位牌について


明主様御垂示 「位牌がないと無縁になる」 (昭和23年9月21日)

「先に、石の観音様があり、二千年前の中国の天子の霊が憑いていた。

非常に喜び・・・それまで祟ったんで会社の社長が坂井に貰ってくれろというとの事である。

今迄救う人がなかったので悲観したという。

中国では兵戦があり、墓を守ったり、位牌を作ったりする事がないので、無縁になっている。

それで逃げる時大抵土中へ埋ける。

であるから、少し良い物は土中物と言う。」




明主様御垂示 「位牌がないと祖霊は来れない」

信者の質問
「三十二才の男、二才より両耳病にて苦しみ二十二年お守を受け、

光明如来様をお祭り致し、毎日光明如来様及び御先祖様に祝詞をお奏げしてましたが、

耳より非常に膿の出が良く聴えも良くなって来ましたが、

この度四月より開拓に出て開拓地より先祖様をお祭りしていますが、

例祭の日の外殆ど膿が出ず、聴えも非常に悪いのですが、いかなる原因ですか。」


明主様御垂示
「位牌がなくては、先祖は来れぬ。

出たらめなやり方だから、よした方がよい。

事情で出来ぬなら、命日には祭ってある方角へ向って遙拝すればよい。」




明主様御垂示 「位牌は宿」 (昭和24年6月10日発行)

戦死者についても位牌が必要

信者の質問
「戦死した者の霊はお祭りしないと帰れないものでしょうか。

例えばアッツ島に玉砕した霊はまだその地にいるということですが、

勿論各家庭でお祀りしていると思いますが、いかなることになるのでございましょうか。」


明主様御垂示
「無論祀らねばならぬ。

現界的に言えば位牌は宿で、帰還した兵が家がなければ困ると同様である。

お祀りする想念が霊層界へ行き、霊層界からアッツ島へ霊線が繋がって早く救われるのである。」




明主様御垂示 「面識あるものは位牌を作る」 (昭和24年2月15日)

信者の質問
「私は主人と主人の母と子供三人北鮮に生活しておりましたところ、

母は昭和十九年十一月に死亡、昭和二十年八月疎開を決意し主人子供と共に汽車に乗ったところ爆撃に会い、

私は仮死の状態になり気がついた時は病院の中におり、主人子供はおりませんでした。

それ以来未だに何の消息もなく既に死亡したものと思います。

私は今引揚げて一時実家に身を寄せておりますが、現在住友家を守る人は私以外にないのです。

右の事項について御伺いします。

一、住友家先祖代々の霊供養を行いたいと思いますが位牌はどのように準備したらよいでしょうか。

主人、子供の位牌はそれぞれ作らなければならぬものでしょうか。

二、戒名はどのようにしたらよいものでしょうか。

三、私の実家では先祖代々霊供養は昨年十月させて戴いてあるのですが、

今度もし住友家の霊供養をするも一軒の家で仏壇が二つになるのですがそれで差支えないでしょうか。」


明主様御垂示
「面識あるものは位牌を作らなくてはいけない。

菩提寺へ行って、坊さんに戒名をつけてもらい、簡単に祀ってもらう。

実家は後にして嫁入先を主にする。

供養すれば婚家先の祖霊は非常に喜ぶ。」




明主様御垂示 「面識の範囲」 (昭和25年5月27日)

信者の質問
「仏壇に先祖を祀る場合、面識ある方の御位牌はいかなる順序に御まつりさせて戴いたらよろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「面識といっても身内でなくてはいけない。従兄弟位迄でよい。常識的に祀ればよい。」




明主様御垂示 「寺に位牌を納めてしまった場合には新規に家庭用の位牌を作るべき」 (昭和24年5月30日発行)

