動物に対する浄霊について
明主様御垂示 「動物にも浄霊して良い」 (昭和24年4月20日発行)
信者の質問
「動物の浄霊を頼まれますがもったいないような気がいたしますがいかがでしょうか。」
明主様の御垂示
「観音様は虫螻(むしけら)までもお慈悲を垂れ恵んでくださるから、
救いの意味からいうと動物でも人間でも同じように思っていいのである。
また浄霊は下等動物ほど効果がある。」
明主様御垂示 「牛の種付不良」
信者の質問
「昨年頃より牛の種付の成績が悪くなりました。
三年前は殆ど一ないし二回で受胎しましたのに、ただ今では仲々受胎致しません。
また死亡率も早産率も高くなりました。右の原因を御説明願います。」
明主様御垂示
「薬をやるとこういう事がある。出来るだけ浄霊して薬毒をとる。」
明主様御垂示 「乳牛の不良」 (昭和24年9月17日)
信者の質問
「私は本年四月入信いたし、家は農業です。
飼育しております役乳兼用のショートホーンは、本年四月二十六日子を産みましたが、
左側の乳房が悪く、初めは乳が四、五升位で普通でしたが、
二、三週間後から下り乳となり、今は一日六、七合位になってしまいました。
食欲は少く、諸先生の御浄霊を頂きましたが、良くなりません。
何か霊的関係でも御座いましょうか。御伺いいたします。」
明主様御垂示
「霊的ではなく薬毒であろう。今は注射など盛んにやるからそのためであろうし、浄霊の見当も違っていよう。
よく光明如来様にお願いする。それで悪かったら再び質問せよ。」
明主様御垂示 「馬の伝染性貧血症に対する浄霊の急所」 (昭和27年3月1日)
信者の質問
「北海道で、六十頭の馬を持っておりますが、伝貧(でんひん)と言う病気で倒れます。
蚊や虻(あぶ)の媒介といっておりますが、これに罹りました馬はどこを御浄霊いたしましたらよろしいでしょうか」
明主様御垂示
「伝貧なんて初めて聞きましたがね。やっぱり、何か原因があるでしょうね。」
信者の発言
「化学肥料の藁を使うためで・・・」
明主様御垂示
「無論、そういった原因が・・・生まれてから何か注射をするんじゃないですか。」
信者の発言
「予防注射をいたします」
明主様御垂示
「それですよ。普通じゃ絶対そんなことはないですよ。
ちゃんと育つように神様が造ってあるんだから、病気になるのは、人間が原因を作っているんだからね。
予防注射ですね。病状は・・・」
信者の発言
「トロンとして眠りたがります」
明主様御垂示
「じゃ、馬の頭だね。頭からたてがみですね。」
信者の発言
「私のほうでは、頭と全身をいたしまして一ヵ月で治りました」
明主様御垂示
「やっぱり、それで良いわけだ。」
信者の質問
「伝染性貧血症と言うのでございます」
明主様御垂示
「それで解った。やっぱりそれで良いですよ。頭を中心にすればね。」
明主様御垂示 「執拗な馬の腫物」 (昭和24年2月27日)
信者の質問
「昨年暮より馬の左頬の出来ものの浄霊を依頼され続けておりますが、未だ全快致しません。
局部だけの浄霊では駄目でしょうか。
また、全快するものなれば何日位かかるものでしょうか。御伺いします。」
明主様御垂示
「浄霊者の霊力が足りないのである。」
明主様御垂示 「化猫が出現した事例」 (昭和23年12月22日)
信者の質問
「私が十二月二十日に板橋十丁目教導所U先生の御浄霊を戴きますと、私の身体に現在生きている猫の霊が憑り、
その猫霊の言うに、私は生きて見苦しい姿を世間の人に見られるより一思いに殺して戴きたい、そして姿無き霊となって守りたいと申します。
殺して下さるなら及川先生に殺して祭って下さいと申しましたが、その霊の言うように殺して良いのでしょうか。
この猫は野良猫でいつでも私の家へ来ているので面倒を見ておりますが、近所に病人があるときっとその家へ行っております。
病人はだんだん悪くなりますので、猫をつかまえて叱り付けて言い聞かせますと、病人が立直ります。
それから猫に浄霊致しますと喜んで出て行きます。最近は寄り付きません。
殺さずに自然死を待って祭ってやった方がよろしいでしょうか。
他に方法が御座いますか。御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「化猫の一種である。
人間が猫になったものに違いなく、人間の性格が猫に表われている。
殺さず放っておけばよい。来ないなら余計よい。
話の様子なら殺してもよいが、気持がわるいから、祝詞を上げ、浄霊してやるとよい。」
明主様御垂示 「浄霊と善言讃詞により蛇が霊化した事例」 (昭和24年6月2日)
信者の質問
「ある会員で御座居いますが、田打ちをしている時、五尺位の青大将が鍬先迄這って来て、じっと自分の方を見つめていましたが、暫くして草むらへ入っていきました。
田打ちを終えて帰宅しようとした際、道路へ出てみると道路一ぱいに横になっておりました。
いくらおどしたり石を投げても動きません。
仕方ないので田の土を一握り頭の所へ投げて見ましたが、少しも動きません。
そこで善言讃詞を奏げさせて頂き、一分程御浄霊を致しましたところ、
蛇はその投げた土の中に入って行きましたので、
不思議に思い土を取って見ましたら、どこにもおらず、道路に穴も御座いません。
何か霊的に関係御座いましょうか。御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「何か目的がある。
善言讃詞と浄霊を願いたいのである。
人間に生れ代りたいが、罪穢が多くて出来ない。それを除ってもらいたい。
いないのは霊化したのである。それは昇天する場合と霊界へ行って人間に生れ代る準備をする。
そういう時は祝詞を奏げるのが一番よい。
それによって汚れが除れる。」
明主様御教え 「浄霊で豚の病気まで治る」 (昭和28年御執筆)
「偉大な浄霊の力は、独り人間のみではない。
豚の病気まで治るのだから大したものである。
しかも動物は人間と異って、身体に触れる事は厄介であるが、
浄霊は数間離れても効果は同様であるから、
これで治るとしたらどのくらい助かるか分るまい。
としたら農家経済上その利益たるや素晴しいものである。
よく新聞に出ている牛や豚の流行病なども、浄霊だけで確実に伝染を喰止められるのだから、
一日も早く農民に知らしたいものである。
その上鳥類、虫類の末までも同様治るので、これにみても神の大慈悲は無限である。
これで思われる事は獣医という専門医は固より、
人間にも内科、外科、眼科、歯科、脳神経科、ヤレ何々科などと科目が別れているが、
これなども滑稽である。
なぜなれば一切の病原は一つであるから、療法も同一でいい訳で、
それぞれ違うと思われるのは、場所の違いさによる事を医学はまだ知らないからである。(実例省略)
明主様御教え 「豚でも此通り」 (昭和28年執筆)
