浄霊と祝詞について


明主様御垂示 「霊的病気には祝詞に限る」 (昭和23年)

「霊的病気には祝詞に限る。三回ずつとする。

霊的関係といえば、何でもその関係がある事になる。

人間なら死霊、生霊、精霊などあり、物質は単なる霊である。」




明主様御垂示 「浄霊の際に祝詞を三回ずつ唱えるべきとされた事例」 (昭和24年7月26日)

食欲ありて痩せる(死霊)

信者の質問
「三ケ月前に入信した二十三歳の男子で御座いますが、継母は一年程前に入信し、光明如来様を御迎えして熱心に御浄霊に従事致しておりました。

父親も漸く共鳴して一生懸命やらせて戴くよう決心し、同人も有難い事がわかり、六月初めに会社をやめ御手伝いにかかりましたら胸の御浄化を戴き、不思議な位よく食事が進むのに痩せる一方で、

夜になると死んだ実母及び親戚の死んだ人々が蒲団の中へ入ってきて何とも訳の分らぬ事を云って賑やかな事だそうで、

死んだ実母は夢に出て「お前は親戚中のはねのけものだ」と云います。

何か訳があるので御座いましょうか。今後いかように致したら良くなりましょうか。御教示を御願い申し上げます。」


明主様御垂示
「霊界で救われぬ人が大勢いる。

祝詞が一番いい。肺で死んだ霊であろう。

浄霊の際祝詞を三回ずつ霊に聞かす。

前頭部を浄霊する。ある程度まで行ったら治る。」




明主様御垂示 「蛇霊に対する浄霊」

動くグリグリ

信者の質問
「私、二十日程前より猛烈なる神経痛を起し、目は狐のごとく引攣り、太股の辺よりグリグリが起り、アチラコチラを動き廻りましたが、

御浄霊の結果ピタリと治った途端、今度は音声が少しも出なくなり、引続き御浄霊を戴いておりますが目立って治ってまいりません。

私は薬はあまり服んでおりませず、健康そのものでした。右の原因及び浄霊法を御教示下さい。」


明主様御垂示
「こういうのは蛇の霊が多い。身体中逃げて歩くんで非常に痛む。音声の出ぬのは喉へくっついている。その場所を浄霊する。

祝詞を出来るだけ奏げ「幽世大神守り給へ幸倍賜へ、惟神霊幸倍坐せ」を二度づつ奏げる。

蛇の霊は段々逃げて小さくなり、そのうちまた起り、また小さくなって治る。」




明主様御垂示 「浄霊時の祝詞」 (昭和24年11月26日)

信者の質問
「天津祝詞を奏げて浄霊する場合及び善言讃詞を奏げて浄霊する場合、いかなる病人、いかなる浄化の時に致しますか。御教示下さいませ。」


明主様御垂示
「普通は祝詞を奏げる要はない。

霊的の場合に祝詞を奏げる。

その時は天津祝詞は強い、善言讃詞は弱い。

人霊は善言讃詞の方がよい。動物霊は天津祝詞の方がよい。」




明主様御垂示 「浄霊と祝詞」 (昭和26年9月8日)

