遺言について
明主様御垂示 「遺言は執着を消す」 (昭和23年11月25日)
信者の質問
「祀ってない霊がありますが、盆とか彼岸に祀るべきでしょうか。」
明主様御垂示
「一日も早く祀らなくてはいけない。
霊は霊界へ行っても気になるからである。
よく死ぬ時遺言したりなどするが、これは出来るだけ執着のないようという意味で、いわゆる浮ばれるためである。
執着がなければ早い。」
明主様御垂示 「無理や不合理な遺言は守らなくてもよい」 (昭和24年9月25日発行)
信者の質問
「私の主人は昭和十九年戦死し末子でしたので、まだ分家の形はとっていませんが戸籍上分家しています。
いま私は里に帰っておりますが主人の霊は私のほうでお祀りしたほうがよろしいでしょうか、または本家でお祭りしておればそれでよろしいでしょうか。
また主人の遺言では私に独身で分家を立ててほしいとのこと、みんなはそれに不賛成です。
遺言を守らねば霊は満足しないでしょうか。」
明主様御垂示
「両方で祀らなくてはいけない。
たとえ何年でも夫にした以上そうすべきである。
祭り手は多いほどよい。
祭り手が多いと霊界で霊の向上が早い。
また遺言でも可能なものは実行すべきだが、無理や間違った遺言は守らなくてもよい。
要は正しいことなら恐るるところはない。」
明主様御垂示 「亡夫による再婚禁止遺言」 (昭和24年5月30日発行)
信者の質問
「主人の遺言によれば、一生独身で分家を立てて行けというのですが、
里の家ではこれに反対でございます。いかがいたすべきでしょうか。」
明主様御垂示
「これはね、御主人の霊の執着いかんで違うんですよ。
執着の強い霊だとちょっと困りますがね。
また、あっさりしたのだと諦めたり、我慢したりしますがね。・・・
この人は二十八歳ですね。
信仰に入り、光明如来様をお祀りしてから少なくとも一、二年経てば再婚していいですよ。
御主人が霊界で改心しますからね。
自分の心の頼みが間違ったことが判るんですよ。
それから仏様にお詣りするときにそのことを言うといい。
年中ではなくて、ときどきでいいですよ。
「私は独身を通すことはあらゆる事情からできかねるから承知してください」ってね。
そうすれば御主人の霊も判ってくるし、また本人が判らなくても先祖が言いきかせますからね。
また、光明如来様にお願いすることです。
お願いすれば、光明如来様のほうでちゃんとやってくださいますよ。
しかし霊の執着の強い場合はすぐにってわけにはゆきませんからね。
まあ、一、二年も経てばいいでしょう。
それから主人が改心したかどうかは自分にも判りますよ。
主人の執着があるうちは、再婚しようとしてもなんとなく気がすすみませんがね、
執着がとれるとそういうことはなにもなくなりますからね。」
明主様御垂示 「臨終に約せる言葉と霊への義務」 (昭和24年6月18日)
言葉と想念による霊の満足
信者の質問
「先般御伺い申し上げました・・・、「自分の横に誰か寝ていると、自分は咳がしたくないのに彼が咳をすると自分も咳をする云々・・・」と申しておりましたMK(男性・二十五歳)は五月三十日死去致しました。
その息を引取る際種々な事を申しました。
一、最も苦しそうに見えた日、息を長く吐きますと、笑いながら「昨日は大変楽な日であった。今日もこれから大分歩かねばならぬ」と楽しそうに申しました。
二、我が家の啖も吐かねばならぬから後もう四度吐かねばならぬ。これが出ると全部塵を大神様に奉ることになる。
三、先祖の位牌を祭ることをやかましく請求し、最初の一人が移るからと申し、御祭りをする頃には二人移ると云い、式が終って一時間後笑って亡くなりました。
四、当日朝から、水がなくなったから飲んじゃいけないと管長先生が言われたと言って、死ぬまで何にも飲みませんでした。
また、「渡(ワタシ)についたからどれを渡る」と何度も申します。
私は「霊界は肉体のない世界だから自由無碍なる筈、どれでも渡りなさい」と申しますと、
「私はわかっているが先生はどうする」と何度も聞きますので、
私も返事に困り「霊の世界は自由だから貴君の行くところへはどこでも一緒に行ってあげますよ」と云って善言讃詞を唱えてあげましたら
「嬉しい嬉しい」と繰返しながら亡くなりました。
大本教の霊界の本に渡は天国行だと書いてありましたが本当でしょうか。
また、一緒に行ってあげると言った私は今後どういう気持で霊を慰めてやれば宜しいでしょうか。」
明主様御垂示
「大した事ではない。一緒に行って上げるといっても気にかける要はない。
その言葉で、その想念で行ってやった事になり、霊は満足する。」