霊界人の御神業について
明主様御垂示 「メシヤ教信者の祖霊は本部・支部に来て活動している」 (昭和28年11月1日)
「メシヤ教の信者の祖先というのは、みんなメシヤ教の本部とか支部に霊が来てますからそれでよいのです。
ここならここがもう天国になっているのだから、そこでみんな非常な活動をして働いているのです。
だから仏教のほうで救われたのと違います。
仏教のほうの極楽の霊というのは、私が前に霊をやっていたときに霊から言われるのは、
極楽というのは、楽は楽だが、働く必要がないからつまらないというのです。
自分は働きたいから、神様のほうの世界に行かしてもらいたいということを幾度も聞きました。
極楽というからして、極く楽は楽なのですが、活動ということはできないのです。
ですから年中歌舞音曲をやり、碁将棋をやってますが、そういうことが好きな人はよいですが、働くことが好きな人は困るのです。
メシヤ教信者の先祖というのはみんな働いてます。
その霊というのは何十万何百万とたいへんなものです。
いずれメシヤ会館のほうができてから冠婚葬祭のこともボツボツやるつもりです。」
明主様御教え 「おかげばなし批判」より (昭和25年6月3日発行)
祖霊の活躍も本教発展の一因
「(体験談省略) この人は、夢によって入信されたのである、これは誰しも不思議に思うであろうが、不思議でも何でもない、
祖霊が子孫を救い、自分も救われたいため、色々の手段をもって、入信さしたのである、
というのは、霊界では本教より他に本当に救いの力ある宗教は、ないからである、
これによってみても、現界の人間より霊界の祖霊の方が、先へ認識するのである、
これでみても奇蹟というものは、偶然ではなく、霊界に根源がある事を知るであろう。
本教発展の原因は霊界における祖霊の活躍によるためも大いにあるのである。」
明主様御垂示 「霊界人の働きが一番力がある」
信者の質問
「本教団入会後四年になります。親はこれに無理解です。親との意見が合わないが、これは親不幸とはなりませんでしょうか。」
明主様御垂示
「入信するには人によって時期がある。時期が来れば入信する。
最後の時期はどうしても入信しなくてはならぬ時である。
人によりいろいろであるから、それは時期が来ないのであるから、それを待つ事である。
人間は人を入信さす力はない。
神様が人を入信さすのである。
人間は橋渡しをするので、手を引くのは神様である。
人間は人間を審判く事が出来ぬと同様で、それだけの権能を与えられていない。
人間が善としてやってる事で悪とみられる事もある。
悪にみえてもそれは仮のもので、批判は出来ない。
(戦犯者でも悪とは思っていない。
生命をすてて天皇のため国家のために尽したつもりであった。
それなのに絞首刑になるのはあまりにも訳が判らぬような事であるが、
神様から御覧になれば、悪だったかも知れない。
日本が戦いを起し勝ったとしても、日本はいいが、他の国の国民は、国を失い、国民の多くは死に、他国の自由にされる事になる。
神様は世界の民族を同じように見られている。
そして世界を支配されているが、皆その御分霊が支配される)
善だと思うのはいいが、それを決める事は出来ぬ。
神様の有難い話はしてもいい。
ただ無理に入信さすのは悪い。
それは神の領分を犯す事になる。
どうしても駄目だと諦めてから先方から求めてくる事がよくある。
即ち、時期が来れば入信しなければならぬよう神様が順序を立ててくれる。
また、霊界で祖霊が、沢山救われているのをみて、自分の子孫に対し入るように種々する。
であるから私の方では宣伝したり、新聞雑誌には出さない。
霊界の霊の働きが一番力がある。」
