浄霊法変わる


明主様御教え 「浄霊法変る」 (昭和25年12月27日発行)

「今回、御神示により、浄霊法が変る事になったから、今日以後その通りにされたいのである。

これは霊界が最近非常に変って来たためで、それに基づいた事はもちろんである。

今までの浄霊法は、どちらかと言えば、霊と体との両方が加味されていた。

というのは掌から霊を出す場合、ある程度力が加わったのである。

力すなわち体であるから、それだけ霊の力が減ずる訳になる。

もっとも今までとてもそうではあった。

一生懸命になる程効果が薄かったのもそういう訳である。

ところが、今後はそれが著しくなり、絶対体的力を抜き、霊のみを放射するのである。

これを詳しく言えば、神霊の光が私から霊線を通じて、みんなのお守に止どまり、お守からその霊光が掌を透して、病人の患部へ放射されるのであるから、

これからは出来るだけ、力を入れないように、軽い楽な気持ちで霊を放射すべきである。

この方法でやれば非常に治りがよく、今までよりも五倍以上の治病効果を奏するのは、確かであるから、御神業は驚く程発展する事になろう、

従ってその積りで迷わず臆せず、私のいう通りにすればいいのである。

これというのもいよいよ時期切迫し、人類救済を促進され給う御神意に外ならないのである。

なお詳しくは、言葉でないと解り難いから、面会の時説明する事とする。」






浄霊と脱力について


明主様御垂示 「手の力をできるだけ抜く」 (昭和26年5月25日発行)

信者の質問
「御浄霊の際は手の力をできるだけ抜くように御教えをいただきましたが、

同様に御光が目的箇所へ浸透するように念ずる人間念力も、できるだけ放下すぺきでございましょうか、

その方便として、側見(わきみ)をしたり、他の考え事をしてもよいということになりますと思いますが、いかがでございましょうか。

また御光は直線に進むものでございましょうか。

直線に進むといたしましたら、掌の面を浄霊箇所に対し、そのように合わせなければなりませんと思われますが、いかがでございましょうか。お伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「手の力をできるだけ抜くことと、患部に奥深く浸透するようにする。

この矛盾のような方法であるから、熟練が肝腎である。

次に霊射は勿論直線である。

アインシュタインの説のような光線屈曲はないのである。」




明主様御講話 「浄霊の一番の修行は力を抜くこと」 (昭和27年5月15日)

「それからこのごろ御守護電報なんかが日に何本となく来ますが、重態な場合もあるし、

つまらないーこっちから見るとつまらないんだけれども、

本人や浄霊している人は、重大だと思って電報打つんでしょうが、病状と苦痛によって分かります。

たいしたことでなくて、じきに治るようなことで御守護の電報が来ますが、

あれはどうも治し方が違っているんですね。

浄霊が違っているんですね。

というのは、やはり力が入るんですよ。

で、力を抜いてやればなんでもなく治るということが、治らないということは、そういったわけですね。

だから浄霊の一番の修行というのは、力を抜く修行ですよ。

力を抜いてその霊が向こうに通らなければならない。

だから本当いうと難しいんです。

やり方は楽なんです。だから楽で難しいと、こう思わなければならない。

通そうとすると力が入るんですね。

そうでなく力を抜いて霊を向こうに通す。

これをやると非常に良く治る。

とにかく力が入っちゃいけない。

もし治りが悪いと、力が入ったなと気がつかなければならない。

私が始終そうです。

私が、ちょっと誰か浄霊してやる場合に、力を抜くと非常に良く治る。

おかしいなと思うと、知らず知らず力が入っている。

ですから力を抜く修行ですね。

それができるに従って良く治ると、こういうふうに思っていいですね。」




明主様御講話 「浄霊が効かない原因」 (昭和27年11月15日)

(御論文「太陽の救い」発表)

