科学の限界について 2


明主様御講話 「科学は物質と霊との継ぎ目の所に来た」 (昭和28年9月25日)

「今度外国の偉い学者たちが日本に来て会合を開いたことは、新聞雑誌でよく知っているでしょう。

これは湯川博士がノーベル賞を得て、日本人にもそういった能力があるということを示したのが原因でしょう。

それであの会の狙い所はなんといっても物性論です。

これはつまり素粒子論から進んだものですが、素粒子というものは、粒子のもっとも小さなものです。

これは顕微鏡で見えないくらいの小さなものですが、確かにあるということはよく分かるのです。

素粒子の濃厚なのや固まったのは顕微鏡でも発見できるのです。

ところが物性論というのはまだ分からないのです。

これは物の性質ですが、というのは気です。

われわれの方で言うと霊ですが、そこに入ってきたわけです。

だから科学の方は、今ちょうど、宗教と科学、あるいは物質と霊というところの継ぎ目の所に来たわけです。

これから科学が進むと、もう科学ではなく宗教の分野に進むわけですが、そこまでは気がついてないようです。

この間の開会式のときに湯川博士が「今はみんなが暗闇の中でどっちに行こうかと迷っている」ということを言われましたが、うまいたとえで、まったくそのとおりです。

つまり想像でいく所がたくさんあるのです。

それでここなら確かだというところは一つもないのです。

ですから科学者が研究する場合に、研究が多方面だというのと、

まったく五里霧中だというのと両方ありますが、それはそういった意味です。


そこで私は、今書いている「医学革命の書」の次に「理論神霊学」というのを書こうと思ってます。

これは今言う理論物理学のずっと進んだ所です。

というのは、今の理論物理学が進んだ所が理論神霊学だということを知らせるためです。

そこでこれについてのもっともの急所・・・肝腎な所は、今までの物理学は結局は力なのです。

今度も力の粒子について説明した学者があるようですが、つまり量子力学です。

力の発見によって、力の運用によって初めて効果があるわけです。

だから原子爆弾も力です。

爆発によって火の力が最高度に達したものです。

ところが私の理論神霊学の骨子は無限力です。

力には有限力と無限力とがありますが、

科学で作る力は有限力で、限りがあるものです。

つまり粒子となれば、要するに粒々ですから、それで限度があります。

ところが無限力というのは粒子ではないのです。

もっと奥のものです。そこで浄霊で病気が治るということは無限力の発揮です。

それで医者の方のラジウムとかレントゲンというものは有限力です。

そこがたいへんな違いです。

そこを説けば浄霊で病気が治るという原理は分かります。

まるで大学の講義のようで、学術会議のようになりました。

お祭りにしては少し固苦しい話ですが、今度理論物理学会があったばかりですから、一つの時期に合うと思って話をしたわけです。

まだ話すことがありますが、時間がないのでこれだけにしておきます。」




明主様御講話 「物性論は霊と体のちょうど中間」 (昭和28年9月27日)

