遺体について
明主様御垂示 「御神体と亡骸」 (昭和23年12月1日)
信者の質問
「東北地方の一部で新仏が出来ますと、肖像写真や額をはずしたり、または白紙を貼り仏壇を締めますが、何か意味が御座いましょうか。御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「意味はあろうが大した意味はない。
迷信の方が多分にある。
神棚に紙を貼るがこれは嘘である。
余計接近した方がよい。
光明如来様の部屋へ死人を寝かせ、光を頂くようにした方がよい。
余り接近させてはいけない。勿体ないから。」
明主様御垂示 「死体硬直の理由」
信者の質問
「人間屍体の硬直するのは、いかなる理由に拠るのでありましょうか。」
明主様御垂示
「熱がなくなってるからである。
飴のようなもので、飴は熱があると柔かい。
お浄めすると火素を入れるから柔かになる。」
明主様御垂示 「死人の髪伸と雀斑」 (昭和24年11月7日)
信者の質問
「一、死人を土葬にした場合、暫く経って見ますと頭髪等が伸びていると言う事を度々聞きますが、いかなる訳で御座いましょうか。
二、顔のみでなく全身に雀斑があるのはいかなる原因でしょうか、御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「一、死んでも形のある間は、いくらか働きの惰力がある。
生きている時の生活力が少し残っている。
毛は特別のものである。カミという。
二、血の凝結する痕である。死ぬと血が凝結する。凝結は方々へするものである。」
明主様御垂示 「死後二年頭髪伸ぶ」 (昭和24年1月21日)
信者の質問
「二年程前に土葬にしました死人の頭髪が、二、三寸位長くのびているそうで御座いますが、いかなる訳で御座いましょうか。御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「有り得べき筈はない。理屈がつかぬ。」
明主様御垂示 「死者の鼻血」 (昭和24年6月19日)
信者の質問
「人が死んだ時に、その人の身内の人等が来た場合に、その死人から鼻血が出ると言うことをよく聞きますが、これはいかなるわけで御座居ましょうか。」
明主様御垂示
「よくこういう事がある。身内の人は霊線が繋っている。
あつくなったり、余分な血があり、それが出る。出そこなって死んだのであろう。
目上の人の霊線は頭へ行く。
生きてる人の霊線は火素。
よけいな血のある場合、その血が霊線によって出る。血が出切れずに死んだものである。」
明主様御垂示 「死者と睡気、鼻血」 (昭和23年11月1日)
信者の質問
「変死者の側へ近親者が参りますと、死人が鼻血を出す事が御座いますが、いかなる訳で御座いましょうか。
また、人が死ぬ直前、側にいる者が眠たくなりますのはいかなる理由によるので御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。」
明主様御垂示
「眠くなるのはおかしい。死者の霊が救われるんだと思う。
一週間も十日も前に脱けるのもある。
トンチンカンの事を言うのはそうである。
副守護神だけになり、惰力で生きている。
脱出するのは、本人が死を覚悟するからである。
鼻血が出るのは、近親者が行くと、霊線を伝わって、生きた人の熱が行き、固まった血が溶けるのである。」
明主様御垂示 「火葬の死体が起上る理由」 (昭和24年6月21日)
信者の質問
「座棺にて火葬致します際、体に火が廻りますと急に立上るようになるそうで御座いますが、いかなる理由によるので御座いましょうか。御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「こんな事はない。こんな事があるとすれば霊がいくらか残っている。
脱出し切れず、霊が完全に脱出していればこんな事はない。
霊が脱出して後、執着により暫く霊線で繋っているのもある。
いくらか神経が残っているのである。
(死にたくないという執着など)」
明主様御垂示 「遺体と霊はある時期まで霊線が通じている」 (昭和25年2月11日)
木の根が遺骨を貫いたために頭痛、腰痛になった事例
信者の質問
「ある家で主人が大変頭が痛く、続いて腰が痛くなりましたので、ある神様に見て貰いましたところ、
墓地に大木の根が来ているから、祖霊が知らせているとの事で御座いましたので、
墓地を掘り起して見ますと、松の木の根が頭蓋骨と腰骨を貫いていましたので、
早速根本を切り取り始末を致しましたところ、病気が全快したとの事で御座います。
こんな事はあり得る事で御座いましょうか。
またあると致しますと、現在林の中に土葬にする地方が御座いますが、どう致しますれば宜敷う御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。」
