復宗について (元の宗教への復帰)


明主様御垂示 「元の仏教に復帰すべき場合 数年前、強制的に神社神道に宗旨変更」 (昭和26年12月1日)

信者の質問
「私も家内の先祖も鹿児島県で、神道です。

仏壇の中にお迎えし、親類の位牌を最下段にしておりますが、

神道と仏は中心から別けるようにとの御教えをいただきましたが、

最下段に仏をお祀りしてもよろしいでしょうか」

明主様御垂示
「そうですね。

この間言ったのは、神道と仏と別けて、真ん中に観音さんをお祀りするんでしょう。

今の・・・上に神道を祀って、下に仏でしょう。

変えるのは良いじゃないですか。」


信者の質問
「神道の御簾(みす)が下がった、大きなのと変えても・・・」

明主様御垂示
「仏壇は止めて、全体をか・・・そいつはまずいです。あんまり仏を侮辱する。」


信者の質問
「もう一体御屏風様をいただき、別々に・・・」

明主様御垂示
「それもおかしいね。この間言った通りにしたら良い。」


信者の発言
「元は仏で四、五代前に強制的にされた神社神道でございます」

明主様御垂示
「強制的と好んでやったのは違いますからね。

強制的にやったのなら、神道のほうが下じゃないか。

そうしたら、神道のほうはよしたって良い。

仏のほうだけにしなさい。

強制的だったらよしてよい。

先祖だって快くそこに行きません。」


信者の質問
「そこのお嬢さんが嫁に行き、戦争中に焼けて実家に帰り、浄化いただき亡くなりました。主人は東京のアパートで、日蓮宗で・・・」

明主様御垂示
「日蓮宗はまずいな。日蓮宗はそれだけの・・・何がないんです。

日蓮上人が救われたばかりなんだからね。

日蓮上人は、自分を拝めということは遠慮してできないんですよ。

だから、日蓮上人の霊界というのは、すごく低級なものが行っている。」




明主様御垂示 「元の仏教に復帰すべき場合 明治時代の強制的な宗旨変更」 (昭和24年11月6日)

藩命で神式とし没落す

信者の質問
「十月六日に御伺い申し上げました狐に災いされた者で御座居ますが、

御教示のごとく調べて見ましたが、私共では稲荷の札以外何も祀った事は御座居ません。

しかしながら次のような事がありました。

廃藩置県の際、藩主の命により、仏に関する物は位牌に至るまで一切取壊し、

以来祖先の祀りは神道で禰宜さんに祀ってもらう程度で御座居ました。

私の本家は昔庄屋で御座居ましたが、最近は一族全部が没落し、どの家も主人が死んで行く有様で御座居ます。

また、旧藩主家も殆ど断絶の有様と聞いております。

これも何かわけがあるので御座居ますか、御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「位牌取壊しのため祖先が怒ったのである。

そんな事すると霊界で祖先が苦しむ。

それで祖先が病気にしたり殺したりするのであるから、早速仏様を造る。

今にキリスト教も祖先を祀る事となる。」




明主様御垂示 「元の仏教に復帰すべき場合 明治時代の強制的な宗旨変更」 (昭和27年8月1日)

信者の質問
「明治時代に仏教より神社神道に変っておりましたのが、元の仏教に戻りたいというのが三人ございますが・・・」

明主様御垂示
「信仰したわけではないでしょう。それでは仏教で良いです。」


信者の質問
「全部・・・」

明主様御垂示
「全部良いです。」


信者の発言
「信仰して変っており・・・」

明主様御垂示
「しかし、それは信仰ではありません。信仰したわけではありません。

根本的に神道になったわけではない。規則だったのですから・・・。」




明主様御垂示 「元の仏教に復帰してよい場合 神社神道への強制的な宗旨変更」 (昭和26年8月8日)

信者の質問
「御屏風観音様は神道でもよろしいでしょうか」


明主様御垂示
「神社神道と宗派神道と二つあるんです。

神社神道は一種の強制的にやられたもので、それは仏教に一緒にしても良いが、宗派神道は信仰ですからね。」




明主様御垂示 「元の仏教に復帰してもよい場合 百年前に藩主の命令で宗旨変更」 (昭和26年11月1日)

信者の質問
「岐阜県のある地方で、昔藩主が寺を廃止させて、神道に変えたそうでございますが、

最近メシヤ教に入り、仏壇を買ったほうが良いか、どうかと言うのでございます。神社神道でございます」

明主様御垂示
「氏神様か、なにかですか。しかし、神社神道くらいで、仏さんを止すというのはね。よほど前ですか。」


信者の発言
「百年くらい前だそうです」

信者の発言
「殿様が、仏教を全部取り片付けさせ、古い家にはしまってあるところがございます。明治になってでございます」

明主様御垂示
「そうです、明治には・・・あのときは廃仏毀釈でね。そういう時代がありましたね。

しかし、それは殿様の命令でやったんですか。

命令でやられたのは、あまり祟るということはないんです。

しかし、自発的というのは怒ります。」


信者の質問
「宗旨を覚えていないのは、今にメシヤ教の祀り方ができるからと言っておりますが・・・」

明主様御垂示
「良いですよ。けれども、やっぱり霊界を作ったほうが良いからね。

ただ、先祖代々の位牌と屏風観音様で良いでしょう。

要するに、救われても居所がないから、その居所を作ってやるんですね。」




明主様御垂示 「元の真言宗に復帰すべき場合 先代の宗旨変更」 (昭和25年8月15日発行)

