東光寺の日々

東光寺の暮らしのなかから創作される、詩歌や散文。

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They're waiting in Paramita

They're waiting in Paramita


In the Ganges they swam.
In the Ganges they drifted.
In the Ganges they flowed by.

Abave the Ganges the sun rise.
Abave the Ganges the day passes.
Abave the Ganges the sun set.

At the Ganges it darkens.
At the Ganres night comes.
At the Ganges moon rises.

The Ganges Flows now.
The ganges flowed then.
The Ganges will ever flow by.




 彼岸でだれかが待っている 
 
  
 ガンジス河で泳いでた
 ガンジス河に浮いていた
 ガンジス河を流れていった

 ガンジス河に陽が昇る
 ガンジス河に昼がくる
 ガンジス河に陽が沈む
 
 ガンジス河が暗くなり
 ガンジス河に夜がくる
 ガンジス河に月がでる
 
 ガンジス河は流れてる
 ガンジス河は流れてた
 ガンジス河は流れていった




      詩・山内宥厳   by Yugen Yamanouchi
      訳・ペテロ・バーケルマンス神父 transreted by Peter Baekelmans

 詩集「共生浄土」のなかの一篇ですが、本を整理していたらペテロ神父が英訳してくださって本に挟み込んであったのが出てきましたのでアップしました。
 この詩はパン工房でパンを作りながら聴いていた喜多郎のシルクロードのメロディに合わせて黒板に即興で書いた詩です。


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夜明け

朝は閃く
閃いた
夜明けの直感を
大切に
今日を始めよう
昨日の続きが
今日なのではない
今日が
明日に繋がってるわけでもない
時計の秒を刻むように
瞬時の生命を
生かされている弱いいきもの
昨日は振り返れるが
明日はあるか否か
過労気味だが
みんなが待つ場所へ
歩いていく


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えま&慧奏の「こもりうた」
慧奏さんとは1980年前後からお付き合いがあって、音楽を担当してもらって沖縄へ芝居をしにいったりしました。

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もっと

もっと
もっと欲しい
金を
着物を
食い物を
道路を
高速道路を
飛行場を
家を
車を
薬を
健康を
病院を
酒を
遊びを
暇を
旅行を
温泉を
客を
恋人を
愛を
町おこし
村おこし
地域活性化
原発再稼働
原発廃棄
黙れ
だまれ
八紘一宇
葵の紋が
菊の紋が
見えないか


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この詩はツイッターにダイレクトに書きました。

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雪が降る

雪に降られ
上がっていく地面を
見つめている

少女は
過去のひとときのなかに
これから
過ごしていくであろう
未来を凝視めている

馬の目のように
未来は
優しい眼差しで
少女を
雪景色に溶かし込み
包んでしまう

間もなく
信号が変わる
ニューヨークの
交差点


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絶唱

美輪明宏ロマンティック音楽会2014

緞帳の向こうに
すぐ開かれる
未来が息をこらしてる
座席には
とりどりの齢の男女
昨年10月
体調を崩した歌手が
公演を中止し
今夜へ日替わりだ
時の翼に乗った
伝説に生きる
悲傷の歌手が
歌う



| | 21:56 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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暖かい

楽健法など
まだ知らなかった
三十路にさしかかった頃
肩こりがあったりして
ときどき指圧や
鍼灸を受けに行った
路地の奥まったところに
その家はあって
目の不自由なご主人が指圧を
鍼灸は丸顔の明るい声の
その人の奥さんがやってくれる
指圧をしながら
世間話をしたりもするが
背中を押すときに
押しては跳ね上げるように
親指を離す動作を
指圧を受けながら
僕は推し量っていた
微妙な間合いがあって
吐く息と吸う息が
指の動きに
流れるリズムとなって
僕の体内にも伝わってくる
終わるときに
手のひらを
ぼくの背中に
羽毛のようにそっと置く
じわっと沁みてくる
暖かさが
五十年経ったいまも
背中に残ってる
あの感触をと思いながら
今日も楽健法をする



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「楽健法だより」第1号 巻頭詩



| | 07:34 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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パン作り

そもそもは
喘息になったことがきっかけだった
発病は父と同じ二十五歳で
夜毎咳が出るようになった

医師から
喘息ですね
家族に喘息の方はいますか
と言われて
頷いたわたしは
母にそのことを告げると
お父さんと同じだね
やっぱり二十五の時だった
と不思議を思い見る顔をした

病気は神様からの贈り物だ
などという心境になったのは
それから十年以上も経ってからだが
喘息は
もし健康だったら得られなかった
いろんな出会いを恵んでくれた

玄米を食えという僧侶に出会い
指物師だった詩人のわたしは
芝居を書いて公演しながら
額縁
彫刻
仏像彫り
玄米菜食
自然食
楽健寺と楽健法
東洋医学
丸山博
甲田光雄
アーユルヴェーダ
有害食品研究会
酵素風呂
天然酵母パン
東光寺へ止住
パソコンに習熟し
使いこなせるようになっていたので
二度目の
日本アーユルヴェーダ学会本部を担当したり
東京楽健法研究会を立ち上げる
毎月の福山と東京教室
東京のホテルで
年間通算一ヶ月は暮らしている
新聞
雑誌
テレビなどの取材
本の刊行など
いろいろやってきたものだ

ではありながら
零細企業そのままで
日曜日夕方パン種を仕込み
月曜日
丑三つ時からパン作りに工房へ入る
家内とふたりで
金儲けにはつながらないパンを
いまも作っている

生きるとは何だろう
詩を書く
芝居を演ずる
パンを作る

体解した
指物師の手は
楽健法にも
パン作りにも
そのまま通用する手で
パソコンを操作するのも
やはり子供の頃に体解した
本能のような動きが
支えてくれている

齢のことは
考えまい
今日していることは
明日もまたできるのだ

毎日は
明日もつづく


●出演したテレビ
がっちりマンデー

奈良テレビ 校区を歩こーく



| 東光寺山博物誌 | 08:52 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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冬景色

こころが枯れそうな眺めが
いつも通る街路で
毎年きまって繰り返される

わが友達のゆりのきが
まだ葉っぱをいっぱい広げて
緑陰をつくっている時期に
幹だけを残して
ぶざまなオブジェのように
すべての枝を切り落とす

街路樹の枝を切ってはならないと
条例を最初に決めたのは
わが古里の徳島県だということだが
わが住む町
桜井市は
伸ばしておいて
なんの不都合も無さそうな街路樹まで
年に一回かならず
無残にも切り取ってしまう

もんちっちなんて店で
パンに使う特大のリンゴをいつも買うのだが
この前の道路のニセアカシアは
先月から丸裸にされて
恨めしげに僕を見返してくる

鎮守の杜の大木を
腰から上を胴切りした神社もあって
ぼくはあっけに取られると言うよりも
怒りがこみあげてきたが
かくも樹木を虐待して平然たる日本人には
自然崇拝のかけらも無く
かような人たちが
きれい事をいって大手を振ってる
この地上から
はやく消えていきたいような気持ちにかられる

あなたは
大事な友達の木
崇拝する木をもっていますか
目を閉じれば
浮かんでくるような懐かしい大木を
友達にもっているひとは
さいわいである



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| 東光寺山博物誌 | 21:56 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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闇をつくる

神々の
呼びかけに
応えるものがいない

起きていることに
両手で
目を蓋ぐ

目隠しした
指の隙間から
観察して知っているのに

地に捨てた
食べ残し
地に棲む菌たちが群がって
分解し
土に戻す

福一から
飛散する見えぬものは
日も土も海も
浄化の敵わぬ
悪魔の排泄

増える




| | 07:11 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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Last leaf 最後の一葉

観音の
前に置きたる
菩提樹は
ぽとんと毎日
葉を落とし
最後の一葉どれかなと
観音さまは
眺めてる

善哉
善哉
 
落ちてのち
また生き返る新緑の
しっぽある葉の
楽しさよ

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| 東光寺山博物誌 | 19:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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楽健法元年

