奇象について
明主様御垂示 「祖霊が治らぬという眼病」 (昭和24年8月22日)
信者の質問
「生後七ケ月の女児で御座いますが、生れました時目に白い雲がかかっておりまして、種痘後目がつぶれ、赤い寒天のようなものが出ました。
驚いて医師に見せましたところ、目の玉を抜くより他に方法がないと言われ、御浄霊を御願いに参りました。
御浄霊一週間で赤い寒天様のものは出なくなり、白い雲は薄くなりました。
その後十五日になりますが別段変化御座いません。
先日祖霊が憑りまして「この子の目は治らない」と申したそうで御座いますが、果して治らないもので御座いましょうか。御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「祖霊などには判らぬ病気がある。
あるいは他の霊が祖霊の声色を使ったのかもしれない。
あまりそういうものに頼るのはよくない。
種痘の種が目へ行ったものであろう。
気長にすれば治ろう。」
明主様御垂示 「祖霊が危険を予知した事例」 (昭和26年4月25日発行)
信者の質問
「一、先にお蔭話にて御報告申し上げました
TT(一三歳)は格別の御守護をいただき、御写真御文字、または御浄霊の霊光を見させていただき、
人により放射力の濃淡および長短を見させていただいております。
また大光明如来様より放射するお光が室内に充満し、室外にもあふれておると申します。
またこのたびは、朝の御参拝の折、心臓に快い律動を感じ、例えば今日学校で危険なことがあるから、気をつけるようにとか聞こえるごとく、感ずるそうでありますが、
はたしてこのようなことがあるものでしょうか。右お伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「無論、そういうことはよくあるもので、これは祖霊の中で救われた者が、感謝報恩のため、御神業のお手伝いをするのであるから、結構である。」
明主様御垂示 「病人に御讃歌の霊感」 (昭和24年7月29日)
信者の質問
「御浄化を戴いている人を浄霊致し、病人の頭へ祝詞を奏上させて戴いておりますと、御讃歌を病人の胸に奉唱すればよいと云う霊感が私に感ぜられます。
よって同一の御讃歌を病人の胸に三回奉唱致しますと、病気に原因の霊が私に見えて参りますと共にその霊の要求が解ります。
その霊の要求通りに致しますと浄化が速かにおさまりますが、右に関して御教示を御願い致します。」
明主様御垂示
「大いに結構である。守護神が手伝うのである。
御讃歌は非常に喜ぶ。」
明主様御垂示 「光の玉舞い人に打つかる」 (昭和24年9月12日)
信者の質問
「ある未入信の方で御座いますが、最近直径八寸程の丸い光の玉がどこからともなく家の中に侵入して、
御光を頂いている方にぶつかると煙のようになって消えてしまうと申します。
極最近はその玉が蚊帳の上にて舞い廻っているとの事で御座います。
この丸い玉はいかなるもので御座いましょうか。御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「祖先が喜んでるのを見せたいのである。龍神に言いつけてする。(眷族)」
明主様御垂示 「患家への帰着に異音を聞く」
信者の質問
「私の妹の主人が肺病で寝ていますので、私が行って観音様の有難いことを話してやりましたが判りません。
私が帰る時表に出ると、後ろの方で竹を割るような音がし、自分の家へ着くとまた前の音と同じような音が致しました。何かのお知らせでしょうか。」
明主様御垂示
「大した事ない。先方の祖先で、守護している霊で、送り迎えする訳である。」
明主様御垂示 「浄霊の最中に額から白衣の祖霊が出た事例」 (昭和24年10月23日)
信者の質問
「光明如来と御屏風をお祭りしたその翌日、信徒が御浄霊を受けている折、額より抜け出た霊あり。
白衣の姿と覚ゆ。また、その翌日同様にして牛三頭目に映ず。これは祖霊でしょうか。」