信者の質問
「六十三歳、男、ふだんより頭重く他人に会うのを嫌い、背中に常に悪寒を感じます。

御浄霊四回にて背中は少々温かみを感ずるようになりましたが、頭の重圧感はとれません。

この家は以前より真言宗でしたが、先代より日蓮宗に替え、日々の拝礼は日蓮宗、法事などは真言宗で行なっております。なにか祖霊の警告でしょうか。」


明主様御垂示
「祖霊の警告もあるし、浄化もある。

日蓮宗と真言宗とまぜこぜにすると、祖霊としては両方へ行かなくてはならぬし、中には日蓮宗を嫌がる霊もあるから、真言宗一つにしたほうがよい。

日蓮宗は一代法華と言われ、一代限りでやめてもよいのである。」




明主様御垂示 「元の真言宗に復帰すべき場合 親の代に禅宗に宗旨変更した事例」 (昭和24年6月22日)

信者の質問
「ある信者で御座いますが、先祖代々真言宗で御座いましたのを、

今の主人の親の代に都合により禅宗に変更致し、墓地も禅宗の寺の一角を求め、ただ今そこにお墓が御座います。

しかし入信いたしましたのでこの度真言宗にかえりたいと思い、禅宗の寺に話しましたところ、お寺で仲々檀家を抜いてくれません。

その家では子供が亡くなっておりまして、早速位牌も作りたいと思っておりますが、

そのような場合どう致したらよろしゅう御座いましょうか。」


明主様御垂示
「大して問題でない。

同じ仏教であるから大体同じだが、真言の方が派手なだけで根本は釈迦の教である。

今度位牌をつくる場合も禅宗でよい。

真言、禅宗等は大乗、陰で、日蓮は仏の中の小乗で火であり自力で、他は全部他力である。」




明主様御垂示 「元の宗教に復帰すべき場合 二年前に霊友会に入信した事例」 (昭和24年7月30日発行)

信者の質問
「私は昨年春入信させていただき、昨秋光明如来様もお迎えさせていただきました。

二年前霊友会に入り法座も位牌も霊友会の型に改めそのままにしておりますがどのように処置したらよろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「元の通りにするのがよい。

祖霊によって怒るのがあるからで霊友会は日蓮宗である。」




明主様御垂示 「霊友会関係物は全て処分すべき」 (昭和24年8月9日)

信者の質問
「元霊友会におりました方で仏壇に他家の戒名まで百数十名もお祀り致しております。

その後その家では病気と怪我が絶えません。

たまたま本教の話を聞き縋って参りましたのですけれど、

今迄の霊友会当時の過去帳はどう致しましたらよろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「霊友会でやった事は全部よす。

霊友会では自分の祖先を全部処分する。

他家の分は処分焼却し、自家のもののみとする。過去帳は焼却してよい。」




明主様御垂示 「元の宗教に復帰すべき場合 一年前に立正佼成会に入信した事例」 (昭和24年9月13日)

信者の質問
「昨年故人の戒名で、金額により上下のあるのはよくないとの知人の勧めによりまして、

立正佼成会に入会致し新たな戒名を一律に付直して頂き御祭り致してありますが、

家は代々西本願寺の浄土真宗で、立正佼成会のは日蓮宗なのです。

宗旨を変えまた故人の戒名を変えました事は祖先の仏様に対して悪い事なのでしょうか。

また悪ければ立正佼成会から頂きました御札はどう致したらよろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「祖先は怒る。

勝手に人間が変えるのはいけない。

早速止めるべきである。

立正佼成会のお札は、お礼して焼いてしまう。」




明主様御垂示 「元の浄土真宗に復帰すべき場合 十六年前に仏立講に入信した事例」 (昭和24年6月27日)

信者の質問
「私の家は真宗高田派でしたが、昭和八年東京に移り、

知人の熱心な勧めにより本門仏立講に改宗しましたが、その後二人の子供を亡くしこの宗旨にて葬りました。

先祖の位牌は真宗により田舎にいる妹が世話を致しております。

その後本教に入信させて頂き数々の御守護を授けられ、光明如来様も奉斎させて頂いており、

今は総てを観音様におまかせ致したいので御座いますが、

今後御先祖の御祭りはどう致したら宜敷いでしょうか、御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「元の真宗でお祀りすればよい。

同じ仏教でも真宗と禅宗なら余り変らず同じようなものだが、南無妙法蓮華経は全然異うので先祖は嫌がる。

子供が死んだのもその関係があるかもしれない。

先祖が気に入らぬのである。

仏立講は根本から悪い。

これは日正上人という日蓮宗の坊主が、一番最初流行神にするには花柳界に限るというので、吉原の女郎屋へ拡めた。

そして女郎に盛んに弘めた。つまり遊廓で発祥したので、そこで発展した。

そして次に柳橋の芸妓屋へ拡めたのである。殆ど狐である。

それ故、これを信仰するのは花柳界の女郎かヤクザとかで、悪い事をするにはいい。

狐の守護であるから善い事をするには適せない。

真宗のお寺へ祀ってお屏風観音様をお祭りすればよい。」