墓碑の建立について


明主様御垂示 「墓石は霊界と現界の楔」 (昭和24年4月20日発行)

信者の質問
「印形や墓相によって人間の運命が左右されると聞きますが事実でしょうか。」


明主様御垂示
「印形とか墓相とかいうものはそうとうあたるものである。

印を見るとその人の性格がよく表われている。

従ってその性格通りの世渡りをするから、運命もそれに伴う道理である。

墓石は違う。

墓石は祖先と子孫を繋ぐもので、言わば霊界と現界の楔(くさび)のようなものであるから重要なもので、

墓石は墓石としての法則がある以上、それに外れ、法にかなわないときは、運命にまで影響するのである。」




明主様御垂示 「墓碑建立の留意事項」 (昭和24年6月25日発行)

信者の質問
「墓碑建立につきて常識的に留意すべき事項。

例えば方向、形状、盛土の高さ、石の種類、植樹の可否などにつき。」


明主様御垂示
「方向はどちらでもよい。その土地の地形によればよいが、本当から言うと北の隅で南向きが一番よい。

形状はふつうの形でよい。自然石はいけない。

形状は石畳の造る形でよい。盛土の高さはちょうど拝みよい高さがよい。すなわち一尺五寸くらいである。

石の種類は白い色ほどよい。黒っぽいのは不可である。ごく上等の墓は白大理石を用いる。

植樹は墓に植えるような常磐木(ときわぎ)ならよい。

あまり高くなるのは不可である。すなわち槙(マキ)、モチ、カナメで特にシキミがよい。」




明主様御垂示 「墓碑建立の留意事項」 (昭和24年1月上旬発行)

信者の質問
「墓碑建立につき常識的に留意すべき事項、例えば方向、形状、盛土の高さ等々、その種類につき御教え願います。」


明主様御垂示
「まず方向ですがこれはどちらでもよろしい。

仏教では西方浄土と言いますからその団体に所属していた人であれば西向きがよいでしょう。

また神道では北を尊びますから北向きがよいと思います。

形状は昔から用いているものでよい。

高さも台石から一尺五寸くらいが適当でしょう。龍の足も猫足もよい。

石の種類は白いほどよい。黒っぽいのはよくない。

まわりに植える木は常緑樹であまり伸びない木がよい。

樒(しきみ)とか高野まきとか「かなめ」等々他は従前通りふつうでよろしい。」




明主様御垂示 「墓碑建立についての留意事項」 (昭和23年12月21日)

信者の質問
「墓碑建立につきて、常識的に留意すべき事項、例えば方向、形状、盛土の高さ、石の種類、植樹の可否等につき・・・。」


明主様御垂示
「方向はどちらでもよい。

その土地の地形により勝手な事も出来ないが、本当からいうと北向が一番良いが、これは大した留意する要もない。

北向は神道でいう事だが、霊の救われる意味からいうと北向がいい。

仏教に限らず大抵の宗旨は、西向がよいとしている。

今迄の宗教は、大抵西の方から出ているから、西の方が本当かもしれない。

石の種類は白い石ほどよい。ただ黒っぽいのは不可である。極上等の墓は白大理石を用いる。

植樹は、墓に植えるような常磐木がある。あまり高いのは不可で、花の落ちない木がよい。

即ち、栂、槇、モチ、棗で、特にシキミがよい。

檜は神社に用いるが、墓でもよい。しかし伸びるから適当でない。」




明主様御垂示 「墓碑建立についての留意事項」 (昭和24年1月1日発行)

信者の質問
「墓碑建立につきて、常識的に留意すべき事項をお教え願いたく存じます。」


明主様御垂示
「方向・・・墓地の都合もあり、どちら向きでもよろしい。本当は北が霊ですから北向きが最良とも言えますが、仏教は西方浄土とも言われますので西向きも可です。

