血液について


血液は霊の物質化


明主様御教え 「霊と血と正しき信仰」 (昭和11年御執筆)

「(一部のみ引用) そもそも、人体の構成原素を大別すれば二種の原素から成立っている。

それは、精霊と肉体とである。しかるに、今日までの科学は、肉体あるを知って精霊あるを知らなかったから、半分だけの認識であったのである。

それは、科学が進歩したといっても、精霊の実在を測定なし得るまでに到らなかった為である。

しかして、再三述べたごとく、病気の根源は、精霊に最初発生するのであって、

その順序として精霊の曇りが血液の汚濁となり、血液の汚濁が肉体への病気となるのであるから、

血液なるものは、実は精霊の物質化であるとも言えるのである。

その証拠には、人間の死後忽(たちま)ちにして血液は凝結するので、血液の量積は何百分の一に減少する訳である。

即ち、血液を全身的に流転活動させつつあったそのエネルギーの脱出である。

しからば、そのエネルギーは何であるか。そのXこそ精霊その物である。

故に、死は精霊の脱出である。

いわば、最早使用に堪えなくなった肉体を精霊は捨て去ってどこへか行ったのである。

別な意味から言えば、精霊を繋ぎとめるとしては、余りに肉体が破損し過ぎてしまったのである。

宛(あた)かも壁は落ち、軒は傾き、雨露を凌(しの)げなくなったから、止むを得ず、その破家を捨てて永年住んでいた住居人が引越して行ったようなものである。

故に、人間の健康上最も緊要なのは清浄なる血液である。

しかるに、この血液を浄化する方法は、今日まで絶対に発見されていなかったのである。

薬剤も、光線も、電気も、この力は無いのである。それは、血液なるものは精霊の物質化である以上、血液を浄めんとすれば、どうしてもまず精霊を浄めるのが先である。

しかし、精霊の実在を知らなかった科学は、血液浄化法を発見されなかった事は当然な訳である。」




明主様御教え 「霊主体従」 (昭和26年8月15日発行)

