お盆・お彼岸について


明主様御垂示 「お盆の意味」 (昭和23年8月16日)

「盂蘭盆と釈迦は言った。盆には、地獄の釜の蓋があくといいう。餓鬼霊など、どの位来るかしれない。」




明主様御垂示 「お盆の意味」 (昭和24年3月1日発行)

信者の質問
「お盆の意味についてお伺いいたします。」


明主様御垂示
「釈尊の大慈悲から盂蘭盆会(うらぼんえ)というものを作り、毎年一回日を決めて地獄にいる霊を子孫の家へ還らしてくださるのである。

その日は地獄の釜の蓋が開くと言うが、とにかく地獄の祖霊も仏壇へ招かれ子孫に供養される。

地獄の霊もそれを知っていて待っているのである。

元来祖霊は常に全部仏壇にいるわけでなく、平常は選ばれた留守番の霊がいるだけで子孫が拝むときだけ仏壇に集まるのである。

その際仏壇にはある程度救われた霊だけしか来られない。

つまり八衢(やちまた)以上のものが来られるので、地獄にいる霊はお盆のとき以外は来られないのである。

お盆には種々の儀式を行なって霊を迎えるのであるが、「おがら」を焚くのはここからお入りくださいという目印である。

これはいままで夜の世界だったため霊界も暗いので灯りを見せないと霊がまごつくからである。

ここで注意したいことがある。それは仏事はどんな古い先祖でもするほどよい。

また長男だけが祖霊を祭り、次男以下は祭らないのがあるがこれはよくない。

霊界人となってもやはり現界と同様親子兄弟の情は同じことで、自分の子供のどの家へでも行けるようにありたいわけだ。

従って、次男も三男も全部祭るべきである。


位牌が多くて始末に困るときは面識ある祖霊はそれぞれに位牌を作り、面識のない祖霊は先祖代々にまとめてよいのである。」




明主様御垂示 「お彼岸、お盆の霊的意味」 (昭和24年3月8日)

信者の質問
「お彼岸、お盆の霊的意味についてお伺い申し上げます。」

明主様御垂示
「彼岸のときは太陽が冬至と夏至の真ん中をまわるときで、ちょうどいいときなんですね。

で、このちょうどいいということが天国、極楽になるのです。つまり理想世界のことですね。

彼方の岸というのは「理想郷」の意味でしょうね。

で、そのときお墓参りをするということで、別にはっきりした意味はないのですが、まあちょうどいいときに先祖を祀るというわけでこれは理屈なしにいいことですね。

お盆のほうは、地獄にいる霊が始終苦しんでいてかわいそうだから一、年に一度帰らせるのです。

彼岸もお盆も釈迦が作ったのでしょう。」


信者の質問
「地獄の霊だけでしょうか。」

明主様御垂示
「地獄以外の霊はいつでも帰れるから、お盆は主として地獄の霊を慰めてやるんです。

このときだけは思いきってたくさんごちそうを食べられるのであって、迎火をたくのも霊が来る目印のためです。」


信者の質問
「彼岸以外に新たに仏壇を買い求めると、新しい仏ができるからいけないと申しますがいかがでしょうか。」

明主様御垂示
「こんなことはありませんよ。それから寺や墓を立派にすることもいけないと言いますがそれもありません。

最近、私はある寺の再興のため寄進しました。

もうじきにできあがるはずですが、別に私はあの世の仕度をしてるわけではないんです。(笑声)」




明主様御垂示 「お盆に諸霊の供養をすることについて」 (昭和28年8月1日)

信者の質問
「お盆には亡くなった知己、親戚という者が仏壇に来られるのでしょうか。」

明主様の御垂示
「来られます。」


信者の質問
「それはどういう意味でございましょうか。」

明主様の御垂示
「あれはお釈迦さんが仏界を作ったときに、そういうようにしたのだから、どんな地獄に苦しんでいる者でも、1年に1度ずつは娑婆(しゃば)に出してやるというわけで、許されてあるのです。


信者の質問
「そういう事は別に、姻戚で無縁になっている霊がたくさんあり、また私どもの場合、教会の信者で亡くなった者がある場合に、自分の家の仏壇で供養してあげたいという場合には、入って来るものでございましょうか。」

