憑霊現象ついて 11(物に対する憑霊現象)


明主様御垂示 「霊は石、草木、果物にも憑依する」 (昭和24年6月7日発行)

信者の質問
「小笠郡栗本村の信者が、ある日人参を掘りましたところ、

その人参は二股で、その股に蛇の形をした人参がついておりました。

家人も不思議に思いましたが、夕食のとき、その人参を食べようといたしましたところ

母親に霊が憑って申しますには「その人参は二股のほうは丑五郎で、蛇の形をしたのが神崎与五郎だ。

こんな姿になってまことに恥しい。ぜひ祀っていただきたい。

一晩でよいから観音様の前に置いてください、そうすれば救われるから」と申しましたのでそのようにしました、とのことでございます。

人参などにも霊が憑依いたしますのでしょうか。」


明主様御垂示
「憑依することがあります。

霊界に行って祀ってもらえないものは、いろいろなものに憑依いたします。

石、草木、果物などに憑依することがあります。

これを食べて当たるとあれは毒だというようになりますが、この信仰に入ればそのようなことはありません。」




明主様御垂示 「供養されない霊は何でも憑依する」 (昭和24年3月1日)

信者の質問
「小笠郡栗本村の信者がある日人参を掘りましたところ、その人参は二股で、その股に蛇の形をした人参が付いておりました。

家人も不思議に思いましたが、夕食の時、その人参を食べようと致しましたところ、

母親に霊が憑って申しますには「その人参は二股の方は丑五郎で、蛇の形をしたのが神崎与五郎だ。こんな姿になって誠にはずかしい。是非祀って戴きたい。一晩でよいから観音様の前に置いて下さい。そうすれば救われるから」と申しましたので、そのようにしましたとの事で御座います。

人参等にも霊が憑依致しますので御座いましょうか。御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「霊界へ行って祀ってもらえないと何にでも憑依する。

霊は殆どあらゆるもの、果実の実などにも憑依する。

そういう物を食うと中(あた)る。

信仰へ入らぬと詰らぬ障りをよく受ける。

そういう結果に恐怖していろんな迷信が起る。

六三の祟りなど、三六の逆であるから、邪神の邪魔である。」




明主様御垂示 「植物にも霊が憑依する」 (昭和25年4月23日発行)

信者の質問
「森羅万象すべてに霊があり、人間や動物は死後霊界に行き浄化を経てまた再生するとのことですが、植物は枯死後どうなりましょうか。」


明主様御垂示
「人間や動物は精霊ですが、植物は、石だとか土だとかいった無機物質と動物との中間で、要するに半精霊なんです。

だから、植物は枯れればそれでおしまいですよ。

ただ、植物に霊が憑依している場合があるんで、この場合には植物より動物の分子のほうがよけいになるんです。

それから動物的植物もありますね。


植物でも人間の言葉が判るんですね。

私は以前植木屋から教わったんですが、なかなか花の咲かない木がある場合、それに向かって「今年咲かないと切ってしまうぞ」って言うと咲くって教えてくれたことがあるんですよ。

それは以前私の家の庭にどうしても花の咲かない木があったんでね、

植木屋に「どうしたもんだろう」って聞いたら「言いきかしたらいいでしょう」って言うもんだから、その通りにやってみたら、なるほど咲きましたね(笑声)。

これなんか人語を解するんですね。

それから、よく植物が祟るなんてのは霊が憑依してるんですよ。」




明主様御垂示 「団子に穴開く」 (昭和25年5月2日)

信者の質問
「未入信の農家の出来事で御座いますが、お彼岸にお団子を上げてお祀り致しましたところ、

間もなくお団子全部に指先で突いたように穴があきました。

当家の先祖で行方不明になった男子があり、その後その家の男は皆外出先で死亡致しております。

これはいかなる訳で御座いましょうか。御教えをお願い申し上げます。」


明主様御垂示
「無縁の霊で怨んでいるのがある。

しかし、祀らなくともよい。入信すれば救われてくる。」




明主様御垂示 「葬団子の変色」

信者の質問
「人が死亡致しまして葬式の場合団子を作ってお上げ致しますが、

この団子を作る場合真白い米の粉を用い作りますが、

色が黒く変色する場合と変色しない場合があります。

大変苦しんで死んだ場合等は変化し、安らかに死んで住くような場合は変らない等と聞いておりますが、

自然死と不自然死とで変化するので御座いましょうか。右、御教示御願い申し上げます。」


明主様御垂示
「黒いのは地獄、白いのは極楽で、地獄へ行く霊ほど黒い。

三途の川で白衣の色が変る。

団子にもそれが表われる。」




明主様御教え 「プロテスタントとカトリック」 (昭和23年9月5日発行)

