改宗について


明主様御教え 「祖霊と死後の準備」より (昭和24年8月25日発行)

「(一部のみ引用) 今一つ注意すべきは改宗の場合である。それは神道の何々教に祀り替えたり、宗教によっては仏壇を撤去する事があるが、これらも大いなる誤りである、

改宗する場合といえども、祖霊は直ちに新しき宗教に簡単に入信するものではない。

ちょうど生きた人間の場合家族の一員が改宗しても他の家族ことごとくが直ちに共鳴するものではないと同様である。

このため祖霊の中では立腹さるるものもある。叱責(しっせき)のため種々の御気付けをされる事もある。

それが病気災難等となるから、この一文を読む人によっては思い当る節がある筈である。」




明主様御講話 「改宗について」 (昭和26年10月18日)

(「祖霊まつりについての注意」の後の御教え)

「よく、宗教を替わった場合に、特に神道ですが、神道に祀るのが良いとして、また先生にもそういう風に勧められますが、それが、祖霊にとっては非常にありがた迷惑なんです。

それを霊が出て言うんですから、一番はっきりしているんですが、以前から私が、やたらに改宗してはいけない。

一軒の家族でも、揃って改宗する事は滅多にないんですからね。

ところが、やっぱり祖霊さんでも同じ事で、天理教の信者になっても、俺は嫌だ。

昔からの仏界の方が良いと言う祖霊の方が多いですから、それを気づかせようと思って、天理教に入ってから、重い病気になったり、苦しんだりすると言うのは、そう言う訳なんです。

また、キリスト教に入って先祖を祀らなくて良いと、祖霊を祀るのをやめますが、祖霊は悲しんだり怒ったりします。


ところがメシヤ教は違います。

信者になったというだけでも喜びますから、不賛成と言うものはないんです。これは霊が憑ってよく言います。それでも中にはこういうのがあります。

御嶽教、豊川さんと、いろんなのがありますが、そう言うので、役員になったりしたのが、霊界に行ったのは、メシヤ教は良い宗教には違いないが、癪に障ってしょうがない。

邪魔してやれと言うのがいる。また狐が憑って邪魔する場合もありますからね。

すぐに祀り替えや、そう言う事はしないようにして以前通り祀ってやって、何年か経ってから、メシヤ教が分かって来るから、ぜひ祀られたいと言う気分が起こってきますから、これが一番安全なんです。


稲荷なんかそうですね。

狐ですから、悪い方が多いが、メシヤ教と言うと、とんでもない。邪魔してやれと言うのがいる。

この間の地上天国の質問応答に、そう言うのがありました。

これは先生が知らないんですが要するに指導者の失敗ですね。

光明如来様をお祭りするや否やすぐに処分してしまった。

それで狐が怒って・・・と言うのがあった。

それで処理の仕方が早かった。

という事を答えた。そんな訳で祖霊さんを祀り替えるという時も、慎重にしなければならないという生きた実例なんです。

それでいずれメシヤ教の方の祭り方ー形式をこしらえますが、今の所は、こっちの方で、そう言う形式になってないんだから、威張って言えませんが、そう言う点はメシヤ会館が出来てからです。

本部の形が一通り出来てから、そう言う冠婚葬祭のやり方について考えます。

やはり順序から言って、本部の形が出来てからでないと、順序が違うんです。

それで、それまでは待ってもらうとして、今のお蔭話も、祖霊さんについてのこういう実例を見ると、大変参考になりますから、それで読んだのです。」




明主様御講話 「改宗に怒る祖霊は子孫を病気にすることもある」

「いままでの宗教には、こういう実例がある。

神道や大本教などで、祖先を祀ると子孫は救われたと思う。

それで、いままで信仰した宗教で祀ったものを撤廃する。

ところがそうではないので、祖先もその宗教に必ずしも入らぬ。

現在一家の家でも、いままでの宗教をすてて、すぐに新しい宗教へ入ることはできない。

生きてる人でさえすぐに入れぬ。

一家揃ってすぐに新宗教へ入るなどめったにない。

中には反対するものあり、弘法を信仰していて、霊界で弘法の側など行けば結構で、

それを阿弥陀など子孫が祀るとはなはだ迷惑する。

祀るから行かないわけにはゆかぬ。

中には仏により非常に怒るものもある。

しかも仏壇へチョイチョイ行く霊は怒って反対に病気を起こさす場合がある。

よく何教、何教と他宗へ行って、病気になるのがある。

実に不思議というが、多くはそういう関係である。

この点は本当に困るのであります。」 (全文は「罪と病気 2」のページ)




