霊憑りの危険性ついて 2(御講話・御垂示)


明主様御講話 「正守護神と狐霊」 (昭和26年11月18日)

「霊憑りのために、時々問題を起こしたり、色々あるんですよ。

霊憑りと言うのを、全然いけないと言う訳にはいかないけれども、まず九割まではいけないのが多いですね。

だから、それについて、一体霊憑りと言うのはどう言うものかという事を、よく知る事ですね。

霊憑りでも、邪霊と本当に正しいのと両方ありますからね。

その関係なんかを、はっきり知っておけば安心ですから、それについて詳しく書いたものです。


(御論文「霊憑りに就いて」の後の御教え)


これに書き忘れたが、正守護神が人間に何か知らせる場合に、狐霊を使ってやる事があるというのは、

狐霊は人間に喋ったりする事が、非常にうまいので、

そう言う場合に正守護神が狐霊を使うと狐霊が憑って色々喋るが、

ところが正守護神の命じたままを言えばよいが、狐は・・・何しろ狐ですから、地金が出るんですよ。

それで余計な事を喋る。

そう言うのを見ると、狐霊だか本当の正守護神だか分からない事がある。

これは狐だから本当にしちゃいけないと思う事もあるし、これは正守護神だから本当だと思う事もある。

だから喋る言葉によって、正しいか正しくないかを判断する。

そして正しい所だけを取れば、正守護神の思う通りになる。

その見別けが難しい・・・とも言えるし、常識的な判断をすれば、そう難しくない。

それをはっきり見極めるのが審神と言う。

審神と言うのはそう難しくないです。

言う事が正しいか、正しくないかを判断するんですね。

正しいか正しくないかを判断するにも意味がある。

小乗か大乗かですね。

小乗で良くてもいけない。

大乗から見て正しいと言う事が、本当の正しさですから、その見別けですね。

その点を、分かるようにいつも書いているんですよ。

大乗と小乗もね。

ですから、どこまでも、信仰は大乗と小乗を基本として考えていくと間違いないですね。

ところが、ちょっと聞くと、小乗の方が本当のように思えるんです。正しいようにね。」




明主様御講話 「霊憑りは危険」 (昭和26年11月15日)

「霊憑りというのは、私は始終注意していますが、最初は非常に興味があるものでね。

私なんかも最初は随分やりましたがね。

結局これは、弊害があるんですね。

私は霊憑りをやって懲りた事がある。

それから、やらなくなった。

それはある青年ですが・・・大本時代ですが、その男は・・・店に使っていた・・・その時分は商人でしたから、店で使っていた店員なんです。

それが、大本教で熱心になり、それは・・・大本教は鎮魂帰神と言って、こういう格好で、指の先から霊を出す。浄霊と同じ意味ですがね。

それをやっているうちに、色んな霊が憑かるようになった。

憑かると面白いから随分やった。

そのうちにとうとう精神病になって、鉄道線路に行って轢かれて死んじゃった。

それで、私は神憑りと言うのは、危険なものだ。すべきでない、と。

それで、私は止めちゃった。

そういう事が、あと一、二件・・・頭のおかしくなったのがありましたが、それは治りましたがね。

そんな訳だから、霊憑りと言うのは、余程危険なものですね。


ところが良い場合もある。

それで私は、霊的研究を段々していくうちに、良い・・・悪い、いろんな事が解って来ましたから、

それで、良いのと悪いのとの区別が判るような知識ですね。

霊的知識・・・それを得られれば、そう危険はないんですが、それまでにはそうとうな修行と経験がいるんですよ。

ですから、一般には非常に難しいのと、それから霊界が昔と違って来ているので、

今はそんな事をしなくても、人を救う事が出来るんですから、

全然霊憑りに触れないで、霊憑りはいけないものだと、決めてやるのが一番安全であるとともに、

霊憑りに触れる人はやっぱり発展しないんです。

神様が嫌うんです。

だから、霊憑りに重きを置かない人は発展するんですね。

本当のやり方です。この間も書いた通り、バラモンから出たものですからね。

現在、西洋で霊憑りを使ってやりますが、これは科学的なものだからたいした事はないが、

日本の行者とか、日蓮宗とか、精神病が出るんですね。

本当のものじゃないからね。

そう言う意味を精しく書いて、新聞か雑誌に出そうと思っているが、これは、今の神懸りに対する根本的な事と、それから大体知っておくべきだけの事を書いてありますがね。


(御論文「霊憑りについて」の後の御教え)