「前項に説いたごとき、無機質界と人間の病気との関係をかいてみるが、すなわち無機質界とは吾々のいう霊界である。

そうして人間は体と霊との密合一致によって成立っているものであって、言うまでもなく体とは眼に見ゆる物質で誰にも判るが、

霊は眼には見えないが、立派に存在している一種のエーテルのごときものであって、

人体が空気界の存在であるごとく、人霊はもちろん霊界の存在である。

霊界とはさきにもかいたごとく、空気よりも稀薄な透明体であって、無と同様であるが、

実はこの世界こそ無どころではなく、絶対無限の力の発生源であって、

その本質は太陽の精と、月の精と、土の精との融合による、想像もつかない程の霊妙幽玄な世界である。

これを仮に宇宙力と言っておこう。

この宇宙力によって万物は生成化育されるが、それと共に汚穢(おわい)が溜るので、それに対する浄化が行われる。

ちょうど人体に垢が溜り、入浴が必要となるようなものである。

すなわち地上霊界に汚濁が溜るや、それが一定の局所に集中され、低気圧という浄化活動が発生して清掃される。

雷火も人的火災もそれである。言うまでもなく、人間もそれと同様、汚穢が溜れば、霊を主として浄化作用が発生する。これらを詳しくかいてみよう。


右のごとく、人霊に溜った汚穢すなわち曇りであるが、これは透明体である人霊に、不透明体の部分が発生する。

そうしてこの原因には二種類ある。一は霊自体に発生する曇りと、二は体から移写される曇りである。

まず前者から説いてみるが、人霊の内奥は求心的三重になっている。

これを中心から逆に遠心的に説いてみれば、中心はいわゆる魂である。

魂とは人間がこの世に生まれる場合、最初男性を通じて女性の腹へ宿るヽ(ちょん)である。

ところが魂を包んでいるものが心であり、心を包んでいるものが霊であるから、

魂のいかんはそのまま心を通じて霊へ反映すると共に、霊のいかんは心を通じて魂に反映する。

このように魂と心と霊とは相互関係で三位一体である。


もちろんいかなる人間といえども、生きている間善も行えば悪も行う。

その場合 善よりも悪が多ければ差し引き多いだけが罪となり、それが魂へ反映して曇りとなる。

ために心が曇り、霊が曇るという順序である。

すると浄化作用発生によって曇りの排除が行われる。

その過程として一旦曇りの容積は縮小され、濃度化し、体内のいずれかの局所に集結する。

面白い事には罪によって固結場所が異う。

例えば目の罪は目に、頭の罪は頭に、胸の罪は胸にというように相応するのである。


次に後者を解いてみるが、これは前者と反対で、体から霊に映るので、その場合最初血液に濁りが生じ、その通り霊が曇る。

元来人体は霊の物質化したものが血液であり、その反対に血液の霊化が霊であるから、つまり霊体は一致している。

従って、濃度化した曇りが体に映ると濁血となり、それが一層濃度化したものが固結であり、この固結が溶解され液体となって、身体各所から排除されようとする。

その苦痛が病気である。


そうして体からの移写とは、もちろん濁血のそれである。

しからばなぜ濁血が出来るかというと、この原因こそ実に意外である。

というのは医療の王座を占めている薬剤そのものである。

すなわち薬とは全部毒であるから、薬を体内に入れるだけは濁血が作られるという訳で、何よりも事実がよく証明している。

それは病気が医療を受けながら、長引いたり、悪化したり、余病が発るというのはそのためで、別に不思議はないのである。

そうして体にある濁血が、霊へ映って曇りとなり、これが病原となるとしたら、実は病気を治す方法自体が病気を作る方法という事になる。

ところが万有の法則は霊が主で、体が従であるから、病気は霊の曇りを解消しない限り、全治しないのは当然である。

ところが我医術はこの原理の応用であるから、霊を浄める事によって、病気は根本的に治る。

それで浄霊というのである。その理を知らない医学は、霊を無視し、体のみを治そうとするのである。

従って、何ほど進歩したと言っても、一時的治癒でしかない。

何よりも事実を見ればよく判るごとく、医療は根治が出来ない。

一旦治ってもほとんど再発する。

例えば盲腸炎の場合、患部を剔出(てきしゅつ)するので、盲腸炎は起らないとしても盲腸に近接している腹膜炎や、腎臓病が起り易くなる。

これは全く霊の曇りがそのまま残っているからで、再び濁血が作られ、位置を変えて集溜するからである。


そうして濁血の変化であるが、濁血が不断の浄化によって、一層濃度化するや、血粒は漸次白色化する。

これが膿である。

よく血膿と言って膿と血液が混合しているものは変化の中途である。

なお進むと全部膿化する。

よく結核の喀痰が血液の混じっているものと、そうでないものとがあるのは、右によって判るであろう。

また医学における赤血球と白血球というのもそれであって、それを食菌作用と医学は言うのである。

以上によって、霊体の関係は判ったであろうが、いよいよ黴菌の発生源に移るとしよう。」 (「結核の革命的療法」より)




明主様御講義 「血は霊の物質化したもの」 (昭和10年9月15日発行)

「病気の初めは霊に曇りが寄って来る。

この曇りが出来る為に血が濁る。

この血は霊の物質化したものである。

人が死ぬと血が非常に減ってしまうのだが、医学は血は凝結して終うのだと言っているが、ただ単に凝結するが為にあれ程減少するのでは決してない。

血の中から何か減るから凝結して少し、ホンの少しばかりになってしまうのである。

この沢山ある、この血液を多量にしているのは霊が物質化しているからなのである。

死亡するとこの霊が抜け出すから自然いつとはなしに減少して来るのである。

この濁った血が益々多くなり、それが浄化作用を起すと浄化された粕が白い物になる。

この白い粕は白色元素となり、濁った血のところから放出されているのである。

人体には漿液があるが、この漿液の中へ白色原素が溜るとそれが膿となる。

水膿とはこの淡(うす)いものであります。

それが段々膿液となるのである。

この膿液が段々濃くなり、多くなるに従い病気が発生するのである。

故に霊体の曇りが病気の原因であり肉体へ出たのは結果なのである。

支配階級の人が原因を出しておきながら下級の赤化を直そうとしてもこれは絶対に直らんのもこの病気と同様の意味である。」 (「観音講座 第七講座」より)




