夜昼転換と浄霊の原理について 1


明主様御教え 「霊的医術」 (昭和18年10月23日発行)

「私は種々の方面から「昼の世界とは霊主体従の世界である」という事を説いたのである。

この意味を人体に当嵌める時、病気の根源である毒素とは、肉体に集溜している物質を指すのであるが、この場合、霊体はいかなる状態であるかというに、

肉体の毒素のある部分は、霊体の方にはその部に曇があるのである。

この意味において、肉体の毒素を解消せんとするには、肉体のみの毒素を排除するといえども、それは一時的であって、時を経て再び毒素は発生するのである。

何となれば、それは霊主体従の法則によるからである。

故に、根本的毒素の排除方法はどうしても霊体の曇を解消しなければならないので、これが治病の目的を完全に達する正しい方法である。


しかるに、今日までのあらゆる療法は肉体を対象となし、肉体のみの毒素を排除又は固める事を以て唯一の方法としているから一時的であって根本的治癒ではない事は勿論で、何よりも再発の言葉がそれを物語っているのである。

右のごとく毒素排除の方法として、医学においては二つの方法しかないのである。

一は固め療法、一は手術によって毒素を除去しようとする。

又民間療法においては、電気又は光線療法等によって固めるか、あるいは灸によって火傷させて膿を集溜排除せしむる等の方法である。


しかるに、本療法においては、霊体の曇を解消するのを根本とする。

その方法としては、施術者の手指から、火素が主である一種の霊波を放射させるのである。

その霊波を私は仮に神秘線と名付けておこう。

そうしてこの神秘線なる光線は何人といえどもある程度の量を有しているのである。

というよりも、その光線はこの地球上の空間否霊界に無限に遍満しているのである。


ここで、知っておかねばならない事は、右のように霊波によって曇を解消するという治病法は、なぜ今日まで誰もが発見なし得なかったかというに、それはさきに述べた通り夜の世界であったが為である。

即ち、夜の世界は暗であって、光としては月光の程度であるから、治病力即ち曇を解消すべき程の神秘線を得る事は不可能であったからである。

勿論、全然無い訳ではなかった。

その例として一部の宗教家、行者等が治病法を行い、ある程度の効果はあったので、

その宗教や教組をして相当の名を成さしめた事は、世人のよく知る所である。

しかしながら、月光では水素が主であるから、治病力はある種の病気に限られ、又ある期間だけの効果に過ぎなかったのである。

それは月光は水素的冷性であるから固め療法となるからである。


しかるに、この日本医術においては火素が主であるから、いかなる毒結も溶解するので偉効を奏する訳である。

故に、私の治病法発見の根本動機としては、夜の世界が昼の世界に転換せんとする事を知り得た事と、昼の世界は火素の分子が増量するので、

その火素を人体に集中透過さすにおいて、強力なる治病光線が生れ、患部に放射せしむるにおいて偉大なる治病効果を現わすという事の二つに外ならないのである。


ここで、断わっておきたい事は、かような事は宗教的に思われ易いという事であって、昔からキリストや一宗の開祖等が行った事に類似しているのであるが、私は飽くまで宗教化されないようにしたいのである。

何となれば宗教的に行う場合、必ず社会から迷信視せられるからである。

それは今日まで、幾多の人々が迷信邪教に煩わされ不幸に陥った例があまりにも多いと共に、当局においても、その弊害を防止すべく厳重な取締を執っている事である。

又神仏基その他あらゆる宗教の信者が病患に悩まされつつも、宗教的分子がいささかにてもある場合受療に躊躇するという点もあろうからである。


又宗教とすれば、さきに説いたごとく、信仰という自力観念の援助によって、治病効果を挙げるという事になるから、実は治病力が薄弱であるという事を告白する訳である。

この事は医学においてもある程度ある事は否めない。

例えば医学博士の称号とか、大学教授、大病院の院長、その専門の権威、上流階級の主治医等の故を以て、患者は受療以前に相当の崇敬と信頼の観念をもつべきは勿論であるから、