信者の質問
「二十七歳の女、腎臓を病み、注射をしましたがいっこうによくならず、

やがて脊椎の下に半径一センチメートルくらいの瘤ができて非常に痛み、立ったり坐ったりするときポキッと音がします。

御浄霊により痛みはたいへん楽になりましたがこれは霊的でしょうか。

生後七カ月くらいで死亡した幼児の位牌を寺に納めてしまい、現在は祀っておりませんが、関係ありましょうか。」


明主様御垂示
「これは霊的ではありませんね、薬毒です。

注射なんかをたくさんしたからそれが出たんですよ。

音のするのは瘤ができたため、筋や骨の位置が圧迫により多少変わるためです。


しかし、この子供の位牌を寺に納めて現在位牌がないってのはいけません。

でも寺から位牌を戻すのも変だから新規に作ればいいでしょう。


子供の霊が憑る場合にはそんな所には憑りませんよ。

肩につかまったり、乳にすがったりします。

肩になにか背負ったような感じがあったり、乳房をつかまえられてるような感じがしたりするのだったら、こんなのは祀るだけですぐ治りますよ。

祀ろうと思ってただそこへ行っただけでも治ることもあります。」




明主様御垂示 「妻の実家の位牌も祀って良い」 (昭和26年7月25日発行)

信者の質問
「結婚した場合、夫の御仏壇に妻の先祖代々の霊位の御位牌をお祭りしてよろしいものでございましょうか。」


明主様御垂示
「結構である。その代わり、順序を間違えないようにしなさい。」




明主様御垂示 「先妻、後妻の位牌」 (昭和26年7月8日)

信者の質問
「先妻、後妻の位牌は一緒に祀ってやるべきでしょうか。」


明主様御垂示
「そうするのが真実で、片方だけ祀ると片方は怒りますよ。」




明主様御垂示 「再婚婦人は先夫の位牌を別の仏壇に祀るべき」 (昭和28年2月1日)

信者の質問
「夫二人と死に別れました戦争未亡人が再婚いたしました。

嫁家先で死んだ二人の夫の位牌を祀ることはよろしいものでございましょうか」


明主様御垂示
「結構です。祀ってよろしいです。

できれば仏壇は違ったほうがいいです。

向こうの家のより小さくするのです。

そうすると霊界で救われるから非常に喜びます。」




明主様御垂示 「不和離婚霊の位牌」 (昭和24年11月18日)

信者の質問
「私の祖父母は父が子供の時に離婚して、父は祖母方で生長致しました。

今月十五日、開拓地先で思いもかけず祖父(未知の間柄で死後十二年)を祀っている遺族に会い、祖父の写真及戒名等を見せて貰いました。

丁度同じ頃、ただ今産褥中の妹にそれらしき霊が頻繁にかかります。

また私もその土地へ行く時船中で夢に老人の写真が前に倒れかけたのを突差に受け止めた夢をみました。

「祖父は中風で死去している由」ですが、この霊を祀って上げてもよいでしょうか。

不和が原因で離婚したらしいのですが祖母と同じ仏壇に祀っても差支えないでしょうか。御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「差支えない。霊界へ往くと争はいけない事が判るから、その心配の要はない。

写真が倒れかけたのは、中風が未だ治っていない。

祀ってもらう時期が来たものである。」




明主様御垂示 「養父の位牌の祀り方」 (昭和24年3月19日)

信者の質問
「私の妻は結婚する前に他家に養女として行っておりましたが、私と結婚するので廃家して現在に及んでおります。

ただ今仏壇には取敢えず養父の位牌をお祭り致しておりますが、どう致したら宜しいでしょう。」


明主様御垂示
「先祖の位牌を大きく、小さく養父の霊とかいておくとよい。」




明主様御垂示 「三代前の分家の位牌を作るべきとした事例」 (昭和26年10月18日)

