死直後の救いについて
明主様御垂示 「遺体の固い原因は罪の多さ」 (昭和25年3月20日発行)
信者の質問
「御浄霊により死亡した場合には死後硬直せず、死体が軟らかく温か味があるとお聞きいたしておりますが、
まれには死亡後硬直する者があるのは、いかなる意味でしょうか。」
明主様御垂示
「霊の罪が多いからである。
また浄霊者の力が足らず、曇りがとりきれなかったためである。
祝詞や御讃歌をいくども奏げて除ると、たいていは柔らかくなる。」
明主様御垂示 「遺体に対する浄霊について」 (昭和24年8月23日)
信者の質問
「昨年五月入信した教導師の人、肺結核にて死亡いたしましたが、死後死体が硬直し納棺の際困りました。
いままでは御浄霊するとだれでも柔らかくなっていましたのに、今度初めて柔らかくならない場合を経験いたしました。この原因はなんでしょうか。」
明主様御垂示
「珍しいですね。
浄霊すれば必ず柔らかくなるものですがね。
これはよほどのわけがあるんですね。
よほど大きな罪か、あるいはよほど強い薬が固まっているか、そのどっちかですね。
こんなときはやはり頭をよく浄霊するんですが、こういうのは万人に一人くらいでしょうね。
もう、一回やっただけでも、ずっと楽になるもんですがね。」
体験談 医学の頼りなさ霊界にて救われた主人 (栄光213号 昭和28年6月17日)
神照中教会 SK子(40)
「明主様、謹みて御礼御報告させて戴きます。昭和二十五年十月入信以来、数々の御守護戴きまして、日々感謝で明け暮れさせて戴いております。
特に私の主人の病気に関しましては、如実に医学、薬毒の恐ろしさを教えられましたと共に、益々救世教の尊さを深く感じさせて頂きました。
主人は若い頃から胃が悪く、その都度薬びたりの有様でしたが、段々と年を重ねるに連れまして悪化して参り、
遂に薬では胃痛を圧えられぬようになり医者からは胃潰瘍と診断され、あらゆる手当も効無く激痛と食欲不振のため、衰弱を加え約二カ年間就床の上苦しみ通しましたが、入院手術の結果数時間後に帰幽致しました。
しかも二年間、胃潰瘍の痛みとのみ思い込んでおりましたが、入院後手術の前に医者は「胃が潰れて急性腹膜炎を起しているから、手術をしても三分位より見込は無いが、手術より方法はない」と申しましたので
本人並びに親戚の同意で手術致しましたところ、慢性盲腸炎と判明、胃の方はつぶれているどころか、何んともなかったのでした。
切開して痛みの原因が判った約二時間後に苦悶の内に他界した訳ですが、その面貌はあたかも医学への憤激を感ぜずにはおれぬ程の苦しみ悶えた恐ろしい程の何んとも言えぬ面相でした。
それから数時間後死体を自宅に運び安置致しまして、ひたすら私達の不徳を御詫び致しまして死体に御浄霊させて頂きましたところ、
全身硬直のため、合掌の両手を包帯で縛っておりましたのですが十分余りの御浄霊で全身の硬直も柔かくなり、包帯もはずして楽々と合掌させて頂け、
しかもいつの間にか面貌の恐ろしいようなのが霊魂の安らかに救われたのを物語るかのように、優しい面相に変えて頂けまして
死後の体にまざまざと御神力の有難さを見せて頂きまして、
居合わせた未入信の親戚知人もびっくりする有様で、
私もかねて聞いておりましたものの、余りの有難さに思わず御慈悲に感涙致しました。
恐らく科学では説明のつかぬ奇蹟であって、神様の御力と御慈悲でなくて何でありましょう。
その後御屏風観音様に御願い致しまして「もし主人の霊界での働きを見せて頂けますようでしたら、御知らせ下さい」と御念じさせて頂きましたところ、
早速その晩夢で見せて頂きましたが、生前とうって変って元気で建設の模型を造る働きをしている姿で、大変安心致しております。
申訳ないことですが、入信させて頂いておりながら主人の無理解のため、尊い御道に御すがりもしなかった私達の御無礼の点深く御詫び申し上げます。
この度御守護によりまして光明如来様を御奉斎させて頂き、今度の主人の死によりまして、医学の恐ろしさをイヤという程知らさせて頂きました。
この上は主人同様医学の犠牲になりつつある世の人々に一刻も早く御道のことを御知らせすべく、今後益々御神業に励まして頂く決心で御座います。
到らぬ者では御座いますが、何卒今後共御守護御願い申し上げます。明主様、有難う御座いました。」
体験談 観音様の御慈悲に感激す (地上天国 10号 昭和24年11月20日発行)
日本観音教天国会実生分会教師補 TI(40・男性)
「昭和二十四年三月十八目、(地名省略)KS様の子供(五才)さんが五日程前からハシカにかかり、
お医者様の手当を受けておられたのが非常に重体になって来られたので、お観音様だけにまかし切れず、日頃聞いていた観音様の御浄霊を受けたいと、大山村東何地の、IK様宅に救いを求めて来られました。
