日蓮宗は一代法華


明主様御講話 「日蓮宗は一代法華」 (昭和27年9月24日)

「現在ちょっと不思議に思われるのは、新宗教がいろいろできましたが、

なんといってもさかんなのは、大本教系統・・・これはメシヤ教と生長の家です。

それから近ごろ三五(あなない)教というのができて、これもなかなかやってます。

あとは日蓮宗の一派の活動はたいしたものです。

立正佼成会なんかもなかなかさかんなものです。

日蓮宗の中の特に霊友会から分かれたのが、みんなさかんなのです。

この間立正佼成会で、江ノ島に竜口寺というお寺がありますが、

竜の口と書いた・・・竜口寺に記念参拝に行きましたが、今年は日蓮宗の開教七百年祭です。

で、たいへんな参拝者ですが、立正佼成会がこの間信者が三万二千人行ったのです。

竜口寺が始まって以来初めてだとか言ってます。

バスが五十何台とかだそうです。

なにしろ日蓮宗の一派というのがたいへんな活躍をしている。

これがたいへんな意味がある。 (中略)


なぜこんなに日蓮宗が活躍しているかと言いますと、

こういうわけなのです。法華経二十八品のうち二十五番目が観音普門品ですが、

大体日蓮宗というのは、私の著書に書いてある通り、つまり法華といって、

法の華を咲かせて実を生らせるというために生まれたものなのです。

そこでいわば観音を生むためです。

ですからこういうことも言えるのです。

釈迦、阿弥陀というのは、観音さんに対して親になるわけです。

父と母によって、つまり観音という子を生むのです。

そうしてミロクの世というのは、一名実相世界です。

「実」というのは、実という字です。

ですから今までは、観音さんという実が生まれるまでは、仮の娑婆といって仮だったのです。

そこでつまりお釈迦さんの時代に観音さんを生んだのですが、これは仏教的だったのです。

ところが今度は最後の現界に世界的に観音さんが生まれなければならない。

それには法の華・・・法華経を大いに弘めて、パッと華を咲かせなければならないということで、今パッと華が咲いている形なのです。

ですからやがて・・・これはここだけでしか言えませんが・・・散るのです。

それから観音さんが生まれる。

そういう形をとりますから見ていれば分かります。

そうすると仏界に生まれるのですから、まずメシヤ教はこれから・・・仏界といえば、日本ですから・・・大いに日本中に発展するというわけです。


で、もう一つは日蓮宗というのは、仏教のうちで・・・仏教は全部月の教えだったのです。

寂光の浄土というのは月です。

南無阿弥陀仏というのも月です。

それが今から七百年前に日蓮上人が生まれたということは、初めて仏界に日が生まれたわけです。

ですからその時に霊界のごく奥の方では黎明になったわけです。

で、メシヤ教は昼間の世界を作る、あるいは昼の文化を造るということで、メシヤ教が初めて昼間の宗教です。

ところが仏教の方でも、日蓮宗が初めて日が出たのですから、つまりあれは昼の仏教です。

で、仏教全体としては、夜の宗教ですから月の教えですが、その月のうちの日が出たのです。

日蓮宗が今非常に活躍しているというのは、そういう意味からも言えるのです。」




明主様御垂示 「日蓮宗は一代法華」 (昭和23年6月18日)

信者の質問
「日蓮や親鸞が地獄に堕ちておるやに聞きおよんでおりますが、この真相はいかがでしょう。」


明主様御垂示
「私の弟子で日蓮信者があり、身延へ行って日蓮が住まっていた建物で拝んでいたら日蓮が淋しい青い顔で現われたと言ってました。

これより前から私には判ってましたが・・・彼の肝腎な点は法華経を弘通した点ですが、法華経とは法の華です。

日蓮以前は南無阿弥陀仏でありこれは月の教え、陰なのです。

川なぞへ飛び込んで自殺するときは「ナムアミダブツ」と言うように、これは陰気なものです。

それに対して日蓮は法華経こそ本当の教えであり、釈迦七十二歳にして見真実となり説いたものだということを発見したのです。

法華経とは仏教の華を咲かせることであり、その中の普門品二十五は実の髄なのです。


また華は咲いてすぐ枯れるから昔から一代法華と言って一代限りがよいとされてるのです。

日蓮は仏教の陰を陽に変えたのです。だから日蓮宗は威勢がいいのです。

それから四ケ格言と言って念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊として他宗をみな排斥したが、あの排他性はいけない。あの態度はおもしろくない。