明主様の御垂示
「しかし、作らなくてもよいでしょう。あなた方のごく関係した者だけでよいのです。

何となれば、その人の遺族が祀るのが本当なのです。

それでそういった無縁になってしまっているのは、一々救うとしたら大変です。

昔からとなると何億、何十億とあります。

それを祀るとしても、みんなは来れないかもしれません。

だから、良いとか悪いとかというよりも、そういう必要はありません。

仏立講でやっていますが、それをやっている仏立講が最近は大変な苦境に陥っています。」




明主様御垂示 「お盆の慣習の要否」 (昭和24年7月9日)

信者の質問
「お盆の時の仏壇のお飾り付けは今迄のように牛馬やまこも、茄子に蓮の葉、みそはぎ等お供えするのでございましょうか。」


明主様御垂示
「任意でよろしい。やった方がよいであろう。

祖霊の中には、待遇を喜ぶ。」




明主様御垂示 「お盆の慣習の要否」 (昭和26年7月8日)

信者の質問
「お盆には世間でやってるように、茄子やきゅうりをあげてお祭りしてよいのでしょうか。」


明主様御垂示
「ええ、差し支えありません。そうするのがよいので、

これは釈尊が、毎年一回日を決めて、地獄にいる霊を、子孫の家に還らしてくださるのである。

その日は地獄の釜の蓋が開くというが、とにかく地獄の祖霊も仏壇へ招かれて、子孫に供養される。

地獄の霊もそれを知っていて待っているのである。

お盆には、その土地土地で、儀式を行なって迎えるのであるが、おがらを焚くのは、ここからお入りなさいという目印で、

これはいままで夜の世界で暗く、霊がまごつくからである。」




明主様御垂示 「お盆の送迎えの要否」 (昭和24年8月18日)

信者の質問
「土地の風習にもある事と存じますが、お盆に先祖を御迎え申す時、お墓にお詣りをして御寺から御迎え致し、

御送りする時は、海または河へ御供物と共に御送り致します。

御迎えはお寺から御送りは海へと、異った方向へ御送りしますが、これは単なる習慣で御座いますか。

判らぬままに今迄続けて参りましたが、何か深い訳でも御ありでしょうか。御伺い致します。」


明主様御垂示
「これは習慣で、御丁寧にやったものであるから悪い事はないが、本当は家だけでよい。

玄関まで送るのを、遠方の門まで送る訳で、祖霊は丁寧すぎるよりは普通を喜ぶ。」




明主様御垂示 「祖霊の送迎 (霊の速さ)」 (昭和23年)

「そんな要はない。直接家庭の方へ来られる霊は移動も早く、判りも早い。

霊は軽い重いがあるが、大阪から岐阜位三分かかり、東京まで五分位かかるという。」

「観音様など一秒の何千分の一か判らぬ。瞬間である。

送迎は失念してはいけない。誠を以て迎えるのを喜ぶ。」




明主様御垂示 「お盆の墓参りの要否」 (昭和24年8月16日)

信者の質問
「盂蘭盆の祖霊は七月十三日夜、墓場へ御詣りして御迎えし、十五日夜墓場へ御送り申すのが礼儀順序だと聞いておりますが、

祖霊はそれ迄に霊界より墓場へ来り少憩しておられるのでしょうか。

また祖霊はいずれも神通力を保持しおらるる事故、もしも不敬の家庭にて、御送迎を失念、欠礼等した場合は送迎の礼儀をとらなくとも差支ないものでしょうか。

また御盆の時に祖霊に対する子孫の心構え及御送迎の礼儀順序等を御教示下さい。」


明主様御垂示
「直接家へ来るのだから墓詣りは必要はない。

神通力はないが肉体がないから早い。

東京岐阜三分、大阪まで五分位で行ける。

高級になる程早く、観音様は瞬間で奇蹟神は代理神が行うて救う。

祖霊は誠を以て祀るを喜ぶ。供物もその気持がないと食わぬ。順序は常識で考えれば分る。」




明主様御垂示 「お盆の墓参りの要否」 (昭和24年8月25日)

信者の質問
「お盆には精霊を自宅へ御迎えするように思っていますが、

お墓へ提灯、香華等を持ってお参りしますが、

霊界から現界へ精霊が出て来られるのなれば自宅でもお墓でも喜ばれると思いますが、

自宅へ来られるのなればお墓は留守のように思います。

お墓参りの意義を御教え下さい。

また盆おどりを村の氏神様の拝殿で踊る村がありますが、神仏同体と言う意味でしょうか。

盆おどりと祖霊との関係も御教え下さいませ。」


明主様御垂示
「地方によるとこういう所がある。

お墓詣りは御丁寧な訳だが、そんな必要はない。

それまでしなくともよいと祖霊は思っているであろう。

神社の拝殿で踊るのは差支えない。

ただ神の格による。祭神の資格が上の神様では拝殿では具合がわるい。」




明主様御垂示 「お盆の精霊棚について」 (昭和25年4月20日発行)

