遺品について
明主様御垂示 「死者の遺品の取り扱いについて」 (昭和27年4月1日)
信者の質問
「二人の年頃の娘さんがおり、嫁入り仕度をしてありましたが、妹が胸を病みほどなく死亡し、
後には姉は結婚し、そのときに妹のを使おうといたしましたところが、
従妹に妹の霊が憑り、姉が結婚式をあげて、私の物を持っていくが、私はどうしても渡さない。と暴れたそうでございます。
その衣裳は使わずに仏壇の前に供えたままになっておりますが、焼いてしまいましたほうが・・・」
明主様御垂示
「しまって置けば良いですよ。
焼いてなんて、とんでもないです。
タンスの中が良いですね。
なぜかと言うと、霊界でその着物を着るんです。
霊界でおめかしするんです。
ないと着ることができないから困っちゃいますよ。
タンスの中に入れて置けば、それを着るからそれで良いですよ。」
明主様御垂示 「タンスの傍にいる女の霊」 (昭和24年7月)
信者の質問
「私の地方では死人が出ると、その棺桶の中に生前その人が愛玩したものを死体とともに入れる風習がございますが、これは霊界ではいかなることとなりましょうか。」
明主様御垂示
「本当はこれはいいんですよ。やはり執着が強く残っていますからね、棺に入れてやればいいんです。
ところがなんでもかんでも入れたんでは、国家的に見るとたいへんな浪費になりますからね、
着物とかなんとかたいしたもんじゃなければいいけど、
貴重品をどんどん入れてしまってはたいへんな損失になるから、そこはまあ、適当にやるんですね。
執着ってのは強いもんでね、女なんかには死んでしばらくはタンスの傍にいる霊があるんです、着物に対する執着ですね。
だからよく形見分けをやりますがあれは考えものですよ。
特にある着物に執着していると、それを着た人に執着するんです。
昔から振袖火事なんてよく言いますが、あんなこともあり得べきことですよ。
そうかと言って、死んだ人のものをなんでもかんでもとって蔵っておくのもなんにもなりませんしね。
分けたほうが社会経済の上から見てもいいですからね。
だから浄めるといいんです。
その物に向かって祝詞を上げて浄霊するんですね。
そうすると執着が薄らぎますからね。」
明主様御垂示 「着物に関する精神病」
信者の質問
「満二十四歳になる者、気が狂っております。早速、信者に入れました。
一時は非常に良くなりました。二、三日前より非常に浄化し、当人が云うには空襲中に親戚の者が気が狂っていた時、爆弾にやられ、
その方の着物を戴き、その着物の事、非常に気にするのです。この着物と関係ありますか。
また、以前に霊友会に入っていて、突如経文を燃やして、それより気が狂ったそうです。これにも関係あるでしょうか。」
明主様御垂示
「着物に霊が憑いていたのである。
霊がその衣を好んでいたもので、死んでから憑いたのである。
昔の振袖火事のごときはそのためである。
よく着物に執着した霊で、箪笥の側にいるものがある。
反って早く気が狂った方がよい。早い程軽くすむ。」
明主様御垂示 「遺杖やお札の処分」 (昭和24年2月26日)
信者の質問
「私は昨年六月発病、医師より心臓脚気と名付けられ起きる事も出来ませんでした。
昨年九月教修を受けまして今年一月初旬よりよだれが出るようになり病状やや軽快致しました。
二月十八日例祭日に先生の浄霊をいただきましたところ隣の家で祭っている稲荷の子であると言い、
翌日午後また自然に霊が浮き光明如来様をお迎えしないと先祖が救われないと必死に頼みました。
二十日に光明如来様を御迎え致しましたところ、二十二日夜十時頃、突然光明如来様が稲荷であるから御嶽様に処理してもらうと言い出しましたが、
本人は御軸にふれる事は出来ません。
昨年十月にお祈りしてもらったお札(御嶽様)が右のような事を言うといっております。
また御嶽教を信仰しておってその後死亡した兄の杖があります。
右のお札と杖の処置及今後の浄霊法を御教え下さい。」
明主様御垂示
「杖はとっておく。いくらか執着があるとまずい。
お札は処分していい。人間の言葉で言ってもらわぬと帰れぬ。」
明主様御垂示 「遺品の埴輪、土器等の処分について」 (昭和26年3月25日発行)
信者の質問
「私の弟は昨年暮れ、結核で死亡しましたが、生前考古学が好きで板碑(数百年前の石塔婆)や埴輪、土器などをたくさん蒐集いたしておりましたが、
このようなものはいかが処分さしていただいたらよろしいものでしょうか、お伺い申し上げます。
生前弟の勤めておりました学校で、歴史の資料にしたいから寄付してくれと申しますが、
母が知らずにこの板碑を道路に敷きましたところ、腰部神経痛を起した経験などもございますので、ただいまのところ、寄付することも見合わせております。」
明主様御垂示
「寄付するのは一番よろしい。
なぜなればそれによって、考古学上稗益するからである。
とすれば、蒐集したことも無駄ではなく、有意義となるから、弟さんの霊も、大いに満足するであろう。」