踏めば楽
踏まれたら健
踏み踏まれたら楽健法

楽健法は
互いにやさしく
手足の付け根
指先まで
踏んであげたらいいのです

年をとることは
だれひとり避けられないが
生老病死の四苦も
楽健法をすることで
お産は軽くすみ
老いても介護されず
疲れて帰る息子や孫たちに
笑顔で楽健法をしてやり
分からぬことにはなんでも答えてやり
近所の家から声がかかれば
出かけて楽健法を教えてあげる
家族がみんなで踏みあえば
歩けなかった人が
楽健法をできるひとになったりする

老齢社会を
みんなが健康に生き抜くために
覚えやすく取り組みやすい
楽健法を広める時代
楽健法元年がやってきました
 

※この詩は「楽健法だより」第0号2015年1月1日発行に掲載しました。
http://www2.begin.or.jp/ytokoji/rakkenho/tokojidayori/rakkenhodayori.pdf
ダウンロードしてごらんください。

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| | 16:07 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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鳥見山


ここは山
山というより丘か
とんこじやまと呼ばれ
ものの本には
東光寺山は
残丘とも書かれている

ある万葉集の解説本に
磐余の山は
とんこじやまのことだろう
とも書かれている

庫裏から見下ろせば
街並みは
鳥見山の麓まで広がり
朝日は
鳥見山の向こうから登って
東光寺の障子に
木漏れ日が射し込む

東光寺に止住すること
四半世紀

時の流れは
中年男を
老人の年齢にさせたが
気分は
壮年期のまま
久方ぶりに会う知友は
昔とちっとも変わらないですね
などと真顔でいう

昨日
青空に透けて見える
上弦の半月が浮かんでいて
月に重なって
伊丹空港に向かう
銀翼が煌めいていたのを見た

今朝は
鳥見山から立ち昇った雲が
街並みに被さって
どんよりと空気が動かず
背後の音羽山は
墨絵の白さで
稜線を眉のように伸ばしている

今日は十二月三十日で
餅つきの日

東光寺にご縁のある
楽健法の仲間や
アラスカの客も来て
台所は大童
三段重ねの蒸篭に
先ほどから
蒸気が
勢い良く
立ちのぼり始めた

















| 東光寺山博物誌 | 13:11 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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パン作りの長い一日
やっと終えて東光寺へ帰る
石段を踏みしめながら
最初の曲がり角で
わたしはきまって街を見下ろす

月明かりに
街はしんと静まっている

マニスがいたころは
ここまで甘えながら出迎えてくれたものだ
クロガシの葉群れに
月が光り
マニスの真っ黒い毛並みにも
月が落ちて光っていた

思い出はいつでも
月の光りのようにやさしい

庫裡へはいると
座敷は冷え切っているが
暖房をかけ
石段を上がってきた息を整える

湯を沸かし
お茶をいれ
小さな湯飲みに注ぐ
手のひらに
伝わってくる温もり
湯飲みを眺め
ゆっくりと味わう一服の茶

襖には
龍がいる
友人が送ってくれた墨絵
四本の足で
虚空を掴みながら
龍はさらに天の高みに登っていく

机の上の
湯飲み一個
陶器の感触から
作ったひとの思いが伝わってくる
湯飲み

龍は天を目指し
私は茶を飲みながら
こうしていまここにあることの
不可思議を考えている

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湯飲みをさきほどパステルでスケッチ

| | 16:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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明け方
奇妙な夢を見たが
これから
夢の中で
なにかをしなくてはならぬ場面で
掛ってきた電話に
夢を破られた

夢に意味があったかどうか
反芻しながら庭に出る

風止み
疎らになったもみじの枝
火鉢池の
メダカの水面を
落ち葉がすっかり覆っている

取り除こうと
右手を入れると
水は
冬の気配で
冷え性の手には
辛いほどつーんと冷たい

ここ数日
餌を浮かべてやっても
メダカが浮いてこないのは
冷え切って
運動意欲を失ったからだろう

枯葉は
庭を埋め尽くし
地面も見えないモザイク模様には
まだ熊手を入れず
しばらくこのままにしておこう

明け方の母の夢
母は胸をはだけて
半裸になって
どこか狭い部屋で
敷布団から
上半身をはみ出し
浴衣の裾で前だけ隠して
昏睡していた

僕は母に
楽健法をしようとしていたのか

朱のような肌色で
痩せた太腿は
目に眩しく生気を放ち
僕は立ったまま
見下ろしているのだが
生前母に楽健法をしたことはない
と思いながら見下ろしていた

母はいまも僕のなかに生きていて
かくもなまなましく僕の前に姿をさらしている
落ち葉を踏んで庭を歩きながら
はっとした
今日は母の命日だ

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| 東光寺山博物誌 | 22:56 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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目的

物作りには
完成があるが
人には
完成がない

完成したともし本人が思ったら
悟りを開いたと宣言する
馬鹿と同様で
インド思想の究極目標は
ニルバーナに置かれてあるが
目標に向かって努力しても
必ず未完におわるものだ

悟りを開いた状態を
人は夢想して
未完であることを自覚する

未完であることは良きかな
詩人は
おろかで無知で救いがたいという
未完の自覚によって
詩を書く

完成した人には
ものを創る必要などない
もうそれ以上することがなくなるからだ


未完の人が
完成するのは
全ての衣を
脱ぎ捨てた時
物言わぬ
一枚の位牌になって
線香に燻される

| | 09:09 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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白紙

値段の記入されていない
ビルが
席を立とうとする
私の前に置かれてある

店内は
雑談が飛び交って
詩作する
雰囲気は
遠ざかった

私は
間も無く
雲へ向かって
飛翔する
小さなプロペラ機で


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| | 08:36 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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幻雲

遠い日
未来でも
過去でもない
何処かの
遠い場所に
私は居て凝視めている

思念は距離を選ばず
時空をも超えて
私の居場所は
いつも薄明の
幻雲に包まれている

雨季のように
閉ざそうとする
天地の意志が
何処へ
私を連れ去ろうとするのか

幻雲を切り裂いて
斜光する
矢の眩しさ
全き闇に
私を包もうとする何か

泥濘に
埋もれた
沢山の手が
虚空を掴もうと
闇のなかで蠢いている

裏の竹藪がざわめき
家の前の海が
寄せては返す音が
時が流れてあることを
知らせている

私は早く来過ぎた
空港の喫茶店で
夕べわが身体に起きた闇
闇のなかで空虚になった自分を
振り返っている

雲よ
蒼空よ
曇天の運ぶ雨季よ
私を連れ去る時には
繁吹く一瞬の雨を降らせてくれ


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森田童子 さよならぼくのともだち




| | 08:10 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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出会った歌

若き日に
素通りして出会わなかった
歌手などを
いまごろ知って
youtubeで聴いている

いつごろどこに
ぼくの青春があったのか
いっぱい背負っていた
重い荷物にひしがれながら
生きていた若き日

心に沁みる哀調の歌
甘酸っぱい未熟の思いを知らず
中年の男のこころで生きていた
あの頃
なんという過酷な日々だったことか

そんなことを思いながら
今朝はマックを起動して
森田童子の歌を聴き
あがた森魚の
赤色エレジーなんかを聴いている

風が吹き雨が降り
地震があり津波があった
オリンピックや放射能
まだまだこれから荒れそうな
日本列島にへばりつきどこまでつづくぼくの明日



森田童子 さよならぼくのともだち

| | 14:09 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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冬に向かう

