生霊ついて 1 (御論文)


明主様御教え 「生 霊」 (昭和24年8月25日発行)

「こういう事もあった。某大学生に霊の話をしたところ仲々信じない。

「それなら僕に何か憑依霊があるか査(しら)べてくれ」というので、早速霊査法に取掛った。

間もなく彼は無我に陥り、若い女らしい態度でしゃべり出した。

その憑依霊というのは、当時浅草公園の銘酒屋の女で時たま遊びに来るこの大学生に恋愛し、生霊となって憑依したものである。

霊の要求は、「この人はチッとも来てくれないので、逢いたくて仕方がないから来るように言って欲しい」と言うのである。

私も生霊とは言いながら惚れた男のことづてを頼まれたという訳で、まことに御苦労千万な次第である。

そうして覚醒するや彼は怪訝な顔をしている。

私は、「どうでしたか?」ーと聞くと、彼「無我に陥ったのか全然判らなかった。」と言うので、

私はその女の話をしたところ、彼は吃驚して恥しそうに頭掻きかき畏れいって霊の存在を確認したのである。


次に、ある所で若い芸者を霊査した事があった。

すると旦那の霊が出て来たので、私は種々質問したところ、左のごとき事情が判った。

その生霊は某砂糖問屋の主人で、「今晩この芸者に会う約束がしてあったところ、よんどころない用が出来、遇う事が出来ないから明晩遇うという事を伝えてくれ」というのである。

その言葉も態度も、まず四、五十歳位の男性の通りであったから疑う余地はない。

その話をすると、彼女は吃驚した。

自分は無我に陥って何を喋舌ったか全然判らなかったので、私の話により、右の生霊の言う通りに約束がしてあったというのであった。

二十歳位某家の令嬢、私の所へ来て訴えるには、「自分は近頃憂鬱症に罹ったようで世の中が味気なくて困る。」というので、

私は、「あなたのような健康そうでしかも十人並以上の美人でありながら理屈に合わないではないか、何か余程の原因が無くてはならない」と種々尋ねたところやっとそれが判った。

というのは近所にいるある青年がその娘に恋慕し、「手紙や種々の手段で、自分を承知させようとするけれども、私はその青年が嫌いで何回も断わったところ、その青年は始終私の家の付近に来るので、恐ろしくて滅多に外出も出来ない」という。

私は、「その男の生霊があなたに憑くのだ」という事を聞かしたため、彼女もなる程と納得し、

それから漸次快方に向い全快したのである。それは病気でないという事が判ったので安心したからである。


現代人に死霊の存在を認識させるのさえ余程困難であるが、生霊に到ってはなおさら困難である。

しかし疑う事の出来ない事実である以上そのつもりで読まれたいのである。

生霊においてはまだ種々の例があるが、右の三霊だけで充分と思うから後は略すが、生霊は総て男女間の恋愛関係がほとんどである。

そうして右の令嬢の憂鬱症はいかなる訳かというと、相手の男が失恋のための悲観的想念が霊線を通じてそのまま令嬢に反映するからである。

右のごとく生霊は相手の想念が反映する訳である故に、右と反対に両者相愛する場合は相互の霊線が交流し、非常な快感を催すもので、

男女間の恋愛が離れ難い関係に陥るのはこの快感が大いに手伝うからである。

また死霊が憑依する場合は悪寒を催し、生霊が憑依する場合は温熱を感ずるものである。


次に右のような他愛もない生霊なら大して問題ではないが恐ろしい生霊もある。

それは本妻と妾等の場合や三角関係等で、一人の男を二人の女が相争う場合その嫉妬心が生霊となり闘争するのであるが、大抵は妻君の方が勝つものである。

その理由は正しい方が勝つのは当然であるからで、その場合妻君の執念によって妾の方は病気に罹るとか死亡するとか、または情夫を作って逃げるとか結局旦那と離れるようになるものである。

人間の生霊はそれ程でもないが、ここに恐るべきは管狐(くだぎつね)の生霊である。

これは昔から飯綱(いづな)使いといい、女行者が使うのであって、人に頼まれ、怨みを晴らす等の事を引受けるのであるが、

管狐というのは大きさはメロンの少し小さい位の大きさで、白色の軟毛が密生したすこぶる軽くフワフワとしたもので、

その霊は人間のいう事をよく聞き、命令すればいかなる悪事でも敢行するのである。

この飯綱使いは昔から関西地方に多く、その地方では飯綱使と縁組するなというそうであるが、これは少し感情を害しでもすると返報返しをされるからである。

また狐霊の生霊も多く、肉体だけが稲荷や野原に棲居し、生霊だけが活動するのである。」 (「霊界叢談」より)




明主様御教え 「霊的病気の種々相」より (昭和22年2月5日発行)