その観念の力がある程度の効果を加える事は当然であって、宗教に対する信仰的観念と共通の点がないとはいえないであろう。

しかるに、私の医術においては、右のごとき観念の援助は更に要らないのであるから、宗教化するという必要がないのみか、前述のごとき幾多の不利があるのである。

故に私は飽くまで科学を以て自認し、科学として世に問わんとするのである。

即ち未来の科学、最尖端科学として、日本人によって創始せる世界的医術たらしめん事を期するものである。」 (「明日の医術 第3編」より)




明主様御教え 「夜と昼」 (昭和18年10月23日発行)

「以上のごとく、最近までは夜の世界であったから、あらゆる文化は夜の文化であった。

即ち月の文化、水の文化、体的文化、右の文化、緯(よこ)の文化であった。

それが漸次昼の文化となりつつある事で、それは太陽の文化、火の文化、霊的文化、左の文化、経(たて)の文化となるのである。

従って、体的人種である白人が形成した文化が、西方から東方へ向って侵漸した事は、それは逆であった。

しかるに今度は黄色人種である太陽の民族が創成した文化が西漸する時になったのでそれが正しい法則である。


それについての私の発見をこれから順次説くのであるが、まず夜の世界と昼の世界について別の方面から解剖してみよう。

最近の科学における電子論即ちミクルトンとエレクトンの運動などはかなりの所まで進んできている。

又光の微粒とその運動や、音の電波等についても、ある点までは開明されたのであるが、私はそれらより一層深く説こうとするのである。

それは電子よりも一層微なるもの仮に霊子と名付ける元素である。

この霊子は非常の速さを以て渦を巻いている。

その渦の捲き方は、夜の世界即ち暗においては右進左退であり、昼の世界即ち光においては左進右退である。

この理によって水は右進であり、火は左進である。

そうして右進左退は遠心的運動となり、その結果は分裂となるのである。

又左進右退は右と反対で求心的のそれとなり、統一となるのである。

これを卑近の例をもって判り易くいえば、時計のゼンマイは左進によって捲かれ右進によって解かれるのである。

又鍵は左進によって締(しま)り右進によって開かれるのである。

又 炭団(たどん)は左進によれば丸まるが、右進では崩壊するのである。

故に右進左退の結果は分裂となるので、思想的には個人主義となり利己主義となり民主主義となり、なお進んで共産主義となり、政治的には多数決となり、下剋上的となり、経済的には自由競争を生み、すべての法規はその条文が益々繁雑化するのである。

又右と両様に医学上においても極端に分裂して内科・外科・婦人科・小児科・脳神経科・整形外科・泌尿科何々等々、益々専門的にその科目を増してゆくのである。

従って、療法においても服薬注射は固より、ラジウム・レントゲン・紫外線・赤外線・不可視線、いわく何々等いよいよその数を増し、

その他電気・磁気・温熱・鍼灸・温灸等は固より、民間療法においても幾十幾百の種類があるか分らない程である。

従って、病気の種類においても益々殖えつつある事は周知の事実である。

故に今仮りに一人で脳病・眼病・中耳炎・胃病・皮膚病の五種の病に罹ったとする。

これを別々の専門家へ行く事は到底不可能であるから綜合病院即ち大学等の大病院へ行くとする。

しかるに朝早く行ったとしても、一科目について少くとも二、三時間ないし半日はかゝるであろう。

故に、一日がかりで二科か三科目だけの診療がやっとであろうから、五種の病気では一回だけの診療に二、三日はかゝるであろう。

故に、大抵の病人は奔命に疲れて、病気によってはその為に増悪する場合もあろう。

実に馬鹿馬鹿しい限りである。

これは近来よく唱える説であるが、西洋医学の対症療法は部分的加療であるから間違っている。

元々人体機能はそれぞれ相互関係によって生命を保っているのであるから、一局部の病気といえども、全体的加療でなくては効果は薄く、正しい療法とはいえないという事で、これは全く真理である。


