死後の夫婦関係について


明主様御教え 「我と執着」より (昭和23年9月5日発行)

「(一部のみ引用) 霊界における修行の最大目標は執着をとる事で、執着の除れるに従い地位が向上する事になっている。

それについてこういう事がある。

霊界においては夫婦同棲する事は、普通はほとんどないのである。

それは夫と妻との霊的地位がちがっているからで、夫婦同棲は天国か極楽人とならなければ許されない。

しかしながら、ある程度修行の出来た者は許されるが、それも一時の間である。

その場合、その界の監督神に願って許されるのであるが、許されて夫婦相逢うや、懐かしさのあまり相擁するような事は決して許されない。

いささかの邪念を起こすや、身体が硬直し、自由にならなくなる。

そのくらい執着がいけないのである。

故に霊界の修行によって執着心が除去されるに従って地位は向上し、向上されるに従って夫婦の邂逅も容易になるので、現界と如何に違うかが想像されるであろう。

そうしてさきに述べたごとく、執着の権化は蛇霊となるのであるから恐るべきである。

人霊が蛇霊となる際は、足部から漸次上方へ向かって、相当の年月を経て蛇霊化するもので、

私は以前首が人間で身体が蛇という患者を取り扱った事があるが、これは半蛇霊となったものである。」




明主様御垂示 「霊位と居場所」

信者の質問
「結婚すると霊界は主人の側に属すと申しますが、霊統が違ったり霊位が違っても同じ霊界に入るのでしょうか。

この場合、霊界とは場所の意味でしょうか、位の意味でしょうか。右、御教示御願い申し上げます。」


明主様御垂示
「位の意味である。位により場所が違う。」




明主様御垂示 「親子、夫婦、主従一世」 (昭和24年7月1日)

信者の質問
「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世といわれておりますが、いかなる意味で御座いましょうか。御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「本当からいえば全部一世である。

夫婦、親子でも、霊層界が違えば、アノ世へ行けば別々になる。

しかし同じ位なら、同じような所へ行く。」




明主様御垂示 「夫婦の霊位」 (昭和23年4月8日)

明主様御垂示
「この世で夫婦でも霊界ではたいてい別々な所へ行ってしまうんです。

会いたいとて、ちょっくら会えない。

修行が出来ると神様の許しを受けて会いに行けます。

ある階級の者は夫婦生活ができる。

だから、現界で一生懸命、人助けして修行しておけばできるんです。

死んでから、一緒になると言いますが、心中なんかしたら体がくっついてて離れない。

やがて許されて、別々な所へ行ってしまいます。

この修行とは執着をとることです。

たとえ、神の許しを頂いて会えたところで、キス1つできないです。

キスなんかしようとすれば体が硬直してしまう。

これは執着があるからです。」


信者の質問
「霊界で新しく夫婦になれますか。」


明主様御垂示
「そんな出鱈目はできない。

しかし、想念が一致するほうに近くなることはできる。

それが第三天国以上だと神格ができますから、夫婦生活もできます。

霊界は秩序整然たるものです。

この世の親子だって霊界ではいる場所が違います。

子のほうが親より上の人もいますよ。」




明主様御垂示 「霊界での夫婦邂逅」 (昭和24年10月16日)

信者の質問
「妻と死別し後妻を迎えた者が後日霊界に行きたる場合、霊界人としての三者間の関係はいかになりましょうか。お伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「霊界へ行くと直ちに夫婦生活が始まるごとく考えるが、決してそうではない。

