仏壇の礼拝について
明主様御垂示 「仏壇の礼拝方法」 (昭和24年2月4日)
信者の質問
「御仏壇に御屏風観音様を御祀りさせて戴いております。
朝夕御観音様の御礼拝並に祖霊様への御挨拶の仕方を御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「仏壇へ祭った観音様へは、祝詞を奏げる要はない。
光明如来様に礼式する。
祖霊は拝む気持だけでよい。」
明主様御垂示 「仏壇の礼拝方法」 (昭和23年12月11日)
信者の質問
「今回御礼拝の方法が変りまして、善言讃詞だけで宜敷いそうで御座居ますが、
仏壇に向っては拍手の代りに鐘を鳴らした方が宜敷いので御座居ましょうか。
また、各分会、本部で月並祭の際、祭壇を設けておりますが、
今後御祭りの方法はいかようにさせて戴いたら宜敷う御座居ましょうか。
御教えの程御願い申し上げます。」
明主様御垂示
「元来礼拝に拍手の要はない。
騒音にもなる事もあるから、反って無音の方がよい。
拍手は嘘で、鐘を鳴らせばよい。
これは食物を上げた時の合図である。
祝詞の場合は鳴らす要はない。
霊界でも仏界は薄くなるので仏の形式を嫌がる。
お祭法式は変らぬ。神道形式をやめるだけである。
仏壇は普通合掌だけである。
仏の方なら安全な訳である。仏そのままの形式も合わぬ。新形式出す迄にもゆかぬ転換期である。まだ早い。
地球の転換期故、すぐという訳にゆかぬ。今転換期で、古いものが滅び、新しいものが生れる時である。」
明主様御垂示 「朝夕拝と仏前の唱え言」 (昭和24年6月9日)
信者の質問
「月例祭及朝夕の礼拝と御仏前の礼拝につきまして口頭にて御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「朝拝は天津祝詞、夕拝は善言讃詞でよい。
仏前へは幽世大神守給へ幸倍給へ、惟神霊幸倍座世だけでよい。」
明主様御垂示 「仏壇の礼拝方法」 (昭和25年3月22日)
信者の質問
「御仏壇のお参りの場合、従来は朝は祝詞、晩は善言讃詞をお奏げ致しておりましたが、
幽世の大神様にお願い申し上げるだけでも宜しいので御座いましょうか。
今一度御仏壇に対する正しいお参りの仕方につき御教えを賜わりたくお願い申し上げます。
なお御讃歌を毎朝夕お奏げ致します事はいかがなもので御座いましょうか。お伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「幽世大神守給へ幸倍賜へ、惟神霊幸倍坐世と奏上す。
仏壇へ御讃歌を奏げるのは結構である。
善言讃詞を奏げてもよい。」
明主様御垂示 「仏前に天津祝詞を奏げてはいけない」 (昭和24年10月28日)
信者の質問
「朝拝の時御仏前にも、天津祝詞を申し上げて宜しゅう御座いますか。
そして善言讃詞をも上げるので御座いましょうか。」
明主様御垂示
「仏前には天津祝詞を奏げてはいけない。
神道の方ではないから必要はない。
善言讃詞は奏げてもいいがその要はない。
御讃歌は非常に祖霊が喜ぶ。二、三首でよい。」
明主様御垂示 「仏前に天津祝詞を奏げてはいけない」 (昭和24年7月18日)
信者の質問
「私の家では屏風観音様を頂き仏壇に御斎りしております。
そして毎朝祝詞を奏上しておりますが、また毎月仏の命日には御坊様に御詣りしてもらっております。
それは必要のない事で御座いましょうか。御教え下さい。」
明主様御垂示
「光明如来様に毎日祝詞を奏上し、仏様へも毎日奏げるのは高下がつかぬ。祖先としてはよくする程苦しい。」
明主様御垂示 「仏壇礼拝時の御神名」 (昭和24年1月28日)
信者の質問
「御仏壇にはなんと申し上げたらよろしゅうございましょうか。」
明主様御垂示
「幽世大神と称えたらいいですよ。拍手はいりません。」
明主様御垂示 「仏壇礼拝時の御神名」 (昭和24年8月18日)
信者の質問
「日々仏壇へ参って、お唱えする言葉を御教え下さい。」
明主様御垂示
「幽世大神守給へ幸倍給へ、惟神霊幸倍座世でよい。
念被観音力を三遍でもよい。
御屏風を奉斎してある場合は、幽世大神守給へ幸倍賜へ、の方がピッタリしている。」
明主様御垂示 「仏壇には拍手をしない」 (昭和23年12月21日)
信者の質問
「仏壇に御詣りする時、善言讃詞の後に「幽世の大神守り給へ幸倍給へ、惟神霊幸倍坐世」と奏げさせて頂き二拍手しましても、宜敷う御座居ましょうか、御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「拍手はしない。合掌礼拝する。」