信者の質問
「私の父S(六十五才)は、去る九月二十九日、炭焼小舎の屋根の上で脳溢血を起し、

私二人で梯子もなく二人が落ちるようにして、屋根から下ろして連れて帰りました。

教会の先生にも来ていただき、家族の者もずっと浄霊いたしております。

三日目ごろから少し意識を回復したように思われ、五日目ごろから、お茶など飲むようになりました。

右半身不随の中風状態でございますが、口がきけず手まねで御神体を早くお祀りするようにとしきりに申し、

かねてお祀りさせていただきたく思っておりましたので、九月二十五日、御神体を奉斎させていただきました。

その後少しずつ良くなり、現在ではごはんもふつうに食べるようになりました。

ただ口がきけず、右の耳も聞こえません。二、三日前から、なにか少し言うようになりましたが、意味は良く判りません。

教会の先生が木龍の憑依ではないかと言われますが、

心当たりとしては三年ほど前、宮の境内の二抱えほどの木を切ったことがあり、

その他今年の春、寺の銀杏の枝が台風で折れて落ちたものを、寺に断って碁盤にすべく切って持って帰っております。

現在は炭焼をしており、家族全部入信し、御屏風観音様も昭和二十三年にお祀りさせていただきました。

三代ほど前に分家が絶えており、私の家の墓に三界万霊の石碑を建てており、位牌はお祀りしておりません。

右浄化と霊的関係がございましょうか。また御浄霊の箇所を御教えのほどお願い申し上げます。」


明主様御垂示
「厄介な所で脳溢血を起したね。

これは木龍だね。

木龍ばかりではない。脳溢血と木龍と両方です。

これは、脳溢血になるべき毒血があって、脳溢血になった。

それに木龍が憑ったんですね。

ですから、耳が聞こえないということは、ふつうの中風ではないんです。

言葉・・・口がきけないというのが、木龍の働きですね。

けれども、脳溢血が治るに従って木龍も救われますから、大丈夫です。


右の半身が不随の時は、左のここ(頸部)に固まりがありますから、それを良く浄霊する。

治りますよ。そうひどい・・・重いのではないですね。少しずつ良くなります。

左の固まりを解かないと再発します。

溢血はこういうふうに(右より、頭の上を通り左側に)来ます。

再発しなければ、だんだん良くなりますね。気長にやっていれば良いです。


三代前の分家が・・・これは位碑をお祀りした方が良いですね。

仏具屋に位牌を頼んで、分家の苗字・・・。というんですか。

分家の諸霊位と文字を書いて、それを下座の方に置くようにする。

そうすると、そこに三代前の霊が来られますから、祝詞を聞いたりして救われますから、それはぜひやった方が良い。」




明主様御垂示 「親しい知人を位牌で祀ってもよい」 (昭和26年8月8日)

信者の質問
「家族の知り合いで非常に親しくしていた者が亡くなった場合にお祀りしておいてもよろしいでしょうか。ある期間だけでよろしいでしょうか」

明主様御垂示
「それは小さくですよ。ずっと祀ってやったほうが喜びます。」


信者の質問
「そういう人が幾人もいる場合は」

明主様御垂示
「共同墓地という意味で、共同の位牌を作る。それで良いです。

私の所にもありますが・・・諸霊で良いです。」




明主様御垂示 「諸霊の位牌を作ると功徳になる」 (昭和28年7月1日)

信者の質問
「諸々の霊と家内の里の位牌とはどちらが上でございましょうか」

明主様御垂示
「諸々の霊というのは何ですか。その家の系統のものですか。」


信者の質問
「それはお伺いしようと思いましたことでございますが、どういう系統のものがくるものでございましょうか」

明主様御垂示
「何々家の霊とすればその家の系統のものが来ます。

それは文字のとおりの働きをします。

ただの諸霊だったら小さくして下のほうでよいです。

それは功徳にはなります。

それには何でもはいれるのです。」


信者の質問
「諸々の霊というより三界万霊として作ったほうがよろしいでしょうか」

明主様御垂示
「三界万霊というのは非常に大きいですが、個人の家ではそういうことをしなくてもよいです。

それは寺でやるのです。

諸霊というのは小さくてよいです。

それこそ道端の犬猫も諸霊です。」


信者の質問
「そういう位牌を祀りますとはいってくるものでしょうか」

明主様御垂示
「そうです。」




明主様御垂示 「キリスト教の家庭に位牌は不要」 (昭和24年5月13日)