「私はいつも思っているのは、医学では人間と動物とを別々にしており、
一方は獣医といって別の科目になっているが、これも滑稽である。
なぜなれば、生物としては上等と下等だけの違いで、外は大体同じようになっている。
ゆえに人間の病気と動物の病気とは、同一方法で治る訳である。
それを区別するという事は、全く生物の本質が分っていないからである。
これについて一つ言いたい事は、よくインテリの人達などは、
宗教で病気の治るのは、信ずるという精神的のためであって、
本当に治すには科学より外にないというが、
この実例(省略)でその説は一たまりもなくブチ壊れた訳である。
なぜなれば、豚には精神的要素は全然ないからである。
としたらこの批評を是非訊きたいものである。
これについて近来ヤレ牛の結核だとか、豚の病気のため、多数斃死し、農家は損害を受けるので、
当局は躍起となって予防に大童(おおわらわ)になっているが、何の効果のないのは知る通りである。
としたら、人間は何だかんだ文句をいって浄霊を受けないが、動物なら素直に受ける以上、
日本からこれらの動物全部を健康にするには、敢て難しい事はない。
もしそうなるとしたら、国家の利益は甚大なものがあろう。
ところが遺憾な事には、これが科学の発見ならば、たちまち広まるであろうが、宗教なるがゆえに容易ではないであろう。
愚かなる者よ、汝の名は現代人といいたいくらいである。」
明主様御教え 「禽獣までも」 (昭和26年11月7日発行)
「近来、人間ばかりではなく、家畜の社会も大いに病気が増えたようである。
これが生産面に及ぼす影響も、仲々馬鹿にならないのである。
これは全く近来流行の注射のためである事は間違いないので、
何とかしてこの誤りに目覚めさせたいと思うが、それが仲々むずかしい。
もちろん神の慈悲は、禽獣虫魚にまで及ぶので、
浄霊を受ける家畜は実に幸運でありそれを飼う人間までも、御蔭を蒙るのだから、
早く本教を弘めて、家畜までも救ってやりたいと思うのである。
左記の例は僅か入信三カ月の信者が、家畜をドシドシ治した報告で参考になると思うので、この文を添えた訳である。」
体験談 「奇蹟! 豚一分間の浄霊で救わる」
熊本県 明輪中教会 HM
「入信以来三カ月、数々の御守護、御神徳を戴き、お蔭を以ちまして日一日と明るい光明の生活をさせて頂いております事は、
ひとえに明主様の絶対なるお力徳のしからしむるところと深く深く感謝致しております、
入信未だ日浅いにもかかわらず、幾多の奇蹟と御教えを戴き、
体験を通して薬毒の恐ろしさを知らされ、今更のように身の縮まる思いで御座います、
さて私が入信させて頂きましたのは家業が家畜商(豚の仲買)である関係上、
豚の病気についても数多く見ては来ましたが、
勿論このお道を知らない人達とて発病するや、
すぐ獣医に診断を求め治療を受けた訳ですが往々誤診や誤療もあり、
空しく死んで行く姿も目の辺り数多く見ておりましたので、
この物言わぬ家畜の完全な治療法は無い物かと、夢のような事を常日頃頭に画いていたので御座います、
他人に話せば笑われるのが関の山なので、私一人で胸中深く秘めて、このすばらしい空想否理想の実現を毎日夢見ておりました、
しかしこの私の空想がある日現実として実現したのであります。
奇蹟! そうです全く奇蹟であります、
それはある日商用である養豚家の家を尋ねましたところ、
一人の青年が熱心に病豚に向って手をかざしている姿を発見したのであります、
余りに奇異な姿に色々とお尋ねして見ましたところ、
世界メシヤ教で御浄霊をしているのだとのこと、
その人は同教の信者でOさんという人だという事も分りました、
しかし氏の話は今迄一度も聞いた事もない事だけに、私にとっては中々うなずけませんでした、
今にして思えば汗顔の至りで御座いますが、
議論数十回遂に私は私の求めているものはこれだ! との確信を得ましたので、
ただの一回の御浄霊を受けた訳ではありませんが入信、御守様拝授の光栄に浴した訳であります、
前に申し述べさせて頂きましたように、
商売上まず最初に御浄霊をさせて戴きましたのは豚で御座いました、
約三十分間の御浄霊で、二日間全然何も喰べなかった豚が喰べるようになった時の嬉しさは、
思わず「明主様」と叫び、この偉大なる御神徳に涙がとめどなく落ちて参りました、
罪多き至らぬ私ごとき者迄、かかる御恵みを戴けるとは全くもったいない話であります、
これに自信を得、力付けられました私は、それから三カ月、
今日迄に妻の歯痛、胃病、乳腫れ、先輩知人の腫物、頭痛、脚気、腹痛と数限りなくお救いを戴き、
ただただ明主様の御力の絶対であり、この絶対の御救いの道に入れて頂いた幸福をしみじみと感じております、
今日迄に浄霊させて戴いた豚の数も三十二、三頭に及び、
その内完全にお救いを戴けず致し方なく肉豚にしたのは四頭だけで御座いました、
今にして思えばこの四頭の豚は、いずれも獣医が来て注射や浣腸をし、氷で冷した豚許りで御座いました、
特に面白い対照的であったのは、八月三十日の二頭の豚でありまして、
内一頭は市内でも有名なS氏所有の雄豚でした、朝早くS氏が来宅せられ、
「H君豚が二日も何も喰べないから見てくれないか」と言われましたので早速行って見ましたところ、
氷水で全身を冷してありましたので「冷さない方がよいですよ」と言って冷す事を中止させ、
約一時間許り御浄霊させて戴きましたが何の変化もありませんでした
(今迄の体験では大抵二、三十分でほとんどが御守護を戴いております)。
私は朝食前でありましたので後刻再び参上する事を約束して帰宅しますと、
今度はK氏が「豚の工合が悪いから見てくれ」と来ておられましたので、
朝食後K氏宅に行って見ました、豚は足を痛めたらしく引きずるようにして、丸二日間何も食べないとのことでした、
念の為獣医の来診の有無を尋ねましたところ、来ていないとの答えでした、
早速祝詞を奏上し御浄霊をさせて戴きますと、たちまちにして喰べ始めました、
その間約一分! K氏も驚嘆されましたが私も全く余りの偉大なる御神徳に茫然となってしまいました。
その後K氏宅にはお伺い致しておりませんが足の方も二日後にはさっぱりと良くなったそうであります、
一方S氏の豚は何回かの御浄霊にもかかわらず、何らの効果なく、
遂にS氏もまた氷水で豚を冷し始められましたので私も御浄霊する事を断念致しました、
後でS氏にお伺いしましたところ、獣医によってペニシリン数本を打ち、浣腸をしたとの事でした、
その夜私は色々と考えて一つの結論を見出しました、
それは薬毒の作用している豚は、いかにしても救われず死んでゆくことで御座います。
この結論を得ました時に今迄私達の考えていた薬、否薬毒の恐ろしさにゾッと身のすくむような思いが致しました、
ああ恐ろしき哉薬毒! 今迄私達の病気を救ってくれる物とばかり信じていた薬?