手が凍える
冷えた指先にまで
回りきらない
母胎から受けたながれるもの

四季を問わず
冷え性の私は手を擦って掌を眺めたりするが
子供のときからの
冷えが作った習慣だ

すっかり紅葉した白雲木の下で
火鉢池は枯れ葉を水面に浮かべ
餌をもって私が近づいても
メダカは水面に浮かんでこない

枯れ葉を拾おうと水面に手を入れると
冷えた私の手よりも冷たい水が
季節が向かっている先を感じさせ
水藻をかき分けるとメダカの魚体が白く光った

冷気はメダカを動かなくさせるのか
水は取り替えもしないのに
水藻の働きなのか
汚れた気配はさらさらない

火鉢池のメダカは
三年前にはヒメダカだったが
世代交代して先祖返りしたのか
白魚のような白さでなんだか脆そうだ

明日は講習会なので前泊の客がいるが
夕食にはまだ時間があって
私は白雲木の紅葉の下で
手を擦ったりしながらメダカを見下ろしている


庫裡の庭




| 東光寺山博物誌 | 18:10 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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辛子漬け

沢庵を
練った甘味辛子にまぶして作る
辛子漬けが好きだが
沢庵も
市販品は添加物だらけで
保存料や毒々しい黄色いものなどは
口にする気になれない

気に入った沢庵に出会えないので
辛子漬けは
母が作って常備していた
思い出にとどまっている

新潟の六日町
龍谷寺へむかし何度か訪問したが
客に出す茶に
自家製の沢庵が出される
百貫の大根を毎年漬け込みますと
方丈さんにお聞きしたが
古い寺の
夏でもしんと冷え込むような
大きな台所のどこかに
百貫の大根の漬け物樽が
鎮座している様を想像して
かような贅を楽しめる大寺の様子を羨ましく思った

ぼくが辛子漬けが好きだと知って
手製ですと
くださったひとがいて
開くと茄子の辛子漬けで
かなりパンチの効いた辛さであった
昼食に取り出して
鼻先を押さえながら頂いた
つーんとくる刺激に涙ぐむ
人は悲しくても嬉しくても辛くても
涙ぐんだりするものなんだなどと思いつつ
あ 
五観の偈を唱えないで
食べてしまった


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| 東光寺山博物誌 | 13:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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土塀と磨崖仏

紅葉を見ようかと散策して行った
東明寺の土塀を眺めて
池田克巳の法隆寺土塀という詩を思い浮かべたが
池田が眺めた終戦直後の
法隆寺土塀は
これほどには朽ちていなかったのではないか
霜柱が立って
踏めば音を立てそうに見える
本堂前の湿った庭は
猪が昨夜にでも掘り返した跡なのだ
もみじの大木が
鮮やかな赤に紅葉して
本堂の周りだけだが
晩秋の色とりどりが迎えてくれる
晩秋が訪れる庭には
冬が待ち受け
春がまた巡ってくるが
我が身に訪れる晩秋は深まるだけで
来世でもなければ春がやってくることはない

さらに足を伸ばす
磨崖仏の待つ
海瀧山王龍禅寺
門前の明るい景色から見ると
山門が切り取った奥はほの暗く
杜の闇に吸い込まれるように入っていく
不揃いの石段
参道の森林は荒れた雰囲気だが
樹齢は人間の営みの域を超えて
下界など関係なく闇を構成している
磨崖仏の十一面観音は
崖から切り離されてお堂に納まったのか
本堂の建物に取り込まれて
ご本尊に祀られている
右脇には不動明王
蝋燭の炎に照らされて
優しい風貌を
こちらに向けている
おんまかきゃろにきゃそわか
真言を唱えて無心になる
仏や神におねだりなどするものではない
サンクチュアリに鎮座まします
動けない神や仏には
そこに居てくださって有り難うと
お礼を言って失礼させていただくだけだ
紅葉の動かぬ寺の土を踏む

 土塀
磨崖仏













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大寒

 ※ この詩は十年以上も前かと思いますが、日本未来派に発表したものです。
 ときどき流れてきて記憶していたある歌の冒頭に「大寒町の、、、、」という哀調を帯びた歌があって、そのおおさむ「大寒」という語彙に惹かれるものがあって、そのインパクトから、「大寒」というこの詩を書いたのです。それがあがた森魚の歌だと知ったの今日のことで、赤色エレジーをyoutubeで聴いていたところ、大寒が出てきて、ああそうだったんだと納得した次第でした。詩は書き下ろしでなく、再掲ながらあがた森魚の大寒を聴けるようにリンクしてアップしました。


  大 寒 

冬になると
ぼくは崖っぷちに追いつめられたような
うれしくないゆめをみる
転々と一家でさすらっていて
水もトイレもなんだかままにならず
現実には存在しなかった奇怪な場所
床が傾斜したぼろぼろの家で
つぎつぎとカーテンや扉をあけてそれをさがしている
尿意がいざなってくるそのゆめからさめて
あ、ここにいた、とぼくはおもう
再眠がなかなかやってこなくて
こんどはめざめたままでゆめをみている
ゆるやかに起伏する丘
眼路のかぎり森は広がり
濃紺に輝く山が裾をひろげている
そんな風景がめざめたゆめの底によこたわる
幼時三輪車をこぎながら眺めたふるさとの風景だ
まんまんと水をひそませた田園を歩いて
縄文のひとのように野草を口にふくんだりした
記憶のなかの風景にさらに絵の具を重ねて
みている画布は
もうなくなってしまった場所にある
東光寺の杜を寒風がわたって木々を揺する
冷え込んでくる大寒の朝
不幸なときにしあわせをゆめみるひとのように
マニスとソの字にならんで
いまいちどねむりに落ちていく



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おお大地よ


光があって
認識しているもの
闇を経て
そうかと納得出来るもの
あるのに無いと思ってるもの

ひとは神を創造し
その神が
無空から大地を作り
土や塵から
ひとを創造したと想像した

その神は人間を護ってるのか
人間こそ創造した神を
守らなくてはいけないのだ
神の作りたもうた大地
サンクチュアリィを汚したりしないように

白砂青松の景観を遮るような
巨大な防潮堤を作ろうと考える
被災地の行政に
抗議の署名活動があって
iPhoneのボタンを押したりする

巨大な津波を
感動してみんなで観察出来る
安全快適な生活空間を計画する
そういう計画を立てるような
愉快な政治家が出て来ないだろうか

私はいま
この時点に活かされていて
ひとが歳月をかけて作り上げた
飛行機や新幹線や地下鉄に乗って
iPhoneを開いたりしながら移動している

地下鉄の轟音に包まれて
下車駅を気にしつついまこれを書いている
詩はだれの役にも立たないか
立ち上がった私の背後から
神が微笑しながら読んでくれている



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ふたつの影が
寄り添って
夕陽に伸びている
結んだふたりの手も
夕景の道に貼り付いている

陽が落ちても
影は大地に焼き付いていて
多くの靴が
影を踏んでいっても
二度と消えることはない

老いさらばえた白髪の詩人が
夕陽のなかを歩んだ夕方を思いだすと
道に焼き付いた影が立ち上がって
目と目を合わせながら
尖った三日月に向かって歩きだす



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掌に

握りしめたる

運命を

味わいつくし

旅に出る

朝に咲けよ

朱き花々

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流れながれて

まだまだこれからだ
なんて思ってるうちに
非情にはやく
歳月ながれ
終わり間近いこの齢

生まれは昭和の二桁はじめ
戦争あって負け戦
半端に育った軍国少年
生まれた四国の小さな家を
一家で捨てて流転した

浪花節かよこの年に
なってもいまだに少年で
損得計算できぬまま
人に請われてあちこちへ
新幹線や飛行機旅

時折開くパソコンの
ユーチューブで聴く音楽は
あがた森魚や森田童子
暗い昭和の歌ばかり
今朝も聴きつつ旅支度

間もなく出かける時間だが
荷造りなんだか納得いかず
入れた荷物をまた出して
片足だけの靴下で動き回っていたことに
やっと気づいて履きました


| | 10:12 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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書く