明主様御垂示 「血は霊の物質化」 (昭和23年10月21日)

信者の質問
「血液型のA型、B型等申しますのはいかなる根拠が御座いましょうか。なお、白血球、赤血球について御教えを御願い申し上げます。」


明主様御垂示
「これは医学で説明してもらうべきで、私の方では輸血なんて必要ない(輸血のためにAB型が決められたのである)が、A型B型以外のもあるがはっきりしてない。

私の方では霊を入れると輸血と同じ意味になる。また輸血の量が多い。

血は霊の物質化であり、霊が濃くなれば血が殖える。

白、赤血球は出鱈目である。

よく白血球が段々増して、顔面蒼白になり、衰弱してゆく人があるが、これは死霊の憑依である。

不死身というのは切られても血が出ぬ。

霊的である。これは死霊が憑くので、死霊の通りになる。段々蒼くなり、赤味がなくなる。」






赤血球と白血球


明主様御垂示 「血液と漿液の関係」 (昭和28年5月1日)

信者の質問
「今度の結核の御本を一般人、医学関係者に読んでもらい、忌憚のない批評を聞いておりますが、こういう質問がございました。

あの御本やまた他の御神書によって、病気の原因が薬毒であり魂の曇りである、それは体的にいえば血が濁っている、血というのは霊の物質化したものだ。

また霊の曇りは不純水素である、それで仮に浄霊すると不純分が浄化されて、その残渣(ざんさ)が体外に出る、それが漿液(しょうえき)の中にはいるということはあるが、

その血液と漿液の関係、なぜ漿液の中にはいるかということは、他にご説明がないが、どう考えるか、という質問がありました」

明主様御垂示
「あれは説明のしかたがまだ半分なのです。

あんまり細かくなってややこしくなるから、あのくらいでよいと思ったのです。

血液と漿液は半分半分なのです。それで血液の不純分子が漿液の中にはいると、それは膿になるのです。

赤と白がありますが、血液の中の不純分子は赤です。

その不純分子がだんだん時がたつに従って変化して膿になるのです。

それが漿液の中にはいるのです。

ですから血液の不純分子をとると、漿液の中にはいって膿となるべき物をそれで済んでしまうということになります。

あれは書き足りなかったわけです。

血膿といいますが、血と膿が両方混じっているのです。

血液と漿液と両方ですが、漿液のほうは膿です。

血液のほうは赤い不純分子で、漿液のほうは白いのです。

それは共通しているのです。

血液の不純分子は白に変化して漿液の中にはいっているのです。

そこまで書かなくても、あれでよいと思ったのです。」


信者の質問
「漿液と不純分子の関係はどういうようになりましょうか」

明主様御垂示
「漿液は水です。それで漿液と血液は密着しているものです。

血液でも水分ですから液体ですから、血液の液体の分だけが漿液になるのです。

だから医学のほうで白血球が増えるということをいいますが、あれは血液の不純分子が変化して膿になったのです。

膿というのは白いのです。

ですからこの間の、子供の白血球が多いという病気はそういうわけです。

そうしてそれがまた固まりますから、白い物が固まった物が本当の毒素になるわけです。

切って膿が出るというものです。ところが固まらないで、白いままでそうとう濃厚なのがありますが、それは白血球過多症というのです。

つまり変化ということを、医学のほうではまだ頭にはいってないのです。

だからこう(御浄霊)やっているうちにもわずかずつは不純分子という物は白血球になりつつあるわけです。

ちょうど人間の白髪と同じようなもので、年限がたつうちに赤いのが白くなるというわけです。」


信者の質問
「そういたしますと、御浄霊によって純粋の物が血液に混入するというのは、御浄霊で浄くなるという説明でよろしいわけでございますか」

明主様御垂示
「それでよいです。

私は試したことがありますが、中耳炎のなおりかけで、穴があいて中のほうから膿が出て、

毎日浄霊しているうちに薄くなって、しまいには水晶の水のようになったのです。