明主様御垂示
「白衣・・・これは祖霊である。牛は祖霊とは限らぬ。
ただその人とかあるいは祖先に関係はあるものに違いない。(その仲間であろう)
光を放射されるようなもので、苦しくて出るのと、安心して出る場合がある。
それで子孫を思って憑いており、光明如来様を祭ると子孫が栄える見極めがついた安心で出たのであろう。」
明主様御垂示 「御神体奉斎家屋の上に火の玉が出現した事例」 (昭和24年11月25日)
信者の質問
「私はただ今大光明如来様を奉斎し、教導所として御用に邁進致しておりますが
「今月二十日十八時頃、自宅屋上より直径二寸位の丸い真赤な火の玉が一メートル程横に飛び出て、床の間の屋根の上に落ちました」のを隣家の人が直視したと申しておりますが、
観音様とあるいは霊的に何か関係がありましょうか。御教示下さい。」
明主様御垂示
「関係ある。霊である。
真赤な火の玉であるから、生霊の場合もあるが、
観音様に憧れて遠くから来たもので、一たん止ってまた移動したので、
祖霊の中で神格を得た人といったのは火の玉になって移動する。
であるから祖霊の古いものである。
観音様にお願いがあるとか、大光明如来様にお遇いしたいとかいう意味で、許されて来たものである。」
明主様御垂示 「仏前で両手吸い着く」 (昭和24年10月26日)
信者の質問
「私は昨年十二月に入信させて頂いております。それより仏様の前に座して手を合わすと、電気に掛ったように両手が吸い着くようになります。どうした意味でしょうか。」
明主様御垂示
「憑ってる霊が有難いので掌を合わす。
それで吸着くような感じがする。
仏に祀られた霊で、仏の誰かに世話になった霊で、入信した者に憑るといい値打がある訳である。
家来などの時、人間に憑ってやる場合が多い。」
明主様御垂示 「仏壇へ蝶出づ (三弥子様御生れの時)」
信者の質問
「仏壇へお灯明を上げた時、時節でないのによく蝶が出る事がありますが、霊的に意味がありましょうか。」
明主様御垂示
「蝶にはよく若い女の霊が憑依する。
霊界で喜んでる女の霊が憑依してお詣りに来るんだろうと思う。
大先生は、三弥子様がお生れになる前、大きな蝶が来てガラスへ止った事があり、今度生れるのは女だと思ったら、果して女の御子様が生れられた。」
明主様御垂示 「安置の観音像消失す」 (昭和24年6月18日)
信者の質問
「私の家には昭和二十二年六月、知人より一寸八分の木彫り箱入の観音像を頂き、そのまま仏壇に安置してありましたが、
八月に至りて、箱中より取り出さんとして見ましたところ、不思議にも紛失して、御姿はなく箱のみとなり、今に至るも判りません。
仏壇には先祖より伝わる木彫り阿弥陀像(千年以上も経過)があります。
観音像のなくなった年の十一月に私は入信しましたが、何かの御知らせでありましょうか。」
明主様御垂示
「仏壇に安置したのであるから無くなる事はない。
何か訳があろうが、今は判らぬ。いずれ判る事がある。
絶対ないとはいえぬが、滅多にはない。
泥棒にとられる訳もない。
何か霊界の方で入用があった。何か祖霊に関係がある。
今度地天(地上天国)に寅吉物語を出す。
人間霊化して飛行する。霊の物質化は沢山ある。物質の霊化もある。
いずれは人類も霊化する事も出来よう。今の科学は原始的である。」
明主様御垂示 「カラスが窓をつついた事例 (祖霊)」 (昭和25年1月15日)
信者の質問
「昨年四月頃、私の取扱っている信者の家の付近へ(石川県石川郡松任町)毎日五、六羽の烏が飛んで来て家並に一羽ずつ止り、朝八時頃から九時頃までの間に窓硝子を割るまでつつき、そこを動きません。
戸を開けるとまた次の戸に移りまた割ります。
追ってもまたすぐ来ます。
御浄霊致しますとすぐ逃げますがまた来ます。これが一週間続きました。
これはいかなる理由でありましょうか。御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「祖先で、天狗界へ行っている者で、烏を使って子孫に知らせたのである。
