仏壇と善言讃詞について


明主様御垂示 「屏風観音のない仏壇に善言讃詞をあげても無駄」 (昭和23年2月8日)

信者の質問
「死んでからあの世で判る人が多いです。御守りのことが存命中は判らず霊界へ行って初めて判り、「お蔭で明るい所にいることができます」と非常に感謝されたことがあります。」


明主様御垂示
「この道で助かるにはやはり人間としての道を踏まねばならない。

新家庭は必ず仏壇を設けねば駄目なんです。

霊媒に観音様が憑ったからとて丸呑みにはできません。

ふつうの観音様や仏壇に善言讃詞を上げても駄目です。

やむを得ないとき・・・例えば光明如来をいただこうとしているが、表装がまだできないときは別ですが。」




明主様御垂示 「仏壇には祝詞はいらない」 (昭和23年2月18日)

「仏壇には祝詞はいらない。

「幽世大御神(かくりよのおほみかみ)守り給へ幸倍賜へ」と「惟神霊幸倍坐せ」の二カ所だけでよい。

特別のお祀りには両方上げたらよい。」




明主様御垂示 「仏壇に普段奏上する善言讃詞は最後の二句だけでよい」 (昭和23年3月8日)

「(仏壇に対する献餞についての御垂示の後) 

それからふだんも善言讃詞を全部上げるのが本当はいいんだが、時間もかかることだから簡単に最後の二句だけでよい。」




明主様御垂示 「仏壇に普段は善言讃詞をあげないほうがよい」 (昭和23年5月18日)

信者の質問
「夕方のお祀りのとき御軸に善言讃詞をお上げいたしますが、仏壇にもやはり善言讃詞をお上げしたほうが・・・と存じますが・・・」


明主様御垂示
「法事やお祀りのときは仏壇に善言讃詞を上げるが、ふだんは上げないほうがよい。

ただ最後の二句だけでよい。

もし上げるならば、観音様の御軸に祝詞と善言讃詞をお上げし、仏壇には善言讃詞だけ上げる。

こうしないと御軸と仏壇と格が一緒になってしまいますから。」




明主様御垂示 「仏壇に普段は善言讃詞をあげないほうがよい (昭和25年2月23日)

信者の質問
「仏壇に善言讃詞奏上の場合、御神体には祝詞と善言讃詞を奏上致すべきでしょうか。」


明主様御垂示
「幽世大神のみでよい。

仏壇は幽世大神守給へ幸倍給へ、惟神霊幸倍座世を奏げればよい。

ふだんは善言讃詞を奏げない方がよい。

つまり観音様に奏上するのと同じ形式ではいけない。失礼になる。」




明主様御垂示 「仏壇に善言讃詞をあげるのはお祭りだけ」 (昭和26年10月1日)

信者の質問
「仏壇に善言讃詞を奏げますのはいかががでしょうか」


明主様御垂示
「それは神様と同じになるじゃないか。

だから神様に対して御無礼になる。

そこに違いがなければならない。

お祭りのときだけはそうして良いが、普段にやってはいけないと言ってあるでしょう。

神様のほうは平等じゃないんですね。

非常に階級をつけるんです。」




明主様御垂示 「仏壇に善言讃詞をあげるのはお祭りだけ」 (昭和24年11月14日)

信者の質問
「仏壇に向って善言讃詞を唱えさせて戴いた場合と御讃歌を唱えさせて戴いた場合とは祖霊の方へどのように響くものでございましょうか。」


明主様御垂示
「同じ事である。祖霊により好きずきがある。

言霊の働きは同じ事である。

仏壇へは普段は幽世大神を唱える。

善言讃詞などお祭りの時だけでよい。」




明主様御垂示 「お盆、彼岸、命日には仏壇に善言讃詞をあげてよい」 (昭和24年7月9日)

信者の質問
「お盆、彼岸及命日に御仏前に善言讃詞を奉唱させていただいてよろしゅうございましょうか。」


明主様御垂示
「こういう時にはよい。」




明主様御垂示 「命日には位牌に向って善言讃詞をあげてよい」

信者の質問
「祖霊様の命日の時、お位牌に向って何かお唱え致す言葉が御座いましょうか。」


明主様御垂示
「善言讃詞を奏げればよい。お唱えの言葉になる。」




明主様御垂示 「命日等には仏壇に善言讃詞をあげる」 (昭和24年7月25日)

