祖霊の戒告について 1 (供養を求める戒告)
明主様御垂示 「祖霊は助けてもらいたいと子孫に憑依する」 (昭和26年10月15日)
「よく入信してから霊的の病気になることがよくあるが、
祖霊さんが助けてもらいたい、と憑るんですから、その心算(つも)りでやっていれば、なにも心配ない。
入信してからの病気は薬毒が溶ける浄化と、祖霊さんが助けてもらいたいというのと両方ですね。
祖霊さん以外に動物霊が憑ることがある。
元飼っていた馬、牛、犬、猫ですね。
それが助けてもらいたいというのですね。
そういうふうな頭で見当をつければ、大体見当がつきますから、それを心得ていればなにも心配いらない。」
明主様御垂示 「子孫が明主様信仰に入信すると先祖は余計に催促する」
信者の質問
「主人(四十六歳)は三年前より胸の病で休んでおります。
今迄に余り薬は用いませんが、昨年四月迄約一ケ年療養所にて養生していた事があります。
三ケ月程前に御光を戴き、時々先生に来て戴き毎日私が浄霊をさせて戴いております。
現在の病状は微熱あり、食事の時位は起きておりますが便秘気味ではっきり致しません。
主人は祖先の霊の事を頻りと気にしおり、信仰も従来種々やりましたが、親戚に次のような事があり、これと霊的関係があるのではないかと心配しております。
十年前主人の姉の夫(S某)が精神病にて逆上の結果刃物で義姉とその子供を滅多切りにして即死させました。
それから後は残った子供を二人私共で引取って世話しておりましたが、ただ今は一人を世話しております。
その夫も間もなく衰弱して(座敷牢に入っていたためか)死にました。
S家ではその後その夫の兄弟が跡を継いでおりますが、無信心で何もやりません。
私共では近いうち光明如来様を御祭りする準備をしておりますが、今後いかにしたらよいので御座いましょう。」
明主様御垂示
「この霊とは関係はない。普通の浄化を間違った療法で治すため引延ばしたものである。
祖先の霊を気にするのは、祖先の霊が助けてもらいたさに知らすのである。
この信仰へ入ると、余計催促する。
一日も早く光明如来様をお祭りする。そして信仰雑話を読む。音読するといい。
霊界で聞いている。この信仰ではじきに救われる。
精神病や変死などは非常に悪い。非常に苦しむ。
地獄・・・当分精神病で気がつかぬ。
その中段々光で救われる。一人でも多く救うと、その徳で早く救われる。」
明主様御教え 「祖霊と死後の準備」より (昭和24年8月25日発行)
「(一部のみ引用) 世間よく仏壇を設置するのは長男だけで、次男以下は必要はないとしてあるが、これは大きな誤りである。
何となれば両親が生きているとして、長男だけが好遇し、次男以下は冷遇または寄付けさせないとしたら、大なる親不幸となるではないか。
そういう場合霊界におられる両親は気づかせようとして種々の方法をとるのである。
そのために病人が出来るという事もあるから注意すべきである。」
明主様御教え 「祖霊の戒告」 (昭和22年2月5日発行)
「本来祖霊はわが子孫に対し、幸福であり家系が栄える事を願望しつつある結果、
その目的に背馳する所の原因である過誤や罪悪を子孫に行わしめざるよう、
邪道に踏入らぬよう不断の警戒を怠らないのである。
従ってその子孫がたまたま悪魔に魅入られ不善を行う時、それを戒告するためと、既に犯した罪穢の払拭とを兼ね行うが、
その手段として種々の災厄病気等を与える。
たとえば不正な富を重ねたものは火災や損失を与えて消滅させ、罪穢によっては病気の浄化作用も行うのである。
その現れとしてこういう事がある。それは幼児または小児が感冒のごとき浄化作用に罹るとする。
本医術によれば、普通の感冒ならば簡単に治癒すべきであるのに余り効果がなく、
特に頻繁なる嘔止発生し、食欲も全然無く短時日に衰弱死に到るので不思議に思う事がある。
これは全く右のごとき祖霊の戒告であって、その原因としては父親が夫婦の道に外れ他の婦人に関係するとか、二号を置くとかいう事によるのである。
そうして一度戒告してもそれに気付かざる場合、次々子女の生命を奪う事がある。
これをもってみても一時的享楽のため大切な子女を犠牲にするというのであるから、大いに慎しまなければならない。
かような場合、祖霊としては一家の主人である本人を犠牲にする事は忍びないため、やむを得ず子女を身代りとするのである。
またこういう例があった。
それはある家庭で、現戸主である四十歳位の男、仏壇に向かって掌を合わした事がないので、
その娘が心配し、右の戸主の弟と相談の上、弟の家に移したのである。
しかるに程経て弟は将来の事を慮(おもんばか)り、兄の家に赴き、祖先伝来の仏壇を弟に確かに移譲したという書付を書いてくれと言った。
兄は承諾し、筆を執って紙に書こうとする刹那、突如その手が痙攣を起し、舌が吊り、書く事も話も出来なくなった。
それから種々の療法を試みたが治らない。
でついに私の弟子の所へ治療を求めに来、その際右の娘が語ったのを私は弟子から聞いた事がある。
これは全く祖霊が正統である兄の家から、一時的ならいいが永久に離れるという事は承知が出来なかったからである。
何となればその結果は家系が紊れ、家系が紊るれば家が断絶する憂が生ずるからである。」 (「天国の福音」より)
明主様御教え 「結核と憑霊」 (昭和27年御執筆)
「結核の原因には、憑霊の場合も相当多いのである。
というのは事実において夫婦の一方が死ぬと、間もなく残りの一方が結核となり死ぬという事がよくある。
また兄弟の内誰かが結核で死ぬと、その後次々発病し、症状も前に死んだ者と、ほとんど同様である。
酷いのになると、五人も六人もの兄弟が次々死ぬ事がある。
これらを見るとどうしても伝染としか思われないので、医学が結核は感染するとしているのも、無理はないのである。
ところがこういう例は病菌による感染はないとは言えないが、案外少なく憑霊による事の方が、ほとんどと言いたいくらいである。
今これを詳しくかいてみるが、普通結核で死に、霊界に往って霊界の住人となるや、霊になっても引続いて結核患者なのであるから、病状も生前といささかの変りはなく苦しむのである。
ところが病気で死んだ霊は言うまでもなく地獄界に入るのであるから地獄の苦しみが続くので、病苦の外に語る相手もなく、孤独で非常に寂しいため、相手が欲しくなる結果どうしても兄弟の誰かを、自分の傍へ引寄せようとする。
そこで憑依すれば、自分と同様結核となって死ぬのは分っているから、そうするのである。
何と恐るべきではなかろうか。またその他にもこういうのがある。
それは祀り方が悪いとか何か死後要求がある場合、それを頼むべく知らせようとしてこれはと思う人に憑依する。
