無生物に対する浄霊について
明主様御垂示 「無生物に対する浄霊」 (昭和25年4月23日)
信者の質問
「人以外の生物や無生物に御浄霊しても素晴らしい効果がありますのはどういう訳でしょうか。
例えば農作物は増収で品質がよくなり、味噌醤油は味がよくなり、密柑は甘くなり、
鉈(なた)はよく切れる様になるのはどういう訳なのでしょうか。
明主様の御垂示
「浄霊するとね、すべての曇りが取れて浄化するんです。
浄化するとね、何でもすべていい働きをする様になるんです。
人間以外の生物、動物でも病気するのはやはり曇りがあるからなんで浄霊すると曇りが除かれるから治るんです。
つまり、森羅万象一切のものは曇りがとれると「力」が出て、その物本来のいい働きをするんです。
農作物がよく育たないっていうのはそこの霊界が曇ってるからなんです。
悪い曇りって言うのは、つまり水素で冷たいんですから、そこの霊界が冷たいんですよ。
所が、この浄霊は火素を放射するんですから霊界が暖かくなるんです。
だから、光明如来様(御神体のこと)を御祀りするとそこの田地はずっとよく出来る様になるんですが、
これは、光明如来様から光が放射されてその人の範囲だけ明るくなるんです、
光は火素が多いんですから、光が沢山行くとあたたまるから、そこでよく出来るんです。
それから虫とか黴菌なんかも火素にあうと、いろんな作物を災いする力が弱るんです。
だからよく出来る、とそういう意味なんです。
食物の味がよくなるとか、鉈(なた)がよく切れるとかいうのも同じ理屈なんです。すべてね。
浄霊すればあらゆるものが、悪いものは減り、いいものは多くなる。
で、その用途がよくなるんです。
だから、浄霊すると、すべて人間の幸福を増すべき働きをする様になるんですよ。」
明主様御垂示 「井戸に対する浄霊」 (昭和25年4月23日発行)
信者の質問
「私の家の井戸は村一番水質がよかったのですが、昭和一二年一二月の南海地震のため水が止まり、一昨年より水が溜まり始めましたが水質が硬水になりました。
私は昨年三月入信以来御浄霊いたしましたところ、水は澄んできましたがまだ硬水です。
早く御利益をいただくにはいかにいたしたらよろしいでしょうか。」
明主様御垂示
「これは方法がないこともありませんが、信仰が浅いと具合が悪いですね。
一番いい方法は信仰により人助けをすることです。
それから、これはちょっとなんですが、金を儲けたときにその金をできるだけいいほうへ使うんです。
そうすると水がよくなりますよ。
なぜかって言うと、水ってものは財物と共通したもんですからね。
だから湯水のように金を使うって言いますが、実際うまく言ってますね。
金を自分勝手のことに使っちゃなんにもなりませんね。
それとともに、光明如来様によくお願いして浄霊することですね。」
明主様御垂示 「浄霊で井戸の濁りが解消されなかった事例」 (昭和24年3月15日)
信者の質問
「私の家の水は以前より濁りまして困りました。
十九年に御光を戴きまして、それより井戸に浄霊致しておりますが今日に至るも澄み清まりません。
どうしたものでしょうか。また望みないとしたらいかなる方法で処置したらよいでしょうか。」
明主様御垂示
「澄ます事も出来るが、徳を積まなくてはいけない。御書体の額をおかけするとよい。」
明主様御垂示 「浄霊で浄水とならぬ井戸水」 (昭和24年11月7日)
信者の質問
「本年九月入信致しました者で、昭和二十一年四月、私の家の井戸が出なくなりましたので、新しく掘りましたが、
その井戸は芋等を洗えば黒くなるような「ツブ水」にて、
入信前より先生の浄霊を受けていますが、未だに浄水にならないのですが、
誠心が足りないのでしょうか、今後いかにすればいいものでしょうか。
御伺い申し上げます。光明如来様は奉斎しております。」
明主様御垂示
「水の性質か何かであろう。お額をかけるとよい。」
明主様御垂示 「洗濯の知識」
信者の質問
「洗濯を致します時、水に御浄霊させて頂きますと、小さな泡が沢山出まして、布にも御浄霊して一晩その水に浸し、洗いますと、どんなシミでもすっかりきれいになります。
しかし純絹、純綿の場合だけにて、スフ、人絹はお水だけではよく落ちず、少々石鹸を使わねばきれいになりません。その訳を何卒御聞かせ願いとうございます。」
明主様御垂示
「汚れたものの霊が綺麗になるから、落ちやすくなる。
スフ、人絹などは人工的に造るのに薬剤など使うから落ち難くなる。」
体験談 ラジオの奇蹟 (地上天国 4号 昭和24年5月25日発行)
日本観音教天国会光明分会 NR(46)
「昭和二十三年十二月二十八日、この日私は三島教会に御奉仕させて頂き夕刻帰宅致しました。
今日の喜びを胸に風呂に入りラジオを聞こうとスイッチを入れますと同時に、ラジオは異様な音をたてて青いアークが写っています。
驚いて裏を見ますと、何んと「B47」の真空管が見る見るうちに青白い焔を立てて焼けてゆきます。
今夜の放送は私には聞きのがせない大事な放送で是非聞きたいと思っておりましたが、最早駄目です。「B47」は焼けてしまいました。
年の暮です。忙しい体、真空管を買うお金がない呆然としてしまいました。
その時ふと御浄霊させて頂く気になりました。
化学で出来たラジオが、しかも真空管の焼けたラジオが何うして鳴るだろう?
