法要年忌について


明主様御垂示 「命日等の重要性」 (昭和23年6月27日)

「先祖とか仏様は、何時の日かいろいろ方式があるから、出鱈目ではいけない。」




明主様御垂示 「法事の留意事項」 (昭和24年7月30日発行)

信者の質問
「先祖の法事をするのは祖霊を慰めるゆえ善いと聞いておりますが、

本教の信者はいかなる方法でしたらよいでしょうか、従来通りでよいものでしょうか。

また過日岡山県で次のようなことがありました。

先祖の法事に際し墓参りに行く途中自動車が断崖より転落して一人は死亡し、僧侶は左手切断、他の人も全部負傷し、十五名中本教の信者のみ一人無事でありました。

なにか霊界からの暗示を受けたように思いますが、法事の際かかる惨事が起きるということは、なにか祖霊の気に入らぬことでもあるのでしょうか。」


明主様御垂示
「法事するのはいままで通りで、ただ善言讃詞を奏げればよい。

霊によってはお経を嫌うのがある、仏滅になって来たからで、お経は夜の時代の言霊であるから逆になる。

善言讃詞は昼の世界の言霊で、仏滅後の働きであるから気持ちよく救われるわけである。

坊さんの災厄も浄化作用であり他の人は御守護がないためにみんなやられた。

五六七教会の人は御守護があるため救われたのである。」




明主様御垂示 「祭典・法事等が遅れるのは駄目」 (昭和23年5月18日)

信者の質問
「毎月十八日のお観音様の日にお祀りできない場合は・・・」


明主様御垂示
「十七日にしたらよい。神仏のお祀りや法事なぞは早くするのはよいが遅れるのはいけない。」




明主様御垂示 「法事・年忌の繰り延べが許されない理由」 (昭和24年9月10日発行)

信者の質問
「死後の日取りを死ぬ一日前から計算いたしますが、いかがなわけでしょうか。

また法事、年忌などは繰り上げはよいが繰り延べてはいけないと申しますが、いかがなわけでございましょうか。」


明主様御垂示
「死人に対しては霊を主にして扱い、霊はだいたい一日前に抜けるからでしょう。

法事、年忌は繰り延べは絶対にいけません。

霊界では法事、年忌を非常に待っており、延べますと霊界の規(きま)りが乱れて、無期延期のようになってしまいますから霊が非常に嫌うのです。」




明主様御垂示 「法事の場合も御神体に先に礼拝すべき」 (昭和26年11月8日)

信者の質問
「命日に拝んでくれと言うのでございますが、御神前に先に拝むのでしょうか・・・」


明主様御垂示
「法事ですね。

先に拝むのが本当です。

そうして大光明如来様に、今日何々の何回忌の法事をするから、なにとぞ御守護を、とお願いする。

そうすると、祖先が・・・仏様が来ても、特に大光明如来様の光をよけいいただくことになるんです。そういうものです。」




明主様御垂示 「法事では祝詞と善言讃詞の両方を奏上するのがよい」

信者の質問
「お葬式や法事に今の祝詞、善言讃詞を奏げてもよろしゅう御座居ましょうか。」


明主様御垂示
「葬式等で善言讃詞は奏げる程いい。祝詞と両方奏げればなおいい。

霊がとても喜ぶ。そして霊界で早くよくなるのである。結婚式も両方奏げる方がよい。」




明主様御垂示 「葬儀・法要における善言讃詞の奏上」 (昭和26年4月25日発行)

信者の質問
「御葬式または法要の場合、僧侶の読経がすんでから善言讃詞を奏上するようとのお言葉でございますが、

僧侶の来る前の日に御供養させていただいてよろしいでしょうか。右お伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「僧侶のいるときは、善言讃詞は奏げないほうがよい。

というのは僧侶としては、よい気持ちはしないからである。

勿論読経よりも、善言讃詞を先へ奏げるのが本当である。」




明主様御垂示 「年忌の際のお経は本来不要」 (昭和24年7月18日)

信者の質問
「先祖の年忌を行いたい時、本教の信徒の家では家族の者が善言讃詞を御上げし、お坊さんのお経を上げて頂く必要は御座居ませんでしょうか。御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「本当は、善言讃詞だけでいいが・・・。」




明主様御垂示 「法要、年忌は自宅でもお寺でもよい」 (昭和24年6月23日)