憑依された者は、もちろん結核と同様になるので、普通人はそういう事に気が付かず感染したと思い、医師もまたそう言う訳で、散々医療を受けついに死亡するので、この最もいい例として、こういう事があった。
今から二十数年前、私がまだ修行時代の頃、私の妻が風邪を引いたところ、間もなく激しい咳嗽と共に引っきりなしの吐痰である。
時々血痰も混じるので、どう見ても結核症状である。私も普通の結核としても、こう急に起るはずはない、何か訳があるのだと思って、霊査法を行った。
この霊査法というのは、後に詳しくかくが、それで判った事は、果たして約一年程前、二十幾歳の青年で、結核三期という重症なのを治療してやった事があった。
たしか一、二週間くらいでとうとう死んでしまった。
その霊が憑った事がよく分ったので、霊の要求を訊いてみると、
生前一人の父親に世話になっていたのだが、非常に貧乏なので、自分が死んでからも、ろくろく供養もして呉れず、
いまだに祀られていないので居所がなく、宿無しのため、辛くて仕方がないから、どうか祀って貰いたいというので、
私も快く承諾し「今夜は遅いから、明晩祀ってやる。しかし君がこの肉体に憑いていると、肉体が苦しいから、今私が祝詞を奏げてやる。
それが済んだら、直ぐ離れなさい」と言うと彼も承知して、祝詞が済むや離れたので、妻はケロリとして平素通りになってしまった。
これらは余りハッキリしているので、私も驚いた事がある。」
明主様御教え 「精神病」 (昭和24年12月30日発行)
「十七歳の女学生の精神病を扱った事がある。
これは非常に暴れ、ある時は裸体となって乱暴する。
その際三人くらいの男子でなくては制えられない程の力である。
また大いに威張り母親を叱りつける事がある。
しかるにこの原因は左のごときものである事が判った。
すなわち娘の父は数年前没し、現在は母親のみであったがその母親は、数ケ月前ある宗派神道の信者となったので、祖霊を祀り替え、仏壇や位牌を処分した。
それがため父の死霊が立腹したのが動機となった。
ところが父のまだ生きている頃、その家は仙台から東京へ移転したが、
元の邸宅を売却し邸内に古くから祀ってあった稲荷をそのまま残したので、
買主は稲荷の祠を処分してしまったため、その狐霊が立腹し、上京した父に憑依し父は精神病となりついに死亡した。
このような訳で、父親の霊と稲荷の霊との二つが娘に憑依したためであった。
故に発作時父親の霊は母親を叱り、狐霊は常軌を失わせるといったような具合であったが、私の治療によって全快し、その後結婚し、今日は二児の母となり、なんら普通人と異ならないのである。
右のごとく古くからある稲荷を処分した事によって、精神病になる場合が非常に多いのである。
今一つおもしろい例をかいてみよう。
これは、二十歳の青年で、大方治癒した頃私の家で使用した。
いつも庭の仕事などやらしていたが、私の命令に対し狐霊が邪魔するのである。
例えばある場所の草を全部刈れと命じ、暫くして行ってみると一部だけが残っている。
私は、「なぜ全部刈らないか」と訊くと、「先生が「そこだけ残せ」と言われました」という。
私は、「そんな筈はない。それでは「一部残せ」と言った時、私の姿が見えたか」と訊くと、「見えないで、声だけ聞こえました」と言うので、
私は、「それは狐が私の声色を使うのだから、以後注意せよ」と言ったが、直に忘れて右のような事がしばしばあった。」
明主様御教え 「見神に就て」 (昭和23年9月5日発行)
「忘れもしない。私が宗教研究を始めて間もない頃であった。
ある中流家庭の二十歳になる娘が、肺病のため、数年間療養生活を続けて来たが、どうしても治らないので、私は頼まれた。
当時大本教信者であった私は、鎮魂帰神なる方法の下に霊治療を行ったのである。
二、三週間の霊術によって非常に快くなった。
病気の原因は、四代前のその家の当主の弟が、失踪行方不明となったままついに野垂死をした。
もちろん祀られる筈もなかったので、無縁仏となって地獄に落ちていたが、地獄の苦しみに堪えかね、
正式に祭ってもらいたいと、その一念から気付かせるべく子供を重い病人にしたが、気付いてくれないので、
「この上は死なせる外はない」と想い、右の娘に憑依し生命を奪おうとしたのである。
右の事情が判った訳はこうである。娘に霊療法を行った三回目であった。
娘の傍に座っていた母親が突如として起ち上り、物凄い面貌をしながら、
私に向かって掴み掛ろうとするのである。と共に荒々しい言葉で・・・
「貴様はよくもよくも俺が殺そうとしたこの娘を助けやがった。俺は腹が立って堪らないから貴様をとっちめてやる」・・・と言うので私は吃驚(びっくり)した。
なぜなれば、憑霊現象の事はかねて聞いてはいたが、実地にぶつかったのは初めてだからである。
私は・・・『マーマー座んなさい』と言ったところ、彼はおとなしく座った。
『一体、あなたはどなたです』と私は訊いた。
それから両者の問答が始まり、知り得たのは前述のような事情である。
そこで私は・・・『人の生命を奪るという事は、もし成功すればその罪によってヒドい地獄へ堕ちなければならぬ』と言ったところ、
最初は疑っていたが、私が種々説いたので、漸く納得がゆき、娘の病気を治すべく協力を誓ったのであった。
そうして右の母親なる婦人は年齢五十歳位で、霊媒としては最も理想的であって、霊が憑依するとその間全然無我になり、自己意識が少しも入らないからである。
元来霊媒としての資格は自己意識の入らない程よいとしてあるが、こういうのは極く稀で、大抵は幾分覚醒状態であるから、それだけ自己意識が邪魔するのである。
しかるに一旦快くなった病状が、幾分後戻りの傾向が見えたところ、ある日母親が訪ねて来た。
「この両三日前から、私に何かの霊が時々懸るらしいから査(しら)べてもらいたい」というので、早速私は鎮魂帰神法を行った。
彼女は瞑目合掌端座した。私が祝詞を奏上し、それが済むや否や彼女は口を切った。その時の問答は左のごときものである。
彼女の合掌している手がやや震え、呼吸がややせわしくなった。これが神懸現象の普通状態である。
私『あなたはどなたです』
彼女「こなたは神じゃ」
私『何神様でいられますか』
彼女「魔を払う役の神である」
私『何のために御懸りになりましたか』
彼女「そなたが今病気を治しているこの肉体の娘に最近悪魔が邪魔しているから、それを防ぐ方法を教えに来た」
私『では、どういう方法で?』
彼女「毎朝艮(うしとら)の方角へ向かって塩を撒き、大祓の祝詞を奏上すればよい」
私『有難う御座います。しかしあなたの御名前は』
彼女「今は言う訳にはゆかぬ」