明主様御教え 「精神病」 (昭和24年12月30日発行)

「十七歳の女学生の精神病を扱った事がある。

これは非常に暴れ、ある時は裸体となって乱暴する。

その際三人くらいの男子でなくては制えられない程の力である。

また大いに威張り母親を叱りつける事がある。

しかるにこの原因は左のごときものである事が判った。

すなわち娘の父は数年前没し、現在は母親のみであったがその母親は、数ケ月前ある宗派神道の信者となったので、祖霊を祀り替え、仏壇や位牌を処分した。

それがため父の死霊が立腹したのが動機となった。

ところが父のまだ生きている頃、その家は仙台から東京へ移転したが、

元の邸宅を売却し邸内に古くから祀ってあった稲荷をそのまま残したので、

買主は稲荷の祠を処分してしまったため、その狐霊が立腹し、上京した父に憑依し父は精神病となりついに死亡した。

このような訳で、父親の霊と稲荷の霊との二つが娘に憑依したためであった。

故に発作時父親の霊は母親を叱り、狐霊は常軌を失わせるといったような具合であったが、私の治療によって全快し、その後結婚し、今日は二児の母となり、なんら普通人と異ならないのである。

右のごとく古くからある稲荷を処分した事によって、精神病になる場合が非常に多いのである。


今一つおもしろい例をかいてみよう。

これは、二十歳の青年で、大方治癒した頃私の家で使用した。

いつも庭の仕事などやらしていたが、私の命令に対し狐霊が邪魔するのである。

例えばある場所の草を全部刈れと命じ、暫くして行ってみると一部だけが残っている。

私は、「なぜ全部刈らないか」と訊くと、「先生が「そこだけ残せ」と言われました」という。

私は、「そんな筈はない。それでは「一部残せ」と言った時、私の姿が見えたか」と訊くと、「見えないで、声だけ聞こえました」と言うので、

私は、「それは狐が私の声色を使うのだから、以後注意せよ」と言ったが、直に忘れて右のような事がしばしばあった。」




明主様御垂示 「先祖は改宗を怒る」 (昭和24年2月4日)

信者の質問
「宗旨変えをしました場合、祖先の霊にいかなる影響を及ぼすものでございましょうか。」


明主様御垂示
「仏教同志では大した事はないが、仏教から神道へ替えるのは大分違う。

特にキリスト教は余程ちがう。軽々しくは出来ない。

不賛成の祖先が多いから変えてから怒る。

以前祖先が怒って娘に憑り、裸になって大暴れしたのがあった。

治療で治って子供まで出来た。

これは先祖が大本教を嫌がり、それに狐が憑って母親を意見した。

故に自分だけがその宗派をするのが間違いない。

霊でも生きた人間と同じ事である。」




明主様御垂示 「先祖は改宗を怒る」 (昭和23年8月21日)

信者の質問
「仏教の家庭が二、三代前から宗派神道に改宗し、今回更にこのお道に入信した場合、祖霊の祭り方はどう致すのが正しいので御座いましょうか。御教えを御願いいたします。」