しかるに、本医術においてもそうであって、根本療法である以上、全体的に病原を発見しそれを衝くのである。

例えば、前頭部頭痛の場合はその部だけ治療しても効果は薄いのであって、病原は実は頸部淋巴腺の浄化熱の為である。

従って、頸部淋巴腺を施術すれば、前頭部に施術を行わなくともよく治癒するのである。

又後頭部の頭痛はその原因が延髄部毒結の浄化熱の為であるから、その部とその部の根原である腎臓の治療によらなければ奏効しないのである。

又近眼及び乱視は、後頭部、延髄付近の固結が原因であり、鼻のつまりは延髄部及び背面腎臓部であり、そこの毒素溶解によって快癒するのである。

又皹(ひび)、霜焼、ひょう疽等のごとき手指の疾患は、その局部のみでは効果薄く、肱より手首までの間に根原である毒結があるから、それを溶解する事によって根本的に治癒するのである。

又手の甲の疾患は肱と腕の上末端との間に根原があるので、それを治療する事によって全治するのである。

又足部の疾患もそれと同様である。

次に私は以前歯痛を治癒すべく、その局部を施術したところ一時的効果はあったが、また痛み出したので頸部淋巴腺を施術した所、一旦治癒したが翌日また痛むのである。

従って頸部淋巴腺の筋を下方へ辿って胸部を施術したところ、一旦治癒したがまた翌日痛み始めたので、今度は又下方へ向って施術探査しつつ、ついに盲腸部までに及んだのである。

そこで初めて判った。

それはこの人は盲腸を数年前手術したので、その際の薬毒が固結しており、それが歯齦(はぐき)から排除されようとして運動を起したのであるから、盲腸部を施術したところ、今度は完全に治癒したのである。

歯痛の原因が盲腸部にあろうとは、これは夢にも思えない事であろう。

これらによってみても局部的対症療法が、いかに誤りであるかという事を知るであろう。


そうして夜の文化の分裂作用は、あらゆる部面においても微に入り細に渉ってますます末梢的になりつつあるのである。

しかるに昼の文化はこの反対であるから、統合と単一化即ち一元化となる事で、中心に帰一する事である。

それが今日何人の眼にも映じつゝある所の世界的大転換の真相である。

視よ、世界のあらゆる国家は漸次分裂から統合に向っているではないか。

彼のヨーロッパ諸国は独伊に、亜細亜は日本に統一されつゝあり、思想においても全体主義となり、国民全部が国家が指示する単一目標に向って統合前進する。

それが為個人の自由は制限され、利己主義は許されなくなって来たのである。

又政治的には幾つもの政党は解消されてしまって、日本は翼賛政治の下に一元化されんとし、独逸はナチス、伊太利はファッショというように、求心的一元化されてしまったのである。

又経済的には中小商工業者は漸次整理統合されつゝあり、農業においても鉱業においても、その他重要物資は政府管理の下に置かれるようになった事も勿論一元化の表われである。

かようにあらゆる部面においては、着々夜の文化が清算され、昼の文化に転換せんとしつゝあるに拘わらず、独り医学のみは旧態依然として分裂作用そのままが持続しつつあるのである。

しかしながら実はこの部面においてもすでに黎明は近づきつゝある事である。


その何よりの表われとして、私の創成したこの日本医術が生れんとしている事である。

この日本医術においては、一人の患者で五種も六種もの病気をもっている者といえども、施術者一人で全部を治療し、全部が次々治癒してゆく事である。

全く一元的療法でなくて何であろう。

そうしてその原理は、霊を以て霊を治癒するのであるから、白人創成の唯物的方法とは反対で、全く東洋的否日本的唯心的方法である。

右の意味において、好むと好まざるとに関わらず、唯物的分裂化の西洋医学にも、清算の前夜が迫りつつあるのである。」 (「明日の医術 第3編」より)




明主様御教え 「善主悪従」 (昭和18年10月23日発行)