と案じながらも聞きたい一心で、大先生様をお念じしながら御浄霊させて頂きました。
一秒、二秒、五秒不思議や微かに聞えてまいりました。
皆は段々高くなってきました。
十五秒か二十秒か音は何時ものラジオと同じ位の音量になりました。
四人の家族も現在の科学の力で割り切れない偉大なお力に驚き、また喜び感謝感激致しました。
御礼の言葉も見付かりません。胸が一杯です。
暮の二十八日からちょうど一週間、一月三日の夜まで御神徳を戴きまして無事にきかせて頂きました。
何という有難い事で御座いましょう。拙い一文を綴り謹みて御礼申し上げます。」
体験談 二日がかりで開かなかった銀行の大金庫 浄霊二十分で開く大奇蹟 (昭和28年3月25日発行)
山口県 栄光中教会 NM(57・男性)
「昭和二十四年九月栄光中教会萩市江向支部で教修を受けさして戴き、以来数々の御守護を頂きました私に、今
回又不思議な御守護を目のあたり御授け頂き、謹んで明主様の御前に感謝の御報告をさせて頂きます。
昭和二十七年六月十日所用のため萩市の○○銀行支店に出向きましたところ、行内がざわめいておりますので、
行員の一人に「何事か」と尋ねましたところ「金庫室備付けの大金庫の扉が昨日からどうしても開かず、金銭出納の多い銀行業務とてほとほと困りぬきこの上は壊すより方法がない」というところでした。
たまたま同道しました大敷漁業組合長が私を指して「この人はよく奇蹟を現わす人だから、一つオマジナイをして貰ったらどうか」と支店長に話し込んでおるのです。
これを聞いた私はこれは困った事になったぞ、と一時は当惑いたしましたものの、その時は先に支店長より「どうか宜しく御願いいたします」と丁寧に依頼される始末、
今更逃げるわけにもいかずこの上はと私は覚悟を決めて金庫室に這入りました。
行員二、三十名がついて来ますのでこれはいかんと室内には私と支店長と次長の三人だけ這入る事にし、
他の方々は一応室外へ出て貰いました。まず箱根の方に向い礼拝、天津祝詞、続いて善言讃詞を五回奏上、一生懸命に明主様に御祈願申し上げ、金庫に向って御浄霊をさして頂きました。
約二十分程して支店長に向い「落ちついて金庫のダイヤルを廻して御覧なさい」と申しますと支店長は直ぐダイヤルを廻し鍵をひねりますと・・・
嗚呼! 何と不思議な事でしょう、バーンという音と共に二日かかってどうしても開かなかった扉が開いたではありませんか!
支店長は「開いたぞ」と怒鳴る。私は思わず「明主様有難うございました」と声をあげずにはおられませんでした。
それまでは室外に居た行員達はあんな事をして私達が総がかりで苦心しても開かない扉が開くものかとナジリ始める。
私の同道者はいや人間がやるのではない神様の御力で開かせて頂くのだから必ず開くよ。と押問答を続けたとか。
とまれ、この奇蹟を目の辺り見せられた支店長始め多くの行員達もただただ不思議な事もあるものと首をかしげ私を見つめるばかり、
私もほっと一息、今更ながら御神徳に頭が下るのみでした。
かくして大切な御得意様にも余り御迷惑をかけずに済まして頂いたと支店長達の感謝の送礼と共にすっかり朗らかになり、帰宅したような次第でございます。
ああこれぞ神に奉仕する者のみが知る喜び! 世の悩める人々を一人でも多くお導きさせて頂く事をお害い申し上げ御報告を終らせて頂きます。
明主様真に有難うございました。」
体験談 郵便局員の私に頂いた金庫の不思議 (昭和26年11月21日発行)
福岡県 如意輪中教会 ZM(20・女性)
「人生僅か五十年といいますが、五十年にしろたとえ十年にしろ、人の一生の中には「なやみ」がございます。
子供には子供としての「なやみ」があり、大人には大人としての「なやみ」がありましょう。
この「なやみ」を幾らかでも少くし、その日その日を明朗な気持で過すことが出来る人、これこそ本当に幸福な人と言うべきだと思います。
人は誰しも心配事が生じた時、誰にともなく頼りたくなるものでございます。
これは人間の弱さでもあり、こんな時こそ信仰の偉大さをつくづく感ぜられるものでございます。
信仰に依って救われる・・・これは実に綺麗な生き方でもあり、信仰こそ幸福の第一歩を掴み得たと同じだと思います。
もともと私は信仰の道に入るなんて夢にも考えていませんでした。
最初すすめられるままに何心なく、何と言いますか、ただ、漠然とした気持・・・単なる好奇心、といった軽い気持で入信しました。
端的に申しまして、御守護を頂いてみたい・・・と言った方が正直な言い方かも知れません。
暫くは何のこれと言った反映もなく、特筆すべき程の事も起りませんでした。
最も時に触れ事に従い、何事にも手を翳してみました。ところが時日の進むに従い、不思議な事ばかり起りました。
科学的な固い頭の父の口からも「それは不思議だ」と言う声さえ聞くようになりました。
病気については多くの人々の体験談ですでに立証されてはいますが、お医者、鍼、灸でさえ見放された、長年の母の顔面麻痺神経がいつの間にか恢復し、
私自身の急性盲腸炎も手を翳して治り、その他詳細書くまでもなく入信以来、全家族医者にかからなくて済むようになりました。
それだけでもその御威光の偉大さを深く感謝していますが、忘れも致しませんある日の出来事です。
「奇蹟」これこそ本当の「奇蹟」といえましょう。実に不思議な事が生じたのでございます。
私は郵便局に勤めていますが、私の担当課「保険」に今度新しい金庫が参りました。