いい詩
暗い詩
明るい詩
詩を書きながら
泣いてます

たとえ昨日がなくっても
明日という日がなくっても
万年筆は過去の枝
マウス握って右左
いまこの瞬間に生きている

詩人の瞳輝いて
たとえ現実暗くとも
虚構に描く詩のなかで
可能性の感情を
胸に感じて書いている



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望遠鏡

子どもの頃から
想像していることだが
生まれたばかりの赤ん坊は
母親の乳房しか見えず
日にちが経つにつれて
顔が見え
やがて数メートルさきの
背後の壁や天井も見え
父親や祖父母の顔も見えるようになり
他人の顔も見えるようになる

生まれてから
長ずるにしたがい
遠近の距離が伸び
十メートル
百メートル
千メートル
水平線や地平線まで
見えるように
目が発達してくるのではないか

自意識をもって
ものを考え
直感もはたらくようになると
視力に洞察が加わって
他人のこころのなかも
手に取るように
見えるようになってくる

視力は数字だけで
計量するものなんかではないだろう

見る
感じる
把握する
哲学もするような目

望遠鏡なんかでは見えない物
それが見えるようになったとき
ひとは人間になる

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神話

謎が歩く
問えば誰かが
答えを出してくれるわけではない
無明という
無知ともいうが
繁茂した山に迷い込んだまま
出てこられない魂がある

自らを
用無しだとして
果てていった
親しい人たちがいた

いやそれは
正確ではあるまい
無用の人でなく
そこに不可欠の人として
存在していたことを
僕は知っている

自分を拭い去って
掻き消して
異次元の何処かへ
行ってしまおう
そんな強い意思が
なぜ
あの人たちを捉えたのか

無縁の人が
何処かで死んでいっても
天も地も
また人も
あるがままだ

あってもなくてもいい
そんな人生に
存在の意味があるのか

経典も聖書も
自問自答に
深く応えてくれるわけではない

心通じていたひとが
ある日
不意に消える
鉄路だったり瓦斯だったり

知らされて自覚する
非力なるいきもの

不断の日々
一本の電話が
鉄路に果てた人の
終焉を伝えた時
残されたものに劇が起こる

消しようのない痕跡が
ガラスに付けた傷のように
尾を引いている

僕もまた
幾たびも輾転反側したものだ
この不条理な与件に置かれてある
忌まわしき日々

だが僕はそうはしなかった
心に勝る身体の意思が
次へと突き動かしていたからか

座る
ここにいるのは
遺伝子のままのわれか

互いに
苦悩を交換しながら
僕の前を通り過ぎて行った
人と人

樹々のそよぎや
小鳥の声が聞こえなくなってしまい
僕の耳が閉ざされた時
僕は見るのだろう
延々と生き続けてきた人間が
明日からも永遠に
救い難い思いを抱きつつ
また一から人生を始めていく様を


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家族の肖像

今は昔
雨漏りがする平屋の家屋が
二階建ての家に挟まれて
身を竦めるように建っていた

家には
物心が付いたばかりの
幼い男の子がいて
姉がいて
父と母がいた

こうした家にも
節気には仕来りがあって
年の暮れには
座敷の棚に
柳のふた枝が結び付けられ
紅白のピンポン玉のような餅菓子が飾られ
滅多に冗談も言わない父が
それを作り眺めては
黙って主の定位置に戻っていく

親父というのは
雷が形容詞についていたものだが
わが父も
時々は雷火となって
家族を翻弄する

かくあるべしという
一筋の信念に
妻や子のざらっとした不用意が触れると
火を噴くことになるのであろう

小柄な痩せた男の
どこに潜んでいたろうかと思うような
エネルギーが
小さな家の屋根まで吹き飛ばしそうに
破裂するのである

神も仏もいないと確信しながら
神棚に餅を供えたり
注連飾りをつけるのは
身についた習俗ゆえであろうか

僕は父の死んだ齢を越え
かつて父が苦しんだ宿痾を
遺産に貰ったので
昨夜も羅音と咳に目を覚ました

父母の恩
重きこと限りなし
理屈でわかる人の有り様と
生身に受けた
雷雨の記憶がせめぎあっても
思い出すのは
小柄な男が
居間にちんと座って
私を見ながら微笑している姿である





| 未分類 | 13:56 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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心臓

心の奥には
こどもの見る夢のように
捉えがたいものが
心音のように働いていて
ぼくをつき動かす

夢は
月を串刺しにして
いくつも空に
浮かべている

| 未分類 | 06:47 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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途上

蜘蛛よ
お前は脱け殻なのか
亡骸なのか
干からびて
Macの上で
問題を
投げかけ てくる


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| 東光寺山博物誌 | 14:12 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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折れた日

太陽の軌跡を頭上に受け
朝が来て
夕方がやってくる
陽は眉山の後ろに沈んでいくが
日暮れて
暗闇にくるまれると
わけもわからず
こどもは涙をながす

今日はあるが
昨日も明日もない
一昨日とか明後日などという自覚もない
来る日
去る日を
ただ生きていただけではないか
こどもというのは
そういうものではなかったか

日常というものが
異常にかわった
大きな戦争になったことも
不思議とも思わず
隣の家の
顔だけ知っていた兄ちゃんが
海軍で戦死したと聞かされても
白いエプロン姿の
そのお母さんが人目を忍んで泣いているのも
こどものこころには
不思議のひとつでしかない

なにが
どのように
流れているのか
時代は
なにを企んで
大人達を家庭から奪い去っていくのか
日が昇って
西空に沈んでいく時の流れに
こどもは身をまかせているだけだ

小学校が
国民学校と呼ばれるようになって
こどもは入学した

いちばん背の低いこども
五十人の級の
小さい順の真ん前に並ばされて
校長の入学式の訓示を聞かされる

講堂の正面には
左右に開く扉があって
重々しく開かれると
勲章やら飾り紐だらけの
中年男とその夫人
御真影が生徒を見下ろしていた

禮と号令をかけられて
腰を曲げて
深々と四十五度に遙拝させられる

校庭の朝礼では
東向け
と号令を掛けられて
はるか東京の二重橋の向こうに住む
御真影の生き神さまに遙拝した

式があるたびに
聞かされる教育勅語
朕思ふに云々を聞きながら
こどもは
御真影はただの写真だし
神様だっていうが
あの人は糞はしないのだろうか
どう見たって人間なんだから
糞だって
おしっこだってするはずだと
あのズボンをずりさげて
座っている御真影を想像していた

戦争の推移は
大本営がラジオで発表した
負けを知らない大本営は
夜毎ボンバー29が飛来してきて
日本の都市を焼き払っても
日本は神の国だから
神風が吹いて
野蛮なる米英鬼畜は
一気に殲滅する時がやってくる

食い物も乏しいこどもも親も
神風が吹けば解決する
それまでの辛抱なのだと
飛来するB29の爆音が通り過ぎるのを
怯えながら待っている

わが町に爆撃があって
町が灰燼と化し
広島に新爆弾が落とされて
その威力が喧伝され
いままでの防空壕なんかでは
とても家族は守れない
そういう情報が
大本営でないところから伝聞され
こどもの親は
新爆弾に耐えうる壕を作るべく
晴れた8月の朝から
鶴嘴とスコップで壕作りに取りかかった

父が朝から頑張って
大人の背丈ほども掘り進めたとき
こどもは父に質問した

 でもこの穴の真上にもし新爆弾が落ちたら
 助からないのじゃない

父の癇癪が爆発した

 お前はそんな目に遭いたいのか

汗を拭うためにバケツに汲んであった水を
父はこどもに頭からぶちまけた

昼頃に玉音放送があった
雑音が混じって
なにを言ってるのかよく分からなかったが
御真影の男の声だとこどもは理解した

戦争が終わったんだよ
と母がつぶやいた
父は掘っていた壕を埋め戻した

焼け残った我が家の向こう
町は廃墟になっていて
焼けて赤くなった瓦と壁の
盛り上がった地面には
ところどころ
雑草が芽を吹いている
八月十五日
雲ひとつない蒼空だった


日没の東光寺裏山


| | 20:31 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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日暮れの墓標