信者の質問
「法要、年忌などをする場合、自宅とお寺といずれで営むのがよろしいでしょうか。

また、念仏を称えるのに矛盾を感じるという信徒がございますが、これはいかがいたすべきでしょうか。」


明主様御垂示
「これはね、どっちでもいいんですがね。結局その人の誠ですよ。供養しようとする人の誠が映るんです。

しかし、できたら、そして経済も許したら寺がいいですね。

寺っていうのはそういうことの専門の場所ですからね。

ふつうの家は人間の住む所ですからね。

念仏は霊は嫌がりますよ。

阿弥陀様はもうインドヘ帰ってますからね。

しかし、坊さんが念仏を上げるのはしかたがありませんがね。

まあ、この道の信者だったら、念仏のあとで善言讃詞で口なおしをしてあげるんですね。(爆笑)」




明主様御垂示 「年忌法要を自宅でなすことの是非」 (昭和24年12月8日)

信者の質問
「私の家の宗旨は仏立講でございました。

ところが私始め家族一同入信させて頂きましてからはお坊さんが頼んでも来てくれませず、従って私も頼みたくありませんので、

以後は先祖の年忌法要等寺の厄介になりませず、

私が善言讃詞並に御讃歌を上げさせて頂いております。

墓所は多摩墓地でございますからお詣り出来ます。

このように致しておりまして、宜しゅう御座いましょうか。」


明主様御垂示
「結構である。」




明主様御垂示 「三回忌七回忌等の必要」 (昭和23年11月2日)

信者の質問
「三回忌、七回忌等の供養はした方がよいか。」


明主様御垂示
「大いにした方がよい。偉い人になると、千回忌、千五百回忌等の供養をする。

こういう霊は生れ更って来ているのがよくあるが、霊に供養すると、その光が生れ更った人に来る。

よく世間で、原因が分らず出世する人は運が良かったというが、

これらは右のように供養によって霊が向上するのである。

供養は仏式、神道どちらでもよい。ただ供養する人の誠心一つである。

生臭坊主にお経奏げてもらっても、真心あれば構わぬ。

丁度どんな古い財布でも中味の金の値打は変りないのと同じ理屈である。


以前私が霊を研究していた頃、霊に聞いたが、お経を奏げてもらっても有難くないとの話であった。

それよりも祝詞を奏げてもらった方がどれだけ有難いか知れない。

朝は祝詞、夜は善言讃詞を奏げるのである。


敗戦により吾国の神道、仏法などもすべてキリスト教に切換えられるようになる。

キリスト教大学なども目下設立している。

キリスト教を布教すれば戦争の憂がない。

我国の神道は戦争に利用するから始末がわるい。

仏教などは惰力で行っている程度である。」




明主様御垂示 「法要は十七回忌まで」 (昭和23年6月8日)

信者の質問
「法事に坊さんを頼むのは通常何回忌までがよろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「できるだけ永いほうがいいです。

昨日の質問に「霊を供養してもその霊が生まれ代わってこの世に来てしまっている場合はいかがでしょう」とあったが、

そういうふうに霊界に不在のとき、その供養は現界に戻ってきて、ある程度その人の霊を高めることに役立つのです。

古い仏のもまあ臨機応変にしたらいいです。

古いのは強いて坊さんを頼まなくてもよい。

ふつうは十七回くらいまでです。」




明主様御垂示 「年忌、年祭は何年でもかまわない」 (昭和24年8月23日)

信者の質問
「年忌、年祭は何年まで行なうべきでしょうか。」


明主様御垂示
「何年でもかまいませんよ。

よく五百年祭、千年祭なんてやりますが、あれも結構ですね。

それくらい経てばたいていの霊は生まれ変わっているから、やる必要はないようなものの、生まれ変わっていま生きていればその生きてる人に功徳が行きますからね、それだけ生きてる人にいいことがありますよ。

何度も生まれ変わっていても、やはり霊はずっと繋がっているからそうなるんで、やってあげるほうがずっと功徳になっていいわけです。

よく、突然思いもかけぬいいことがあるなんて場合にも、そういう関係がなきにしもあらずですよ。」




明主様御垂示 「回忌数の限度 (昭和23年)

信者の質問
「法事に寺の坊さんを頼む時は、通常何回忌まで頼むのが宜しいでしょうか。右御教示御願い申し上げます。」


明主様御垂示
「出来るだけ長い間やる方がよい。古い仏ほどよいのである。

中には現に霊界から生れ代っている場合もあるが、それでも供養をすれば、生きてる人は何分か倖せになる。

故に何百回でも判っている限り供養した方がよい。

古くて年代も何も判らぬのでも、まとめて供養して宜しい。

これらは坊さんを頼まなくともよろしい。

大体普通は十七回忌位でよい。」




明主様御垂示 「二十三回忌が来ても浮ばれない事例」 (昭和27年3月1日)