「今度世界の科学者が五十五人ですか日本に集まって、いろんな会をして、それぞれの説を唱えていますが、

これは非常に結構なことで、とにかく日本もその方面では世界的水準になったわけです。

それも因(もと)は湯川博士がああして名声を博したということが因ですが、

それでまた湯川博士の刺激によって、日本でも若い科学者が随分できたようですが、非常に結構なことです。


それについて私はこれから書こうと思ってますが、

それは今の科学界の現状は、なんといっても物性論が研究の中心になってます。

それで物性論というのは素粒子から次に入ったものですが、

これはわれわれの方で言うと、そう難しいことはないので簡単なことなのです。

科学者などというのは、簡単なことでもややこしく言って、その方が値打ちがあると思っているのです。

簡単に分かりやすく言えばよさそうなものだが、妙な理屈をつけてやってます。

もっともそこまで行ってないからでしょうが、

だいたい素粒子というのは物質の粒子のもっとも細かいもの、微小なものです。

微小ではあるが、物質までにはゆかないものです。

つまり物質の少し手前のものです。

とにかく宇宙線の写真に写ったくらいのものですから、

写真に写るだけの一つの個性は持っているのです。

ところがそれから先に行くと一つの気体みたいなものになります。

分かりやすく言うと、人間の病気の因は霊に曇りを生ずる、というその曇りの粒子なのです。

それがまだはっきり把握できないために、物性・・・物の性質というような意味になっているのです。

これはこういうふうになるほど粒子は細かくなるのです。

けれどもつまりはっきりつかむことはできないが、いろいろな操作によってあるべきはずだというわけです。

だから物性論というのは非常に変化があるというのです。

いろいろな性質があるというのです。

甲の場合の物性論と、乙の場合の物性論とは性格が違うのです。

それで所によって性質が違うというので、今度の科学者の会では「場」ということを言ってます。

場によって違うということを言ってます。

元は一つですが、ある物を通すときに変化するのです。

つまり病気と同じで、医学では病気によって治し方が違ってますが、われわれの方では何病気でも同じ方法です。

これ(掌)から出るものは一つで、何病気でもそれで治るというわけです。

物性論の研究をみても、これと同じことになってます。

ところが、たとえそういった粒子を発見しても、それが役に立たなければなんにもなりません。


そこで役に立つということは、それから発する力です。

そこで今度も外人で量子力学ということの講演をしてます。

そこで量子力学が結びつかなければならないというのです。

ですからやはり浄霊というのも一つの力学です。力です。

ただこれだけは知っておかなければなりません。

それは、科学で作る力は限度があるのです。

いくら顕微鏡が精巧になっても、一ミリの中に粒子が何万個、何億万個といっても、

そういうように数えられればそれが限度ですから、それだけの力しか出ません。

原子爆弾がいかにすばらしい爆発力があっても、

それは局部的のもので、地球全体を壊すということはできません。

それは物質で作る力だから有限力なのです。ところが神様が作る力は無限力なのです。

最近ロサンゼルスではすばらしいお蔭話が出たのですが、

そうすると私の力がロサンゼルスまで、なんでもなく行くのです。

これは無限力だからです。

この無限力というのは時間空間を超越したもので、それは神様の力です。

だから現代の科学というのは、結局有限力の研究です。

いずれある程度まで行けば、頭を下げるよりしようがないのです。


その物性論というのは、霊界と現界、霊と体のちょうど中間になっているのです。

物性論が進めば要するに科学は宗教に入ってくるのです。

科学が宗教に入ってくればもう科学ではなくなるのです。

私はこれから書こうと思っているが、科学が物性論に入り、その先はどうだ、またその先はどうだ、

とどこまでも行くと、結局神霊・・・神様の所に行くわけです。

これはなかなか説明し難いのですが、できるだけ書こうと思ってます。

とにかく今は科学と宗教の結び目に来ているわけですから、それをあらかじめ知っておけば、どんな学者が質問してきてもなんでもありません。

だから今の科学はちょうど、やっと幼稚園を卒業したくらいのもので、これから小学校に入るというくらいのところです。


この間京都での開会式のときに湯川博士が

「今の科学界はちょうど暗闇の中でみんながどっちに行ったらよいかと、これから行く道を見当づけているようなものだ」と言ってますが、

うまい言い方だと思って感心しましたが、

ちょうどそういうような状態です。

ですから科学者の説によると「これから研究することが非常に多い」と、これは日本の科学者も言ってます。

また他の学者には「そうではない、物性論を進めて行けばよいのだ」と言うのがいますが、

これは暗闇の中で見当をつけているのですから分かるわけがありません。

だから私はその暗闇の中で探し求めているものはこれだ、と書くには書きますが、

しかしあの人たちの目や耳に入れるということはできないのです。

それは、現代の少し有識者は新宗教というと馬鹿にして、

まるで、なにをたわけたことを言っているかくらいにしか思わないのですから、

これはなんにもならないが、とにかく信者さんだけに知らせれば、

信者さんは信ずるのだから、将来これが拡がって行けばよいのです。


なにしろ私の説く説というのは古往今来ない説ですから、

早く分からせようということは不可能ですが、しかしいずれは分かるに違いありません。

幾人かの学者に分かれば、それは燎原(りょうげん)の火のごとくに世界に知れるに違いありません。

というのは、各国の学者というのはそれを探し求めているのですから。

結局そういう具合につきつめてゆくと、宗教と科学とは同じことです。

むしろ科学が求めていたものが宗教ということになります。

しかし宗教といったところで、今までの宗教ではそこまでは行っておりません。

今までの宗教では科学のちょっと先くらいの所です。

だからむしろその力によって負けてしまうのです。

ですから私の説というのは宗教ではないのです。

しかし宗教の分野に入るべきものですから、そこで書くわけです。」




明主様御講話 「形のないものほど力は強い」 (昭和28年10月7日)

