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2015年04月04日
They're waiting in Paramita
In the Ganges they swam.
In the Ganges they drifted.
In the Ganges they flowed by.
Abave the Ganges the sun rise.
Abave the Ganges the day passes.
Abave the Ganges the sun set.
At the Ganges it darkens.
At the Ganres night comes.
At the Ganges moon rises.
The Ganges Flows now.
The ganges flowed then.
The Ganges will ever flow by.
彼岸でだれかが待っている
ガンジス河で泳いでた
ガンジス河に浮いていた
ガンジス河を流れていった
ガンジス河に陽が昇る
ガンジス河に昼がくる
ガンジス河に陽が沈む
ガンジス河が暗くなり
ガンジス河に夜がくる
ガンジス河に月がでる
ガンジス河は流れてる
ガンジス河は流れてた
ガンジス河は流れていった
詩・山内宥厳 by Yugen Yamanouchi
訳・ペテロ・バーケルマンス神父 transreted by Peter Baekelmans
詩集「共生浄土」のなかの一篇ですが、本を整理していたらペテロ神父が英訳してくださって本に挟み込んであったのが出てきましたのでアップしました。
この詩はパン工房でパンを作りながら聴いていた喜多郎のシルクロードのメロディに合わせて黒板に即興で書いた詩です。
| 旅
| 17:02
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2015年03月22日
朝は閃く
閃いた
夜明けの直感を
大切に
今日を始めよう
昨日の続きが
今日なのではない
今日が
明日に繋がってるわけでもない
時計の秒を刻むように
瞬時の生命を
生かされている弱いいきもの
昨日は振り返れるが
明日はあるか否か
過労気味だが
みんなが待つ場所へ
歩いていく
えま&慧奏の「こもりうた」
慧奏さんとは1980年前後からお付き合いがあって、音楽を担当してもらって沖縄へ芝居をしにいったりしました。
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| 20:28
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2015年03月22日
もっと
もっと欲しい
金を
着物を
食い物を
道路を
高速道路を
飛行場を
家を
車を
薬を
健康を
病院を
酒を
遊びを
暇を
旅行を
温泉を
客を
恋人を
愛を
町おこし
村おこし
地域活性化
原発再稼働
原発廃棄
黙れ
だまれ
八紘一宇
葵の紋が
菊の紋が
見えないか
この詩は
ツイッターにダイレクトに書きました。
| 旅
| 19:49
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2015年03月12日
雪に降られ
上がっていく地面を
見つめている
少女は
過去のひとときのなかに
これから
過ごしていくであろう
未来を凝視めている
馬の目のように
未来は
優しい眼差しで
少女を
雪景色に溶かし込み
包んでしまう
間もなく
信号が変わる
ニューヨークの
交差点
| 旅
| 10:56
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2015年03月05日
美輪明宏ロマンティック音楽会2014
緞帳の向こうに
すぐ開かれる
未来が息をこらしてる
座席には
とりどりの齢の男女
昨年10月
体調を崩した歌手が
公演を中止し
今夜へ日替わりだ
時の翼に乗った
伝説に生きる
悲傷の歌手が
歌う
| 旅
| 21:56
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2015年02月28日
楽健法など
まだ知らなかった
三十路にさしかかった頃
肩こりがあったりして
ときどき指圧や
鍼灸を受けに行った
路地の奥まったところに
その家はあって
目の不自由なご主人が指圧を
鍼灸は丸顔の明るい声の
その人の奥さんがやってくれる
指圧をしながら
世間話をしたりもするが
背中を押すときに
押しては跳ね上げるように
親指を離す動作を
指圧を受けながら
僕は推し量っていた
微妙な間合いがあって
吐く息と吸う息が
指の動きに
流れるリズムとなって
僕の体内にも伝わってくる
終わるときに
手のひらを
ぼくの背中に
羽毛のようにそっと置く
じわっと沁みてくる
暖かさが
五十年経ったいまも
背中に残ってる
あの感触をと思いながら
今日も楽健法をする
「楽健法だより」第1号 巻頭詩
| 旅
| 07:34
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2015年02月25日
そもそもは
喘息になったことがきっかけだった
発病は父と同じ二十五歳で
夜毎咳が出るようになった
医師から
喘息ですね
家族に喘息の方はいますか
と言われて
頷いたわたしは
母にそのことを告げると
お父さんと同じだね
やっぱり二十五の時だった
と不思議を思い見る顔をした
病気は神様からの贈り物だ
などという心境になったのは
それから十年以上も経ってからだが
喘息は
もし健康だったら得られなかった
いろんな出会いを恵んでくれた
玄米を食えという僧侶に出会い
指物師だった詩人のわたしは
芝居を書いて公演しながら
額縁
彫刻
仏像彫り
玄米菜食
自然食
楽健寺と楽健法
東洋医学
丸山博
甲田光雄
アーユルヴェーダ
有害食品研究会
酵素風呂
天然酵母パン
東光寺へ止住
パソコンに習熟し
使いこなせるようになっていたので
二度目の
日本アーユルヴェーダ学会本部を担当したり
東京楽健法研究会を立ち上げる
毎月の福山と東京教室
東京のホテルで
年間通算一ヶ月は暮らしている
新聞
雑誌
テレビなどの取材
本の刊行など
いろいろやってきたものだ
ではありながら
零細企業そのままで
日曜日夕方パン種を仕込み
月曜日
丑三つ時からパン作りに工房へ入る
家内とふたりで
金儲けにはつながらないパンを
いまも作っている
生きるとは何だろう
詩を書く
芝居を演ずる
パンを作る
体解した
指物師の手は
楽健法にも
パン作りにも
そのまま通用する手で
パソコンを操作するのも
やはり子供の頃に体解した
本能のような動きが
支えてくれている
齢のことは
考えまい
今日していることは
明日もまたできるのだ
毎日は
明日もつづく
●出演したテレビ
がっちりマンデー●
奈良テレビ 校区を歩こーく
| 東光寺山博物誌
| 08:52
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2015年02月14日
こころが枯れそうな眺めが
いつも通る街路で
毎年きまって繰り返される
わが友達のゆりのきが
まだ葉っぱをいっぱい広げて
緑陰をつくっている時期に
幹だけを残して
ぶざまなオブジェのように
すべての枝を切り落とす
街路樹の枝を切ってはならないと
条例を最初に決めたのは
わが古里の徳島県だということだが
わが住む町
桜井市は
伸ばしておいて
なんの不都合も無さそうな街路樹まで
年に一回かならず
無残にも切り取ってしまう
もんちっちなんて店で
パンに使う特大のリンゴをいつも買うのだが
この前の道路のニセアカシアは
先月から丸裸にされて
恨めしげに僕を見返してくる
鎮守の杜の大木を
腰から上を胴切りした神社もあって
ぼくはあっけに取られると言うよりも
怒りがこみあげてきたが
かくも樹木を虐待して平然たる日本人には
自然崇拝のかけらも無く
かような人たちが
きれい事をいって大手を振ってる
この地上から
はやく消えていきたいような気持ちにかられる
あなたは
大事な友達の木
崇拝する木をもっていますか