眉山を
猿のようにすばやく山道を駆けめぐって
ぼくは山桃の熟す木の場所や
朝早くカブトムシが集まるところも知っていた
祖母は神様の居られるところを知っていて
岩壁の上に祠を祀っているので
そこへ参拝してから
松葉や薪を背負って山から帰って来る
今朝は山道をふさぐように
山の主のくちなわがねていたので
声をかけてまたいで通してもらった
などと話しながらご飯を炊く
竈で松葉を燃やすと
ぱちぱちはじける音がして
葉の香りが座敷にも漂ってきた

遠く東の山に日が昇り
裏山に日が落ちる

夕陽が町を煉瓦色に染める日暮れになると
ぼくは泣きじゃくるのだった

家の傍に一抱えほどの太さの
杉の木の電柱が立っていて
同じ太さの杉の木が
トの字の二画目を伸ばして地面に埋めたように
電柱のつっかい棒に使われていた
日がな
太陽を浴びていた電柱のつっかい棒に
少年のぼくが抱きつくと
電柱はあたたかくて気持ちよく
ぼくの包茎がかたくふくらんでくるのだった

電柱の傾斜に背中をもたせかけ
夕焼けを見上げていると
空想や幻想がひろがって
ぼくがいるところは巨人の腹のなかで
巨人の腹のなかには
日も月も地球も家も見えている通りの宇宙があって
そこにぼくはこうして生きている
ぼくの腹のなかにも宇宙があって
ひとびとが住んでいて
そのひとりひとりの腹のなかにも
同じように宇宙が広がっている

眼を閉じて
柱のあたたかさにうっとりしながら
ぼくは想像を広げる
この島の
どこまでも続く海岸線を
生まれてからずっと
ぼくは休むことなく歩いている
白砂を踏みしめる感触が裸足の足裏に快い
貝殻の数々
打ち上げられた海草
磐笛になる孔のあいた小石
岩礁に叩きつけられて落下する波浪
海は
死と再生の場
いのちの母胎であり
終焉の墓場でもある

海を眺め
星や月を眺め
太陽がぼくを焼き尽くすのを恋いながら
炎天下を歩いていたりもする
松原の木陰で
吹きすぎる風を受けながら
お前はなぜここにいるのか
お前はなぜお前なのか
自問するぼくがいるが
応える声はどこからも聞こえてこない

手足が凍える季節にも
日だまりのあたたかい柱は
ぼくの居場所だった
斜めの柱に抱きついて
日の温もりが伝わってくると
ぼくの包茎は勃起して
身動きのできない想像の世界へ旅だっていく

夕暮れ
電柱にそっと触れ
また来られるだろうかと思いながら
さよならをする

死んだときに
葬られる墓標が決まって居る人は幸いである
先行きが案じられてならないひとは
自分が葬られる場所をもっていないからだ
人は空に浮かぶ雲のように
あてどなく浮遊していて
明日のことも明後日のことも
たったいまの自分がだれなのかも
わかっていない

いまはなくなったあの町並み
電柱を支えていたトの字の二画目の柱も
いまはないが
ぼくがこうして目を閉じれば
あの電柱の温もりが胸にいまも残っている










| | 23:37 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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汲む

朝からなんども
死んだ人を思い出して
記憶のなかで
話しこんだりしている

おとといの舞台の名残か
本当はそうではなかったのに
母親が空襲で焼け死んだという話を
語り部のごとく演ずるので
母もときどき面白がって
あの世から見物にやってくる

人情家の母は
息子が書いた架空の母の
哀れな最期に同情して
涙をながす

ぼくはバーンアウトした母を
あのように芝居に登場させたが
あれでよかったのかどうか

父は哀れな狂った父となって登場し
妻の焼け死んだ地面に
鶏頭の花を育てて
雨が降るのに
傘をさして如雨露に汲んだ水を
鶏頭の花に注いだりしている

焼け跡とか
焦土になった日本の風景とかが
想像すらできない人びとに
ぼくは
生々しい戦争の悲惨な実態を知らせようと
がらんどうは歌うを書いて
演じ続けてきた

ありありと見えてくるもの
いまはなきはるかな時空なんかではない

衝動に駆られて
姉を抱きしめたあの青年の思いは
永遠に消えていくことはないだろう

怒りも放棄し
愛を伝えるすべも知らない人が
かくなる芝居から
何かを汲み上げることがあるだろうか

だが
すこしニヒルな
アンニュイをたたえた顔をして
ぼくはまた演ずるだろう
ぼくより先に逝った
父母や姉の思いを伝えるために



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| | 18:58 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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揺蕩う

夜っぴて吹きすさぶ風が
闇を一層深くし
庫裡の屋根に
木霊が降りてくる

小学校に入る前から
祖母ヨウのところに泊まりに行ったが
裏庭の竹藪のさざめきが
悪霊を運んでくるしるしに思われて
おびえがぼくを縮こまらせ
祖母にしがみついて寝た

祖母はたぶん六十代の半ばか
両太腿で
冷え切った僕の足を温めながら
夜風におびえる魂を癒やしてくれる

祖母の家の便所は
竹藪が傍まで迫って
雨戸のない廊下へ出ると
暗闇で揺れる竹藪は
長い濡れた髪を垂らした女のように
僕を脅かすのだ
なんどか小便に起きたが
祖母は一緒に起きて見守ってくれていた

このところ頻尿だったりして
眠りが浅く
じきに便所にいる夢を見る
さまざまな場所の便所が現れ
祖母の家の便所にも
竹藪に迎えられながら
夢のなかではなんども訪れる

夢のなかの便所では
決して果たすことはできず
床が傾斜していて立っていられなかったり
カーテンに仕切られていて
めくってもめくっても
まだカーテンに隠されていたりする

昨夜の夢のトイレは
六畳ほどの座敷の壁際にある便座式で
僕はそこに座っているが
便座の下に穴はなく
ベンチに便座がおいてある風なのだ

腰掛けている便座の足元に
白い布団が敷かれていて
頭を向こうに誰かが寝ている
それが父親だと僕には分かっていて
どうして父がここにいるのか
何故父の足元へ腰かけて
僕は小便などしようとしているのだろう

夢のなかで便所探しをする
揺蕩うわが老年期
哀れな老人が僕なのか
目覚めて便所へ行きながら
僕はいまも夢のなかでは子供のままなのか
などと自問する

夢から解放され
庭に出て登る朝日に手を合わす
見上げる杜は
木の葉の大きなドームになっていて
そこに立って心を澄ますと
くろがしの木霊が息吹きをかけてよこす

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| | 20:14 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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崑崙の朝顔

崑崙から送られてきたという
珍しい朝顔の種を
その新聞記事と一緒にいただいた

崑崙といえば
孫悟空となにか関係がありそうだと思いながら
10粒の種を
ティッシュペーパーを下敷きに
水に浸して4日目
白い毛根が殻を破って吹き出してきた

堆肥と酵素風呂の粉を土に混ぜ
種をそっと並べて表土をかぶせておいたら
三日後に
双葉の芽がふたつ
姿を現した

翌日
本堂の前に鉢をおいて
じゃねと声をかけて
九州へと旅だった

博多の空は
孫悟空も喘息を起こしそうな
中国渡来の大気汚染に靄っていて
雲はないが青空はない
視界は2キロぐらいか
近くの山脈も霞んで
雄大な自然も
薄紙の向こうにあるがごとくだ

昨日のfacebookでは
茨城に光化学スモッグ警報が出てると報告があった
見えない放射能のことは評価のしようもないから
情報は一切流さないという政府は
この見える大気汚染も
解消しようがないので騒がないのだろう

朝顔の葉が
大気汚染の観察に役立つなんてことを
これを書きながら思いだしたが
染みが入った朝顔の葉が
満艦飾になったところで
どこへも隠れようがないのが
暮らしというものだ

旅から帰って
出迎えてくれた朝顔の元気そうな苗を見ながら
和尚は
筋斗雲に乗って飛翔できない
地についた人間の暮らしに
あらためて思いを馳せる



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| 東光寺山博物誌 | 10:03 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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朝の珈琲