いわゆる白血球がとれてしまって、浄い水になるのです。

それで白いというのは、赤い不純分子のものでしょう。


信者の質問
「もう一箇所は「空気は水なり」という御言葉がありますが」

明主様御垂示
「水ばかりではないのです。ただ水のほうが多いのです。空気は水が主で霊が従なのです。ところが霊気のほうは霊が主で水が従になるのです。」


信者の質問
「今の白血球のお話の場合に、原爆にやられると白血球が急激に減少して、白血球のバランスがとれなくなるという原子病というものは、膿が固まってそうなるのでございましょうか」

明主様御垂示
「そうではありません。白血球が原爆の熱によって焼かれるのです。赤い血よりも白い血のほうがやけるのです。」


信者の質問
「度合いが強いのでございますか」

明主様御垂示
「そうです。白いというのは活力がなくなって薄くなって白くなるのです。

そこで木なら、生木よりも枯れた木のほうが燃えやすでしょう。

それと同じで、白血球のほうが年をとっているわけです。

それで燃えやすいから、熱によって先に燃えてしまうのです。」


信者の質問
「肉食の害が白血球過多症を起こすそうですが、肉の影響があるものでございましょうか」

明主様御垂示
「あります。だいたい肉というものは、食物としては年をとっているのです。言わば野菜のほうが若いのです。

というのは野菜のほうが土から生えるのですから原始的なものです。

それで肉というのは動物から作られるから老廃物に近いのです。

ですから白い物が増えるというのは理屈に合ってます。

ところで肉食は滋養があるということは逆になるわけです。

これは完成した、年をとったものですから、人間が完成すれば年寄りになるのと同じです。

赤ん坊は若いものですから、植物がそういうことになります。

だから植物を食べていると、一時は栄養が少ないようだが、そのほうが粗雑なだけにまだ活力を持ってます。

そこで体のためにはそのほうが本当に力が強いわけです。

それが真理ですから、この理屈さえ分かれば何事でも同じことなのです。

未完成のものがだんだん完成になるという理屈が、何にでも表われてます。

そうして老廃して、それが亡びてしまって、それからまた新しいものが生まれてくる。

そうしてだんだん成育して、それがまた老廃する。

という具合に、循環して行くわけです。

ちょうど冬から春が来て、だんだん夏になって、秋から冬になるというのと同じです。

だから赤ん坊といって、でき立てのほうが赤いわけです。

そうして年をとるに従って白くなって、白髪になるというわけです。

「結核信仰療法」の本で、今言っただけでもたいへんなものです。」


信者の発言
「説明に困り、まことに不勉強でありまして申しわけありません」

明主様御垂示
「そこまでは説明できないのが当たり前です。

なにしろ医学のほうでは、そこまでどころではなく、ずっと手前のほうでウロウロしているのですから。」


信者の発言
「ただああいう人達は言葉尻を捕まえてまいりますので」




明主様御垂示 「赤血球は霊、白血球は体」 (昭和24年3月12日)

信者の質問
「白血球、赤血球のあるごとく、血液を霊体に分ける事が出来ましょうか。」


明主様御垂示
「出来る。白血球は体、赤血球は霊。

医学は大いに間違っている。

白血球は膿、赤血球は毒血で、浄化により白いのを分離する。

赤い血の中から毒分(白血球)を分離する。

よく毒血というが、医学でよく赤血球を白血球が食うというが、これはそういう風にみえるのである。

白い膿でも固まると溶け難い。」




明主様御垂示 「赤血球は霊、白血球は体」 (昭和24年5月21日)

信者の質問
「血液は霊の物質化と御教え戴いておりますが、赤血球、白血球について具体的に御教えを賜りたく御願い申し上げます。」


明主様御垂示
「赤血球は霊・・・日・・・血。

白血球は体・・・月・・・膿と思えばいい。

食菌作用などはない。」




明主様御垂示 「白血球と赤血球との関係について」 (昭和24年3月23日)