明主様御垂示
「こういう事はある。死んだ骸は、ある時期まで、霊界の霊と霊線が通じている。
それでこういう事があるとある程度霊にも苦痛があるので、こういう事をして気づかしたのである。
墓のまわりに大木などあってはいけない。
墓の近くにある場合は、墓の方へ行く根を切ればよい。」
明主様御垂示 「焼死体血による鑑別」
信者の質問
「交通事故等で焼死した死体が区別出来なくなっている場合、指を切って血をその骨に垂らすと、肉親の者なれば必ず骨に血が泌み込み、他人の場合は泌み込まぬと申しますがいかなる訳でしょうか。」
明主様御垂示
「そんな事はよした方がよい。
仮に死体が百人位あるとすると、その人は指を切ったりなどして死ななくてはならぬ理屈になる。
こういう人は非常に曇った人で仕方がない。」
明主様御垂示 「死体と猫」 (昭和24年1月21日)
信者の質問
「死人に猫を近よせるのを嫌いますが、霊的に何か意味が御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。」
明主様御垂示
「別に意味はない。
猫がいると死人が動き出すなどというが、そういう事もあったろうが、大した意味はないから差支えない。」
明主様御垂示 「信者が死んでも温かい理由」 (昭和24年4月23日発行)
信者の質問
「入信してから死んだ人の体が死後もたいへん温かいのはなぜでしょうか。」
明主様御垂示
「これは入信すると霊的に違ってきて霊が温かくなるんです。
火素が増えるんですね。
この火素が、死んで霊が抜けても残っているわけです。・・・
温かいということは愛の表象です。
よく、あの人は冷たいとか、温かい感じのする人だとか言いますね。
火素は愛の精神から発生するもので、愛の発動の中心は心臓になるのです。
前の本にも書きましたが、心臓は霊界の火素を吸収するんですからね。
温かい人ってのは心臓が強くて熱を多く吸収する、熱の吸収が多いと肺の活力が旺盛になる。
肺は水、水は火によって湯となり活動するんですからね。・・・
寒いときは、晴れた日より曇った日のほうが暖かいんですが、これは曇った日のほうが水分が多いからよけいに火素が働くんです。
私は火素が多いから、ぬるい湯に入っても、上がって一時間、二時間は暑くて暑くてしかたがない。
冬の寒いときでも、風呂に入って一、二時間はタオル一枚ひっかけているだけです。」
明主様御垂示 「信者が死んでも温かい理由」 (昭和24年5月10日発行)
信者の質問
「入信して死亡した人の身体が死後もたいへん暖かいようですが、なぜでしょうか。」
明主様御垂示
「入信すると霊的に異なってくる。
火素が増え、霊が暖かくなる。
それで死んで霊が抜けても暖か味が残るのである。
暖かいとは愛である。
あの人は暖かい、あの人は冷たい人だなどとよく言われるが火素による、すなわち愛の精神から出るのである。
心臓が丈夫だと霊界から火素を多く吸収し、火素が増えると肺の活力が旺盛になる。
ちょうどボイラーと蒸気の関係のようなもので、肺病が冷たい理知的な人に多いのもこのわけである。」
明主様御垂示 「信者が死んでも温かい理由」 (昭和24年6月15日発行)
信者の質問
「入信して死亡した人の体が死後もたいへん温かいようでございますが、なぜでございましょうか。」
明主様御垂示
「入信すると霊的に違ってくる。
火素が増えるから霊が濃くなる。
死んでもそれが肉体に残って温かいのである。
死体が硬直しないのも火素が多いからである。
徳の高い人に接すると温かく感ずるのも火素が多いからである。
すなわち愛情が火素を作るからである。」
明主様御垂示 「遺体の固い原因は罪の多さ」 (昭和25年3月20日発行)
信者の質問
「御浄霊により死亡した場合には死後硬直せず、死体が軟らかく温か味があるとお聞きいたしておりますが、
まれには死亡後硬直する者があるのは、いかなる意味でしょうか。」
明主様御垂示
「霊の罪が多いからである。
また浄霊者の力が足らず、曇りがとりきれなかったためである。
祝詞や御讃歌をいくども奏げて除ると、たいていは柔らかくなる。」
明主様御垂示 「遺体に対する浄霊について」 (昭和24年8月23日)
信者の質問
「昨年五月入信した教導師の人、肺結核にて死亡いたしましたが、死後死体が硬直し納棺の際困りました。
いままでは御浄霊するとだれでも柔らかくなっていましたのに、今度初めて柔らかくならない場合を経験いたしました。この原因はなんでしょうか。」
明主様御垂示
「珍しいですね。
浄霊すれば必ず柔らかくなるものですがね。
これはよほどのわけがあるんですね。
よほど大きな罪か、あるいはよほど強い薬が固まっているか、そのどっちかですね。
こんなときはやはり頭をよく浄霊するんですが、こういうのは万人に一人くらいでしょうね。
