龍神の祀り方について 1 (龍神のお宮)


明主様御教え 「龍神の憑依」 (昭和24年12月30日発行)

「ある六歳になる女児、全然歩行が出来ない。片一方の手をつきながら、イザって歩くのである。

脚をみれば全然力がなく、軟骨のようでニョロニョロしている。私は龍神の憑依と思ったので、脚を主に治療したところ、

半年くらいで全く治癒したので、その龍神を庭へ小さな池を掘り、宮を建てて祀ってやった。

それから数日後、右の女児は名をミエ子といい、その年のカレンダーは辰年で、龍の絵がかいてあったので、

それをみてミエ子ちゃんは指さしながら、このこわいものはお祭りの時、三枝ちゃんの手から抜け出たという事を、子供ながらに手真似などして親に語ったので、

親も先生の仰有(おっしゃ)った通り脚の悪かったのは、全く龍神の憑依であったといって、感謝と共に語ったのである。

右の外、まだ数え切れない程種々の実例があるが、顕著なものは、今までの私の著書に大抵は載せてあるから略す事にする。

長い治療期間であったから、忘れた方が多いくらいである。

そんな訳でよく人が先生の病気治療はどなたから学んだのであるかと訊かれる毎に、私は、こう答える。

私の先生は患者である。患者に聞き、患者から教わる。

それで段々病気の原因など識るようになったのだから、私の師は患者であるというのが本当である、といったものである。」




明主様御教え 「龍神界」より (昭和18年10月23日発行)

龍神のお宮の作り方

「(一部のみ引用) 龍神を祭る場合、位置は勿論庭園又は空地の清浄なる所を選び、

二、三尺位の高さに石を積み上げるのがよく、

その上に桧木造り又は石造りの宮を安置し、その中に御神体を鎮祭するのである。

そうして最も肝要なる事は、龍神は水が無くては居られないものであるから、

社の前へ必ず池を作らなくてはならない。

大きさは宮に相応すればいいのである。

祭典は月に一回、日を定めて行えばよく、其際は必ず生米と水を上げなければならない。

其他は生魚、野菜、乾物等を添えればいいのである。

又、社の体裁はその家相応の立派さに作るべきである。」




明主様御垂示 「龍神のお宮の作り方」 (昭和26年11月25日発行)

