神様の憑依ついて


明主様御垂示 「神様は無名な人に憑ることのほうが多い」 (昭和23年3月28日)

信者の質問
「青森から来た講習生ですが、あるときいきなり観音様がお憑りになり、将来は○に十の宗教に統一されると言われ、

また一時に天照皇大神、素盞嗚尊、月読尊の三神がお出ましになり、

素盞嗚尊は天照皇大神におあやまりになったところ天照皇大神は懐かしがられて泣きながらいろいろお諭しになられ、三神が和解されました。

その他いろいろおおせられましたがちょっとここでは申し上げられない神秘もありました。

その人は狐霊がだましているのではないかと言っております。

またそのとき大神は因縁により北に天降ったのであるとも申されました。」

明主様御垂示
「その人はぜんぜん神のことを知らぬ人ですか。」


信者の質問
「あまり知っておりません。石沢という元女学校長をしていた人です。ふつうの人にも大神がお出ましになられるものでしょうか。」

明主様御垂示
「ええ、それはありますよ。有名な人には憑かずにかえって有名でない人に憑ることのほうが多いです。」


信者の質問
「昨年も御軸の前で、精神統一して祝詞を奏上いたしますと、家屋が大鳴動して神が天降られたのでお伺いいたしますと、素盞嗚尊であるとおおせられました。

そしてこのことは特筆すべきことであるからいつか世に出さねばならないとも申されました。」

明主様御垂示
「まんざらでもないようですね。」




明主様御講話 「偉い神様は現界で偉い人には憑らない」 (昭和29年3月26日)

「最近霊界が非常に変わってきたために、いろいろな霊があわてだしたと言いますか、非常に変動を起こしてきたのです。

いろいろな霊が救われたいことと、それから救世教の仕事をしたいと(もっとも仕事ということが救われる意味にはなりますが)因縁の人を通じて、

そういう救いの願いやら、罪を赦されたいやらの、そういうことが時々あるのです。

その中で非常におもしろいことがあったので、その記録を読ませようと思います。

この神懸りの人は娘さんで、二人ばかりあって、それから審神者(さにわしゃ)は別の人です。審神というのは調べるのです。

(御報告 明主様に御救い願う霊界よりの通信)