「(一部のみ引用) 霊界においては神仏の霊はもとより、人霊も、動物霊も、すべて何等かの物質に神憑り、又は憑依するものである。

例えばキリストは十字架へ、諸神諸仏は文字、御鏡、絵画、彫像等へかかり給い、

人霊は多く文字へ憑依され、

動物霊は人体又は文字、稲荷なら狐の形状したもの、お札等へ、

龍神は文字又は蛇形のもの、石塊等である。

右の場合高級の神霊仏霊は、その作者の人格に関係するので、昔から名僧智識や名人等の絵画彫刻は貴重な物とされた訳である。


こういう事もある。外国の霊が日本へ渡来する場合、霊のみにて空間を渡来する事は出来ない。

それは霊の往来する範囲は階級によって限定されているからで、そこでやむなく物質に憑依する。

即ち共産主義の霊などは多くマルクスの著書に憑依して渡来し、その霊が各大学の講堂の壁面に並んでいるそうで、その姿を霊視した人から私は聞いた事がある。

又中華民国の霊なども種々の品物に憑依して渡来するそうである。

同様、日本の霊も品物に憑依して海外へ渡航するのであるが、

神仏の霊は高位になる程往来する範囲が広く、地球全体に及ぼし給うのは最高貴の神仏である。

以上の理によって、彼の偶像説の誤りである事を知るであろう。」 (全文は「キリスト教 5」のページ)




明主様御教え 「化人形」 (昭和18年10月23日発行)

「この化人形の話は、頗(すこぶ)る面白い霊的研究であったと今でも思っている。

私はある時友人から「化ける人形があるんだが、解決してくれないか」と云うのである。

それはどういう事かと聞いてみると、等身大の阿亀(おかめ)の人形で、それを手に入れた家の主人は必ず悩まされるのだという。

それは決って夜中で、四隣寝静まって寂(じゃく)として声なき頃、その阿亀が、寝ている主人の上へ跨(またが)って首を絞めるというのである。

時にはその人形を見ていると、ニヤニヤと笑う事さえあるというーまことに気味の悪い話である。

従って、転々と持主が代り、現在の持主は恐ろしがってある家に預けてあるから、そこへ来てくれ・・・というのである。

私の好奇心は勃然(ぼつぜん)と起った。早速行ってみようと、深川の某所へ行った。

二階の一間に安置してあったが見るとなるほど、等身大の阿亀が十二単衣を着、檜扇(ひおうぎ)を片手に差上げての舞姿である。

勿論明治以前の作らしく相当古びているが、実に傑作で生けるがごとくである。

私はその前に端座し人形に憑依している霊に向って「私に憑ってくれろ」と言ったので、早速私に憑ったらしく、私は急に悲しい気持がしてならなかった。

帰宅後も悲しさが込み上げて泪さえ出るのである。


翌日M夫人を招んで、その憑霊に「M夫人に憑って、何故化けるのか、その事情をM夫人の口を借りて詳細語れ」と言ったのである。

早速M夫人は口を切った。霊の物語は次のごときものである。

「妾(わたし)は本名荒井サクと申し、今から四十年位前、京都にあったある妓楼の女郎をして居った者ですが、

ついそこで主人との不純関係が出来たので、その妻君が非常に嫉妬を起し、私を苦しめたが、

ついには主人も妾を嫌い出し、果は共々苦しめるようになり、私を虐待するので、

妾もいっそ死のうと思い、近くの川に身を投げて自殺したのであります。

その後暫く地獄に居りましたが、地獄から抜け出し、どうかして怨みを晴らそうと意(おも)い元の妓楼へ行ってみると、

夫妻共死歿して居ないので、妾は無念を晴らすに由なく悶々として居ったのです。

私も祀られては居ず、居る所が無いので、生前愛して居った阿亀の人形を、自分の居所として憑いていたので、人形は元、客から貰ったものであります。

そうして生前私は、京都の妻恋稲荷を信仰して居りましたので、怨みを晴らすのに手伝ってくれと頼みましたところ、

稲荷の御本尊の弟狐と、その情婦である女狐が共同して、妾を援けてくれる事になりました。

しかし困る事には、当の仇の主人夫妻が居りませんので、つい人形の持主になる主人を目がけては怨みを晴らそうと、首を締めるような事をしたのです。」・・・と泣きながら語る
のである。