それは世にも恐ろしい毒物でした、私は入信以来三カ月、
豚を実験台にして明主様の御教え、薬毒の意味を味わったので御座います。
人体も勿論豚と同様な事は言う迄もありません、私はこの貴重な体験を通して、
今後御浄霊に、地上天国建設に御奉仕させて頂きたいと張切っております、
想えば私ごとき者にさえ、明主様の御教えと、救いの力を戴けてある事は何と御礼を申し上げてよいか分りません、
過去を振り返り、現在の自分を見、将来を想う時、変らせて戴いているのだ!
救って頂きつつあるのだ、とひしひしと身に沁みて考えさせられます、
この上は更に一層決意を新たにし、身魂磨きに精進させて頂く覚悟で御座います、
又ここまで自分をお導き下さったK先生、Oさんに厚く御礼を申し上げると共に、
謹んで明主様に御報告させて頂きます、有難う御座いました。」
体験談 豚の子の奇蹟 (地上天国 2号 昭和24年3月1日発行)
日本五六七教会和光会 KT(女性)
「昭和二十三年九月十五日朝豚の子が九匹生れました。
普通でしたら生れた直後より乳が出るのが全然出なく非常に心配致し子豚も助からないと思っていましたところを浄霊していただきました。
すると同時にどんどん乳が出るようになり御蔭にて子豚九匹はすくすく元気にて生育しています。
これも偏にお観音様の御蔭とここに謹みて感謝の詞を申上げます。」
体験談 脳炎で絶望の豚が奇蹟蘇生す (昭和24年7月20日発行)
豚に御霊紙を食べさせた事例
宮崎県 日本観音教光宝会 MC(45・男性)
「現実の世にこれ程の奇蹟がありましょうか。ここに謹んで観音様の偉大な御守護の感激を発表させて頂きます。
私共夫婦は昭和二十一年の秋、教修を頂きその後御神体をお祀りさして頂き、今日まで限りないおかげを受け、一意信仰に精進させて頂いています。
私は本月十一日会社の所長会議のため熊本の支店へ出張し、十四日十二時帰って来ました。
急用があってそのまま自宅に帰らず会社に立寄りましたところ、豚が大変悪いからすぐ帰るようにと電話がかかっておりました。
私の宅では家内が豚二頭を飼っております。
わざわざ電話を掛けるようでは今流行の脳炎にやられたのではあるまいか。
もし脳炎なら二頭ともやられているに違いない、値段にして四万円、目の前が真暗になったような気持で、取るものもとりあえず帰宅しました。
ちょうど二時頃でした、案の定大きな方が庭に四肢を投出し気息奄々の有様で、妻は一生懸命御浄霊をしているし、
それをどうしたことかと近所の人達六、七名が取り囲んで見守っている物々しい光景が目に映りました。
妻の話によると今朝六時頃飼料をやろうと思って豚舎に行ってみると、大きい方が痙攣を惹して苦しがっているので非常に驚き、
早速近所の人の救いを求め庭に持出し自分で御浄霊しながら、人を頼んで教導所の助手池山さんを呼ぶ一方別な人を頼んで会社へ電話をかけたりするなど大騒ぎだったとの事でした。
私の帰った時にはIさんが今御浄霊を済ましてお帰りになった直後でした。
このように話す中にも豚は白眼を吊上げ口から泡を噴き四肢をバタバタさして痙攣がひっきりなしに襲い、その光景は正視出来ないものがありました。
近所の人達は「もう見込はないから一刻も早く獣医を呼んで、生きてる間に刺した方がよいでないか」と私達の無暴にも似た行為に厳しい非難を浴せるのです。
でも期する所があり黙々としてお浄霊を続けておりました。
その夜当地のEさん宅で研究会が開かれる事になっており、これに出席のS先生が丁度八時頃お出下さいました。
その時は昼間の人達が信仰の力で果して病気が治るだろうかと、半信半疑の気持で六、七名押かけていました。
S先生に早速お浄霊して頂きました。
三十分もかかったでしょうか、その間激しい痙攣が三度来ました。
お浄霊半ばに熱がスーッとひいて仕舞い、S先生は「これで助かるんではないですか、まあ後を続けてお浄霊しておきなさい」と言って研究会に急がれました。
先生がお帰りの後三十分もしたでしょうか、あれ程昼間から待っていた尿と便がそれこそ物凄い勢で出て来たではありませんか、
次の瞬間には豚は目をパッチリ見開いて前肢を掻くような恰好をするので何心なく起してみると、
スックリ起上ってヨチヨチ歩き出したではありませんか、その時の感激満座大騒ぎでした。
でも問題はこれからなのです。「後のお浄霊を続けるように」と言われたのも忘れ、これでよしと安心して仕舞い翌日(十五日)の昼すぎまでお浄霊を忘れていました。
それから朝の間はヨチヨチと庭を歩き廻り飼料をやると僅かながら食べるので大丈夫と言う気持があったのです。
サア大変、病気は逆転した。午後二時すぎになるとあれ程よくなっていた豚がもう起上ることはおろか舌を噛み出したまま目をつむり、
ただ鼻先で浅い呼吸をかすかに続けているだけで、ほとんど絶望の一歩手前までになってしまったのです。
ちょうど四時半頃会社から帰ってみるとこの有様です。
一度治っていた豚が又悪くなったと聞いて近所の人達が二、三人駈付けていました。
妻に「この様子ではヒョットすると絶望かも知れない、でも一家の曇りのため豚を死なせて近所の人達に無限絶大な観音妙智力に疑いをもたせることになればこれ程残念なことはない、ここに至っては生きる死なせるも神委せだ。
この上は真心こめて光明如来様に御守護をお願いするより外に仕方がない」と決心し、教導所のIさんを再び呼ぶ一方私共夫婦はそれこそ御神体の前に額づき、一心不乱に御守護をお願いしました。
それが終って豚の所へ行ってみますとIさんが御浄霊の手を止めて「御霊紙を持って来ましたから卵子と一緒に呑ませてみましょうか」と言われて
「駄目でしょう今迄何度も食べさしてみたのですが全然喉を通らんのです」と言って斜に切った竹筒にいささか中味を入れて、
御霊紙とかき混ぜ豚の口の横の方を竹筒でこじあけて流し込みました。
ところが何たる不思議でしょう、目をつむったまま口の中の卵の黄味を舌の先でぺチャペチャとなめるのです。
オヤッと三人思わず顔を見合わせて「オイもう一つ」と私は家内に命じて今のようにして呑ませると吸い込むように喉を通りました。
続けて又一つと都合三つを呑ませると目をパッチリ見開いてそのままスックリ起上りました。
余りの激変に三人共呆然たらざるを得ませんでした。
そしてその辺を無性に歩き廻り、頻りに食物を漁さる恰好をするのです。
丁度レンゲ草の刈ったのがあったので、それを食わせると、いや食うの食わないの丸っきり気狂いのように食うのです。