「やっぱり少し話さなければ具合が悪いようです。

よく御守護電報が来ますが、じきに治るような、難しいようなことでなく簡単に治るようなことの電報があるのです。

これを大ざっぱに言うと、急所が分からないのと、それから浄霊に力が入ることです。

その点が一番です。そこで急所を見つけることを大いに修行しなくてはいけません。

それから「力を入れてはいけない」ということはよく言ってますが、

つまりこう(御浄霊)して治りが悪い。

苦しみなら苦しいのがなかなか取れないということは力が入るからです。

力をグンと抜くのです。

ところが苦しいと力を入れますから、一生懸命になると治りが悪いということはいつも言っていますが、

そんなようでその点を大いに忘れないでやるとだんだん慣れてきます。

そうすると力を抜いてやるのが癖になります。

そういうようにやらなければならない。

それで急所ですが、原因はたいてい熱です。それはなんといっても頸のまわりです。

今の浄化している人をみると、ほとんど頸のまわりです。

十人のうち八、九人までそうです。それで頸のまわりの固まりを発見するのです。

それに一番良いのは、前から頸、延髄の後ろの方をみるのです。

そうすると一番良く分かる。かえって後ろを向かせるよりか分かります。

そうするとこれ(頸部)の左か右のどっちかが必ず腫れてます。

そうすると下の方から手を入れてみると、ここ(延髄)にグリグリがあります。

そうしたら離して力を入れないでやる。

そうすると熱を取るのには一番早いです。

そうして指でちょっとやるとすぐ分かります。

それから額が肝腎なのです。

それから人によってはこうして(頭の上部より)頭の芯の方をやっても良いです。

それから今言うここ(額)です。これで熱は大体取れます。

あと背中の熱とか腰の熱がありますが、これはなんでもありません。

結局頸の熱です。今その見方と頸の熱の取り方を話したのですが、そういう方針でやってご覧なさい。

それで後ろの固まりは、後ろ向きになってやるより前からみた方がかえって分かります。

それから片方の、右が固くて左が柔らかいというのがあります。

それから下顎に固まりがあります。

結局頸のまわりを一番みるのです。

そうするとたいてい分かります。


それから御守護電報に年齢を忘れることがよくありますが、年齢が肝腎なのです。

よくなんの何某と名前を書いてありますが、年寄りみたいな名前で、よくみると赤ん坊ではないかということがある。

また花子とかと馬鹿に若い人の名前で、ところが御本人は腰の曲がったようなお婆さんです。

だから年齢だけは忘れないようにしてください。


それからお願いする場合に、よく「光明如来様」と「明主様」と両方にお願いしますが、あれは「明主様」だけで良いのです。

というのは、私が光明如来様としてのその働きをするのですから、

元は私の方だから、元だけにお願いすればそれで良いのです。」




明主様御講話 「力を抜くほど光が出る」 (昭和28年10月15日)

「それからよく御守護の電報が来ることがありますが、今どこが悪いとかどこが痛いとかありますが、

それを読んでみると別にたいした病気ではないのです。

浄霊でもわけなく治るような症状なのです。

それがどういうわけかというと、浄霊に力が入るせいです。

だから治りが悪いのです。

それで浄霊してどうも治りが悪いというときには、力が入るからだということを心得ておくとよいです。

この力を抜くということは、むしろ難しいです。

しかもだんだん浄化が強くなるに従って、ますます光が強くなるから、そうすると光を出すには力を抜くほど出るのです。

少しでも力を入れると光の出が悪くなるのです。妨げるわけです。

力を抜くということは、これ以上は抜けないというところまで抜かなければならないのです。

力が入るのと入らないのではたいへんな違いです。

私などもそうで、浄霊していても、ちょっと力が入っていると治りが違います。

この力を抜くと何倍もよく治ります。」




明主様御講話 「指をつけろ」 (昭和27年12月27日)

「それからちょっと注意しておきますが、

浄霊に力を入れないようにするためには、どうしても指が広がりますが、指が広がると霊が集中しません。

これからは浄霊の時には指をくっつけるようにしてください。

そうすると非常にいいです。

ところが、指をくっつけるとどうしても力がはいりますから、

力がはいらないようにしてくっつけることです。」






浄霊は原則として手を振らない


明主様御講話 「浄霊の際には手をほとんど振らなくていい」 (昭和26年9月18日)