ここにある「明主」というのは無論私ですが、私の代理をする者もそうとうあるのです。

その代理の一番の大番頭という、そういう霊です。

それから今の天理教の中山ミキさんですが、これはあの当時話をしましたが、

留置場にいる時にああいう人たちを呼んでいろいろ話を聞いて、そのとき救われたそのお礼を言ったわけです。

これについて四、五日前にチョットおもしろいことがあったのです。

それは私の仕事をしている、ごく近くの信者の若い妻君ですが、去年頭が少し変だったのです。

それを治してやって、まだ頸のまわりにだいぶ毒があるので、時々やっているのです。

四、五日前に来て、これからやろうとすると、涙をポロポロこぼして非常に泣くのです。

もっとも、前からある程度は分かっていたのです。

というのは、キリストが憑るのです。

その時にもやっぱりキリストが憑って、私が質問しても、こみ上げて泣くのでしゃべれない。

しばらく待っていたくらいです。そうするとやっとしゃべれて、自分は長い間非常に苦しんでいたと言うのです。

それが私によって救われて非常に嬉しいというわけです。

それはなにかと言いますと、磔(はりつけ)になったのがまだすっかり治りきらなかったのです。

それで随分苦しんでいたのです。それが浄霊によってすっかり治った、その感謝です。

それからもう一つは、「ようやく天の父に会うことができた、それが非常に嬉しい」という、その両方の嬉しさで、つまり嬉し泣きです。

そのようなことがあったのです。それで聞いてみますと、近ごろその女の部屋に、キリストが磔になった姿の霊が時々見えるのだそうです。

それからその時の話に、ヨハネは一、二カ月前から時々憑ったようです。

それで詳しく聞こうと思ったが、私は忙しかったので、いずれそういう点も聞いてみようと思ってます。

この人はさっきの霊憑りの人とはぜんぜん違う人です。

キリストが自分の感謝の気持ちを早く知らしたいために、その婦人に憑ったわけです。


ここで知っておかなければならないことは、偉い神様は決して現界で偉い人には憑らないのです。

人からごく注目されないような、なんでもないような人に、かえって偉い神様は憑るのです。

これはあべこべです。現界的に偉い人と思っていると案外違います。

またどんなつまらない人でも決して馬鹿にできません。

どんな偉い神様が憑っているか分からないです。

かえって逆です。大本教祖なども紙屑屋のお婆さんです。

赤貧洗うがごとしで、見る影もない、ごく貧乏なお婆さんだったのです。

それがとにかくあんな立派なことをされたのです。国常立尊(くにとこたちのみこと)というすばらしい神様が憑られたのです。

それから出口王仁三郎先生も百姓の息子です。

そういうわけで、その点をよほど心得ているべきです。
 

それからこの婦人も去年あたり頭が悪いときに狐が随分憑ったのです。

狐も見えますし、私が浄霊した時も狐がいたのです。

それで怖がっていたのです。

今度なども狐が時々憑っていたのです。

ヨハネやキリストが憑ったことも、狐に瞞されると思って、恐れをなして私に知らせたのです。

ところがその点も心得ておかなければならないことは、善い神様ほどかえって狐を使うのです。

というのは、ふつうの人間に神様が憑ろうと思っても憑れないし、しゃべらせようと思ってもしゃべれないのです。

それで狐に命令して狐にしゃべらせるのです。

そうして本人のしゃべり具合によって、これなら大丈夫だという時立派な神様がお憑りになることがあるのです。

だから狐だからといって悪い意味に解釈して馬鹿にすることはできないです。

祖霊などもよく狐を使うのです。

狐は非常に人間に憑りやすくてしゃべりやすいのです。

そのために祖霊が直接憑ってしゃべれない時は狐にやらせることがあります。

だから、よしんば狐が憑っていても、どんな立派な人間か、神様か分からないから、そのつもりでこっちは、軽蔑しないでまじめにやった方がよいです。

よく狐のやつといって、それを押さえつけようとか、離そうとするのですが、それは悪いです。

前にも私は書いたことがありますが、いばって出てきたり、いたずらすることがあります。

また立派な神様を装ってきますが、そういう時は瞞されるのです。

狐は「オレは何神様だ」とか言うから、「ああそうですか。御苦労様です」と言っておくのです。

そうしているうちに必ず化けの皮をはぎます。

狐を押さえつけようとしたりすると、かえって狐が怒っていろんないたずらをするのです。

そうして正体を現わすのもかえって暇がかかります。

そういう点なども、素直にするということは、なにごとにもよいということが分かります。

だから「狐、こいつ瞞しやがるな」といって警戒心を起こす、それが神様の方ではいけないのです。

瞞されているとかえって暴露して、狐の方で頭をかいて謝るということになります。」




明主様御垂示 「本当の神懸りは実に簡単」 (昭和24年8月23日)

(ある人、信者の神懸りについて御報告申し上げたところ、次のごときお言葉をいただく)