信者の質問
「私の家ではお盆のとき、精霊棚と言って、別に木造の組立仏壇を新しく造って、三日間だけお位牌を移してお祀りする慣例になっておりますが、これはいかがなものでしょうか。」


明主様御垂示
「これは祖先の一人が行者かなにかに言われこんなことをした。

それが慣例となったものであろうが、こんなことをする必要はない。」




明主様御垂示 「月後盆」 (昭和24年8月23日)

信者の質問
「御盆の御祭りに、新、旧、月遅れ等の別がありますのはなぜでしょうか。」


明主様御垂示
「月遅れは田舎、都会ではない。便宜上にしたのであろう。」




明主様御垂示 「旧盆の可否」 (昭和24年7月9日)

信者の質問
「盂蘭盆を十月または一ケ月延して行う村が御ざいますがいかがでございましょうか。」


明主様御垂示
「昔旧暦だったから、新暦と旧暦の間なら差支えない。」




明主様御垂示 「関西の盆が八月十五日になっている理由」 (昭和26年8月8日)

信者の質問
「関西では盆が八月十五日ですが、なにか意味がございましょうか」


明主様御垂示
「地方は旧暦をよく使います。旧暦はたいてい一ヵ月おくれです。元はそうしたらしいです。」




明主様御垂示 「二回盆の祀り」

信者の質問
「お盆に真菰でゴザを作り、御先祖様をお迎えする習慣の意味。

なお本年は閏年でお盆(旧七月)が二回ありますが、

地獄の霊は二回ともお越しになれるものでしょうか。」


明主様御垂示
「盆の行事はいろいろある。

皆意味はあるが一々説明の要はない。

盆が二回あれば、最初の一回でよい。」




明主様御垂示 「新盆と旧盆」 (昭和24年8月18日)

信者の質問
「左について御教示下さい。

新盆(七月)の場合と旧盆(八月)の場合と霊界における待遇は違いありませんか。

仮に子孫が旧盆のところを新盆にしたりするような事はいかがなものでしょうか。」


明主様御垂示
「霊界の事はすべて早くするのは構わぬ。

従って、新盆を旧盆にするのはいけない。法要なども早く変更するのはいい。」




明主様御垂示 「日の違うお盆」 (昭和24年7月1日)

信者の質問
「地方によりお盆の日が違いますが、霊界では日が決っているので御座いましょうか。

同じ霊を違った日で御祀りする場合、霊界からその都度出て来られるもので御座居ましょうか。

一番正しい日は何日で御座居ましょうか。御教えを御願い申し上げます。」


明主様御垂示
「その土地の習慣のままでいい、生きている時の記憶があって、お盆と思っている。

霊界では、伝統や習慣のままにしてくれる。」




明主様御垂示 「彼岸頃になる病因縁」 (昭和24年4月10日)

信者の質問
「私は三月または九月(どちらも彼岸の頃)に不思議な程病気にかかります。

私は小さい内に母を失い、祖父と従姉妹に育てられました。

今はこの人達も亡くなり、また女学校時代の親友や教え子(学校の先生をした)も五、六人亡くなりました。

私は姉の夫の妹の嫁いで亡くなった後に嫁に来たのです。

これら亡くなった人達の霊と病気と関係があるでしょうか。」


明主様御垂示
「関係がある。

霊界で救われぬため、頼って救われたいので、そのため彼岸などによく憑く。

そういう時には出来るだけ祝詞や御讃歌を奏げる。」




明主様御垂示 「無数の火の玉降る」 (昭和24年9月12日)

信者の質問
「ある信者さんの実家で、その家は未入信で御座いますが、八月十三日午后九時十五分頃、屋根の上一尺程のところより火の玉のような物が数知れず裏庭へ降り、地上三尺程で無くなったそうで御座います。

丁度お盆の前日であり、その火の玉の大きさは昔の五十銭銀貨程で、小さいのは火の粉のようで、続いて三回降ったそうで御座います。

これは先祖の霊で御座いましょうか。あるいは火龍の働きで御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。」


明主様御垂示
「先祖の霊である。この通り来るという事を信じさせるため、霊もいろいろ工夫して見せるのである。」