これについて、書き足りない点があるんですがね。

霊視能力というのがありますね。

人間は・・・霊の見える人ですね。

始終見える人は狐がついているんですね。だから危ないですね。

肝腎な事を正守護神が知らせようとする場合に、ちょっと・・・パッと見せるんですね。これは本当です。

それから、光が見えるのがあるが、これは差し支えない。

よく、人間の姿ですね・・・そう言うのが見えるのは・・・始終見えてはいけないですね。

必要な時にちょっと見える。

それで、神様は・・・本当の神様は実に簡単なものです。

無駄がないんですね。

ですから、人間も本当に信仰が徹底してくると、そういう風になるべきものですね。

それは、他愛ない・・・普通はいくら喋っても、面白くても、うなっても良いですが、肝腎なことは急所急所に触れる。

それが神様のやり方です。


よく・・・女に多いですが、のべつまくなくべらべら喋るのがありますが、これは狐が喋るんです。

何を喋ったか解らないような・・・それが良くありますがね。

まくし立てて、人に喋らせないですね。

話でも、人に話させないようにするのは狐霊と思って良い。

話は聞かなければならないですね。

だから昔から「話上手に聞き上手」というのがありますからね。

しかし、聞くだけで・・・感心したり、解ったなと思うと、案外解らない。

そこで、一番良いのは、人の話は良く聞いて、隙が出来たら、こっちの話をする。


それからもう一つ受け答えですね。

受け答えが満足にできる人は、外国人には案外多いですが、日本人には割合ないですね。

受け答え・・・返事が急所を外れる人が多いです。

聞こうと思う所にぶつからないで・・・それは聞き手のまずい場合もありますが・・・私なんか、何か聞いたり話したりしても、

それに対する受け答えが満足な事はめったにないですね。

それでその人が頭が良いか悪いか一番分りますね。

男には割合多いが・・・女の方にはまことに申し訳ないが・・・非常に少ない。


それから、話術・・・術ではないが、話したり聞いたりする処置ですね。

これは大いに勉強しなければならない。

と言うのは、間ですね。間が非常に肝腎な事です。

先方で・・・話なら話を聞く事がありますが、中には間髪を入れずに聞くことがあるし、それから順々という事があるし、その 一つの調子ですね。

まあ、芸術みたいなものですね。これは大いに勉強するんですね。

どこまでも簡単明瞭に言う。それから急所をつかむんですね。

ですから、相手の様子ですね。興が乗って、耳をそばだててくるか、あるいはたいして・・・先が聞きたくない・・・興が乗らない時は止してしまう。

それで、趣味とか聞きたいことを洞察してしまう。

こういう煩悶があるというのだから、こういう解答をする。

この人には、こういう喋り方なら解るだろうとか、インテリならインテリ・・・普通人なら普通にと、立て別けなければならない。

これは大変な芸術なんです。そこで、環境、空気、一人対一人、二、三人と話す時に、多勢に言う場合、土地の習慣あるいは、一つの色がありますね。

九州の地方の人と北海道の人は違いますね。

九州は、昔から古い人がいて・・・なかなか、九州魂というのがありますからね。

それから、北海道というのは、移民ですからね。

移民というのはおかしいが、地付きの人というのが少ない。

地付きと言うのはアイヌですが、皆こっちから渡った人ですからね。

そういう人は色がありますからね。

東北の人、上方の人、江戸っ子・・・皆違いますからね。

それに対する色んな言い方・・・やり方がある訳だからね。

そうなると難しくなるが、そんなに難しく考えなくても・・・そんなのがある訳ですね。


それから物事を難しく考えてはいけないし、単純に考えてもいけないですね。

どうしてかと言うと、考えすぎて結果が悪い事があるんですね。

だから出来るだけ単純にですね。

私なんかも難しくなる事があるが、ごく単純に考える。

そうして、あとは神様に任せるんですね。

だから始終気が楽です。

人間は気が楽だと良い考えが浮かぶんです。

気が楽でないと、良い考えが浮かぶ余地がないんです。

ですから、始終頭の中を空っぽにしておくと、良い考えが浮かびやすいです。


それから良い考えと言うのは、正守護神がヒントを与えるんです。

神様は、人間に直接と言う事はない。正守護神に知らせて、それから来る。