アア何たる奇蹟か、瀕死の病豚がこの激変振り、果してこれが事実であろうか、
しかし事実は飽迄厳然たる事実であり、私共三人は声すら出ず余りの有難さと感激に目頭は熱くなり、胸の中にジンと込みあげて来るものを感じました。
当日のことを今想っても矢張り夢のような気がいたします。
かくして発病して二日で完全に治り、今ではピンピンとして以前よりもよく食べるようになり、一日一日肥りつつあります。
この一大事実の前にいかなる人も頭の下らざるを得ない。
最初は極力反対し悪口を言っていた隣家の兄がまず発心し、一週間目に教修と御神体を頂き、信仰生活の第一歩を踏み出したことです、なんたる有難さでしょう。
ここにありのままを発表さして頂きました。」
体験談 家畜にまで御守護を戴いて (昭和24年7月1日発行)
静岡県 日本観音教天国会日光分会 MK
「この度 牛の御浄霊について御報告させて戴きます。
昨年一月十五日に牛の種付をして貰いました。
その後御神体にお詣りしては暇ある毎に御浄霊をさせて戴いておりました。
十月二十日出産致しましたが二、三日前より注意していましたところ、
二十日の昼頃ふと牛舎に行って見ますとビックリしました。
親牛は半狂乱になって牛舎の中を廻っております。
仔牛が出かかったまま、ブラ下っているではありませんか。
私は家に飛び込んで、一生懸命御神体にお念じしました。
すぐ行って見ますと、有難い事にあれ程苦しんでいた親牛はグッタリと寝ております。
一心に御浄霊をいたしお蔭様で無事に牝牛が生れました。
家中の喜びはたとえようもなく、一家揃って御神前に御礼を申上ました。
それから二十日程たったあるる朝いつものように乳しぼりに行って見ますと、
母牛は首をうなだれ、グッタリとなって一向に動こうとしません。
さあ大変、と早速お念じしながら御浄霊をいたしました。
今度は中々起き上りません。
そこへ近所の牛の事に明るい人が来て注射を奨められ、
申訳ない事に私は遂に頑張り切れず不安な気持でその言葉に応じました。
しかし神様はこの私の迷った心を立直して下さいました。
獣医が針を刺すと間もなく折れて終い三分の一の薬も入らない程でした。
私はその時本当に迷って申訳なかった、
これからは総て御観音様にお縋りしようと一生懸命御浄霊を始めましたところ、
牛の腹が樽を洗う時のようにガラガラと鳴り始めました。
その中大小便の色の変った悪臭を放つのが沢山出て来ました。
私は「確りしろよ、今にきっと達者になって何でも食べられるようになるから」と言いきかせながら、
なお一心に御浄霊を続けました。
そうした事が三日三晩続き、四日日のお昼頃より少しずつ食べ始めました。
産後の事故中々体が整いませんので一時は乳量も減りましたが、
三カ月後にはすっかり回復して、又種付をする事に成りました。
今度は種付前に御浄霊をし、種付後も御浄霊を致しました。
どうかこれで又無事牝牛が宿りますようにお念じ致しております。
神様はこうした家畜までお救い下さる事を実際に体験させられまして、
又日頃数々の御守護を頂きまして私達一家は毎日幸福な日を送らせて頂いております。
この幸福を早く世の人に知らせてやりたい気持で一杯です。
誠に乱文で申訳ありませんが喜びのまま御報告させて頂きます。」
体験談 獣医師に見放された牛が救わる (昭和24年7月1日発行)
宮崎県 日本五六七教南光会 SH(60・女性)
「私は長年持病の喘息に苦しみ医者も薬も効なく、あらゆる人の良いと言う手当を致しても快方にならず、どうせ死なねば治らぬものと諦めていたのでありますが、
長男A(現教導師)が非常に観音様の御利益の有る事を聞き、
去る二月十七日K先生よりお光を頂き、自分で浄霊しいる中に段々と快よくなり、
今では「セキ」も出ず大変楽になり、観音様の有難さに喜んでいる者であります。
たまたま当村U氏(五十二)の牛が重態となり獣医の手当も何らの効果なく、
家畜商達が「今の内に売らないと一銭にもならないから売れ」と勧めても死ぬ迄は売れないと頑張っていると言う話を聞き、早速行って浄霊して上げました。
するとどうでしょう。今迄熱のあった牛が大変熱が下り楽になったではありませんか。
その後五回、六回の浄霊に依り今はすっかり快くなり、今では農耕に使役しても何ら異常の無い迄に代りました。
U氏の喜びは一方ならずまるで私を神様のように言ってくれまして今更ながら、観音様の御力に感激して喜びの余り御報告する次第でございます。」
体験談 救われた牛 (昭和24年7月1日発行)
新潟県 日本五六七教日の出会 TK(21・男性)
「昭和二十三年の六月も終りに近いある日の事でした。
どうした事か魔がさしたとでも申しましょうか、全く前後の判断も無く何の気無しに狭い板橋を牛を曳いて渡ろうとしました。
一間余りも来た頃急に牛が後すざりを始めたので「ハッ」と吾に返り落ちなければ良いがと思った時はすでに遅く、
後脚を踏みはずした牛はひとたまりもありません。
高さ一丈余りもある橋の上から真逆様に顛落し背中をいやという程ぶったので、四肢を空に上げ白眼をむき出し、生けるようとも思われませんでした。
これは一大事と助け起こし善言讃詞を唱えながら死に物狂いで浄霊を行いました。
二時間程たって静かに歩かせてみましたが何ともありません。
その後十日位牛の所へ行く毎に御浄霊いたしました。
これが観音様の御救いで無くて何でありましよう。今想い出してもぞっと致します。
この有難き御守護を頂きただただ感謝の気持で申し上げる言葉も御座いません。
今後も益々観音様の偉大な御力におすがりしてなお一層の努力をお誓い致します。」
体験談 馬も救はる (地上天国 1号 昭和23年12月1日発行)
福岡市 五六七教会 AY(29・女性)
「私の近所の大神幾三郎さんの馬が脳炎に罹り病状が悪いので、医者に診療を願ったところ、
早速注射等の手当を致したが病状は益々悪化、医者の言によると今晩中に死かも判らないとの事で
馬主のOさんはこれは大変と、私が観音様を信仰致している事を知っていられますので観音様の御力にてなんとかなりませんかと御相談がありました。
私もとにかく観音様に御願いしてみましょうと、早速病馬の浄霊を二回致しましたところ、たちまち元気づき食物を食い始めました。
翌朝御医者さんが来られて「この馬は大変良くなりましたが何の薬を飲ませましたか」「何も飲ませません」
お医者さんは「もう大丈夫です、不思議だ」と首を傾けていられた由です。