霊的階級が違うから死ねば別々の所へ行く。

そして容易に遇う事は出来ぬ。

両方救われ、第三天国へ行くと初めて遇える。

それまでは、神の許しを得て偶に遇う事が出来る。

後妻か先妻かどっちか早い方が救われる。」




明主様御垂示 「霊界での夫婦の邂逅」

「土地、家相、姓名の善悪等非常にある。誰でも良を望むが、根本は・・・。

ある家に引越すのも偶然でなく、相応の理により、霊状態の良い時には善い所へ行く。

霊層界の八衢以上にある場合、悪い事はない。第一、第二と霊の段階の通りの所へ住む。

結婚もまた、霊層界と極度に違う事はない。

向上すると・・・霊が浄化されると上ってくる。すると前の家では相応せず、良い所へ越す事となる。

霊が変ると、体が引ずられる。

従って、良い所へ行っても、霊が伴わなければすぐ出てゆく事になる。

黙っていても霊さえよければ、良い所へゆく。

夫婦の場合一方が向上し、一方がそのままの場合、どうしても一方が苦しみ、一緒に生活出来ぬか、でなければ霊界へゆく。

霊界はすべて執着をとる所である。

夫婦など愛し合う度の濃い程一緒におれない。

抱擁しようとしても身体が硬直してしまう。

その執着がなくなると一緒におれる。

霊界では、神様のお許しを得て一緒に遇えるが、そうでないとなかなか遇えぬ。

身魂の階級で違ってくる。」




明主様御垂示 「霊界での夫婦の邂逅 地獄の場合」 (昭和26年7月8日)

信者の質問
「夫婦は霊界で、第三天国以上に住せぬと一緒になれぬ、とうけたまわっておりますが、仏壇内の御夫婦の位牌は、どうなるのでしょうか。」


明主様御垂示
「この場合だけ一緒であるが、片方が地獄に落ちていると仏壇までも来られず、お盆のとき顔を合わせることしかでき得ないものもある。」




明主様御垂示 「死別・再婚の夫婦の霊線と霊界の結婚」 (昭和25年2月20日発行)

信者の質問
「結婚後、死亡した霊と生き残っている片方の霊とは、霊界においては、やはり結婚しているのでしょうか。

また、再婚した場合、死んだ者の霊はどのようになるのでしょうか。

その霊はまた他の霊と霊界において、結婚するというようなことになるのでしょうか。

また、霊界のみの結婚ということはあるものでしょうか。

もし、あるとすれば、いかなる形であるのでしょうか。

また、結婚は生まれる前から霊界においてお互いに結びついているものでしょうか、

あるいは、生まれた後に決めるものなのでしょうか。」


明主様の御垂示
「再婚せず、一人でいる場合は、結婚していてもいなくても霊線が繋がっている。

一方が愛し、一方が嫌がっている場合は半分位、

両方嫌っていればごく細く霊線は繋がっており、

両方が愛し合っている場合は夫婦関係、極めて太くなっている。


再婚すると、切れたと同様、細くなる。

再婚する位だから死者に対し、執着はない訳であるから、霊線は切れたも同様であり、新配偶者との太い霊線が出来る。


霊界では八衢(やちまた)以下では結婚できない。

天国ではできる。

非常に愛し合った同士が天国へ行けば、天国で結婚できる。

もちろん、天国で結婚するのも全然 因縁がなくては出来ない、

霊界でも生殖作用が行われるが現界と余程違う。

また、生まれる前から結ばれている場合もあり、一旦切れてから、また結びつく場合もある。」




参考 明主様御垂示 「霊界での親子邂逅」

信者の質問
「父が夭死し、子が老人で往生した場合、霊界において遇った場合、おかしなものになるんじゃないでしょうか。」


明主様御垂示
「西洋の霊界では遇うが、霊界では遇わない。

遇う時は両方の階級が一致する時である。また霊界で育つ場合もある。

西洋の霊媒で自分の腰掛にかけた者があり・・・。

天国へ行くと若くなり、女は十八、九、男は三十位になる。

霊界で年とったり若くなったりするし、そうしないのもある。それはその人の希望による。

男が死んで、霊界へ行って女になったりする。

大抵は男に生まれたり、男が女に生れたりする。

前の世に女に生まれた人は毛はない。

ズーッと男ばかりに生まれるのはない。

同性愛などそうで、一方が男霊、一方が女霊である。」






明主様御垂示 「死んだ配偶者のことは忘れるべき」 (昭和23年)