明主様御垂示 「救われた祖霊は霊界で御神業に働く」 (昭和25年12月25日発行)
妻の実家の先祖供養で病気が治った事例
信者の質問
「九月十三日ごろから約一カ月に亘り、妻が産褥(さんじょく)の大浄化をいたし苦しみましたが、
「妻の実家の祖霊の供養をすれば良い」との御教示を実行いたしましたところ、たちまち快方に向かい、最後の日のお祭りがすむと嘘のように良くなりました。
これを機会にいままでこの教えの良いことを充分識っていながら、世評を気にして入信しなかった実家の人々を入信させたいと思いますが、まだ時機が早いでしょうか。
またこのような状態にある親戚がたくさんあるのですが、今後このように親戚の諸霊に頼られた場合、一々祀ってやるべきでしょうか。
また霊界と現界の救いの順序をいかにしたらよいか御教示願います。」
明主様御垂示
「親戚知人へ対してできるだけ、御神書や、新聞雑誌を読ませるようにし、時節を待てば、必ず次々救われるものである。
と言うのは救われた霊が、霊界で働くのは勿論、救われた霊を親戚の祖霊は知って、早く自分は救われたいと子孫に働きかけるから、どうしても入信することとなる。
これが根本で、本教の発展するのもそういうわけである。」
明主様御垂示 「教修を受けた霊界人が大いに働く」 (昭和24年2月22日)
信者の質問
「霊界でも現界のような教修をしているものでしょうか。
私の方に死んで行った子供が夢で「講習を受けるから御金を下さい」と言って来たので、
それではやるから帰れと言って帰し、あくる朝仏壇に千円上げ、これをやるから講習を受けるようにと言っておいたそうです。
するとその晩、今度は死んで行った人の弟の所に夢に出て、息せき切って来たので、何しに来たと言ったら、
夕べお父さんから講習を受けるための御金を貰う事にしてあるから、
今自転車で取りに来たのだと言ったと言う事を聞かされた事が御座います。
なお、右霊界人は結核で観音様の御浄めを頂いて昇天した人です。」
明主様御垂示
「この通りである。教修は霊界の方が盛んである。
教修を受けた霊が大いに働くので発展する。
昔から宣伝や広告の要はないと言ったのは、やはり霊界で拡まるからである。
霊界には貨幣などないから、現界から取寄せるのである。」
明主様御垂示 「霊界人がメシヤ教の宣伝をしている」 (昭和24年1月6日)
信者の質問
「何代も前の祖先の浄化されていない霊魂に対する御救いの正しき方法をお教え下さい。」
明主様御垂示
「子孫が入信して人を救う。その徳によりその人の霊が浄まる。
浄まると光が出る。霊線を通じて祖先が浄まる。
そうして祖先が霊界で救われるのをみると、先を争って導き、入信する。
霊界では今審判が決まるので、焦って入信したがる。
霊が宣伝しているのである。」
明主様御垂示 「霊を救ったほうが効果的」
供養した霊界人は御神業に従事する
「墓参に行かなくとも、善言讃詞をその霊に奏げてやる気持で奏げる。
そうすると離れていても霊へは届く。
出来るだけ祀ってやった方が功徳になる。
霊の感謝は非常なもので、きっとお道のため働くから、寧ろ生きた人間より霊を救った方が効果的である。」
明主様御垂示 「死んだ霊が霊界で働く」 (昭和24年2月18日)
信者の質問
「御浄霊していて死亡した場合、一時発展の妨げになりますが、これはいかがいたすべきでしょうか。」
明主様御垂示
「これはうっちゃらかしておけばいいんです。
死んだ霊が霊界で働いてくれますから。
自分が死んだため迷惑をかけたのを取り戻そうとして大いに働いてくれますからね。」
明主様御垂示 「祖霊が浄霊を手伝った事例」 (昭和25年3月22日)