「(一部のみ引用) ここで生霊について一言する。

死霊の外に生霊の憑依がある。

生霊はそのほとんどは男女関係が原因であって、善悪の二種がある。

善の方からいえば純なる恋愛、たとえば男が女を愛する場合、その生霊が女に憑依すると、女は一種の快感を催すものであるが、

それは女もその男を愛しているからで、もし愛していない場合、すなわち一方的愛の生霊は反対に不快を感ずるものである。

そこに相愛と片愛との異いさがある。

そうして相愛の場合は霊線によって愛の想念が交流するために、その思慕の情禁じ難く、別離している事の苦悩に堪えないもので、

ついに前後を忘れて、情死や駆落ちするまでに到るのである。

しかるにこの際注意や意見等をするがそれは逆効果となり、反って取返しのつかぬ不幸な事態が生ずる危険があるから放任しておくに限る。

何となれば霊線の交流は一時的のもので決して続くものではないからで、恋愛は熱病というが全くそうである。

また片愛の場合、失恋者の生霊が憑依するから、失恋者の想念通りの感じがし、淋しく味気なく憂欝に堪えないのである。


次に悪の場合、本妻と妾との霊的葛藤などが最も多い。

たとえば一方が一方を呪う場合と両方で呪い合う場合とがあり、全く修羅道である。

そうして呪われる結果としてブラブラ病のごときものに罹るが、医診ではもちろん判る筈がない。

これが重症に進み、生命を奪われる事さえある。

しかるにかかる霊が霊界に往くや復讐せんとして生残った相手をたおすに至る事がある。

もちろん霊的で見えざる事とはいいながら、一旦夫婦の道を外し、妾などを蓄える結果、

女の生命まで犠牲にするに到ってはその罪軽からず、大いに慎しむべきである。

そうして死霊の憑依する場合は悪寒を感じ、生霊の場合は反対に温熱を感ずるものである。」 (「天国の福音」より。前文は「病気の霊的分析」のページ)




明主様御教え 「恋愛と霊作用」 (昭和18年10月23日発行)

「男女間における恋愛なるものは、その原因が霊作用である事をしらなければならないのである。

それについて二つの好適例をかいてみよう。

私が未だ実業に従事していた頃、私の事務所で使用していた二十歳位の女子美術学校の生徒があった。

それは私の営業が美術品を扱っていた関係上、その図案の仕事をやらしていたのである。

その名を仮にTとしておく。そのTの所へ、ある日友人である同窓の十八、九歳のUという女性が訪ねて来た。

Tが執務中なので応接室に待たしておいた。私は何気なくそのUなる女性を見た時、あまりにも沈みきっているのに何かしら不安の気持が起った。

どうもジッとしては居られないので、知れないようにTの部屋へ行ってUの挙動について質(たず)ねたのである。

しかし最初はなかなか本当の事を云わなかったが、私が繰返し訊くので、ついに真相を語ったのである。

それはこうである。TはUと相当前から同性愛に陥っていたところ、最近Tの母親が知ったので、母親は厳しく戒しめUとの関係を打切るか、それが出来なければ学校を退学せよという所まで押迫って来たので、

二人はついに相談の結果、今宵を期して情死しようとしUはその迎いにきたというのである。

私は驚くと共に、ともかくTに向って霊査法を行ったのである。

俄然憑霊が出て口を切った。

それは家鴨(あひる)の霊で、その霊の自白によれば「数ケ月前にTに憑依した事。Uに憑いてる霊は鶯であって、その鶯が愛らしくて堪らない。」という・・・その為である事が判った。

私はこの家鴨の霊を叱責戒め、ついに離脱させる事に成功したのである。

その結果Tは、Uを愛する心が全く消え、以前のごとき単なる友人としか思われないまでになったのである。

しかしそれまでに数回霊査法を行った事は勿論である。

ただ私は、その事によって恋愛関係を解決する場合、一方だけの処置でよい事を知ったのである。


今一つの例としてこういう事があった。

私が霊的研究に耽っている頃、某所で某大学生に遇い、談たまたま霊の有無について議論を戦わした事があった。

ついに彼は私に自分を霊査してくれというのである。私は快諾して早速霊査に取掛った。

間もなく彼は無我に陥った。無論憑霊が浮び出たからである。

私は質(き)いた。「あなたはどなたです。」

憑霊「私は浅草公園の○○という矢場の傭女で○○という者ですが、この○○さんが私は好きで好きでならないので、来て貰いたいと思っているんですが、なかなか来ないので憑ったのです。

どうか私の所へ来るように、あなたからもいうて下さい。」・・・というので、私も快諾したので、霊は喜んで離脱したのである。

それと同時に覚醒した彼はキョトンと眼を見開いている。

私は早速彼に向かって「○○の○○という女を知っているか」・・・と訊いたところ、

彼は喫驚(びっくり)して・・・「先生どうしてその女を御存じですか」・・・という。

私は「タッタ今、君から聞いた」と言ったところ、

彼は驚いて「先生に霊査法をされるや否や、全然無我になってしまったので何を云ったか少しも覚えがない。」・・・というのであったが、

これにおいて、彼の唯物論は何なく陥落してしまった事はいうまでもない。


そうして右は生霊の例であるが、私はしばしば生霊に出遭ったのであるが、生霊の憑依はほとんど男女関係による事が多いので、従って美女美男に多いのも当然の訳であろう。

又生霊の憑依の特徴としては、死霊の憑依は悪寒又は冷気を感ずるに反しこれは全身殊に胸部辺の暖くなるのと、心臓の鼓動が激しくなるので見当が付くのである。

又嫌忌せる者の生霊の憑依は不快感を催すが、好愛せる生霊の憑依は非常な快感を催すものである。

又よく恋愛は熱病というが、恋愛の極度に達した際は、一分時といえども離れている事は出来ず、仕事も碌々(ろくろく)手に付かないので、空蝉(うつせみ)のごとくなる事は人の知る所であるが、

これらは両方の生霊が憑依し合うので、魂が空(うつ)ろのごとくなるからである。

そうなると、別離している時間は堪えられないほどの苦痛となるので、ついに情死にまで至るものである。

私の研究によれば、可憐なる恋愛即ち純情的恋愛は鳥霊が多く、邪恋即ち不義の関係等は狐霊に多い事は、幾多の経験によって明かである。」 (「明日の医術 第3編」より)