私『種々御尋ねしたい事があるが』
彼女「そなたに浄めの業を教えるために来たのであるから外の事は言う事は出来ぬ。では直ぐ還る」
と言うや直ちに御帰りになった。と同時に彼女は眼を見開き、いわく
彼女「アヽ吃驚(びっくり)した」
私『何を吃驚しましたか?』
彼女「最初、先生が祝詞を奏上なさるや、自分の後の方からサーッという物凄い音がしたかと思うと、私の横へ御座りになった御方がある。
見ると非常に大きい人間姿で黒髪を垂らし、白布のようなもので鉢巻をされている。
よく視ると、衣服は木の葉を編んだごときもので、その木の葉の衣服は五色の色に輝き、燦爛(さんらん)として眼もまばゆい美しさである。
御身は非常に大きく、座っていて頭部は鴨居に届いている。その御方が自分の身体へ入ると共に無我になった」・・・というのである。
実は私は最初「神じゃ」と言われた時に、前々から神にも贋神があるという事を聞いていたので、警戒していたが・・・右の話によって贋神ではなく真正の神様である事を知ったのである。
その後それが国常立尊という神様で、軍神の時の御姿である事も判った。
国常立尊という神様は最高位の古い神様で、各所に祭られておらるるのである。
その後も私はこの神様から種々の奇蹟を見せられ、かつ私に御懸りになり、種々の事を教えられ、御守護を受けた事も一再ならずであった。」
明主様御垂示 「供養を求める水死の兄」 (昭和24年11月18日)
水死した兄の憑霊による狭心症
信者の質問
「OT子(三十三歳)は数年来狭心症に苦しみ、ちょっとした刺戟にもすぐ手足が冷くなり、仮死状態になります。
医師に色々みて貰っても原因が分らない由です。
一ケ月前入信致し、恐怖心は大分取れましたが胸の動悸は未だ取れません。
身体が大変腫れており、動悸の打つ時は手足の裏が熱くなるそうです。
この家には主人の兄が水死しております。
今月十四日夜夢で黒白の斑の猫に拇指の先をきつく噛まれ、醒めてからもその指がザクザク痛んだ由、
また先日私と話しておりますと黒白の猫が部屋を横切りました由、
なお先月私が行くと夢に水死の兄が裸で四つん這いになって走って行くのを見た由です。
この夢と本人と何か関係がありましょうか。また浄霊上の注意を御教示願い上げます。」
明主様御垂示
「祀ってもらい、祝詞を奏げてもらいたい訳である。
それでなくては救われないから、いろんな手段でこんな事をする。
黒白の猫は兄の霊に憑いている猫かと思う。」
明主様御垂示 「救われたい祖父の憑霊による膝関節炎」 (昭和25年5月2日)
信者の質問
「本年八歳になります娘で御座いますが、三歳の時に麻疹になりました時左の股が腫れまして注射を一日二本位の割で多数致し、遂に切開し、その際多量の膿が出まして、
その後一年を経た頃から左足膝関節の痛みを覚へ、関節の裏側が引き攣ってある程度足が曲ったまま伸ばす事が出来ず、次第に跛行が目立つようになりました。
その後指圧及びオケツ療法等を致しましたが、二十三年に娘の父母が入信致し、御浄霊によってだんだん状態がよくなって参り、
八ケ月以内には一度患部の関節の裏側が紫に膨れ上り今にも出膿するように見えましたが、出膿もせずそのまま引っ込んで固まってしまいました。
それ以来今日迄一年半の間殆ど毎日、主に両親が御浄霊させて頂いておりますが、症状は変らず、痛みは御座いませんが最近になりまして目立ってまた引き攣りがひどくなりました。
因みに娘の母親の父は十九年前に左足膝関節リュウマチで、娘の症状とは逆に足が曲らないで伸びて固まったまま胃癌で三月七日に死亡致し、娘の父親が入信致しました日は丁度その祖父の十七年忌の日で御座いました。
また、この娘の足が急に悪くなり始めましたのは八月の七日であり、その後御浄霊を初めて頂きましたのは九月の七日で御座いました。
このように祖父の死亡致しました七の日と色々の事が関連しているので御座いますが、この娘の症状は霊的のもので御座いましょうか。
または毒素によるもので御座いましょうか。お伺い申し上げます。
なお、この家は御神体をお祀りさせて頂いており、先日娘の母親は実家に参りまして、実家のお位牌を残らずお祀り致して参りました。」
明主様御垂示
「注射の薬毒が固まった。そこへ霊が憑ったのである。
祖父の霊が救われたいので、自分がやってる事を知らしたいためそうしたのである。
足の裏を浄霊する事が肝要である。
後は人助けする事。それによって救われる。」
明主様御垂示 「藩命により位牌を取り壊したため主人の続死、家の没落となった事例」 (昭和24年11月6日)
信者の質問
「十月六日に御伺い申し上げました狐に災いされた者で御座居ますが、
御教示のごとく調べて見ましたが、私共では稲荷の札以外何も祀った事は御座居ません。
しかしながら次のような事がありました。
廃藩置県の際、藩主の命により、仏に関する物は位牌に至るまで一切取壊し、
以来祖先の祀りは神道で禰宜さんに祀ってもらう程度で御座居ました。
私の本家は昔庄屋で御座居ましたが、最近は一族全部が没落し、どの家も主人が死んで行く有様で御座居ます。
また、旧藩主家も殆ど断絶の有様と聞いております。
これも何かわけがあるので御座居ますか、御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「位牌取壊しのため祖先が怒ったのである。
そんな事すると霊界で祖先が苦しむ。
それで祖先が病気にしたり殺したりするのであるから、早速仏様を造る。
今にキリスト教も祖先を祀る事となる。」
明主様御垂示 「賢い子供の早死の霊的理由」 (昭和24年6月20日発行)
信者の質問
「賢い子供は早死にしますが、なにか霊的に意味がございましょうか。」
明主様御垂示
「親の罪によることが多い。
祖霊が、お祀りや供養をしないと性質のよい子に憑り知らせようとする。
また賢い子はかわいいからそういう子供に早く憑るからである。」
明主様御垂示 「長男による祖霊祀りは必須」
信者の質問
「私の父母現存、私も父も長男です。
父方の先祖は、父の弟(五男)が祀り、母方(長兄の子現存)の先祖は私が祀っております。
私の家内中に浄霊で中々解決せぬ病人続出。
前記に関係があるものでしょうか。いかなる処置をすればよろしいか。御伺い致します。」
明主様御垂示
「長男が祀るのが本当である。
祀らぬからである。
祖先は一軒でもよけい祀るほどよい。」
明主様御教え 「元看護婦の体験」より (昭和28年)
「(一部のみ引用) 今一つの例は、これは霊的宗教的であるからここにはかきたくないが、
しかしこれも真実であるから、唯物思想の人達に対する頂門の一針としてかくのである。