信者の質問
「謹みてお伺い申し上げます。

私の家は昔庄屋と称え、そうとう古くから屋敷内に柿の大木がありまして、

大人四人にて抱くくらい、幹太く、背丈も高く、一里半くらい遠くから見える大木で、

その中間くらいの高い所に、六寸ないし七寸くらいの洞穴があり、

その中に水の絶ゆることなく、いかに旱魃(かんばつ)厳しくとも水があり、

常に一尺くらいの蛇が二匹棲み、

ある神懸りの人が通り合わしたとき「オー、大きな蛇だ」と言ったこともあります。

言い伝えには「屋敷の地主」だと言っておりました。


いまから三十五年ほど前に、この柿の木を岐阜から買い手が来て、いよいよ木を伐ることになりました。

ちょうど二月ごろでしたが、伐ろうとすれば吹雪となり、三日間はどうしても伐れなかったのですが、

無理やりに伐り倒したそうでございます。

この木を切ってから後、二番目の兄は頭が狂い、

病院に入ってからも暴れるので、手足を縛っておいたりしましたが、トウトウ狂い死にしました。

三番目の兄も頭が悪くなり、ある日二階から転落し、頭が割れて死にました。

最後に長兄は頭が狂いかけたとき、日蓮宗を信仰しました。

そのとき、「これは地主の祟りだから祀らねばいかぬ」と言われましたが、

真宗の信仰に熱心な母はどうしても承知せず、

やむなく大阪在住の私の姉が、遠く大阪より祈念し、拝んでおりましたところ、一カ月ほどで治りました(その兄も五年前、脳溢血で死亡いたしました)。

柿の木を買い取った材木屋もだんだん家業は思わしくなく、落ちぶれたそうです。

大阪の姉は大和三輪明神の信者であり、私も信仰しておりました。

「元柿の木にいた『地主』を祀らなければならん」と三輪講(みわこう)の行者(I先生)を連行し、

私宅にて、昭和十七年三月十五日に祀り込み、御霊鎮めの式をいたし、

爾来、毎日家内中(私と子供三人)拝んでおりました。


その後、昭和二十年の一月か二月でした。

I先生とM先生が私の家においでになりました。

これがこの山奥の町に来られた最初でございます。

そうして尊き恵みにより昭和二十年三月入信、

昭和二十四年四月光明如来様、屏風観音様御奉斎、

昭和二十四年十月二十日大光明如来様御奉斎、

入信以来不肖な私ですが、幾十人かのお導きをさせていただき、

もっか教師の資格さえも付与され、実にもったいないことと存じております。


大阪の姉夫婦も入信しており、本年五月七日、光明如来様を御奉斎させていただきました。

姉夫婦も始め入信しておりましても、三輪様の信仰のほうが熱心でしたが、

昨年秋よりだんだん本教に熱心となり、今日までに十五人ほどお導きさせていただきました。

前に三輪講の行者により地主の神を祀りし宮(大光明如来様の次の部屋)も毎月十五日教会の先生に来ていただき、天津祝詞を奏上、お祭りしておりましたが、

その当時、上の先生から「大神様をお祀りしてあるのだから、祀らなくとも良い」と伺いましたので、

昨年十月二十八日に良く御挨拶をしお祭りして宮じまいし、当地の氏神様にお預けしました。


しかし私も地主ということで、なんだか心残りがあり、大阪の姉は凄い反対でした。

最近また姉よりふたたび祀るよう催促あり、私宅もこのごろいろいろと事情の浄化(特に屋敷の問題)がありますので、

いまになって考えるにヤハリ祀るべきではなかろうか、と思われてなりません。

ふたたび祀るべきでしょうか、それともそのままにしておくべきでしょうか、御垂示お願いいたします。
 
住居の西南に池を造り、松を植えると良いと伺いましたので、本年七月に池のかわりに甕(かめ)を埋め、松をまわりに植えました。

もし祀るべきでしたら、左記の点につき御教示お願い申し上げます。

一、祀るべき位置、および小さき祠(ほこら)でよいでしょうか。

二、憑依すべき形はなににすべきでしょうか。

三、その後の祭りはいかようにすべきでしょうか。」


明主様御垂示
「これは立派な龍神であって、ぜひ祀らなければいけない。

祀る位置は前を池にして、二尺ないし三尺くらいの高さに、天然石を積み重ね、

その上にお宮(屋根は雨の滲みないよう銅板を張る)を安置し、

御神体は檜、剣尖形に造り、何々明神と書けばよろしい。

大きさはその場所にちょうどいいくらいにする。

向きは光明如来様のほうへ対うようにする。

お祭りは毎月、月並祭の後、光明如来様よりも簡単に、お祭りすればいい。

お供えものは生米、塩、お水、その他魚、野菜、乾物など、見計らって、お献げすればいい。

お名前は、光明如来様にお願いすると、心に浮かぶからそれでよろしい。」




明主様御垂示 「龍神のお宮の作り方」 (昭和24年8月)

