霊界人の入信について
明主様御垂示 「霊界における教修 仏壇にお金をあげた事例」 (昭和24年2月22日)
信者の質問
「霊界でも現界のような教修をしているものでしょうか。
私の方に死んで行った子供が夢で「講習を受けるから御金を下さい」と言って来たので、
それではやるから帰れと言って帰し、あくる朝仏壇に千円上げ、これをやるから講習を受けるようにと言っておいたそうです。
するとその晩、今度は死んで行った人の弟の所に夢に出て、息せき切って来たので、何しに来たと言ったら、
夕べお父さんから講習を受けるための御金を貰う事にしてあるから、
今自転車で取りに来たのだと言ったと言う事を聞かされた事が御座います。
なお、右霊界人は結核で観音様の御浄めを頂いて昇天した人です。」
明主様御垂示
「この通りである。教修は霊界の方が盛んである。
教修を受けた霊が大いに働くので発展する。
昔から宣伝や広告の要はないと言ったのは、やはり霊界で拡まるからである。
霊界には貨幣などないから、現界から取寄せるのである。」
明主様御垂示 「霊界人が入信したがる」 (昭和24年1月6日)
信者の質問
「何代も前の祖先の浄化されていない霊魂に対する御救いの正しき方法をお教え下さい。」
明主様御垂示
「子孫が入信して人を救う。その徳によりその人の霊が浄まる。
浄まると光が出る。霊線を通じて祖先が浄まる。
そうして祖先が霊界で救われるのをみると、先を争って導き、入信する。
霊界では今審判が決まるので、焦って入信したがる。
霊が宣伝しているのである。」
明主様御垂示 「仏壇から御讃歌が聞こえた事例」 (昭和24年11月2日)
信者の質問
「お祖父さんとお祖母さんが入信なさっておられ、御屏風観音様をお祀りさせて戴いている家で御座いますが、
先日未入信のお嫁さんが、御仏壇の中から何とも言えぬ静かな御讃歌をお奏げしている声をきかせて頂きました。
それから三、四日たち近所の方が御浄霊をいただきに参りまして、やはりお仏間の方から実によい声で善言讃詞をお奏げしておられる声を聞かせていただきました。
これはいかなるわけで御座いましょうか。お伺い申し上げます。(以前この家は日蓮宗の熱心な信者でした)」
明主様御垂示
「霊でやるのが聞えた。
霊が聞かせたいという気持で言霊発すると、いくらか言霊が濃くなる。
祖霊も信仰に入ってるのを知らせたいためだと思う。」
明主様御教え 「霊界の現在」 (昭和28年3月11日発行)
「よく神憑りを浄霊する場合、誰でも疑いたくなるもので、それも間違ってはいないが、これについて心得べきことは、本物と贋物とを見別ける能力である。
これらも御神書をよく読んで叡智を働かせれば大体は分るものであるが、左記の霊は本物であって、現在の霊界の有様をよく知らされているから、大いに参考になると思う。
というのは現界における御奉仕やその他の事に対しての順序ややり方をハッキリ云っており、道理に外れた事は許されない事である。
従って信者の想念と信仰の正否によって、生きてる人間が救われるばかりか、霊界における祖先の何百何千人の霊が救われるのであるから、大いに戒慎(かいしん)すべきである。」
体験談 御奉仕金の有難さを祖霊より知らさる
岡山県 十全中教会 ST(58・女性)
「明主様、入信この方身に余る御守護の数々を賜わりまして誠に有難うございます。
又この度祖霊から御奉仕金がどんなに大切であるかを知らされ、家族一同有難さにむせびました。拙い文ながら御報告させて戴きます。
二月十日新見支部の月並祭にお参りさせて頂き、数々の御教えのお取次頂き又、再教修御礼につきまして色々とお話を承りました。
その夜家の者に月並祭の様子を色々と話しておりましたところ、姪SE(二十五才)が参りまして「少し身体がだるい」と申しますので、
御浄霊させて頂きましたところ、主人(S)の弟Yという三十年前二十五才で亡くなりました霊が憑りました。
