憑霊現象ついて 12(物に対する憑霊現象)
明主様御垂示 「刀剣の処置」 (昭和24年1月19日)
信者の質問
「私の家に伝わる刀剣は、年代は不明でありますが木曽義政と武田信玄が木曽の鳥居峠において戦った際(およそ四百年前位と思われます)に、
いずれの部下であったか判りませんが、須藤某と言う武士が敵方を二十八人切ったものにて、
須藤は自宅の付近にて自害してその死体を私の先祖が葬ってやり、その刀剣を預ったものであります。
その刀剣が私の眼病に何か関係があるので御座いましょうか。
なお、その刀剣の処置について御教示を御願い申し上げます。」
明主様御垂示
「刀剣は霊が憑いてる場合があり、祭ってやるといい。
しかし四百年も経てば大抵片付くものである。
ただ憑いてるとすれば光明如来様をお祭りし、その前に刀剣を置いておけば自然に救われる。
目は白底翳、これに関係ありと思えぬ。
外の原因であろう。眼球注射のため治りが遅い。必ず治る。」
明主様御垂示 「刀剣の処置」 (昭和27年1月17日)
信者の質問
「HT(三十七才・女性)昨年十月、四十度程度の発熱が続き、左下腹部(卵巣部)に特に痛みを感じ、歩行にも支障あるようになり、
医診では卵巣が癒着しているかもしれぬとのことで、
御浄霊いたしておりますうちに、痛みは烈しく吐き気を催し、しだいに下腹部より胃の近くに及び、腹部の表面は肌着が触れても痛みを覚え、
このころから発熱はほとんどなく、腹部のみが火のように熱してまいりました。
十二月中ごろより患部の痛みは軽減しましたが、体力は弱り食欲がなくなり、毎日四、五回御浄霊いただきますと、腹部の痛みはさらに軽くなり、食欲も出てまいりました。
二十九、三十日には古血が少々出、本年三月ごろより気分も軽く、腹部の張りも少し引いたように感じられます。
現在下痢をいたしておりますが、大体左半身に御浄化が多いようでございます。
数年前医師の注意により、健康保持上掻爬(そうは)手術をいたしております。
なお、私の家屋敷は、士族時代からの住家に現住いたしおり、刀剣、火器の類もある程度伝わっており、三百数十年前の先祖が、戦場で池田小入斎父子に殉じ切腹しております。
数代前二、三代にわたり男子が生まれなかったこともございます。
また、妻の肉親が四人結核で死亡しておりますが、霊的に関係がございましょうか。
弟に医者が多く、私と家族のみが入信させていただいております。
光明如来様、御屏風観音様は御奉斎させていただいております。
御浄霊は腰と鼠蹊部と腹部の固結を中心にいたしておりますが、特に注意すべき点を御教示賜わりたくお願い申し上げます。」
明主様御垂示
「これは霊的じゃありませんね。
やっぱり薬毒ですね。それから・・・順調ですよ。結構ですよ。
もう少し経つと、ずっと良くなります。」
信者の質問
「刀剣類はいかがいたしましたら、よろしゅうございましょうか。長押(なげし)に三本大きな槍を掛けております」
明主様御垂示
「良いですよ。
光明如来様はお祀りしてありますね。
してあれば・・・そういうのに霊が憑いていることもありますが、そういうのも助かってきますからね。
上に掛けてあるんですか、それはいけない。
それは、光明如来様の部屋の床か、隅の方か・・・下の方なら良いですね。
畳にじかではなく、ちょっと台をして、それに並べて置いておく。
それに霊が憑いていれば、それが救われていきます。
それで良いです。
これは、順調ですからね。治りますよ。」
明主様御垂示 「刀に浄霊すべきとした事例」 (昭和28年8月1日)
信者の質問
「教師の父親でございますが、刀を二振買い入れ行者の言により祀っておりましたが、一時家運が非常に栄えました。現在はしまってあります。