信者の質問
「私の家は床の間に龍神、地蔵様、稲荷の三体を並べて祀ってありますが、

このたび、光明如来様をお祀りすることになりましたので、

地蔵様を仏壇に、お稲荷様を戸外に移そうと存じますがよろしゅうございましょうか。」

明主様御垂示
「この地蔵様ってのは石ですか。」


信者の説明
「はあ、石でございます。」

明主様御垂示
「そんなら外へ出さなくちゃいけませんね。

稲荷には二つあってね、ずっと先祖からあるのは、先祖が畜生道へ堕ちていてこの家を守護してるんだから家の中へ祀らなければいけません。

それから中途から祀った伏見だとかなんだとかいうのはね、外へ祀るのが本当です。


龍神は無論外ですね。

そして龍神はいつも水を必要としますから、池を作るとか、小さい甕(かめ)に水を入れておくとかしなければいけません。

これはさっそくやらなければいけないんで、床の間に祀ってあるんなら丼に水を入れてね、床の間に置いておきなさい、すぐにね。・・・

龍神ってのは体がとても熱するんです。

一日に三回は水に入らないと熱くて苦しいんですよ。

だから、小指くらいの太さの蛇だって、大きな蛙を呑んでこんなに腹のふくれることがあるでしょ。

あんな大きなのでも溶けるんですからね、それだけの熱があるんですよ。


龍神を祀る場所はね、庭とか空地とかへ二、三尺の高さの石の台をして、その上にお宮をおいて、

その中へ白木の剣みたいな格好をしたもの・・・これは仏具屋で作ってくれますよ・・・

それへ龍神の名前を書き、その名前はそこの家の苗字か、あるいは土地の名前から一字取ればいいですからね。

また以前から名前があればそれでいいんですが、そういうふうにして「何々明神」と書くんですよ。

それから、そのお宮の向きは、その家に、光明如来様をお祀りしてあるときには、光明如来様のほうへ向けるようにするといいんです。

観音様もそういうふうにして祀るといいですね。
 
それからお地蔵様を祀る場合は人の歩くきわがいいですね。

庭でも道があればその道の傍らに石を置いてね。

石は天然石でいいですから、その上にお地蔵様を安置したらいいんですよ。」




明主様御垂示 「踏むと病気にする石 (龍神の位と向上)」 (昭和25年1月12日)

信者の質問
「KM(男性・四九歳)と申し、新しい信者で御座います。

その家の裏手に池がありましたが、現在は埋めてしまって御座いません。

その畔になった石が今でも残っております。

その石は他家の者が股いだり触ったりすれば不思議に大熱が出て医者では治らず、御祓いをすればケロリと治るそうで御座います。

なお十年前にこの信者の父が祟りのある石は他人に迷惑とて他所に捨てましたら、その人は非常な腹痛を起したそうで御座います。

それで石を持ち帰って元の位置に戻しましたらその腹痛は治りました。

何も知らぬ人には今でも迷惑を掛けるから、その場所は通行禁止にしているそうで御座います。

この石はいかなもので御座いましょうか。またいかに致しましたらよろしいものでございましょうか。御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「踏まれる事をイヤがるのである。それで踏まれぬように苦痛を与える。

というのは人間に踏まれると龍神の位が下る。

また修行中に人間に踏まれると向上が遅れる。

本当いうと小さいお宮へ安置し、小さい池のようなものを作り、時々祝詞を奏げると向上が早くなり、非常に喜ぶ。」




明主様御垂示 「龍神のお宮への移し変え」

信者の質問
「霊的な浄化の場合、その霊を祭ってやった方がよいでしょうか。もし祭るとしたらその方法はいかにすべきでしょうか。」


明主様御垂示
「祀る要のない場合と、祀った方がよい場合とある。

他人の場合でも差支えない。

多いのは狐とか蛇で、これはお宮を作り外へ祀る。

稲荷を家へ祀るとその人は必ず不仕合せになる。

狐は家へ住んでいるものでない。

家へ祀ると霊界では地面になる。

そして人間は地面の下になる。

即ち地獄になるから必ず碌な事はない。

動物を祀ると動物以下になる。

向きは光明如来様に向ける。すると御光に始終照される。

人間が座敷に座るより高くてはいけない。

風が吹くと倒れるから、石を宮の通りにクリ抜いて入れておく。

名前をつけなくてはいけない。白木の戒名のような恰好にする。○○明神とかく。その家の名でもよい。

稲荷なら○○稲荷大明神とする。土地の名でよい。


龍神の場合は○○明神とする。○○大明神か。日を決めて祀る。

人間に憑いてる霊と、ちょいちょい憑いてるのとあるが「お宮へ祀り込むから」と言ってやってもよい。

鎮魂形式でもよい。右の拇指を左の拇指で制える。

龍神の場合は、生米や塩、水、また生魚も好きである。その他野菜、果実等自由である。

狐は、お米や水は要らない。強飯とか油揚、天ぷら等が好きである。

光明如来様のお祭りがすんで後でいい。外のない場合は床の間でいい。

床の間の脇の方へ台を作る。龍神の場合は池を掘る。水を絶やさぬようにする。丼よりは池を掘った方がよい。


先に女将で、急にブッ倒れ「お前等だけ綺麗な家へ住んでいて、ワシは煤だらけの所へ住んでいる。ホッておくと承知しない」という。

行ってみると奥さんは目をつむって寝ている。

それでよく掃除するよう言った。

私が祀ってやった宮は煤だらけになっている。

石の宮で戸がなかった。

これは祖先の霊である。

龍神が修業がすんで昇天したい場合とすれば、お宮は撤去してよい。」




明主様御垂示 「龍神の移し変え」 (昭和23年6月24日)

