仏壇の作法について


明主様御垂示 「仏壇上に物を置いてはならない」

信者の質問
「最近祖母の法事をした翌日より子供が風邪のお浄化を頂き、食欲なく熱が一週間以上も下らぬので何か霊的な戒告ではないかと考え色々調べた所、

仏壇の上に物がのっており、早速お詫びして除きました所、翌日より食事を少々頂き、熱も下り始めたが未だはっきりしません。

お祭りしてある光明如来様はある信者が以前お祭りしていたが死亡したので、譲り受けお祭りしたものです。

このため、御神体はあるいは汚れているのではないかと心配しています。

子供の病気は主人が不熱心なため祖霊の戒告かとも思われ、御神体に御無礼があるためかとも思い祖母の霊と関係あるかとも考えますがどうでしょうか。」


明主様御垂示
「こういう場合、支部長などに訳を話し、御神体は当方へ持って来て浄めるとよい。

無断でやると順序を過る。神様の事は出鱈目や思いつきは許されぬ。

仏壇の上などそんな物置いてはいけない。物を置くと物おきになる。花生けとか置物、香炉などならよい。物置にするとズーッと光が薄くなる。

子供の治りの悪いのは主人公が熱心でないためで、大勢の人が拝むと神の光は強くなる。威光が出る。」




明主様御垂示 「仏壇の扉を閉めるのは大間違い」 (昭和26年9月5日)

信者の質問
「四国の剣山の麓では仏壇の扉はしめたままで、お供えするときは開けておりますが、これは開けておいたほうがよろしいのでしょうか」

明主様御垂示
「無論開けておいたほうが良いです。

祖霊に聞かしておいたほうが良いです。

閉めるのはたいへんな間違いですね。」


信者の発言
「そういう習慣だそうでございます」

明主様御垂示
「単に習慣といってもね。

先にも・・・祖先に話してやらなければならないと言うので、ろくでもない話をしていた。

今までの人間の習慣は、ろくでもないことが多いですからね。

それから、霊ですからね聞きたければ出てきて聞けばよいようなものだが、閉めてあるのを出てくると、忍びでるということになり、霊界では許されない。

開けてあって、はじめて聞けるというものです。」




明主様御垂示 「仏壇の扉は始終開けておくべき」 (昭和26年11月8日)

信者の質問
「仏壇の戸は開けておくのと、閉めておくのは、どちらが・・・」

明主様御垂示
「始終開けておくほうが良いですね。

夜は閉めたほうが良い。

ねずみが入るとか虫が入るとかするから、夜は閉めて良いが、昼は開けておく。」


信者の質問
「月例祭のとき、お祀りする際仏壇の戸を開けておけば、あとで仏壇にする必要がないということを聞きましたが・・・」

明主様御垂示
「そんなことはありませんよ。

そのときのお祭りの目的は、光明如来様にお祭りするんです。

だから御先祖とは違います。

区別されなければならない。」




明主様御垂示 「仏壇の扉は夜閉めろ」 (昭和23年5月28日)

「仏壇の扉は夜閉めたほうがよいでしょう。ネズミが入るといけないから。」




明主様御垂示 「自宅兼布教所における仏壇の取り扱い」 (昭和29年4月1日)

信者の質問
「教会の御神前の隣の部屋に個人の仏壇がありますが、

なんとなく個人のものと公の教会との調和がとれないように思われます。

ふだん朝夕礼拝しますが、その間は、押入のような所などですと、閉めておいてよろしいものでしょうか。

あるいは開けておくべきものでしょうか」

明主様御垂示
「それは開けても閉めても大したことはないのです。

その部屋の状態からいろんな具合によって、開けておいてよい場合は開けて、閉めたほうがよいという場合には閉めてよいです。

例えてみれば、その部屋で何か仕事をしてホコリをたてるとか、いろいろ部屋を乱すというときには閉めておいたほうがよいです。

それから人が出入りをしないで静かなときには開けておいてよいです。

それから教会の場合には今のと違うのです。

教会の場合は御先祖様は次の間がよいです。

一緒ではいけないのです。

けれども、そうはいっても、一間しかなくてどうしてもそういうことができない場合にはしかたがないです。

そういう場合には、あんまりスソでも御祖霊さんに悪いし、そうかといって神様にあんまり接近しては、どうも恰好が悪いという場合には、それ相当の部屋の位置を決めるのです。」