O様の喜びは大変なものでした、私自身も病気が良くなった事に驚き嬉しさを止め得ませんでした。」
体験談 馬までお蔭を頂いた (地上天国 3号 昭和24年4月20日発行)
日本観音教長生会 MS(60・男性)
「昭和二十三年春の事でした。馬を利根川辺りで野離しで置き夕方家に連れ帰ろうとすると歩かず、変に思い跛を引く様子なので土手の上で馬の足を浄霊致しましたが、
歩くのは出来ますが跛が治らず浄霊致しながらようやく家に帰り馬屋の中で続けて浄霊致しました。
二、三日経っても全快せず熱が出て震いが出て参りました。
何が原因か見当がつかず村の人達がそんな事をしないで早く獣医に見せぬと十五万円の馬が死んでしまうと笑う人やけなすやらでした。
私は御観音様を信じております。村の人達の言う事など耳に入りません。
なお毎日御浄霊を致し大分よくなりましたが、全快まで行かず耕作に使ってみましたが、大して苦痛らしく見えません。
十五日目に馬の足を上げ蹄の内側をみましたら何かささっているようで引張って見ておどろきました。
直径三分位長さ一寸五分位の竹がささっていたのを引抜きました。
一時は随分心配致しましたが御守護を頂き、それから間もなく全快致し家内の者も村の人達も初めて御観音様は動物まで慈悲を垂れ給う御事が解り衷心より御礼申述べさせて頂きます。」
体験談 脳膜炎の愛馬救わる 獣医の宣告は絶望 (昭和24年7月1日発行)
岐阜県 日本五六七教善栄会 SN(男性)
「「ドオドオドオ」「もう一本注射だ」二十分毎に大暴れして苦しむ愛馬(駒馬)は五百匁位の氷を頭にくくりつけられています。
苦しみは仲々止まりません。知人、親戚、隣人も次々と集まって下さって大騒ぎとなりました。
「駄目だね」獣医は沈痛な面持ちでそう言われるのでした。
時は昨年七月三十日の事、三十一日も引続き苦しみ暴れ郡の獣医の方に来てもらいました。
「血を取るんだ」早速三升程の血は取られました、けれども熱は依然下りません。
「これ程重いのは他にない」「どうしても駄目だ、今夜か明日の朝迄には死ぬなあ」
これ以上私の村としては手の施しようがないのです、可哀そうに駒は四歳で斃れるのだと一同は吐息するのでした。
「観音様はどうじゃ」「人にきくんなら馬なら余計ええかも知らんぞ」一里ほど隔った古川町のW先生に来て戴いたのはそれから間もない夕暮近くでした。
「氷なんか取ってしまえ」来るなり言われた先生は一心に浄霊を始められました。
「ドオドオドオ」何人もで動かないように抱えたり縛ったりした駒は浄霊を続けて戴くうちに暴れる事が遠のきました。
「熱が下ったぞ」「不思議じゃなあ」氷を除って熱が下ると言いながら皆がホッとしました。
遂に暴れるのが一時間毎になり、次の日には全く暴れる事なく「馬が草を喰うぞえ」と子供が喜んで知らせたのもその日でした。
人々の驚きと喜びは自分が全快したかのようでした。
その後一週間程で元の馬になり特に以前より強くなりました。
今では一家光明化して日々感謝の日を過させて戴き私も及ばずながら一生懸命協力させてもらい、数々の御利益を受けています。」
体験談 御光拝受後四十五日にして偉大なる御利益頂く 奥尻島普及に就て (地上天国 12号 昭和25年1月20日発行)
日本五六七教松栄会 MM(男性)
「二、同村増川俊吉様所有の栗毛四才の牝馬、心臓部に腫物出来一年三ケ月獣医に付き治療にかかるも全治せず、腹部膨脹ただ注射のみで良いとの事でなすべき処置なく衰弱は加わり、生命も覚束なき状態、
早速浄霊致し三日目の浄霊を済ました頃から膿汁が雨垂のごとく落下、
その時M様医者で不治のもの手を振ってこんな変化不思議だと呟いて、先生いかなる訳か聞きます。
私は分会長先生の指示通りただ御光を身につけ手を振るとこの通上手下手はないと言いますと、また増川様先生貴下は何年位おやりです。
「はい一ケ月半です。」増川様益々不審そうに首をかしげました。
そして九日目の浄霊後全治馬車をひいて作業に従事す。」
体験談 神恩にいななく農馬奇話 (地上天国 2号 昭和24年3月1日発行)
日本観音教日本会 TK(58・女性)
「私は日頃体が弱く常に不愉快な毎日を送っている内、本年二月半ば観音様の御力によって、あらゆる病気が奇蹟のように良くなるという事を聞き、生保内から布教のためにこの村へ出張しておられる千葉藤三さんに「浄霊」をして戴きました。
一週間程浄霊を続けて戴くうちに、今まで持病だと諦めていた私の体も、朝霧の晴れ上ったような清々しさを覚え今まで朧気だった神様の御力をはっきりと教えられ、
ただ一筋に観音様にお縋りして限りなき幸せに毎日を過させて戴くと共に、人にもこのお恵みをお知らせしなければならないと思って、三月六日生保内教導所で教修を受けさせて戴きました。
教修会の時のお話で観音様の有難さが一層強く心の底に植付けられ、まず家族の者をと色々と話して聞かせても、主人も娘婿も一向に信ぜぬ許りか、私が熱心に話せば話す程反って馬鹿者扱いにする程でした。
主人は永年の喘息病でしたからこれを癒させて戴けば迷いの雲もはれる事と思い、本人が眠っている間に、一心に観音様にお願いして浄霊を続けさせて戴いておりました。
一週間を経過した頃から主人がこの頃不思議に痰切れが良いといっておりましたが、私が浄霊をしている事には気付きませんでした。
やがて雪国にも春が来て、日毎に雪が消えて行き黒々とした田圃の顔が見えて来るといよいよ忙しい田植前の準備が一家総出で始められた。
四月半ばすぎの事でした。耕作に精出してくれていた馬が突然田圃の中で発病して倒れました。
東北地方の農村では馬は農耕に最も大切な原動力です。
又馬が倒れる事は相当の重病であることは多年の経験からみんな良く知っておりますので家族の驚きも大変でした。
私はこの時とばかり馬の側へ駆け寄って心の中に観音様にお願いして一生懸命に浄霊を始めました。
ちょうど一緒に教修を受けておられた近所のKIさんも駆けつけて共に浄霊をして戴きました。
時間の経過等は分りません。やがて馬はパッと起き上りました。
ああ、私の感謝と喜びは止めどなく落つる涙以外はありませんでした。
家族一同、ただ唖然としてその様子を見守っているだけでした。
立上ったとはいえ今日は厩へ入れて休ませようと主人が馬の手綱を取って引立てましたが、馬は一歩も歩もうとはしません。
不思議に思って婿が代って手綱を取っても同様頑として動きません。
