霊査法ついて
明主様御垂示 「霊査法は不要」
信者の質問
「霊査法の施行方法・・・」
明主様御垂示
「診断のためか、治療のためか、いずれにしても、霊査法を行わずとも二、三尺離れた所で、手から霊光が出ると思ってその霊光を放射する気持でやればよいので、
浄霊するうち憑霊は萎縮するようになる。」
明主様御垂示 「憑霊の霊査法」 (昭和23年7月28日)
信者の質問
「憑霊を知るための霊査法をすることは・・・」
明主様御垂示
「自然にしていれば必要の場合は神様が知らせてくださる。
最初から判ったほうがいい場合もありまた悪い場合もある。・・・
それから狐などが浮いてきて騙そうとしたら騙されたほうがいい。
そのほうが狐は自分から暴露する。
かえって狐をあがめてやるくらいにしたほうがいいです。」
明主様御垂示 「霊的患者の霊査法・鎮魂」
信者の質問
「霊的患者を御浄めさせていただいておりますが、原因が解らない場合、霊査法等によって知る方法があると伺っておりますが、私達で出来るでしょうか。御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「霊査法の要なく、また鎮魂はやらぬ方がよい。
その霊は必要あれば、もしくは時期来れば、観音様から知らされる。」
明主様御垂示 「必要なことは霊が知らせる」 (昭和24年4月4日)
信者の質問
「御浄霊をふつうにやっておりますれば、仏の障りなどは判りましょうか。」
明主様御垂示
「判りますよ、知らせられます。夢でとか、たまには神懸りになったりしてね。
この間ね、・・・これは今度の新聞に載せますが、アッツ島で玉砕した山崎部隊長ね、あの霊が憑って来て問答したのがありますがね、
やはりその人に因縁があって憑ったんですね。
あれは嘘じゃない、本物ですよ。
それでね、無理に仏かどうか、仏ならだれかとかいうことは知ろうとしないでいいですよ。
知らせなくちゃいけないときには必ず知らされますからね。
知らなくていいときにはなにも知らされません。
だからこんなことはあまり考えなくていいですよ。」
信者の質問
「その知らされる場合、どちらに知らされましょうか。患者のほうでしょうか、それとも教導師のほうでしょうか。」
明主様御垂示
「それは患者に知らされる場合もあるし、教導師に知らされる場合もありますよ。」
明主様御垂示 「仏障は仏が知らせる」
信者の質問
「御浄霊を普通にさせて頂いておりましても、仏の障り等がある場合それは判るでしょうか。」
明主様御垂示
「いろんな形で障りがある。仏が知らすのである。神憑りで口をきくのなどもある。必要があれば知らす。」
明主様御垂示 「霊査の具体的方法」 (昭和23年8月28日)
信者の質問
「死霊憑依のための結核患者を御浄霊した場合の治癒過程はどのようでしょうか。
また、治癒した場合、憑依した死霊は救われておりましょうか。右、御教示御願い申し上げます。」
明主様御垂示
「死霊が憑いて間もないのはすぐ出ます。
先に私の奥さんに肺病の霊が憑き、突然肺病三期の症状を呈した。
で、さっそく調べたら一年前に死んだ鈴木某で「祀ってやるから離れろ」と言ったところ、すぐけろりと治ってしまったことがありました。
肺病が重くなり衰弱すると憑くので、兄弟の霊も憑きやすいです。
それはなぜかというと重病で血が薄くなるとそれだけ霊も薄くなるので死霊なんかが憑きやすくなるのです。
死霊だと判ったら「いま訊ねるから首で返事をしろ」と言って、「あんたは死んだ人ですか」「男ですか」「年は若いか(老人か)」「肺病で死んだか」などそうして調べたらよい。
その場合患者は正座させておく。あらかじめ観音様に「ただいまから調べますから御守護をお願いいたします」とお願いし、患者に祝詞を上げてから調べるのです。」
明主様御垂示 「狐霊に対する心構え」 (昭和23年)
「狐の霊など、こっちで騙されるものかと警戒してはいけない。
騙されなければいけない。その方が早く暴露する。
霊的病気には祝詞に限る。三回ずつとする。
霊的関係といえば、何でもその関係がある事になる。
人間なら死霊、生霊、精霊などあり、物質は単なる霊である。」
明主様御垂示 「狐霊と先祖の判別法」 (昭和26年8月8日)
信者の質問
