浄霊の方法について 6 (浄霊と現代医学の併用は不可)


明主様御垂示 「病院に行った人には浄霊するな」 (昭和28年7月1日)

信者の質問
「十七才の女学生でバレーの選手ですが、急に体中が引きつり、名古屋医大にて舞踏病と言われました。

肩から延髄の右にものすごい固まりがあります。

光明如来様は御奉斎いたしており、母親とその娘が入信しておりますが、主人はまだでございます。

周囲の事情により入院をといわれておりますが、奥さんは病院に浄霊に来てくれと申します」


明主様御垂示
「絶対にいけません。

そういうことをあなたが私に聞くということがおかしいです。

そんなことは今まで知らなかったということは変です。

だいたい病院に行ってやるということは、先方ではお医者さんにお任せしたのだから、

こっちがやることは間違っているから、やらないのが本当です。

ただ、何かの事情で病院に行ったが、本人が「もういやだ、神様にお願いしたい」と言うし、

また側の人で反対する者がないという場合には行ってもよいですが、

一人でも反対する者があるのは駄目です。

そこの主人公が「とんでもないことをした」という気持ちになって、あなたに頼みに来れば行ってもよいです。

そうでない限りは絶対に行ってはいけません。

人間界のこともそうですが、

特に神様のことは筋がたっていなければいけないのです。

筋が立たないことは絶対にしてはいけません。

だからこの間話もし、論文も書いたように、合理性ということですから、理屈に合っていなければならないのです。

今のは理屈に合っていないから駄目です。どこから見ても理屈に合っていればよいです。

肝腎の主人が医者にお願いするのではぜんぜん筋は立ちません。」




明主様御垂示 「病院で体に穴を開けるような人に浄霊するな」 (昭和28年7月1日)

信者の質問
「噴門と食道の所に癌があり、咽喉からは牛乳二合くらいしか通らず、あとは横腹に穴をあけて胃に流動物を送ってます。

浄霊すると噴門の辺がもーっとして通らなくなります。そういうのはいかがいたしましたらよろしいでしょうか」


明主様御垂示
「止めたらよいです。そういう間違ったことをして助かるわけがありません。

そういうのに引っかかていたら、労多くして効無し、骨折り損のくたびれ儲けです。

だから絶対にやってはいけません。 (中略)


それからこの間も書きましたが、滅びる人と救われる人とは決まっているのです。

ですから滅びる人はいくらやっても駄目です。

だからさっきの「食道が悪くて、噴門からどうとかする」というのは、もう救われない側になっているのです。

救われるのなら、そうならないうちにチャンと信仰にはいっています。

ですからそういう人を救おうとしても無駄というものです。

それは別に難しいことはないので、見分ければよいのです。

この人は救われるか、あるいはもう駄目な人かということはすぐ分かりますから、

どっちかというと、楽にスラスラと行く人は時期が来て救われる運命にある人です。

それから楽に行かないのは救われないほうです。

この間の論文に書いてありますが、救われない人がすっと多いので、救われる人は十人に一人はないくらいなものです。

最初は誰でも救われると思ってやりますが、救われない人を一生懸命にやるために、救われる人のほうが疎かになり、それがたいへんな間違いです。

そういうことを見分けるのもその人の智慧証覚が向上していれば見分けもつきます。

ですから智慧証覚を磨けばその判断力がつくのです。

それで智慧証覚の磨けた人は、人から質問を受けても正確に返事ができるから、一般の人も早く信仰にはいるというわけです。」




明主様御垂示 「筋を手術で切ったら爾後の浄霊は効果なし」 (昭和28年7月1日)