「浄霊ですが、これからはほとんど振らなくていい。こう(振る)やると力が入る。

力をウンと抜くと、振らない方がいいことになりますからね。ちょっと振るくらいですね。

たいていじっとしている方が力が入らないからね。

力が入らないと治りが良いから、そうすると良い。

力を入れないと実に良く治りますからね。

何倍ですね。私は、ちょっとどこかを溶かそうとする時、オヤ、溶けが悪いなと思うと、力を抜くんです。そうすると、ずっと溶けてくる。」




明主様御講話 「原則として手を動かさない」 (昭和26年9月23日)

「最後に浄霊ですね。これは、今まで振っていましたが、これからはやめなくてはいけない。

どうしても、こう(振る)すると力が入る。

そこで、どうしても力が入らない様にするには、じっとしているんです。

ですからそう言う様にしてもらいたい。

その代わりじっとしてー少し位は動かしてもいいがー大体原則としては動かさないと言う事です。

そうして、出来るだけ力を入れないで、ぼやっとしているんです。

ピンとしない。これは逆ですからね。

一生懸命に治そうとすると力が入る。

ここの所を間違わない様に。力を抜く事をやるように。

そうすると、今までよりか何倍も良くなる。

そうすると、今のお陰話にあるが、一時間やったとか、二時間、三時間やったとかと言うあれは嘘です。

あなた方がやっても、二十分か三十分くらいで治ります。」




明主様御講話 「原則として手は振らない」 (昭和26年9月25日)

「ところが、病気については、不断から十分に発表してますから、みんな分った筈ですが、注意したい事は浄霊法ですね。

これは手を振るわせない様にーじっとするようにというのは、どうしても、こう(振る)やると力が入る。力が入ると治りが悪くなる。

力を入れないようにするには、動かさない様にする。軽くするんです。力を抜くんです。

そうすると治りがずっと良くなる。私がそうですからね。私が力を抜く程よく治る。

お腹の光が、力を入れると、通りが悪くなるね。

だから、力を抜けば抜くほど、光がずっと出ますからね。

これからはそういうやり方にしてもらいたい。

しかし、全然振るまいとしなくても良い。場合によっては振っても良い。原則としては振らない。」




明主様御講話 「少しは手を振ってもよい」 (昭和26年9月26日)

「それから、浄霊の方法ですが、今までは振ったんですが、振るとどうしても力が入る。

そこで、これからは振らないで、つまりこれを原則とする。場合によっては少しは振っても良いが、大抵は振らない。

そうすると力が入らないんです。入らないほど光が余計出るんですからね。

しかし、ただこうすると言っても、霊が通るように出来るだけ遠くまで、霊が行くようにすれば良い。

力を入れないで、霊が通るようにするんだから難しいんです。要するに熟練ですね。そうすると非常に良く治る。何倍か治る。

だから、少しも力を入れないんですね。慣れて来ると良い。

私なんかも力を入れない方が治りが良いです。お腹の光が出る場合に、力をいれるとーいくらか出が悪くなる。」




明主様御講話 「浄霊は光を通すつもりで力を抜く」 (昭和26年9月27日)

「病貧争絶無の世界というー病気ですね。病気は始終言っているから、今さら言う必要はありませんが浄霊法ですね。

これを変えてもらいたいと思うのは、今までは振りましたが、そうするとどうしても力が入るんです。

これからは、光が強くなってくると、力を入れると、人間に遮られる。振らないで、スッとした方が、力が抜けるんです。

だから、これからは動かさないというのを原則にしてー場合によっては少し振っても良いですが、出来るだけ力を入れないのです。ボヤッとしてね。

その代わり、霊が通らなければならないからね。通ると言うのは考えですからね。

ですから通すつもりで、力を抜くと言うんだから、慣れない中は難しいが、慣れると非常に楽になります。

今までの離れ方で良いですが、このくらい(一尺)でも、力を抜くと割に霊が通るんです。

だから、何倍治りが良くなるかやって御覧なさい。

私なんかでも、力を抜くほど治りが良くなる。ここ(お腹)にある光の玉が、楽にすると、ここ(手)からよく出る。

ちょっとでも力を入れると光を遮る。そうすれば、病気は段々治り良いようになってきます。」