「昭和二十二年九月入信いたしました四十歳の女でございますが、カリエスのため腰骨の屈伸が不自由で、
カリエス特有の青白い皮膚をいたし全身やや腫みで浮いているようでございます。
入信前数回の御浄霊でちょっと軽快になられ、入信後しばらく床も払って元気になっておられましたが、
一昨年の春ふたたび御浄化が激しくなり、床に臥しておられましたが
夜中突然右下腹部、鼠蹊部のすぐ上の辺に親指頭大の穴があき、ついで人差し指頭大の穴があき、現在に至るも間断なく粘い膿が吹き出しております。
なお一昨年の御浄化より霊が浮くようになり、祖霊を始め他家の祖霊死霊に至るまで動物霊なども際限なく無数に御浄霊のたびに出てまいります。
昨年ごろよりは祈祷者のごとく浄霊者の注文通りの人霊がいつでも浄霊を始めれば簡単に出てまいります。
しかしこれは邪道とうけたまわっておりますので、今では本人ならびに家族に一切この種の要求には応じないようにと注意して止めております。
昨年までに本人夫婦ならびに舅(しゅうと)夫婦の家族全部入信いたし別に十三歳と八歳の娘があります。
御神体も一昨年より光明如来様をお祭りし、去る六月初め大光明如来様をお祭りさせていただきました。
御屏風観音様もお祀りせられ御仏壇の方にもお粗末はないように存じます。
昭和二十三年一月より翌年九月まで離れ座敷を教会として提供いたされ、現在まで熱心におすがりせられております。
本人の罪は勿論、家の罪もそうとうあることとは存じますが、まれにみる大浄化でありますので、いつ果てるとも知れぬごとく見える現在、いかにすればよろしいでしょうか、お伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「やっぱり、その通り一家の罪がたくさんある。
特にカリエスはー本にも書いてある通り・・・祖先の罪ですからね。
罪があるから膿が出るので、一生涯出るわけではない。
出るだけ出れば止まるから結構で、二年でも三年でも、ひどい人は五年くらい出る人がある。
一樽一杯ではきかない。
それから憑霊ですけれど、みんないけないわけではないのです。良いのもある。
その見別けが難しいので、・・・だからしないだけが良いのではなく、するのが良いのでもない。
理想は必要なだけが良いが、そうも行かない。
ただ、あんまりしゃべりたい時は聞いてやっても良い。
本物ばかりではなく、贋物があるからね。
どうしても口をきいて出る場合は聞いてやると良い。
それを贋物と思ってはいけない。本物と思って聞いてやる。
仮に狐が出ると・・・「先祖の何々」と言うから、そのまま聞いてやる。
それで後で「先祖の何々」と言うのは「誰の時代か」「その時代の年号は」「なんで死んだ」「いくつで」「その時分はなんて名前ですか」・・・と聞いているときっとボロを出す。
すると「それは判らない」「判らないはずはない。あなたは祖霊で、さっき、死んだ病気の名前を知っているくらいだから、判らないはずはない」と言い出す。
すると、尻尾を出し、「ああいけない」とか言い出す。
なんでも信じてやるとかえって相手は暴露してくる。
騙されたら騙されて結構。これはひとり憑霊ばかりではない。
世の中のことでも騙したりするが騙されて結構です。
騙されている中に気を許してはいけない。
また騙しているやつはどこかに一貫していない。
私の所へ来るやつも聞いているんです。
その言葉の中に、なにか一つ嘘があるんです。
憑霊のことでも、世の中のことでも、その時、こっちが先方を利用したりするようにする。」
明主様御垂示 「長くてくどい霊懸りは狐霊」 (昭和24年8月23日)
(ある人、信者の神懸りについて御報告申し上げたところ、次のごときお言葉をいただく)
「ここで神懸りについて注意しときますがね。
神懸りなんてものには決して高級な霊は出てこられない、
神様なんかほとんど絶対に出られないんです。
神懸りっていうのはそういうもんですよ。
中には正統なものもあるにはありますが、
永く、くどくやるのはきっと狐やなんかですからね。
本当の神様だったら簡単なもんですよ。
そりゃあ、実に簡単なものなんです。
本当の神懸りってのは私が一年に一遍か二度なりますがね、・・・
ちょっと、どうにも判らないことをお伺いするんですが・・・決して永いもんじゃないんですよ。