信者の質問
「白血球と赤血球との関係について御教示をお願い申し上げます。」


明主様御垂示
「この白血球、赤血球ということは医学で言うことですがね、これはでたらめです。

白血球は膿赤血球は毒血であり、毒血は浄化によって粕として白いものを分離します。

これが白い膿なんです。

どうかすると赤い膿が出ることがあるでしょ、あれは毒血と膿と両方が混って出る場合です。

こういうわけで白血球は毒血から出た膿なんですが、これはいいんですよ、

毒血のほうの浄化は非常に苦しくて、白い膿の浄化は楽ですからね。

しかしこの白い膿が固まったやつはまた苦痛がひどいですがね。」




明主様御垂示 「赤血球と白血球」

信者の質問
「赤血球と白血球について何か霊的に意味がありますか。」


明主様御垂示
「無論意味がある。

医学では食菌作用といって、赤血球が白血球を食うという。

赤い粒子の血の中に純血と濁血とあって、濁血の毒素が離れる。

であるから白血球は悪いもので、白血球が多くなると病気が治るというのは、それは固まる作用であるからで、医学は固める方法だからで、即ち赤血球は減ってゆくから治った形になるのである。

血膿が出るというのは、その血は毒血で、膿は毒素ばかりで、その膿を白血球と思っているが、白い方は毒素ばかりである。

浄霊すると白血球はなくなり、赤血球だけになる。」






毒血について


明主様御垂示 「出血の清濁」 (昭和25年5月22日)

信者の質問
「血液と霊につきまして左の点を御教えお願い申し上げます。

(イ)、出る血液は全部濁血のように思われますが、大出血の場合止血を行う事は人情として自然のように思われます。

従って自然に一応その個所を押えて止血を行い御縋り致します事になりますが、この場合の止血は自然であって唯物的とは思われませんが、いかがなもので御座いましょうか。

(ロ)、死にました場合、浄血は霊化して後に体内に残ったものは濁血で御座いましょうか。

(ハ)、気合術等で腕に火針を突き通しましても出血致しませぬのはどのようになるので御座いましょうか。右、お伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「(イ)、自然に出るのは毒血である。

怪我して出るのは良い血も出る。

毒血と浄血は体内で別々になっていないから、多少は浄血も出る。

(ロ)、勿論濁血である。

(ハ)、人間の体は練習するとそうなる。

人間の体はあらゆる万象の要素を備えている。

動、植、鉱の分子を全部もっている。

水泳の選手など魚の性能である。

爪など鉱物、ひげなどはカビや苔のようなものである。」




明主様御垂示 「出血に浄血ありや、貧血と衰弱」 (昭和24年6月3日)

信者の質問
「肛門より多量に出血した場合、貧血または衰弱するのは、毒血と同時に多少とも浄血が降るためで御座いましょうか。」


明主様御垂示
「浄血も混るが、大体毒血である。

毒血でも一時に出るとガッカリする。

悪い奴でもその家からいなくなると一時淋しいと同じようなものである。」




明主様御垂示 「鼻血出血・動悸す」 (昭和24年)

「頭に非常に毒があり、頭の毒血が鼻血になって出る。

溶けたものが背中へ流れ、お腹へ流れたものである。

頭の血がなくなると心臓に影響し、ドキドキする。

頭を主にして浄霊する。毒血など想像つかぬほどある。」




明主様御垂示 「鼻 血」

「薬毒である。鼻血は頭の浄化で、毒血が出る。

毒でも出ると顔色が悪くなる。出るだけ出ねば治らぬ。」




明主様御垂示 「頭浄霊で出血」 (昭和24年3月20日)

信者の質問
「今年二十三歳になる男子、頭部が浄化した時早速全身に浄霊致しますと肛門が浄化して血が下ります。

このような変化は頭部が浄化する度にあらわれます。

その頭部の浄化は一回の浄霊にて全治致しますが、肛門より血が下る量は少くて盃一杯位で半ケ月位続きます。これはいかがなものでしょうか。」


明主様御垂示
「頭の毒血はよく出血する。後頭部に多い。

非常にいい。こういうのはあまり痛まぬ。」






血液型について


明主様御垂示 「血液型」

信者の質問
「血液型A、B、AB、Oの区分・・・」


明主様御垂示
「医学で別けたもので、吾々には全然必要なく、寧ろ馬鹿々々しいと思う。」




明主様御垂示 「血液型と霊統」 (昭和25年2月)