信者の質問
「一、夫婦死別した場合の霊的関係をお教え下さい。

(イ)、夫が死せる時、(ロ)、妻が死せる時。

二、夫婦死別して残れる一方が再婚した場合に、死せる者との霊的関係をお教え下さい。」


明主様御垂示
「霊的関係はあるともないともいえる。

想い合うのは霊線によって交流するので、一方が死んでからは早く忘れる方がよい。

いつまでも執着するとそれで引張られる。

悲しいとか慕はしいというのは百ケ日位まではよいが、それを過ぎればなるべく忘れる。

一ケ年位経つと全く忘れた方がよい。霊にとってはよい。

再婚の場合、死んで一年以内はいけない。一年経てばいい。霊界の規則としてはよい。

故に霊の障りがあるとしても大した事ない。

霊的関係は執着に因るのであるから、執着を早く除る方がよい。

嫉妬などよくある。最近もある婦人の教導師で、亭主が亡くなった。

そして霊界でヤキモチを焼いている・・・男が助手になっている事を妬いている。

それで男の助手を帰らした事があった。」




明主様御垂示 「亡夫のことは忘れるべき」

信者の質問
「亡くなった夫がしばしば夢に出て私をかばってくれますが、夫の霊は救われてるんでしょうか。実によく夢に出て参ります。」


明主様御垂示
「これは夫の方で妻に対する執着があるので、種々守護したりなどするが、本当はいけないのである。

こちらでも想い、向うでも思い、両方で想うのはよくない。霊は早く行く所へ行かなくてはいけない。

早く現体の方で愛着を絶てば早くいい所へ行く事となる。

死後普通は五十日間その家にいる事になっている。

但し極悪の霊はすぐ地獄へ行くが、極善もすぐ天国へ行く。

仏教は四十九日間、霊はその家にいるという。

八衢で修行する場合、生きてる人も死んだ人も想うのはいけない。それは執着であるからだ。

霊界は執着を除る所である。霊界で向上するという事は、執着の除れるという事である。

故人を夢に見るというのは、どちらかで想っているんで、これは良くない。

霊で、執着除れねばよくない。夫婦で一緒におれるのは天国だけである。

心中の霊などは実に悲惨だ。これも子孫が充分供養すると、それだけ早く楽になる。

夫婦の邂逅も天国では、神の許可を得て日時を決めてお許しがある。両方で接近すると硬直してしまう。

夫婦二世、親子三世などという事は、その時代に権力者に都合のよいように道徳を作ったもので、全然嘘である。

主従三世などといっても霊界へ行くと家来がズッと上の場合もある。

要するに男女、金銭関係などは早く忘れ、執着を除る方がよい。

夫婦でも五十日、百日、一ケ年位思い出す程度でいい。

よく霊が言う事だが、「自分は引張られていていい所へ行けない」と。

つまり、生きてる人が執着で引張っている。

だから出来るだけ忘れた方がよい。」




明主様御垂示 「亡夫の写真の祀りの是非」 (昭和24年10月26日)

遺族の執着が故人の霊界への安住を阻害

信者の質問
「私の義姉は、先般夢で私の亡夫の霊に襲われ、その都度「突込んでいる、突込んでいる」と繰り返して言われ、

「お前が写真を出して祀らないからだ」と言われました。

私は早速亡夫の写真を額にして掲げましたが、このような事があるものでしょうか。

またそうする(写真を掲げる)事はいかがなものでしょうか。」


明主様御垂示
「そうする事はある。

特に写真に憑って拝んでもらいたいというのがある。

写真は死んでから一年位かけぬ方がよく、一ケ年以後かけた方がよい。

執着があるから、かけるのは喜ぶが、あまり執着して行く所へ行けぬのも困る。」