私は何気なしに鍵を掛けたり、開けたりしているうち、何うした加減か、ふと開かなくなりました。
どうしても開きません。さあ大変な事になったと、私は懸命に開けようと努力しましたがやはり開きません。
だんだん心配になってきました。近所に居合せた男の局員の人々にも応援を頼みましたが、依然として開きそうにありません。
私はいよいよ心配が深まり、どうしよう・・・泣き出したくなりました。
男の局員も入代り立代り色々と扱ってみましたが矢張り頑として開きません。
「仕方がない、壊すより外ないでしょう」と皆さんがいいます。
今着いたばかりの金庫を壊すとは・・・私の責任上もういても立ってもいられません。
局長さんに詫びようか? 弁償・・・次々と私の頭は混乱し、その時の気持は何にたとえようもなく、
全く生きた心地とてもなく、心配で心配で不甲斐なくも悩みつづけながら走って家に帰りました。
その晩は勿論なかなか眠れませんでした。一晩中どうしょうか?・・・こうしようかと心配し続けて、とうとう夜が明けました。
元気もなく沈みながら足どりも鈍く出勤はしたものの、気が気でないので局に着くが早いか、今一度一生懸命開けようと努めてみました。
矢張り駄目だ・・・いよいよ観念の眼を閉ず、仕方ない、潔く局長さんに詫びよう、
そして責任をとろう・・・と行きかけたとき、さっと心に閃きを感じました。
昨日から今が今まで気が付かなかった。
「そうだ!」最後の頼み! 手を翳してみよう。
そう思った途端、無我夢中で御守護を賜わりますよう・・・開くように・・・助けて・・・と幾度か心に念じつつ、二分間位も一生懸命手を翳しましたでしょうか。
そしてこれでも駄目なら、と心に決して鍵を廻せば、実に不思議、昨日から数人の人々がどうしても開け得なかったこの金庫が、ガチャンという音と共にさっと開いたではありませんか。
私は暫く茫然自失今開いたばかりの金庫を眺めるのみでした。
嗚呼何と御威光の偉大なる事でしょう。
有難さは身に恥みとめどもなく感謝の涙は頬を伝わりました。
そうだ一刻も早く母を安心させ様、私は我が身を忘れ嬉しさの余り飛んで家に着くが早いか「開いた」「開いた」「手を翳して」・・・と連呼しながら。
遠く遥か東の方に向い、御明主様に手を合わせて感謝暫し止みませんでした。
全く浅薄な人智にては神力の偉大さは到底体験者でなくては分らない事を痛感し、今後益々地上天国建設に出来る限りの御用をさして頂きとう存じます。」
体験談 特別御利益報告 (地上天国 創刊号 昭和23年12月1日発行)
奈良県北葛城郡河合村 教師 AK(男性)
「昭和二十三年六月十七日、三重県志摩郡桃取村字○○、SS方臨時祭に出張中の出来事、桃取村は鳥羽町より巡航船にて約三十分の小島、全村ほとんど漁業人口は約一千人、この村で御光を戴いている者約五十人、奈良県YK教導師の開発により数ヶ月は非常な勢で発展したが、
その後全村に極端な反対者現れ、以来二三ヶ月その発展は妨害され沈滞していた。
頭書の十七日信者三戸の御奉斎を兼ねて出張、午後十一時頃S氏方にて信者二十数名の参集あり、教導終って座談中階下より、「ハツばあ」(老年の女の意)と叫んだ者があった信者の一人が返事をすると、
NY青年が上がって来て「先生大変な事が出来まして御願いに上がりました」と云う、話の内容は魚獲りに使うエサ「海老」を獲る底引網が十四、十五、十六の三日にわたる風及び降雨と気温の関係で海底に異変を起し、
浮上った泥の中に突込み何んとしても人力で引上げる事が出来なくなり、七組の網の引上げを断念して各々網に浮票を付け午後十時頃帰って来た。
この網は時価一万円の由これを何とか引上けられるよう、神様に御願いして下さるようにとの事である。
私も前例のない事に一寸考えたがその青年に聞いてみた、七組の内にお守りを拝受している者が乗っていたかと・・・しかし誰もいなかったが、その内一組の所有者TZ氏の妻ハツさんが頂いている事が判明した。
それで私は、観音様に特別の御願いを致し明朝TZ氏と共に現場に行き、御本部の方に向って御祈りし、
次に海底に向かって御浄霊を行った上で引揚作業にかかるように指示をなし、翌朝七組の漁師は各々船に来り現場に向った。
TZ氏の船にはハツさんが同乗している。
これを見た他の漁船から「おうい、ハツばあー男等がいって上がらない網がカカアが行って上がるかい」と怒鳴った。
やがて現場に到着した。ハツさんは私の指示に従った、引揚作業が始まった。
暫くして網が上り出したが泥があまり多いので重くて上げきれす、為に網の一部を切開して泥を出し完全に引上げた、寄網も袋網も共に無事だった。
これをみた隣船の漁師は俺とこもカカアを呼んでこようかと云い出した。
甚蔵は「お前方のカカアと俺のカカアとはカカアが違う。内のカカアは、神様が付いているぞ」と気焔を挙げた、
それを聞いた隣船の漁師は「そうだ甚蔵のカカアはお手振の(浄霊の事)神様が付いているから内の網も是非上げてくれと頼み出した。
TZ氏はお前方のは先生は頼んでないからと断ったが余り頼むので先程と同じ方法を行ったが暫くして網は上ったが袋網がなく寄網だけ上がった。
これをみた更に一人の漁師は是非と頼むのでまた行った。
暫くして網は上がったがこれも寄網だけで、結局完全なものは甚蔵のものだけで他の残りの四組の内一つは発動機船で曳いたところ網が切れて駄目となった。