信者の質問
「教会を作らせていただきましてより六年になりますが、いろいろと邪魔をされます。

先妻の子がおり孫もおりますが、一家入信いたしております。

息子が大光明如来様をやぶいたりいたします。

しかし、いろいろと御浄化をいただく度に良くなってはおります。

教会に一緒にいることを嫌い、他に行けと言います」

明主様御垂示
「霊が憑るんですよ。

そうすると、あなたがお嫁に行ったときは、先妻が亡くなってからでしょう。

亡くなってから、どのくらい経ってからですか。」


信者の発言
「その間に三人妻がありまして」

明主様御垂示
「みんな生き別れじゃないんでしょう。」


信者の発言
「生き別れでございます」

明主様御垂示
「今の、反対する子供の母親か何かが祟っているんじゃないかな。

それがまだ執着が取れないんだね。

その母親は祀ってあるか、解らないのかね。」


信者の発言
「私の家の墓に一緒にし、お祀りもいたしております」

明主様御垂示
「あなたのところの仏さんに祀ってあるんですね。

それは、だんだん良くなりますよ。

だから、息子に対してあなたが、止めようとか注意とか、できるだけやらないようにするんだね。

放ったらかしておくんです。」


信者の質問
「主人が、別居したほうが邪魔が入らなくて良いんじゃないかと申しますが、どういう処置をいたしましたらよろしいでしょうか」

明主様御垂示
「だから、あなたはできるだけ干渉しないように、勝手にやらせるようにするのです。

それから、今の主人の言ったことは・・・別居するということは、ごく良いですね。」


信者の発言
「私は、負けてなるものかと、一生懸命・・・」

明主様御垂示
「それは違う。そのあなたの考え方がいけない。できるだけ負けるんです。」


信者の発言
「親族会議を開いたりいたしまして、いろいろと申します」

明主様御垂示
「そう言われたら『あなたの言うことはごもっともです。私もぜひそうしたいが、どうもそういうわけにはいかないので、どうにもしかたがないんですよ』と言うんです。」


信者の質問
「私もそういうように言っております」

明主様御垂示
「そうして、なるだけ柳に風みたいにして、時節を待っているんです。」


信者の質問
「二十三回忌が来ましても、浮ばれないのでございましょうか」

明主様御垂示
「それはそうですよ。浮ばれないですよ。」


信者の発言
「因縁か曇りかと思いまして・・・」

明主様御垂示
「因縁と曇と両方です。だから、今言ったようにしなさい。」




明主様御垂示 「回忌に塔婆を建てることについて」 (昭和24年8月11日)

信者の質問
「お盆や年回忌に、お寺あるいは墓地に卒塔婆を立てるのは、いかなる訳で御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。」


明主様御垂示
「大体は一回でいい。

丁寧にやる意味である。

地獄で早く救われる霊はそれでいいが、さもない霊は何回もやるという意味である。」




明主様御垂示 「行方不明者の命日の決め方」 (昭和23年3月28日)

信者の質問
「昔、行方不明になった人の祀り方は・・・」


明主様御垂示
「出た日が判っていればその日にやる。判らなければその人に近い人、例えば妻とか親とかの日にしたらよい。」




明主様御垂示 「公報と霊媒による命日の相違」 (昭和24年6月3日)

信者の質問
「主人の命日は公報によるものと霊媒を通じて自ら申しましたものと違いますが、どちらを本当と致すべきで御座居ましょうか。場所は一致しております。」


明主様御垂示
「公報で間違った場合と霊媒で間違った場合とあるが、後者が多く当っている。」




明主様御垂示 「旧暦の命日を変更」 (昭和24年7月19日)

信者の質問
「最近迄の死亡者はその死亡年月日が旧暦になっておりますが、これを新暦にて法要致したいと思いますがどうしたらよろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「新暦でよい。旧暦はすでになくなっている。月の暦である。」




明主様御垂示 「命日を旧暦から新暦に変更する作法」 (昭和24年7月3日)

信者の質問
「仏の命日が旧暦になっております場合、新暦に変えますにはどのようにいたしたらよろしいでしょうか。」

明主様御垂示
「太陽暦に変えるのは、御霊さんに断ればいいんですよ。

「旧暦では不便ですから今度太陽暦に変えます。なにとぞお許しください」って言えばいいんです。」


信者の質問
「その場合、同じ月日にいたすべきでしょうか。

明主様御垂示
「同じ月日にはなりませんよ、太陽暦のほうが一カ月くらい遅れるでしょうからね。

しかし、これはしかたがありませんね、やはり時勢に従って行くべきですからね。」