それは昔から流産の子供は祀らない事になっているが、これは大変な誤りで、この霊が祀って貰いたいため、気を付かせるべく、命日を選んで憑依するのであるから、簡単に祀ってやれば、それで治るのである。
ところがそれを知らないから、ヤレ注射ヤレ何々などといって、見当違いの事をして苦しむのである。」
明主様御垂示 「お屏風観音様を奉斎させるための祖霊の戒告」 (昭和26年8月18日)
信者の質問
「私の家は私始め二家七名入信の栄に浴し、御神体を奉斎、数々の御神徳をいただき歓喜敬神の誠を捧げております折、
昨年三月入信の四女H(十九歳)が本年三月ごろより全身に微熱、倦怠、苦痛を覚え、旬日にして大浄化、発作を起しましたが
御守護により一命を取り止めることができました。御守護御礼申し上げます。
娘Hの病状は腰骨カリエスのごとき症状で脳天、延髄、脊髄の浄化激しく腹部の痛みがこれに次ぎます。
チョイチョイある腹、胸の痛みは前記の場所の浄霊でよく治ります。
脳天の痛む所はブヨブヨになっており、左延髄よりやや下がった所には小豆くらいの毒結あり、そこと延髄の近くの頭蓋骨のへりが最もよく発熱します。
背中は筋肉が高く盛り上がって脊髄も非常に攣曲しておりましたが、このたびの御浄化で背中の形はスッカリ良くならせていただきました。
十四日より二十九日にかけて下腹部から喉に冷たい玉のようなものが上がってきて締めつけるような苦痛がございました。
その折、伯母その他多勢の霊が仏壇から救いを求めるごとく出てまいり、振り離そうともがくうち、
明主様の御姿が浮かび指で胸の辺りを指されたところ急に楽になってまいりました。
それまでいろいろ支障あって屏風観音様をお祀りできませんでしたが、
家内一同協議のうえお祀りいたしましたところ、すっかり霊的な苦痛はなくなりました。
現在のところ食欲少なくだいぶ衰弱しており苦痛の程度は一進一退でございます。
信仰上また浄霊のうえで注意すべき点御教えのほどお願い申し上げます。
明主様御垂示
「これは屏風観音様をお祭りしないので祖霊さんが催促したんです。
それだけ(種々の症状)の後ですからね。
食欲は少ないし、衰弱するのはしかたがないですね。腰骨カリエスですね。そうとうありますからね。
これは、やっぱり祖先のメグリが、これで取れるんだから結構だ。
祖先も祭ってもらいたいし、それをお願いするという意味もありますね。
ここ(前頭部)から、こう(後頭部)行く・・・いつか本にも書いたが。
脳天にもいくらか固まっている。
冷たい玉のようなものが・・・これは霊です。
この人に憑いている霊ですね。
お祀りいたしましたところ、霊的な苦痛はなくなりました・・・これも解決ついた。
これは苦痛の所、そこだけ浄霊する。」
明主様御垂示 「お屏風観音様奉斎を要求する先祖が子孫を中風にした事例」 (昭和27年2月25日)
信者の質問
「YS(昨年三月入信・六十七歳・女性)昨年十二月十二日午前四時ごろ、ふと目が覚めますと、なんとなく頭が変で、胸が重苦しく、嫌な気分がいたし、便所に行こうといたしましたところ、立って歩けず、這ってまいりました。
そのまま床に入りましたが、腰から下が寒気もいたしませんのにガクガク震えました。
一時間ほどで平常に復しました。
その後本年一月二日および二月五日、前回とほとんど同じ時刻に同じ症状となりました。
その時は必ず三、四回吐き気を伴いますが吐くことはなく、また必ず小用を催します。
なお、本人の夫は昭和九年に脳溢血にて倒れ、昭和十七年再発死亡いたしております。
本人は、昭和四年ごろ突然耳が聞こえなくなり、ストリキニーネを毎日一粒ずつ服用いたし、聞こえるようになりましたが、一週間後にふたたび聞こえなくなりました。
その後服用はいたしておりませんが、現在もほとんど聞こえません。
これは霊的でございましょうか。またいかがさせていただきましたら、よろしゅうございましょうか。
御神体はお祀りさせていただいておりますが、仏壇は旧家のために非常に大きく、中央に大きな阿弥陀像があり、横に動かすのも困難と思われます。
また本人が信仰していた関係もあり、まだ御屏風観音様をお迎えできない事情でございます。右御教えのほどお願い申し上げます。」
明主様御垂示
「これは、光明如来様はお祀りしてあるんですね。仏壇はどこに・・・」
信者の発言
「次の間にございます」
明主様御垂示
「本当の座敷に光明如来様をお祀りしてあるんですね。
これは、祖霊が憑るんですよ。病気じゃないですよ。
それで、祖霊のうちで、なにか気にかかることがあるんですね。それを頼みたいんです。
これは信者ですね。仏壇は立派ですね。大きいんですか。」
信者の発言
「三尺の幅で、十三代前よりございます」
明主様御垂示
「お祀りすれば良いんだな。きっとそれをやってもらいたいんでしょう。
仏壇が大きければ、屏風観音様じゃ小さいかもしれないから、そうすると、お掛軸の千手観音様をすれば良い。」
信者の発言
「阿弥陀像は木造で、厨子に入っておりますが・・・」
明主様御垂示
「仏壇の中で厨子に入っているんですか。
そうしたら、阿弥陀さんを向かって右の方に、ちょっとずらせば良いんだがね。
それを、祖父が承知するかどうか・・・」
信者の発言
「本人が入信しておりますので・・・」
明主様御垂示
「じいさんは・・・」
信者の発言
「亡くなっております」
明主様御垂示
「それじゃ、なんでもないな。ずらせば良いですね。」
信者の発言
「非常に大きいのでございますが・・・」
明主様御垂示
「かまわないです。ずらせば良いんです。それだけです。」
明主様御垂示 「地獄で苦しむ死霊が供養を求めた事例」 (昭和26年12月25日発行)
子供の異常行動、妻が床に吸いつかれる
信者の質問
「昭和二十二年から、妻が肺結核にて就床し、同二十四年に少し良いほうに向かいましたので、
二十五年一月三日より住宅の建築に取り掛かり、三月完成、新宅に移り別状なく暮らしておりましたところ、
八月十五日より妻の病気が再発し、しだいに病状は悪化し、九月十九日死亡いたしました。
その後長男が九月二十七日より肺結核にて通学もできず、自宅にて療養いたしておりました。
そのころより家庭内に争い事が多く、不和の日常でございました。
昭和二十六年二月、親戚より再婚の話が持ち上がり、二月二十六日現在の妻を迎えました。
長男は妻の御浄霊にて御守護をいただき全快いたしました。
四月二十一日、御屏風観音様を御奉斎させていただきました。
その後家庭内に種々浄化をいただいております。
妻が祖先さんをお祀りしております部屋の真ん中および一番上座に行きますと、頭が重くなり、眼がまわり、意識不明となり、御浄霊を受けますと恢復いたします。