型・・・ふつうの型が可。

石・・・ふつうの石で、でき得るだけ白い色がよく、黒色、青色の石は不可です。

盛土の高さ・・・一尺五、六寸のふつうの高さがよろしい。

植樹・・・櫁(しきみ)、黄楊(つげ)、高野槙(こうやまき)、かなめ、もち、などの常緑木で、背丈の伸びぬ潅木(かんぼく)がよろしい。」




明主様御垂示 「カロウトは問題ない」 (昭和24年2月9日)

信者の質問
「人間は死後自然に還元すべきもの故、火葬にして埋葬する場合、

コンクリートで固めた「かろうと」の中へ入れる事は、永久にそのままの形が残りますので、

骨は土の中へ直接埋めた方が自然に逆わなくて良いのではないでしょうかと人に聞かれましたが、

いかがなもので御座いましょうか。御教示賜わりたく存じます。」


明主様御垂示
「大した違いない。どちらでもよい。

骨は仲々消滅しないものである。骨を順序よく入れてやる要がある。

頭と足を一緒にするような事はいけない。

エジプトの古墳には随分古いのがある。六、七千年のがある。

掘ると死ぬため恐れて掘らぬ。

こういうのは今以て霊がいる。」




明主様御垂示 「墓の清掃、順序」 (昭和23年11月25日)

「墓場は霊の別荘であるから、綺麗にしておかなくてはいけない。人間の住む所を綺麗にして・・・。

戒名の沢山ある墓は「先祖代々之墓」とし、横へ戒名をつける。

他人の御堂や墓など綺麗にすると、祖先が感謝される。

今迄霊の事を徹底的に教え、信頼し得る宗教はない。

墓石は親より良い物を建ててはいけない。

子がいい物を建てるには、親のをズーッとよくし、それから子のをよくする。

向って右が上である。(先祖代々真中)

墓石、白は天国、黒は地獄である。

(印鑑で運命をみる人がある)水晶の判は滅びるなどいい、円い判を好む。栂はいい。」




明主様御垂示 「墓石と順序」

信者の質問
「子供の墓(既に出来ている)より、父の墓を小さくしては不可でしょうか。」


明主様御垂示
「父の墓より子の墓を大きくしてはいけない。位置を下の場所へ祭るのはいい。」




明主様御垂示 「墓石と順序」 (昭和27年4月1日)

信者の質問
「墓地を買います場合には・・・」

明主様御垂示
「今までの通り金を出してね。」


信者の発言
「今まで石屋がやっておりましたので・・・」

明主様御垂示
「あれで良いです。」


信者の質問
「墓石が焼けてございません場合には」

明主様御垂示
「早く作ったほうが良いです。」


信者の質問
「先祖より大きな墓石を作りました場合には」

明主様御垂示
「新仏にですね。それはいけないですね。小さくしたら良いです。」




明主様御垂示 「墓石の個数」

信者の質問
「石碑を立てたいと思いますが、先祖代々のを一基立てれば各霊別に立てなくてもよろしいでしょうか。御教示お願い致します。

七年忌に当る新仏が二霊、最近の新仏が一霊あります。」


明主様御垂示
「普通の墓の形を立てる。

先祖代々・・・を真中にして、面識ある人は横へつける。

面識ある人は先祖代々へ入れてはいけない。」




明主様御垂示 「墓石は墓地の状況・身分に相応すべき」 (昭和29年4月1日)

信者の質問
「普通の家では、先祖代々のがあり、あと墓石は別に作りませんが」


明主様の御垂示
「それで良いです。

それも墓地の狭い広いで判断するのです。

もし広いとすれば、新しい仏は祀ってやらなければならないのです。

それも臨機応変に常識で考えていって、丁度良いというやり方でやるわけです、

お寺参りに行く時には、ご先祖は挨拶に出て来るのですから、

そのときに、あんまり墓がひどかったり、もっとできるにかかわらず人間の怠慢でしないと、ご先祖は面白くないから、

「こいつはひどい奴だ、時々灸をすえてやれ」というので、

ご先祖が災難を与えたり、病気させたり、そういうことがあります。

ですから、思いもつかない、お寺参りに行った帰りに電車が衝突したりということがあるのです。


だから、これはやっぱり人間界と同じで、できる身分でやらないということや、

また、その人の境遇や色々に合わないということは、ご先祖としても面白くないのです。

また、ご先祖の中にも、怒りっぽいのとそうでないのがありますが、

怒りっぽいのはお気付けとか、そういう事があります。」




明主様御垂示 「墓石に自然石は使用するな」 (昭和23年7月28日)

