副葬品について
明主様御垂示 「納棺するときの装束、副葬品」 (昭和29年3月1日)
信者の質問
「納棺する場合の装束はどうするのが本当でございましょうか。
一般には白い物を着ておりますが、中には、立派な服装をさせてやるほうが霊界に行って恵まれるということを言いますが」
明主様御垂示
「あれは仏の形式だから、どうすることが本当ということはないです。
そこの宗旨にもよりますから、そこの坊さんに聞いてやればよいでしょう。」
信者の質問
「一応礼儀として、亡くなったときにしていた装飾品を入れますのはいかがでございましょうか」
明主様御垂示
「それはとったほうがよいです。
一緒に入れるということはいけません。
なんとなれば、もしそういうことがよければ、国家経済から言ってたいへんなマイナスです。
身につけるものは、そういったものでなく、価値がない腐ってなくなるものがよいです。」
信者の質問
「金の総入歯などはいかがございましょうか」
明主様御垂示
「そのくらいは知れたものです。」
信者の質問
「焼いてから拾っているのがありますが」
明主様御垂示
「そういうのは大したことはないです。私の言うのは指輪です。
しかし歯はこっちで取らなくても、隠坊(おんぼう)が外します。
隠坊はたいへんな収入です。」
明主様御垂示 「副葬品について」 (昭和24年7月30日発行)
信者の質問
「私の地方では死人が出ると、その棺桶の中に生前その人が愛玩したものを死体とともに入れる風習がございますが、これは霊界ではいかなることとなりましょうか。」
明主様御垂示
「本当はこれはいいんですよ。
やはり執着が強く残っていますからね、棺に入れてやればいいんです。
ところがなんでもかんでも入れたんでは、国家的に見るとたいへんな浪費になりますからね、
着物とかなんとかたいしたもんじゃなければいいけど、
貴重品をどんどん入れてしまってはたいへんな損失になるから、
そこはまあ、適当にやるんですね。
執着ってのは強いもんでね、女なんかには死んでしばらくはタンスの傍にいる霊があるんです、着物に対する執着ですね。
だからよく形見分けをやりますがあれは考えものですよ。
特にある着物に執着していると、それを着た人に執着するんです。
昔から振袖火事なんてよく言いますが、あんなこともあり得べきことですよ。
そうかと言って、死んだ人のものをなんでもかんでもとって蔵っておくのもなんにもなりませんしね。
分けたほうが社会経済の上から見てもいいですからね。
だから浄めるといいんです。
その物に向かって祝詞を上げて浄霊するんですね。
そうすると執着が薄らぎますからね。」
明主様御垂示 「戦死者の遺品の埋葬」 (昭和25年1月11日)
信者の質問
「戦死の公報があり、葬式も致し、仏壇にもお祀り致しておりますが、
遺骨が帰らず墓は御座いませんが、親戚の意見もあり墓を作りたいと存じますが、
その際何か遺品を埋葬する事は意味のある事で御座いましょうか。
それとも墓は不要で御座いましょうか。御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「墓は作った方がよい。
遺品の埋葬は結構である。
霊は何か物質がないと来難いものである。
一番大事にしていたものなど、代りに埋めてやるのがよい。」
明主様御垂示 「納棺した善言讃詞残る」 (昭和24年8月23日)
信者の質問
「一教修生、最近死亡致しましたので棺に善言讃詞等を入れて火葬に付しました所、善言讃詞だけ僅かにこげただけで残りましたが、
これはどのように考えさせて頂くべきでしょうか。」
明主様御垂示
「入れなくともよいという事を知らせたのである。」