子供もこの場所に行くと「忠を連れてこい」と言って殴ったり蹴ったりして怒ります(Tは先妻の末子にて先妻の実家に預けてあります)ので、
十月二十三日に連れてまいりましたが、長男は前記の場所に行きますとやはり怒り出します。
また長男だけでなく、他の子供も同所に行きますと、必ずすねたり怒ったりいたします。
妻が前記の所に寝ると横腹が床に吸いつくようになり、取ろうとしてもなかなか取れず、苦しみます。
六月十八日に私が入信させていただきまして間もなく霊が出まして、昔旅の武士が大井川川越しの際「くもすけ」に殺され、私の屋敷に埋没されていると申します。
古い人たちの話によりますと、私たちの町内には昔から種々な災難が非常に多いので、私の近くの池に水神様をお祀りしてあると申します。
私が入信させていただきましてより災難も少なく、町内の人たちの気持ちもたいへん明るくなってまいりました。
妻の浄化および子供の怒るのは、その武士の霊のためでございましょうか、
また妻は一二月中旬出産予定日になっておりますが、
私の家は二部屋しかなく、出産は前記の部屋にてもよいものでございましょうか、
同部屋に床の間がございませんので、据床にして、光明如来様をお迎えさせていただきたいのですが、
霊的の部屋に御奉斎させていただきましてもよろしいものでございましょうか、御垂示賜りたく謹んでお願い申し上げます。」
明主様御垂示
「そういう悪霊のいる部屋こそ、一日も早く光明如来様をお祀りすべきである。
無論その所には苦しんでいる死霊が祀ってもらうか、救われてもらいたいという執着から、知らせようとしてやっているのである。
しかし御神体をお祀りするのは勿論、常にその位置に向かって、祝詞、善言讃詞、御讃歌を奏げてやれば、救われて解決するから、なんら心配の必要はない。
お産もその部屋で差し支えない。」
明主様御垂示 「狐霊になった地主の霊が供養を依頼した事例」 (昭和26年4月25日発行)
信者の質問
「私は昭和二十五年十二月二日、妻は本年三月三日入信させていただき、
現在函館に住居し、青函連絡船の船長として、種々御守護をいただきつつ毎日を送らせていただいている者でございます。
明治以前二十年くらい前、廃仏騒動と称するものがありまして、当時寺は全部破壊され、坊さんは全部殺害され、
当時庄屋でありました私宅に緋(ひ)の衣を纏(まと)える坊さんを連れてきて殺しました。
その後大火がありまして、私宅は全焼、祖母一人生き残りました由でございますが、
これは祖母幼少のころで確たることは判りませんが、そのころより部落全部神道になりました。
父は船をもって諸方面を歩いているうちに「Nタミ」(私の実母)と知り合い、内縁関係になりました。
そのうち本妻「Nヤス」は病死し、その後「Nタミ」は後妻として迎えられました。
先妻「Nヤス」はこのことを知って、そうとう烈しく怨んで、他界したそうでございます。
「Nタミ」は三十過ぎてより、どことなく体が悪くなり、日蓮宗を信仰し、日蓮の坊さんの奨めにより山籠もりして行をとるべく準備中に、心臓病にて便所で卒倒し、口もきけなくなり、間もなく死亡、日蓮宗にてお葬式を出しました。
長兄(Nヤスの長男)は父の築いた財産を蕩尽し、妻を離縁し、芸妓を後妻としましたが、金使いが荒く、親類会議により準禁治産者となり、私は長兄の所に養子となりました。
長兄は現在鳥取県○○郡○○村に住んでおります。
現在私は御屏風観音様をお祀りさせていただき、とりあえず仏式にてお祀りさせていただいておりますが、正しい御先祖祀りの方法を御教え賜りたくお願い申し上げます。
なお、島の部落では、白木の位牌に本名を書き、精進料理を供え線香を上げ、墓には線香に榊という神仏混合の祀り方をしております。
なお、去年御守り様をいただいて帰りましてより九日目に私に憑霊がありまして、
旧住所(中略)の地主であると称し、武士のごとく威猛(いたけ)き口調で申しますには、
「N家を守護している地主である。N家の恩人である地主を祀らないでほおっておいたから、この男(私)を生かしてはおかない考えであった。
地主とは三百年くらい前にその土地にあって、その地方を治めていた武士であり、その土地に執着を持っていて祀られたものである。
今後は次の祀り方で祀れ。祀らないと不幸が来ることを肝に銘じておけ。
このことは子々孫々に至るまで、決して忘れることのないようよく伝えおけ。
祀り方は元の場所に祀るのがよいが、それもできないため、現住所の庭の高に三尺四方くらいの土地を、地主の土地として、塩を撒き、小石を置き、その上に祠(ほこら)を作って祀れ。
その祠の中には「N家の恩人」ということを明記せよ。
また、この中に「N家の者は子々孫々に至るまで、この祀りを忘れてはならぬ」旨をも書いておけ。
移転のときは持って行け。火災のときは持ち出せ。
持ち出せないときは新しく作って祀れ。身分相応に祀れ。
N家の先祖には偉い人がいるが、俺が邪魔してやろうと思えばどんなこともできる」と言いました。
右の事柄を受諾しましたら帰りました。
現在は右の霊の言った通り祀っておりますが、なにか変な感じがしまして狐霊かなにかのように思われますが、いかがなものでございましょうか。
また祀り方は霊の言った通りでよろしゅうございましょうか。御教えのほどお願い申し上げます。」
明主様御垂示
「これは人霊が畜生道へ墜ちた狐霊で、人間に再生したいため頼んだのであると思うが、
その言う通り祀ったのは結構ですからそのままでよろしい。
あなたの家は悪因縁がだいぶあるから、一日も早く光明如来様をお祀りして、できるだけ人助けをすることである。
それによって苦しんでいる霊が救われるから、あなたの家もだんだん幸せになる。」
明主様御垂示 「北条家伊達家の霊の憑依」 (昭和24年12月20日発行)
信者の質問
「七月二日に北条家伊達家の御位牌を祀ってほしいとの霊が憑りましたので、お祀りしてある信者ですが、
数日前また憑霊状態になり、北条家のお墓参りをしてほしいとのことですが、実行しなければいけないものでしょうか。
御位牌は家のお仏壇の中に一緒に「北条家先祖代々之霊位」と「伊達家先祖代々之霊位」を、お祀りさせていただいております。
このたび受教いたしましたら九月二十八日霊憑り状態になり、室中に蛇が見え、自分の身体にも蛇が巻きつき苦しかったと平常に戻ってから申しておりました。
北条家の霊となにか関係がありましょうか。」
明主様御垂示
「無論北条家伊達家の霊で、執着が強いため蛇になったもので、助けてもらいたくて巻きついたのである。
あるいはこれが北条、伊達家の御本尊かもしれぬ。