信者の質問
「四ケ月前に入信致しました二十六歳になるOM(男性)と申します熱心な信者で御座いますが、
最近になりまして他家へ御浄霊などに行きました際、その家の祖霊の姿が目に映るとの事で御座います。
御神体をお祭りさせて戴く頃より自宅におりましても今から○○さんのお宅へ行きたくなったなどと申して出掛けます。
そのお宅の付近へ参りますと亡霊が幻のように現われ、家の中へ案内するとの事で御座います。
また御浄霊中病人の苦痛の箇所など一々感ずるとの事で御座います。
こうした現象はいかなる理由によるので御座いましょうか。お伺い申し上げます。
なお、OMさんは幼い頃両親に別れ、戦時中は母の戒名を右腕に入墨し、飛行兵として出征幾多の空中戦に参加、九死に一生を得て帰還致し、お観音様の夢を時々見るそうで御座います。」
明主様御垂示
「祖霊が手伝う。大いに教わってやるといい。
母と非常に霊的に繋っている。母の気持に力がある。
祖霊が力を貸すのである。」
明主様御垂示 「早世した布教師の霊界での御神業」 (昭和23年3月28日)
信者の質問
「昭和五年ごろ、大先生が御頭を短くしておいでだったので、なぜ長く伸ばすようになさらないのですかとお訊ねしましたら、私はいま坊主の修行をしているからだとおおせられたことを記憶しております。」
明主様御垂示
「そうだったですか。昔のことは私自身も忘れてしまってますよ。」
信者の発言
「先日福居先生が霊媒を通じて、亡くなられた稲川先生をお呼びしたところ合掌して出てこられ
「私はせっかく道に入らせていただいたが迷いがあったため現界を追われて霊界へ来た。
迷いは霊の曇りであるから決して迷わないように。
私はいま霊界で片足の不自由な人だの障害者だのを治療している」と申されたそうです。」
体験談 霊界は五六七世界なり (地上天国 12号 昭和25年1月20日発行)
日本五六七教清霊会 OY(30・男性)
「霊界は無いと否定する世の多くの人に、あるいはなまじっか学問を鼻にかけ、霊界の実在を否認するを以て世の識者とうそぶいてる人々に、これが実在をありのままに披瀝し、その猛省をうながすと共にただ今懸命に幕末の志士として、艱難辛苦の中にありて
黙々五六七の出現を信じ、御用中の皆様に対し、いよいよ一層強き信念のもと、御導きの御参考になればと拙筆ながらペンを執りました。
まず大先生の御霊徳の偉大さに、ただ有難とう御座いますの言葉より見出す事の出来ない私であります。
これはS恵(二六歳)に憑依した祖霊の話です。
霊媒であります妻の父が終戦の年の十一月十九日他界致しておりますが、
去年九月十九日より毎月毎月十九日午前四時頃になりますと大きな浄化を頂き、午前中は相当苦しく、午後になりますとやや小康を得、夕食後は殆んど快復致すのが通例なのです。
勿論度重なる奇病は祖霊の憑依とは存じておりました。
本年二月大光明如来様の御霊祭を渡辺先生にして頂いてから、二三四月といずれも大変軽い浄化で過ごす事が出来まして、先祖もお蔭で救われたと喜び合っておりましたところ、
四月十九日ややいつもの兆候を示しておりましたが、二十日朝一きわ苦しそうな妻の浄化に、ただ事ならじととび起きて、善言讃詞を奏上しながら浄霊四十分に及ぶも甲斐なく、
丁度教修会に御来宅中の清霊会分会長坂本先生の浄霊を受け、やや静まったかに見えましたため、一同また床につきましたが、間もなく妻の口から約三十分語りました。左記にその主なる事を記して見ます。
父は両手をきちんと合わせて浄霊者(私)に向って何の苦痛もなく正座を致しております。
私「お父さんですか?」深くうなずいて、父「S恵は幸福だ、しあわせ者だ、わからないで、わかないでわしはつらい。」