明主様御垂示 「仏壇礼拝時の拍手の回数」 (昭和23年2月8日)
「仏壇には拍手を三つ打つ。
神道では五十日祭までは拍手の音を立てないが、こっちでは音を立ててかまわない。
仏は現界でないから二拍手が本当かもしれませんが正式は三拍手、日月地だから三がよい。
いままでは地がなかったんですから・・・
結婚や葬式の形式も作りたいと思ってます。
身体がすっかりよくなったらそういうのを作りたい。・・・」
明主様御垂示 「仏壇礼拝時の拍手の回数は二回」 (昭和23年11月12日)
信者の質問
「御先祖様を礼拝いたします時も三拍手でございましょうか。」
明主様御垂示
「三拍手は火水土を表わしている。
祖霊は体がなく、即ち土がないから二拍手である。」
明主様御垂示 「仏壇礼拝時の拍手は無音で二回」 (昭和24年6月19日)
信者の質問
「御仏前の鐘は鳴らすと鳴らさぬのといずれが正しいのでございましょうか。」
明主様御垂示
「鐘は霊界への合図であるから鳴らすべきである。
霊界の事はすべて二つである。
祖霊の場合二拍手で音をさせない。」
明主様御垂示 「仏壇礼拝時の拍手の回数は二回」 (昭和26年8月8日)
信者の質問
「仏壇の拍手はいくつでございましょうか」
明主様御垂示
「二つです。霊界は、「神幽現」の「現」はないから二つです。
御神前の場合は、神道では四つですね。二つずつ二回やる。
坊さんでもあるが、あれは今まで六と七だけだったからです。
ところが今度は五が増えるから、メシヤ教は三つにする。」
明主様御垂示 「仏壇礼拝時の拍手の回数は二回」
信者の質問
「祝詞の場合
日月地の大御神・・・
惟神霊・・・
とおあげいたしますか、それとも
日月地の大御神・・・
大光明如来・・・
惟神霊・・・
とおあげいたしますか、
またお仏壇にお詣りの時、祝詞または善言讃詞の後に、幽世の大神守り給へ幸へ給へと申し上げるのですか、その場合拍手は三拍手でしょうか。」
明主様御垂示
「光明如来から日月地大神になられる。光明如来は仏である。
仏は夜になるから、夜は大光明如来の御名を称える。
神様は朝になるから神名は朝お称えする。
そしてお祈りの時は両方奏上するのである。
仏壇は「幽世大神守り給へ幸へ給へ」だけでよい。
祖霊を拝する場合の拍手は二拍手である。体がないからである。
人間は神幽現の三界に呼吸しているからすべて三つになるが、祖霊の場合は神幽のみになる。
今迄は四拍手であった、これは夜の世界であったので日がなかった。
それを今度は日が出て昼になったから三拍手となる。」
明主様御垂示 「仏壇の礼拝と拍手」 (昭和24年10月16日)
信者の質問
「神前にては拍手致して参拝致しますが、仏前にては拍手をせず参拝致します。その理由を御教示御願い致します。
また仏壇の鐘を二つ鳴らす意味を御説明御願い申し上げます。」
明主様御垂示
「仏の形式は印度で出来た。釈迦が元祖である。
仏というものは消極的で、仏教を徹底さすと隠遁生活になる。
男女同権というが、仏教では、外面女菩薩、内面女夜叉という。
山岳仏教というのは(役の行者など)女人禁制で、最近漸く禁を解いて登った。
その位消極的であるから、拍手などは釣り合わぬ。
陰―死―仏道。陽―生―神道。
生れた時は産土へ詣る。そういう点が拍手にも関係する。
鉦は、霊は仏界であるから、二つでいい。神道でも二つ。 五六七の体がない。」
明主様御垂示 「仏壇に礼拝する際には鐘を鳴らす」 (昭和24年7月3日)
信者の質問
「仏壇におまいり致します時、鐘をならし念仏を唱える事は今後致しません方が宜しいでしょうか。御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「祖霊への合図であるから、鐘は鳴らさなくてはいけない。」
明主様御垂示 「仏壇への願言」 (昭和24年10月24日)
信者の質問
「仏壇に向っての朝礼の際「今日も自分がやらせて戴く人の救いに対し霊界にある各霊位の御援助を御願い致します」と言うような事は霊界に通じますものでございましょうか。」
明主様御垂示
「通じるが黙っていても一生懸命でやる。」
明主様御垂示 「祖霊様に対するお願いの是非」
信者の質問
「朝祖霊様に「御先祖様から皆様に御分ち下さいませ」と言葉に出して供物を上げるようと承っておりますが、
同時に御挨拶にて、どのような意味の事を申すのがよいでしょうか。」
明主様御垂示
「特殊の場合はお願いしてもよい。して悪い事はない。
光明如来様にお願いするのは結構である。
先祖に関係した事をお願いするとよい。
重要な事のみお願いする。
一年に一度か二度でよい。」