丁度私は、その日、IK様宅に出張いたしておりましたので、午後十一時頃、I様と共に浄霊に行かして戴きました。
御家族達はよくよく御心配であったと見え、私が着いた時に、お医者様も呼ばれて来ておられました。
私が座敷に上ると診察しておられたお医者様が私の顔を見て、「どうぞ拝んで上げて下さい」といわれます。
私は変に思ったが、「いいえ、先生こそどうぞ診て上げて下さい。私は時間がかかりますから、先生の御処置が済んでからで結構でございます。」と申し上げて、待っておりました。
四本の注射が打たれました。子供さんの苦しみは、丁度、ひきつけの起きた時のようになりました。
お医者様は次の部屋に行って、集っている家族達に、小さい声で何かを話しておられます。五分程して、その子供さんは息をひきとりました。
苦悶の中に目をむいて、惨めな死相です。両親は堪え切れず泣き出しました。お医者様は帰られ、すべては済んで終いました。
せっかく来ましたが、死んで終われたから帰りましょうかと誘われましたが、どうしても、帰りたい気持が起りません。
出過ぎかも知れないと思いましたが、私はこう申して終いました、
「私は宗教家です。死なれたからと言って、このままではお気の毒で帰れません。
こんなに苦しんでの往生は、霊界で地獄へ落ちると聞かされております。
幾分なりと浄霊をして、神様に御縋りして見て上げたいと思います。
そして安らかな霊界の生活をして戴きたいと思います。」と申して、死体に向って、善言讃詞を五六回奉誦し、御浄霊を始めました。
約十五分間程した時、不思議にも、ハーハーと息をしているではありませんか。
両親の喜びと驚きは、たとえようもありません。真剣そのものです。
私も本当だと思えない程、不思議に思いました。
ただ神様の中に生きているような気持で、浄霊をつづけておりました。
その中に、凄い子供さんの死相が、段々と変って来て、安らかに美しく、勿体ない事ですが、観音様のお相のようになって参りました。
息もスースーと、極く静かになって来ました。
両親は頭をつき合せ、耳をそばだてて、子供さんの息に聞き入っています。
約三十分の後、それ程真剣に聞き入っている両親さえ分らぬ程、静かに再び、息を引き取りました。
そんな引取方ですから、両親も泣く事を忘れて終って、ただ呆然と見つめているだけです。
その姿の中には、これで、この子供も救われたと言う安心の心の動きが、歴然と伺われました。
観音様の有難い御慈悲に、ただただ、感涙するのみでございます。
その場で、大先生様、N先生様に、心からお礼を申上げました。
そして帰宅致したのですが、何とも言えぬ良い事をしたような気持で、嬉しくて嬉しくて、なりませんでした。
私自身が、死の寸前から救われたのみか、こんな救いの業まで許されている光栄を思う時、全く夢のようです。
本当に有難い事でございます。ひたすらお道のために尽し、幾分なりと、お報い申上げたい気持で一杯でございます。」
体験談 信仰への道 (子供の死により悟らせらる) (地上天国7号昭和24年8月30日発行)
日本観音教天国会光明分会 HK(60・男性)
「私は昭和二十三年八月に尊き観音力を頂戴させて頂きました者で御座います。
三女のS子(十九才)が八月三日より感冒のため病床につきました。
医師の診断を受けましたところ、疲労であるけれども簡単には治らないとの事、熱は三十九度から四十度二三分位を上下して五ケ所氷で冷しておりましたが、耳も聞えずうわ言ばかりを言うようになり、家中困って絶望致しておりました。
丁度その時お観音様の有難い事を聞きまして大野先生に御浄霊をお願いしましたら「氷は取られた方がよいでしょう」とのお話でしたのでそうさせて頂きましたところ、段々楽になりました。
鬼頭先生が御多忙中にも関らず御遠路をわざわざS子のためにおいで下さいまして、色々と御指導を賜りその上に御浄霊までして頂き誠に有難く光栄の至りで御座いました。
その夜より熱は段々と下りました、三十六度二分までになりました。
S子も非常に喜んで食事も進むようになり耳も聞え頭痛もなく快い感じになり「お観音様有難い有難い」と言い家中余りにも偉大なる御力に感激致しこの有難い観音力を私が頂かせて頂く事になりました。
そしてS子の御浄霊を一心に自分の事を後にしてさせて頂きました。
その後余り暑いので寝冷えしたためでありましょうか熱がまた出ました、
その時屏風観音様を頂きS子に拝ませましたら非常に喜んで両手を合せて「お観音様お観音様」とお参りし「有難とう有難とう」と涙を流して喜びつつ御礼申し上げるのでした。