信者の質問
「信徒と共に山にはいった未信者の土建業者が、途中木が倒れ人事不省となりましたが御浄霊いただきお救いいただきました。

しかし家の者親戚の者が分からないため病院に入れ手当てを受けましたがはかばかしくなく、

いろいろな民間治療も駄目で、再び御浄霊をいただきにまいりました。

打った左足は、座ることはできますが、上げることはできません。

この家のおばあさんが左足が悪くて寝ており、先妻も左足が悪くて死亡しております。

それは、土建業者は梅毒にて六〇六号をそうとう打っておりますが、

梅毒の毒をうつされて関節炎を起こしたとのことでございます」

明主様御垂示
「しかし梅毒で関節炎は起りません。

また足が不自由になるということはありません。

淋毒はそういうことはありますが、梅毒はそういう症状ではありません。

しかし六〇六号をやるのだから梅毒でしょうが、いい加減なもので、薬毒です。」


信者の発言
「その後一進一退で、最近中風のようになり、ぜんぜん歩けません」

明主様御垂示
「手は何ともないのですか。」


信者の発言
「何ともございません」

明主様御垂示
「筋を切ったのでしょうから、これは駄目です。

骨の故障ならよいですが、筋を切ったのですから駄目です。

押して痛い所はありますか。」


信者の発言
「ございません」

明主様御垂示
「やっぱり筋でしょう。

これはどうも浄霊でも駄目です。

医者に行きましたか。」


信者の発言
「医者に行き注射を一本しております」

明主様御垂示
「中風の気配があるとすると、どっちかの手が痺れるとか何かあるわけですが。」


信者の発言
「手のほうの障害はぜんぜんありません。

舌が少しもつれております。

それから血液検査は」

明主様御垂示
「血液検査などはぜんぜん問題になりません。

言語は、この辺(頸部、顎下)に固まりがあるのではないですか。

これは中風の憂いはありません。」


信者の発言
「ある医者は胃癌ではないかと言っております」

明主様御垂示
「医者では病気は分かりません。

医者の言うことは駄目です。

だから私は、医者に見せるよりか大工か左官に見せたほうがよいと言うのです。

大工か左官なら知らないと素直に言うからよいが、医者はあべこべをやるから危ないのです。」




明主様御垂示 「手術で腕を切る者はもう信者ではない」 (昭和28年9月1日)

