仏壇の供物について


明主様御教え 「祖霊と死後の準備」より (昭和24年8月25日発行)

「(一部のみ引用) 飲食の際は祖霊はそのものの霊を吸収するのである。

しかし霊の食料は非常に少なく、仏壇に上げただけで余る事があるから、余った飲食は地獄の餓鬼の霊に施すので、その徳によって祖霊は向上さるるのである。

故に仏壇へは出来るだけ、平常といえども初物、珍しき物、美味と思うものを一番先に饌供すべきで昔から孝行をしたい時には親はなしという諺があるが、そんな事は決してない。

むしろ死後の霊的孝養を尽す事こそ大きな孝行となるのである。

もちろん墓参法事等も祖霊はすこぶる喜ばれるから、遺族または知人等も出来るだけ供養をなすべきで、

これによって霊は向上し、地獄から脱出する時期が促進さるるのである。」




明主様御教え 「霊界の構成」より (昭和22年2月5日)

「(一部のみ引用) 上段地獄は、地獄の刑罰が済み、八衢へ昇ろうとする一歩手前であるから大方は軽苦で労作の如きものである。

例えば各家の神棚、仏壇等に饌供した食物の持ち運び、または通信伝達、霊の世話役等々である。

ここで右饌供の食物について知りおくべき事がある。

それは霊と雖も、食物を食わなければ腹が減る。

そうして霊の食物とは、すべての食物の霊気を食するのである。

但し現世と違い、極めて少量で満腹するので、霊一人一日分の食糧は飯粒三つくらいで足りるのである。

したがって普通の家庭で饌供された食物と雖もかなり多数の霊人が食しても余りあるくらいであるから、

その余分は餓鬼道の霊達に施与するので、その徳によって、その家の祖霊の向上が速かになるのである。

この意味において祖霊へ対してはできるだけ飲食など供えるべきで、万一祖霊へ対して供養を怠る時は、祖霊は飢餓に迫られ、止むを得ず盗み食いする結果、

餓鬼道へ落ちるかまたは犬猫の如き獣類に憑依して食欲を充たそうとする。

それがため畜生道へ落ちるのである。

すべて人霊が畜生へ憑依する時は、悪貨が良貨を駆逐するように、漸次人霊が溶け込み、獣霊の方へ同化してしまう。

この人獣同化霊が再生した場合その獣となって生まれるが、これは生来の獣霊とは異なり人語を解する。

よく馬、犬、猫、狐、狸、蛇等に人語を解するのがあるが、これらは右の如き人獣同化霊の再生である。

この同化霊は獣類になってある程度の修業が済むとまた人間に再生するのである。」 (全文は「天国と地獄 2」のページ)




明主様御講義 「地 獄」より (昭和10年8月15日発行)

「(一部のみ引用) 餓鬼道には供養されない霊が行くのである。

又強欲非道の霊もこの道である。

これは強欲の為に人を苦しめ悩ますからである。

供養の事については、色々の霊は喰うのであるが、本当の神様は食物は召上がらんで、反って神饌(しんせん)物に霊気を入れて下さる。

大神様は森羅万象皆自分のものであるから人の上げるものなぞ召上らんでも良いのである。

召し上りたければ何んでも召し上がれる。

それも決して盗み喰いするのではない。

これに反し餓鬼は店に並べてある食物等やたらに喰う。

この為に店に列べてあるものは不味(まず)くなるのである。

今までの神様は人間の上げるものを食するだけの神様であったのであると言う事がよく判るのである。


畜生道へ落ちる霊は餓鬼道の霊が犬猫の食物を喰っているのを横から取って食べる様なのがあるが、

それが獣と霊がくるみ合って終い、畜生道に落ちるのである。

犬や猫の中によく人間の用をするのがあるが、

これらの霊が生れ更って来たもので人の用をして罪を赦されて次には人間に生れ更るのである。

その霊は人間に祀られるから自然それと同様に霊がくるみ合っている為、

同様に祀られてこの次に生れる時人間に生れてくるのであってこれを転生という。」 (「観音講座 第四講座」より。全文は「地 獄」のページ)