これはいかが処分いたしましたらよろしいでしょうか」
明主様御垂示
「先祖は祀ってありますか。」
信者の発言
「お祀りしてあります」
明主様御垂示
「刀に霊が憑いていて、祀られたので非常に感謝して非常に働いてくれたわけです。
しかしそれは信者にはいらないうちはそれでよかったが、はいった以上はそういう必要はないから、しまったままでよいです。
前には霊界が闇だったから、ロウソクだけでも明るくてありがたいが、太陽の光をいただいた以上は問題ではありません。
それで気になるとしたら、刀を時々浄霊してやるとよいです。
そして月並祭のときに、神様の側ではもったいないから、
次の間あたりに台の上に乗せておけばそれでよいです。」
信者の発言
「本人は御神体を御奉斎しておらず、二町ほど離れて息子が御奉斎いたしております」
明主様御垂示
「息子のほうでよいです。
そうすれば祝詞なども耳にはいりますからよいです。
それもそう長くなくて、三回やればよいでしょう。
あんまりよくすると、かえって苦しいです。
そういう霊を祀ったりするときに、あんまりよくすると、先方は苦しいので、やっぱり相応でちょうどよいくらいにやるのですが、それは常識で判断すれば分かります。」
明主様御垂示 「刀剣には殺された霊がつく」 (昭和23年9月21日)
信者の質問
「刀剣類の祟りが各地に続出いたしておりますが、この場合、刀剣類をどう処分いたせばよろしいでしょうか。お教えを御願いいたします。」
明主様御垂示
「刀剣にはよく霊がくっついている。
額を当てると霊がついてくる。(憑ってくる)
この刀で何年前に殺されたなどという。
殺された時その刀そのものに霊が憑く、するといつ迄も憑いている。
そういう場合天津祝詞を三回奏げると、大抵それで解決がつく。そうばかりも言えない。
先に、石の観音様があり、二千年前の中国の天子の霊が憑いていた。
非常に喜び・・・それまで祟ったんで会社の社長が坂井に貰ってくれろというとの事である。
今迄救う人がなかったので悲観したという。
中国では兵戦があり、墓を守ったり、位牌を作ったりする事がないので、無縁になっている。
それで逃げる時大抵土中へ埋ける。
であるから、少し良い物は土中物と言う。」
明主様御垂示 「刀剣の祟りと善言讃詞」 (昭和24年2月25日発行)
信者の質問
「刀剣類の祟りが各地に続出いたしておりますが、この場合刀剣類をいかが処分いたせばよろしいのでございましょうか。」
明主様御垂示
「剣によって人を殺した場合、殺された霊は多くその刀に憑依する(人に憑依することもある)が、
この場合 善言讃詞を三回奉誦して幽世大神様にお願いすればよろしい。」
明主様御垂示 「刀の祟りで発狂した場合」 (昭和24年9・10月)
信者の質問
「私の家には代々試し斬りをした脇差が伝わり、そのためか先代と当主が狂人になり、
他にもいろいろと不幸がございます。いかようにいたすべきでしょうか。」
明主様御垂示
「斬られた人の霊がついてるんですよ。
ま、光明如来様(註 御神体のこと)の前に置いておけば、霊が救われて祟らなくなりますよ。」
明主様御垂示 「祟る刀の処置」
信者の質問
「島根県、知井宮村の岩成という人の子息二人共大手術で死亡、その原因をある祈祷者に査べてもらった所、
その家に以前家伝の名刀ありしが紛失したため、その刀の祟りという事になり、
現在代りの刀にその祈祷者から御霊を入れてもらい、床の間に祭ってある由、
マッカーサー司令部の命令もあり迷っています。どう取計ったら宜敷いでしょうか。」
明主様御垂示
「お礼を言って断り、始末する。
こういう事情で祀れないからと。
お祭りするしないに関係ない。」
明主様御垂示 「猟銃には殺された霊がつく」 (昭和25年3月21日)