Sumatraという袋を開けると
珈琲豆の香りがひろがった
40年以上も使ってる
手回しの機械に
三杯分の豆を入れて挽く
ひろがった香りに
木漏れ日のようなやさしさがあって
旅の土産にくれたひとの
こころばえを思いながら
朝の珈琲を飲む
朝刊もあまり読まなくなってきた私の前の
マックのノートのskypeに
笑顔があって
珈琲を楽しみながら
日曜日の朝がはじまった



| | 09:43 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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無患子の歌

毟られた無患子の苗木の先端から
三センチばかり伸び始めた新芽を確かめて
水曜日から月曜日の夜まで
東光寺を後にした

福山経由で上京し
東京のふたつの講座を無事すませた
美味しんぼの原発鼻血の感想なども質疑にあがって
いまの時代の空気では
たぶん敵視されそうなラジカルな発言をしたりする

いま風評被害さえながさなければ
必ず起こるであろう未来の悲惨には
見ざる言わざる聞かざるの民であれかしと扱う
意識の低い政治家を選んだのも
民そのものであって
お前の敵はお前なんだということに気づかないまま
隣に暮らしている非力者同士が
いがみあったりしているのである

無患子の芽が
どれくらい伸びたろうか
などと思いながら
東光寺へ帰った

日没の遅くなった昨日は
七時半ごろまで明るかったが
すっかり暗くなった八時過ぎに帰った
本堂前の無患子に
車のキーに付けてある小さな懐中電灯を向けると
無患子の芽は
三本の長い枝のように
腕を広げていた
たっぷりと手水の水を杓で掛けてやって
お休みと声をかけ
庫裡の戸を開けて部屋に入る

ずしんと身体の芯に疲労感があったが
無患子の伸びた様子が
心に新芽を萌えさしている

今夜は
ぐっすりと
安らかに眠りにつけそうだ
有り難うおやすみと
だれにともなくいって眠りにつく


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毟り取られてから三週間後に伸び始めた新芽、5/14撮影


写真 1
伸びてきた本堂前の無患子 5/20撮影

写真 2
無患子の手首用数珠 これを入手したのが無患子を植樹するきっかけになった






| 未分類 | 09:43 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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二上山

夢のなかで
繰り返し訪れる場所があるのだが
一度も行ったことがないのは確かな場所だ

どこかの家屋の前にぼくはいる
冬なのだろう
小さな日だまりに
蹲って
地面に棒きれで線を描いている
知らないこどもがいて
やがてぼくを見上げて
これでいいだろうかという
ぼくが頷くと
絵を残してこどもは走り去り
ぼくはその絵を眺めている
一本の線がどこにも交わらず
迷路のように描かれていて
その線を目で追っているうちに
いつしかぼくは
その迷路に入り込んで彷徨っている

ここはどこだろう
出口はどちらだろう
永遠に出られないのではないだろうか
あせりながら
迷路を遮二無二駈けていると
手足がスローモーションになって
ふわっとからだが宙に浮かんで
すとんと落ちる

あっ夢だったんだ
とあたりを眺めてみると
そこは山道で
風が木の葉を鳴らす葉擦れが聞こえ
足元に陽が差してくる
夕陽がまもなく落ちるのだ
ぼくは茜の大きな太陽を凝視める
太陽はぐるぐると光を右回りに渦巻きながら
二上山の窪みに沈んでいく
暗闇が山に覆い始めたところで
夢から覚める

あそこはどこなんだろう
迷路が待っている
夢なじみの
見知らぬ場所は

一昨日叡福寺へ久しぶりに行った
西方院の坂道の上に立って
目線で坂を下り切って
そこからは登りになる
叡福寺の石段を眺めていると
不意にそんな夢のことを思い出した

東光寺山から
眺めている夢のなかの夕陽は
ちょうどこのあたりへ
落ちてくるのだろう



東光寺山の路

| 未分類 | 00:08 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ある別れ

諷誦文

敬白 
それひそかに惟るに
ことばはこころであり
こころはことばであった
ことばはいのちといのちをつなぎ
家族から知人
知人から見知らぬひとへと
息吹きをつたえ
思いを伝えて
人間のかそけき営みを
共有のものにしてきたものであろう

また行動はことばであった
行うところをみれば
ことばとして
ひとびとはそれを受け止め
自他ともに
行動を通じて
思いを知ることにもなった

ひとりの長年の友人
親しく私を弟とも呼んだあなたは
わたしになにひとつことばは残さず
わたしは悲しいひとつの結末から
あなたのこころを忖度する仕儀となって
途方にくれています

あなたはことばをこえて
わたしに絶句を要求するのです

わたしにはあなたの声を聞くに
耳がなかったのです
あなたのこころを受け止めるに
こころがなかったのです

いまこの席にわたしが坐るのではなく
わたしはあなたに
健康法を行ずるひとりの人間として
もっとかかわらなかったことを悔やみます

かつて舞台をともにこしらえました
あなたの演ずる芝居を
袖からなんどか凝視したことがありました
ひとりの舞台監督として

また人生を論ずる相手として
貧しいわたしは
なんどあなたの財布をあてにして
珈琲のテーブルを挟んだ事でしょう

さもあらばあれ
とわたしは強いていわねばなりません
あなたはくりかえしくりかえし
考えてきたに相違ありません
自分の人生の在り方をです
また家族の在り方をもです

わたしはあなたの選択を
決して肯んじるものではありません
われわれに耳がなかったのかも知れないが
あなたはもっと大きな声で
伝えなければならなかったのです
わたしの耳にも確実に届くように
わたしには
そういっていい権利があるように思いたいです

なつかしい友
こころからかたときもはなれることはなかった友
いつからか無縁のひとのように
こころを閉ざしていた友
わたしはあなたになんにもしてあげられなかった
しかしあなたの家族は
あなたのために懸命に踏ん張っていましたよ
このことはあなたも十二分にご存知です
だからこそなんだったのでしょうか

やすらかに存分にお休みください


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| | 19:21 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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白湯

見上げると
黒ずんだ天井の太い梁
梁を支える柱に
細長い鏡がかかっていて
だれかが部屋を横切る度に
鏡がかすかに揺れ
なかからだれかが僕を覗いている

小便に起きようとした僕は
鏡の奥の暗闇が怖くて
母を起こす
母は立ち上がって部屋の電灯をつけ
はいといって見ていてくれる

廊下のくらがりに
部屋の灯りが漏れて
開け放った便所に
斜めに光が届く

僕は震えながら小用をすまし
部屋へ逃げ込む
布団を目深にかぶって
そっと鏡を見る

鏡にはだれもいない
天井の梁も
闇に溶け込んでしまい
僕はふたたび眠りにつく

まな板がことことと刻まれる音を立てて
早朝に母が台所で立ち働いている
竃の煙が部屋にも巡ってくる
三つ並んだ竃の右端では
大きな鉄鍋で白湯が煮えたっている

父祖伝来の習慣で
竃に薪を絶やしたことがなく
我が家では鉄鍋の白湯が年中沸いている
近所の子供が
どぶにはまって汚れたりすると
ここにいつも湯があることを知っている母親たちが
バケツを下げてもらい湯にきたりする
急須の番茶も
柄杓で鉄鍋から汲みあげるのだ

先日
庫裡に小型のガスストーブを購入した
おおきな薬缶を載せて
白湯を沸かしている

人がやってくると
まず白湯を差しあげる
湯気の立つ熱い白湯を眺めながら
鏡の奥から覗くだれかや
天井の黒い太い梁を思いだし
一日に何度も
白湯を飲んでいる






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| 東光寺山博物誌 | 21:49 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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雪が降る