明主様御垂示 「お供物の意義」 (昭和23年6月28日)

「お供物に箸をつけるのは先祖・・・仏だけである。

観音様は人間と同じでよい。裏面の目立たぬ場合は、観音様の方へ向けるべきである。神様には違う。

お供は長く上げておくのは不可である。

祝詞が終えて、すぐ下げてよい。

お屏風をお祭りしてある仏壇のお供えも、御先祖に上げる意味で、お観音様に上げる意味はない。

幽世大神は観音様の家来である。

仏壇、屏風へも拝む。」




明主様御垂示 「仏壇の鐘はご馳走を上げる合図」 (昭和24年2月8日)

信者の質問
「仏壇の鐘は叩いたほうがよろしいでしょうか。」

明主様御垂示
「ええ、叩いたほうがいいです。これはごちそうを上げる合図だから。」


信者の質問
「お供え物をお上げしたとたんに叩くべきでしょうか。」

明主様御垂示
「とたんでなくてもいいですよ。お供えしたら急に便所へ行きたくなったというときは便所へ行ってきてから叩いたらいいんですよ・・・」




明主様御垂示 「仏壇の鐘はご馳走を上げる合図」 (昭和23年4月8日)

「(仏壇の)鐘を叩くのは、いまごちそうを上げるという合図です。

食物を供えると霊界ではちゃんと係がいてね、食物を運搬するんです。

朝お祀りしても祖霊が来ますよ。

ちゃんと何百人も来ます。

そんなに大勢集まってもほんのこれっぽっちの大きさです。

なにしろ霊は伸縮自在ですからね。」




明主様御垂示 「仏壇の供物」 (昭和23年12月10日発行)

「御仏壇の扉は夜昼ともに開けて置かなければなりません。

御仏飯は一個だけお供えすべきものです。

二個あるいは数個お供えする方がありますが無意味です。

一個山盛りにしてお供えすべきです。

お花は数種取りまぜて賑やかにおかざりいたしましょう。

天国は「万華馥郁地に薫じ」とあります。

その型です。上等な花一種よりどんな花でも取りまぜてお供えすべきです。

ただしバラやアザミのような、とげのある花はいけません。

煙草やお酒もお供えすべきです。

煙草は一本にマッチ函(ばこ)を添えてお供えすればよいのです。」




明主様御垂示 「仏壇の供物」 (昭和25年4月22日)

信者の質問
「御屏風観音様をお迎えし御祀りさせて頂きます時、

御屏風観音様へのお供物の仕方に付御教えを賜わりたくお願い申し上げます。

また日常は祖霊様の御膳だけで宜しゅう御座いましょうか。

それとも御屏風観音様にも特別の御膳をお供えするのが本当で御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

なお御屏風観音様をお迎え致しました時の御祭りの際は二拍手で御座いましょうか。三拍手で御座いましょうか。御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「上等の台一つに差上げればよい。

場合により、観音様の方はなくともよい。

観音様に御守護を願う意味であるから、御無礼にならぬ程度の形でする。

それより上等のもの一つでいいから観音様に先にお上げして拝む方がよい。

観音様の礼拝は三拍手。次に祖霊は二拍手である。」




明主様御垂示 「仏壇の供物」 (昭和26年7月8日)