信者の質問
「本年二月入信致しましたMTさん(四十歳・女性)、精肉商の妻で御座います。
M家は代々精肉の卸と小売を致しております。
同家は老夫婦とも健在、当主MTさんの夫は酒乱で御座います。
本年一月MTさんが喀血致しましたが、御浄霊により御守護を戴き全治致しましたので、夫の酒乱を治すべく入信致しました。
夫は初め二回程御浄霊を戴きましたが、その後は嫌って御浄霊を受けません。
お爺さんは不動尊の信者で寒行、水垢離など致しております。
叔母の話によりますと、終戦後中古の猟銃を買い入れました所、それより酒が激しくなり、酒乱になったと申しております。
同家では銃に何か因縁があるから売って終うと申しますと、お爺さんは売らないと申します。
この猟銃と酒乱に何か霊的関係が御座いましょうか。御教えを賜りたく御願い申し上げます。」
明主様御垂示
「猟銃や刀などで殺された霊が憑き、いろいろな事をする。
討たれて死んだ霊は人に憑らず刀や銃などに憑ってその持主に祟る。
光明如来様をお祭りして、その前へ置くと治る。」
明主様御垂示 「怨霊の憑依する呪いの釘で失明した事例」 (昭和24年9月11日)
信者の質問
「六十八歳の老母、昨年三月、自宅所有の山の近隣でも一番大きい松の木(周囲四、五尺)に釘が何十本となく打たれてあるのを近所の人が発見しましたので、
その人と一緒に行き釘を引抜きました所、小さいのは二寸位、大きいのは四寸位のものが二百二十本ありました。
帰宅一、二時間後、左の眼が急に痛くなり、早速医者にかかりました所、眼球を突いた病状との診断を受けました。
十日位は痛みもとれず、それ限り明盲となりました。
なお、釘は頭がありませんでした。
本人は人から怨まれるような事はした事がありませんが、どうすればよろしいので御座いましょうか。御教えの程御願い申し上げます。」
明主様御垂示
「いわゆる牛の刻詣りなどのごとく祈りをやったので、釘を打った人が怨み死にした。
その霊が釘に憑いたので、釘に執着があり、抜かれるのを怒った。
釘の霊で霊が眼を突いたものである。
長いが治るには治る。」
明主様御教え 「悪銭身に着かず」 (昭和24年6月25日発行)
「(一部のみ引用) 相場なるものは、まず百人損をして一人儲かるという事をよくいわれるがその通りである、
一時は一獲千金の儲けによって成金となっても、それが長く続く者はまず一人もあるまい、
しかも大儲けをする者程大損をするものであって、
儲かれば儲かる程その人の前途は断崖が口を開けて待っているようなものである、
まず霊的にみればこうである、損を蒙った大多数者は、口惜しい残念だどうかして損を取返したいと思うのは人情である、
従ってその怨みの想念がどこへ行くかというと、自分の金を吸いとった人間に行こうとするが、
それはどこの誰だか判らないので、自然取引所を目がけて集注するばかりか、
それが紙幣に集まるという事になるのである、
この際霊眼によって見れば取引所にある紙幣の面には怨みの人間の顔が何千何万となく印画されており、
その一つ一つの顔と、その本人とは霊線で繋っているから、
取返そうとする想念がそれを常に引っ張っているという訳で、
その紙幣は所有主の金庫には決して永く安定してはいない、
いつかは引っ張られるから大損をし一文なしになってしまうのである。
右は投機ばかりではない、金銭上のあらゆる事に共通するのである、
いわば不正によって得た富や与えるべき金銭を与えなかったり、
故意に減らしたり、借金を返さなかったりする場合、
先方は怨むから矢張り前述のごとく吐き出さざるを得ない事になるのである。」 (全文は「憎まれるなかれ 4」のページ)
明主様御垂示 「お金には霊がよくつく」 (昭和23年11月18日)