私「何がつらいのですか? 何がわかないのですか? わからない事があれば観音様にお願い致しますから何なりとおっしゃって下さい。つらいとかわからないと言う事は岐阜ですか?(因みに岐阜とは妻の生家)」うなずいて、
父「わからないのでわしはつらい。」
私「それでは近々に行って、直接母や兄弟に話してわかって貰いますから安心して下さい」
父「話してくれてもわからない。」
私「いやきっとわかって貰ってお父さんを救いますからね。」
父「ありがとうありがとうわしは嬉しい。どうぞ頼む頼む一刻も早くわかってくれなければ救われないのだ。」
私「お父さんはなぜ毎月嫁にやった先の娘に頼ってくるのですか、岐阜へたよってはいかがですか。」
父「わかってるわかってる。だけどなあ、岐阜へ行っても頼れないS恵がわしを祀ってくれるので頼ってる。どうぞ頼むぞよ。S恵が悪い事を考えたり、間違った事をすると先祖は苦しむでなあ。」
私「そうですか、観音様にお縋りしてしっかり御用致しますから、父さんも霊界で御用をして下さい。」
父「するともするともわしは嬉しいぞ、ありがとう」お礼を連続に五六回いう。
私「霊界は五六七の世と聞いておりますが、どんなですか。」
父「明るくなった。明るい明るい。」
私「それでは観音様のお経をあげてやりますからお帰り下さい。」
父「ありがとう。頼むぞ頼むぞ」
祝詞をあげやがて善言讃詞も終る頃、床の間のお軸の方に向っていとも満足気にお礼を述べて帰られましたが、一日相当な下痢を致しましてすっかりよくなりました。
後日亡父の願いをかなえるべく、岐阜に参り種々深夜まで語りましたが、遂に目的を果す事も出来ず、時期を待つより外に道なしと、やるぜなき気持で帰宅致しました。
五月十九日は大変楽に浄化も過ごさせて頂き、父もきっと救われたと喜んでおりましたところ、
五月二十八日頃より突然妻が精神異常になり、食も進まず、四六時中常に自殺しかねまじき行動や言語にすっかり私も悩まされ、我に返った時になぜ左様なつまらない事をするのだと問えば、
こんな事をしてはいけない、危険だ、痛い等みな自覚致しながら、自分が自分でその理性を押える事が出来ず、自分自身が恐ろしい、少しでも側を離れないでくれと言う。
浄霊をすれば三十分程は常態には復せどまた駄目なので御座います。
六月一日の晩等は殆んど一睡すら出来ず看護につとめました。
いかなる病気も恐れないと自信を持つ我ながら、自由を束縛されてはたと行き詰り、止むなく妻の母宛打電致しましたところ、三日朝急ぎ来宅岐阜の私の実兄(教師補OT)も同道致してくれ、懸命に浄霊を続けました。
丁度午後六時頃無我の境地から四十分間霊媒は行われました。
祖霊は胃癌で亡くなった妻の祖父ですが、
まず祖父、「○○○さん(母)よく来てくれた。○○○さんには随分無理勝手な事ばかり言って済まなかった済まなかった。わがままな事ばかり言うて苦しめた罪を許してくれよ許してくれよ。」
母「いえおじいさん、何もつくす事も出来ず本当に済まないと想ってます。」
祖父「いや私が悪かった。○○○さんわかってくれ。救ってくれ、皆先祖はなあS恵一人に皆頼ってる。いつもそんなに一人苦しめてS恵が可哀想だ。おしげさん、岐阜がわからないと救われないのだ。お前がしっかりしなくてどうなるのやな。」
私、「おじいさん今日は母さんも来てますから必ずわかってくれますよ。皆できっと救いますよ。」
祖父、「有難とうY(父)はおかげで今よいところへな、上の方へ行って幸福に暮している。わしもな、そこへ行こうと想うけど、明るくてまばゆくて行けんのじゃ。Yは倖せだ。今は一生懸命に観音さんの御用をしている。」