窓を叩く音
後楽園球場のドームが見える窓に
風に叩きつけられ
くっついて流れ落ちる白いもの

さっきまで夢を見ていた
疲れた足を引きずって
空襲を受けた焼け野原を歩いている僕
一望家屋なく
かつての街に道路だけ残して
赤く焼けた壁土と瓦が
わずかに盛り上がっている焼け野原
拾い集めたトタンを組み立てたバラックで
人が暮らしていた時期があった
頭が支えそうな低いトタン屋根は
釘の穴があいていて
寝転んで見上げれば星のように見える
母は夏布団をかけて伏せっていて
父が母をのぞき込んでいる
どうかしたのと聞こうとして目覚めた

ホテルの窓から
雪が降る
東京の街を見下ろす

降りしきる雪が視野を遮り
夢のような記憶のなかへ誘われる
ぼくは空襲で焼け野原になった
故郷のあの夜のことを思い出していた
迫ってくる火の手を見ながら
さっさと逃げろ
父が大声で僕らに怒鳴り
僕は両親も姉のこともすっかり忘れて
弟と手をつないで必死に走った

七十年の歳月が流れたが
あの日を忘れないために
いまだに一人芝居を演じて
人間がいかに時代に流されていったか
語り続けている

がらんどうは歌う

だれもが通り過ぎるだろう虚と無
あまりにきびしくしかも甘い心のゆらぎ

雪が降る
天から降りる白いものは
ひとを静かに
記憶の塔の
取り戻すことのできない
高みに吸い上げていく

















| 東光寺山博物誌 | 18:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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冷え込んだ朝に

ひとがだれかと出会うのは
偶然のようだが
挨拶を交わしてそれっきりという
行きずりではなく
その後の人生に
大きな影響を及ぼす
出会いもある

生まれ落ちた自分の生家は
選択を許されない宿命には違いないが
ひとは長ずるにつれて
巣立ちする小鳥のように
羽ばたくようになってくるのだろう

だれかと出会うということは
いのちを統べる大きな意志の媒介かも知れない

閉じこもってしまうひとや
病気に逃げ込んでしまう
いかにももろいひともたくさん知っているが
どんなひとにも
自分を変革できるような機会が
見えない源流から流れてくる

ぼくが抱き続けていまだよく分からないのが
ひとは何故そこに住んでいるのか
なぜぼくはここにいるのか
はじまりはどこにあったのか
という素朴な疑問である

1976年の桜の季節
観心寺の如意輪観音のご開帳日に
門前の阿修羅窟で出会った
丸山博との出会いも
束の間の挨拶に終わっても不思議ではなかったが
話し込んでいるうちに
その後の僕の人生を大きく変革する出会いだった

アーユルヴェーダ研究会と有害食品研究会
ふたつの事務局長を引き受けることとなった出会い
真言密教の沙弥であった僕に
親しくなった師は
君は僧侶だろう
不惜身命なんてこと知ってるよね
などと冗談をいいながら
大きな負担でもあったが
得がたい鍛錬と学習の場でもあったのだ

インド医学や
日本の医学の現状
進歩し続けてるという科学や医学の幻想
ひとが凭って立つ地面の不確かさ
曖昧なものさしを持って尺度とすることの愚かしさ
そういうことを
身をもって学んだ出会い以後の人生だった

楽健法と天然酵母パンを生業としながら
僧侶の本分とはなにか
などと自問しつつ歩んだ後半生

さて
と僕の思考は立ち止まる
これでいいのか
全うしているのだろうか
もっとやるべきことが待っているのではないか
などと自問しながら
インドのマナリ
レーリッヒの終焉の地
ヒマラヤ山系が見える写真を
デスクトップに貼り付けたパソコンに向かって
こんなものを書き連ねている

旅支度は整った
数日間の小さな旅 
福山から東京へ
いまから出かける

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丸山博先生


丸山博先生の文献・社会医学におけるアーユル・ヴェーダ研究 の現代的意義 丸山博




manariレーリッヒ終焉の地 マナリのホテルからヒマラヤを望む

| 東光寺山博物誌 | 11:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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時の埃

十代の頃
五十五円で三本立てなどという
場末の映画館にうつつを抜かした時代もあったが
ひとびとが昔のように
映画をあまり見なくなったいまでは
映画館のスタイルはすっかり様変わりしてしまった

エレニの帰郷という映画を観た
帰郷とは懐かしい響きの言葉だが
テオ・アンゲロプロスの
時の埃という原題の映画は
エレニの帰郷として上映されていた

帰郷する懐かしいふるさとをもつものはさいわいであるが
私が展墓に帰郷するふるさとは
眺めて止まぬ懐かしい場所ではない
戦争の惨禍を受けて
半世紀以上にわたる時空を彷徨うことになった
出発の地だ

映画は時の埃をはらって
ギリシャやシベリアやアメリカで生きた
エレニの姿を点描する

エターナルトライアングル
それがなければ生きられなかったろう
追い求める愛の不毛を
愛の空しさを
愛の真実の那辺にあるのかを描いて見せる

時代を動かした
スターリンが死んだ日に
やっと巡り会えた恋人と引き裂かれて
シベリアへと拉致されていく男と女

ぼくは
スターリンの死を
ラジオが報じていたのを
なぜか安堵した気持ちで受け止めた日のことを
漠然と覚えているが
映画では
ロシアの辺境の広場
スターリンの銅像の前に
群衆が集って泣いている声が聞こえてくる

男の背中しか写さないクローズアップ
窓越しの背中の向こうにエレニが立って
他の女と暮らしている男を見ている

歳月は多くの謎をつくる
探し求めた男は
長い歳月のうちに
記憶のなかで時を埃に埋めたのか
全うできないもどかしい人生をいきて
男と女が
ふたたび巡り会って
あらたな伝説をつくるのか

合わないモザイク模様を見せながら
二十世紀の終焉とともに
なにかが確実に死んでしまったことを描いたように
テオ・アンゲロプロスは
不慮の事故で
粉雪の舞う時空へ姿を消していった



聴いてみてください。悲しみが指からしたたり落ちるような哀しい美しい音楽を。



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存在と時間

黒猫の歩みのように
闇が
霧が張ったように
本堂に立ちこめはじめると
花を持った少女が
仄明かりに
浮かび上がり
時間を止めてぼくを見下す

今春
また誕生日がやってきて
思いがけない場所で
ケーキを出してくれたひとがいて
ローソクの灯りを吹き消したりしたが
秒針のセコンドのリズムに乗って
ぼくは現在を生き
自覚しない変化の乗り物で
どこかへ運ばれている

時間はいつも
謎の女の微笑のように
ぼくを悩ませてくれるのだが
まいにち生きて
なんじゅうねんも
きのうの続きを生きているだけのぼくに
赤い花をもった少女は
問いかける
あなたは何者か
どこから来て
どこへ行くのかと
だれも解き明かしたことのない
存在の不可思議を
ぼくに問いかけるのだ

きれいはきたな
きたなはきれい
だれもがふたつの影をもち
あらゆるものは坩堝のごとき
この世に存在する

少女が
両の手に捧げ持つ花は
やがてしおれ
闇に落ち
地下に消える

1970年
ぼくの誕生日に
西宮の彫刻家
渡辺宏のアトリエにいて
十人ほどで
氏の快気祝いをしていた

不意にお経が聞きたくなったぼくは
同席していた僧侶に
無理を言って声明を聴かせてもらった

その刻限に
30歳の義弟が
三人の幼子を残して
交通事故で死亡していた

渡辺宏さんの個展に
制作された作品を
黒猫がらみのお世話をした謝礼にともらったが
素材の樹脂が発する臭いが強く
身近に置けなかったので
二十年以上も
本堂の庇の下に
落ち葉に埋もれながら
寝かせてあった

一昨年
夢に少女が現れたので
ぼくは下ろして少女にまみえ
まだ樹脂臭が抜けないので
ブロンズに置き換えて
本堂の柱に安置することとした

彫刻の師であるだけなく
時間も気分も共有した
懐かしい思い出を花に託して
切り取った曼珠沙華を
少女の両手にもたせる
 
なぜここにあるのか
意志をもった
時を共有する一個の存在として
ぼくが向き合うとき
時は
漣のようにゆれながら
闇をつつみこむ




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ひとり芝居「がらんどうは歌う」公演の本堂


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花を持った少女が 仄明かりに 浮かび上がり 時間を止めてぼくを見下す