信仰で人助けをするうちにだんだん救われる。」
明主様御垂示 「霊界人が副守護神を使ってお気付けをすることもある」 (昭和24年6月18日)
打撲後手足不随の戦災未亡人
信者の質問
「三十歳の女、二年前倒れて頭を打ち、その後左手足が冷たく、不随で、内側へ彎曲しております。言語もやや不自由であります。
今迄五、六回浄霊を致しましたが、最初の時前頭部に霊射すると頭を左右にそらし逃げようとしました。目付きも異常のように思われます。
なお、本人の夫は戦死しました。霊的なものでしょうか。また浄霊上の御注意を御教え下さい。」
明主様御垂示
「霊がいる。前頭(天庭)の奥を浄霊する。
夫がどうという事はない。戦死した夫の霊を祀っているのが、どっか違うとそれを気にする事がある。
すると夫に憑いていた副守護神が、夫の命で気付かすためにそういう事をする事もある。
また、不随は、中風の霊が憑ったために転ぶとか、転んだ時の内出血が固まったかである。
前頭部と頸の周り、腕の付根等を浄霊する。」
明主様御垂示 「中風霊が子孫の鼻をつまむ」 (昭和25年4月7日)
信者の質問
「入信後二年になる娘の婿NT(二十七歳)と言う者で御座います。
去る四月十日の夕方仕事先にて急に中風状態になりましたので、驚いて御浄霊を致しましたので幾分軽くなりました。
三日目の午後、三人にて御仏壇に向て善言讃詞をとなえ申しますと、中途において妻(私の娘)のHと申す者が急に居眠りを始めましたので、
私がかたわらにてつつきますと目を醒しては、また居眠り、その居眠りの内に鼻をつままれたり手を握られたりしたそうであります。
また私にも亡父が目に写りましたので御座います。
この人は現在起きてぶらぶらしている程度であります。
私の家では中風にて亡くなった者が二人もありますが、この病人と何か関係がありますでしょうか。
また今後いかに致しましたら御先祖を救う事が出来ますでしょうか。」
明主様御垂示
「中風の霊が憑った。
娘の鼻をつまむなどしてそれを知らそうとした。(母などに)
婿が御神書を読み、出来るだけ徳を積めば必ず治る。」
明主様御垂示 「恐ろしい眼球の霊視」 (昭和25年1月22日)
信者の質問
「ある信者で御座いますが、霊が憑りました場合目の前にだんだん恐しい眼だけ二つ現われまして、睨まれるようでとても気味悪く感ずるそうで御座います。
本人は三十七年前喘息で死亡致しました祖父の写真の目付きによく似ていると申しますが、霊的に何か関係が御座いましょうか。御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「苦しんでいて、助けてもらいたいのである。
祝詞を奏げればそういう事はなくなる。」
明主様御垂示 「木の根が遺骨を貫いたために頭痛、腰痛になった事例」 (昭和25年2月11日)
信者の質問
「ある家で主人が大変頭が痛く、続いて腰が痛くなりましたので、ある神様に見て貰いましたところ、
墓地に大木の根が来ているから、祖霊が知らせているとの事で御座いましたので、
墓地を掘り起して見ますと、松の木の根が頭蓋骨と腰骨を貫いていましたので、
早速根本を切り取り始末を致しましたところ、病気が全快したとの事で御座います。
こんな事はあり得る事で御座いましょうか。
またあると致しますと、現在林の中に土葬にする地方が御座いますが、どう致しますれば宜敷う御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。」
明主様御垂示
「こういう事はある。死んだ骸は、ある時期まで、霊界の霊と霊線が通じている。
それでこういう事があるとある程度霊にも苦痛があるので、こういう事をして気づかしたのである。
墓のまわりに大木などあってはいけない。
墓の近くにある場合は、墓の方へ行く根を切ればよい。」
明主様御教え 「結核の霊的原因」 (昭和28年10月21日発行)
「結核は薬毒の浄化以外に霊的原因もある事は、以前かいた事があるが、左の御蔭話はそれをよく示していると共に、
結核は伝染するという医学の定説をも見事覆(くつが)えした例である。
ところがこれを読んでも科学迷信のコチコチ頭では中々分り難いだろう。
というのも現代人は学理を第一とし、実際を第二としている変な頭脳になっているからで、この変調頭脳を正常に治すには中々容易ではないが、これが吾々の仕事であるから仕方がない。
事実この誤った考え方のため、命までも棒に振る人が沢山あるのであるから、気の毒なもので、全く現代は文化迷信で地獄を作っているのである。
体験談 主人の結核を救われて
静岡県 晴光中教会 NE(35・女性)
「謹んで御明主様に御礼申し上げます。私こと昭和二十六年九月にふとした動機から、この御道の御力を知り、体の弱い私は何とかして入信致しお救い戴きたく、御浄霊を戴きながら、栄光新聞、メシヤ教の刊行物をむさぼる様に読ましていただいておりました。
世間にありふれた無神論者の主人は、「そんなものに夢中になって」と反対致し笑っておりましたところ、
十月末時分より主人の体に強い浄化が始り、夜は一、二時間位しか眠らず、肩コリを訴え、毎日の弁当も軽くつめてもおいしくないと半分は残し、顔は青ざめ、
結核特有の軽い咳をし、夜はふとんを通しての寝汗に悩み苦しんでおりますので、
私がもしやと思い、「胸の病気ではないのですか」とききますと、「馬鹿なそんな病気ではない」と強く否定しておりましたが、
主人の母と兄姉が結核で倒れております故、私としても非常に不安になり、是非御浄霊の御力にてお救いいただきたく主人を説得致し、
二十六年十一月に私が入信させていただき、それから毎日主人の御浄霊をさせていただきましたが、
主人ももしやとの一まつの不安があります故、医者の診断をおそれ医者へ行くとは申しませんでした。
日毎に病症は強くなり、私だけの御浄霊だけではとても心配でたまりませんので、気の進まぬ主人を引張って支部の先生のところへ御伺い致し、
先生より薬毒の害、霊の曇り等種々お話を伺い、このお道の意義が分り、今度は私より主人の方が熱心になってまいりました。
その間体は痩せ細り夜昼咳のし通しでしたが、夜は眠れる様になり食事も進み、一日に何百回という程の血痰、青痰、はては真赤な血のかたまりの浄化の中に毎日勤めに出て、特に啄のひどい日に一日半休んだだけでございます。
今度は余りの浄化の激しさに私も御力の絶対性を信じながら矢張り不安になり、
「一度医者の診断を受けては」と申しますと主人の意志の方が固く