もう、一回やっただけでも、ずっと楽になるもんですがね。」
明主様御垂示 「死体に触れぬ事」 (昭和24年8月)
信者の質問
「感じる人が死んだ人に手を当てたところ、それからしばらくの間感じがなくて、
その後また「ボッボッ」と感じるようになりましたが、これはどういうわけでしょうか。」
明主様御垂示
「しかし、それはまたどうしたわけです。
なにも死んだ人に手を当てなくてもいいでしょ。
死体にじかに触るのはいけませんよ。
それを神様が戒められたんでしょう。
やはり「死穢れ」って言って、一つの霊的の穢れですからね。
霊が抜けて肉体ばかりになると、人間とは違う一つの物質ですからね。
昔はやかましく言ったもんですよ、「死穢れ」ってね。
それに対してですね、浄霊っていうのは神聖なことなんで、浄霊するときは神様の代理をしているんですからね。
死穢れがとれない間に手を当てるっていうのはいけませんよ。」
明主様御垂示 「死体解剖は絶対に駄目」 (昭和25年3月1日)
信者の質問
「医学研究のため、人体を解剖致しますことは文化向上に反って罪悪を積む事と存じますが、
生前自分の死後死体の解剖を頼みました者と、依頼せぬ者が解剖されました場合とは霊界にていかように異なるもので御座いましょうか。お伺い申し上げます。
また解剖した人、獣の霊はいかようにお祀りしたらいいでしょうか。」
明主様御垂示
「本人の希望でしたのは、本人はしまったと思っても怨めぬ。そうでないと怒るのもある。
霊は肉体をいくらやられても痛くないが、死骸は気にする。暫くの間は関連がある。それで嫌がる。故にしない方がよい。
今は霊を認めぬから仕様がない。
故に解剖は絶対いけない。医学そのものが間違っている。
獣も沢山になると怨み、一つの個性をなす。
名医の子孫は、皆不幸で、没落する。
善意でも悪の手段になり、災や罪となる。」
明主様御垂示 「死体解剖は許されない」 (昭和24年2月14日)
信者の質問
「亡夫と息子の遺骨を数年間納骨せず、お寺へ預けたままになっておりますが、霊的に障りになるものでしょうか。」
明主様御垂示
「障りになる。霊が怒る。霊は非常に几帳面である。
執着は一番いけない。一日でも早く埋めなくてはいけない。霊は非常に嫌がる。
霊は執着が一番いけない。執着に関係する事は一番いけない。
骨は一日も早く埋める。
解剖のごときは非常にいけない。本人の希望するのは構わぬ。
(またバラバラになって死んだ時でも、人間の元通りの形にして棺に納めなくてはいけない。)
器官の活動が判るので、医者は生体解剖をしたがる。」
明主様御垂示 「死体のアルコール漬について」 (昭和24年10月1日)
信者の質問
「先年流産致しました際、医師はその胎児を学術上の参考品として、アルコール漬にして病院に保管しております。
入信後、それが気になってなりません。これはいかに致したらよろしゅう御座いましょうか。御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「赤ン坊はそうでない。相当年をとって、物が判ったのは気にする。」
明主様御垂示 「死体のアルコール漬は間違い」
信者の質問
「流産の場合は何ケ月よりその霊をお祀りすべきでしょうか。その方法はいかに致すべきでしょう。」
明主様御垂示
「大体五ケ月から人間の部に入る。
普通のごとくお寺へ行き戒名を貰い祀る。
水子であるから葬式などは要らぬ。
近親者だけ寺へ行って葬式の型をする。
アルコール漬などは非常に間違っている。霊は嫌がる。
赤ン坊はよく肩へつかまる。それで肩が凝る。」
明主様御垂示 「霊はアルコール漬にされるのを嫌がる」 (昭和25年5月15日)
信者の質問
「医科大学や病院等にありますアルコール漬の嬰児や、切り取った身体の部分等漬けてありますが、これらの霊は霊界でいかなる状態になっておりましょうか。御教示御願い申し上げます。」
明主様御垂示
「非常に嫌がる。ある時期まで霊も心得ているから諦めるが、嫌がる。」
明主様御垂示 「ミイラは埋葬方式として好ましくない」 (昭和24年12月20日発行)
信者の質問
「昔から身分の高い人などが逝去しました場合、屍体を腐らぬようにしたまま葬りますが、これは霊的に見ましてよろしいことでしょうか。」
明主様御垂示
「そうですね、これはその死んだ人の気持ちに在るんです。
そういうことを嫌う人と、またかえって喜ぶ人とその人の性格によりますね。
最近ではレーニンの屍体を腐らぬようにしてますね。
昔、エジプトでは王様の屍体をそういうふうにしてビラミッドへ入れてましたが、あれなんかもう五千年も経ってるけど現存してますね。
やはりいろんな方法があるんで、中国なんかでは鼻や口に朱を詰めて腐らぬようにしてますね。
しかし、まあ、どっちかって言えばこれは嘘ですよ。
また、ミイラにした時代もありましたが、いまでも博物館にミイラはありますね。」