法の華が散りその実が育って実相真如になると言われている。

しかしこれは逆で真如実相が本当です。

真如とは月のことで、釈迦は仏法を一言で言えば真如だと言ったが、これは夜の世界のことで、昼の世界は実相世界です。

またすべては空に帰すとか仮の物だとか言ったのも夜の世界のことです。

実の髄の仕事を私がするわけです。だから私が実相世界を作るわけです。


親鸞が地獄だとは私の師匠の出口王仁三郎先生から聞いたのです。

あの人はそうとう霊覚のある人だったが、あるとき親鸞が乞食坊主の姿をして現われたそうです。

弘法大師や法然上人は極楽に任しているそうです。

釈迦は勿論さらに一段高い所にいてとてもふつうは行けぬそうです。」




明主様御垂示 「日蓮宗を二代、三代やると家が滅びる」 (昭和24年4月28日)

日蓮宗の御曼陀羅の撤去について

信者の質問
「私は本教に入信以来、仏壇に祀ってあった日蓮宗の御曼陀羅や鬼子母神の御掛軸を、御礼を申し述べてからこれを外し、仏壇の引出しに仕舞いましたが何だか気になります。

現在仏壇は、屏風観音様を御祀りしてありますが、その御掛軸はいかにしたらよいでしょう。」


明主様御垂示
「差支えない。観音様は釈迦よりも上であるから、日蓮でも遠慮して退かれるのが本当である。

日蓮宗は一代法華といって、一代やればよいので、二代も三代もやると、きっと家は滅びる。

華の教であるから長くやるべきものではない。

お曼陀羅は大変間違っている。

上へ大広目天とか大自在天をかき、天照大御神とか春日明神などは小さく下に書いてある。

こういう何々天など仏滅になれば印度へかえる。今は全然間違っている。」




明主様御垂示 「日蓮宗は一代限りで止めてもよい」 (昭和25年8月15日発行)

信者の質問
「六十三歳、男、ふだんより頭重く他人に会うのを嫌い、背中に常に悪寒を感じます。

御浄霊四回にて背中は少々温かみを感ずるようになりましたが、頭の重圧感はとれません。

この家は以前より真言宗でしたが、先代より日蓮宗に替え、日々の拝礼は日蓮宗、法事などは真言宗で行なっております。なにか祖霊の警告でしょうか。」


明主様御垂示
「祖霊の警告もあるし、浄化もある。

日蓮宗と真言宗とまぜこぜにすると、祖霊としては両方へ行かなくてはならぬし、中には日蓮宗を嫌がる霊もあるから、真言宗一つにしたほうがよい。

日蓮宗は一代法華と言われ、一代限りでやめてもよいのである。」




明主様御垂示 「日蓮宗は一代限り」 (昭和24年1月28日)

信者の質問
「仏教信者が自分の代から他の宗教に代わるのはいかがでしょうか。」

明主様御垂示
「一概には言えませんが、例えば長い間真言宗だった人が他の宗派に代わることは、祖先は気に入らぬでしょう。

しかし同じ仏教の間ならたいした違いはありませんがね。

仏教信者が観音教団に入ることはかまいませんよ、先祖が救われるから、非常に顕著に救われるから。

しかし、この道はいままでの宗教を信じながらでいいのです。

いっこう差し支えありません。・・・

日蓮宗は一代法華といって一代限りです。

これは法華経というのは仏教の花ですから長くない。

一代だけは華やかにゆくんですが、散るとあとが悪くなるんです。」


信者の質問
「日蓮宗はいけないのでしょうか。」

明主様御垂示
「いいえ、そんなことはないのです、ふつうの信者の程度ならいいんですよ。・・・

クリスチャンのところへ婿にゆくのは考えものです。

クリスチャンはいいんですが、先祖を祀らない。

これがいけないので、山室軍平なんかは実に立派な人で救世軍のために大いに尽した人ですが、家庭的には不幸だったのはこのためです。」




明主様御垂示 「日蓮宗を代々やるのは駄目」 (昭和24年1月28日)

信者の質問
「仏教信者が自分の代になって他の宗派に取替える事はよろしいでしょうか。御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「一概に言えぬ。長い間真言宗などであったのが、自分の代に替わると、祖先では気に入らぬから、なるべく取替えぬ方がよい。

観音教は喜ぶ。顕著に救われるからで、観音教は祖先以来の仏教を信じながらでいい。

他の信仰は替えぬ方がよい。

一代法華は、一代なら祖先は許す。

代々もやるといけない。法華は長くやるといけない。」




明主様御垂示 「法華信仰は長くは栄えない」 (昭和25年4月20日発行)