変だと思いながら私が代って手綱を取りますと常の如く軽やかに歩き出しました。
一同不思議に思ってまた主人が私に代って手綱を取りますと、馬はピタリと歩みを止めてしまいます。婿が変っても同様です。
今度はKIさんが代りますと、私と同様いつもの歩調で歩き続けます。
それから私が手綱を取ったままKIさんの家の前まで来るとヒヒンと一声高くいなないて後足を高く跳上げました。
この元気な挙動に主人は今度は大丈夫だといって私に代りますと今まで歩んでいた前脚をグツンと張ってピタリ歩みを止めたまま動きません。
主人も婿もこの不思議な馬の動作をどうする事も出来ません。
私が手綱を取ったまま我が家へ帰りましたが、どうも未だ倒れそうな気配がするので「モッコ」で腹を吊ったまま主人は獣医さんを呼びに行きました。
獣医の診察の結果はこの馬はもう助からないといって注射をして帰りました。
しかし私は一度救って頂いたのだから必ずお救い頂けると信じて、その夜は一晩中厩の中で浄霊をさせて戴きました。
ああ、神様は私のような罪深き身にも絶対の御力をお授け下さいました。
翌朝獣医が駄目だと診定した馬は完全に全快致しました。
私の喜び家族の驚きはたとえようもありません。
再び獣医さんがみえて、この様子をみられ余りの変化に不思議の眼を見張っておられましたので、私は誰の力でこの馬は快くなったと思いますかと、尋ねますと、やや暫くして人間ではない、神様の力だといわれました。
真に神様、観音様の御力でなくてかかる奇蹟が世にあるはずはありません。
お蔭様で頑として信じなかった主人も自分が間違っていたと判然と目醒め、四、五日後、近所の御主人を七、八人誘って同村の藤澤さんの御宅の光明如来様へ御礼詣りだといって出掛けました。
それからは私よりも熱心に人々に観音様の御利益を説き廻っております。」
体験談 讃えつくせぬ御利益 (地上天国 13号 昭和25年2月20日発行)
五六七大教会神明中教会 IM(41・男性)
「疑い深い私をこれまで救って下さいました観音様に心の底から御礼申し上げ、今日まで数限りなく頂いた御利益のほんの一部を、ありのままに報告させて頂きます。
私が入信させて頂きますまでは、全く今から思っても身の毛のよだつばかりの生活でした。
家は空襲で焼かれ、昭和二十二年三月には息子Y(当時五才)はジフテリヤに罹り、無い米を一斗から都合して注射をしましたが、咽喉の方は治ったが心臓の方へ来て小用が出ず、死んでしまいました。
またその姉T(現在十一才)も続いてジフテリヤに罹り、四人目の娘ST(現在七才)は、小児麻痺と次から次への災難には、全くどうして良いか途方にくれ生きている事が、嫌にさえなって来ました。
家の再建、家族の健康と、どれ一つ手の付けようもない位い希望も何も無くなってしまいました。
私は終戦後復員して、腎臓を侵され、ぶらぶらの始末、どんな筆をもっても表わせますまい、私達のどん底の生活、家計の貧しさ、不決な生存、何らかも滅茶苦茶になってしまいました。
Yが死に智洋がジフテリヤになった時には全く、また葬式を出すのかなあと、自分でも思い近所でも噂さをしていた位でした。
丁度その頃隣の子が腎臓で、私のように、ひどく浮腫んでいたのが、三日たらず、快くなったので、
私も早速その訳を聞いて見ると、観音様に治してもらった、との事で、「じゃ私もやってもらうかなあ。」と早速出かけましたが、
正直なところ、「あんな事で治るかなあ。」と思いましたが、三日間朝晩二度ずつやってもらいますと、小水が余計に出てすっかり浮腫が引いてしまいました。
そこで娘T(十一才)の時は、Yが注射しても死んだんだから、今度は観音様にやって頂く事にして、上地の本田はる先生に、浄霊をして頂いただけですっかり治ってしまい、その時は何んだか時が来て治ったのではないか、とも思った位でした。
更に娘ST(七才)の小児麻痺も当時五才位になってもイザったり、口も「マンマ」位いしか言えませんでしたので
昭和二十一年は、降っても照っても、名古屋まで電気治療に通いましたが、腰を押えてやるとやっとの事で立てる位にしか成りませんでした。
それがやはり観音様にお縋りし浄霊を受けますと、三日目には一人でヨタヨタ歩きが出来、一ヶ月位で縄跳も出来、流行歌も唱えるようになり、三四ケ月位続けましたらすっかり良くなり、相当程度話せるようになりました。
いつしか私達はどんな病気でも、観音様にお縋りし、浄霊を受けさえすれば治して頂けるとの頭になって参りましたが、未だお守様を頂く気持までに行きませんでした。
そうこうする中に十月になり、百姓の都合と自分の好みから、馬一頭を一萬一千円で買いました。
それも無い金を親、知己より苦面をしてやっとの思いで買い込んだのでした、そしてこれから家運再建と、意気込んだのもつかの間、
馬が疝痛で、ひどく苦痛がり倒れて起き上ることも出来ず、一生懸命腹をさすっても、どうしても駄目で、
早速獣医のところへ頼みに行くが留守で来られず、馬の腹痛は命取りだとも聞いており、全く気が気ではありませんでした。
ここまで来たら馬も死ぬより外なく、今までの家計再建の夢も破れて、借金返済で二重に苦しむ私を考えた時、絶望の淵に沈む思いでした。
その時ふと妻S(三十四才)が「本多先生にお願いしたら」「動物でも良いと聞いたがねー」と申すので、
私も「はっ」と気が付くと同時に救われると何んだか今までの苦悩が馬鹿馬鹿しくさえなり、何んて間が抜けておったのだろう。」と早速お願いに行きました。
本多先生も留守でしたが、帰ると間もなく来て頂けました。
あたりは暗く月明りで、十一月の寒風に吹かれながら、一生懸命浄霊して下さる本多先生には、全く頭が下りました、
浄霊が終る頃には倒れる数も少くなり、楽に横になったり、先生が帰られてからは馬が座るようにまでなり、夜明には立って朝には馬糧を食べたのには夢かとばかりビックリ致しました。
早速馬をつれて本多先生のお宅まで伺いました、先生のお宅に参りますと、「ヒヒーン」と元気よくいなないたのには、本多先生も観音様の御力の偉大さに心より打たれ、改めて光明如来様に揃ってお礼参りさせて頂きました。
そして私夫婦は、早速十一月下旬に入信させて頂き、二十三年二月には、光明如来様も御奉斎させて頂きました。
今まで頂いた御利益に、感謝の気持が持てなかった愚かさを、しみじみ悟らして頂くようになり、毎日の生活そのものが御利益ずくめである、と感ぜられるようになり、