目を閉じれば
浮かんでくるような懐かしい大木を
友達にもっているひとは
さいわいである
| 東光寺山博物誌
| 21:56
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2015年01月14日
神々の
呼びかけに
応えるものがいない
起きていることに
両手で
目を蓋ぐ
目隠しした
指の隙間から
観察して知っているのに
地に捨てた
食べ残し
地に棲む菌たちが群がって
分解し
土に戻す
福一から
飛散する見えぬものは
日も土も海も
浄化の敵わぬ
悪魔の排泄
増える
| 旅
| 07:11
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2015年01月13日
観音の
前に置きたる
菩提樹は
ぽとんと毎日
葉を落とし
最後の一葉どれかなと
観音さまは
眺めてる
善哉
善哉
落ちてのち
また生き返る新緑の
しっぽある葉の
楽しさよ
| 東光寺山博物誌
| 19:54
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2015年01月11日
踏めば楽
踏まれたら健
踏み踏まれたら楽健法
楽健法は
互いにやさしく
手足の付け根
指先まで
踏んであげたらいいのです
年をとることは
だれひとり避けられないが
生老病死の四苦も
楽健法をすることで
お産は軽くすみ
老いても介護されず
疲れて帰る息子や孫たちに
笑顔で楽健法をしてやり
分からぬことにはなんでも答えてやり
近所の家から声がかかれば
出かけて楽健法を教えてあげる
家族がみんなで踏みあえば
歩けなかった人が
楽健法をできるひとになったりする
老齢社会を
みんなが健康に生き抜くために
覚えやすく取り組みやすい
楽健法を広める時代
楽健法元年がやってきました
※この詩は「楽健法だより」第0号2015年1月1日発行に掲載しました。
http://www2.begin.or.jp/ytokoji/rakkenho/tokojidayori/rakkenhodayori.pdfダウンロードしてごらんください。
| 旅
| 16:07
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2014年12月17日
ここは山
山というより丘か
とんこじやまと呼ばれ
ものの本には
東光寺山は
残丘とも書かれている
ある万葉集の解説本に
磐余の山は
とんこじやまのことだろう
とも書かれている
庫裏から見下ろせば
街並みは
鳥見山の麓まで広がり
朝日は
鳥見山の向こうから登って
東光寺の障子に
木漏れ日が射し込む
東光寺に止住すること
四半世紀
時の流れは
中年男を
老人の年齢にさせたが
気分は
壮年期のまま
久方ぶりに会う知友は
昔とちっとも変わらないですね
などと真顔でいう
昨日
青空に透けて見える
上弦の半月が浮かんでいて
月に重なって
伊丹空港に向かう
銀翼が煌めいていたのを見た
今朝は
鳥見山から立ち昇った雲が
街並みに被さって
どんよりと空気が動かず
背後の音羽山は
墨絵の白さで
稜線を眉のように伸ばしている
今日は十二月三十日で
餅つきの日
東光寺にご縁のある
楽健法の仲間や
アラスカの客も来て
台所は大童
三段重ねの蒸篭に
先ほどから
蒸気が
勢い良く
立ちのぼり始めた
| 東光寺山博物誌
| 13:11
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2014年12月16日
パン作りの長い一日
やっと終えて東光寺へ帰る
石段を踏みしめながら
最初の曲がり角で
わたしはきまって街を見下ろす
月明かりに
街はしんと静まっている
マニスがいたころは
ここまで甘えながら出迎えてくれたものだ
クロガシの葉群れに
月が光り
マニスの真っ黒い毛並みにも
月が落ちて光っていた
思い出はいつでも
月の光りのようにやさしい
庫裡へはいると
座敷は冷え切っているが
暖房をかけ
石段を上がってきた息を整える
湯を沸かし
お茶をいれ
小さな湯飲みに注ぐ
手のひらに
伝わってくる温もり
湯飲みを眺め
ゆっくりと味わう一服の茶
襖には
龍がいる
友人が送ってくれた墨絵
四本の足で
虚空を掴みながら
龍はさらに天の高みに登っていく
机の上の
湯飲み一個
陶器の感触から
作ったひとの思いが伝わってくる
湯飲み
龍は天を目指し
私は茶を飲みながら
こうしていまここにあることの
不可思議を考えている
湯飲みをさきほどパステルでスケッチ
| 旅
| 16:54
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2014年12月10日
明け方
奇妙な夢を見たが
これから
夢の中で
なにかをしなくてはならぬ場面で
掛ってきた電話に
夢を破られた
夢に意味があったかどうか
反芻しながら庭に出る
風止み
疎らになったもみじの枝
火鉢池の
メダカの水面を
落ち葉がすっかり覆っている
取り除こうと
右手を入れると
水は
冬の気配で
冷え性の手には
辛いほどつーんと冷たい
ここ数日
餌を浮かべてやっても
メダカが浮いてこないのは
冷え切って
運動意欲を失ったからだろう
枯葉は
庭を埋め尽くし
地面も見えないモザイク模様には
まだ熊手を入れず
しばらくこのままにしておこう
明け方の母の夢
母は胸をはだけて
半裸になって
どこか狭い部屋で
敷布団から
上半身をはみ出し
浴衣の裾で前だけ隠して
昏睡していた
僕は母に
楽健法をしようとしていたのか
朱のような肌色で
痩せた太腿は
目に眩しく生気を放ち
僕は立ったまま
見下ろしているのだが
生前母に楽健法をしたことはない
と思いながら見下ろしていた
母はいまも僕のなかに生きていて
かくもなまなましく僕の前に姿をさらしている
落ち葉を踏んで庭を歩きながら
はっとした
今日は母の命日だ
| 東光寺山博物誌
| 22:56
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2014年11月29日
物作りには
完成があるが
人には
完成がない
完成したともし本人が思ったら
悟りを開いたと宣言する
馬鹿と同様で
インド思想の究極目標は
ニルバーナに置かれてあるが
目標に向かって努力しても
必ず未完におわるものだ
悟りを開いた状態を
人は夢想して
未完であることを自覚する
未完であることは良きかな
詩人は
おろかで無知で救いがたいという
未完の自覚によって
詩を書く
完成した人には
ものを創る必要などない
もうそれ以上することがなくなるからだ
未完の人が
完成するのは
全ての衣を
脱ぎ捨てた時
物言わぬ
一枚の位牌になって
線香に燻される
| 旅
| 09:09
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2014年11月27日
値段の記入されていない
ビルが
席を立とうとする
私の前に置かれてある
店内は
雑談が飛び交って
詩作する
雰囲気は
遠ざかった
私は
間も無く
雲へ向かって
飛翔する
小さなプロペラ機で
| 旅
| 08:36
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2014年11月27日
遠い日
未来でも
過去でもない
何処かの
遠い場所に
私は居て凝視めている
思念は距離を選ばず
時空をも超えて
私の居場所は
いつも薄明の
幻雲に包まれている
雨季のように
閉ざそうとする
天地の意志が
何処へ
私を連れ去ろうとするのか
幻雲を切り裂いて
斜光する
矢の眩しさ
全き闇に
私を包もうとする何か
泥濘に
埋もれた
沢山の手が
虚空を掴もうと
闇のなかで蠢いている
裏の竹藪がざわめき
家の前の海が
寄せては返す音が
時が流れてあることを
知らせている
私は早く来過ぎた
空港の喫茶店で
夕べわが身体に起きた闇
闇のなかで空虚になった自分を
振り返っている
雲よ
蒼空よ
曇天の運ぶ雨季よ
私を連れ去る時には
繁吹く一瞬の雨を降らせてくれ
森田童子 さよならぼくのともだち
| 旅
| 08:10
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2014年11月25日