ところが頭に一杯あると知らせても・・・アンテナが、働きが悪いんです。

だから、良い考えが浮かばない。

というのは、そういう訳ですね。

これは、一種のインスピレーションみたいなものですが・・・始終、ゆったりした気持ちでね。

ところが、色々な心配事や、気にかかる事があると、そうはいかない。

ところがやりようによって、そうではない。

私は、昔はよく気になる事が、色々あると、他の事は頭に入らない。

ところが段々信仰に入って、そういう事は、神様にお任せしてしまうというと忘れちゃう。

これはそういう癖をつけちゃうんです。

一種の修行ですね、よく他の人が、色々な心配事を言うが、私は笑っているので、びっくりしてしまう。

普通の人では、それが出来ませんよ。それについて書いてある。」




明主様御講話 「暴れる精神病者は病院に入れるべき」 (昭和26年11月5日)

「なおもう一つは、霊憑りは、普段から言う通り、霊憑りはやってはいけないんです。

ただ、ある場合に祖霊や何かが出て、警告を与えるというのは良いんですが、

霊憑りを全然いけないと言うのではないが、それを心得ておかなければならない。

しかし、霊憑りは面白いので、みんなやりたがるんですよ。

それで、いかなる場合にも常識的に考えれば分るんですね。


もしか、精神病なんかにしろ、暴れたりすると、それこそ病院に入れちゃうと良い。

なぜなれば、それでないと教えに瑕(きず)をつけますからね。

そのために普通の・・・他の人の浄霊が出来なくなるし、手間をとって他の患者の邪魔になるからね。

ですから結果においてマイナスになる訳ですね。

だから、そう言う場合には臨機応変に処して、暴れたりする事のないようにすると良い。

こっちの御神業の邪魔する場合には、しかるべき処置を取ると良い。


今の話は、めちゃくちゃに・・・浄霊一方でやろうというのだが、

もしも・・・憑っている精神病者の霊は、浄霊でやっても、そういう浄霊は、余程こっちの霊力がないと抑える事が出来にくい。

普通なら浄霊でも治りますが、余程強いのがありますから、そう言うのは、こっちで適当に処置を取る。

そう入った判断が、その人の智慧証覚ですからね。

ですから、そういう点も大いに勉強する。

それには私の書いた本を出来るだけ読むと良い。

ちゃんと書いてありますからね。

読み方が足りないと判断を間違えるんですね。

ですから、そう言う事も、良く言ってやりましたがね。」




明主様御垂示 「霊憑りをしても無意味」 (昭和28年12月1日)

「亀井三郎は前に私のほうで使ってくれと言ってきたことがあります。

しかしあれは酒飲みで、何も働きがないし、ただ霊憑りだけのものです。

それで霊憑りをしたところでしようがないです。

宗教的には何も役をしないのです。

それに手当てでもやっていばられたらたまらないから、体(てい)良く断ったのです。

神憑りというのは、いろんな霊が憑っていろんなことをいいますから、ちょっと迷います。

ああいう霊も、最初の内は珍しくて興味を持ちますが、いい加減やっていると分かります。

狐、狸、龍神、天狗が憑くぐらいなものです。

そうしてまた霊界のことを聞いたところで、だいたいそう変った点はないので、決まっているものです。

私も前に神憑りをずいぶんやったことがありますが、しまいには飽きてしまって面倒臭くなってよしました。


五、六年前かに横須賀でHという写真屋か何かが神憑りになって、一宗をこしらえようとしたのです。

ところが霊憑りになっていろんなご託宣はあるが、病気が治らないのです。

そこで病気だけを私のほうで治してくれ、そうしてご託宣は自分のほうでやる、そうしてもらえまいかと言って来たのですが、私はぜんぜん相手にしなかったのです。

それでも横須賀の信者を百人ぐらい引っ張ったでしょう。

だからこっちをやめてそっちに行ったので割合に熱心な人がありました。

その内にだんだん駄目になって、近頃聞いてみると、ひっそりしてしまったそうです。

そういうのはよくあります。

前に静岡にもありましたが、若い娘で、私の所に来ましたが、“今に明主様がこうだ”とか“神様は非常にお急ぎになるから”と言って人を驚かして、こっちの仕事を自分のほうに頼ませるようなことをしました。

そういう霊憑りというのはチョイチョイあります。」




明主様御講話 「邪霊に騙される原因は本人の信仰、想念の間違い」 (昭和27年4月1日)