明主様御垂示
「神道に改宗しても、祖霊はすぐに改宗するはずがない。

未だ仏界にいて、その中のいくらかは神道へ入るのもいる。

仏壇など改宗すると非常に怒る。それで災難やなどが起る。

であるから改宗しても仏はそのままにしておく。自分だけが改宗する外はない。

観音様は何派でもよい。すべてに共通している。これは何教の霊でも喜ぶ。

両宗派のある場合は、両方へ別々に屏風様を祀るとよい。

キリスト教へ入ると、祖先の礼拝をやめるので非常に怒る。

神道の人も観音様を拝んでもよいが神社神道は延喜式で祭る。

大体、産土の神がその御用をする事になる。

宗派神道は、教祖が一つの範囲を作って救う。

今迄の神社の祭神の神名は本当のものではない。

代理のようなものであるが、その名前で、その神社のやり方でよい。

今迄は仏界でした。そして神道は殆ど存在さえ認められなかった。今度は仏界が消滅し、神道が確立する。

キリスト教で死んだ霊は、仏教で祀る要はない。

霊の希望による。俗名○○の霊でよい。祖先の中へ入れてよい。

こういう点は、今はっきり出来ぬ。将来世界的になるといいが、今一般的に種々になっている。それが宗派に現われる。」




明主様御垂示 「先祖は改宗を怒る」 (昭和23年11月28日)

信者の質問
「いままで神道だった人がお道に入られた場合、御先祖はどのようにお祀りすべきでしょうか。」


明主様御垂示
「お祀りはそのままでよろしい。

先祖の代から神道ならいいが途中から仏立講みたいに過去帳にすると先祖は怒りますよ。あれは非常に間違っている。」




明主様御垂示 「先祖は改宗を怒る」

信者の質問
「私の家は祖父の代迄仏教でありましたが、祖父が天理教に改宗し、祖父の死後父が引続いて天理教を信仰しております。

私は二男ですが天理教の信仰を捨て本教に入信させて戴き、最近急に仏壇を祭りたい気持になりました。

父が天理教で先祖を祭り、私が仏壇を祭っても先祖の霊は迷わないでしょうか。

また自分でお祭りをする際、何と唱えたら招魂が出来るでしょうか。

天理教信者で亡くなった祖父や母の霊はどうすればよいでしょうか。」


明主様御垂示
「仏壇を祀れば、天理教でない人はそれを拝む。

父は天理教で拝むのが本当で、祖父が仏教で、両方やらねばならぬ。

霊界で仏壇にしても天理教の人はすぐに入らぬ。仏界にいる仏もある。故に両方祀らなくてはならぬ。

よく神道に入って仏を放棄する場合、非常に祖霊は怒る。」




明主様御垂示 「先祖は改宗を怒る」 (昭和24年8月15日)

信者の質問
「私の家は二十年程前に真宗の信仰より金光教の信仰に入り、その時仏壇は売却致しました。

昨年夏より五六七教の信仰に入り金光教とは本年春手を切りました。

つきましては仏壇を新に買求めるべきでしょうか。」


明主様御垂示
「金光教に改宗しても、仏壇に祀られたものは仏教を信じている。

金光教の新信徒になって、中には金光教が良いとするものもいる。

仏壇撤去によって反って祖先は怒る。

そのために不幸が起った事が沢山ある。

五六七教の中へは金光教も真宗も入ってるからどちらでも構わぬ。

ただ五六七教の祭形式が出来てないから。」




明主様御垂示 「入信後の仏教浄財」 (昭和23年11月17日)

信者の質問
「よく仏教信者が、本教を信仰するようになって、仏教に対して浄財しなくなる人があるが、よろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「勿論それはいけない。

寺が立って行くだけの面倒はみなくてはいけない。

未だ霊界は仏界があるから極端になってはいけない。

霊は人間と同じように、例えば一家でも、一人が信仰に入り、他の者が入らぬように、霊が気に入らぬ(のがある)のであるから、無理に信仰させる事はよくない。

キリスト教は祖先を祀らぬ。

これは緯の教えであるからで、信者は不幸な人が多い。緯の民族なら、霊界が違うからよい。」




明主様御垂示 「本家が宗旨変更をした事例」 (昭和24年8月21発行)

信者の質問
「本家は昔から真言宗だったのが最近霊友会へ宗旨替えをいたしました。

分家は本教信者となり、光明如来様をお祀りしておりますが、これはそのままでよろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「いいですよ。

霊線を伝わることによっていまに本家も変わってきますよ。

しかしこんなふうな宗旨替えをすると先祖が怒るから、この本家にろくなことはないですよ。

先祖が腹を立ててなにかやりますからね。

それで気がつくようになってくるでしょう。」




明主様御垂示 「家族のうち一人だけが別派仏教の事例」 (昭和25年4月20日発行)