若き日に
素通りして出会わなかった
歌手などを
いまごろ知って
youtubeで聴いている
いつごろどこに
ぼくの青春があったのか
いっぱい背負っていた
重い荷物にひしがれながら
生きていた若き日
心に沁みる哀調の歌
甘酸っぱい未熟の思いを知らず
中年の男のこころで生きていた
あの頃
なんという過酷な日々だったことか
そんなことを思いながら
今朝はマックを起動して
森田童子の歌を聴き
あがた森魚の
赤色エレジーなんかを聴いている
風が吹き雨が降り
地震があり津波があった
オリンピックや放射能
まだまだこれから荒れそうな
日本列島にへばりつきどこまでつづくぼくの明日
森田童子 さよならぼくのともだち
| 旅
| 14:09
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2014年11月22日
手が凍える
冷えた指先にまで
回りきらない
母胎から受けたながれるもの
四季を問わず
冷え性の私は手を擦って掌を眺めたりするが
子供のときからの
冷えが作った習慣だ
すっかり紅葉した白雲木の下で
火鉢池は枯れ葉を水面に浮かべ
餌をもって私が近づいても
メダカは水面に浮かんでこない
枯れ葉を拾おうと水面に手を入れると
冷えた私の手よりも冷たい水が
季節が向かっている先を感じさせ
水藻をかき分けるとメダカの魚体が白く光った
冷気はメダカを動かなくさせるのか
水は取り替えもしないのに
水藻の働きなのか
汚れた気配はさらさらない
火鉢池のメダカは
三年前にはヒメダカだったが
世代交代して先祖返りしたのか
白魚のような白さでなんだか脆そうだ
明日は講習会なので前泊の客がいるが
夕食にはまだ時間があって
私は白雲木の紅葉の下で
手を擦ったりしながらメダカを見下ろしている
| 東光寺山博物誌
| 18:10
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2014年11月21日
沢庵を
練った甘味辛子にまぶして作る
辛子漬けが好きだが
沢庵も
市販品は添加物だらけで
保存料や毒々しい黄色いものなどは
口にする気になれない
気に入った沢庵に出会えないので
辛子漬けは
母が作って常備していた
思い出にとどまっている
新潟の六日町
龍谷寺へむかし何度か訪問したが
客に出す茶に
自家製の沢庵が出される
百貫の大根を毎年漬け込みますと
方丈さんにお聞きしたが
古い寺の
夏でもしんと冷え込むような
大きな台所のどこかに
百貫の大根の漬け物樽が
鎮座している様を想像して
かような贅を楽しめる大寺の様子を羨ましく思った
ぼくが辛子漬けが好きだと知って
手製ですと
くださったひとがいて
開くと茄子の辛子漬けで
かなりパンチの効いた辛さであった
昼食に取り出して
鼻先を押さえながら頂いた
つーんとくる刺激に涙ぐむ
人は悲しくても嬉しくても辛くても
涙ぐんだりするものなんだなどと思いつつ
あ
五観の偈を唱えないで
食べてしまった
| 東光寺山博物誌
| 13:42
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2014年11月20日
紅葉を見ようかと散策して行った
東明寺の土塀を眺めて
池田克巳の法隆寺土塀という詩を思い浮かべたが
池田が眺めた終戦直後の
法隆寺土塀は
これほどには朽ちていなかったのではないか
霜柱が立って
踏めば音を立てそうに見える
本堂前の湿った庭は
猪が昨夜にでも掘り返した跡なのだ
もみじの大木が
鮮やかな赤に紅葉して
本堂の周りだけだが
晩秋の色とりどりが迎えてくれる
晩秋が訪れる庭には
冬が待ち受け
春がまた巡ってくるが
我が身に訪れる晩秋は深まるだけで
来世でもなければ春がやってくることはない
さらに足を伸ばす
磨崖仏の待つ
海瀧山王龍禅寺
門前の明るい景色から見ると
山門が切り取った奥はほの暗く
杜の闇に吸い込まれるように入っていく
不揃いの石段
参道の森林は荒れた雰囲気だが
樹齢は人間の営みの域を超えて
下界など関係なく闇を構成している
磨崖仏の十一面観音は
崖から切り離されてお堂に納まったのか
本堂の建物に取り込まれて
ご本尊に祀られている
右脇には不動明王
蝋燭の炎に照らされて
優しい風貌を
こちらに向けている
おんまかきゃろにきゃそわか
真言を唱えて無心になる
仏や神におねだりなどするものではない
サンクチュアリに鎮座まします
動けない神や仏には
そこに居てくださって有り難うと
お礼を言って失礼させていただくだけだ
紅葉の動かぬ寺の土を踏む
| 旅
| 19:23
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2014年11月18日
※ この詩は十年以上も前かと思いますが、日本未来派に発表したものです。
ときどき流れてきて記憶していたある歌の冒頭に「大寒町の、、、、」という哀調を帯びた歌があって、そのおおさむ「大寒」という語彙に惹かれるものがあって、そのインパクトから、「大寒」というこの詩を書いたのです。それがあがた森魚の歌だと知ったの今日のことで、赤色エレジーをyoutubeで聴いていたところ、大寒が出てきて、ああそうだったんだと納得した次第でした。詩は書き下ろしでなく、再掲ながらあがた森魚の大寒を聴けるようにリンクしてアップしました。
大 寒
冬になると
ぼくは崖っぷちに追いつめられたような
うれしくないゆめをみる
転々と一家でさすらっていて
水もトイレもなんだかままにならず
現実には存在しなかった奇怪な場所
床が傾斜したぼろぼろの家で
つぎつぎとカーテンや扉をあけてそれをさがしている
尿意がいざなってくるそのゆめからさめて
あ、ここにいた、とぼくはおもう
再眠がなかなかやってこなくて
こんどはめざめたままでゆめをみている
ゆるやかに起伏する丘
眼路のかぎり森は広がり
濃紺に輝く山が裾をひろげている
そんな風景がめざめたゆめの底によこたわる
幼時三輪車をこぎながら眺めたふるさとの風景だ
まんまんと水をひそませた田園を歩いて
縄文のひとのように野草を口にふくんだりした
記憶のなかの風景にさらに絵の具を重ねて
みている画布は
もうなくなってしまった場所にある
東光寺の杜を寒風がわたって木々を揺する
冷え込んでくる大寒の朝
不幸なときにしあわせをゆめみるひとのように
マニスとソの字にならんで
いまいちどねむりに落ちていく
| 旅
| 20:01
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2014年11月14日
光があって
認識しているもの
闇を経て
そうかと納得出来るもの
あるのに無いと思ってるもの
ひとは神を創造し
その神が
無空から大地を作り
土や塵から
ひとを創造したと想像した
その神は人間を護ってるのか
人間こそ創造した神を
守らなくてはいけないのだ
神の作りたもうた大地
サンクチュアリィを汚したりしないように
白砂青松の景観を遮るような
巨大な防潮堤を作ろうと考える
被災地の行政に
抗議の署名活動があって
iPhoneのボタンを押したりする
巨大な津波を
感動してみんなで観察出来る
安全快適な生活空間を計画する
そういう計画を立てるような
愉快な政治家が出て来ないだろうか
私はいま
この時点に活かされていて
ひとが歳月をかけて作り上げた
飛行機や新幹線や地下鉄に乗って
iPhoneを開いたりしながら移動している
地下鉄の轟音に包まれて
下車駅を気にしつついまこれを書いている
詩はだれの役にも立たないか
立ち上がった私の背後から
神が微笑しながら読んでくれている
| 未分類
| 17:01
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2014年11月13日
ふたつの影が
寄り添って
夕陽に伸びている
結んだふたりの手も
夕景の道に貼り付いている
陽が落ちても
影は大地に焼き付いていて
多くの靴が
影を踏んでいっても
二度と消えることはない
老いさらばえた白髪の詩人が
夕陽のなかを歩んだ夕方を思いだすと
道に焼き付いた影が立ち上がって
目と目を合わせながら
尖った三日月に向かって歩きだす