「それから有限力と無限力ということを書こうと思ってますが、

というのは、このあいだ中騒いでいた理論物理学ですが、これについてはこの間も話したとおり、

窮極において行き詰まっておしまいになってしまうのです。

それで他のことはともかく、医学に関したことは駄目になることがはっきり分かっているのです。

というのは、すべて力というものは、計算のできるもの、何馬力とか、あるいは粒子とか・・・

今は顕微鏡がだんだん進歩して一千万倍くらいまでも分かるそうですが、

しかしこれは顕微鏡に写るわけではなくて推定です・・・要するに理論的に計算してゆくので、

科学は大いに進歩しているようですが、それでだんだん進歩してゆくと、結局零になってしまうのです。

一千万倍から一億万倍、十億万倍に見えてゆくと、科学ではこれは理屈でも分からないのです。

だいたい科学というものは「物」なのだから、物には限度があります。

だから科学を極めて行っても、結局ある程度まで行ったらおしまいになります。

機械や理論では分からない所に行きます。


だからそんな面倒臭いことをしなくても、私は無限力ということを言っているのです。

また真理はそれなのです。

それで無限力というのは限度がなく、時間空間を超越しているから、これほど大きな力はありません。

浄霊の力というのは無限力です。

レントゲンとかラジウムで病気を治そうというのは有限力です。

なんとなれば無限力というのは、さっきも読んだとおり目にも見えない手にも触れないもので、空と同じです。

科学は有限力を研究する学問なのだから、無限力にまでゆけば、それはもう科学ではなくなります。

だから科学がだんだん進歩してゆけば無限力に行ってしまいますから、そうするとそこでおしまいです。


この点が難しいといえば難しいが、易しいといえば易しいわけです。

科学の方では、たとえ原子爆弾でも地球全体を壊すことはできないので、やっぱり限度があります。

大きくみて日本一国を壊すくらいのことはできるでしょうが、東洋全体は難しいでしょう。

というのは、それだけのものを空中に運ぶことはできません。

それであの爆発力にしても、これについては私は二十年くらい前にー確か信仰雑話にも書いてあると思いますが・・・

地球から水分を抜いてしまえば地球は爆発してしまうということを書いてあります。

それで原子爆弾というのは、ごくわずかの所の空気から、ウラニウムとかいろいろな放射線を放射して水分を抜き爆発させるのです。

その爆発した力が隣へ隣へと行って大爆発となるのです。

その原理なのです。ですからその水分を抜く方法を発見できたので、それが原子爆弾です。

そこで今の原子爆弾一発で二億ドルかかるそうですから、このくらいの水分を抜くということは、

その百倍、二百倍ということになると、機械の操作ではとてもできないのです。


それで浄霊の方は無限なのです。

ロサンゼルスでもたいへんな奇蹟がありますが、そうすると私の霊がロサンゼルスまで行くわけですが、

私の霊がロサンゼルスまで行くのに一秒の百分の一もかかりません。

間髪を容れずと言うが、そのくらいのものではありません。

それで早いということは無限力だからです。

この無限力というのは神様の力よりほかにはないのです。

それが分かれば、科学というものをまるっきりなくしてしまうのはもったいないが・・・やるのはやってもよいが・・・

これをたいしたもののように思って、世界中の科学者が総がかりでやる必要はないわけです。

それもいずれ書きます。

そういうようなわけで、なにごとでも無限の目に見えない力が一番大きいのです。

恋愛の結果心中しますが、これは無限力です。

つまり有限力なら心中しなくてもすむのです。

無限力だから生命を落としてまでやってしまうのです。

とにかく生命を自由にするのですから、たいへんなものです。


信仰というものがやはり恋愛です。

信仰というのは恋愛の極致ですから、もっともすばらしい無限力です。

科学がいくらなんといっても、それは信仰の力にはかないません。

ですから共産主義者が一番恐れるのは宗教なのです。

スターリンがふだん言っていたそうですが、一番恐ろしいのはローマ法王だそうです。

他の者はスターリンの自由になるが、ローマ法王だけは駄目だ、

カトリック信者だけはスターリンの思うとおりにゆかない、かなわないのだそうです。

これは向こうに行って見てきた人に聞きました。

ですから宗教という、形のないものほど力は強いのです。

力は一番形があるものほど弱いのです。

ですから馬の力の「馬力」というのは、ごく限度があります。

何馬力の機械とかいうのは限度があるものです。

それで上等のものほどだんだん細かくなるのです。

そうしてそのもっとも細かいのを通り越すと無限力になるのです。

そういうようなわけで、有限力と無限力ということをいろいろなことに当てはめてみると、よく分かります。」