信者の質問
「私の先祖は代々浄土宗で葬ってありますが、兄だけは禅宗で葬ってあり、戒名も禅宗ですから浄土宗に改めたいと思いますが、

寺が遠くにありますので近くの浄土宗の寺で戒名を改めたいと思いますが、このようなこともできますでしょうか。」


明主様御垂示
「仏教では各宗派大差はないが、禅宗が最高であるから戒名もそのままでよい。

そのうち祖先も全部メシヤ教へ入ることになる。」




明主様御垂示 「仏界霊はすぐには神界へ行けない」 (昭和24年2月27日)

信者の質問
「仏を祭らず神だけ祭る宗教があります。

そういう家の霊は、死んで直ぐ神界へ行けるのですか。

またそういう家で死んだ者の霊が憑依した時、どういうように霊を祭ったら宜敷いか。

勿論戒名がありません。御教え下さい。」


明主様御垂示
「仏界で祀られた霊はすぐに神様の所へ来ない。

何年先になると判らない。

ひどいのになると仏壇を壊すのがある。

以前大本信者でそんなのがあった。

父親に憑いて精神病に・・・そしてまた娘に憑いた。(私の家におった)」




明主様御垂示 「仏界霊はすぐには神界へ行けない」 (昭和23年)

「仏界の霊は神界へ祀ってもすぐ来ない。何年先か判らない。あるいは中には怒るのもある。」




明主様御垂示 「先祖の戒名を変更してはならない」 (昭和24年12月20日発行)

信者の質問
「私宅は代々浄土真宗ですが、昨年知人のすすめにより○○会に入り新たに戒名を一律に改めてもらいました。

宗旨をかえ戒名をかえましたことは祖先に対して悪いことでしょうか。

またもし悪ければ○○会からいただいた御札はいかがいたしたらよろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「これはいけませんね。

怒りますよ、祖霊が。勝手に人間のほうでかえるなんてとんでもない、さっそく元通りにしなけりゃいけませんよ。

そしてその会の御札は御礼をしてから焼いてしまえほいいですね。・・・

ずいぶん乱暴ですね、こういう間違ったことがいけないんですよ。」




明主様御垂示 「霊界のキリスト教信者が位牌を作られるのは迷惑」 (昭和24年7月10日)

信者の質問
「御道に入信した人の先祖をキリスト教で葬ってある場合、その仏の御位牌はいかがいたすべきでしょうか。」

明主様の御垂示
「いや別にお祀りしなくてもいいですよ。

キリスト教を信仰してたんなら、本人は死んでからキリスト教の団体に行きますからね。

やっぱり霊界にもキリスト教の団体が出来てるんで、仏教式に祀られるとかえって有難迷惑ですよ。」


信者の質問
「身寄りの者がこの御道に非常に熱心になっても、それでよろしいでしょうか。」

明主様の御垂示
「そうです。そりゃあ、ずっと将来はどうか判りませんよ。ただ、今はそれでいいんです。」




明主様御垂示 「子孫がキリスト教に改宗しても祖霊祀りとして仏壇は必要」 (昭和24年8月21発行)

信者の質問
「キリスト教では、戒名はございませんが、洗礼のときのクリスチャンネームでよろしいのでしょうか。」


明主様御垂示
「仏教っていうのは経の教えですから、つまり霊界を重視するんです。

それに対してキリスト教は経ですからぜんぜん違うんです。

西洋の霊界はそうなっているからそれでいいし、それから日本の霊界にもキリスト教の霊界ができてますからね、戒名をつけなくてもキリスト教の人は差し支えないんですよ。

戒名をつけられて仏教で祀られるとかえって迷惑なくらいなんです。

ところがキリスト教に入った人で、いままでの先祖を祀らないと、先祖は困っていろいろ知らせようとするんです。

だからキリスト教になっても、仏様だけは従来の通り仏壇に祀っておくべきですね。」




明主様御垂示 「日蓮宗は一代法華」 (昭和24年1月28日)