「ここで神懸りについて注意しときますがね。

神懸りなんてものには決して高級な霊は出てこられない、

神様なんかほとんど絶対に出られないんです。

神懸りっていうのはそういうもんですよ。

中には正統なものもあるにはありますが、

永く、くどくやるのはきっと狐やなんかですからね。

本当の神様だったら簡単なもんですよ。

そりゃあ、実に簡単なものなんです。

本当の神懸りってのは私が一年に一遍か二度なりますがね、・・・

ちょっと、どうにも判らないことをお伺いするんですが・・・決して永いもんじゃないんですよ。

神懸りっていうのはそういうものなんです。

ふつうの人はこれが判らないんでたぶらかされてしまうんです。

立派な人がこれでやられますからね。

この間も、古い教導師でそうとうやられた人があったので、私がガンと一遍言ってやったら、それで目が覚めて改心しましたがね。


しかし、浄霊するとたまに出てきますから出てくればとり合わぬわけにはゆかないんで、

やはりそこに審判としての心得もいるわけです。

とにかく、くどいのは駄目ですよ。

人間でもくどいのは駄目ですよ。

よくペラペラしゃべりまくるのがありますがね、あんなのは狐ですよ。

だから議論しても向こうがペラペラやりだしたらもういけない。

もう、狐の相手になるようなもんですからね、相手になっちゃいけません。

「いずれまた」って言って、敬遠すればいいんです。

偉い神様ほど簡単なんです。

霊界で一番高級な霊はただ想念だけでお互いに通じて意志交換をするんです。

それから一段下がると少し言葉を使うんですね。

それから次は人間が人間ふつうの言葉を使うんです。

そして動物霊になるとペラペラやるんです。

だから、くどくて長くやるのほど動物霊ですね。

これは心得といていいことです。

これを知ってりゃ間違いはありませんよ。」




明主様御教え 「低級宗教」より (昭和10年9月15日発行)

「(一部のみ引用) 真の神懸りは、少しも平常と異なるなく、手を振ったり、異様な態度は、全然無いのが本当であって、

神が懸りしや、否や、ほとんど、見分が付かない位である。

又、言う言葉も、常識からみて、いささかも脱線的でなく、飽くまで、穏かに、謙遜的態度であり奥床しさがある、

随って異様な形や普通人と異る態度、言葉を吐くのは、全部狐狸の霊が愚かなる人間を偽り、誑(たぶらか)すものと心得て、間違いないのである。」 (全文は「霊憑り宗教」のページ)





明主様御垂示 「邪霊は天照大神の御名を悪用する」 (昭和26年10月1日)

信者の質問
「伊都能売神(いづのめのかみ)は観世音となり、観音は大日如来となると、御教えいただいておりますが、

信仰雑話に大日如来は天照大神とございます。

また、長男が伊都能売神、長女が天照大神・・・とございますが・・・」


明主様御垂示
「そうです。伊都能売神が天照大神を御守護しているわけですね。

つまり、伊都能売神の中に火の働きが入っているわけです。

伊都能売神というと、火と水になる。

火のほうが天照大神になるというわけですね。

水のほうは月読尊(つきよみのみこと)になるわけです。

いまは天照大神がたくさんありますがね。

踊る神様も天照大神で、爾光尊も天照大神ですね。

あれは狐が憑かるんですね。それで「この方は天照大神だ」と言うんです。

それでみんないっぱい食っちゃう。

日本人をありがたがらせるのには一番ですからね。

天照大神というのは、利用価値が一番あるんです。

いまはどうも、天照大神というのは安っぽいですね。いまはめちゃめちゃですよ。

天照大神が憑かったら、決して天照大神だといいませんよ。絶対にね。」




明主様御垂示 「神様の霊が虫などに憑依することもある」 (昭和24年6月25日発行)

信者の質問
「観音様は三十三相と言いますが、従来の日本の神仏、例えば八幡菩薩も金比羅権現も、その他八百万神や諸善諸仏も三十三相に化現されるんでしょうか。」


明主様御垂示
「そんなことはない。

三十三相に化するのは観音様だけで、救いのために相手によって応身される。

これが観音様のお働きで、私がいつもやっていることで、信者の人もそういうようにしなければいけない。

それには自分の個性を滅却して、先方を主にするよう心掛くべきである。

これが応身の働きで、そのため化現され、それが三十三相である。

観音様は三十三相というが御本体は聖観音で蓮華を持っておられるお姿である。

蓮の花は仏法を表象し、仏法をもって救われるという意を表わしている。

禽獣虫魚にまで化するというが、これはぜんぜんないこともない。

神様の霊は虫などに憑依することもある。」




明主様御垂示 「神様はムカデにも憑依される」 (昭和24年7月13日)

信者の質問
「過日「神様はよく虫をお使いになる」とうけたまわりましたが、どのような虫をお使いになられるのでしょうか。」


明主様御垂示
「虫をお使いになる場合、よく蝶をお使いになりますよ。私も経験がありますがね。

それからまた、むかでなんかにも憑依しますね。

以前大森にいたころ非常に大きな蝶が来てガラスにとまったんです。

そしてそばへ近寄っても飛ばないんですね。

ちょうどその朝家内が産気づいたんで、ははあ、これは女の子が生まれるな・・・と感じたんです。

というのは蝶は女で蜻蛉(とんぼ)は男ですからね。

まあ、こんなことは創生記みたいになりますがね、神様がこういう虫をお使いになることもあるんですよ。」