信者の質問
「大光明如来様の朝晩の礼拝をする時は、仏壇の方は礼拝の必要はないのでしょうか。もしも御参りするのがよいとすれば次の点を御教え下さい。

一、朝晩礼拝すべきでしょうか。

一、天津祝詞、善言讃詞、御讃歌等でいずれを奏上すべきでしょうか。

一、鐘は鳴らした方がよいのですか。

一、拍手をした方がよいのでしょうか、しないのでしょうか。

一、御燈明や線香には点じた方がよいのですか、不必要ですか。」


明主様御垂示
「光明如来様を拝んだ後、仏壇へ向って手を軽く二つ叩く。

拍手はしない方が本当だが、今神界に復元しつつある。

幽世大神守給へ幸倍給へ、惟神霊幸倍坐世でよい。

光明如来様を拝んだ後朝晩拝む。

命日等の時は善言讃詞だけ。御讃歌もよい。

霊によいもの。鐘は食上げる時でいい。」




明主様御垂示 「善言讃詞と命日」 (昭和26年12月8日)

信者の質問
「仏壇に善言讃詞はいけないと御教いただいておりますが、信者さんで何か仏さんに奏げたいと言うのでございますが・・・」

明主様御垂示
「善言讃詞はいけないですね。幽世大神(かくりよのおおかみ)・・・それをやっているでしょう。それで良いです。」


信者の質問
「御屏風観音様御奉斎のときに善言讃詞は・・・」

明主様御垂示
「いかんですよ。

つまり、神様と祖霊と同じにすることがいけないんですよ。

祖霊のほうがずっと下だからね。

その区別を著しくしなければならない。

同じ扱いではご無礼と言うよりも、祖霊が苦しむんです。

御賛歌で、あとは構わない。」


信者の質問
「命日には・・・」

明主様御垂示
「命日にもいろいろあります。

新しい仏の命日と、古い仏の命日と違いますからね。

少したくさん祖霊があったら、毎日命日があるということになる。

ただ、法事というのがありますが、そのときのは善言讃詞を奏げて良いですよ。」


信者の質問
「未信者で、御魂をいただき、御屏風観音様をいただけないという者で・・・」

明主様御垂示
「だけども、まあ信者だね。だから、いつも・・・幽世大神に御賛歌で良いです。」


信者の質問
「御屏風観音様を初めていただき、光明如来様はお祀りしておりませんが、御魂鎮めの形式は・・・」

明主様御垂示
「良いですよ・・・初めてのときはね。」




明主様御垂示 「仏壇に善言讃詞をあげてよい場合」 (昭和27年3月10日発行)

信者の質問
「御垂示録第五号に、御仏前のお参りは幽世大神と御讃歌とありますが、命日には善言讃詞と御讃歌をお奏げして良いと承りましたが、いかに・・・」

明主様御垂示
「それで良いですよ。」


信者の質問
「月の命日にも善言讃詞を・・・」

明主様御垂示
「良いですよ。その霊に奏げてやるという気持ちでやるのなら良いですよ。」


信者の質問
「善言讃詞は神様にお奏げするので、区別しなければいけないと御教えいただいておりますが」

明主様御垂示
「それで区別になってます。命日だけやるんだからね。」


信者の質問
「特別に年忌のときだけというのではございませんのでしょうか」

明主様御垂示
「仏壇に奏げてはいけませんよ。命日だって、臨機応変ですよ。

亡くなって間もない霊とか、三十回、五十回忌までは良いですが、それより古いのは、もう良いですよ。」


信者の質問
「御屏風観音様を初めて御奉斎いたしますときには・・・」

明主様御垂示
「良いですよ・・・初めてというのでね。意味があれば良いんです。」




明主様御垂示 「お屏風観音様未奉斎仏壇における善言讃詞」 (昭和26年7月8日)

信者の質問
「屏風観音を祀ってない場合の善言讃詞のあげ方。」


明主様御垂示
「やはりしまいは、「幽世大神守り給へ幸倍賜へ」をおあげする。

大御神の御は不要で、ただ幽世大神のほうがよい。」




明主様御垂示 「仏壇に対する礼拝」 (昭和24年1月上旬発行)

信者の質問
「仏壇にお参りするとき、善言讃詞の後に「幽世大神守り給へ幸倍賜へ」と「惟神霊幸倍坐せ」とお唱えし拍手をしてもよろしゅうございますか。」


明主様御垂示
「拍手はしないほうがよい。」




明主様御垂示 「御神体拝んで仏界へ通じるか」 (昭和24年6月3日)

信者の質問
「大光明如来様に善言讃詞、御讃歌を奏上すれば仏壇の方へは奏上しなくともよろしいと承りましたが、神界と違う仏界にいる先祖に、どうして通じるのでしょうか。」


明主様御垂示
「観音様は神で仏でどっちへでも通ずる融通無碍で、融通菩薩の御名もある。」