信者の質問
「仏教信者が自分の代になって他の宗派に取替える事はよろしいでしょうか。御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「一概に言えぬ。長い間真言宗などであったのが、自分の代に替わると、祖先では気に入らぬから、なるべく取替えぬ方がよい。

観音教は喜ぶ。顕著に救われるからで、観音教は祖先以来の仏教を信じながらでいい。

他の信仰は替えぬ方がよい。

一代法華は、一代なら祖先は許す。

代々もやるといけない。法華は長くやるといけない。」




明主様御垂示 「日蓮宗は一代法華」 (昭和24年1月28日)

信者の質問
「仏教信者が自分の代から他の宗教に代わるのはいかがでしょうか。」

明主様御垂示
「一概には言えませんが、例えば長い間真言宗だった人が他の宗派に代わることは、祖先は気に入らぬでしょう。

しかし同じ仏教の間ならたいした違いはありませんがね。

仏教信者が観音教団に入ることはかまいませんよ、先祖が救われるから、非常に顕著に救われるから。

しかし、この道はいままでの宗教を信じながらでいいのです。

いっこう差し支えありません。・・・

日蓮宗は一代法華といって一代限りです。

これは法華経というのは仏教の花ですから長くない。

一代だけは華やかにゆくんですが、散るとあとが悪くなるんです。」


信者の質問
「日蓮宗はいけないのでしょうか。」

明主様御垂示
「いいえ、そんなことはないのです、ふつうの信者の程度ならいいんですよ。・・・

クリスチャンのところへ婿にゆくのは考えものです。

クリスチャンはいいんですが、先祖を祀らない。

これがいけないので、山室軍平なんかは実に立派な人で救世軍のために大いに尽した人ですが、家庭的には不幸だったのはこのためです。」




明主様御垂示 「日蓮宗は一代法華」 (昭和25年4月20日発行)

信者の質問
「「法華は一代だけで二代以上は宗旨を替えてよい」との御教えをいただきましたが、

(イ)菩提寺が日蓮宗の寺であり、ただ単にその壇家として二代以上続いております場合は、いかがいたすべきでございましょうか。

(ロ)もし宗旨を替えます場合、当然位牌や仏壇の様式をかえたり、お墓を移したりいたすべきかと存じますがいかがでしょうか。

(ハ)お道に入らせていただいております場合はいかがでしょうか。」


明主様御垂示
「このままでよい。本教入信者でも、いまのところそのままでよい。

昔から一代法華という言葉があるが、法華信仰は仏教の中で花に相応するものであるから、

一時パッと花が咲くが、必ず散る時が来るから長く栄えぬというわけである。」




明主様御垂示 「日蓮宗信徒の墓地を他宗派仏教に移動してよいとした事例」 (昭和24年1月上旬発行)

信者の質問
「現在湯河原に在住の婦人で代々禅宗でお寺は山梨にありますが、主人死去の際遺言によって日蓮宗に帰依し小田原の日蓮宗の寺に葬りました。

今回これを一つにして現在の湯河原にまとめてお祀りしたいと思いますがいかがでしょうか。」


明主様御垂示
「お祀りするということはすべて霊中心であるから、主人の霊がどこまでも日蓮宗を信仰しておればよくない。

しかし光明如来様をお祀りして三年くらい経てばよい。

そして、その霊を移す前によく光明如来様にお願いし霊にもよくその旨伝えてお移しするとよい。」




明主様御垂示 「宗旨変えしても良い場合 廃寺、引越し」 (昭和27年3月10日発行)

信者の質問
「宗旨を変えるということはいけない、とお伺いいたしておりましたが・・・」

明主様御垂示
「宗旨を変えても良いですよ・・・メシヤ教になればね。

変えるというのはどういうのと変えるんですか・・・浄土宗を日蓮宗に変えるのですか。」


信者の質問
「二代、三代前に、そういう風に変りました場合には・・・」

明主様御垂示
「だいたいはいけないんですよ。何となれば、祖先が承知しないからね。

だから、かえって禍がありますよ。

ところが、宗旨によっては・・・お寺がつぶれちゃったとか、お寺が遠くなったという場合に、やむを得ず変わる場合がありますが、

原則としは・・・祖先が霊界が異(ちが)っちゃうと、そっちにいかなければならないからね。

しかし、不可抗力なことがあった場合は良いんです。

つまり理屈がつけば良いんですよ。」




明主様御垂示 「事情があれば改宗も許される 霊祭会の神式から仏式へ」 (昭和24年4月9日)