信者の質問
「「法華は一代だけで二代以上は宗旨を替えてよい」との御教えをいただきましたが、

(イ)菩提寺が日蓮宗の寺であり、ただ単にその壇家として二代以上続いております場合は、いかがいたすべきでございましょうか。

(ロ)もし宗旨を替えます場合、当然位牌や仏壇の様式をかえたり、お墓を移したりいたすべきかと存じますがいかがでしょうか。

(ハ)お道に入らせていただいております場合はいかがでしょうか。」


明主様御垂示
「このままでよい。本教入信者でも、いまのところそのままでよい。

昔から一代法華という言葉があるが、法華信仰は仏教の中で花に相応するものであるから、

一時パッと花が咲くが、必ず散る時が来るから長く栄えぬというわけである。」




明主様御垂示 「日蓮宗はまずい」 (昭和26年12月1日)

信者の質問
「そこのお嬢さんが嫁に行き、戦争中に焼けて実家に帰り、浄化いただき亡くなりました。主人は東京のアパートで、日蓮宗で・・・」


明主様御垂示
「日蓮宗はまずいな。日蓮宗はそれだけの・・・何がないんです。

日蓮上人が救われたばかりなんだからね。

日蓮上人は、自分を拝めということは遠慮してできないんですよ。

だから、日蓮上人の霊界というのは、すごく低級なものが行っている。」




明主様御垂示 「日蓮宗信徒の墓地を他宗派仏教に移動してよいとした事例」 (昭和24年1月上旬発行)

信者の質問
「現在湯河原に在住の婦人で代々禅宗でお寺は山梨にありますが、主人死去の際遺言によって日蓮宗に帰依し小田原の日蓮宗の寺に葬りました。

今回これを一つにして現在の湯河原にまとめてお祀りしたいと思いますがいかがでしょうか。」


明主様御垂示
「お祀りするということはすべて霊中心であるから、主人の霊がどこまでも日蓮宗を信仰しておればよくない。

しかし光明如来様をお祀りして三年くらい経てばよい。

そして、その霊を移す前によく光明如来様にお願いし霊にもよくその旨伝えてお移しするとよい。」




明主様御垂示 「日蓮宗関係物は全て処分しなければならない」 (昭和25年5月5日)

死臭ある癲癇の事例

信者の質問
「昭和二十年頃入信致しまして、大光明如来様を御祭りしているUS(男性)と申す元教導師ですが、

入信以前から癲癇で大きな声を出して唸ったり、口から血の混じった泡を出したり、手足をバタバタして苦しみます。

また、その時により口笛を吹きながら犬でも呼ぶような手真似するやら、歩き出すやら、いろいろの事をやるのです。

毎日浄霊をさせて頂いておりますが、最近は以前より苦しむ様は一段と激しくなりました。

発作は月に一回で、毎月二十日頃です。発作の二、三日前から本人の体が死人のような臭いが致します。

本年一月頃狂人のようになり、三日間の御浄霊で癒りましたが、

その時の表情は、己は近所の法華だ、人に種々物を頼んで置きながら水一盃上げて拝んでもくれない、と狐のような手真似をしたり、

その外他家の仏がかかって救いを求めたり、またいろいろの生霊もかかりまして、本人の口から喋りました。

本人は入信前に日蓮を信心した事がありまして、現在も日蓮宗の御札をはっております。

四月三十日晩にまたまた発作が起りましたが、今度は以前より激しい浄化で御座いまして、床の間の花瓶の水を飲んだり、子供の口へ無理矢理に押込んだり、

勿体なくも大光明如来様にお茶をかけたり、また外に馳け出す時など大人が二人位では止められない位で御座います。

また、近所の者が集まって御浄霊を致しますと、本人は、お前達が幾人来ても離れないとか、どうしても癒らないとか悪口を言いまして、相手に致しません。

右はいかなる因縁でしょうか。また、どうしたら救われましょうか。御教示お願い致します。」


明主様御垂示
「お札ははがさなくてはいけない。

狐霊はそういうものを本拠にして活躍する。

日蓮宗に関するものは全部処分する。

まとめて祝詞を奏げ、礼を言い、ただ今限り元へお帰り願うと手続きする。

癲癇は、死んだ時口から血を出したりしたもので、他殺であろう。

口笛を吹いて犬を招んでる時にやられたものである。

死の時の状態を表わすものであるから、二十日頃に死んだもので、死臭が残っている。

一時激しくなるのは結構である。

癲癇の連続が気狂いで、霊が憑り易くなると、いろんな死霊が憑るものである。

全部撤去して、出来るだけ祝詞を奏げると、段々よくなる。」




明主様御垂示 「日蓮宗関係物には狐霊が蟠踞する」 (昭和25年3月28日)