この姪にはよくお祖母さんの霊が憑ることがありましたが、「又嘘かと思われてはいけないので自分が来た」と申して次のごとき話を致しました。
「霊界は今大変なものです。それは皆が今話していたような、今日教会で聞いた位の事ではない。
霊界は日増しに神様の御言葉がきびしくなって来ました。
あなた方は早く最後の審判の日が来ればいいなどと思っているけれども、とんでもないことです。
その日が来たら皆が神様の御許しを戴いて残される身魂かどうか考えてみなさい。
今のような事では救われようとも思えない。
もっともっと信仰を厚くしなければ駄目だ。
自分は死んで三十年になるけれど未だに病気で苦しんでいる。
お守を戴いた人々が本当にうらやましい。
自分達の方から話しかけることすら出来ないようなずっと上に住んでいられる」と言って帰りました。
しっかり信仰をさせて頂こうと、色々と話しておりましたところ、
今度は姪が「腰が痛い」と申しますので御浄霊させて頂きましたところ、
先の霊が又出まして「霊界へ帰ってY(私の娘で昭和二十五年に病気で死亡、入信致しておりました)に逢って頼まれたから」と言い、
十分間の猶予をいただいたからと息せききって話し出しました。
「家のものの想念が切り替ったようだからこのことを伝えて戴きたい。
私はお光を頂き死ぬまで薬を入れなかったため、これまでの罪は総て許され今は楽しい日を送っている。
(こんなにきれいになったのは薬を入れなかったからだと言い)
今、家の人達の想念が切り替ったのでお願いしたい。
今日教会で話された再教修の御礼五名で六千五百円をはやく教会の方に納めて戴きたい。
そのお金によって自分は布教師になれる。
現界では三人の子供をかかえ、到底御神業のお手伝いが出来ぬ立場にあったのに本当に自分は死んでよかった。
死んではじめて幸福になった。
今、霊界は日増しに神様のお言葉がきつくなっている。
お守を頂いていない人々の顔は気の毒で見ていることが出来ない。
自分の主人(病気で突然亡くなった)も見る事はあるけれども、どんなにしても自分と同じ位置になるまでには千年かかるでしょう。
この再教修御礼を一日も早く納めて頂き、布教師の資格を頂いて、霊界の人々を救わせて戴きたい」と申して帰りました。
内心主人がすなおにこのお金を出してくれるかと心配もし、お念じもしてました折、このような祖霊よりのお知らせがあり主人も翌朝早く六千五百円を三宝に載せ、御神前にお供えした後「早く教会に持って行くように」と申してくれました。
私のその時のよろこびはいかばかりでございましたでしょうか。
主人はよろこんで気持よくお金を出してくれ、その上自分の娘は霊界で布教師になり、神様の御用をさせて頂く事が出来又、
私達も御建設の幾分のお役に立たせて戴けることを思い、ただ有難く早速教会に持って参りました。
それから二、三日たった十四日の夜、又、姪が参りましたので浄霊させて頂きましたところ、娘のYが憑りました。
「再教修御礼はもう中教会まで行き、明日から布教に出ることが出来ます。神様よりお許しを戴いて御礼に参りました」と言って一時間半、頭を少しもあげず涙を流してよろこびました。
「今日こうして私が出て来ますにつきましては先祖が列をつくって送って下さいました。本当に有難うございました」と言って帰って行きました。
日頃、順序と言うことを教えられていますが、神様に私のようなもののところへでもきちんと御礼に来させられるのかと非常に感激しました。
私達の御奉仕するお金が、このような大きな意味をもつことを思います時、あくまでも深い神様の御仕組を考えまして、ただ有難く、ますます信仰をかたくすることを心に誓いました。
本当に今では近所の人もうらやむような家庭天国となり、日々楽しい生活をさせて戴いております。
このような限りなき明主様の御高恩を感謝し、厚く厚く御礼申し上げます。
そして一人でも多くの人々をお救いする御用に立たせて頂く覚悟でございます。
明主様、誠に有難うございました。」