信者の質問
「教会で浄霊する場合も、自宅でする場合も、天津祝詞を奏上しておりましたが、

たいへんな間違い・・・何か神様にご無礼になる、と言うことを聞きましたが・・・」

明主様御垂示
「間違いと言うことはないんです。

それは臨機応変です。仮に多勢が浄霊受けに来ている。

そういうとき、そんなにていねいにしなくても良い。

時間がかかるから、そういうときは『惟神霊幸倍坐せ』か、ただ黙ってお願いしても良い。

インテリとか・・・そういうのが来たときは、一々神様にしなくてもよい。

そうかといって、あんまり区別をつけてはいけない。」


信者の質問
「霊的の場合はそうしてもよろしいでしょうか」

明主様御垂示
「霊的というと狐ですね。

あの先生が天津祝詞を非常に恐がる。

善言讃詞のほうは軟らかいので、祖先のほうが非常に喜びます。

その区別はなかなか解らない。

人間に聞かせるのは非常にいいです。

浄まりますからね。」


信者の質問
「天津祝詞を人間に向って奏上するのは、人間のほうが上になるとのことですが」

明主様御垂示
「その人がそういう判断をするんで、間違ってます。

そうすると狐にはいくどやっても良いですからね。

そうすると狐のほうが上になるかというと、そんなことはない。」


信者の質問
「動物霊などは、幽世大神様に・・・」

明主様御垂示
「そんなわけにはいきません。

動物霊は的外れです。死霊ですね・・・人間のね。

それは意味がありますがね。

決して悪いということはないが、必要ないのです。」




明主様御垂示 「霊に対する浄霊の際にあげる祝詞」 (昭和26年5月1日)

信者の質問
「霊の御浄霊につきまして、お伺い申し上げます」

明主様御垂示
「狐の場合は天津祝詞。

善言讃詞は柔らかいから、祖霊の場合です。

動物霊と、はっきり判らないが・・・感じで、龍神とか狐と思ったら天津祝詞ですね。

御神前の場合はお願いしてやる。霊の手榴弾を投げつけるようなものです。」


信者の質問
「全部の人に向って、奏げる場合がありますが」

明主様御垂示
「それは嘘ですね。自分が神様になっている。」




明主様御垂示 「祝詞、善言讃詞を奏げることについて」  (昭和29年4月1日)

信者の質問
「婦人の信徒(四十八歳)二十三日より心臓の浄化、動悸激しく圧迫感、悪感あり、

それが終ると高熱があり、一週間続き、次に就寝中に圧迫され、呼吸困難が一週間、

次に胃の浄化が一週間続き、入信前服んでいた胃散を吐き、

次に頭部の浄化が一週間、次に腹膜と月経痛が一週間と、計五週間の浄化が続き、また心臓の浄化となっておりますが、

生卵、水を欲しがり、舌を出しており、龍神のような恰好でございます」

明主様御垂示
「そうです。蛇です。」


信者の質問
「以前は祝詞を奏げると楽になりましたが、近頃は善言讃詞に変っておりますが、どういうわけでございましょうか」

明主様御垂示
「それは霊のほうの気持ちで、霊が好むのですからしかたがないです。

客観的にどうとは言えないです。

それから、その人は龍神であり、心臓がどうとかどこがどうということは、薬毒が固まっているのが順繰りに浄化されるのです。」


信者の質問
「平均浄化でございましょうか」

明主様御垂示
「そうです。それから生卵が好きなのは、蛇のときに鶏小屋を狙ってはやっていたそのためです。

気長にやればすっかり治ります。

それから舌を出すのも治ります。

つまりまだ人間になりきれないのです。

つまり蛇であったのが人間に生まれ変って、蛇であったときの性能がまだ抜けきらないのです。

これは気長にやれば、だんだん蛇の性能がなくなって来ます。」




明主様御垂示 「浄霊時の御神名」 (昭和25年2月21日)

信者の質問
「危険の場合に御守護お願いの祝詞をお奏げ致します場合、日月地大御神様に御願い申し上げる事は勿体ないので光明如来様にお願い申し上げるようにと御教えを賜わって御座いますが、

病人の御浄霊をさせて戴きます前に祝詞をお奏げ致します時も、

「大光明如来守り給へ幸倍賜へ」と申し上げるのが宜しゅう御座いましょうか。御教えをお願い申し上げます。」


明主様御垂示
「祝詞を奏げる時は書いてある通り日月地大御神である。

日月地大御神は神、光明如来は仏であるから、祝詞の時・・・(心の時に小さい声で唱える)。

霊界に属する事は幽世でいい。」




明主様御垂示 「浄霊の最中の御神名は幽世大神」 (昭和25年5月18日)