信者の質問
「お道に入信した人の先祖をキリスト教で葬ってある場合、その仏の御位牌はいかがいたすべきでしょうか。」

明主様御垂示
「いや別にお祀りしなくてもいいですよ。

キリスト教を信仰してたんなら、本人は死んでからキリスト教の団体に行きますからね。

やっぱり霊界にもキリスト教の団体ができてるんで、仏教式に祀られるとかえって有難迷惑ですよ。」


信者の質問
「身寄りの者がこのお道に非常に熱心になっても、それでよろしいのでしょうか。」

明主様御垂示
「そうです。そりゃあ、ずっと将来はどうか判りませんよ、ただ、いまはそれでいいんです。」




明主様御垂示 「大社教は位牌がない」 (昭和26年9月5日)

信者の質問
「代々大社教をやっている家で、大社教では先祖代々の位牌がないわけですが、それはどういうふうに作れば良いでしょうか。

剣のような形をした白木に死んだ人の名前を書いてありますが」


明主様御垂示
「代々大社教でしょう。

それでは、今更仏界のほうでは・・・しようがないから、そのままでよいでしょう。」




明主様御垂示 「位牌の持歩きは不可」 (昭和24年7月6日)

信者の質問
「私は昭和十九年九月入信させて戴き今では日々感謝の日を送らせて戴いております。

入信後十一才と五才の男子を死亡させ、主人は戦死し、ただ今は私と十三才の男子二人の家庭ですが御用のため諸所に住居を移しますので、

ある誠ある信徒の家に子供を預け、仏様もその家で御祭りを御願い致し、月に一度位、御参拝に帰っておりますが、

御位牌を私の行く先々へ持って参り御祭りした方が宜敷いでしょうか。御教示下さい。」


明主様御垂示
「位牌を持ち歩くのは絶対いけない。

仏は反って喜ぶ故心配はない。」




明主様御垂示 「旅行先に位牌を携帯するのは不可」 (昭和24年5月13日)

信者の質問
「光明如来様と御屏風観音様を家にお祀りしてあって旅行などで長く家を空ける場合、

家族が信仰しておりませんと礼拝はおろか掃除もいたしませんが、

こんなときには御軸をお巻きして、しまっておいたほうがよろしいでしょうか。

また仏壇の位牌を旅行先に持って行って拝んでもよろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「そんなことをしなくてもいいですよ、掛けたままでいいんです。

留守の者に信仰がなくてやらないんだから、これはやむを得ませんよ。

この人が旅行先で祝詞なり御讃歌なりあげればそれでいいですよ。

また位牌を持って行くなんてのもいけません。

そのままにしておいて家のほうへ向かって遠くから・・・これが遥拝ですね、遥拝をすればいいんです。

向こうは霊ですから、どんなに遠くともやって来ますよ。」




体験談 始めて知った救済の喜び (地上天国 16号 昭和25年8月15日発行)

天国大教会 KS(23・男性)

「明主様の偉大なる御守護により、人を救わせて戴きました。私の最も尊き体験を、ここに謹んで御報告させていただきます。

私がお光を戴きましたのは、昨年十月三十日で御座居いました。

(色々の御話は納得出来ましたが、御浄霊の事だけは信ずる事が出来ませんでした)

翌朝暫く見受けられませんでした近所の木村さんの奥さんが、大儀そうに歩いているのを母が見まして、私と共に色々と病状をお聞き致しましたが話される間立っているのさえ苦しい様子でした。