他の一つはイカリにて引掛けて上げんとしたが網が破れて上らず遂に断念、残り二組は行方不明で御守護戴いたもの三つだけ各自の手に返った。
ハツさんはお光を頂いて以来お浄霊を行っていない人だが大手柄を上げて引上げてきて早速御礼やら報告に来られた。
私もこんな御守護願いは初めてであり、絶対神の御利益に心の中で泣いて感謝した。
村人も教団会員と共に神に感謝しかつ深く喜んだ。」
体験談 水苔でつまったパイプも十分の御浄霊で (昭和26年3月28日発行)
大分県 如意輪中教会 TI(39・男性)
「私は昭和二十四年十二月十一日入信を許されしよりこの方数々の御利益を頂きましたが
その内で特に驚異に値いするものをここに御礼と共に御報告さして頂きます。
私は理髪の傍ら副業として銭湯業を経営しているものでございますが、
農村の関係上料金安にて水道は引けず、これがため二カ所に井戸を持ち、モーターにて水揚げをしております。
ところが大量に水を使用致しますと次第に水質は悪化致し、パイプの内経は小さくなり、
遂に浴槽のウメ水のパイプは多年の水苔硬着し、一滴の水も出なくなり、
お湯の熱くなるに従って顧客から頻りと騒がれ、遂に喊声さえ上げるようになりました。
サービスをモットーとする我々業者としては大なる黒星にて、頭は早鐘を乱打するがごとき焦燥にかられ、急拠して家族を叱咤しバケツ注水に大童です。
今思い出しても苦笑せざるを得ません。されどこのパイプはタンク(水槽)より隔る事約二間、
それを片仮名のコの字を上に向けた凵のように地下に埋め、コンクリートにて塗装してある関係上、
そう軽々と掘り上げて清掃の出来るものではありません。
随分と思案を廻らし、地面に露出せるパイプを金鎚にて叩く等致しましたが、
よく熟考してみると、水のつまるという事は地下に埋めてある屈曲パイプの障害であるべき事に思いを致し、遂に掘り下げを決意致しましたところ、
去る二月頃「救世」新聞四十九号にて「四十数日も開かぬ金庫がたった二分の浄霊で開いた」おかげ話を読み「そうだ」と我を覚えず膝を叩きました。
「そうだ」自分は久しく新聞等の御利益集を手にする事を等閑に付していたが、何か心の赴くままに読まして頂く内フト眼にとまりましたのがこの記事でした。
この記事も神よりの御神示であると解し、拝む気持にて夫婦して一心にお願いする事に致しました。
まずパイプを又金鎚にて叩き「天津祝詞」と「善言讃詞」を奉唱する事数回、その間地下のパイプに御浄霊を入念に致しましたが、
もしもこのパイプの貫通を見ない時には、結局自分等に対する御加護の薄きものか、
又我々の信仰の至らざるものかと、何か恐ろしいものに触れるような気持で震えながら、
最後の手段としてパイプに口を当てがい、プーッと吹き出したらこはいかに、
出るは出るは、長い三十日間に固着せし水垢が、続々と吹き出て後より続いて清水の流出せるを見た時は、
夫婦共に目頭が熱くなり上気の余り顔は紅潮し、手足の水浸りも拭いもやらず、
光明如来様に御礼をと階上に駈け上りし程の嬉しさでございました。
光明如来様の御前に額ずき身心を改め、礼拝せし時はただただ心の底より感謝の気持一杯にて、頭を上げ得ざる思いでございました。
お縋りする気持において、救われる人の病気の形以外に、かかる物体にまで御浄霊の力の有難さを見せつけられ、
ここに万物の霊長としての人間たる者が真剣にこの神様に御縋りせば、いかなる難病も即座に平癒する事疑いなき事を深く強く知らされました。
拙筆をもって御礼と共に御報告させて頂きます。」
体験談 瓦カマドに浄霊 等外品なしの上成績得る (昭和24年10月5日発行)
岐阜県 日本五六七教清霊会 HH(23・女性)
「顧みますれば昭和二十一年八月母が胃痙攣を起し苦しんでいるところ目前で救われ、その偉大なる力に驚き、
そして一人でも多く苦悶の底にある方々をお救いしたいと思う一念で九月教修を受け入信させて頂きました。
家業は土瓦製造業で二十余年営んでおります。
ところが気に入った瓦は一年を通じて二、三回しか出来ません。
先生より浄霊についてお話を承り本年一月に初めて瓦窯に浄霊をしました。
まず観音様にお参りして全く無我の境地で窯に浄霊をしました。
丁度その日は窯炊きで四日目に窯の口をあけ、瓦を出すのですからその日より四日間いつもより早く起床し浄霊をしました。
四日目にはもうじっとしていることが出来ず早速窯へ急ぐ、父母は一心に窯あけをしている。まあどうでしょう。
一窯千枚入りの窯で今迄の成績は平均上等六百枚、二等三百枚、等外百枚でしたが、
驚いた事には上等瓦が七百枚、二等は二百九十枚、等外は四枚と言う素晴しい御利益を頂きました。
そして二回目は等外は一枚もなしです。
ただ余りの不思議さ有難さに驚き感謝に堪えず、今では家内全部信者となり喜びの生活を送っております。
このような大きな御利益を頂き皆様にも安く販売して共に喜んでいる次第でございます。
この嬉しさを同村の業者にも話し観音様の御霊徳を讃え感謝と歓喜の日々を送っております。」
体験談 二時間余も動かぬハイヤー 十五分の御浄霊で走る (昭和27年5月7日発行)
東京都 みのり中教会 MS(55・女性)
「私事、昭和二十三年七月よりこのお道にお縋り致し、数々の御救いを戴いておりながら、満足な御導きも出来ぬ今日までを、謹んでお詫び申し上げます。
昭和二十七年一月二十日前後かと存じます。夜十時少し前外出先より帰宅致しますと、