信者の質問
「最近世界では神霊現象が非常に盛んに起こるようになり、その研究も広く行われるようになりました。

教団内部においても神霊現象が聞かれるようでございますが、その場合に、正しい霊が憑るということは少ないのではないかと思われます。

たまたま憑りましても、いつも正しい霊とは限らないので、ここに審神(さにわ)ということが重大になるのでございますが、教団内部においてそれが行われておりません。

その例として、正しい霊であると本人も錯覚し、それを聞き伝えて、それが教団の主義と反する言動を弄(ろう)して、教団に波紋を投げんとしております。

これにつきまして明主様より御指示をいただきたいと存じます」



明主様御講話
「それは書いてありますがね。読めば良く分りますよ。神懸りについてはね。幾度も書いてありますからね。

神懸りというのは、ぜんぜんいけないということもできないし、それから常に良いということもできないんです。

良い場合もあるし、悪い場合もあるんですね。

ただ、その人の信仰がしっかりしておれば、悪い霊は憑らない。

また側にいる人に、悪い霊が憑って、だまそうとしても駄目だから・・・それは霊が良く知ってますからね。憑りませんよ。

そこで、悪い霊が憑っていい加減にだまされると言うことは、その人の信仰が浅いとか、心の持ち方が違っているからやられたんだから、やられていろいろするのは、一つの浄化作用だからね。

それでその人が、結局良くなるんです。

神様がやっているんだから、これが良い、これが悪い、と解釈するそれが悪いんです。

本当に悪ければ、私がピタッと止めます。

結局において、何んだと言うと、御神書を読むことと、信仰が固くしっかりなることと、それです。

あとは何でも間違いないでいくんです。」




明主様御垂示 「憑霊されると精神病になりやすい」 (昭和24年9月25日発行)

信者の質問
「憑霊と問答を自由にできねば御浄霊施術上不完全ではないでしょうか。

また憑霊と問答なし得ることを体得するにはいかがしたらよろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「これは危ないことだ。

憑霊現象は気をつけないといけない。弊害もある。

憑霊に口きらせるとその人にいろんな霊がかかる。

その結果精神病になりやすい。

霊問答はだれもが好奇心を持つが、問答は求めてすべきものではない。

浄霊の場合先方から霊が浮いて出ることがある。

そういう場合問答するのは自然であるから差し支えない。

そういう場合は霊の目的をきく。

また動物か人霊かをきくのであるが、憑霊はたいてい祭ってもらいたいようなことが多い。

その他狐がからかうこともよくある。

そういう場合騙されまいと努めるよりは、馬鹿になって騙されてやるとかえって早く暴露する。」




明主様御垂示 「神を僭称するのは狐霊」

交霊をあまりすると精神病になる

信者の質問
「外国における降霊術、法華宗等における霊媒等による霊の実在を証明する方法は何の程度信ぜられる事でしょうか。

また浄霊をしていた時に憑霊(喜んでいる場合、喜ばぬ場合)した場合はどうしたら宜敷う御座居ますか。御教示下さい。」


明主様御垂示
「外国における降霊術は割合本物が多い。

日蓮宗には霊媒が多い。そう出鱈目でもないが、狐が多い。

これは嘘が多く、見分けは中々困難である。「自分は何々の神」など言うのは狐である。

簡単に知識は得られぬから、教師などに依頼する方がよい。

あまりやると精神病になりやすい。

相当修行・・・経験が要る。

私も随分扱ったが、厄介な事もあったが、ためになった事も多かった。(「霊界叢談」に出ている)」




明主様御垂示 「布教師が狐に騙され死亡した事例」 (昭和25年4月8日)