九月三日の夜の事で御座います。S子が妻に向って、「母ちゃん、あれーあそこに観音様が見えるー、こちらの方にも観音様が見える、まぶしいまぶしい光の玉が光り輝いているお観音様、お観音様」指さして言いました。
今になって考えますに有難くもお観音様のお迎えだったのでございます。
しかし何と言っても一週間余り氷で冷していたのが悪く「もう少し早くお観音様にお縋りすればよかったなあ」と独言を言ってみましたものの何と悲しんだとて私達が悪いのです。
熱が高くなりつつあるので大野先生犬飼先生とに一生懸命やって頂きましたが「お観音様、お観音様」と唱えてその声は段々小さくなって行き眠るが如くに霊界人となりました。
時は九月四日午後十時十五分この服部一家の犠牲になってくれたのです。
死後親戚や近所の方々が見えましたがその人達が「早く曲げて置かないと固くなる」と言われましたので早速御浄霊させて頂きましたらみるみるうちに顔の相がよくなり顔色も頬紅をつけたようになり健康な時よりも綺麗になり丁度勿体ないことでは御座いますがお観音様のお顔の如くになりました。
側にいた人達は吃驚仰天全く無言の有様で御座いました。
御浄霊を終って数珠を手に掛けようと思っても余り柔かくて掛りません、また足もくたくたで御座いました。
枕元に線香が立ててありましたが、燃えた灰が丁度輪のようになって落ち、その円い灰が下に落ちて崩れずに同じ方向に落つべき筈のものが四方に落ち、丁度花のようになりました。
夏であるため「早く処置をせよ」と近所の人が言われますので棺に入れましたが、余り綺麗でありますので蓋をせずに皆様にみて頂こうと思いました。
見に行った人は棺のそばを離れず一ぱいになり異口同音に「今まで沢山死んだ人を見た事があるがS子さん程楽な往生で死後美しく仏様のような御姿になられたのをみる事は初めてです」と感激の余り涙をこぼされるのでした。
火葬して骨が真白に焼け上ったのも初めてで御座います。
ああ有難い有難いと感謝感激目からは涙がとめどもなく流れ出てどうにもしようがありませんでした。
なんとお観音様は有難い神様であらせられるのでございましょう。
私はこの度はっきり教えて戴きました。
今後生命の続く限りお観音様の御目的であらせられる、病貧争絶無の地上天国建設に微力ながら御奉仕させて戴こうと固く固く決心致しました。」
体験談 死人が感涙す (地上天国 4号、昭和24年5月25日発行)
日本観音教天国会光明分会 WK子(38)
「私は主人が永い間結核に罹りあらゆる医者、民間療法、御祈祷、おまじない等あらん限りの手を尽しましたが、
最近では咽喉を犯され不治の刻印を押され絶望いたしておりましたが、
主人が病床にうめき苦しむのをみるに堪えず、何とかして少しでも楽にしてあげたいと思っておりましたところ、
たまたまお観音様の有難いお話を聞き、早速お守をいただきまして夜も寝ずに御浄霊をさせていただきました。
勿論癒して頂こうとは夢にも思いません。
ただ少しでも楽にして頂ければとこの一念でございました。お蔭様にてお力を頂きました。
その夜から今迄七転八倒の苦しみを続けておりました主人もすやすやと安らかな寝息さえたてて寝んでくれました。
ああなんと言う有難い事でございましょう。発病以来こんなに嬉しく有難い事はありませんでした。
でも薬毒の多い主人は私の浄霊を心から感謝しつつ、安らかにお観音様の御守護を感謝しつつ他界をさせていただきました。
お話には伺っておりましたが、死体は生前と少しも変らず手足も軟かく、顔などはむしろ品位を増し崇高く勿体ないようですが、お観音様のお顔のようになって参りました。
私は有難くて両眼は熱い感謝の涙で一杯でございました。
思わず善言讃詞を奉誦させていただきました。
すると何と不思議な事でございましよう。
亡くなったはずの主人の両眼から涙がポロポロと流れ出しました。
ああ主人も共に喜んで下さるかと思うと一入涙がこみあげて来るのをどうする事も出来ませんでした。
親戚や近所の人達は死体をこのままにしておけば硬くなって曲らなくなるからとやかましく申しましたが、私は信ずるところがあって拒絶しました。
二日目に葬式を出しましたが(死後三十時間)体は軟く、まだ命があるのかと思われるくらいで御座いました。
葬式の時は最前列で善言讃詞を奉誦させていただいておりますと、全身から金色の御光が放射され、並いる僧侶初め沢山のお参りの人達の眼にはっきりと映り、皆一同手を合せ頭をたれ、お観音様のこの大変な奇蹟に吃驚せられたそうです。全く奇蹟の連続で御座いました。
お蔭で村の人にもよくこの有難いお観音様の御力もはっきりと分って戴け、こんな有難い事はございません。
今後共一生懸命悩める人をお救いさせて頂き、地上天国建設のため生命の続く限り御奉仕させて頂く事を、固く固くお誓い申上げて御礼の言葉とさせて頂きます。有難度御座いました。」