「右進左退である夜の世界が唯物的文化を生んだのであるから、一切を物質によって解決せんと意図した西洋思想も止むを得ない当然の帰結であった。

それが今日までの科学であるから、人間を唯物的に、他の動物と同様に取扱われたのであった。

この意味において、西洋医学は、人間医学ではなく動物医学である訳である。

そうして右進と左進を善悪に区別するとすれば、右は悪であり左は善である。

それは物質を主とすれば悪となり、精神を主とすれば善となるからである。

従って、右進左退の文化が持続するにおいてはどうしても悪魔的となり、弱肉強食とならざるを得ないのである。

弱小民族を虐げて自国のみ富強を誇った白人文化をみれば肯かるるであろう。

そうして彼の西洋医学が死体を解剖し、手術によって肉を切り血を出ださせ、注射によって肉を破り痛苦を与える等、悪魔的残虐性を多分にもつ方法を執るのも、そうした意味からであろうと想うのである。

又西洋医学を進歩発達させたと称せらるる大医学者はほとんどが猶太(ユダヤ)人である事である。

故に、西洋医学へ対して猶太医学という人もあるのである。


そうしていよいよ昼の世界に転換するとすれば、右の反対である現象が起るのは当然である。

即ち左進は善に属する以上、精神的にならざるを得ないのである。

その結果として一切が唯心的方向に進んでゆく。

故に、近き将来において霊的科学が生れるであろう事も勿論である。

否すでに生れているといってもよいであろう。

それは私の創成したこの医術は霊的科学であり、動物医学ではなく人間医学であり、唯心的療法であるからである。

悪魔的残虐行為とはおよそ反対であって、実に人類愛的医術である。

従って、右進左退の文化が左進右退的文化になるという事は、悪主善従の世界が、善主悪従の世界になるという事である。

弱肉強食の世界が道義的世界になるということである。


私は、今一つ別の方面を観てみよう。

それはあらゆる部面における悪が清算されつつある事である。

視よ、国際的にはアングロサクソンのマクワベリズム(マキャヴェリズム)的功利主義が清算されつつあり、

我日本においても、近時政治家を初め指導階級のすべては、従来に見ざる真面目さであり、国民の思想も行動も国家の利害を主とし、一頃の自由主義思想は全く影を潜めてしまった。

又商業者等も利潤追求本位が公益優先本位となり、商品の原価と利潤は旧体制の頃の秘密主義は許されなくなって公開的となり、

教育は個人の優越欲や立身出世の目的は第二義的となり、あらゆる出版物も映画も演芸も、低劣や頽廃的のものは許可されなくなり

総ての贅沢は制限される・・・というようになってきたのである。

これを要するに、一言にしていえば一切の悪と秘密と利己が不可能となって、公正明朗なる道義的新世界が生れんとしつつある相貌である。

全く右進左退の世界が左進右退の世界に転換せんとする姿でなくて何であろう。」 (「明日の医術 第3編」より)




明主様御教え 「夜昼転換」 (昭和22年2月5日発行)

「私は約二十数年間にわたって治療した患者は無慮数万人に上ったであろう。

その体験から得た結論は一言にしていえば「病気の原因は薬剤である」という事である。

あらゆる病患の原因を探求すればする程、ことごとく薬剤ならざるはないのである。

もし人類がこれに目覚めない限り、いつかは滅亡に至るべき事は一点の疑う余地はない。

かくのごとく恐るべき薬剤を救世主のごとく信頼し、随喜し、しらずしらずの間に弱体化し、生命を短縮させるというのであるから「愚かなる者よ汝の名は文化人なり」と言うもあえて過言ではあるまい。