信者の質問
「先日御教え頂きました私の実家の母、故SYの遺骨で御座いますが、S家の墓地が複雑致しておりますので、K家の墓地に埋葬するようとの御言葉を頂きましたが、

私共はK田の分家の分家で御座いますので、墓地が御座いませんがどう致したらよろしゅう御座いましょうか。御伺い申し上げます。」

なお大本教出口氏の書はどのように致したらよろしゅう御座いましょうか。御伺い申し上げます。


明主様御垂示
「出口師の書は蔵っておく。

日蓮宗に関係したものは置いてはいけない。狐がそれを本拠にする。

一番近い所の墓地がよい。出来なきや霊は我慢する。」




明主様御垂示 「日蓮宗関係物は自分で処分する」 (昭和25年4月28日)

信者の質問
「私(二十八才)は二十二才の時、材木運搬中転び脊髄と肩と膝を強打致しまして医療を受けておりましたが、

一年程経ってから身体が震えが来まして段々震えが大きくなり止まらなくなりました。

父は私が2才の時に死亡致しましたが、感電死したと聞いております。

一家は前に日蓮の熱心な信者でしたが、お屏風様を御祭り致しまして日蓮のお軸と像を行者のところへ返しに母が行きましたところ、

行者が大いに怒っておったそうですが、その後母と姉が非常に反対をし始めました。

体の震えと父の死と関連が御座いましょうか。また母姉の反対は日蓮行者との関係が御座いましょうか。

御伺い申し上げます。今後宜敷く御守護御願い申し上げます。」


明主様御垂示
「身体の震えとは関係はない。放置しておけば治る。

打った所へ固まっているために震える。そこを溶かせばよい。

医療で、内出血を固めた。固めて筋を押すので、そこを溶かす。

日蓮宗へ題目などを返すのはいけない。

こっちで処分する。光明如来様をお祭りして、暫くの間処分せぬ方がよい。

反対者のあるのにお祭りするのは御無礼になる。」




明主様御垂示 「霊友会関係物は全て処分すべき」 (昭和24年8月9日)

信者の質問
「元霊友会におりました方で仏壇に他家の戒名まで百数十名もお祀り致しております。

その後その家では病気と怪我が絶えません。

たまたま本教の話を聞き縋って参りましたのですけれど、

今迄の霊友会当時の過去帳はどう致しましたらよろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「霊友会でやった事は全部よす。

霊友会では自分の祖先を全部処分する。

他家の分は処分焼却し、自家のもののみとする。過去帳は焼却してよい。」




明主様御講話 「日蓮宗の信者は全部狐が憑く」 (昭和29年4月17日)

「日蓮は以前も言ったとおり、畜生道に落ちて狐の親玉になったわけです。

ですから日蓮宗の信者は全部狐が憑くのです。

それを私が日蓮上人を狐から救って人間にしたわけです。

それで狐と言ったところでみんな人間なのです。

人間が畜生道に落ちて狐になるのです。

龍神は執着によって龍神になるし、狐は人を瞞す、嘘をつくという、それをたくさんやると狐になるのです。

それからまたふたたび人間に還元するのですが、しかしそれはそうとうの苦しみや信仰上の関係でなかったら、容易には復活しないのです。

日蓮上人は私がよほど前に箱根で救ってあげました。

それから留置所にいるときもやっぱり御礼に来て、それからいっそう良くなって、いまメシヤ教のために働いているわけです。

そこで今言っていたとおり「全部狐を救ってもらいたい」ということは人間にしてもらいたいというわけです。

これがみんな人間になると、日蓮宗というのは崩れてしまうのです。

今まであれまで盛んになったということは、狐がやったのです。

ドコドンドンと叩きますが、ああいう浮かれるようなことは狐が大好きなのです。

一種の浮かれたようになって太鼓を叩きながら歩いていますが、あれは狐がおもしろくて嬉しくてしようがないのです。

人間のほうは狐の入れ物で、やっているのは狐がやっているのです。

そう言うとはなはだ形無しになってしまうが、もうこうなったら早く分かったほうがよいわけです。」




明主様御講話 「日蓮宗は悪龍の仕組み」 (昭和27年10月1日)