信者の質問
「御浄霊の際、天津祝詞の後に五六七大御神守給へ幸倍へ給へ、惟神霊幸倍座せと申し上げて宜敷う御座いましょうか。

なお霊的のように思われますような場合には、幽世大神守給へ幸倍給へ、惟神霊幸倍座せと申し上げて宜敷う御座いましょうか。御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「御神体に向っては幽世大神は絶対にいけない。

五六七大御神の一部が幽世大神である。

幽世大神と唱えるのは五六七大御神を侮辱している事になる。

霊的の病人に向ってなら構わない。」




明主様御垂示 「幽世大神と鎮魂」

信者の質問
「鎮魂の際「幽世大神守り給へ幸倍賜へ」を御唱えしなくてもよろしいとの御言葉を、去年春頃熱海において伺いましたが、その意味を御開示戴きとう御座居ます。」


明主様御垂示
「幽世大神守り給へ幸倍賜へ」と御祈願する。幽世大神は今は大国主命である。

霊を救う場合、霊憑りなども「幽世大神守り給へ幸倍賜へ」と唱えるべきである。

霊は幽世大神の主宰下になっているからお願いすべきである。

鎮魂の姿勢は・・・。

観音様は仏であるから、今は神道形式をとらぬ。霊の病気の時やる。」




明主様御垂示 「人獣同化霊に対する祈り言」

信者の質問
「御浄霊の時人獣同化霊の場合、どのように祝詞を奏げましたらよろしいでしょうか。御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「幽世大神様でよい。」




明主様御垂示 「浄霊と天数歌」 (昭和23年7月28日)

信者の質問
「霊的な病人に祝詞とともに天数歌(あまのかずうた)を唱えることはいかがでしょうか。」


明主様御垂示
「やってもよろしい。ふつうは祝詞だけでいいが、

特に重病の場合とか精神病、癲癇などには唱えてもよい。

(天数歌・・・一二三四五六七八九十百千万(ひとふたみよいつむゆななやここのたりやももちよろず))」




明主様御垂示 「天数歌を唱えるべき場合」 (昭和23年8月8日)

信者の質問
「天数歌はいかにお唱えすべきでしょうか。」


明主様御垂示
「祝詞のあとで言えばよい。

その場合病人は合掌したらよい。

ふつうは祝詞だけでよいが、天数歌を唱えればいっそう強くなり効が出る。・・・

それから霊は御讃歌を非常に喜ぶのです。

重病人や霊的の病人の場合にも御讃歌を上げたらよろしい。

御軸に対しては御讃歌は朝夕でよく、病人には適当な歌を選んで必要のときに上げればよい。」




明主様御垂示 「祝詞で苦しむ場合」 (昭和24年1月28日)

信者の質問
「御神体をお祀りさせて頂いております信者で御座いますが、

昨年夏以来肺病の状態で床についておりますが、

最近は御守護で大分落着いてまいりましたが、

浄霊を致しますと浄化がきつくなり、苦しみまして、

祝詞、善言讃詞を奏げさせて頂いただけでも苦しみますが、

このような場合どうさせて頂きましたら宜しゅう御座いましょうか。御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「やめていればいい。小さい声か、心の中でやる。無理してやるのは神様に対し勿体ない。」




明主様御垂示 「清魂者の祝詞は力が強い」 (昭和24年9月7日)

信者の質問
「五十歳位の女の方、頭が痛み脇腹から突上げる痛みがあります。

浄霊したところ夜中より猛烈に突上げが来て苦しみます。

なお一時間位一心に浄霊致しましても止まらず、遂に医者が来て二本注射をして一時間半ばかりで治りましたが、後がすっと致しませぬ。

浄霊では治らないでしょうか。お知らせ下さい。」


明主様御垂示
「癲癇などと同じ理屈である。

浄霊なら絶対治る。

相当霊力が強くなくてはいけない。

霊力の強いのは古くからやった人である。

もし止らなければ祝詞を奏げる。

祝詞でも清魂者でなくては力が違う。

霊に曇りのある者は力が弱い。

注射なら止るに決っている。麻痺させる訳である。

しかしまた起る。モヒ中毒になる。」

これは霊であろう。」