遺影について


明主様御垂示 「死者の写真は一年くらい外しておくべき」 (昭和24年8月23日)

信者の質問
「死者生前の写真を記念に壁や仏壇に飾っておくことは差し支えないでしょうか。」


明主様御垂示
「死者の写真はね、一年くらいは外しておいたほうがいいですよ、写真を見ると始終死んだ人のことを思い出しますからね。

ところが思い出されることは霊にとって必ず迷惑になるんです。

例えば、その霊が天国に救われるような場合でも、思い出されるたびに現界へ引っ張られますからね、天国へ行くのが遅くなってしまうんですこぶる迷惑なんです。

しかし、ぜんぜん忘れちゃったんではあんまり薄情な奴だと思いますからね、まあ、適当に思い出すんですね。(笑声)

殊に、供養するときには一生懸命に誠意をこめるんですよ。

ふだん始終思い続けるっていうのはいけないんです。

写真でも拝むと死者の霊がやはり写真に来るんですからねえ。

それに、霊だって一々面倒ですしね、嫌がりますよ。

だから、まあ一周忌のすむくらいまで外しておいたほうがいいですよ。

それからなら差し支えないですがね。


こういうことはよくあるんですよ。子供が死んでしまうと親がその子供を思いますね、そうする、とその親の執着によって子供が早く生まれ変わってしまうんです。

よく子供が死んでその翌年とか、翌々年の祥月(しょうつき)命日に子供が生まれるってことがありますがね、これなんか明瞭にそれですよ。

そしてこういうのは、霊界で充分浄化しないうちに生まれ変わるんですからいけないんですよ。

だからなるべく思い出さないほうがいいんです。


けどね、またこういう子供もあるんです。

先に海軍大佐の人でしたがね、その人の最初の子供が非常に体が弱く頭も悪くて親にたいへん心配をかけたんです。

で、学校に上がっても成蹟が悪くてね、十歳くらいで死んだんです。

ところがその翌年のちょうど命日に子供が生まれたんですが、その子が大きくなってみると、とても頭がよくて体も丈夫だし親孝行なんですね。

しかもそれ以外の性格や顔立ちなんか死んだ子にそっくりなんですよ。

これは死ぬときにね、僕は本当に親に心配かけて申し訳なかったから、今度は丈夫ないい子に生まれて来て、親に孝行しようって思った想念が固く残ってたんで、それですぐ一年で生まれて来たんです。

これなんか子供が自覚してる場合だからいいんですが、ふつうはめったにありませんね。」




明主様御垂示 「写真の祀りの是非」 (昭和24年10月26日)

遺族の執着が故人の霊界への安住を阻害

信者の質問
「私の義姉は、先般夢で私の亡夫の霊に襲われ、その都度「突込んでいる、突込んでいる」と繰り返して言われ、

「お前が写真を出して祀らないからだ」と言われました。

私は早速亡夫の写真を額にして掲げましたが、このような事があるものでしょうか。

またそうする(写真を掲げる)事はいかがなものでしょうか。」


明主様御垂示
「そうする事はある。

特に写真に憑って拝んでもらいたいというのがある。

写真は死んでから一年位かけぬ方がよく、一ケ年以後かけた方がよい。

執着があるから、かけるのは喜ぶが、あまり執着して行く所へ行けぬのも困る。」




明主様御垂示 「写真のはめ込んだ位牌は駄目」 (昭和26年11月8日)

信者の質問
「位牌に写真が入っているのは、どういうふうにいたしましたら・・・」

明主様御垂示
「一年くらい経ったらしまったほうが良い。」


信者の質問
「位牌の中に小さい写真が入っております」

明主様御垂示
「取り替えなければいけないですね。霊は嫌がります。

なぜなら、それを見るたびに思い出すでしょう。

すると、霊界で向上する場合に障りになる。忘れてもらうのが良いんです。

死んで間もなく・・・忘れるのは、これはいけないが、一年くらいして、それから先は忘れてしまうほうが良い。

浮かばれないとは、そういうことになる。」




明主様御垂示 「死者のことは早く忘れるべき」 (昭和23年5月28日)

信者の質問
「五年前に死んだ子に講習を受けさせたいと存じますが。」


明主様御垂示
「これはもっと自分に講習したほうがよいわけだ。

まだ本当に判っていない。

死んだ人を始終思うことは霊に対してたいへん悪い。

早く忘れたほうが霊は喜ぶのです。

赤ん坊で死んだ霊は八衢(やちまた)での修行ができないから、その母親が現界でできるだけ善行をすれば早く天国に行きます。

一般に子供は割に早く天国へ行ける、罪が少ないから。

昔から天使の絵など子供の姿が多いのはそのためです。

だから母親が一人でも多くの人を助け神様の御用をすればよい。

始終思ってると子供の霊を引っ張っていることになり子供は浮かばれない。

なるほど子供が死ねば嘆くのは人情でこれは悪いことではない。

人が死ぬと仏教のほうでは四十九日間その家に霊がいると言う。

極善極悪の人はすぐ行く所へ行くが、ふつうは五十日目に霊界へ行く。

霊界へ行ったら早く忘れたほうがよい。

そう早くは忘れられないが、早く忘れたほうがよいと知るだけでもよい。

一周忌のような命日なんかには憶い出すのはかまいません。

故人の写真も十年を過ぎたらかけてもよいが、死んで間もない間はいけない。

こんな話がある。

お釈迦様のとき、弟子の目蓮尊者があるとき地獄で母が苦しんでいるのを見た。

なんとかして救ってあげようといろいろやってみたがどうしても母は地獄から上がれないでいる。

そこでお釈迦様に、どうしたら救われましょうかと尋ねたところ、お釈迦様は忘れればよいと言われた。

で、目蓮はできるだけ忘れるようにして一年ほど経ったところ、母は地獄から救われていた。

このとき目蓮は、自分が自分の力で母を救おうとするのは間違いだ。

自分は一切衆生を救うのが使命である、釈迦が忘れろと言ったのは、母を救うことも忘れて衆生を救えということだったと初めて悟ったということです。」



明主様御垂示 「故人の写真の設置場所」 (昭和23年5月28日)

「故人の写真をかけるのは仏間ならどこでもよい。

私の額がかかっているところは駄目です。

ただやむを得ないなら、できるだけ額から離してかけてもよい。」