この年の二月も、山でクイが他目から見てどうしても私の頭へ打つからなければならないのが頭の上を飛越して行った、「全く不思議だ」とクイを落した人が申しており、
またある時に崖からどうしたはずみか荷車だけ落ち、私は何ともなく救われたり、奇蹟の数々にはただ感謝の心あるのみでございます。
奇蹟から奇蹟の生活に全く感謝の言葉もありません。
この三月二十日には妻がお産を致しましたが、まだ子供が下の方へ降りて来ぬ中に破水致して産婆も「これは難産になるかも知れぬ」と非常に心配げでしたが、
フト光明如来の御神体を見て、「どうしても私達の手に負えないから、貴方が手を振ると楽になるかも知れないからやってやりなさい」と申されたので、
早速浄霊しますと二時間位して楽に出産致したのには、さすがの産婆も不思議がっていました。
その後乳が出す、子が無理に吸うので口中は荒れて困っておりましたが、産婆さんは一生懸命乳揉をしましたが、七日間は乳が出ませんでした。
私が一回浄霊しただけで、もうすぐ出るようになりました 家内もそれからは進んで、あの人もこの人も浄霊して上げてくれ、熱海のお参りに行って、私の分までお参りして来て下さい、と申すようになり、
毎日何人か浄霊致し、観音様の尊さを一人でも多くの方に悟って頂き、御恩報じの万分の一でもさせて載きたく思ってここに拙き筆ながら、讃えつきせぬ御利益を御報告申し上げまして、お礼のお知らせを申し上げました。」
体験談 鶏の甦生 (昭和24年7月1日発行)
静岡県 日本観音教天国会日光分会 SK(女性)
「去る二月九日夕方の出来事です。
私の家で飼育しております鶏が、田圃より帰って何気なく鶏舎の中を覗きましたら一羽だけションポリしておりますのでよく見ますと、
トサカは血色もなく今にもたおれはしないかと思う程弱々しく鶏舎の片隅にうずくまっております。
早速一羽だけ別にしまして御浄霊をいたしまして翌朝行って見ましたところ、大分元気が出て参りました。
なお別にして四、五回御浄霊をいたしました。
一日おいてその翌日になりますとトサカの色も赤い良い色と変り非常に元気になりましたので、もとの鶏舎に移しました。
今は他の鶏と同様元気になりました。知らずにいれば死んで終ったでしょうが、お観音様はこうして鶏までお救い下されました。
お話は聞いておりますが、体験したのは初めてです。
本当に有難うございました。拙ない筆にて御守護の御礼を申上ます。」
体験談 禽獣虫魚の末迄も (昭和24年7月1日発行)
静岡県 日本五六七教神明会 YY(49・男性)
「私は昨年二月浜松市三浦先生のお宅で成瀬先生より御守を戴いた者ですが、
それからそれへと度重なる御利益に観音力の尊さの量り知れぬ偉大な力であるかを心より感謝致しているものです。
今から思うとお恥ずかしい話ですが、お力を戴いた初めどうも気恥ずかしい気持で人様には浄霊をする勇気がありませんでした。
最初動物からやったらどうかと思いまして一番初めに鶏をやりましたが、
それは丁度近所の人で鶏が腰抜けになってどうしても立上らず、餌も食べなくなってもう死にそうになっており
「鍋にしてしまうよ」と言っておったのを浄霊した時でした。
私はちょっと「おまじないをしてやろう」と皆が面白半分興味半分で、
視ている中で、私は真剣に浄霊してやりましたがどうでしょう、
二、三分やった頃全然立たぬ鶏が立ったではありませんか。
「こりゃどうだ不思議だな」と異口同音に感心しました。
五分位やっている中にトコトコ歩きながら餌をつつくではありませんか、全くこれには皆よりも私の方が吃驚致しました。
善言讃詞にある「禽獣虫魚の末迄も」が実に文字通りである事をしみじみ感じました。
なおもう一つは農家の副業として養豚をやっておりますが、それにも私は実に有難く感じた御利益があります。
それは豚の審評会で私の豚も毎日注意して養いましたが、
その当日二日前にどうした事か右前脚を地に付かず、しまいには横になってしまってどうしても起き上る事が出来なくなりました。
丹精の甲斐あって入賞確実な豚なので何とかして起したい、又この方面からも観音力を発表しようと言う矢先、
私も観音力にお縋りいたしこれを機会に救いの一端を発表しようと思って浄霊してやりましたが、
たった一回ですっかり楽になり当日は年若な豚にもかかわらず見事一等賞になりました。
それからというものは遠近を問わず、どんな方々にも浄霊さして戴くようになり「森羅万象観音力に救われざるなし」の本当である事を心より悟らして戴けました。
この古今未曾有の偉大なる力、何と申して宜敷か言葉もありません。
救世主出現全くその通りと確信いたします。
この御利益を一日も早く知らして頂けた事を心より感謝申上、この後とも一生懸命に報恩の万分の一なりとも尽させて頂く覚悟でおります。」
参考 明主様御講話 「豚にお光をかけて原爆実験すべき」 (昭和27年2月5日)
「それからもう一つは、原子爆弾ですね。
原子爆弾を逃れることができるんです。
ただ、時期の問題です。
けれども、もうそろそろそこに来つつあるんです。
というのは、原子爆弾というものは、大体・・・原理というものは、光なんですからね。
やはり火素なんです。
で、原子爆弾の光と、われわれの方は・・・私の方は霊子爆弾ですね。
霊子爆弾の、これも光。
どっちが強いか弱いかと言うと、無論霊子爆弾の方がずっと強いんですよ。
だから、こっちの方の火素と・・・向こうも火素ですけれども・・・こっちは霊の火素で、向こうは体の火素です。
だから、どうしてもこっちの方が勝つに決まっている。
こっちの火素がだんだん強くなりつつありますからね。
もう原子爆弾には負けないだけに強くなっているはずなんです。
で、長崎、広島の原子爆弾の時も、信者の人で助かった人がたくさんいるんです。
随分、驚くべき奇蹟が、だいぶあるんですね。
今、その当時の記録を集めてますけれども、それが集まって、確実ということになれば、
それをアメリカの方に・・・翻訳して・・・主なる所に送ろうと思ってます。
そうすると、原子爆弾を逃がれるということになれば、これはたいへんです。
やっぱり、戦争をなくすということが可能になるんですね。
ですから、病貧争絶無の世界・・・病気は無論なくすることができますし、
それから貧乏はなんといっても、農産物が根本ですよ。
まあ、人間食う物だけが足りれば、あとは贅沢なんですからね。
生きているだけは、もう間違いないんですからね。
だから、米の増産です。