「日蓮宗は狐がやっているのですが、その奥は龍です。

それで「タチバナ」の「タツ」という言霊(ことたま)は、龍ですから、龍の花ということです。

ですから立正安国論というのは「立」は「龍」です。

ですから立正佼成会とか、「立」という字を非常に使うものです。

私はいつか書いたことがありますが、「主」という字の中の「十」をくずして、こう(//)すると「立」という字になるのです。

ですから「十」が神の形ですから、陀の形はホトケと言って、ほどいてそれを龍神が世の中を支配するのです。

つまり神を解いて、神はほどけて、そうして龍が天下を掌握するというわけです。

そうして「正」・・・これは一を止(とど)めるということですが、

龍が一を止める安国というのは、暗黒の世界ですから、

立正安国というのはたいへんなものです。

やはり悪龍の仕組なのです。

で、日蓮上人は狐になっていたのです。


この間多賀さんの奥さんに日蓮上人の他の坊さん・・・日蓮上人の弟子か何かが狐になって困っているから人間にしてもらいたいと、そんな願いを出していましたが、

日蓮上人も一時狐になっていましたが、その部下が狐になっていて、それがたくさんいる。

で、日蓮上人はもう救われましたが、高頭さんの信者さんに、この間お詫びしてくれと言ってます。

だから仏教のほうの教祖なんかもしばらく地獄で苦しんでいたのです。

地獄に行ってないのは弘法大師くらいです。

あとはほとんど地獄に行っている。」




明主様御講話 「日蓮上人が日蓮宗をつぶしてしまう」 (昭和28年11月1日)

「二、三日前の読売に「救世教奇跡集」の広告が出るし、

同じ日の新聞に霊友会事件が出たが、あれも偶然ではないので意味があります。

あれは日蓮上人が、静岡問題のときに私が留置場にいるとき私に憑かって来て、非常に謝って

「自分がたいへん間違ったことをしたために、許してもらいたい。

それでこれからは日蓮宗を、日蓮宗は自分のほうで、できるだけ早く分からせるようにして、大いに救世教のために尽くす」

というようなことを言って約束したのです。

あれもその一つの現れです。

日蓮上人が日蓮宗をつぶしてしまうということになるのです。

もっとも日蓮上人が地獄で苦しんでいるのを私が救ってやったのだから、そのお礼がてらです。

いつか栄光に出しましたが、天理教の教祖も憑かって来ましたから、今に天理教にもそれが現れます。

人間と違って、神様の約束というものは決して間違いがありません。」




明主様御垂示 「お曼荼羅の処分」 (昭和27年3月10日発行)

信者の質問
「お曼荼羅(まんだら)の処分はいかがいたしましたらよろしゅうございましょうか」


明主様御垂示
「あれは良くないんだがね。それは、その人の想念だな。信仰には本当に入ってないんでしょう。」




明主様御垂示 「軸より鳩出づ」 (昭和24年10月2日)

信者の質問
「私は三十年日蓮宗を信仰致しておりましたが、この度八月御観音様にお救い戴きました。御神体はまだお祭りしておりません。

前に日蓮宗より戴きましたお軸を床の間にかけております。

二十六日夜、床の間でバタバタと音がするので床の間を見ますと、鳩が数十羽、そのお軸より出て参りまして、

暫くする内にその鳩がまたお軸の中に入って行ってしまいましたが、これはどのような訳で御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。」


明主様御垂示
「曼陀羅はいけない。南無妙法蓮華は不可。

こういう鳩は日蓮宗のお寺にいた鳩で、日蓮宗のお世話になって、鳩が霊になって(そのお軸に憑いていた)

仏滅は二、三年で変る。」




明主様御垂示 「魔除けのお曼陀羅と数珠」 (昭和26年8月5日)

信者の質問
「以前禅宗の信者であった人でございますが、黒い珠が行く先々で見えて仕事ができないそうです。

そのときは、ちょうど子供が仏壇の黒い数珠をもてあそんでいるそうです。

夕方家へ帰り仏壇に返しますと、黒い珠は見えなくなりました。

その黒い珠は、以前行者が魔除けにお曼陀羅と共に置いて行ったものだそうでございます。

お曼陀羅は巻いて数珠と共に仏壇の下の引出しに入れてあります。御神体は奉斎しております」


明主様御垂示
「そのままで良い。」




明主様御垂示 「大僧正の書」 (昭和26年8月8日)

信者の質問
「以前 大僧正から南無妙法蓮華経と書いたものを頂いておりますが、この道に入りましたので必要はなくなり、気持ちが添わないようでございますが、誰かにやってもよろしいでしょうか」


明主様の御垂示
「やってはいけない。しまっておけば良い。」