でございますが、軒下をはっていた火が私の家から離れてただガラスの割れる音のみが残りました。
勿論家の戸は全部しめてありましたので、家の中へはまだ誰も入りませんでしたが、
たまりかねてこの時裏木戸を破って大勢の人が入って来て「大切なものから出しましょう」といってくれますので、
一応荷物を出してもらう事にし、三女に荷物の番をさせすべては他人の力を借りて荷物も順調に出していただきました。
火も多少下火になり駈付けた消防ポンプも水を出し始めましたので、私の家は焼けないと人々がいい出しましたので、
光明如来様の御力に感銘し神様への信念を一層深くいたしました。
細い路をへだてて向う三軒が失われた事に対しては、ただお気の毒でなりません。
この間僅か四、五十分全く夢のようでした。
再び人手を借りて荷物を家の中へ入れて頂き、幸い失くなった物もなく、
総てが終り手伝って下さった人々の話がただ「不思議だった、不思議だった」と言う言葉のみ交わされましたが、
私はこの人達に知らせる適当な言葉が見当りませんでした。
この人達の心がまだ落付いていなかったからです。
しかし間もなくこの多くの人達がこの尊いお力によって次々救われて行く日の近い事を信じております。
猛火より救われた私ども一家の喜びを御想像下さい。」
体験談 浄霊により猛火より救わる (昭和28年9月10日発行)
岐阜県 八光中教会 MS(48)
「私は二十一年八月入信、一昨年十月二十二日光明如来様の御神体を御奉斎させて戴いている者でございます。
去る九月六日朝の事、東隣りの二階から出火、忽ち猛火が私方へと風に煽られて迫って来たのを発見、
驚いてそれ火事だ火事だとばかり無我夢中で娘を促して東廂へ上りました。
何のために廂(ひさし)に上ったか、その時の心持は自分にもわかりません。
風は東から正面に、私の家へ容赦なく吹き付けて今にも焼け移りそうです。
吾々親子が一心に猛火に向って浄霊している自分自身の姿を、程経てそこに見出したとき、
頭の先から、足の指先まで「ジーン」と、何物とも知れぬものが走り去りました。
アッ光明如来様だと、意識したとき、初めて少し落着きました。
見れば、不思議と申しましょうか、奇蹟と言おうか。
風向き、その他から考えても当然家は助かろうはずは無いのに、どうでしょう、いつの間にどうして変ったものか、風の方向が西北にそれているではありませんか。
猛火はなおも猛り狂って、西北へ西北へと吹き付けて、救わるべき望みのなかった吾家が、完全に火災から免れたのでした。
この不思議この体験こそ如実に味わった私等でなくては、他の人々にはわからないと思います。
一家正に灰塵に帰すべき寸前を、神様の御救いにより助かりました私達の喜びと感謝は、到底筆や言葉では表わす術もありません。
世間一般の人達の中にはヤレお光様がどうの等と、未だ何も分らずただ悪口する者さえありますが、何と浅ましい事でしょう。
勿体ない事でしょう。
色々と出て来る新聞記事や、悪しざまに言う人々のある度毎に、耳をふさぎ眼を蔽いたい位です。
けれどもそれ等の人々もやがては目覚めて、光明如来様のみもとに帰依信仰なさる時期も、必ず目前に来る事を私は確信しております。
偉大なるこの御救いを厚く厚く明主様に感謝して、ここに拙い文をものして御報告申し上げます。」