| 旅
| 22:10
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2014年11月13日
掌に
握りしめたる
運命を
味わいつくし
旅に出る
朝に咲けよ
朱き花々
| 旅
| 09:01
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2014年11月12日
まだまだこれからだ
なんて思ってるうちに
非情にはやく
歳月ながれ
終わり間近いこの齢
生まれは昭和の二桁はじめ
戦争あって負け戦
半端に育った軍国少年
生まれた四国の小さな家を
一家で捨てて流転した
浪花節かよこの年に
なってもいまだに少年で
損得計算できぬまま
人に請われてあちこちへ
新幹線や飛行機旅
時折開くパソコンの
ユーチューブで聴く音楽は
あがた森魚や森田童子
暗い昭和の歌ばかり
今朝も聴きつつ旅支度
間もなく出かける時間だが
荷造りなんだか納得いかず
入れた荷物をまた出して
片足だけの靴下で動き回っていたことに
やっと気づいて履きました
| 旅
| 10:12
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2014年11月12日
いい詩
暗い詩
明るい詩
詩を書きながら
泣いてます
たとえ昨日がなくっても
明日という日がなくっても
万年筆は過去の枝
マウス握って右左
いまこの瞬間に生きている
詩人の瞳輝いて
たとえ現実暗くとも
虚構に描く詩のなかで
可能性の感情を
胸に感じて書いている
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2014年11月06日
子どもの頃から
想像していることだが
生まれたばかりの赤ん坊は
母親の乳房しか見えず
日にちが経つにつれて
顔が見え
やがて数メートルさきの
背後の壁や天井も見え
父親や祖父母の顔も見えるようになり
他人の顔も見えるようになる
生まれてから
長ずるにしたがい
遠近の距離が伸び
十メートル
百メートル
千メートル
水平線や地平線まで
見えるように
目が発達してくるのではないか
自意識をもって
ものを考え
直感もはたらくようになると
視力に洞察が加わって
他人のこころのなかも
手に取るように
見えるようになってくる
視力は数字だけで
計量するものなんかではないだろう
見る
感じる
把握する
哲学もするような目
望遠鏡なんかでは見えない物
それが見えるようになったとき
ひとは人間になる
| 旅
| 15:00
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2014年10月09日
謎が歩く
問えば誰かが
答えを出してくれるわけではない
無明という
無知ともいうが
繁茂した山に迷い込んだまま
出てこられない魂がある
自らを
用無しだとして
果てていった
親しい人たちがいた
いやそれは
正確ではあるまい
無用の人でなく
そこに不可欠の人として
存在していたことを
僕は知っている
自分を拭い去って
掻き消して
異次元の何処かへ
行ってしまおう
そんな強い意思が
なぜ
あの人たちを捉えたのか
無縁の人が
何処かで死んでいっても
天も地も
また人も
あるがままだ
あってもなくてもいい
そんな人生に
存在の意味があるのか
経典も聖書も
自問自答に
深く応えてくれるわけではない
心通じていたひとが
ある日
不意に消える
鉄路だったり瓦斯だったり
知らされて自覚する
非力なるいきもの
不断の日々
一本の電話が
鉄路に果てた人の
終焉を伝えた時
残されたものに劇が起こる
消しようのない痕跡が
ガラスに付けた傷のように
尾を引いている
僕もまた
幾たびも輾転反側したものだ
この不条理な与件に置かれてある
忌まわしき日々
だが僕はそうはしなかった
心に勝る身体の意思が
次へと突き動かしていたからか
座る
ここにいるのは
遺伝子のままのわれか
互いに
苦悩を交換しながら
僕の前を通り過ぎて行った
人と人
樹々のそよぎや
小鳥の声が聞こえなくなってしまい
僕の耳が閉ざされた時
僕は見るのだろう
延々と生き続けてきた人間が
明日からも永遠に
救い難い思いを抱きつつ
また一から人生を始めていく様を
| 旅
| 12:07
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2014年10月08日
今は昔
雨漏りがする平屋の家屋が
二階建ての家に挟まれて
身を竦めるように建っていた
家には
物心が付いたばかりの
幼い男の子がいて
姉がいて
父と母がいた
こうした家にも
節気には仕来りがあって
年の暮れには
座敷の棚に
柳のふた枝が結び付けられ
紅白のピンポン玉のような餅菓子が飾られ
滅多に冗談も言わない父が
それを作り眺めては
黙って主の定位置に戻っていく
親父というのは
雷が形容詞についていたものだが
わが父も
時々は雷火となって
家族を翻弄する
かくあるべしという
一筋の信念に
妻や子のざらっとした不用意が触れると
火を噴くことになるのであろう
小柄な痩せた男の
どこに潜んでいたろうかと思うような
エネルギーが
小さな家の屋根まで吹き飛ばしそうに
破裂するのである
神も仏もいないと確信しながら
神棚に餅を供えたり
注連飾りをつけるのは
身についた習俗ゆえであろうか
僕は父の死んだ齢を越え
かつて父が苦しんだ宿痾を
遺産に貰ったので
昨夜も羅音と咳に目を覚ました
父母の恩
重きこと限りなし
理屈でわかる人の有り様と
生身に受けた
雷雨の記憶がせめぎあっても
思い出すのは
小柄な男が
居間にちんと座って
私を見ながら微笑している姿である
| 未分類
| 13:56
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2014年09月17日
心の奥には
こどもの見る夢のように
捉えがたいものが
心音のように働いていて
ぼくをつき動かす
夢は
月を串刺しにして
いくつも空に
浮かべている
| 未分類
| 06:47
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2014年09月10日
蜘蛛よ
お前は脱け殻なのか
亡骸なのか
干からびて
Macの上で
問題を
投げかけ てくる
| 東光寺山博物誌
| 14:12
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2014年08月18日
太陽の軌跡を頭上に受け
朝が来て
夕方がやってくる
陽は眉山の後ろに沈んでいくが
日暮れて
暗闇にくるまれると
わけもわからず
こどもは涙をながす
今日はあるが
昨日も明日もない
一昨日とか明後日などという自覚もない
来る日
去る日を
ただ生きていただけではないか
こどもというのは
そういうものではなかったか
日常というものが
異常にかわった
大きな戦争になったことも
不思議とも思わず
隣の家の
顔だけ知っていた兄ちゃんが
海軍で戦死したと聞かされても
白いエプロン姿の
そのお母さんが人目を忍んで泣いているのも
こどものこころには
不思議のひとつでしかない
なにが
どのように
流れているのか
時代は
なにを企んで
大人達を家庭から奪い去っていくのか
日が昇って
西空に沈んでいく時の流れに
こどもは身をまかせているだけだ
小学校が
国民学校と呼ばれるようになって
こどもは入学した
いちばん背の低いこども
五十人の級の
小さい順の真ん前に並ばされて
校長の入学式の訓示を聞かされる
講堂の正面には
左右に開く扉があって
重々しく開かれると
勲章やら飾り紐だらけの
中年男とその夫人
御真影が生徒を見下ろしていた
禮と号令をかけられて
腰を曲げて
深々と四十五度に遙拝させられる
校庭の朝礼では
東向け
と号令を掛けられて
はるか東京の二重橋の向こうに住む
御真影の生き神さまに遙拝した
式があるたびに
聞かされる教育勅語
朕思ふに云々を聞きながら
こどもは
御真影はただの写真だし
神様だっていうが
あの人は糞はしないのだろうか
どう見たって人間なんだから
糞だって
おしっこだってするはずだと
あのズボンをずりさげて
座っている御真影を想像していた