信者の質問
「医学で言う血液型と毒素との関係、御浄霊による毒素の変化につきお伺いいたします。」


明主様御垂示
「血液型ってのは民族に関係があるんです。

日本民族にも霊的にいろんな系統があって、その違いが血液型に出てるんですよ。

毒素との関係はないと言っていい。ま、あまりないですね。

毒素ってのは元はほとんど薬ですからね。

祖先が薬を多く服んでれば毒素も多いんです。

だから血液型とはたいして関係ありませんね。


この浄霊をすると毒素は減りますよ。

おもしろいのは先に耳から膿が出る人をやったことがあって、それは中耳炎の患者でしたがね。

最初は黄色い膿が出てたんですが、浄霊するうちにだんだん白くなり、透明の水のようになりましたよ。

あれで見ても毒素が減るってことがよく判りますね。

浄霊すると濃い毒素も薄くなるから、そこで痛みがなくなるんですよ。

毒素が熱によって溶けてどっかから出ようとして腫れるんですが、

そのとき毒素が神経を圧して刺激するから痛いんで、膿が薄くなると圧す力がなくなって痛みがとれるんですよ。」




明主様御垂示 「血液型と人種」 (昭和25年5月5日)

信者の質問
「血液は霊の物質化と伺っていますが、血液にA型、B型、AB型、O型がありますが、これについて御説明御願い申し上げます。」


明主様御垂示
「厳密にいうと人種的関係がある。

日本には大体四種ある。日本、中国、朝鮮と土匪(コーカサス地方から入り込んだ)である。

いずれ発表するが、時期の関係で未だ早い。

はっきりすると天皇に関する事が根本になっているので・・・。」




明主様御垂示 「血液型と霊統」 (昭和27年8月1日)

信者の質問
「血液型と霊統とは何か関係がございましょうか」

明主様御垂示
「それはあります。中国、朝鮮、日本と、だいたい三種です。

あとはアイヌ型・・・あれはロシヤ系です。

それから南洋の原住民の型もあります。

それからインド、それから西洋からも来てますから、型はずいぶんいろいろあります。

だから日本人はいろいろ混っているから良いのです。」


信者の質問
「どの系統が火の系統になるのでございますか」

明主様御垂示
「日本人です。」


信者の質問
「ΑとかΒとかの血液型の・・・」

明主様御垂示
「それは分からない。物質的だから、それは医学のほうです。でもこういうことは言える。

一番多いのは中国系統・・・日本に来ているのは一番多いのです。その次が朝鮮系統。

日本人系統が一番少ないのです。」




明主様御垂示 「血液型と性格」 (昭和24年10月3日)

信者の質問
「血液型は性格や健康に影響するものでしょうか。右、御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「性格に影響はあるが、健康に影響はない。

大体人種的・・・。

日本人には日本、中国、朝鮮の三型がある。」




明主様御垂示 「血液型と体質」

信者の質問
「血液型によって性格及び体質が異なる理由・・・」


明主様御垂示
「霊的関係がある。

日本には中国系が一番多い。

他にアイヌのごとく、胸毛のあるようなコーカサス系も、南洋系もある。白人系は信長時代に入った。

血液型とは要するにこれである。」






明主様御教え 「血 沈」 (昭和18年11月23日発行)