神懸りっていうのはそういうものなんです。
ふつうの人はこれが判らないんでたぶらかされてしまうんです。
立派な人がこれでやられますからね。
この間も、古い教導師でそうとうやられた人があったので、私がガンと一遍言ってやったら、それで目が覚めて改心しましたがね。
しかし、浄霊するとたまに出てきますから出てくればとり合わぬわけにはゆかないんで、
やはりそこに審判としての心得もいるわけです。
とにかく、くどいのは駄目ですよ。
人間でもくどいのは駄目ですよ。
よくペラペラしゃべりまくるのがありますがね、あんなのは狐ですよ。
だから議論しても向こうがペラペラやりだしたらもういけない。
もう、狐の相手になるようなもんですからね、相手になっちゃいけません。
「いずれまた」って言って、敬遠すればいいんです。
偉い神様ほど簡単なんです。
霊界で一番高級な霊はただ想念だけでお互いに通じて意志交換をするんです。
それから一段下がると少し言葉を使うんですね。
それから次は人間が人間ふつうの言葉を使うんです。
そして動物霊になるとペラペラやるんです。
だから、くどくて長くやるのほど動物霊ですね。
これは心得といていいことです。
これを知ってりゃ間違いはありませんよ。」
明主様御垂示 「霊媒を使用して良かったとされた事例」 (昭和26年9月18日)
信者の質問
「私の妻は九月九、十、十一日と毎晩十二時ごろより急に結核的症状を起し、いかに浄霊してもあまり効果なく、夜の明けるとともに平常に戻りました。
特に十一日のごときは喉頭結核的症状となり、何回も息が止まるかと思ったこともありました。
その時ふと頭に浮かんだことは「明日の医術」第三篇中に明主様の奥様が、突然結核症状となられ、結局霊的であったとのこと、
さっそく夜が明けてから妻を調べてみましたが、なかなか口がきけません。
奉仕者中に霊媒的素質のある者がおりますので、その者に呼び出してみましたところ、
やはり霊的にて、妻の三歳の時、実母が他家に再婚して、その家で喉頭結核で死亡していることが分かりました。
霊の希望としては、他家に再婚している関係上、妻の実家の祖霊の中に入れぬため、祖霊様にお願いしてほしいとのことでした。
さっそく紙片に俗名を書き大光明如来様に御守護をお願いし、仏壇に入れてお供えものをし、善言讃詞、御讃歌を奏げて祖霊さんにお願いしましたところ、さっそく御礼に出て、今日ただ今離れると申しました。
すると家内もケロリとして平常になりました。
右の場合、霊的と感じたら霊媒などを使って呼び出すことはよろしいことでしょうか。
また、気がつかずにいた場合はいかなる結果になりましょうか。
なお当時出る痰は憑依霊の曇りの物質化でしょうか。本人のも出るものでしょうか。」
明主様御垂示
「良かったですね。これは霊媒を使ってもかまいません。結構です。
霊媒でも悪いんじゃない。良いことができれば結構です。
この霊が早く救われますからね。
そうすると、霊媒は良いことをしたことになる。ものは使いようですね。
悪いことに使えば悪いし、良いことに使えば良いんです。
霊媒がいないで霊的と思った時には「私が言ったことが合っていれば、首を縦に振って、違っていたら横に振ってください」と言う。
そうすれば、口のきけない霊でも、それだけはできるはずです。
あなたは女ですか、男ですかと聞く。
また最近亡くなったのですか、古い時にかと言う。
またそれなら何年前ですか、と言うと、大体見当がつきます。
この質問のははっきりしてます。
肺病で死んだので・・・祀ってもらいたいとすると、どこに祀ったら良いかと、だんだんやっていると分かる。
これは幸いに霊媒がいたから良かった。
病人の当人の状態になるんです。
痰は憑霊の曇りです。だから憑霊も救われますからね。
しかし、痰はたくさんあるから、少しくらい出てもたいしたことはない。
その人の痰もいくらか出るがたいしたことはない。
こういうのはお医者にかかると、分からないからさんざんやられて、霊の方も離れないですね。
分からせるのが目的ですからね。
ところが、霊はこれは駄目だ・・・どうも分からないということが分かると、ある程度離れますが、肉体はもう駄目です。
その身体を医者が結核の二期とか三期とかになっているから、安静にしなければならない・・・注射をしなければならないと言う。