家の前のどぶの所で、自動車がエンコして動かず、運転手さんがしきりにエンジンをフカしながら困っておられました。
家の前は何しろ道の悪い所ゆえ、私もお気の毒になり「どうしましたか」と尋ねますと、
「スリップして困りました。一人だし・・・何か二尺ばかりの板があったら」と申しておられます。
その辺は何もありませんから「私の家で探して上げましょう」と申して家に入り、
どうやら間に合うらしい板を持っていってあげました。
「それで結構です」と安心した様子でしたので、そのまま私は家に入り、火をおこし、夜の食事の仕度に取掛りました。
するとまたエンジンの音がブウブウブルブルと盛んになります故、おやおやまだ動かないのか、この寒さゆえ他に故障が起きたのかしら、
起きても運転手さんの事ゆえ、直ぐなおすことでしょうと思いながら食事を終え、後片付をし、翌朝のお米もとぎ一日の仕事もすっかり終りました。
私の家はガスや水道がないので、火を起したり、井戸水をくむので割かた時間がかかります。
それでもまだブウブウなっております。時刻は十二時五分前でした。
一晩中ブウブウ唸っていては、御近所の家でも寝られません。
私も寒い故、早く炬燵で温まりやすみたいと思いましたが、この寒いのに運転手さんが気の毒と思い、
そうだ、大光明如来様にお願い申し上げて、お救い頂こうと思い、
御奉斎室に入り明主様、大光明如来様にお願い申し上げておもてへ出れば、
身を切られるような北風、運転手さんはと見れば姿が見えず、さてはこの寒さに疲れて、車をおいて帰ったのかと思いましたが、
よもやと思い電気のついていないクッションの方を見れば、真暗で何も見えません。
でも声をかけてみようと「運転手さん、まだ動かないのですか、どうしました」と申しますと、
ようよう窓を開けて「スリップしてどうしても駄目だから、今駐在所の巡査に頼んで、向いの電話をようようかけて、言伝を頼んだのですが、
巣鴨だから、来ればもうとうに来るはずだが・・・」とこぼしておられました。
「それでは来ればよいが、来なければ明日の朝までこの車の中で震えながら寝るのですか。
この寒いのに幾らお若い方でも堪りませんね。今神様にお願いしてあげますからそのままで少しお待ち下さい」と申して、
直ぐスリップしている所を御浄霊させて頂き天津祝詞をお唱えして、お願いしておりました。
確か十五分も経ちましたか、運転手さんに「動かして御覧なさい」といいました。
運転手さんはエンジンをかけました。
二時間以上も経っていました車体は凍りついたようでした。
御浄霊の手は休まずつづけておりました。
その時です、大神様は私の霊感に「逆行せよ」と妙智をお与え下さいました。
すぐ運転手さんに「逆行」といいますと、運転手さんは「後へですか」と聞きました。
「そうです」と私はいいつつ御浄霊しながら、大神様にお願い申し上げているうちに、
エンジンの音と共に大きく車体が動き始め、少しずつ逆行し始めたではありませんか。
その時の私の嬉しさ有難さは、この筆には到底現わせませんでした。
口で「オーライオーライ」と言いながら、御浄霊の手は続けておりました。
段々と逆行する車は泥だらけでした。
私は車について、そばのどぶへ落ちるのも忘れました。
運転手さんに「もう大丈夫ですよ」と申しましたら「まだどうだかな」などと言っておりました。
「こんなに動いたではありませんか。では前進してごらんなさい」といいました。運転手さんは不思議と思われたのでしょう。
それより十四、五米前進し楽々走り出しました。車を止めた運転手さんは、私の側へ来て「助けて頂いたのでどうしたら宜しいですか」といいました。
私は「どうもせずと宜しいですよ、大神様にお願してお救いして頂いたのですから、もし感謝のお気持がおありでしたら、熱海の世界救世教の大神様へ御礼のお心持をお向け下さい。
そうしてこのお救いは自動車ばかりでなく、病貧争、心の悩みもすべて何でもお救いして下さいますから、もし知人に御病人でもおありでしたら知らせてお上げ下さい。
それでもあなたのお心持が、大神様に通りますからね。
さあ、よかったですね、寒かったでしょう。早くお帰り下さい」と申しましたが、暫く立ちすくんでおられました。
何か心に感じた事がおありのようでした。
「では、いつかお尋ねする事があるかも知れませんから、今夜はこれでお別れ致します。有難うございました」と申されて勢いよく帰られました。
私は早速家へ入り、明主様、大神様へ御礼を申し上げ、曇多き私にも、お救いの御力を賜わる有難さをしみじみと感じ、涙と共に御礼を申し上げました。
いつかその運転手さんも、世の悩める人々にお知らせ下さる時もある事を楽しく存じおります。
明主様、誠に有難うございます。謹んで御礼申し上げます。」
体験談 御利益御報告 (地上天国 6号 昭和24年7月20日発行)
日本五六七教神明会SR教導所 ST(59・男性)
自動車の奇蹟(其ノ二)
「これは最近の一月二十四目の出来事御利益です。
当日私は幡豆郡より木材を買受けるため代燃トラックで午前十一時頃拙宅より約二里の道程の山奥へ来たので私はこれに積載する木材の検尺引渡しに行きました。
そしたら代燃車の事とて機関に故障が生じ十一時頃より午後一時過ぎの約二時間余運転手と助手とが懸命に真黒になって手を尽したが仲々直らずエンジンは掛からず最早や空腹にもなって来たので、昼食を済ませ私は検尺しておりました、