戦争も飢餓も、薬剤に比ぶれは物の数ではない。

かくいう私の言葉は余りに極端であるかも知れない。

しかし私はそうはおもわない。

ただ私がはっきり知った事実ありのまま、いささかの誇張もなくのべたまでである。

そうして私が最も不思議に思う事は世界において最高度の文明国といわれる国がこの事にいまだ気の付かない事である。

原子爆弾の原理は発見し得ても医学の誤謬は発見し得られない事である。

戦争犯罪者とは誤れる国家主義によって他国を侵略し他民族を殺戮したところの許すべからざる徒輩である事はいうまでもないが、

彼等の罪悪はある一定期間だけであって、その野望は遂に打ち砕かれるに到る事は吾々が現に今みつつあるところである。

しかるに医学のそれは数千年前からの持続的罪悪であるが、その事に気付かないばかりかかえって医学とは聖なる職業であり仁術でさえありと思惟する観念に重大性がある。

またこうも言えると思う。

それは人知の発達程度が医学の誤謬を発見するまでには至っていない事である。

しかしながらこれには理由がある。それは次に説く事によって読者は諒解するであろう。


霊界と現界との関係については前項に説いたごとく、現界のあらゆる事象は霊界の移写であるとして、ここに霊界においては、最近に至って一大転換の起こりつつある事で、それを知る事によってのみすべては判明するのである。