戦争の推移は
大本営がラジオで発表した
負けを知らない大本営は
夜毎ボンバー29が飛来してきて
日本の都市を焼き払っても
日本は神の国だから
神風が吹いて
野蛮なる米英鬼畜は
一気に殲滅する時がやってくる
食い物も乏しいこどもも親も
神風が吹けば解決する
それまでの辛抱なのだと
飛来するB29の爆音が通り過ぎるのを
怯えながら待っている
わが町に爆撃があって
町が灰燼と化し
広島に新爆弾が落とされて
その威力が喧伝され
いままでの防空壕なんかでは
とても家族は守れない
そういう情報が
大本営でないところから伝聞され
こどもの親は
新爆弾に耐えうる壕を作るべく
晴れた8月の朝から
鶴嘴とスコップで壕作りに取りかかった
父が朝から頑張って
大人の背丈ほども掘り進めたとき
こどもは父に質問した
でもこの穴の真上にもし新爆弾が落ちたら
助からないのじゃない
父の癇癪が爆発した
お前はそんな目に遭いたいのか
汗を拭うためにバケツに汲んであった水を
父はこどもに頭からぶちまけた
昼頃に玉音放送があった
雑音が混じって
なにを言ってるのかよく分からなかったが
御真影の男の声だとこどもは理解した
戦争が終わったんだよ
と母がつぶやいた
父は掘っていた壕を埋め戻した
焼け残った我が家の向こう
町は廃墟になっていて
焼けて赤くなった瓦と壁の
盛り上がった地面には
ところどころ
雑草が芽を吹いている
八月十五日
雲ひとつない蒼空だった
| 旅
| 20:31
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2014年08月12日
眉山を
猿のようにすばやく山道を駆けめぐって
ぼくは山桃の熟す木の場所や
朝早くカブトムシが集まるところも知っていた
祖母は神様の居られるところを知っていて
岩壁の上に祠を祀っているので
そこへ参拝してから
松葉や薪を背負って山から帰って来る
今朝は山道をふさぐように
山の主のくちなわがねていたので
声をかけてまたいで通してもらった
などと話しながらご飯を炊く
竈で松葉を燃やすと
ぱちぱちはじける音がして
葉の香りが座敷にも漂ってきた
遠く東の山に日が昇り
裏山に日が落ちる
夕陽が町を煉瓦色に染める日暮れになると
ぼくは泣きじゃくるのだった
家の傍に一抱えほどの太さの
杉の木の電柱が立っていて
同じ太さの杉の木が
トの字の二画目を伸ばして地面に埋めたように
電柱のつっかい棒に使われていた
日がな
太陽を浴びていた電柱のつっかい棒に
少年のぼくが抱きつくと
電柱はあたたかくて気持ちよく
ぼくの包茎がかたくふくらんでくるのだった
電柱の傾斜に背中をもたせかけ
夕焼けを見上げていると
空想や幻想がひろがって
ぼくがいるところは巨人の腹のなかで
巨人の腹のなかには
日も月も地球も家も見えている通りの宇宙があって
そこにぼくはこうして生きている
ぼくの腹のなかにも宇宙があって
ひとびとが住んでいて
そのひとりひとりの腹のなかにも
同じように宇宙が広がっている
眼を閉じて
柱のあたたかさにうっとりしながら
ぼくは想像を広げる
この島の
どこまでも続く海岸線を
生まれてからずっと
ぼくは休むことなく歩いている
白砂を踏みしめる感触が裸足の足裏に快い
貝殻の数々
打ち上げられた海草
磐笛になる孔のあいた小石
岩礁に叩きつけられて落下する波浪
海は
死と再生の場
いのちの母胎であり
終焉の墓場でもある
海を眺め
星や月を眺め
太陽がぼくを焼き尽くすのを恋いながら
炎天下を歩いていたりもする
松原の木陰で
吹きすぎる風を受けながら
お前はなぜここにいるのか
お前はなぜお前なのか
自問するぼくがいるが
応える声はどこからも聞こえてこない
手足が凍える季節にも
日だまりのあたたかい柱は
ぼくの居場所だった
斜めの柱に抱きついて
日の温もりが伝わってくると
ぼくの包茎は勃起して
身動きのできない想像の世界へ旅だっていく
夕暮れ
電柱にそっと触れ
また来られるだろうかと思いながら
さよならをする
死んだときに
葬られる墓標が決まって居る人は幸いである
先行きが案じられてならないひとは
自分が葬られる場所をもっていないからだ
人は空に浮かぶ雲のように
あてどなく浮遊していて
明日のことも明後日のことも
たったいまの自分がだれなのかも
わかっていない
いまはなくなったあの町並み
電柱を支えていたトの字の二画目の柱も
いまはないが
ぼくがこうして目を閉じれば
あの電柱の温もりが胸にいまも残っている
| 旅
| 23:37
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2014年07月15日
朝からなんども
死んだ人を思い出して
記憶のなかで
話しこんだりしている
おとといの舞台の名残か
本当はそうではなかったのに
母親が空襲で焼け死んだという話を
語り部のごとく演ずるので
母もときどき面白がって
あの世から見物にやってくる
人情家の母は
息子が書いた架空の母の
哀れな最期に同情して
涙をながす
ぼくはバーンアウトした母を
あのように芝居に登場させたが
あれでよかったのかどうか
父は哀れな狂った父となって登場し
妻の焼け死んだ地面に
鶏頭の花を育てて
雨が降るのに
傘をさして如雨露に汲んだ水を
鶏頭の花に注いだりしている
焼け跡とか
焦土になった日本の風景とかが
想像すらできない人びとに
ぼくは
生々しい戦争の悲惨な実態を知らせようと
がらんどうは歌うを書いて
演じ続けてきた
ありありと見えてくるもの
いまはなきはるかな時空なんかではない
衝動に駆られて
姉を抱きしめたあの青年の思いは
永遠に消えていくことはないだろう
怒りも放棄し
愛を伝えるすべも知らない人が
かくなる芝居から
何かを汲み上げることがあるだろうか
だが
すこしニヒルな
アンニュイをたたえた顔をして
ぼくはまた演ずるだろう
ぼくより先に逝った
父母や姉の思いを伝えるために
| 旅
| 18:58
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2014年07月01日
夜っぴて吹きすさぶ風が
闇を一層深くし
庫裡の屋根に
木霊が降りてくる
小学校に入る前から
祖母ヨウのところに泊まりに行ったが
裏庭の竹藪のさざめきが
悪霊を運んでくるしるしに思われて
おびえがぼくを縮こまらせ
祖母にしがみついて寝た
祖母はたぶん六十代の半ばか
両太腿で
冷え切った僕の足を温めながら
夜風におびえる魂を癒やしてくれる
祖母の家の便所は
竹藪が傍まで迫って
雨戸のない廊下へ出ると
暗闇で揺れる竹藪は
長い濡れた髪を垂らした女のように
僕を脅かすのだ
なんどか小便に起きたが
祖母は一緒に起きて見守ってくれていた
このところ頻尿だったりして
眠りが浅く
じきに便所にいる夢を見る
さまざまな場所の便所が現れ
祖母の家の便所にも
竹藪に迎えられながら
夢のなかではなんども訪れる
夢のなかの便所では
決して果たすことはできず
床が傾斜していて立っていられなかったり
カーテンに仕切られていて
めくってもめくっても
まだカーテンに隠されていたりする
昨夜の夢のトイレは
六畳ほどの座敷の壁際にある便座式で
僕はそこに座っているが
便座の下に穴はなく
ベンチに便座がおいてある風なのだ
腰掛けている便座の足元に
白い布団が敷かれていて
頭を向こうに誰かが寝ている
それが父親だと僕には分かっていて
どうして父がここにいるのか
何故父の足元へ腰かけて
僕は小便などしようとしているのだろう
夢のなかで便所探しをする
揺蕩うわが老年期
哀れな老人が僕なのか
目覚めて便所へ行きながら
僕はいまも夢のなかでは子供のままなのか
などと自問する
夢から解放され
庭に出て登る朝日に手を合わす
見上げる杜は
木の葉の大きなドームになっていて
そこに立って心を澄ますと
くろがしの木霊が息吹きをかけてよこす
| 旅
| 20:14
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2014年06月01日
崑崙から送られてきたという
珍しい朝顔の種を
その新聞記事と一緒にいただいた
崑崙といえば
孫悟空となにか関係がありそうだと思いながら
10粒の種を
ティッシュペーパーを下敷きに
水に浸して4日目