「狐はなかなか義理固いものである。祀ってやるととても喜ぶ。外を歩いてる時ちょっと叩頭してやるととても喜ぶ。

龍神を祀ってくれという場合、自分の肉体を通してこの神籬に憑るようと申渡し、鎮魂の姿勢に手を組むと、特に変化はないが、自然に手がその神籬の方へ行くものである。

龍神の小さいのは、手は直ぐに離れるが、大きい長いのになると時間が掛る。

霊が入ると自然に手が離れる。指は右手の指を下にする。

龍神は人差指、狐は拇指から出るものである。

よく憑霊が脱けると助かると思うが、長く憑いた霊が抜けると死ぬ事がある。衰弱している身体などすぐ来る。

また毒血でもある程度身体を支える力となっている。

これを除るとガックリする。」




明主様御垂示 「龍神の祀り方」 (昭和24年7月30日発行)

信者の質問
「私は本月の初めより土地の龍神様にも御守護をお願いする意味で、大光明如来様の横手の本箱の上にお祭りして、大光明如来様を朝夕礼拝するとき、後で善言讃詞を奏げておりますが、これでよいでしょうか。」


明主様御垂示
「いけない。どちらにしろ、龍神に如来様と同じように善言讃詞奏げるのは扱いがよすぎる。

元来龍神は人間より下位のものであるから床の間へ祭るのはうそで、庭へ祭るべきである。

野外平らな所で人間が室内で座っている高さより高く祀ってはいけない。

祀る位置は光明如来様に向かい合うように祀る。」




明主様御垂示 「地龍のお宮」 (昭和24年7月5日)

信者の質問
「去年家内中御光を頂き光明如来様も御祭りして布教に熱心な家ですが、

長男二十五才は二年前から痔瘻から結核となり、医者に見離されていましたが、本年五月楽に死にました。

死ぬ前日の晩、叔母が仏壇の前で善言讃詞を奏げている中に叔母に霊が憑り、

「己はここの地主だ。断りなしに己の土地に家を建て、先祖にばかり供養して己には飯も水も供えない、謝らなければ子供を皆殺してやる」と言いますので、

謝ってそれ以来仏壇に御飯と水を供えています。

なおこの土地は銀行から借りたので地主の事は全然知らないとの事です。今後いかにしたら宜敷いでしょうか。御教示下さい。」


明主様御垂示
「地龍・・・土地に住んでる龍で、良く地の神様という。

殺した人に怨みを報ゆるのでなく、彼等は住む人に怨みをかける。

そういう所へ住むのもその人に曇りがあるからで、相応の理である。

罪穢があるのである。

よく謝り庭か何かにお宮を作ってやる。石で二尺積んで石の宮にし、土地の名がよい。

生米が好きであるから忘れずに上げる。」




明主様御垂示 「引っ越しは龍神の社もいっしょにすべき」 (昭和27年5月25日発行)

信者の質問
「謹んでお伺い申し上げます。

昭和二十一年一月十八日、初めて明主様より御浄霊をいただきました節、

私儀には「傍系にあたる先祖で胃癌で死んだ祖霊が憑依しておる」とのお言葉をいただきましたが、

そのお言葉通り間もなく、その霊が出まして「自分は執着のため龍神になっているからぜひ祀ってもらいたい」とのこと、

さっそくお伺いいたしましたところ「三休明神と命名してお祀りせよ」とのことでございまして、御指示の通りにお祀りいたしておりました。

ところがその後父が帰幽いたしました関係で、

山口県萩市の寺院(天台宗にて南明寺と申します。右の祖霊はこの寺の中興の祖と言われている三休和尚の霊でございます)を後任住職に譲ることになりましたので、

現在の住所、島根県出雲市大津町に転居いたしたのでございます。

三休明神のほこらは南明寺にそのまま置いてあるのでございますが、その後、地理的にもまた時間的にも、なかなか南明寺まで行って三休明神の月並祭をすることができかねておりまして、どうもそれが最近気にかかってなりません。

右三休明神は現住所のほうへ、おうつりを願ってお祀りすべきでございましょうか、なにとぞ御教示のほどお願い申し上げます。」


明主様御垂示
「勿論そうしなさい。

それでなくては龍神さんは救われないからで、急いでるから一日も早いほうがよろしい。

現在の仏界では、もはや救われないためである。」