「先生の御言葉通り咳が出て、血痰が出て結構な御浄化、それだけ体の毒素が出るのだ、すべて明主様の御教えを信じ、明主様にお任せしておけばよいのではないか」とあべこべに私が説得される様になりました。
明けて二十七年の正月頃には、吐く息が牛乳の腐った様なにおいがして、主人とまともには、臭くて臭くてお話が出来ませんでした。
先生に相談すると「毒が古い毒ですから臭うのですよ」と申され、
又「結核は伝染するものではなく、近親者が結核で倒れた場合、その霊が憑依して次に結核患者が出る。それを伝染と言われたのです」と御教えの御取次を賜わりました。
早速父母、兄姉のお位牌を作り供養致しましてから薄紙をはぐ様に快方に向い、明主様の御神徳に感謝致しておりましたところ、
三月末頃より朝になると三十八度五分位の熱が出て、ふるえては勤めに出掛け、夕方になると下り、一週間ばかり続きましたので、
又先生の御浄霊をお願い致し平熱に落着いたと思ったら、今度は「頭が変だ変だ」と申し、
毎日暗い顔を致し口もろくにききませんので、先生にお伺い致しましたところ
「お宅では先祖代々の霊位のお位牌をお作りしてありますか」と申されましたので、
「父母と兄姉のお位牌だけです」と申しましたら「やる事があべこべですよ。霊界においても順序があります」とおさとし下されましたので、
早速西ヶ谷家先祖代々の霊位のお位碑をお作り致し、間違っていた事を御先祖様にお詫び致し、改めて御守護をお願い致しましたところ、
お位牌をお作りして三日目に拭うが如く頭がせいせい致し、気持がよくなったと幾日振りかで晴れやかな笑顔になり、
つくづく霊界の御先祖のお働きの大きな事、科学万能と叫ばれている世の中に余りにも不思議な霊の曇りの恐ろしい事等、しみじみお教えいただきました。
それより一日増に健康にさせていただき、あれ程浄化のあった人とは思われない健康体になり、一本の注射、一服の薬ものまずに世の人々に嫌われる結核よりお救いいただき、厚く厚く御礼申し上げます。
私もただ今膀胱炎の御浄化をいただいております。何分主人と違い長い間の医薬に親しみ薬毒の多い体、日々の御浄化によって毒素を出していただいております。
申しおくれましたが、主人も二十七年二月に尊い御守を拝受致し、毎日夜は主人より御浄霊をいただき、全快する日を楽しみにしております。
その上この曇り多き身にも子宝を賜わり、二人日の子供の出産を今日明日にひかえて、ひたすら、明主様の御神徳におすがり致し、安産の日を待ちわびております。
拙き筆をもちまして御守護の程謹んで御礼の御報告を申し上げますと共に、万分の一でも御高恩に報い奉りたく存じます。
明主様、誠に有難うございました。」
体験談 尊き体験 (祖霊の実在を知る) (地上天国 7号 昭和24年8月30日発行)
日本観音教鶴明会 SM(29・男性)
「本教の偉大なる御霊力を知り私は昨年五月教修を受けさせて頂き佐藤教導所において御奉仕させて頂いております。
数々の御守護の中に今回霊の実在を体験させて頂きました。
隣村広瀬村上ノ新田部落に四月二十日突然KI氏次女Iさんが発病、医師の診断より精神病といわれ「外に別段どこも悪い所はない」と言われたのですが
その後十三日間水ばかり飲み言語は全然通じないので家族の方は心配致した揚句
本教の霊力を一教修生より承り湯本先生より種々教義を親切に教えられ、
K氏は一時も早く全快を願い佐藤教導所を訪れ、佐藤先生より霊的病原と全快方法を聞かされ感心致しました。
早速お許しを得て私が代行して御浄霊を左の如く実施するに実に驚く程の好結果を得ました。
御浄霊一回致し、三時間後の第二回目の御浄霊の場合御観音様に御守護をお願い申上げ祝詞三回御讃歌を御奉唱致し「あなたはどなたですか」と聞いたら全然言葉を出さないで指で字をかく様子に気がつき紙と筆を出したら「ニッコリ」笑いながらかいたのは次の通りであります。
私「あなたはどなたですか」
病人「仏孫父親外四名の戒名を記す」
私「何のためにお憑りになりましたか」
病人「仏をもっと大切に祭ってもらいたいから」
私「いつお立ちになりますか」
病人「六日(孫父親の命日)」
私「お立ちになる方法について教えて下さい」
病人「お観音様のお軸をお祭りして外四名の先祖には二十八日(仏の命日)にお経を上げて下さい」
このような事を患者から知らされた私は現在まで「霊の実在」と言う事は夢のように聞いておりました事を恥かしくなって来ました。
家族の方々も意外なる出来事に驚き直にお屏風の観音様をお祭り致し四名の教修を頂き、この次は必ず光明如来様のお軸をお祭りする事に致しました。
私の胸中には「先祖は生きている」と思うと亡き母親の面影が浮び必ず浮ばれんことを祈ると共に
一層のお道の精進を病める者苦しむ者へ尊き偉大なる御霊光によって一人でも多く救わせて頂き
御恩の万分の一にも報ゆる決意に尊き体験をいただきお礼を申上げたいと存じます。」
体験談 祖霊の戒告 (地上天国 5号 昭和24年6月25日発行)
日本観音教天国会光明分会 IT(33・男性)
「私が昨年九月三十日熱海に御奉仕させていただく事になり大喜びしておりました前日の夜(二十九日)の事で御座います。
娘照子(二歳)が急に熱を出しそうでありましたから、早速御浄霊させて戴きましたところ、御蔭をもちまして直ぐ楽にして戴き寝てしまいました。
お蔭様にて無事に御奉仕させて戴き帰って来ますと、その晩また熱を出し下痢をはじめました。
御浄霊させて戴きますと楽になり、しばらくするとまた痛くなる・・・と言ったような具合で、どうもはっきり致しません。
私はフトかねて鬼頭先生よりお教え戴いておりました「祖霊の戒告」ではなかろうかと思いました。
と申しますのは私の母の父親Kさんは養子に来られた人で、母が生れて後に折合が悪くなり、妻と離縁になり、後妻を迎え家族を苦しめた人だそうで、十五年程前に一家死に絶えております。
母が生存中は供養させて戴いておりましたがその母も他界し、何時の間にか誰も供養する人が無くなっておりました。
こんなわけでKさんが頼っておられるのではないかと思いましたので、法名を書き父母の繰出の中に入れてお祀りを致しましたところ、少しは楽になりましたがまた二日程たって下痢をはじめ熱も段々高くなってまいりました。
大野先生に御願いして御浄霊して戴こうとお伺い致しましたら、座談会にお出掛けになっておられたので、会場まで行って御浄霊していただきました。しかし子供は苦しそうに泣き叫ぶのみで御座いました。
どうも変なので大野先生は再度御仏壇を丁寧にお調べになり、母の位牌の右下の方が割れているのに気付かれました。
アアこれだな・・・と言われ直ぐ新しいお位牌をお祀り致しまして、善言讃詞をお上げになりますと、不思議や子供はさも嬉しそうに笑い出し起き出して庭で遊んだりするようになり、メキメキと元気が出てまいりました。