私、「そうですか。私達も一生懸命御用致しますから、おじいさんも霊界でしっかり御用して下さいね。」
祖父「するともするともありがたいありがたい私は嬉しい。」
私「霊界は早や五六七世界と聞きますがどうですか。」
祖父「明るくなったとても明るい。だから皆の者が一生懸命に頼ってくるのだ。」
私「あまり長くなりますとこの肉体が持ちませんので、善言讃詞あげてやりますから、用事がなければお帰り下さい。」
祖父、「もう少し話さしてくれ。」と言って約十五分間程現界、霊界の人々十名の姓名を言って種々話してくれました。
それから祝詞、善言讃詞を三回唱号致しまして、最後に念被観音力をお唱え中、「念被観音」といとも静かにやわらかく唱号して、満足げに帰って行きました。
瞬間氷のように冷たかった五体は、紅潮致して参りまして、夢からさめたかのごとき妻は「ああえらかった今ねおじいさんが私の体に出て来てね、こんな事とこんな事を言いました。お腹が空いたから御飯を下さい。」とて三ばい食べました。
今まで五日間程殆んど食欲もなかった者が、四日の日一日は相当な下痢を致しましたが、五日にはすっかり床より起き上り、平常と何ら変なところなく電報まで打った、これが重病人かとただ驚きの外なく、
この霊的現象において熟々感じました事は、祖父が最後に念被観音と唱えた一事につきまして、母親に今まで観音様と何か因縁があったかと問えば、
母は、「いいえ、家は真宗だから今まで観音さんをお迎えした事もなければお詣りした事もないのに実に不思議だ。」と申しても母も入信致しました。
既に霊界は五六七の世で祖霊はひたすら観音の大慈大悲のおそでに包まれ縋ってる事を痛感し、四月二十日にかかって来た亡父はその後霊界の上の方に救われ、ひたすら御用致してる事で祖父もまた必ずや救われ行かれた事と想います。
そして先に父が出て何とか岐阜の方へわかって貰いたいとの切なる願いも水泡に帰しましたため、
次は祖父が普通の病気では駄目とばかり手に負えない精神病にさせて私をして電報を打たせ、わざわざ母を呼びよせ、直接事実を見せつけあくまで観音様に救われんとした、霊の力、ただ有難い、尊い、もったいないの言葉より見出す事の出来ない私であります。
なお今一つ付加えたい事は九月初旬坂出市○○町NT氏次男(一歳)が突然ひきつけ、ひきつけるや右半身硬直状態になり、口から泡を吹くのですが、善言讃詞を二回奏上致しますと必す治るのでありますが、
完全な霊的と見なし、種々原因をたずねましたが、不明にて日増に病状は悪化致し、一日に十四五回も発作するのであります。
近所の反対者は、「そんな馬鹿げた事をしていては死んでしまう。医師に診断して貰え。」とうるさく親切げにせめたてますし、万一死亡せる時は世間の口もうるさいし、
死亡診断書の件もある事とて医院に参りましたところ、腸熱との診断の由、誠に笑止に耐えぬと苦笑させられました。
近所の信者五、六名は世間の悪口にも負けず、神の最後の一厘を信じ、ひたすら観音様にお縋り致し浄霊を続けました。
思い当る事がありまして岐阜から出張中の広瀬先生の発案にて、早速御屏風観音様をお祀り致し、先祖代々之霊の御魂供養を致しましたところ
翌日は三回の発作、二日目は完全に全快致し、見違える程の状態に復し、うるさかった町内の人々もすっかり鳴りを潜めてしまいました。
以後方々で先祖代々の霊の供養の依頼を受けますが、つくづく感ずる事はいかなる事にも総て誠の心に徹し、ひたすら観音様にお縋りあるのみとかたく信じます。
世の人々はこれを何と御判断なりましょうか。神はないと誇らしげに言う人々も、神から頂いたその双手(もろて)をじっと胸にあてて、とくと御熟考あらん事を願うや切です。」