霊が離れても、医者につかまった以上死ぬまでやられる。これが恐いですね。
霊的に救われるとたいしたものです。
霊が憑ると急激に重症になります。
霊は死ぬほどの重症ですからね。同じ苦しみになる。
ふだん達者でいても、急に悪くなって、間もなく死ぬというのがあります。こういうのが多いです。」
明主様御垂示 「憑依霊に質問すべきとされた事例」 (昭和26年8月8日)
信者の質問
「最近浄霊に四回くらい来た人ですが、浄霊を始めると・・・その中に二回憑霊現象があり、霊があらわれ、ややしばらくしゃべり、他の浄霊をいただきに来ていた子供の霊、親の霊が出るのですが」
明主様御垂示
「いつも違った霊が出るというのか・・・憑りやすいんですね。
信者の質問
「本人は霊媒をしたこともないそうです」
明主様御垂示
「霊が憑ってしゃべるんでしょう。しゃべるというのは、一つでなく変るんでしょう。
元、日蓮宗ではないですか。日蓮宗にはよくそういうことがあります。
霊が非常に憑りやすい人があります。
そういうのは片っ端から憑ってきます。」
信者の質問
「出た霊は、お道に救われたのは結構だ。あきないようにと申します」
明主様御垂示
「意識はぜんぜんありませんか。」
信者の質問
「ぜんぜんありません」
明主様御垂示
「霊媒的素質があるんですね。そういうことによって霊的知識を得ることがあります。恐がらないで・・・」
信者の質問
「ていねいにしております」
明主様御垂示
「そんなことじゃない。参考になることを聞いてご覧なさい。
あなたに霊的知識を得させるために神様がよこされたので・・・聞いてご覧なさい。参考になることがあります。」
明主様御垂示 「霊媒現象についての扱い」 (昭和25年4月28日)
信者の質問
「MMが最近救われた白狐の霊が浮き、御神業の御邪魔をしている霊に警告を与えるようになりました。また、霊媒等もいたします。
なお、天津祝詞、善言讃詞、御讃歌等非常に喜び、特に夫一生の事になりますと涙を流し注意をいたし、
御神業専一に努力するよう種々の欠点等を発表いたします。
二十五日の鎌倉支部教話会の折、一人一人信者に御神徳の有難い事、霊界の状態等知らせておりました。
浄霊の際、操自身が天津祝詞及び善言讃詞を奉誦いたしましても霊が浮きますので、特に注意をいたしましたところ、
それからは霊が浮かないようになりましたが、今後の取扱いについて御垂示を御願い申し上げます。」
明主様御垂示
「取扱いにどうこうはない。ありのまますればよい。」
明主様御垂示 「霊が浮かび出した場合の対応策」 (昭和24年8月23日)
信者の質問
「最近御浄霊中に患者が意識を失い、霊が浮かび出てくることがときどきございますが、これにつき御教示をお願い申し上げます。」
明主様御垂示
「これは霊界の浄化が劇(はげ)しくなってきたので、霊がどうしても落ちつけないもんだから、早く救ってもらおうとして出てくるんです。
だから、これからはこんなのが殖えてきますよ。こういうのは前頭部を一番よくやってあげるんですね。
そしてあまり出る場合には、「御鎮り御鎮り」って言って手で抑える格好をすると、その言葉の働きで割合に効果のあるもんですよ。
当人が半意識で、霊が出そうでなかなか出ない場合も「鎮まって鎮まって」とか「御鎮り」とかやると、元へ戻るのがありますよ。
それから合掌した手を上下に振るのは狐ですね。
鳥の霊だとこうやってて、それからこうなって、こうなるんです
(最初の合掌から拍手を打つ姿勢になり、それを続けるとともにしだいに大きく動かし、ついに鳥が飛ぶごとく両腕を左右に伸ばして上下に振る格好をお示しくださる)。
そして飛び上がりますね。一尺でも三尺でも平気で飛び上がりますよ。
ひどいのになると天井を突き抜いたのがありましたがね。
それでですね、霊が浮いて出たときに口をきかせるのはよくないんですよ。
口をきかせるのは邪道なんです。
なぜかって言えば、あれは醜態ですからね。醜態を見せて恥をかくようなことはいけないことなんです、神様は愛ですからね。
だから口はきかせないようにしなくちゃいけないんです。
しかし、これは人によっていろいろあってね、意識を失うとすぐ口をきくのがありますが、
こんなのはそうしろっていう神様の御意志だし、あるいは正守護神がさせるんですから、これは口をきかせていいこともあります。