信者の質問
「墓相学について・・・」


明主様御垂示
「よく墓相学というが、これは一つの学問と言っては変なものだ。

が、ある程度は当たります。

自然石を墓石に使うのは悪いとされている。

それは悪いはずで、自然石は庭石などに使うものだから。

墓はやはり墓の形をすべきで、霊によっては自然石を嫌うのもあるのです。

仏も墓の形を気にするし、また霊が墓に来たとき墓石が法に合っていたほうがよい。

生きているうちに墓石に戒名を彫っておくのはちょっと手まわしがよすぎますね。


寄せ位牌をするのはうそです。

面識のある人の位牌は一体とし、面識のない人の分は先祖代々の中に入れてもよい。

再婚したら先妻や先夫は適当に祀ったらいいでしょう。

あまりていねいにすると嫉妬されるから。」




明主様御垂示 「墓石に自然石は使用するな」 (昭和24年2月8日)

信者の質問
「墓石に自然石を使うことはよくないでしょうか。」


明主様御垂示
「自然石はいけません。自然石は庭石などに使うべきものですから。」




明主様御垂示 「墓石に自然石、黒色石は使用するな」 (昭和24年3月1日発行)

信者の質問
「墓石に自然石を用いるのは墓相学上よくないと聞いておりますが、墓相というものはあるものでしょうか。」


明主様御垂示
「人間に人相があるように墓相の可否も多少はある。

自然石を墓石にするのはあまりよくない。

自然石は本来庭石などに使うべきもので、こういうことに使うのは理屈に合わぬからである。

やはり墓には墓石の形にするのが本当である。

霊によってはこういうことを非常に嫌うのがある。

墓参に行くと、祖霊が墓へ挨拶に来る。

そのとき墓が法にかなっていないと嫌がるのである。

霊界人はすべて法則通りを好むので実に几帳面なものである。

また黒石をたいへん嫌うが元来黒色は地獄とか悪魔を表徴するからで、天国は白色または紫色で表わすものである。」




明主様御垂示 「黒色の墓石は不可」 (昭和24年)

信者の質問
「一、墓石の黒色は子孫に罪人が出るから悪いと申しますが真実でありましょうか。

二、また人像の墓碑を建てると家が絶えるとも申す人がありますがどうでありましょうか。

三、霊を慰める意味で墓石につき型、色、方向等に特別な関係があるのでありましょうか。御教示願います。」


明主様御垂示
「一、黒石はいけない。白いのはいい。白か鼠色に是非替える。地獄は黒である。」




明主様御垂示 「猫足の墓石の是非」 (昭和26年5月25日発行)

信者の質問
「今から十五、六年前に分家した亡父が、墓地を求め先祖代々之墓を建てましたが、猫足でございます。

猫足はいけないものでございましょうか。

また墓石が重いという感じがいたしますが、墓石は小さいのに直したほうがよろしいものでございましょうか、

また石の色も白色のほうがよろしいものでございましょうか。

右お伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「右のようで差し支えない。

ただ墓石はなるべく白いほうがよいのである。」




明主様御垂示 「人姿の墓石は間違い」 (昭和24年6月2日)