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長夜への道

風はいつも逆風だったか
夜明け前に起きだして
エンジンをかける音がする

中央市場の
間口一間ばかり
足の踏み場もない空間に立っていた君

魚の匂うコンクリートは
凍てついてすべりやすく
こわごわ歩むぼくの姿におどろいた彼

なんや見に来たんかこんな時間に
にやっと笑ったが
つぎつぎと紙袋を買いに来る客の応対に追われていた

やがて仕事を変わって
彼が不動産会社に働いていた頃
僕の母親が身罷った

まったく金がなくて彼の家に行った
僕の前の断崖には手を掛ける突起がなかったが
彼はだまって用立ててくれた

長夜という小説を書いて
文学界に転載され
その後転機を計って彼は東京へ出た

長夜という小説は
風葬というぼくが主宰した同人誌に発表したが
彼の長夜を9ポで組んで掲載した

他の作品を8ポで扱ったぼくの編集方針から
仲間割れして気まずいことがあったが
彼は喧嘩別れした同人を頼って上京することになった

僕はそれが許せなかったので
別れに彼が持ってきたジャン・コクトーの絵皿を
もらいたくないと突っ返したりした

横浜に居を構えた彼をその後なんどか訪問した
小火があって転居を余儀なくされ
奥さんはそれが因となって気を病んだ

嗚呼かくなることを書いて
思い出すのは身がよじれるのであるが
晩年の大和での暮らしはいくらか慰みになったろうか

鉄路に果てた彼女
それに悔い苛まれたろう君の余生
手を差し伸べるすべなく

ひとはひとりで歩まねばならぬ
長夜に向かう道は暗いといえども
日は輝き月も明るい

うなだれて晩年を送るのは
罰当たりなのだろう
当たり前の今日のように胸をはって歩むのが僕の役割か

さよならはいうまい
おうと声をかけられて
再会する日もそう遠くないかも知れないから




DSCF2872.jpg
数年前の正月、家内ともども談山神社を参拝した折に、書き初めの会を神社でやっていた。
参加を呼び掛けられ筆をとって三人で遊んだ。

DSCF2860.jpg
東光寺で初護摩のあと、正月を迎えて、、、


悲哀の思い出を癒やしてくれる曲とであったのでリンクしました。

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あやにかなしき

YANN TIERSENの
NAVALという
ピアノの音が
やさしく耳朶をなでる

明日は正月なので
すこしばかり
お気に入りの日本酒に
唇を触れて気分を新たにする

餅つきも
本堂の護摩壇の準備も終えたので
マックを相手に
移ろいゆく欺瞞の多いネット世界を
垣間覗いている

薔薇の花を書いた詩があって
コメントを寄せる


  そうびによせる

 薔薇ありて
 霜降りかかる
 庭に咲く

 薔薇ありき
 自ら持ちし
 鋭き棘が
 己を刺すか

 薔薇が身に
 訪なうものあり
 美しきが故に
 自らがまねく
 罪過のごとく

音楽のリンクがあって
そこをクリックして流れてきたのが
YANN TIERSENのNAVAL

聴きながら
つのってくる悲しさは
胸に宿っている記憶のせいではないだろう
いまこのときがいちばん悲しいのかもしれない

この曲は
近く公開される
鉄屑拾いの物語という
映画の冒頭から流されるという

私には鉄屑を拾って
警官に誰何されたりしながら
一家の手助けをしていた
子供の時代があって
バケツに拾った鉄屑の重い感触は
いまもずしーんと手のひらに残っている

砲兵工廠の跡地で
アパッチ族が活躍したころには
ぼくの鉄屑拾いは終わっていたが
朝鮮戦争がはじまったので
ぼくらは鉄屑拾いで
いのちのいくらかをつなぐことができたのだ

靖国参拝の総理の暗愚
辛酸を嘗めないでいきる人種には無縁の
世界平和

やがて
来るであろうか
ふたたび
あのような暗黒のなかから
立ち上がらねばならない時代が

東光寺山は
明るい日差しに包まれて
小鳥の声は
やさしくきこえてくるが
山の主は
ピアノの音色に耳をかたむけ
過去へと誘われる











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てふてふが一匹

東光寺に暮らし始めたのは1991年
桜が満開の日にやってきた
その秋に
天涯孤独の捨てられた黒猫を
優しい友人が拾ってきて
僕の腕に抱かせた
黒猫には因縁めいた借りがあって
ぼくは一緒に暮らすことにした

ひとなっこ過ぎるマニスは
ぼくの足にまとわりついて離れず
ぼくは台所で転げそうになって
思わずつよく蹴飛ばした
マニスのこころにぐさっときたのか
哀しげな声をあげて
廊下の隅の積み上げた箱の隙間の
見えないところに姿を隠した
爾来ぼくは
二度とマニスに哀しい思いをさせまいと思った

ぼくが毎月仕事で出かける
数日間の留守をじっとひとりで我慢しながら
二十年余が過ぎた年末に
マニスは息をひきとった

どこの猫を見かけても
マニスにまさる
猫あらめやも
などと思い出す

ときおり魂魄相通じるのか
座敷に小鳥が舞い込んできたり
蛙が座敷に出現したり
蝶がやってきて
頭をかすめたり
僕の腕に羽を休めたり
マニスが走り回ったように
部屋のなかを飛翔したりする

明日からまた
ぼくは毎月の旅に出かける
行ってくるからね
とマニスに声をかけて

東光寺山は
しんしんと冷えはじめて
マニスの小さな墓石も
寒そうに落ち葉に埋もれている




th_R0015221.jpg 東光寺への石段






| 東光寺山博物誌 | 11:44 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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長夜がやってくる

政治のことなどは
どうひいきめにみても
詩のテーマにふさわしくないが
秘密保護法などが法律になってしまうと
詩もうかうか書けない時代が
黒雲のようにやってくるかも知れない

軍国時代だった
私のこども時代には
詩人や画家たちも
戦争を賛美する詩や絵をかいたりして
戦争責任を問われたりした

批判精神を持つことはあっても
それを書けば投獄され
獄死する運命が待っているかも知れない
戦争を賛美することで
死にゆく若者を鼓舞することにもなった

与謝野晶子は
ああ弟よ君を泣く
君死たまうことなかれ
などと反戦歌を書いたりしたが
国民が
批判精神をもつことは
政治がもっともおそれることだ

ものを考えない人間にするために
書物を焼き払った焚書は
古代から圧政の政治家たちが
繰り返したことであった

万国の労働者団結せよを叫んだ政治体制も
圧政を敷いて自ら崩壊し
思想なき時代に張り巡らされたインターネットは
監視を増やして焚書ならぬ削除をし
圧政の実態を知らせたりすれば
秘密保護法で刑務所にいれるぞと焚書の技を振るう

自民党は
民主党が敷いてくれた愚政の反動で
長年の念願かなって
自由に圧政の鉈を振り下ろせる時代がやってきた
いまやだれもこれに逆らえないのだ

原発事故も
放射能の末永い影響も
ふたをしてしまえばなきに等しい

今日の新聞記事では
石破幹事長がブログで
マイクの大音響で反対を叫ぶのはテロである
などといいはじめた

自民党の存在そのものがテロではないか
原発の存在そのものがテロではないか
そういう政治家を送りだした
選挙民もテロリストとはいえないだろうか

気づくにはもう遅いのか
均衡は壊れてしまって
断末魔までいかないかぎりは
気づく日はやってこず
光が射してくることはないのであろう
昭和20年8月15日のような敗残の日や
再びの大地震や原発事故で
だれも住めなくなった大地に雑草が覆うまでは

fullmoon.jpg



| | 17:52 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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