しかし三時頃になっても依然直らぬ故、運転手等もこの山中で徹夜する事になるかも知れず寒さは寒し殊に衣料食糧の用意も無く実に困った事になったと愚痴をこぼしながらも修理の手を休めず専心努めているので
私もほとほと気の毒に思われ「ふと」これは一つ観音様にお願い申上げてみようと思いました。
彼の運転手等の性癖と申しますかいわゆる勇み肌の兄んちゃんの事ゆえ必ず「おい」「おっさんつまらぬマジナイはお止め冗談ではない」とひやかされるのも癪と思い機関部の側にて見守るような振をして心の裡で
一生懸命に善言讃詞を奉唱しまた秘に浄霊しておりました所、
四時頃になって運ちゃんがもう一度エンジンを掛けて見るかと意識消沈の体で試した所
何と不思議ではありませんかプロペラが物凄い勢で回転し出したのです。
「あっ」有難い掛った有難い掛ったと運ちゃん手を拍って狂喜の歓声を挙げる私も思わず感極まってなす所を知らずただ急に熱い物が胸にこみあげて来ました。
ああ観音様誠に有難う御座居ました有難う御座いましたと繰返すより外ありませんでした。」
体験談 二時間も四苦八苦の発動機 一分間の御浄霊で動く (昭和28年9月10日発行)
岩手県 照明中教会 SM(29・男性)
「昨年八月十七日盛岡市より五里もある、岩平郡簗川村根田茂と言う山間集落の信者SK氏義弟(未信者、二十四歳)が一生懸命になって発動機の修理に余念なく、一時間以上も、いじっているらしい。
本人のいわくには「とにかく不思議です。どこも特別の故障もみられないが、かかりません」と言って
一人でプリーにベルトの代りに綱を巻いて引っぱり又巻いては引っぱりして廻しておりましたが、一向にかかる様子がありませんでした。
私は光明如来様の御参りを済ませて、暫くして家の前に出てみれば未だ一生懸命やっております。
夏の暑さに全身汗と油にまみれて気の毒な位でした。
その時S氏が「先生に御浄霊して戴くと直ぐかかる」と言われて私は面喰った。
「御蔭話によく種々な奇蹟が出ているから先生お願いします」と言われました。
しかし私は機械に対して歴然たる経験がなかったのです。
誠に申訳無い事とは思いましたが、「機械は機械でなければ」と言ってしまいました。
しかし、本教には奇蹟が付きものであると、感じない訳ではありませんでしたが、素直に御浄霊出来なかったのが、
未だ信仰の足らざる事であると反省させられました。
むしろ未信者の方が熱心です。私は力強く思いました。
それから私も手伝うから廻して見ようと言って綱を引っぱって廻して見たが、やはり駄目でした。
その時、S氏が「先生やっぱり御浄霊して下さい」と言うのです。
義弟氏も「時間がなくなる、今日はものにならないかな」と心配し、「先生御願いです」と言う。
私は気の毒でなりませんでした。
よしそれでは、光明如来様に御願いして御浄霊さして戴きましょう。
「人事を尽くして天命を待つ」とはこの事と思って早速御浄霊をさせて戴きました。
まず発動機一体を御浄霊してみましたところが、ちょっと手に感じたところが一カ所あったので、
ここに曇りがあるなと思い、そこだけを御浄霊してみました。
しかし一分ともしない内に何だか治ったような感じがしたので、よし今度はよいぞと言って、又もプリーに網を巻き引っぱってみました。
嗚呼御守護、二時間以上もかからなかった発動機が僅か一分足らずの御浄霊で実に簡単にかかったのです。
嬉しかった。ただただ御守護の偉大さに感謝が溢れ出る許りです。
S氏一家も驚きと感謝で一杯でした。
「これだから早くやって戴けばよかった」と言われて、私は吾が信仰の浅いことを知らされました。
明主様御守護有難うございました。
罪深き私を偉大なる救いの業に御使い戴きます大慈大悲の御恵み、厚く厚く御礼申し上げます。明主様誠に有難うございました。」
専従者の寄稿 「神は罰し神は恵み給う(二)」 槐安生 (昭和29年7月15日発行)
神様から褒賞を戴いた人とお咎めを蒙った人との話
「IKさんが御本部の建設資金に。と快く二千円献納したと聞いて、へえ・・・あの人がねえ・・・と私は驚ろいた。
喜んでした献金に、信者はそうありたいもの。と感心するのが当りまえなのに、あの人がねえ・・・と意外に思ったのは、
かねてからKさんの人となりを知っていたからであった。
Kさんは穀倉地帯と言われている北国の農民で、現在は水田三町歩を耕作している大百姓である。
Kさんが養子に迎えられた当時は村一番の貧乏百姓で、軒の傾いた家屋には床も畳もなく、
吹雪く夜さえ土間に蓆を敷いてその上にまどろんだという、酷い暮らしだったそうだが、
それが今のような大百姓にのし上ったのは、Kさんが並々ならぬ働き者で、その困苦勉励が実を結んだというべきであろう。
Kさんが入信したのは三年ほど前で、養母が大病で医者にも見放されたとき、支部の先生に助けられ、
それを機縁に入信して今では一家ことごとく、信仰の道に入っているが、その信仰ぶりは教理の真諦を掴んでいるとは言えないようである。
では不熱心かと言うとそうでもなく、田圃へ出るにも、用達しに町へ出かけるにも、必ずふところへ栄光を入れておいて、
少しの暇でもあればそれを読み耽り、村の人たちにもお道の話をして入信を勧めるほどであるから、熱心な信者と言っても差支えなさそうである。
私は本部へ参拝にきたKさんに二度ほど逢っていて、醇朴愛すべきその人柄を好もしく思っているが、ただ遺憾に思えるのは、Kさんは神様への感謝報恩の念が薄い。