信者の質問
「三重県宇治山田市宇治U町に霊祭会と言う神式でお祭りした墓があります。

それを静岡県富士郡富士町へ墓石及び骨を移転させたいと思いますがいかがでございますか。

勿論こちらへ祭る時は仏式で祭りたいのです。

家の方は仏壇及び仏式の戒名でお祭りしてあります。御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「神道で祀らなければいけない。しかし、事情があればよい。」




明主様御垂示 「中国人の夫が道教信者の場合には仏式で先祖供養してよい」 (昭和28年5月1日)

信者の質問
「夫が中国人、奥さんが日本人の国際結婚でございますが、両名とも入信いたしております。

奥さんは御屏風観音様をいただき、仏壇で祀りたいと申し、主人も反対ではございませんが、主人は道教だそうでございます。

いかがいたしましたらよろしいでしょうか」

明主様御垂示
「日本の仏様でお祀りして結構です。」


信者の質問
「位牌はどのようにいたしましたらよろしいでしょうか」

明主様御垂示
「位牌はただ何々の霊とすればよいです。

名前だけでは生きている人の扱いで嘘ですから。」


信者の質問
「まだ両親は健在だそうでございますから、何々家先祖代々の霊位という位牌でよろしいでしょうか」

明主様御垂示
「それでよいです。」




明主様御垂示 「個人の信仰選択は自由」 (昭和24年8月15日)

信者の質問
「祖先のお祭りにつきまして、代々仏式でありましたが祖父のみ神式であります。

祖母がもし帰幽すればいかがすべきでしょうか。」


明主様御垂示
「祖父が神式なら後神式でなくてはいけない事は決してない。

子孫は仏教でも何でもよい。どっちでも都合のいい方がよい。

親子でも夫婦でも信仰は独自である。」




明主様御教え 「祖霊祭りに就ての注意」 (昭和26年12月5日発行)