信者の質問
「木材会社に勤めている信者でございますが、材木の運搬に山に行き、谷底に転落いたしましたが、御守護で一命は助かりました。

しかし左の腕の関節上部は、筋肉も血管も切断されました。

一緒にいた者が未信者でありますので、すぐに止血をして、四時間後に金沢の病院に担ぎ込まれ、

切らなければ駄目だと言われましたが、本人が反対でそのままにしておりました。

それから一週間ほどして指先から手首の所まで脱疽のように真っ黒くなり、手術をしなければと言われてそこより切断されました」

明主様御垂示

「それは何でもありません。内出血がそこに溜まったのです。

切断したりするのでは信者でも何でもありません。」


信者の説明
「それから三週間して腐爛して来たので」

明主様御垂示
「腐爛はしません。ただ腐爛したように見えるのです。」


信者の説明
「その後肘の上から切断しております。

本人は後で誠に申しわけないと申しております」

明主様御垂示
「この場合担ぎ込まれるのはよいです。

そういう場合はしかたがありません。

しかし切るのが間違ってます。

これは紫色や黒くなって、だんだん上のほうに行くのです。

というのは内出血が最初は指の先から、だんだん溜まってゆくのです。

その内出血の分量が、ここで済むか、もっと上までゆくか、その分量によるのです。

それは腐れたように見えるのです。

内出血というのは悪い血だから、古くなると黒く見えるのです。

ですからこれは何でもないことなのです。

そういう場合になぜ支部長に相談しなかったのですか。」


信者の説明
「入院しておりますので」

明主様御垂示
「入院していても、いけないと言えばよいのです。

入院しているとは言っても死刑にあっているわけではないのですから。支部長は誰ですか。」


信者の説明
「MTでございます」

明主様御垂示
「支部長もどうかしてます。

それに肘から切るということは、もう信者ではありません。未信者と同じです。

それを私は普段から教えているのです。

それはちょうど腐れ込むみたいに見えるのです。

私は脱疽やひょう疽の項目に説明してあるでしょう。それと同じです。

ですからひょう疽にしても、ここに溜まったのが指先に行くのです。

この間女中がひょう疽になったのですが、私は指先には関係しないで、頸のここだけを浄霊してやったのです。それで治ったのです。

これは聞く必要はありません。自業自得です。

信仰が抜けているのだから、信仰が抜けたらそうなるに決まっているから、それはしかたがありません。

信仰があって苦しむのならどんなにしても救ってあげますが、これは神様をぜんぜん無視しているのです。

そういうときに助けていただいて、信仰の値打ちとありがたさが分かるものです。

それを、そういう危機に際して神様ということはぜんぜん忘れたというのですから、どうにもなりません。

だいたい支部長にも責任があります。今日来てますか。」


信者の説明
「MTでございます。誠に申しわけありません。お任せしなさいとは申しましたが」

明主様御垂示
「お任せしなくても、放っておけば治ります。」


信者の説明
「親類が大勢おりまして、そういうことをしても駄目だと言いますのでした」

明主様御垂示
「あなたでは、親類がそう言えば頑張り切れないでしょう。

だいたい本人が悪いのです。

本人が断固として拒絶すればよいのです。」


信者の説明
「そうとうに拒絶しておりました」

明主様御垂示
「しかし、それは絶対に拒絶しなければいけないのです。」


信者の質問
「骨の処分はいかがいたしたらよろしいでしょうか」

明主様御垂示
「それは勝手に処分したらよいです。

ちょうど借金を返さずに破産して、債権者のほうに助けてもらいたいと言うようなものです。

借金を返さないのは、返さないほうが悪いのです。

それこそ人を馬鹿にしてます。支部長としたら、親類が大勢でそう言うのではしかたがないでしょうが、やっぱり本人の信仰が本当に徹底してなかったのです。

よく他から言われてどうとか、あんまり言われてどうとか、ということは自分の責任を他人に転嫁するようなものです。

自分の体は自分が所有者であって、人から預っているものではないのです。

どうとか言っているのは、つまりまだ本当に徹底してないから迷いがあるのです。

そこでみんなに言われると、ああそうかと思ってしまうのです。

それも子供ならしかたがないが、大人になっているのですから、誰が何と言ってもガンとして頑張れば、どうすることもできないのです。」




明主様御垂示 「手術をした人間は助からない」 (昭和25年1月17日)

信者の質問
「昨年五月入信いたしましたIT(六十四歳・女性)、胃癌で、入信後御浄霊をしておりました。

大分楽になりましたが、再度浄化を頂きました。

本人は大変御浄霊に感謝しておりましたが、家族親戚の者が無理に手術をして仕舞いました。

退院後左の下腹が板のように固くなってきました。

手術後再び御浄霊を頼んで参りましたので、ただ今迄三回程御浄霊いたしました。

気分は大変楽になりますが腹の板には変りがありません。

食事も進まなく、現在では茶碗に一杯位しか食べられません。どう云う訳でしょうか。

また、楽にしてやるにはどこを浄霊したらよろしいのでしょうか。お伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「手放した方がよい。手術は大変な間違いであるから、神様は助けて下さらぬ。」




明主様御垂示 「医療器具をつけたまま浄霊しても効果はない」 (昭和25年4月23日)

信者の質問
「生後一年二カ月の女児、右腰の骨が脱臼しております。

機械をはめながら御浄霊したほうがよろしいでしょうか。」

明主様御垂示
「機械をはめずに浄霊してれば治りますよ。

機械を使ってたんじゃ駄目ですね。」


信者の質問
「骨が外れたままでもよろしいでしょうか。」

明主様御垂示
「ええ、いいですとも。ちゃんとうまくゆきますよ。

脱臼してたんでもちゃんと治りますからね。」




明主様御垂示 「腰骨脱臼の患者 機械をはめない方が浄霊は効く」 (昭和24年4月23日)

信者の質問
「生後一年二ケ月の女児、右腰の骨が脱臼しているのに気付き、整形外科に参りましたところ、

結核性骨膜炎との事、至急機械をはめて手当しなければ障害者になると申されるそうで御座います。

母親は御浄霊で治したいと申されますが、その場合、骨が外れなくなるまでちょっとの間機械をはめて御浄霊した方がよろしゅう御座いましょうか。」


明主様御垂示
「機械をはめぬほどよく治る。」




明主様御垂示 「ギブスは外さないカリエス患者には浄霊をするな」 (昭和27年3月1日)

信者の質問
「脊髄カリエスの場合は浄霊しませんでも、ギブスをはずさせたほうがよろしいのでございましょうか」


明主様御垂示
「良いですよ。

ああいうことをするのは非常に間違っている。

もしはずさなかったら、しなかったら良い。」




明主様御垂示 「薬に対する浄霊は不可」 (昭和24年7月発行)

信者の質問
「医薬に浄霊して患者に服用させたらその効果はいかがなものございましょうか御教えを賜りたく御伺い申上げます。」


明主様御垂示
「これは泥棒が警官の制服を着たようなもので問題外である。

しかし御浄霊した医薬は服用すれば却ってその薬毒は強くなるであろう。

薬屋とか、医者等がこの信者になれば正業を廃止しなければならぬ事となり実に困った問題である。」




明主様御垂示 「薬に浄霊は不可」

信者の質問
「私の家は医業で生計を立てていますが、薬調合の時、薬品に御浄霊して患者に与うる場合の効果はいかがでしょうか。」


明主様御垂示
「これは全然意味をなさない。

丁度泥棒が警官の服を着て入り込むようなものである。

反って浄霊すると余計いけないかもしれない。」