信者の質問
「そのような場合に、御浄霊とか研究会をするときには閉めておいて差し支えないものでございましょうか」

明主様御垂示
「そういう場合には閉めたほうがよいのです。

御祖霊さんには関係ないのですから、遠慮しているべきですから、閉めたほうがよいです。」




明主様御垂示 「仏壇の破損は修理すべき」 (昭和24年8月18日)

信者の質問
「私方の仏壇の阿弥陀如来様の仏像が、少々破損致しておりますので修理を致したいと思いますが、

平素仏壇をいじると家の誰かが死んだり、不吉の事が起ると聞きますがいかにすれば良いでしょうか。御教え下さい。」


明主様御垂示
「よくこういう事をいうが迷信である。何でもない。破損は修理した方がよい。」




明主様御垂示 「備え付けの仏壇は中古でも使用してよい」 (昭和24年12月20日発行)

信者の質問
「新たに買い入れた家に前の人の使用した備えつけの仏壇があります場合、いかがいたしたらよろしいでしょうか。」

明主様御垂示
「備えつけならかまいませんよ。」


信者の質問
「お浄めはどういたしたらよろしいでしょうか。」

明主様御垂示
「祝詞を上げてね、お浄めは・・・ハタキでホコリを払ったらいいんです。(笑声)」


信者の質問
「とても立派な御仏壇なので、どうしたものか困っておりますので・・・」

明主様御垂示
「立派なら大いに結構です、困る必要なんかちっともありませんよ。(笑声)」




明主様御垂示 「中古の仏壇を信者に譲ってよい」 (昭和26年10月8日)

信者の質問
「仏壇を大きくしまして、前の小さいほうは、信者さんで欲しいと言う人に譲ってもよろしいでしょうか」


明主様御垂示
「譲って良いです。不用品ですからね。」




明主様御垂示 「中古の仏壇の使用も可なり」 (昭和25年5月11日)

信者の質問
「分家致しまして仏壇を新しく作り御祀り致したいと思っておりましたところ、親戚にて旧い仏壇を譲ってくれると申しておりますが、いかなるもので御座いましょうか。お伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「古いのでも構わない。」




明主様御垂示 「仏壇の鐘・線香」 (昭和23年2月18日)

「仏壇の線香や鐘はいままでのようで結構です。」




明主様御垂示 「線香について」 (昭和26年10月8日)

信者の質問
「仏壇の灯明、線香、鐘などはそのままでよろしいでしょうか」

明主様御垂示
「良いです。」


信者の質問
「線香は何本がよろしいでしょうか」

明主様御垂示
「何本ということはないが、普通三本くらいで良いでしょう。別に意味がありません。

つまり香です。極楽浄土の形にするんですから、線香と言うのは、香だって良いんです。

法事や何かのときは香でしょう。

あれで良いんです。」




明主様御垂示 「線香の本数」 (昭和25年11月25日発行)