信者の質問
「ある信者の御宅で四、五代前に子守を雇い、

その子守が亡くなりましたので実家へ帰さず、家の墓地へ骨を納めました。

そして人間の姿を刻んだ墓石を立ててありますが、

最近この墓石が何度となく倒れ、その度毎に家の誰かが頭を病みます。

墓石を元通り立てると頭がなおるそうで御座居ますが、

人間の姿を刻んだ墓石に何か関係があるので御座居ましょうか。御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「文字の墓石でなくてはいけない。

それを知らしてるのである。

本人は反って苦しいのである。

祖先より立派にしてはいけない。

位置を下にしたり、字を小さくしたりする。

骨長ければそのままでもよい。」




明主様御垂示 「墓石建てるべき時期」 (昭和25年1月12日)

信者の質問
「私の地方では墓石は七年忌、十三年忌の時に建てまして、それ迄は毎年塔婆を建てる習慣になっております。

私の家は父の代に分家致しまして十二年前から五人の者が次々と死亡致し、未だ建てていないので御座いますが、いつ建てるのが本当で御座いましょうか。

また先祖代々の墓石も造るべきで御座いましょうか。

なお経済的に余裕の無い場合でも一人一人墓石は建てなければならぬもので御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

なお現在家族全員入信致し、集会所として御用をさせて戴いております。」


明主様御垂示
「塔婆は一周忌経てば処分してよい。

まず一年経てば造らなくてはいけない。

余裕があるなしに限らず一人々々したら大変である。」




明主様御垂示 「墓標は早く石碑にすべき」 (昭和25年1月20日発行)

信者の質問
「経済的な理由から葬式後何年間も墓標だけにして石碑を建てられない方もありますが、これはいかがでしょうか。」


明主様御垂示
「これはよくないですね。

「経済的の理由」なんてことはないんですよ。

どんなことがあっても、どうしても石碑を建てると思えば必ず金が入るもんですよ。

金が入らないってのはその思い方が足りないんですよ。

生ぬるいことじゃ駄目です、ぜひ建てると思えば、ちゃんと祖霊のほうで金が入るようにしてくれるんですよ。」




明主様御垂示 「墓標は石碑にしなければならない」 (昭和25年4月20日発行)

信者の質問
「葬式後何年間も経済的な理由から墓標だけにして石碑を建てられない方もありますが、これはいかがでございましょうか。」


明主様御垂示
「これはよくない。

経済的理由などという馬鹿なことはない。

祖霊は必ず石碑を建てるくらいの金は入るようにしてくれる。

墓標は焼いてよろしい。」




明主様御垂示 「墓標は一時的なもの」 (昭和24年10月26日)

信者の質問
「私達夫婦は四年前に入信させて頂きました。微力ながら救世の業にお手伝いさせて頂いております。

私の養父は十二年前に没し、最近墓地が落ち込みましたから修理致したいと思いますが、いかがで御座居ましょうか。

また現在墓標のみにて石碑がありませんから、石碑は立てるべきか否か御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「墓標は一時的のものである。早く建てよ。」




明主様御垂示 「墓標を作る事」 (昭和24年4月28日)

信者の質問
「墓標がこわれて未だ石碑も建てていませんが、自分で墓標を作って自分で書いて、勝手にいつでも建てて差支えありませんでしょうか。」


明主様御垂示
「差支えない。

早く建てた方がよい。

でないと墓詣りしても、霊が来る所がない。」




明主様御垂示 「神道は墓標にすべき」 (昭和24年2月8日)

信者の質問
「神式により葬る場合墓石はいかがいたすべきでしょうか。」


明主様御垂示
「神式なら俗名を墓石に刻んでもいいが、しかし本当は神道なら墓ではなく碑にすべきです。

キリスト教なら十字架ですが最近はあまりこういう点はきちんとしてないようですね、殊に地方では。」




明主様御垂示 「御堂の中に墓石を入れてはならない」 (昭和24年4月13日)