白い毛根が殻を破って吹き出してきた
堆肥と酵素風呂の粉を土に混ぜ
種をそっと並べて表土をかぶせておいたら
三日後に
双葉の芽がふたつ
姿を現した
翌日
本堂の前に鉢をおいて
じゃねと声をかけて
九州へと旅だった
博多の空は
孫悟空も喘息を起こしそうな
中国渡来の大気汚染に靄っていて
雲はないが青空はない
視界は2キロぐらいか
近くの山脈も霞んで
雄大な自然も
薄紙の向こうにあるがごとくだ
昨日のfacebookでは
茨城に光化学スモッグ警報が出てると報告があった
見えない放射能のことは評価のしようもないから
情報は一切流さないという政府は
この見える大気汚染も
解消しようがないので騒がないのだろう
朝顔の葉が
大気汚染の観察に役立つなんてことを
これを書きながら思いだしたが
染みが入った朝顔の葉が
満艦飾になったところで
どこへも隠れようがないのが
暮らしというものだ
旅から帰って
出迎えてくれた朝顔の元気そうな苗を見ながら
和尚は
筋斗雲に乗って飛翔できない
地についた人間の暮らしに
あらためて思いを馳せる
| 東光寺山博物誌
| 10:03
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2014年06月01日
Sumatraという袋を開けると
珈琲豆の香りがひろがった
40年以上も使ってる
手回しの機械に
三杯分の豆を入れて挽く
ひろがった香りに
木漏れ日のようなやさしさがあって
旅の土産にくれたひとの
こころばえを思いながら
朝の珈琲を飲む
朝刊もあまり読まなくなってきた私の前の
マックのノートのskypeに
笑顔があって
珈琲を楽しみながら
日曜日の朝がはじまった
| 旅
| 09:43
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2014年05月20日
毟られた無患子の苗木の先端から
三センチばかり伸び始めた新芽を確かめて
水曜日から月曜日の夜まで
東光寺を後にした
福山経由で上京し
東京のふたつの講座を無事すませた
美味しんぼの原発鼻血の感想なども質疑にあがって
いまの時代の空気では
たぶん敵視されそうなラジカルな発言をしたりする
いま風評被害さえながさなければ
必ず起こるであろう未来の悲惨には
見ざる言わざる聞かざるの民であれかしと扱う
意識の低い政治家を選んだのも
民そのものであって
お前の敵はお前なんだということに気づかないまま
隣に暮らしている非力者同士が
いがみあったりしているのである
無患子の芽が
どれくらい伸びたろうか
などと思いながら
東光寺へ帰った
日没の遅くなった昨日は
七時半ごろまで明るかったが
すっかり暗くなった八時過ぎに帰った
本堂前の無患子に
車のキーに付けてある小さな懐中電灯を向けると
無患子の芽は
三本の長い枝のように
腕を広げていた
たっぷりと手水の水を杓で掛けてやって
お休みと声をかけ
庫裡の戸を開けて部屋に入る
ずしんと身体の芯に疲労感があったが
無患子の伸びた様子が
心に新芽を萌えさしている
今夜は
ぐっすりと
安らかに眠りにつけそうだ
有り難うおやすみと
だれにともなくいって眠りにつく
毟り取られてから三週間後に伸び始めた新芽、5/14撮影
伸びてきた本堂前の無患子 5/20撮影
無患子の手首用数珠 これを入手したのが無患子を植樹するきっかけになった
| 未分類
| 09:43
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2014年04月19日
夢のなかで
繰り返し訪れる場所があるのだが
一度も行ったことがないのは確かな場所だ
どこかの家屋の前にぼくはいる
冬なのだろう
小さな日だまりに
蹲って
地面に棒きれで線を描いている
知らないこどもがいて
やがてぼくを見上げて
これでいいだろうかという
ぼくが頷くと
絵を残してこどもは走り去り
ぼくはその絵を眺めている
一本の線がどこにも交わらず
迷路のように描かれていて
その線を目で追っているうちに
いつしかぼくは
その迷路に入り込んで彷徨っている
ここはどこだろう
出口はどちらだろう
永遠に出られないのではないだろうか
あせりながら
迷路を遮二無二駈けていると
手足がスローモーションになって
ふわっとからだが宙に浮かんで
すとんと落ちる
あっ夢だったんだ
とあたりを眺めてみると
そこは山道で
風が木の葉を鳴らす葉擦れが聞こえ
足元に陽が差してくる
夕陽がまもなく落ちるのだ
ぼくは茜の大きな太陽を凝視める
太陽はぐるぐると光を右回りに渦巻きながら
二上山の窪みに沈んでいく
暗闇が山に覆い始めたところで
夢から覚める
あそこはどこなんだろう
迷路が待っている
夢なじみの
見知らぬ場所は
一昨日叡福寺へ久しぶりに行った
西方院の坂道の上に立って
目線で坂を下り切って
そこからは登りになる
叡福寺の石段を眺めていると
不意にそんな夢のことを思い出した
東光寺山から
眺めている夢のなかの夕陽は
ちょうどこのあたりへ
落ちてくるのだろう
| 未分類
| 00:08
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2014年03月19日
諷誦文
敬白
それひそかに惟るに
ことばはこころであり
こころはことばであった
ことばはいのちといのちをつなぎ
家族から知人
知人から見知らぬひとへと
息吹きをつたえ
思いを伝えて
人間のかそけき営みを
共有のものにしてきたものであろう
また行動はことばであった
行うところをみれば
ことばとして
ひとびとはそれを受け止め
自他ともに
行動を通じて
思いを知ることにもなった
ひとりの長年の友人
親しく私を弟とも呼んだあなたは
わたしになにひとつことばは残さず
わたしは悲しいひとつの結末から
あなたのこころを忖度する仕儀となって
途方にくれています
あなたはことばをこえて
わたしに絶句を要求するのです
わたしにはあなたの声を聞くに
耳がなかったのです
あなたのこころを受け止めるに
こころがなかったのです
いまこの席にわたしが坐るのではなく
わたしはあなたに
健康法を行ずるひとりの人間として
もっとかかわらなかったことを悔やみます
かつて舞台をともにこしらえました
あなたの演ずる芝居を
袖からなんどか凝視したことがありました
ひとりの舞台監督として
また人生を論ずる相手として
貧しいわたしは
なんどあなたの財布をあてにして
珈琲のテーブルを挟んだ事でしょう
さもあらばあれ
とわたしは強いていわねばなりません
あなたはくりかえしくりかえし
考えてきたに相違ありません
自分の人生の在り方をです
また家族の在り方をもです
わたしはあなたの選択を
決して肯んじるものではありません
われわれに耳がなかったのかも知れないが
あなたはもっと大きな声で
伝えなければならなかったのです
わたしの耳にも確実に届くように
わたしには
そういっていい権利があるように思いたいです
なつかしい友
こころからかたときもはなれることはなかった友
いつからか無縁のひとのように
こころを閉ざしていた友
わたしはあなたになんにもしてあげられなかった
しかしあなたの家族は
あなたのために懸命に踏ん張っていましたよ
このことはあなたも十二分にご存知です
だからこそなんだったのでしょうか
やすらかに存分にお休みください
| 旅
| 19:21
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2014年02月27日
見上げると
黒ずんだ天井の太い梁
梁を支える柱に
細長い鏡がかかっていて
だれかが部屋を横切る度に
鏡がかすかに揺れ
なかからだれかが僕を覗いている
小便に起きようとした僕は
鏡の奥の暗闇が怖くて
母を起こす
母は立ち上がって部屋の電灯をつけ
はいといって見ていてくれる
廊下のくらがりに
部屋の灯りが漏れて
開け放った便所に
斜めに光が届く
僕は震えながら小用をすまし
部屋へ逃げ込む
布団を目深にかぶって
そっと鏡を見る
鏡にはだれもいない
天井の梁も
闇に溶け込んでしまい
僕はふたたび眠りにつく
まな板がことことと刻まれる音を立てて
早朝に母が台所で立ち働いている
竃の煙が部屋にも巡ってくる
三つ並んだ竃の右端では