座談会にお集りの皆様も、これを見て吃驚されておられました。
皆様方も「祖霊の戒告」と言うものをまた「霊」の実在を知り、見えざる力の如何に偉大なるかを認識された事で御座いましょう。
私も目の前に実際を見せられ、はっきりと悟らせていただきました。
お観音様の有難さが身にしみるようで御座いました。
その後一、二度右のような状態になりましたが、父母をお祀りしてある繰出しの中から勘吉さんの御位牌を出してお祀りしたり、勘吉さんの妻子をお祀りさせていただいたり致しましたら、お蔭様で今日まで何等変った事もなく家内中元気に過ごさせていただいております。
今まで人間は死んだらそれまでで、死後の世界などないものだと思い、否考えてもみなかったので御座いましょう。
この世(現世)だけの生活なら時代の波をうまく乗り越える事を考え、それに依って好な事をして喜び、美味い物を喰って愉む事が一番の幸せのように、肉体を主とした勝手な事を考えておりましたが、実に申訳ない事で御座いました。」
体験談 祖霊の警告の一例 (地上天国 3号 昭和24年4月20日発行)
長男宅に仏壇のなかった事例
日本観音教天国会 MY(男性)
「今回不思議なる御守護を頂きまして謹しんで御礼申上げます。
拙宅には男子が三人出来ましたが、二人共不思議に三才になると御医者様に罹りお薬を飲み、注射致しても効がなく衰弱して死んで行きました。
病気は薬や注射に頼っているのでは助からぬ、何とか他に良い方法はないかと日夜思案に暮れておりましたところ、
またまた三男K(二才)が本年四月頃より(生後七ケ月にて体重が四ケ月位に逆戻りして)元気がなく、
またこの子も死ぬのではないだろうかという不安に日夜心配しておりましたところ、
この有難いお観音様のお話を聞かせて頂きまして(最初は物は試しという失礼な考えでおりました)早速山本先生の御来訪に接して御浄霊して頂き、
三日目になりますと、子供も幾分か元気になって参りましたが、それ以上にあらたかなる御利益を戴いた事は、かねて乳不足に悩んでおりました母親が、御浄霊の最中にポタポタと乳がこぼれるようになって来ました。
それ以来、回を重ねるに従って子供は元気になり、その上人工哺乳は不要となりました。
この御利益に感泣した妻は、何はさて置き七月に教修を受けさせて頂きました。
それ以来何となく家の中が明朗となり子供を中心に笑う機会も多くなりました。
八月のある日外で遊んでおりましたK(三男)が三輪車のペタルに左足の指をはさまれ、血が流れ爪は浮き上っておりましたが
医者にも罹らず、薬もつけず、ただ包帯で巻き、妻が一心に御浄霊致し、私が帰宅した時は子供はそのような怪我をしたとは思えぬ元気さ普通では信じられぬ事です。
そして三日の後には知らぬ間に包帯と共に爪は取れて、今日では新しいのに生え変りました。
これも妻が進んでお守を受けさせていただきましたお蔭と御守護によるもので御座います。
誰もが何の苦もせずにこのような偉大なお力をお受けする事が出来るという事は実に有難い事で御座います。
その後十一才と八才の女の子供が気分の悪い時また怪我をした時など「お浄霊をして下さい」と申すようになりました。
これこそ正直な子供が身を以て体験したる御守護によって要求する偽りのない自然の姿で御座います。
今回特に奇蹟的御守護を戴きました事は、十一月十三日(父の命日)の朝、K(三男)が突然に乳を吐き出し、
それ以来何となく気分が勝れず十四日も再三お乳を吐き出し、私達が御浄霊を致しましたが思わしからず、
長島先生に御来訪を求めまして数時間に渉る御浄霊をして戴きました。
お帰り時「皆様のお受けになられたお力も変りありませんから神様を信じて一心に御浄霊をして上げて下さい」とのお言葉でございました。
しかし不思議な事にはいくら御浄霊をさせて頂いても一向に良くならず十五日、十六日と段々衰弱して行く許りです。
如何に信じても、もう不安の心に仕事は手につかす、ついに耐り兼ねて、十八日に長島先生にこの次第を御相談申しましたところ、
早速に御来訪下さいまして、子供の姿を御覧になられ
「これは先祖の霊が憑っているから御先祖様をお祀りなさらぬといけません。御浄霊だけでは御利益がありません。
御先祖は相続者である貴殿がお祀りにならぬといけません。
一刻も早く弟様の宅にある御仏壇を貰ってお祀りしなければ子供の命は危いとのお教で御座いましたが、
私の帰りが遅かったのと同夜は大雨降りでしたから止むを得ずお観音様に御守護をお願い申上げて
死相を帯びた子供の寝姿を不安気に見守りつつ長い夜を明かしました。
翌朝仏壇を取りにゆくために家を出た時の子供の姿こそ、帰るまで生きているであろうかと思いました。
そして焦る心で仏壇を持って帰って来たのが正午過ぎでありました。
帰宅するや、子供の安否を気づかい家にとび込みましたが、幸い生きておりましたが朝と変らぬ弱々しい姿でありました。
それから仏壇を安置しました時、子供が目を覚して泣き出しましたから、妻が抱き起して仏壇の前に来ますと、今まで一言もいわなかったのが仏壇を指さして「ああ」と声を出しました。
その瞬間「ああ有難い御守護だ」これが観音力でなくて何でありましょう。
余りの有難さに今更ながら御観音様の御恵みに一同感泣致しました。
この時丁度山本先生がお越しになられました。
まず仏壇に向って善言讃詞を奏上致され、御浄霊をして頂きました。
二時間程の後には両頬に、少し血色らしいものが認められるようになり、死相は薄らぎ言葉も云えるようになりました。
この間の有様や変化の情景は筆舌にては到底表現の出来ぬ神秘的な出来事で御座居ました。
この日は丁度長男の命日(十九日)でありました。
そして二十日には「はいはい」をするようになり二十一日には二三歩、歩けるようになりました。
そして二十五日にはすっかり元気を回復して食欲も以前より盛んになりました。
そして嬉しそうに遊んでおります。
観音様の無量の大御恵に家内一同感謝で一杯でございます。
この偉大なる御守護に対し謹んで厚く御礼申上ます。」
附 記
「これは祖霊の戒告を気付き救って頂いた好適例である。
本来先祖の霊は我子孫に対し幸福であり、家系が栄える事を熱望している結果、その目的に叶わざる行為がある時はそれを戒告するためと、既に犯した罪穢の払拭とを兼ね行うが、
その手段として種々の災厄、病気等を与える、これは全く右のような祖霊の戒告であって、祖霊が正統である兄の家から離れる結果は家系が紊れ、家系が紊るれば家が断絶する憂があったので、可愛い児を次々に犠牲にして気付かせようとしていたものと思われる」