信者の質問
「生命保険はいかがなものでございましょうか?」
明主様御垂示
「この教団に入りある程度判ったら生命保険はいりません。
早死にしないから。
だいたい九十歳までは生きますからね。
だから八十過ぎてから保険をつければまあ少しは得でしょうがね。
しかし保険屋のほうで受けつけないでしょうね。」
信者の質問
「火災保険のほうはいかがでしょうか。」
明主様御垂示
「私のはね、家屋までは引き受けませんよ。
正しい金で作った家なら大浄化が来ても大丈夫だが汚れた金で建てたのは浄められます。
なにしろ金には霊がよく憑きますからね。
私が建てた家だって燃えてしまうことがありますよ。」
信者の質問
「そのために花柳界なんかよく焼けるのでしょうか。」
明主様御垂示
「ええそれもありますが、しかし花柳界にはもっと他にいろんな汚れがありますからね。」
明主様御垂示 「紙幣は生きている」
信者の質問
「養狐場で狐を殺して毛皮を取っていてもあまり狐霊の障りを聞かないのは、狐に霊がないのでしょうか。」
明主様御垂示
「人間が皮をとるためにつくるのだから、狐の個性はない。
植物のようなものである。
祟ったり怨んだりする狐のような感情はない。
しかし全然なくはない。多くなると、殺生の罪になるから、いくらか祟る。
沢山になると怨みなどの祟りになるから時々供養する。
人間の使うものは無機物でいて霊が出来る。
御神体と思って拝むと、物体でも神の働きをするようになる。
だから札供養もいい。
紙幣などは生命を捨てたり生きたりする事がある。
殆ど生きてるようなものである。
この位人間の霊の入るものはない。」
体験談 霊は確にある (地上天国 5号 昭和24年6月25日発行)
日本観音教木ノ花会 掛川第二教導所 SH子(32)
「私はこの教団に入れて頂きまして四、五年になります。
この間感激する事、奇蹟思いがけない事など数知れずありますが、ここに霊はあるという私の体験を述べて一人でも多くの方々にお知らせ致したいと存じます。
私の父親の実家の村に伯父が村会議員をして村のために働かせて頂いております。
この村の小学校の運動場に忠魂碑があり、あの思出す戦争時代に村から御国のためと喜び征き幾多犠牲となられた方の霊を、この忠魂碑に名前をかき入れてお祭りしておりました。
終戦後この忠魂碑をある上の命により建てておくことが出来なくなり、横倒しにして忠魂碑と大きく彫り込んである字の中に、学校の子供達や役場の人達や村の人達で泥を塗り込んですっかり字の見えぬようにして放置しておいたのです。
伯父は大変これを苦にしていたそうで色々と相談をして伯父が全部の責任を持ち、学校の上に村のお寺がありますのでお庭の一部を借りて、新らたに村の忠魂碑として永久にまつる事になりまして、
三月二十一日に学校の生徒から村の役員の人達で、前に塗りつぶしてある泥を洗い落して忠魂碑に縄を掛けて子供達が元気な声で力一杯引きました。
やっとのことで建った忠魂碑から縄を取りきれいに廻石の泥を取っていました。
その時忠魂碑が一面に汗をかくのです。
廻りにいる人達もあまりの不思議な出来事に「アラアラ」と言うなり見ておりますと、その汗がポタポタとたれるのです。
ほんとうにこれをみました時は驚きもしましたが、たとえ石ではありますが霊が石へも通じて嬉しさの余り汗となり、私共へ喜びを知らせてくれたのでしょうと忠魂碑から何時までも流れ出ている汗をみまして、霊はある事をはっきり知らせて頂きました。
今はお寺の庭に立派に昔の通りの神様は八人おられる。
八人の神様は雲の上に座っておられ、その奥にお観音様がおられます。
そうお光はとても強い御光で何んとも言われない光でありました。
本当に有難いと思い我にかえりました。」