大きな鉄鍋で白湯が煮えたっている
父祖伝来の習慣で
竃に薪を絶やしたことがなく
我が家では鉄鍋の白湯が年中沸いている
近所の子供が
どぶにはまって汚れたりすると
ここにいつも湯があることを知っている母親たちが
バケツを下げてもらい湯にきたりする
急須の番茶も
柄杓で鉄鍋から汲みあげるのだ
先日
庫裡に小型のガスストーブを購入した
おおきな薬缶を載せて
白湯を沸かしている
人がやってくると
まず白湯を差しあげる
湯気の立つ熱い白湯を眺めながら
鏡の奥から覗くだれかや
天井の黒い太い梁を思いだし
一日に何度も
白湯を飲んでいる
| 東光寺山博物誌
| 21:49
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2014年02月20日
窓を叩く音
後楽園球場のドームが見える窓に
風に叩きつけられ
くっついて流れ落ちる白いもの
さっきまで夢を見ていた
疲れた足を引きずって
空襲を受けた焼け野原を歩いている僕
一望家屋なく
かつての街に道路だけ残して
赤く焼けた壁土と瓦が
わずかに盛り上がっている焼け野原
拾い集めたトタンを組み立てたバラックで
人が暮らしていた時期があった
頭が支えそうな低いトタン屋根は
釘の穴があいていて
寝転んで見上げれば星のように見える
母は夏布団をかけて伏せっていて
父が母をのぞき込んでいる
どうかしたのと聞こうとして目覚めた
ホテルの窓から
雪が降る
東京の街を見下ろす
降りしきる雪が視野を遮り
夢のような記憶のなかへ誘われる
ぼくは空襲で焼け野原になった
故郷のあの夜のことを思い出していた
迫ってくる火の手を見ながら
さっさと逃げろ
父が大声で僕らに怒鳴り
僕は両親も姉のこともすっかり忘れて
弟と手をつないで必死に走った
七十年の歳月が流れたが
あの日を忘れないために
いまだに一人芝居を演じて
人間がいかに時代に流されていったか
語り続けている
がらんどうは歌う
だれもが通り過ぎるだろう虚と無
あまりにきびしくしかも甘い心のゆらぎ
雪が降る
天から降りる白いものは
ひとを静かに
記憶の塔の
取り戻すことのできない
高みに吸い上げていく
| 東光寺山博物誌
| 18:59
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2014年02月12日
ひとがだれかと出会うのは
偶然のようだが
挨拶を交わしてそれっきりという
行きずりではなく
その後の人生に
大きな影響を及ぼす
出会いもある
生まれ落ちた自分の生家は
選択を許されない宿命には違いないが
ひとは長ずるにつれて
巣立ちする小鳥のように
羽ばたくようになってくるのだろう
だれかと出会うということは
いのちを統べる大きな意志の媒介かも知れない
閉じこもってしまうひとや
病気に逃げ込んでしまう
いかにももろいひともたくさん知っているが
どんなひとにも
自分を変革できるような機会が
見えない源流から流れてくる
ぼくが抱き続けていまだよく分からないのが
ひとは何故そこに住んでいるのか
なぜぼくはここにいるのか
はじまりはどこにあったのか
という素朴な疑問である
1976年の桜の季節
観心寺の如意輪観音のご開帳日に
門前の阿修羅窟で出会った
丸山博との出会いも
束の間の挨拶に終わっても不思議ではなかったが
話し込んでいるうちに
その後の僕の人生を大きく変革する出会いだった
アーユルヴェーダ研究会と有害食品研究会
ふたつの事務局長を引き受けることとなった出会い
真言密教の沙弥であった僕に
親しくなった師は
君は僧侶だろう
不惜身命なんてこと知ってるよね
などと冗談をいいながら
大きな負担でもあったが
得がたい鍛錬と学習の場でもあったのだ
インド医学や
日本の医学の現状
進歩し続けてるという科学や医学の幻想
ひとが凭って立つ地面の不確かさ
曖昧なものさしを持って尺度とすることの愚かしさ
そういうことを
身をもって学んだ出会い以後の人生だった
楽健法と天然酵母パンを生業としながら
僧侶の本分とはなにか
などと自問しつつ歩んだ後半生
さて
と僕の思考は立ち止まる
これでいいのか
全うしているのだろうか
もっとやるべきことが待っているのではないか
などと自問しながら
インドのマナリ
レーリッヒの終焉の地
ヒマラヤ山系が見える写真を
デスクトップに貼り付けたパソコンに向かって
こんなものを書き連ねている
旅支度は整った
数日間の小さな旅
福山から東京へ
いまから出かける
丸山博先生
丸山博先生の文献・社会医学におけるアーユル・ヴェーダ研究 の現代的意義 丸山博
レーリッヒ終焉の地 マナリのホテルからヒマラヤを望む
| 東光寺山博物誌
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2014年02月06日
十代の頃
五十五円で三本立てなどという
場末の映画館にうつつを抜かした時代もあったが
ひとびとが昔のように
映画をあまり見なくなったいまでは
映画館のスタイルはすっかり様変わりしてしまった
エレニの帰郷という映画を観た
帰郷とは懐かしい響きの言葉だが
テオ・アンゲロプロスの
時の埃という原題の映画は
エレニの帰郷として上映されていた
帰郷する懐かしいふるさとをもつものはさいわいであるが
私が展墓に帰郷するふるさとは
眺めて止まぬ懐かしい場所ではない
戦争の惨禍を受けて
半世紀以上にわたる時空を彷徨うことになった
出発の地だ
映画は時の埃をはらって
ギリシャやシベリアやアメリカで生きた
エレニの姿を点描する
エターナルトライアングル
それがなければ生きられなかったろう
追い求める愛の不毛を
愛の空しさを
愛の真実の那辺にあるのかを描いて見せる
時代を動かした
スターリンが死んだ日に
やっと巡り会えた恋人と引き裂かれて
シベリアへと拉致されていく男と女
ぼくは
スターリンの死を
ラジオが報じていたのを
なぜか安堵した気持ちで受け止めた日のことを
漠然と覚えているが
映画では
ロシアの辺境の広場
スターリンの銅像の前に
群衆が集って泣いている声が聞こえてくる
男の背中しか写さないクローズアップ
窓越しの背中の向こうにエレニが立って
他の女と暮らしている男を見ている
歳月は多くの謎をつくる
探し求めた男は
長い歳月のうちに
記憶のなかで時を埃に埋めたのか
全うできないもどかしい人生をいきて
男と女が
ふたたび巡り会って
あらたな伝説をつくるのか
合わないモザイク模様を見せながら
二十世紀の終焉とともに
なにかが確実に死んでしまったことを描いたように
テオ・アンゲロプロスは
不慮の事故で
粉雪の舞う時空へ姿を消していった
聴いてみてください。悲しみが指からしたたり落ちるような哀しい美しい音楽を。
| 旅
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2014年01月26日
黒猫の歩みのように
闇が
霧が張ったように
本堂に立ちこめはじめると
花を持った少女が
仄明かりに
浮かび上がり
時間を止めてぼくを見下す
今春
また誕生日がやってきて
思いがけない場所で
ケーキを出してくれたひとがいて
ローソクの灯りを吹き消したりしたが
秒針のセコンドのリズムに乗って
ぼくは現在を生き
自覚しない変化の乗り物で
どこかへ運ばれている
時間はいつも
謎の女の微笑のように
ぼくを悩ませてくれるのだが
まいにち生きて
なんじゅうねんも
きのうの続きを生きているだけのぼくに
赤い花をもった少女は
問いかける
あなたは何者か
どこから来て
どこへ行くのかと
だれも解き明かしたことのない
存在の不可思議を
ぼくに問いかけるのだ
きれいはきたな
きたなはきれい
だれもがふたつの影をもち
あらゆるものは坩堝のごとき
この世に存在する
少女が
両の手に捧げ持つ花は
やがてしおれ
闇に落ち
地下に消える
1970年
ぼくの誕生日に
西宮の彫刻家
渡辺宏のアトリエにいて
十人ほどで
氏の快気祝いをしていた
不意にお経が聞きたくなったぼくは
同席していた僧侶に
無理を言って声明を聴かせてもらった
その刻限に
30歳の義弟が
三人の幼子を残して
交通事故で死亡していた
渡辺宏さんの個展に
制作された作品を
黒猫がらみのお世話をした謝礼にともらったが