信者の質問
「熱心な一信者、よく憑霊状態になりますが、

その霊は非常に御光を頼り、御浄霊をいただく人や迷い疑う人々に、御光を早くいただいてお観音様のお手伝いをするようにとすすめます。

この場合居合わせた人は、これによって熱心になる場合がございます。

神懸りが正しくないとすれば、霊憑りも正しい信仰ではないと思いますが、

被浄霊者に霊媒能力のある場合にはいかがいたしたらよろしいでしょうか。」

明主様御垂示
「これはたいへんな間違いだな。

霊憑りが正しい信仰でないなんて、そんなことはありませんよ。・・・

この人は正しいんですよ。

霊の言うことが正しければそれは正しいんです。

そして霊の言うことが正しいか正しくないかってのは常識で判断するんですよ。

「この方は神じゃ」なんて言って、いろんなことを命令したりするのは正しくないんです。

そんなのは狐のいたずらですからね。

先にもありましたがね、狐が始終指図してね、「いますぐどこどこへ行け」とか「これを食べると死んじゃうぞ」とか言うんですが、これも狐にたぶらかされてるんですよ。

けど、こういうのは正しいんですよ。

祖霊の中のだれかがやってるんですね。

祖霊は、子孫が早くいいことをしないとその家が早く救われないってことが充分判ってるんで、そうやって知らせてるんですよ。だからこれはいいんです。」


信者の質問
「その家には狐の田植え姿の掛軸がありまして、その霊が憑ったように存じます。

以前お伺い申し上げました鉄道をやめた会員のことでございますが・・・

その掛軸は燃してしまってよろしいでしょうか。」

明主様御垂示
「だってその狐はいいことしてるんじゃないですか。鉄道をやめさせてこの信仰に入るようにしたんでしょ。」


信者の発言
「はい。」

明主様御垂示
「狐と言ってもね、みな悪くはないんですよ。

狸にはあんまりいいのはないようですがね(笑声)。

狐にはなかなかいいのがあるんですよ。

だからこれは燃しちゃいけません。

その家のごく下座へ祀ってやればいいですね。

そうすれば喜んで働きますよ。


いろんなのがありますがね。

私がカイセンで寝てたときに、関西のほうのある教師が二十人ばかりの信者をつれて突然やってきたんですよ。

どういうわけだって聞くと、その二十人の中に女が一人いて、その女に大先生の霊が懸り、

これから二十人連れてすぐ熱海へ行けって言うお言葉だったので連れてきたって言うんです。

それだけならまだいいんですがね、その教師とその女と結婚しろっていうおおせだから結婚しようって、

その女が押しかけ女房みたいにやってきたって言うんです。

私は「とんでもない、それは狐にたぶらかされてるんだ。

そんな馬鹿な、私が生きてるうちは霊が懸ってやるなんてことはないから、・・・

ま、特に必要なときにはそういう形をとることもありますがね、・・・

そんなことはない、すぐ帰れって言ってね、追い出したんですよ。

そうしたら、その教師の人はとうとう狐にたぶらかされてしまってね、こっちに反対みたいなことをしちゃいましたがね。

そのうちに病気になり親類が無理に病院に入院させて、死んじゃったらしいんですがね。

こんなのは正しくないんですね。

そこで「サニワ」ってことが必要なんですよ、「サニワ」とは神を審くと書くんですがね。」




明主様御垂示 「霊憑りをすると精神病になる」 (昭和23年5月8日)

信者の質問
「霊の研究について・・・」


明主様御垂示
「神が必要と認められればその人に霊の研究をする機会をお与えになる。

宗教と霊は関係が深いからある程度はだれにも知らされるが、研究しようと思わなくても興味をもっていれば、神様のほうで判るようにしてくださる。

ただそのね、概念を得たいのなら本があるからそれを読むのはいいことです。

霊的研究に凝ると自分に霊をかけたりするが、これは危険が伴うんです。

人に霊をかけたり、霊を浮かせたりすると精神病になります。

精神病になって自殺したのを私も知ってます。

日蓮宗など霊が浮いてくると「口がきける」と言って喜ぶのですが、これも精神病になるから危い。

また狐は畜生だから、こんなのをよく使っていると自分自身が畜生道へ堕ちてしまう。

だから行者なぞにはあんがい不幸な人が多いんですよ。」




明主様御垂示 「身魂寄せの必要はない」 (昭和24年8月8日)

信者の質問
「当年三十歳の姉が本年三月喉頭結核にて、残念ながら死亡致しました。

姉は長らく本教の御奉仕をさせて戴いておりましたので、家の者が一度「霊魂寄」(みこよせ)をしたいと云いますが、いかがなものでしょうか。御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「「身魂寄せ」の必要はない。(本当のもあるが贋物が出るのがよくある)

これはよくよくの事で、普通は死ぬのが助かるのだが、たまたまこのような事がある。衰弱で死ぬのは多くある。

再浄化は実に危い。再浄化は大抵強い。

長く服んだ薬量が過ぎてるためである。薬の量により浄化も強い。」