浄霊の原理 11 (治療時代)


「療術行為届・施術方法」 (昭和12年8月4日)

指圧療法と按摩術の差異

「本療法を施さんとする際、施術者は自己の精神力(思念力)を絶えず指頭に集注す。

それに依って指頭より一種の放射霊力を生ず。是を一部の学者は人体電気と称す。

此人体電気が病者の患部に浸透するに於て、指技と相俟って鬱血は散じ、血行は促進さるるを以て、苦痛の軽減と爽快感は実験に徴して瞭かなり。

彼の掌療法も同一の原理にして、此技術は熟練するに従い、放射霊の集注は倍々濃度を増すものにして、

之が治病に効果ある事は、近年欧米に於ても発見唱導せらるる事実を観ても明なる処なり。

然るに、按摩術は右の如き精神力は全然応用せず、単に手及び指技の熟練による方法なるを以て、全く本療法と異るものなり。



施術方法

先ズ患者ノ患部ニ向ッテ一指又ハ二、三指ヲ用イチ軽ク触レ、

又ハ極メテ軽ク指頭ニテ繰返シ繰返シ軽圧スル。

時間ハ普通参拾分乃至壱時間トス。

右ノ指技ニヨリ人体電気ノ放射ト相俟ッテ血行ヲ促進セシメ新陳代謝ヲ旺盛ナラシム。

元来患者又ハ弱体者ハ身体孰(いず)レカノ部分ニ必ズ大小濃淡多少ノ鬱血部分アルモノナレバ、

其部ヲ施術スルニ従イ欝血ハ漸次解消ニ向ウヲ以テ、

苦痛ハ軽減シ爽快感ヲ起シ全身的機能ハ活溌トナルベク、

其結果トシテ病患ノ勢力八挫折衰退ニ嚮(むか)イ、

弱体者ハ徐々ニ体質改善サレ行クハ、実験上瞭カナリ。

従而医療ト併用スル場合聊(いささ)カモ危険ナク補助的効果ハ鮮小ナラザルモノト思惟ス。」




「療術行為届 二」 (昭和16年)

療術行為届

本籍地 東京市京橋区京橋一丁目九番地ノ四

現住地 東京市世田谷区玉川上野毛町二三四番地

        岡 田 茂 吉

        明治十六年一月二十二日生

一、業務所在地   東京市世田谷区玉川上野毛町二三四番地

一、療術行為ノ名称 日本式療法

一、施術方法ノ詳細 別紙ノ通リ

一、料  金    別紙説明ノ通リ

一、履 歴 書   別紙ノ通リ


右の通り療術行為致度候ニ付関係書添付 此段及届候也
                右 岡 田 茂 吉
        殿



履歴書

一、明治三十八年 婦人装身具卸業ヲ創業

一、大正八年 株式会社岡田商店ヲ創立シ社長ニ就ク(資本金弐百万円)

翌九年の経済恐慌を動機トシ社業不振トナリ、十二年ノ大震災ニ遇イ大打撃ヲ受ケ会社解散トナル、

是等ニヨッテ実業に興味ヲ失イ、且ツ病弱解決ノ為モアリ宗教ニヨッテ解決セントシ、

各宗教ヲ研究シツツ霊ト病気トノ関係ヲ知リ、ツイニ独特ノ治病法ヲ創成シ、

昭和九年ヨリ十五年廃業マデ療術行為営業ス、

ソノ中間一回禁止命令ヲ受ケ一年有余ニシテ解禁ニ浴ス

一、賞罰 無シ

一、兵役 無シ
 右ノ通リ相違無之候也



施術方法

まず、被術者の患部に向って手指又は掌を触れぬ程度に当て振動の形式をなす。

しかして病患に対する解釈は次のごとし。

元来、病患とは人体不断の浄化作用によってそれぞれの局所へ毒素集溜固結する。

その毒結に対し溶解排除作用が起こる。

その為の発熱、不快感、痛苦等をいうのである。

従って、右毒結の溶解と排除作用を促進するを以て、治病の要諦となすのである。

人体は物質のみに非ず霊があり、霊と体との密合によって生命があるのであるが故に、肉体に毒素のある場合、霊体にもそのままの曇があるものである。

故に、その曇を解消するや、霊主体従の法則によって、肉体の毒素は解消又は軽減排除するのである。

右の理によって霊体の曇を解消する方法こそ治病の根本であらねばならない。

しかるに、人間は生まれながらに一種の霊光又は霊波ともいうべきものを保有されいるので、右の霊波を手指に集注し放射せしむるのである。

この方法によって熟練するに従い、驚くべき治病力を発揮するので、体験者のほとんどが異口同音に称讃するところであり、拙者門弟等の門前市を成す実情によってみても明かである。

名称を日本式療法と付した理由は、西洋医学においては、肉体のみを対象として進歩発達したるに反し、

本療法においては、前述のごとく霊体を対象とする。

即ち前者は唯物的療法であるに対し、後者は唯心的療法であり、

且つ日本において日本人によって創成されたるを以て、右の名称を適当と思惟したるによる。



料金に就て

拙者老齢の為、多数者の治療は困難であるが、今日の重大時局における国民の一員として、今後の余生を国家の御役に立たせたく、皇恩の万分の一にも酬い奉らんと期する次第である。

従って、右の趣旨によって、皇族、陸海軍高級武官、国家の重臣等の方々において、御召し又は懇請の場合、拙者事情の許す限り御治療申上げる所存にこれあり、料金申受くる意志なきと共に、

拙者幸いにも生活上の不安はいささかもこれなき実情なれば、料金決定の必要なしと存ずる次第である。」