本来天地間あらゆる森羅万象は、さきに説いたごとく、霊界と現界との両面の活動によって生成し化育し、破壊し創造しつつ、限りなき発展を遂げつつあるのであるが、

これを大観すれば無限大なる宇宙であると共に、無限微の集合体である所の物質界でもある。

それが極まりなき転変によって、停止する所なき文化の進歩発展がある。

そうして心を潜めこれを静かにかんがうる時、宇宙意志すなわち神の目的とその意図を感知しない訳にはゆかないであろう。

そうして一切に陰陽明暗あり、夜昼の区別がある。

また春夏秋冬の変化や万有の盛衰を見る時、人生にもよく当てはまるのである。

また総てにわたって大中小の差別あり、これを時に当てはめる時、すなわち一日に昼夜の別あるごとく、実は一年にも十年にも百年、千年、万年にも昼夜の別があるのである。

しかしながらこれは霊界での事象で、現界においては一日の昼夜のみ知り得るに過ぎないのである。

この理によって、今や霊界においては何千年目か何万年目かに当然来たるべき、昼夜の切り替え時が来たのである。

これは重要時であって、この事を知らない限り本医術の原理は分かり得ないのである。

と共にこれを知る事によって、本医術はもとより世界の将来をも見通す事が可能となり、ここに安心立命を得らるるのである。

しからば、霊界におけるこの何千年目かの昼夜の切り換えが現界にいかに反映しつつあるかを説示してみよう。


右の意味によって、霊界における世界は今日まで夜であった。

夜の世界は現界と同様暗くして、定期的に月光を見るのみである。

もちろん水素が多く、月が光を隠せば昼光のみとなりそれが曇れば真の暗黒となる。

これが移写せる現界の事象にみても明らかである。

すなわち今日までの世界、国々の治乱興亡の跡や、戦争と平和の交互に続く様相等は、ちょうど月が盈(み)ちては虧(か)けるごとくである。

しかるに天運循環して今まさに昼に転換せんとし、ちょうどその黎明期に相応するのである。

そうして、霊界における夜昼転換の結果として、人類が未だ経験せざる驚くべく、おそるべく、喜ぶべき一大変化が起こる事である。

しかもその端緒はすでに表れ始めている。まずそれを説明してみよう。


私がいう昼の世界とは、現界のそれと同じく、まず東天に日輪の光芒が現われるのである。

みよ、地球の極東日本ーすなわち日の本における一大変革である。

この国は今や夜の文化すなわち既成文化崩壊が開始されたのである。

見よ重要文化都市の崩壊、産業経済の致命的状態をおもなるものとし、人的には特権や指導階級の全般的没落等々は全くそれがためである。

そうして次に来たるもの・・・それは昼の文化の建設であるが、これらも既に表れかけている。

みよ、日本における徹底的武装解除に次いで民主主義の台頭である。

この二つの現実は、日本においては建国二千六百年以来洵(まこと)に空前にして予想すら出来得なかったところのものであるがまた世界永遠の平和確立への第一歩でもあろう。

本来夜の世界とは闘争、飢餓、病苦に満ちた暗黒時代であるに反し、昼の世界とは平和、豊穣、健康等の具備せる光明時代である。

現在の日本・・・それはよくその転機の様相を表している。

しかしながら、東天に昇り始めた太陽はやがて天心に到るであろう。

それは何を意味するか、言うまでもなく、全世界における夜の文化の総崩壊であると共に、昼の文化が呱々の声をあげる事である。

それはおよそ予想し得られよう。

何となれば日本が既に小さくその模型をしめしているからである。

しかも、世界の決定的運命は目前に迫りつつある。

恐らく何人といえどもこの框(かまち)から免れる事は出来得ない。

ただ苦難をして最少限度に止め得る方法のみが残されている。

しかしその方法はここに一つある。

すなわち本医術の原理を知って、昼の文化建設の事業に加わる事である。

聖書の一節にいわく「あまねく天国の福音を述べ伝えらるベし、しかる後末期到る」と、これは何を指示しているのであろうか、私は信ずる。

それはこの私の著述が右の使命をまっとうするであろう事を!


私は本医術の原理を説くに当たって世界の運命にまで説き進めて来たが、これは重要事であるからである。

それは本医術の原理発見も、医学の誤謬発見も、その根本は夜昼転換という一点にかかっているからである。

既に説いたごとく、病気の原因は人間霊体の曇りにあり、その曇りを解消する、それが病気治癒の唯一の条件でありとしたら、本医術発見以前の世界にあっては、なぜ発見出来得なかったかという疑問であるが、その理由はこうである。

さきに説いたごとく病気治癒の方法に二つある。

一は毒素を浄化以前に還元する、すなわち固め療法であり、二は右と反対に毒素を溶解し排除する方法である。

既存医学は前者であり、本医術は後者である事も、読者はすでに充分認識されたであろう。


そうして本医術の原理が、人体より放射する一種の不可視的神秘光線でありとしたら、この神秘光線の本質は何であるかというと、それは火素を主とせる一種の人体特有の霊気である。

故に施術の場合、火素の多量を要する訳であるが、昼の世界にむかうに従って、霊界における火素は漸次増量する。

何となれば、火素放射の根源は太陽であるからである。

そうして火素は治病に効果ある以外、今一つの重要事がある。

それは霊界における火素の増量は、人体の浄化作用をより促進せしむるという事である。

すなわち、霊界の変化は直接霊体に影響する。

火素の増量は霊体の曇りに対し、支援的役割ともいうべき浄化力強化となる事である。

従って病気は発生しやすくなると共に既存医療の固め療法の効果が薄弱となりついに不可能となる。

たとえば夜の世界においては、一旦固めた毒素は再発までに数年を要したものが、漸次短縮され、一年となり、半年となり、三月となり、一ケ月となる、というようになり、ついには固める事は不可能とさえなるのである。

これについて最もよき例は彼の種痘である。

これは日本についての実例であるが、数十年前は一回の種痘によって一生免疫されるといわれたものが、

漸次期間が短縮され十年となり五年となり、最近に至ってその効果は非常に薄弱になった事である。

その他種々の病気にしても年々増加の傾向を高めつつある事も、見逃すべからざる事実である。


以上によってみても、漸次夜から昼に転移しつつある事を知るであろう。

全く夜の期間における病気治療の方法としては、溶解よりも固めるほうが有利であった。

それは毒素溶解に要するだけの火素が不足であったからである。

従って次善的方法として固める方法をとるの止むを得なかったのである。

それがついに人類社会に対し、短命、病気、飢餓、戦争等の苦悩の原因となった事は、実におそるべき誤謬であった。


以上のごとく夜昼の転換を認めるとして、その時期はいつ頃であろうか。

私は最後の転換期はここ数年を出でないとおもう。

何となればそれについて好適例がある。

それは私の弟子数万人が病気治療に際し、年一年否一カ月ごとに治病の効果が顕著になりつつある事である。

すなわちさきに三カ月を要した同程度の病気が、一カ月となり、半カ月となり、十日となり三日となるというように、時の進むに従い短縮されつつある事で、これは異口同音にいずれも唱えている。

要するにこれは霊界における火素増量の速度を示していることであり、昼の世界の刻々迫りつつある事を示唆せる証左でなくて何であろう。」 (「天国の福音」より)