仏壇と御讃歌について


明主様御垂示 「仏壇の御讃歌」 (昭和26年6月2日)

信者の質問
「仏壇にお奏げいたします御讃歌につきましてお伺い申し上げます」

明主様御垂示
「仏さんの御讃歌ですね。

観音さんのは、いけないですね。いけないと言うことはないが、適切ではない。

先には観音さんが多いから、合わない。

今度のは少しは良いです。

だいたい、仏様の御讃歌は仏様に適当するような、祖霊さんを解らせるのに良いようなのをね。

しかし、そう几帳面に考える必要はない。

だから順繰りにやっていいでしょう。」


信者の質問
「何首ずつくらいで・・・」

明主様御垂示
「そうですね、仏様は神様のより少なくて良い。

そうですね。普段は仏様に奉唱しなくても良いですね。

何かお祭りのときだけでいい。

仏様にもいろんなことを聞かして・・・新しいことを聞かしたほうがいいです。」




明主様御垂示 「御讃歌 救霊について」 (昭和26年8月8日)

信者の質問
「今度いただきました新しい御讃歌集でございますが、救霊というのは」

明主様御垂示
「つまりお祭りのとき、結婚のとき、亡くなったとき、それぞれに。」


信者の質問
「その救霊でございますが、亡くなった当初のときでございますか」

明主様御垂示
「そうです。四十九日までの期日はいいが、あんまり長く離れてはおかしい。だいたいは告別式ですね。」


信者の質問
「結婚のときには」

明主様御垂示
「結婚の日に奏げる。」


信者の質問
「御神前で・・・」

明主様御垂示
「そうです。」


信者の質問
「それから、私たちお伺いしておりませんので、お伺いいたしますが何かの命日のとき三首ずつ奏げれば良いということを聞きましたがそのようにして・・・」

明主様御垂示
「そんなこと言いませんよ。誰か作者があるね。

ただ、仏さんで御讃歌を聞きたい霊がいますので一章奏げたらと言うことを聞いたことがあるので、三首ずつくらいが良いと言ったことがあります。

仏壇には奏げても奏げなくても良いです。命日とかにはなんだが。」


信者の質問
「どこを奏げてもよろしいのでございましょうか」

明主様御垂示
「どこを奏げても良いです。人間と同じでいくら聞かしても良い。」




明主様御垂示 「仏壇の御讃歌」 (昭和26年5月1日)

信者の質問
「仏壇にお奏げする御讃歌につきましてお伺い申し上げます」


明主様御垂示
「今度こしらえました。十首ですがね。法事のとき・・・法事と言っても、一周忌とかは、

いま言ったので良いが・・・十年、二十年とかは、そんなことをしなくてもいい。

御讃歌集の中から撰んでやればいい。

もう救われているから、晴々しくやればいい。」




明主様御讃歌 「救 霊」

惜しまれつ 此世(このよ)去りにし汝(なれ)なりき はや天国の門に入(い)るらむ  

幽世(かくりよ)の 神に祈りて天国の 人となれかし一日も早く  

惜(お)しみても 尚(なお)余りある汝(なれ)なれど 神の運命は如何(いかん)とも詮(せん)なし  

現身(うつそみ)の 世にては叶(かな)はぬ御救(みすくい)の 業(わざ)も叶(かな)はん霊(たま)の御国(みくに)は

幽世(かくりよ)の 神に只管(ひたすら)願(ね)ぎ申すは 今去りましし汝(なれ)の幸(さちわ)ひ  

幽世に 入りし汝(なれ)はも御救(むすくい)に ひた励(いそし)めよ力限りに  

現身の 救ひは限りあるものぞ 霊(たま)の救ひは自由無碍なる  

よしやよし 現世(うつしよ)去りて幽世に 往(ゆ)くとて神の護りはかはらじ  

幽世の 救の業も大神の 御旨(みむね)に叶(かな)へば天国に入りなむ  

尊きは 人とふものなり生き変り 死に変りつつ果てなの生命