という点であった。薄い。というよりはそれが欠けている、と言った方が適切のようである。
もっとも人間という生物自体がおしなべて物惜しみをする動物であるらしく、出すものは一銭一厘でも少くしようと心掛け、受けるものは最大に。
という理屈に合わない欲ばった考えを持っているのが普通であるらしいので、何もKさんばかりをひき合いに出す必要はないが、
この人の生活環境が一毛作の田だけで、他に現金収入の途がなく、一年に一ぺん入る供出代金を減らすまい。
とすれば、勢い支出を抑えるの外はない訳だ。
だから浄霊で病いを治して貰らってもお礼の方は頬冠り、感謝献金は真平とばかり頑強に押し通して来たのである。
Kさんの信仰哲学は、神様が先に御利益をくれれば、その内の幾分かを神様にお返えし申しても良い。
というのであるらしい。こうした考え方ほ、案外、多くの人達の頭の中に巣喰っているらしく家業は多少おろそかにしても、お祀りした神様を拝んでさえいれば毎朝、神様が枕元に札束を置いてってくれる。
とでも思っているらしいのだ。田畑へ種を蒔かなくても、米や麦がひとりでに稔ってくれる。
と思う人間は一人もいないのに、こと、神様に関すると理不尽な無理難題を吹きかける人が、私たちの身辺にも少しは指摘できるようである。
神様を、人間のための道具とでも考えているような、不埒千万なこの傾向は、無信仰の人に限ってなお更ひどく、神様があるなら、一夜のうちに世の中のすべての事を改造して見せろ。
とか、長らくの患いで夢弱しきった瀕死の病人を、ただ一度の浄霊で立ち上らせてみろ。
などと莫迦げた事を平気で言うのだ。
種を蒔かずに米を稔らせよう。
という流儀のKさんが、建設資金の一部にも。
と二つ返事で二千円、喜んで差出した。
と聞いて、へえ・・・と驚ろいたのも無理からぬ事と、判って貰えたであろう。
しかも献金した時期は米の収穫まえで、農家としては一年じゅうで一番現金の乏しい時の浄財である。
だからこそ、Kさんが神様から戴いたお蔭が、一段と光彩を放ってくる訳である。
忙がしい収穫が済んで、ほッとする間もなく、Kさんは縄をない始めた。
他の農家がとり入れに忙殺されていて、まだ縄をない始めない時に売れば、縄の値段がいいのを毎年の例で知っていたからで、欲も手伝って頑張った。
縄索機にまず浄霊する。
浄霊すると機械の音まで違ってきて、高速度で廻転する精密機械のようにスースーという音に変ってくる。
縄は三貫五百匁が一束だが、秋の新藁は四貫目ある。
Kさんは十八日間で千貫ない、四万円の収益を挙げた。
製品の運搬賃は自分持ち、というのが通り相場だが、品薄の季節だったので、貫当り一円、一千円の運搬賃まで貰えた。
十八日間で四万一千円。いつもこの半分位しか出来ないのに、こんなに稼げたのは神様のお蔭です。
先生に教えられたように機械に浄霊したら、機械の性能が変ってきたのには吃驚しました。
とKさんは支部へ報告に行った。
君の口からお蔭という言葉が出たのは初めてだね。
それと言うのも、君がこの間、神様の御用をしたので、早速そのお蔭が戴けた訳なんだ。と支部の先生も喜んでくれた。
お蔭を戴くには、先に種蒔きしなければ、ってえ事が、やっと解りました。
Kさんは気まり悪げな顔で笑った。
十八日間で千貫ない、四万一千円稼いだKさんの噂さは忽ち村じゅうに拡まった。
真疑を確かめに来た部落の二人の者に、これというのも縄索機に浄霊したからだ。
と例に依ってKさんはお道の話を始めた。
「へん・・・馬鹿にしてやがら・・・縄をなうにも神様かい。だからおめえは皆んなに馬鹿にされるんだ。」と二人はKさんの話を聞こうともしないで吐き捨てるように言った。
実際、Kさんは何故かことごとに部落の人達から侮られ疎んじられていた。
それもお道の話をするようになってから、なお更のことらしかった。
なに故にKさんを軽蔑するか。とその理由の釈明を求めても、それはその本人たちにも解るまい。
Kさんの働らきぶりも気に入らなければ、水呑百姓から大百姓になった事も気に入らないのだ。
要するにKさんの事なら何から何まで気に入らない。というのらしい。
「隣りで倉を建てれば、こちらは腹を立てる」という、農村の人にだけ解る諺があるが、
この奇妙な心理がKさんへ、そしてKさんの信じる神様への反発。とつながっているらしい。
「おまえにやれる事なら、俺にだってやれらあ・・・何が神様だい」二人は、Kづれに負けるものか。
とすぐ縄ないにかかったが、幾束もなわないうちに二人共たい変な事になって仕舞った。
一人はベルトが切れた。と思ったとき、切れたベルトが何処へ絡らんだものか、アッという間もなく縄索機は天井へ抛り上げられ、弾みのついた勢いで土間に叩き付けられた機械は、木ッ葉微塵に砕けて仕舞ッたのだ。
Kさんを、いや、神様を馬鹿にしたもう一人の男は、仕事着の袖を藁もろ共縄索機に喰い込まれて仕舞い、
右腕の第二関節まで引き込まれて、骨も砕ける大怪我になってしまった。
退院する迄、四十日はかかるだろう。
骨が砕けているので右腕は切断しなければなるまい。と、お医者さんは診断した。
「ふだんから神様を馬鹿にしているから罰が当ったんだべ。」Kさんは支部の先生にそう言ったが、
同じ部落の人の災難だけに、この思いは自分の腹の中に仕舞い込んで置く。
と言った。Kさんが、これ以上、村人から憎まれないためにも、私はKさんのその思慮深い考えには賛成である。