「とにかく私が後程お伺い致しますから」とお別れ致しました。

私は直ちに木村さん家に向います道々「なあに歩かれる位なら大した事はない」等と思いながら病人の状態を見、御主人の御話を聞きまして、目の前が真暗になる程驚きました。

御主人の話によりますと「一週間程前に近所の医者に行きましたが、診断の結果脊髄カリエスで、自分の所では何とも出来ない。赤十字病院に行かれたらどうですか、と言われました」私は考え込んでしまいました。

かかる重病人を私ごとき者がお引受致してもよいものであろうか、と本当に不安な気持で一杯でした。

更に御主人は「その後日赤に行きレントゲンを取って見てもらいましたが、同じような事を言われ、背中の方を押え、この辺の骨は腐っている、好まぬが手術するより他に仕方がない」ここまで話を聞きました時、私はこのまま逃げて帰りたいような気持でした。

最後に御主人の言葉は意外にも「家内は手術されるのは嫌だと言いますし、私が実は汽車の中で、確か米原付近で若い女の人が二人で、腹痛の病人を遠くから、手を振って治しているのを見ました、その方のされた色々の有難いお話が忘れられず、確か京都にもこのような方がいるように聞きましたが」と本人の私を目の前に置いて言われるのです、しかも私は未だ何もお話をしておりませず、これはきっと光明如来様の御引合せに違いない。

必ず神様の御力で救って戴けると、固く信じそれから色々とお話をさせて戴きましたが、普通では話下手の私が不思議にもスラスラと話が出来、

病人の方も御主人も、「貴人があの汽車の中で御見かけ致しました方達と同じお道の方でしたら、安心して総てお任せ致します」と言われました。

私もやや安心致しまして、御浄霊させて戴きましたが、その間奥さんの苦しみ方は見ているだけでも気の毒な程で、私の胸もしめつけられる程の思で、心の中で幾度となく、「大光明如来様、明主様」と絶叫致しました。

約四十分程御浄霊を続けましたが、何事もなく、家に帰えりましても再び下安になり、夜もろくろく寝られず、翌日早速お伺い致しましたが、「今朝少量の鼻血が出ました」
と聞きまして昨夜の不安はどこへやら、一生懸命御浄霊を始めました所、始めて不思議な事が起りました。

御浄霊を始めるや、四度許りゲップが続けて出た後、急に胸が開けましたと言われ、更に二十分程たちますと、「非常に暖くなりました。全身汗でビッショリです」

との言にビックリしまして奥さんの顔を見付めました所が、額には玉の汗が髪の生え際当りも汗で光って見える位でした。

そして激しい痛みも幾分楽になりました。と言われるのを聞きまして、夢ではないのかと思いました。

御浄霊が済みまして、奥さんが立ち上られたのを見て驚きました。

この前は気が付きませんでしたが、着物の上からでも一目見ただけで解ります程、右腰骨の上がムックリと腫上っており、体を動かす毎に痛まれるのでしょう、一生懸命苦痛を我慢している姿は、お気の毒というより他はありませんでした。

家に帰り色々の事を考えるに付け、込み上げて来る不安は押え難く、翌日は私達を御世話して頂いております山本様に、一諸に行って頂きましたが、「貴方の真心一つです。光明如来様におすがりして、何事もあせらず一生懸命におやりなさい」と色々の注意を承りました時、ハッと何か気付くものがありました。

今までの自分の考は問違っていた。自分で治すのではない、神様に治して戴くのだと気付きました時、自己の不心得を責められずにはいられませんでした。

しかし四日、五日と経っにつれ、病状は次第に悪化し、話をされるのさえ大儀のような状態にまでなりました、近所の方や親類の方は、大分医者にかかるよう奨めておられましたが、その言を聞くに付け、私も万一の事があれば等と、幾度か信念がグラツキましたが「大光明如来様」をお念じしつつ、約一週間は病人の方には同じ苦痛の状態が・・・。