しかし、済んだからもうよい。」
明主様御垂示 「カマド付近にお線香の匂いがした事例」 (昭和26年10月1日)
信者の質問
「ある信者でございますが、昨年の四月三日から、今年は四月四日からいま時分まで、
竃(かまど)の付近とか鶏小屋の付近を通りますと、必ずお線香の匂いがするそうでございますが・・・」
明主様御垂示
「霊界がそうなっている。霊界でお線香を焚いている。
というのは、そこに死人がいる。死霊がいるんです。
よほど鼻が敏感なんですね。」
明主様御垂示 「武士霊の功徳」 (昭和24年10月7日)
信者の質問
「私の町に土岐悪五郎と言う武士の墓があります。握り飯を供えお願いすると「オコリ」が治ると申して、元は相当お詣りがありましたが、
三十年程前にある郡長様が「可哀相に悪五郎様は餓鬼道へ落ちているそうな」と言いましたら「オコリ」が治らなくなりました。
今度は刀劔を供えるようになったらまた「オコリ」が治るようになりました。
これは悪五郎の霊がさせるのか、あるいは狐等の霊の仕業ですか。お伺い致します。
また、ただ今ではお詣りする人は一人もありません。
果してこの古い霊はその墓にいるでしょうか。お伺い申します。」
明主様御垂示
「悪五郎の霊が憑いている。
功徳のためそんな事をしたのである。
霊界で一生懸命やり、ある程度罪が消えたのでよしたのである。
それでそういう事が絶えた。」
明主様御垂示 「汗かく阿弥陀 (転生人霊)」 (昭和24年8月21日)
信者の質問
「宇都宮の一向寺に「汗かき阿弥陀如来」という国宝の仏像が御座いまして、昔からこの仏像は何か凶事異変の前には必ず汗を流すと伝えられております。
付近の人の語るところによりますと、日清、日露戦争、関東大震災、近くは太平洋戦直前にも汗をかき変事を知らせたと申し、今なお参詣人が少くないようで御座いますが、何か訳が御座いましょうか。御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「悪い事をしたり、罪を犯したりする人で、死の時に改心し、世の中の人に尽さなければならぬと決心し、本願を起す。
そういう霊が地蔵や阿弥陀などに憑り、変事を知らすなどし、大勢の人のためになるようする。
人間が動物になって、また人霊になったものなどもよくある。(そういう事をする)」
明主様御垂示 「歯痛を治すナマズ」 (昭和24年10月11日)
信者の質問
「ある神社に鯰(なまず)が飼ってあり、鯰を捕えて殺しますと祟ると申します。
その神社に詣りますと歯痛が癒ると評判になっております。
また、ある所では、死んだ蛇を埋けてやると歯痛が起らぬと申し、実際その通りになって喜んでいる方が御座います。
蛇、鯰と歯痛とは何か関係が御座いましょうか。御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「死んだ蛇を見付ける事は不可能であるから、効果があっても仕様がない。
人間が鯰に生れて祀られたものである。官吏か何かであろう。
人助けをするその徳で人間に生れ更ってくるのである。
それで功徳を施す。この鯰は歯を治すのがお得意である。
しかしこういう事は長く続かぬ。
東京、巣鴨の刺抜地蔵のようなものである。」
明主様御垂示 「チャイコフスキーの「悲愴」奏者斃る」 (昭和25年2月11日)
信者の質問
「一月二十九日付夕刊毎日新聞及び朝日新聞に次の記事が御座いました。
「ストックホルム交響楽団が去る二十五日夜、チャイコフスキー氏作交響曲第六番“悲愴”を演奏中、クラリネット奏者が心臓麻痺で急死し、
また英国のロッキンガム楽団はこの曲を演奏するといつも楽団員が急死するから、演奏は厳禁すると発表し、
同団では三年半前に同演奏中にホルン奏者が倒れ、数時間後に死亡している。