口をきき始めたら「あなたはどなたですか」とか「何者だ」とか聞くんですよ。
そうするといろんなことを言いますがね、中には嘘を言うのもあるんです。
しかし、最初から言うことを疑ってかかっちゃいけないんで、言うことをそのまま信じていいんです。
で、だれだってことが判ったら「なんのために出てこられたんですか」とその目的を聞くんです。
そうすると、祀ってもらいたいとか、こうしてもらいたいとかいろんなことを言いますから、その要求が無理がないと思ったらその通りにしてやるんです。
そうしてやると喜びますからね。
しかし、中にはこっちをたぶらかそうとするのもありますが、これはその言う通りに聞いていていいんで
「わしは何代前の祖先で武士であったがどこの戦いで戦死をとげた」とか言ったら、
「お生まれになったのはいつですか」なんて訊くんです。
そうすると「二百年前」とか答えるでしょう。
そしたら、「その時代は何将軍でした」とかいうふうにだんだん訊いてゆくんですよ。
その霊が本物だとチャンと答えますが、ニセだと答えられなくなって狐だとかなんだとか本音を吐きますよ。
だから、始めッから疑ってかからないほうがいいですね。」
明主様御垂示 「浄霊中における霊との問答の作法」 (昭和24年7月発行)
信者の質問
「霊と問答できなければ御浄霊は充分でないものでしょうか御伺い申上げます。」
明主様御垂示
「霊と問答という問題は念頭に置かずに御浄霊する方がよい。
御浄霊最中に霊が浮き出たら丁寧に問答してその霊を慰めるのがよい。
そうしたら早く治るものである。ただその問答には次の項目は守らねばならぬ。
1 誰の霊であるか
2 何の理由で憑いたのか
3 何を望むか
霊査法もあるが、これは知らぬほうがよい。
これを主にすると霊媒者に他の色々な霊が憑いて来て当人を気狂いにしてしまうことが多いから。」
明主様御垂示 「浄霊者の霊位により憑依霊の態度の異なる」 (昭和23年11月28日)
信者の質問
「御浄霊により病人が霊的動作を表わすことがございますが、その御浄霊する先生によりあるいはその土地により相違がありますようですが、これはなぜでございましょうか。」
明主様御垂示
「これは無論ありますよ。
憑いている霊がその先生より上の場合と下の場合があり、上の場合には「お前さんには言えない」と言うし、下の場合には「お前さんは偉いから話をする」と言う。
狐なんか殊にそうですが、結局それは光の多い人に頭を下げるわけです。・・・
霊が浮くというのは光により苦しくなって浮いてくる場合と、また霊によっては憑いてからまだ短時日だと浮きやすいということもあります。
土地ということにはあまり関係ないが、土地により霊懸りの多いのと少ないのとはあります。
狐の親玉なんかがいればその辺には子分がたくさんいますから。」
信者の質問
「よく、その先生に力があるからだとか、あるいはその先生にそんな霊が憑いているから同じようなのが集まるのだとも聞きますが・・・?」
明主様御垂示
「その先生によるということはあります。が、その人により霊が集まるということはないですね。」
明主様御垂示 「霊の言うことは信用するな」 (昭和25年1月20日発行)
信者の質問
「地上天国九号所載「御霊徳に知る自分の前世」というお蔭話についてお伺い申し上げます。
(一)自分の霊が自分に憑依することがあるものでしょうか。
(二)憑依という言葉を使う以上それは別な霊ではないのでしょうか。」
明主様御垂示
「(一)そんなことはありませんよ。・・・
それにね、霊の言うことにもデタラメもありますからね。
霊だってトンチキなことも言いますし、狐霊は人をだましたりするし、低級霊だと間違いを信じてることもありますからね、一様に信じられませんよ。
(二)これはこの通りですね。」
明主様御垂示 「霊査法と修行」 (昭和23年10月26日)
信者の質問
「霊査法はどうして行いますでしょうか。」
明主様御垂示
「いろいろあるが、浄霊も一種の霊査法である。
これによって普通の浄化か霊的か判る。勿論両方の場合もある。
その他細かい事は修行を積まねば判らぬ。
霊的知識が進まねば直ちに判らぬ。
浄化と霊的と両方の場合もある。
これもすべて経験、修行である。」