「いつもいう通り、宗教を代えた場合、その宗教の先生に勧められるまま、祖霊を祀り変えるが、これは大いに注意すべき事である。

左の御蔭話にはその点祖霊が出てよく分らせたので、大いに参考になると思うので、この文を添えたのである。


体験談 「一家断絶寸前の境地より救われし喜び」

北海道 旭光中教会 KT

「拙き文筆に託しまして今日この天国の世界に救って戴きました喜びを御報告させて戴きます。

私達は農家にて、明けても暮れても明るい生活を致しておりましたが、

可愛いい妹が胃腸病を致し二歳にてこの世を去りました。

妹が亡くなってからも幸福な日々を過しておりましたが昭和四年九月光子三女が二歳にして又もこの世から去って行き、

一家悲しい一週間を過ごし、妹の事もどうやら思いが消えたのも束の間、

次は長男喜作がカン虫にて同年十月二日に死亡致しました。

両親もどうして次から次へと我が子が死んで行くのだろうと心配致し、一時は仕事も手につかず、

毎日何も致す事なく日々を暗い思いで送っておりました。

一年に二度葬式を出すそれも二カ月間に二人死す家も珍しい事でしょう。

そうこうしている間に一年は過ぎ去り、昭和六年になり正月も無事に過し、二月を迎えましたところ、

次に稚子が病魔に取つかれ、二十一日を最期とし又々世を去って行きました。

両親は我が子のいたましさに身をさかれる思いにて、昼間は仕事に追われておりますが、夜ともなれば仏の前に座し泣を流す。

それが日課のごとくくり返されました。

それ迄は虻田郡の京極におりましたがある人に見てもらいましたら家が悪いとの事、

早速私達は十勝の現在の所へ移り変りました。


あまり心配と無理を致したせいか、母親が腹膜病にて床につく身となりました。

父親もこうなれば必死になり、医者よ薬よと到る所へと通わせましたが一向に治らず、神におすがりする身となり、

天理教に母親が昭和七年に入信致す事となり、神の御守護にて母親も無事全治致しました。

天理教に入信させて戴いてこの方迄は無事に明るき生活が出来るようになりました。

月日の流れるのは矢のごとくとやら、昭和二十三年に入り楽しい正月を迎えました。

至って母親は身体弱いので農業もあまりせず天理教教会にいつも通い、お詣りさせて戴いておりましたが、

ついに今度は母親が同年五月坐骨神経痛にて死亡致し天理教にて御葬式をして戴き、

それからは父、私二人の生活となり、一生懸命神におすがり致していました。

母親が亡くなってから一週間目に今度私が脳膜炎の状態となり、早速医者に行き手あてをして戴きました。

御蔭をもって脳膜炎も無事に良くなりましたが心臓、痔、脚気と次から次へと病み、

私もこれでこの世とお別れ致さなければならない身となり、

毎月の十五日より二十五日の十日間はきまって頭痛が致し、

病のどん底におとされて毎日父にお世話になり、天井とにらめっこを致しているのが日々の仕事でした。

父は仕事も出来ず今日はこの医者へ、昨日はあの医者へ、明日は祈祷屋へと毎日四里の道を我が子可愛いさの為に通って下さいましたが、

一向に私の体は良くなりませんでした。

私も九分九厘あきらめておりました。


それからが私達一家に光明が差込んで来たのです。

忘れも致しません、昭和二十六年一月十三日、豊頃より来られたS先生が、

私が床についているのを見て神のお話をされ、又神の力にて病を治して戴ける事もお話し下さいましたので、

早速御浄霊をして戴く事に致しました(天理教に入信致しておりましたので何のうたがいもありませんでした)。

一日一日と体が良くなって来ます。

S先生も遠い道(六里)を通い、あるいは泊られ、一生懸命に御浄霊をして下さいました。

お蔭にて今迄の病魔はすっかり私の家より離れてしまいました。

三月三十日帯広へ行き、御守様(註 お光のこと)を戴いて来ましょうと言われました時、

まだ帯広迄汽車に乗って行くには無理だと思いましたが、S先生の言われるままに帯広教会へと行きました。

何と喜しい事、行合う人々は十人中十人共びっくりした顔を致しております。

私が今頃生きて道を歩くとは一人も思っていないからです。

一歩一歩歩く嬉しさ何にたとえようありません。

帯広教会へ着いたのは十一時半でした。

色々とM先生よりお話を聞き御守を戴き、神に堅く誓い、喜び勇み吾が家へ帰りました。

その翌日からは救いの御用に御手伝いさせて戴く身となり、

今では毎日十五名位の方は御浄霊させて戴いております。


去る六月の十一日に光明如来様(註 御神体のこと)を迎える事となり、M先生に来て戴き、御霊祭をして戴きました。

ちょうど祝詞をお唱え致している時(私はその後解りません)全身にふるえが来て手は合掌致し、口を開き始めました。

「私は先祖の何々である」と一人一人名を言い

「今日光明如来様をお祭りして戴いたので私達はこのように苦しい所より救われて皆今は喜びの世界に行ける事となった」

「しかし一ツだけお願いしたい事がある。

それは今迄私達は天理教に祭って戴いていたが今日より昔の禅宗に切替えてほしい。

これだけ御願い致す」と言って先祖は帰りました。


天理教をお祭りする前は私の家は禅宗でしたが母親が入信致してから天理教に切替え神を祭っていた
のです。

天理教に入ってから七名の方々が天理教に祭っていたのです。

早速霊の言うがままに切替えをさせて戴き、今は淋しいながらも天国の生活を致し、

私が苦しい病床についていた頃の事も夢と消え今は人々を救わさせて戴く身となりました。

どの社会にこのような偉大な力があるでしょうか、

私達信者は今後神示のままに人類救済に奮闘致さなければならぬ時が近づいて来ております。

互に協力し合い、一日も早く地上天国を作り上げましよう。

明主様始め諸先生方誠に有難う御座いました。

読みづらい文を御許し下さい。

有難う御座いました。謹んで御礼申し上げます。」