今度は争いですね。争いといったところで、人間同士の喧嘩や・・・そういうことは知れたものですからね。
その人が信仰にでも入れば、無論なくなりますからね。
ただ、一番厄介なのは、戦争ですよ。
戦争のうちでも、もっとも厄介なのは原子爆弾ですね。
そこで、原子爆弾ですね。
そこで原子爆弾を免れる・・・そういうものができれば・・・つまりそれ以上の発明ですね・・・それは、もう解決はつくんです。
だからまず、こっちの霊子爆弾ですね・・・それによって原子爆弾を免れるということが、
まず病貧争絶無の世界を造るという最後の急所だろうと思うんです。
これもだんだん神様の方でも、火素の力が強くなりますからね。
ですからこれも時の問題です。
無論そういうことが、向こうの方で認識すれば、試験ということになります。
実験ということになり、豚とかそういった獣に御守りをぶら下げておく。
そうして実験してみれば分かるんですからね。
あるいは人間となれば、死刑囚かなにかですね。
それを実験してみれば解るんですから、だから難しいことはないんで、
そうなったら、なかなかおもしろくなると思います。」
参考 専従者の寄稿 「馬の耳にお守り 地上天国の表紙の奇蹟」 槐安生 (昭和29年1月1日発行)
「馬の耳に念仏といい、馬耳東風といい昔から今に伝えられているこれ等の諺は神あるを信じない人間を諷したるものであるが、これは甚だ迷惑千万な諺。
と馬から苦情を持ち込まれるかも知れない。というのは馬には馬頭観音の信仰が昔から広く行われているからである。
勿論、馬自身が仏性を具えていて信仰するのではなく、その持主が愛馬への御加護を馬頭観音様に祈念する風習であることは断るまでもあるまい。
飼馬への愛鱗とその利害得失を織り交ぜた、いわば人間の利己心から出発した馬頭観音信仰にせよ、神様はその願いを嘉し給い、
百万べんの念仏を聞かせたとて仏心を起すことのない馬にまで恩寵を垂れ給う宏大無辺な御仁愛は「神とは何か?」との形而上学的質問に「神とは愛なり」と、明瞭な解答を与えたものと思える。
奇蹟の宗教ーメシヤ教の出現は、人間として免れ得ない病貧争の三大苦悩を解決し、小は牛馬犬猫から、ひ弱い金魚に至るまで救済しつつあることは、百万にも達する信者の寄せたお蔭話によっても明らかであるが
表題の「馬の耳にお守り」の佳話は、未信者が教団の機関雑紙、地上天国の表紙を折り畳んで馬のお守りとし、そのお蔭、奇蹟を見た驚異の報告を、金剛中教会長、A先生と共に聴き綴ったものである。
もとよりこの未信者の胸の底には馬頭観音信仰の志しがあり、メシヤ教信者のお守様にヒントを得て、馬の耳へのお守りとなった訳である。
話の主は、山形県東村山郡高櫛村に住むHYという三十二歳の男である。
この人の舎弟、Sさんがそれまで使っていた馬と荷馬車を守ってもらい、分家独立したあと、Yも弟がやっていた荷馬車業を始めよう。
と馬を購い荷馬車も造らせたが、さて、馬のお守りをどうしたものか。と考え込んだ。
それというのも弟が馬の耳袋に観音様の御姿をお守りとして縫い込み、その御利益で一回の事故も起した事がなかったのを知っていたからである。
弟はメシヤ教の信者である叔父にお守りを貰ったのだから、自分も叔父に頼んで弟と同じお守りを貰う。
と早速、わけを話して頼んでみた。
弟と同じお守りを・・・と言われてもYにやったのはメシヤ教の機関紙栄光の前身「救世」の特集号を飾った神様のお姿で、それはあの一枚しかない。
そこで地上天国の表紙を剥がしてこの神様のお姿をお守りとして馬にかけさせたら・・・とYに与えたのであった。
民の耳に冠せる袋の中へ折り畳んで入れた地上天国の表紙が馬と車の危難を救ってくれようとは、それを与えた信者のKS叔父も思わぬことであった。
体験談
「材木を積んだ荷馬車の手網を握って細い山道にかかったとき、なが雨のために地盤がゆるんでいた崖ぷちは、馬車の重みに耐えかねて「アッ」という間もなく崩れ、荷馬車は馬を引きずって二丈もある崖下めがけて、ずるずると落ちはじめた。
積荷、馬、荷馬車この全部の重量が一塊となって、落ちてゆく重みを支え切れずに、Yが放した手綱は崖の中腹にあった木の根にからんだので、馬も荷馬車も横倒しになったまま止まった。
木の根株にからんだ手綱に口を強く引かれ、横転した荷馬車の柄に腹を挟まれた馬は起上ることが出来ず、苦しそうにもがいている。
手綱を切って馬を助けなければ。とYは無我夢中で綱を解きにかかったが、重い荷車もろ共ひっ張っている手綱はいくら焦っても解けない。
崖の上にはこれを見て騒いでいる村の人たちがいる。
「誰か手綱を切る刃物を持っていないか?」と言ったが、生憎誰も持っていなかった。
ここで馬に死なれたら。と思うとYの頭に全身の血がのぼった。
馬を買うまでの苦労やそれをやっと手に入れて厩へ繋いだ時の喜びの情景などが、走馬燈のようにまざまざと脳裡に浮かんだ
「馬の耳にお守りを入れておいたが、おれには御利益がなかったのか。アーアー」とYの絶壁のため息を洩らした瞬間であった。
馬が突然飛び上り、トンボ返りをして車に積んであった材木の上に立ったのは。・・・
「アッ」と叫んだのはYだけではなく、崖の上からこれを見ていた人々も一緒だった。
馬の鞍からは荷を積んで引張っても抜けないだけの頑丈な綱が車の柄に付けてある。
これは馬子が外して、やらない限り金輪際外れないものである。
しかも手綱は木の根にからんで馬が苦しがっていたほど口を上へ向けて引張っていたのだ。
この強く張った手綱は、たった今、Yがほどこうとしても解けなかったではないか。
いくら馬が暴れても解けっこない。
鞍と車とをゆわえた綱、馬自身では解きようのない手綱、それが一瞬にして解け、うまくいっても崖下へ落ちて足を折るしかない運命の馬が鞍からも抜け出して、トンボを切って材木の上に立ちどこをみても怪我ひとつしていない。
「奇蹟だ、奇蹟だ。馬にお守りをかけさせた甲斐があった」とYは狂喜した。
積荷をおろした荷馬車を崖から引き上げるには村人が中腹に道をつけ、二時間もかかってやっと大勢で曳き上げたが、これまたどこにも損傷の跡さえなかった。
雑誌の表紙をお守りにしでさえ、こんなに大した御利益があったでねえか。
明主様がお書き下すったほん物のお守りかけたら、測り知れねえ御利益があるんだぞ。
おめえはこれだけの御利益いただいたんだから、すぐ入信しろよ。
叔父に教えられて、金壱千円也、御守護御礼と書いた紙包を、教祖様に、とA会長の下に持って来たのだった。」