信者の質問
「仏様のお線香は、どうして二本立てるのでございましょうか。」


明主様御垂示
「線香は別に二本とは限らない、一人一本ずつ立てればよろしい。」




明主様御垂示 「仏壇に灯明を上げたほうがよい」

信者の質問
「御仏壇にお参りする際に、御灯明とお線香をあげるのが本当でしょうか。」


明主様御垂示
「灯明は上げた方がよい。仏界は暗いからである。」




明主様御垂示 「仏壇の献餞具は塗り物がよい」

信者の質問
「神様の御用のための三宝は塗り物でも宜しいのでしょうか。右御教示御願申し上げます。」


明主様御垂示
「三宝は、神様の場合は白木が本当である。

土器も素焼でなくてはいけない。

つまり、神様は極く古い時代、何千年前か何万年前人間の姿で現界に生れた事があるので・・・。

霊界に長くいて、今以て人間として生れぬ神様がある。そこでやはり神代時代に地上で生活した。その時のやり方を知っている。

そういう意味から、どこまでも神代時代の器物を使うのである。

必ずしもそれでなくてはならない事はないので、供物はすべて神様の方より人間の方で気持がよいという意味になる。

仏の方はすべて塗ったものがいい。

三宝でも塗ったのがあるが、これは大黒様などには、これで上げるといい。」




明主様御垂示 「仏壇の鐘について」 (昭和23年12月11日)

信者の質問
「今回御礼拝の方法が変りまして、善言讃詞だけで宜敷いそうで御座居ますが、

仏壇に向っては拍手の代りに鐘を鳴らした方が宜敷いので御座居ましょうか。

また、各分会、本部で月並祭の際、祭壇を設けておりますが、

今後御祭りの方法はいかようにさせて戴いたら宜敷う御座居ましょうか。

御教えの程御願い申し上げます。」


明主様御垂示
「元来礼拝に拍手の要はない。

騒音にもなる事もあるから、反って無音の方がよい。

拍手は嘘で、鐘を鳴らせばよい。

これは食物を上げた時の合図である。

祝詞の場合は鳴らす要はない。

霊界でも仏界は薄くなるので仏の形式を嫌がる。

お祭法式は変らぬ。神道形式をやめるだけである。

仏壇は普通合掌だけである。

仏の方なら安全な訳である。仏そのままの形式も合わぬ。新形式出す迄にもゆかぬ転換期である。まだ早い。

地球の転換期故、すぐという訳にゆかぬ。今転換期で、古いものが滅び、新しいものが生れる時である。」




体験談 霊に聞く (地上天国 4号 昭和24年5月25日発行)