ストックホルム楽団は、演奏数時間前にこの曲を演奏したからと言って死ぬ事はないと発表した」と報じております。
何か霊的関係があるもので御座いましょうか。
また毎回死ぬ者は管楽器奏者で御座いますが、何か意味のあるもので御座いましょうか。御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「チャイコフスキーはその曲を嫌がる。
名が「悲愴」であるから霊が嫌う。それでやめさす。
お岩など、劇化する際、お詣りしないとキッと何かあるという。
執着強く、何百年も浮ばれぬのである。」
明主様御垂示 「壁に手の痕跡 (怨念)」 (昭和24年3月4日)
信者の質問
「私の村の某古寺(曹洞宗)の事で御座いますが、明治初年の頃の事と聞いております話に、
当時その寺の住職の世話をしておった老婆が、永の病床についたのに誰も面倒を見てくれないので、
到頭自殺しようと決心、その時「ああくやしい」と右掌をその寝室の戸板にピタリとつけたとか。
ところがその痕跡が歴然とつき、どうしても消えないで、現在ではその寺の名物になっております。
それは私も何回も見ました。これは霊的にいかなる訳があるもので御座いましょうか。」
明主様御垂示
「執念である。手なら掌から出て印象される。
全く怨みの想念は恐ろしい。そのために霊も行く所へ行けない。
京都の血天井のごときもそれである。普通の血液と違う。
口惜しいなどいう想念は悪に属し、悪霊となるので、霊の毒素のようになっている。
だから人から怨まれる事はいけない。
感謝を受けるようでなくてはいけない。
負けるは勝つというのはそれで、くやしいくやしいの想念は塊ってくる。
負けた方はそういう障りがないから反って運がよい。恐怖もない。
徳川家康などは負けて逃げたから天下をとり、長く続いた。
秀吉などは勝ったから、怨みの想念があるから、没落が早かった。」
体験談 霊は確にある (地上天国 5号 昭和24年6月25日発行)
日本観音教木ノ花会 掛川第二教導所 SH子(32)
「私はこの教団に入れて頂きまして四、五年になります。
この間感激する事、奇蹟思いがけない事など数知れずありますが、ここに霊はあるという私の体験を述べて一人でも多くの方々にお知らせ致したいと存じます。
私の父親の実家の村に伯父が村会議員をして村のために働かせて頂いております。
この村の小学校の運動場に忠魂碑があり、あの思出す戦争時代に村から御国のためと喜び征き幾多犠牲となられた方の霊を、この忠魂碑に名前をかき入れてお祭りしておりました。
終戦後この忠魂碑をある上の命により建てておくことが出来なくなり、横倒しにして忠魂碑と大きく彫り込んである字の中に、学校の子供達や役場の人達や村の人達で泥を塗り込んですっかり字の見えぬようにして放置しておいたのです。
伯父は大変これを苦にしていたそうで色々と相談をして伯父が全部の責任を持ち、学校の上に村のお寺がありますのでお庭の一部を借りて、新らたに村の忠魂碑として永久にまつる事になりまして、
三月二十一日に学校の生徒から村の役員の人達で、前に塗りつぶしてある泥を洗い落して忠魂碑に縄を掛けて子供達が元気な声で力一杯引きました。
やっとのことで建った忠魂碑から縄を取りきれいに廻石の泥を取っていました。
その時忠魂碑が一面に汗をかくのです。
廻りにいる人達もあまりの不思議な出来事に「アラアラ」と言うなり見ておりますと、その汗がポタポタとたれるのです。
ほんとうにこれをみました時は驚きもしましたが、たとえ石ではありますが霊が石へも通じて嬉しさの余り汗となり、私共へ喜びを知らせてくれたのでしょうと忠魂碑から何時までも流れ出ている汗をみまして、霊はある事をはっきり知らせて頂きました。
今はお寺の庭に立派に昔の通りの神様は八人おられる。
八人の神様は雲の上に座っておられ、その奥にお観音様がおられます。
そうお光はとても強い御光で何んとも言われない光でありました。
本当に有難いと思い我にかえりました。」