神様のお恵みを戴くにはどうしたらいいか。
Kさんはこんどの事で、はっきりと悟ったようであるが、お咎めを蒙った二人は、自分達の災難と神様とを結び付けて考えることはまずあるまい。
何はともあれ、神様のお咎めは蒙りたくないもの、お蔭は戴きたいものである。」
体験談 超化学の奇蹟 (地上天国 創刊号 昭和23年12月1日発行)
五六七会 UM(女性)
「私は昭和二十一年三月教修を受け入信したものです。
二十二年六月以来中旬頃の事だと思います。
夕方味噌類を仕立てまして、菌も混ぜムロブタでむして休みました。
翌日どんなになっているかと見ますと、花はまだついていませんでしたが、どうも変な臭いがするもので、一粒口に入れてみましたところ、何とスッパイ事、頭の中までじーんとする程です。
今まで何がスッパイと申しても、こんなスッパイ物を口に入れた事はありません。
さあ大変どうしようと主人に相談致しましたが「菌を沢山入れすぎたから、こんなになってしまったんだ、どうするたってこうなっては、どうしようもないではないか、これで味噌を作ってもスッパクてとても食べられるものでない拾ててしまえ」と云うだけです。
一斗五升の麦を拾てる訳にもゆかずそのままにすれば益々スッパクなるばかりで思案にくれて私は泣き出しそうになってしまいました。
ふと光明如来様に御願いしてみようと云う気特ちになり、一生懸命にお願いしました。
いくら病人はどんどん癒っても、まさかと思いながら今は他にすべもなく一生懸命霊気を入れました。
そして夕方また霊気を入れ、御観音様に御まかせして休みました。
しかし一斗五升の麦を考えると寝てもねむれません。
起きて直ぐにみますと、何と真白い花がついて変な臭いはなく麹の臭いがプンプンしています。
口に入れても酸くありません。
これはと驚きまた霊気を一生懸命に入れました。
そして出来上った味噌は毎年作るのですが、今年のように立派な味噌は今までにないと主人に賞められました。
あまりの不思議さ有難さに声も出ません。
その事があってから野菜でも麦でもすべて霊気を入れてやるものですから今までよりもうんとよく出来ます。」
体験談 水禍より逃れて (地上天国 1号 昭和23年12月1日発行)
日本五六七教大栄会 KY(女性)
「二日間に渡り降り続いた豪雨が二十一日未明より雷を伴い、兵庫県下一帯を襲いました。
日頃水量の少ないこの辺の河水はグングン増水し数カ所決壊しました。
私の住んでいる良元村に約三千坪の弁天池という池があります。
地形上この辺は傾斜がきつく池は割合高いところにあります。
弁天池は山から流れ落ちる濁水で渦を巻きゴウゴウと水鳴が起きました。
雷雨に夢破られた村人達の必死の砂防工事の甲斐もなく、遂に堤防は十五米にわたり決壊口を開けました。
私の家から百米程離れた所で丁度弁天池が約五十米離れた低地に、会員のUさんの家がありますので危険とみて、Uさんの避難の手伝いに行きました。
最初安全な場所へ荷物を運び、すぐ引返してくるともうその時はUさんの家へは入る事も出来ませんでしたので私はすぐ自宅へ移りますと、早や水は私の家の玄関まで来ていました。
水量は増す一方なので私は光明如来様の御前に額き心をこめて御願い致しました。
そして縁先へ出て、一生懸命浄霊をしますと暫くして、不思議にも玄関へ来ていた水は、すーと引いて行きました。
私は嬉しく思いながらなおも水の引く様子をみていますと、満水の弁天池から余勢を駆って流れ出た奔流は土砂樹木と共に渦を巻きながら、この良元村の集落は一瞬にして濁流に呑まれました。
時も経って一応水が引いた後で、人に聞くと良元村は濁流の中心地だったそうです。
この中にあって私の家は何ら被害もなく無事水禍を逃れる事の出来ましたのは、ただただ観音様の有難い御利益と感謝しています。
翌々日二十三日にいつも御指導を受けている和歌山の中谷先生に御報告するようとのお話でしたので、水禍より逃れ得た喜びと御利益を感謝しつつ御報告させていただきます。」
参考 明主様御垂示 「浄霊は物体を通す」 (昭和26年7月8日)
信者の質問
「私は五年前教修をいただいた者ですが、当時、電気はガラスだけは通さぬから、眼鏡をはずして御治療うけるように教えられましたが、
やはりガラスは通さぬものでございましょうか。」
明主様の御垂示
「いや、そんなことはない。
すべての物体を通しますよ。眼鏡をかけて御浄霊を受けなさい。」
参考 明主様御垂示 「ガラスが霊的火素を遮断するのは現実」 (昭和26年1月25日発行)
信者の質問
「フランスの細菌の泰斗(たいと)パスツールの細菌発見の実験につきまして御神書に、
「そもそも森羅万象の構成は火素、水素、土素であり、霊気は火素を主とし、空気は水素を主とし、土壌は土素を主とする。
また霊気(火素)は経に上下動し、空気(水素)は緯に流動する。
そうして微生物の発生は、熱すなわち火素に因るのであるから、口の曲がれる瓶は経に昇降する火素をガラスが遮断するためである」と、御開明いただいておりますが、
ガラスが霊的(火素)を遮断する原理についてお伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「全部を遮断することはできないが、ある程度できるものである。
この原理を簡単に言えば、室内の温度を唐紙一枚でも遮断されるではないか。
これは原理ではなく現実である。」