「血沈とはもちろん血液の沈降速度の速いか遅いかを知る方法であって、

沈降速度の速い程濁血であり、その重量によるためである。

医学においては速度十ミリ以上を濁血となし、十ミリ以下を浄血としているが、

ただこれだけならば私のいう濁血者浄血者を機械的に測定する一の方法として異議はないのであるが、ここに見逃す事の出来ない事は、

濁血者は結核容疑者となし、勤労までも停止させる事で、ここに問題の発生があるのである。

濁血保有者を結核容疑者とみる事はいかなる訳であろうか、

私の推測によればさきに述べたごとく感冒や微熱の原因が、濁血のための毒素溜結に対する第二浄化作用であるから、

それが結核に罹りやすいとの推定のためであろうと想うのである。

もちろん濁血保持者は感冒的症状が発生しやすいのは事実であるが、

それだけで結核または結核容疑者と断定する事は余りに早計である。

ちょうど焚火を見て火事を予想しポンプを引出すのと同様の慌(あわ)て方である。


そうして浄血者を濁血者たらしめる最も有力なる原因としては、

近来しきりに応用する彼の予防注射の一事である。

さきにも述べたごとく注射液等の異物または毒物を血液に注入するにおいては、

それが濁血の原因となるのであるから、

注射なるものは濁血者を作る方法でしかないという事になろう。

しかしながら、専門家はいうであろう。

注射によって伝染病を予防するのであると、しかし、私は言うのである。

伝染病とは猛烈なる浄化作用で、これある事によって人体血液中の汚濁を急激に消滅するのであるから、

もちろん天与の生理作用である。

ゆえに体力旺盛なる民族に伝染病が多く、白人のごとき体力低下せる民族程伝染病が僅少であるのは何よりの実証である。

従って、注射によって濁血者となる以上、浄化力微弱となり、一時的伝染病を免れる事が出来得るが、

その後に到って体力の低下、結核発生の素因となる事はもちろんである。

この理によって伝染病を真に解決せんとするには別に方法があるが、それは結核以外にわたるから割愛する。

その事は拙著「明日の医術」中に詳細掲載されている。


ただ、ここに一言すべき事がある。

それはいかに猛烈なる伝染病といえども、その被害は一時的であり、一区域だけで済むという事である。

従って、国家全体の盛衰に関わるような事はないが、

それに反し、伝染病を防止し得て、その国家は理想のごとく伝染病絶滅したとしたら、

果していかになりゆくやというに、遺憾ながら所期の目的と反する事になるのである。

これは論議するまでもない。

彼の英仏を見よ、人口減少、体位低下という悲観すべき将来に悩んでいるではないか。

ゆえに吾人は一時的効果に幻惑さるる事なく、民族将来の繁栄と幸福をおもんばかり、善処しなければならない事はもちろんである。


次に、今一つ重要な事がある。

それは血沈測定のため、血液採集の場合、腕の肱(ひじ)際(きわ)隆起せる部からであるが、これには異議がある。

それは右の部は、注射液の薬毒が最も集溜しやすい所であるから、

その部から採集する以上特に濁血である事はもちろんである。

しかるに医学の解釈によれば、血液なるものは、人体いかなる場所も同一としている事であるが、

私の研究によれば、人体各部の血液は一定せず、汚濁の濃淡は非常に差異があるのである。

それは浄化作用によって血液が循環しつつ、汚濁を一局部に集溜させつつあるからである。

世間よく鬱血(うっけつ)するというがこの事に外ならない。

たとえていえば血管とは溝のようなもので、

新しいかまたは清潔なる場合、水は広く速く流れるに反し、

不潔なる溝においては、水は流れるには違いないが、

溜泥のため細く遅く流れるという訳である。

これは医家において、各部の血液を試験すれば明瞭となるであろう。

この事の証左として、人体各部の熱の差異の著るしい事であって

人により左右腋窩(わきのした)の体温が五、六分の差違ある者がある。

ゆえに今日の体温計のごとく、腋窩や口中の体温を計るのみでは不完全であるから、

人体各部の温度を測定し得べき、進歩せる体温計が出来ればいいと、私は常に思うのである。


また医学においては、薬毒は体内に入っても時日が経過すれば自然消滅するといわれるが、これもはなはだしい謬見である。

私の永い経験によれば、人間として摂取すべき飲食物は大体定まっているので、

それら天与の飲食物は全部消化し、吸収し、排泄さるるのであるが、

しからざる場合、異物の大部分は排泄し得られず必ず残存し、凝結し、病原となるのである。」 (「結核の正体」より)