信者の質問
「御堂を作ってその中に墓石を入れると一家死に絶えると申しますがいかがでしょうか。」


明主様御垂示
「それはあるでしょうね、墓は雨ざらしでいいんです。

御堂というものは格のある霊を祀るためにあるんですから、人間の霊を祀るにはよすぎるんです。

そんなことをされると人間の霊は苦しいんですよ。

だから、ちょっと考えるとよく祀ったほうが霊が喜ぶと思われますがね、本当はそうではないんです。

また、神様と並べられても祖霊は苦しいんです。

よくされるとかえって苦しいんですね。

ちょうど地獄からいきなり天国に上げられたようなもんですからね、眩くて苦しくてとうていいられないんで、そこを逃げ出してしまうんです。

まあ、糞溜の蛆虫を床の間に上げたようなもんでね、(笑声)

どうしても一段一段上げないとね、本当じゃないんです。

そこで御堂の中に墓を祀るってことは間違ってるんです。

御堂ってのは神様を祀ることにきまってるんですからね。

やっぱり墓石は雨ざらしでいいんですよ。」




明主様御垂示 「墓石の屋根はウソ」 (昭和24年7月21日)

信者の質問
「墓石に屋根を造れば不幸が続くとの事で御座いますが、霊的に何か意味が御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。」


明主様御垂示
「意味という訳でない。墓石に屋根を作るのは嘘である。

屋根は人間の住む家にし、雨露を凌ぐためにする。

霊になればそれは問題でない。

霊を扱うのに、体を扱うような事をするので、手数の掛るのは止めた方がよい。(人間以上)

今一つ位のある神は屋根を作る。一般庶民が作るのは嘘である。」




明主様御垂示 「墓地の玉垣」 (昭和24年5月25日)

信者の質問
「墓地の玉垣を造り、それより家に不幸が絶えぬのですが、取り除くべきでありましょうか。」


明主様御垂示
「玉垣は造るべきである。」




明主様御垂示 「遺言と墓石」 (昭和24年11月6日)

信者の質問
「亡父(昭和十三年死亡)が生前中、亡兄(長男満洲鏡泊学園生徒にて昭和九年戦死)の石碑を後日建立するため、

墓地に先祖代々の墓及び祖父母の墓の隣りに、自然石をたてて場所をとってあります。

こう言う場合、亡父の遺志をついで、亡兄の石碑を建てた方がよろしいでしょうか。

それ共先祖代々の墓に合祀した方がよろしいでしょうか。

なお遺骨は未だ仏壇に祭ってあります。」


明主様御垂示
「亡父の遺志を伝えよ。

遺骨は早く埋けよ。」




明主様御垂示 「墓碑は埋葬場所に建てるべき」 (昭和24年5月10日発行)

信者の質問
「丹波地方の一部で、死者を埋葬した場所に墓碑を建てず、墓碑は経墓として、お寺の境内に別に建てておりますが、いかがなものでございましょうか。」


明主様御垂示
「埋葬した場所へ墓碑を建てるべきである。

土地の用途を考えまた日本中でこんなことをしたらどうなると考えれば解るであろう。」




明主様御垂示 「墓石は埋葬場所に建てるべき」 (昭和24年6月15日発行)

信者の質問
「丹波地方のある一部にては、死者を埋葬した場所には墓を建てないで、墓はお寺の境内へ建てておりますが、いかがでございましょうか。

またお墓はどこへ建ててもよろしゅうございましょうか。」


明主様御垂示
「お墓は死者を埋葬した場所へ建てるべきである。

また埋葬するにも決まった場所へ葬るべきで、土地にも田畑として耕作すべき所、植林して木材を作る所、墓地として死者を葬る所というように、

その土地土地によってそれぞれ使命があるから、それに従って用うべきである。」




明主様御垂示 「墓碑の建立が不要とされた事例」

信者の質問
「私の父並びに兄の墓はなく、京都西大谷納骨所に納骨してありますが、墓は造った方が良いでしょうか。御教示下さい。」


明主様御垂示
「そのままでよい。ただ仏様だけは作る。お屏風観音様をお祭りすればよい。」