素材の樹脂が発する臭いが強く
身近に置けなかったので
二十年以上も
本堂の庇の下に
落ち葉に埋もれながら
寝かせてあった
一昨年
夢に少女が現れたので
ぼくは下ろして少女にまみえ
まだ樹脂臭が抜けないので
ブロンズに置き換えて
本堂の柱に安置することとした
彫刻の師であるだけなく
時間も気分も共有した
懐かしい思い出を花に託して
切り取った曼珠沙華を
少女の両手にもたせる
なぜここにあるのか
意志をもった
時を共有する一個の存在として
ぼくが向き合うとき
時は
漣のようにゆれながら
闇をつつみこむ
ひとり芝居「がらんどうは歌う」公演の本堂
花を持った少女が 仄明かりに 浮かび上がり 時間を止めてぼくを見下す
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2014年01月23日
風はいつも逆風だったか
夜明け前に起きだして
エンジンをかける音がする
中央市場の
間口一間ばかり
足の踏み場もない空間に立っていた君
魚の匂うコンクリートは
凍てついてすべりやすく
こわごわ歩むぼくの姿におどろいた彼
なんや見に来たんかこんな時間に
にやっと笑ったが
つぎつぎと紙袋を買いに来る客の応対に追われていた
やがて仕事を変わって
彼が不動産会社に働いていた頃
僕の母親が身罷った
まったく金がなくて彼の家に行った
僕の前の断崖には手を掛ける突起がなかったが
彼はだまって用立ててくれた
長夜という小説を書いて
文学界に転載され
その後転機を計って彼は東京へ出た
長夜という小説は
風葬というぼくが主宰した同人誌に発表したが
彼の長夜を9ポで組んで掲載した
他の作品を8ポで扱ったぼくの編集方針から
仲間割れして気まずいことがあったが
彼は喧嘩別れした同人を頼って上京することになった
僕はそれが許せなかったので
別れに彼が持ってきたジャン・コクトーの絵皿を
もらいたくないと突っ返したりした
横浜に居を構えた彼をその後なんどか訪問した
小火があって転居を余儀なくされ
奥さんはそれが因となって気を病んだ
嗚呼かくなることを書いて
思い出すのは身がよじれるのであるが
晩年の大和での暮らしはいくらか慰みになったろうか
鉄路に果てた彼女
それに悔い苛まれたろう君の余生
手を差し伸べるすべなく
ひとはひとりで歩まねばならぬ
長夜に向かう道は暗いといえども
日は輝き月も明るい
うなだれて晩年を送るのは
罰当たりなのだろう
当たり前の今日のように胸をはって歩むのが僕の役割か
さよならはいうまい
おうと声をかけられて
再会する日もそう遠くないかも知れないから
数年前の正月、家内ともども談山神社を参拝した折に、書き初めの会を神社でやっていた。
参加を呼び掛けられ筆をとって三人で遊んだ。
東光寺で初護摩のあと、正月を迎えて、、、
悲哀の思い出を癒やしてくれる曲とであったのでリンクしました。
| 旅
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2013年12月31日
YANN TIERSENの
NAVALという
ピアノの音が
やさしく耳朶をなでる
明日は正月なので
すこしばかり
お気に入りの日本酒に
唇を触れて気分を新たにする
餅つきも
本堂の護摩壇の準備も終えたので
マックを相手に
移ろいゆく欺瞞の多いネット世界を
垣間覗いている
薔薇の花を書いた詩があって
コメントを寄せる
そうびによせる
薔薇ありて
霜降りかかる
庭に咲く
薔薇ありき
自ら持ちし
鋭き棘が
己を刺すか
薔薇が身に
訪なうものあり
美しきが故に
自らがまねく
罪過のごとく
音楽のリンクがあって
そこをクリックして流れてきたのが
YANN TIERSENのNAVAL
聴きながら
つのってくる悲しさは
胸に宿っている記憶のせいではないだろう
いまこのときがいちばん悲しいのかもしれない
この曲は
近く公開される
鉄屑拾いの物語という
映画の冒頭から流されるという
私には鉄屑を拾って
警官に誰何されたりしながら
一家の手助けをしていた
子供の時代があって
バケツに拾った鉄屑の重い感触は
いまもずしーんと手のひらに残っている
砲兵工廠の跡地で
アパッチ族が活躍したころには
ぼくの鉄屑拾いは終わっていたが
朝鮮戦争がはじまったので
ぼくらは鉄屑拾いで
いのちのいくらかをつなぐことができたのだ
靖国参拝の総理の暗愚
辛酸を嘗めないでいきる人種には無縁の
世界平和
やがて
来るであろうか
ふたたび
あのような暗黒のなかから
立ち上がらねばならない時代が
東光寺山は
明るい日差しに包まれて
小鳥の声は
やさしくきこえてくるが
山の主は
ピアノの音色に耳をかたむけ
過去へと誘われる
| 旅
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2013年12月17日
東光寺に暮らし始めたのは1991年
桜が満開の日にやってきた
その秋に
天涯孤独の捨てられた黒猫を
優しい友人が拾ってきて
僕の腕に抱かせた
黒猫には因縁めいた借りがあって
ぼくは一緒に暮らすことにした
ひとなっこ過ぎるマニスは
ぼくの足にまとわりついて離れず
ぼくは台所で転げそうになって
思わずつよく蹴飛ばした
マニスのこころにぐさっときたのか
哀しげな声をあげて
廊下の隅の積み上げた箱の隙間の
見えないところに姿を隠した
爾来ぼくは
二度とマニスに哀しい思いをさせまいと思った
ぼくが毎月仕事で出かける
数日間の留守をじっとひとりで我慢しながら
二十年余が過ぎた年末に
マニスは息をひきとった
どこの猫を見かけても
マニスにまさる
猫あらめやも
などと思い出す
ときおり魂魄相通じるのか
座敷に小鳥が舞い込んできたり
蛙が座敷に出現したり
蝶がやってきて
頭をかすめたり
僕の腕に羽を休めたり
マニスが走り回ったように
部屋のなかを飛翔したりする
明日からまた
ぼくは毎月の旅に出かける
行ってくるからね
とマニスに声をかけて
東光寺山は
しんしんと冷えはじめて
マニスの小さな墓石も
寒そうに落ち葉に埋もれている
東光寺への石段
| 東光寺山博物誌
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2013年12月01日
政治のことなどは
どうひいきめにみても
詩のテーマにふさわしくないが
秘密保護法などが法律になってしまうと
詩もうかうか書けない時代が
黒雲のようにやってくるかも知れない
軍国時代だった
私のこども時代には
詩人や画家たちも
戦争を賛美する詩や絵をかいたりして
戦争責任を問われたりした
批判精神を持つことはあっても
それを書けば投獄され
獄死する運命が待っているかも知れない
戦争を賛美することで
死にゆく若者を鼓舞することにもなった
与謝野晶子は
ああ弟よ君を泣く
君死たまうことなかれ
などと反戦歌を書いたりしたが
国民が
批判精神をもつことは
政治がもっともおそれることだ
ものを考えない人間にするために
書物を焼き払った焚書は
古代から圧政の政治家たちが
繰り返したことであった
万国の労働者団結せよを叫んだ政治体制も
圧政を敷いて自ら崩壊し
思想なき時代に張り巡らされたインターネットは
監視を増やして焚書ならぬ削除をし
圧政の実態を知らせたりすれば
秘密保護法で刑務所にいれるぞと焚書の技を振るう
自民党は
民主党が敷いてくれた愚政の反動で
長年の念願かなって
自由に圧政の鉈を振り下ろせる時代がやってきた
いまやだれもこれに逆らえないのだ
原発事故も
放射能の末永い影響も
ふたをしてしまえばなきに等しい
今日の新聞記事では
石破幹事長がブログで
マイクの大音響で反対を叫ぶのはテロである
などといいはじめた
自民党の存在そのものがテロではないか
原発の存在そのものがテロではないか
そういう政治家を送りだした
選挙民もテロリストとはいえないだろうか
気づくにはもう遅いのか
均衡は壊れてしまって
断末魔までいかないかぎりは
気づく日はやってこず
光が射してくることはないのであろう
昭和20年8月15日のような敗残の日や
再びの大地震や原発事故で
だれも住めなくなった大地に雑草が覆うまでは
| 旅
| 17:52
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