信者の質問
「御仏壇に供物をおあげする場合の注意。」


明主様御垂示
「屏風観音を祀ってある場合、お膳は屏風観音と祖霊様と二つおあげするのが本物である。

しかし仏壇が小さい場合、やむを得ず、すなわち、お膳を一つだけあげると祖霊はお許しを得ていただくことになる。

二つあげると祖霊は自由に食べる気軽さがある。

しかし、すべて家に相応していないと霊は苦しむもので、仏壇が大きいのに、なにもあがってないなんて苦しみますよ。

これはね、霊界の祖霊の中で、八衢あたりの霊が物を運搬する役目の者がいる。

この者が御用することによって位が上がるのである。

その功徳によって向上するのであるから、お仏壇には、きれいな花とお供えものはあげておくべきである。」




明主様御垂示 「仏壇のご飯は一つでよい」 (昭和23年10月21日)

信者の質問
「和歌山県のある信者が、お詣りに参っている留守中、家族が仏前に御飯を三つ御供え致しましたところ、

その留守中三日間共右の端の一つが消えて無くなりました。

何か霊的に意味が御座いましょうか。御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「祖先に三つお供えするのは嘘である。

一つでいいので、それを警告したのであろう。

物質がなくなる事はあり得る。狐に頼むのである。」




明主様御垂示 「仏壇に何をお供えすべきか」 (昭和25年5月11日)

信者の質問
「仏壇に対するお供物の種類につきまして、生前の好物で御座いますならば何をお供え致しましても宜しゅう御座いましょうか。お伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「何でもという訳じゃいけない。普通皆が食べるものならよい。」




明主様御垂示 「仏壇に生臭いもの、酒を上げてもよい」 (昭和23年3月8日)

信者の質問
「仏壇へ生臭いものを上げるのは?」


明主様御垂示
「かまわない。酒だっていいですよ。」




明主様御垂示 「供物に玉ねぎはよいか」

信者の質問
「御供物に玉葱、葱の類等はなぜ禁ぜられますか。」


明主様御垂示
「御供物に玉葱を禁ずるという事はないが、霊によってはあの匂いを非常に嫌うのがある。臭いから嫌うのであろう。線香は喜ぶ。」




明主様御垂示 「仏壇のお供えには箸をつける」 (昭和23年6月28日)

信者の質問
「御軸に対しまして合掌してから頭を下げる人と合掌せずに頭を下げる人とありますが、いずれがよろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「手を合わせてから頭を下げるほうがよい。

お供えものは人間のほうへ向け人間が見やすいようにするのが本当です。

神と人間と両方満足するように。

ドイツの哲学者のオイケンはこれについて「人間が満足するために神を祀るのである」と主張していました。

気持ちをやはり神様に上げることです。

神様のお供えには箸はいらない。

御先祖には向こう側(仏様の側)に箸をつける。

観音様の御軸に対するお供えは箸を観音様のほうにおいたらよろしい。

お供えものを神様は召し上がるというより霊を入れてくださる。

祖霊は食べます。

お供えしておく時間はあまり長すぎてもいけずすぐ下げてしまうのもいけない。

お供えして祝詞を上げてそれが終わったら下げたらよろしい。」


信者の質問
「会員の方々がお供えをした場合は・・・」

明主様御垂示
「三十分か一時聞くらいお供えしておいたらいいでしょう。

あまり長くおいてもホコリがたかったり品物が痛んだりしますから。」




明主様御垂示 「新仏には一年間水を上げる」 (昭和27年8月1日)

信者の質問
「仏壇に毎朝お茶を上げますが、それ以外にお水を上げますことはいかがでございましょうか」

明主様御垂示
「それは新仏には上げるのです。一年間くらいは水を上げたほうが良い。」


信者の質問
「その場合朝だけでよろしいので・・・」

明主様御垂示
「良いです。」




明主様御垂示 「仏前には水のお供えが必ず必要」 (昭和23年)

「供物は、高級の神はそれに霊気を入れて下さる。それを戴くと病気が治る。

天理教は水、金光教は米、大本教、黒住教など皆そうで、相当力がある。

そういう神をお迎えする事は、よほど良い宗教でなくてはいけない。

観音様はお上りになるが、極く僅かである。

後は霊気を入れて下さる。

仏前は水を上げなくてはならぬ。必ず必要である。

ただ上げ方で、上げる人の気持である。」




明主様御垂示 「餓鬼道の死霊と供養」 (昭和23年)