霊界人はリンを嫌がる

場  所 兵庫県佐用郡○○町家内
日  時 昭和二十三年七月二十三日午後及二十九日夜
お浄霊者 TK氏
受けし人 TA子さん(二十三才)
憑った霊 祖父

問「貴方は何故この肉体に憑りましたか」

答「本年二月十七日佐用の鎌井様のお宅で、この肉体は思いも寄らぬ観音力を戴き、観音様を御祭りして戴き、嬉しくてうれしくて歓びに出て来ました。」


問「貴方は観音様をお祭りして戴く前、霊界のどこにおられましたか。」

答「地獄の十段目におりました。」


問「どんな仕事をしておられましたか。」

答「軽微な労働をしていましたが、遊ぶ暇はありません程でした。」


問「今はどこにおられますか。」

答「中有界の十五段目におります。」


問「どんなお仕事をなされていますか。」

答「上からお聞きした事を下の者に話しています。他には何にも仕事はなく遊んでいます。」


問「霊界は天国中有界地獄各六十段に分れ、全部で一八〇階級に分れ、その上に最上天国かありますね。」

答「はい、その通りです。」


問「霊界は随分明るくなって来ましたか」

答「はい、そうとも、私も生きていた間は地獄、極楽はこの世にありと思っていましたが、決してそんなものではありません。

霊界の生活が現界の生活の何層倍長いものか、私は皆の者に何とか知らせてやりたい。

若い娘や年寄りの男女があの針の山を痛々しく歩いている姿を見、大きな釜の中に毎日数千人もの霊が入れられて行く様子を見て私はじっとしていられない、

地獄の霊は何とか救って貰いたいと一生懸命になって現界の者に知らせている。

私は先の事がよく判るから余計じっとしていられない。

何とか一日も早くこの肉体の父母が観音力を戴いて貰いたいの一心です。」


問「今物や金があっても仕方がないと思われませんか。」

答「そうです。皆の者にこんな大きな家を建ててやり、今では不自由なく暮しておりますが、そんな時ではありません。

今いくら物や金があっても駄目です。こんな家があってもちょっと地震が起ればペチャンコです。

立派な額があがっているようですがこんな物紙屑にもなりません。

天幕張りをしてもよい木の根を食べてもよい、大光明如来様の御神体と観音力を皆の者が戴き、屏風観音様を戴き御額をいただく事です。

これだけあれぱ何も他にはいらない。何よりの宝です。

今一生懸命田畑を耕しているが今年の米も食べられるかどうか判らない。病気だけで人は死ぬのと違う。


問「ではあなたは東京へでも米国へでも行こうと思う所へはいつでも行けますか。」

答「どこへでも行けます。」


問「では世界の情勢は御存知ですか。米ソの関係は御存知ですか。」

答「判るとも判るとも。」


問「では米ソの関係は如何ですか。」

答「紙一重です。」


問「開戦についてはどうです。」

答「大体○○頃です。」


問「日本の内閣及国会は現状で続きますか。」

答「どちらも○○頃には変るでしょう。」


問「あまり永くおられては御肉体は苦しみますから、他に何か言いたい事があれぱおっしゃりなさい。無ければ御帰りになればよいですから。」

答「どうかくれぐれもこの肉体の父母が一日も早く観音力を戴き、御神体をお祭りするよう言って戴きたい、そうすれば私は天国へ引上げられます。」


問「よろしいよく御伝えして上げます。祝詞善言讃詞をお唱えすればどうですか。」

答「大変救われます。特に御讃歌をあげて戴けば何とも言えない気持です。

またお詣りの時リンをたたかれますがあれは何とも言えぬ耳障りです。

でもまだ家の者が皆わかりませんからなさらないようにはいえませんが、一日も早く観音力を戴くようくれぐれも念願い致します。

九月になれば必ず父母から頭を下げて来ますが九月ではおそいのです。

八月中ぜひお力を戴くよう伝えていただきたい。

A子よ随分苦しいだろうがもうしばらくの辛棒だ。

頑張ってお道のため人を救ってくれ、一年すれば必す幸福な日が来るからどうか頑張ってくれ。」


問「では父母によくお話をして貴方がこういっておられる事をお伝えしてあげますから安心してお帰り下さい。」

答「どうか観音様お願い致します。前に観音様が立っておられる。A子の後にも観音様が立っておられる。観音様どうかお願い致します。」


なお第二回目には同様TA子さんの父母の受講を懇願された後、本年○○月○○日には大変事が起る事は知らされているが、中有界の霊ではそれがどんな事かは教えられない。天国の霊は知っている旨の事を申しました。」




参考 明主様御垂示 「霊界における教修 仏壇にお金をあげた事例」 (昭和24年2月22日)

信者の質問
「霊界でも現界のような教修をしているものでしょうか。

私の方に死んで行った子供が夢で「講習を受けるから御金を下さい」と言って来たので、

それではやるから帰れと言って帰し、あくる朝仏壇に千円上げ、これをやるから講習を受けるようにと言っておいたそうです。

するとその晩、今度は死んで行った人の弟の所に夢に出て、息せき切って来たので、何しに来たと言ったら、

夕べお父さんから講習を受けるための御金を貰う事にしてあるから、

今自転車で取りに来たのだと言ったと言う事を聞かされた事が御座います。

なお、右霊界人は結核で観音様の御浄めを頂いて昇天した人です。」


明主様御垂示
「この通りである。教修は霊界の方が盛んである。

教修を受けた霊が大いに働くので発展する。

昔から宣伝や広告の要はないと言ったのは、やはり霊界で拡まるからである。

霊界には貨幣などないから、現界から取寄せるのである。」




参考 明主様御垂示 「線香の要否」 (昭和25年2月23日)

信者の質問
「御線香は大神様へ(イブシ)の意味と伺っておりますがどうでしょうか。」


明主様御垂示
「全然上げなくてよい。上げぬ方がよい。仏であるから、メシヤとなった以上、絶対上げぬ方がよい。」

(註 床の間に線香を上げないほうがよいという意味であると思料される。)