私には仕事もろくに手の付かない日が続きました。その間、朝晩二回ずつ御浄霊をさせて頂いたのですが御浄霊をさせて頂いている間は、決ってビッショリと汗が出て体も楽になるとの事には、家の方も不思議がっておられました。

丁度十日目の晩、御浄霊が経ってお話をしておりますと、急に、「痛い痛い腫れて来ました」と奥さんの非常な苦しみ方で私も暫く呆然となり、近くのIK君にも来て頂き、二人で交替で暫く御浄霊を続けました。

「痛みましょうが、今暫くの御辛棒です。必ず神様がお救い下さいますから」と励ましてあげている中に、痛みが止まられましたが、右腰骨の所は脊髄と平行に前よい更に大きく、丁度瓢箪形に腫れ上っております。

この時から私の気持も不思議と変り、この時に家の方々に、「良くなる前は悪くなりますから」と平気で言いました時は、自分でもあの時よくもあんな言葉が口から出たものだと思いました。

同じ苦しみの状態が二三日続きました。

丁度二週間目の晩御仏壇にお参りを済ませ、フッと御先祖様の位牌がお祭りされていないのに気が付き、早速御主人に「木村家先祖代々之霊」と書いて頂き、それを納めまして祝詞と善言讃詞を上げさせて頂き、私の不注意を深くお詫び致しました。

ところがここにハッキリとした奇蹟が起りました。

翌朝早く木村さんの家の方が、「昨夜二時ごろ膿が出ました」と早口に申された時の私の嬉しさは、到底言表わす事の出来ない大きな喜びでただただ「明主様」と頭の下る思いだけでした。

朝食も済まさず、宙を飛ぶ思いでかけつけて見ましたが、私の驚きは嬉しさに変りました。

あれ程苦しんでおられた奥さんが、座っておられるではありませんか、「未だ少し痛みますが、こんなに腫れが引きました」と背中を向けられたのを見ますと、着物の上からではわからない程腫れが引いておりました。

御主人の喜ばれ方も非常なものでして、交る交るに、「昨夜貴方が帰られて、夜中の二時頃に初めて膿が出初め、一時間半程出ました。

今朝になってまたずっと出続けでした。私も直ぐ神様に御礼を言わせて戴きました」と本当に嬉しそうにしておられました。

色々と考えますと私が家の方と共にお位牌を納めまして、お参りをすませて帰る時が十一時三十分頃でしたから、僅か二時間半程後に第一回の浄化が始まった事になります。

疑い深い私もこのハッキリとした事実を体験致し観音力の偉大さと、霊界の神秘には驚嘆致したので御座居ます。山本様にもお話を致し共に喜んで戴きました。

翌日からに病人とも思えぬ程で「食事も美昧しくなりました」と申されますし、外に出て歩くのも一寸も苦痛を伴わないとの事です。

二日、三日と御浄霊致し日が経っにつれ、その間二三回浄化がありましたが、次第に快方に向い、顔色も大変よくなられました。

丁度約一ケ月目の十一月三日には風呂に行きましたと聞かされた時には驚かされました。

医者にも見放されたカリエスの方が、僅か一ケ月程でこんなによくなられたのですから、現在では木村さんのお宅も非常に明るくなったように感ぜられます。

何という偉大なる神の御力、吾らの胸に戴ける見えざるお光は、病人一家全部を救う事が出来るとは、地上天国建設の大偉業は、実に我らの双肩にありと感ずる時、何か心の躍動を覚えるのであります。明主様本当に有難う御座居ました。

最後に私は声を大にして世の無神論者に叫びたいのです。

「世の無神論者よ、眼を開け、諸君の求めている道は身近にあり、正しき道に足を踏み入れば、諸君の幸福は直ちに訪れむ、しかして離るべからざる永遠の神の子となり得るであろう。」と」