「霊界で腹が減っている餓鬼道へ堕ちた死霊で、死んだ時の状態を表わす。

よく査べて、仏様へ毎日食物を上げる。

新しい霊はよく喉がかわく。」




明主様御垂示 「御神体のお下がりを仏壇に上げてはならない」 (昭和24年11月21日)

信者の質問
「御神体にお供えした珍らしい果物やお菓子等を再び仏壇にお供えしてはいけないもので御座いましょうか。御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「いけない。食物は御用を足したのであるから、祖先に対しても悪い。吝嗇になる。」




明主様御垂示 「御神体のお下がりを仏壇に上げてはならない」 (昭和24年8月23日)

信者の質問
「教導所と自宅と別々の場合、大光明如来様にお供えした果物や御花等を自宅の仏壇にお供えする事はどうでしょうか。

また、その場合御屏風観音様をお祀りしてない時にはどうでしょうか。」


明主様御垂示
「そんなしみったれな事をしなくともよい。別々にすべきものである。」




明主様御垂示 「御神体のお下がりを仏壇に上げてはならない」 (昭和23年7月18日)

信者の質問
「観音様(註 御神体のこと)のお余りを仏壇へお供えするのは・・・」

明主様御垂示
「観音様のお余りは人間がいただくべきです。」


信者の質問
「よそから果物なんかいただいて両方にお上げできぬときは・・・」

明主様御垂示
「そんな場合は切って大きいのは観音様へ、小さいのは仏壇へ上げればよい。」




明主様御垂示 「御神体のお下がりを仏壇に上げてはならない」 (昭和26年8月8日)

信者の質問
「信者さんが、なにか御神前にあげたものを、あとで別けて仏壇にあげるのはいかがでしょうか」


明主様御垂示
「それはわけが解らないな。

やはり、それはみんなで別けて食べて、御先祖は他のをね・・・つまりそのものは一度使ったんだからね。別けていただくと良い。」




明主様御垂示 「他家の仏壇のお下がりを仏壇に上げてはならない」 (昭和24年8月19日)

信者の質問
「近所の方から仏様のお下りですから召上って下さいと果物や菓子を頂戴した場合、これを再び仏前に供えることはいけないでしょうか。」


明主様御垂示
「いけない。霊が抜けているから怒る。先祖を侮辱している。お初物を上げるべきだ。」




明主様御垂示 「供物の回数を減らす場合には祖霊に予めお断りすべき」 (昭和24年8月12日)

信者の質問
「私の家では日に三度仏壇に供物を上げておりましたが、ある日お昼を一回だけ抜かしましたところ、

その夜半三才の長男が気ちがいのように叫び、いか程あやしても何の効果も御座いませんでした。

身体にも異常は御座いませんでした。

仏壇に三度三度の供物が荷になりますが、やはりこれは続けるべきで御座いましょうか。御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「これはお断りすればよい。

だまってしたからで、黙ってやるのは違反であるから気付かしたのである。朝だけ一度だけでよい。

「これから朝だけにする」と、大先生(註 明主様のこと)の御命令という事は絶対いけないが(あれは軍隊語であり信仰のそれでない)御注意でとか思召しで一回にすると言って断る。」




明主様御垂示 「狐霊が先祖のフリをした事例」 (昭和26年8月5日)

信者の質問
「御先祖の霊が出て、霊界は変ったから、御仏壇に供えるごはんを、今までのでは少ないから普通の茶碗で供えるように言われましたが、そのようにしてよろしいでしょうか」


明主様御垂示
「祖霊ではなく、狐か狸の霊です。

自分が食べたいからだろう。いばってるね。

一時的の要求なら餓飢道に落ちた祖霊がする場合もある。」