そこで私も大いに同情して祀ってやる事にしたが、狐が相当長くサクの霊に憑依しているので、それを離すのは仲々困難であった。

たとえていえば、私が荒井サクと問答をしているといつしか狐となり、又サクの霊となると言ように人獣同化霊の初期の状態をよく表わしているのであった。

しかし、私が根気よく狐霊を説得したので、遂に分離する事になったが、

それについて狐霊は条件を付けたのである。

それは毎日私の家の軒下に、茶碗に半分位飯を入れて毎朝一ケ月の間置いてくれ・・・というのである。

私はその通りしてやり、荒井サクの霊を私の家へ祀ってやったので今でも祀り続けている。


荒井サクの霊が憑る前は、M夫人の眼には見えるのである。

その時は「今、サクさんが来ましたよ」というので

「どんな姿か」ときくと

「鼈甲(べっこう)の笄(こうがい)を沢山扠(さ)し、裲襠(うちかけ)を着て、隣へ座りました。」と云うのである。


又、こういう事があった。私は友人に右の話をしたところ、自分も一度霊査をしてみたいというので、十人位の人を集めて心霊研究会のような事をした。

その時右の友人がM夫人に対し霊査法を行ったが、狐霊を侮辱するような言葉があったので狐霊は立腹した。

狐霊いわく「へン、馬鹿にしなさんな。これでも妾は元京都の紙園で、何々屋の何子といった売れっ子の姐さんでしたからね、その時の妾の粋な姿を見せて上げよう。」

と云いながら、いきなり起って褄(つま)をとり、娜(しな)を作りながら、座敷中あちらこちらを歩くのである。

私は「もうよい、判ったから座りなさい」と言って座らせ、覚醒さしたのである。

M夫人は霊憑中は、かような事まで全然知らないのであるから、実に良霊媒である。

覚醒するや私に向ってー「今ここに狐が二匹居りますが、先生にお見えになりますか。」というのであるが、私は見えないといい、

「どんな狐か」と質(き)くと

「一方は黄色で、一方は白で、本当の狐位の大きさだ」・・・「ここに座っている」と云うかと思うと、

「アッ狐は今人形の中へ入りました。」と言う。

「人形のどこか」と質くと

「腹の中に二人キチンと座っていて、こちらを向いて笑っている」・・・というのである。

実に霊の作用なるものは、不思議とも何とも言えないものであると、つくづく私は思ったのである。

かくして、化人形は解決を告げたのである。」 (「明日の医術 第3編」より)




明主様御垂示 「大抵の観音像には霊が入っている」

信者の質問
「某地に聖観音と呼称するものあり、一名生貫観音とも言う。

(これは地中から出てる石で彫刻された坐像で高さ六尺もあり)

その聖観音なるものに左記疑問の点あり、何卒御教え下さい。

一、村に火難、盗難、悪疫流行等起る場合、必ずその事前に額から全身にかけて流汗して村民に知らせるのはなぜでしょうか。

二、村民にしてその聖観音の事に関して、たとえば「あんな石で作ったものが言う事は皆嘘だ」とか

「あんな石仏に参詣したとてなんの御利益もあるものか」等と言う事が再三にしてある際、

その本堂の側なる欅の枝に遠方から誰が見てもわかるような火が、あたかも蝋燭の燃えるごとくに見える事のあるのはなぜでしょう。」


明主様御垂示
「観音様の霊が宿って不思議な事を見せる。

大抵の観音様には霊が入っている。

人が崇めたり、拝んだりすると御力が出る。」




明主様御垂示 「大抵の観音像には霊が入っている」 (昭和24年5月22日)

信者の質問
「成城の信者に霊媒の方がありまして、度々死霊が救いを求めて憑りますが、

それぞれ解決がつき、感謝して帰るので御座居ますが、

先日観音様の霊と言うのが憑りましたので御伺い申し上げます。

最初手を頭巾をかむっておられるような形に動かしまして「私は観音だ」と申します。

「こんな汚い肉体にお観音様は憑られはしないでしょう」と申しますと

「私はこの家の仏壇にお祭してある魚籃観音の仏像の霊である。

仏像の格によってそれぞれ憑る霊の格が違うのである。

私はこの家相応の観音としてこの家を守っている。

霊界では天国の直ぐ下にいる。一つ願いがある。

それはこの家に早く観音様の御魂を迎えてほしい。

私も早くこの家にお観音様がお祭り出来るように霊界で働くから」と申し

更に「現界は平らにならなければならないし人の心が平らにならなければならない。

霊界と現界がしっかり手を取り合はなければならない。

今霊界は大変和やかだが、現界はみにくい。

しかし現界がそうなるのも間近いでしょう」と申しまして帰りました。

このようなことが果してありますもので御座居ましょうか。御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「これはある。

観音様は沢山ある。

それぞれ霊が大抵憑られている。

人間がある程度仏格を得ると観音様になれる。

同じ姿にもなれるが、極く小さいので、力が薄い。

光明如来様をお祭りすると、力を戴くから、力を与えられるので、働きが強くなる。」




明主様御垂示 「観音様の石像に他の霊が憑依した事例」

信者の質問
「NM(三十一歳・信者・男性)が山に石で彫んだ観音様を近所の中尾某と協同で祀っていたそうですが、

光明如来様をお祀りさせて頂きましてからは、その観音様のお祀りを致しておりません。

右の場所は昔落人の墓跡らしく、点々と色々な石があるそうで、NM氏の五歳の子供が時々そこに遊びに行きますと、

必ずその夜は喘息のような状態で苦しみ、御浄霊を厭がり、恐ろしいと言って、目付きが変り、言葉が荒くなり、

御浄霊を頂きますと大人しくなりますが、済めばまた暴れます。

中尾さんも御浄化を頂いて、御浄霊でお蔭を頂き、教修を頂きたいと申しております。

何か霊的な関係がございましょうか。

また、この観音様を今後いかように処置致しましたらよろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「これは霊が憑依している。

本当からいうと、観音様は石ではいけない。

木に限る。雨ざらしの所へ祭るのも不可。

御像は金無垢の一寸八分が本当である。

でなければ木彫りがよく、金鍍金(きんめっき)ならよい。

観音様は東洋のお働きであって、東洋のものはすべて木か金でなくてはいけない。

西洋のものは石である。

これは外の霊が憑いているから、庭へもって来た方がよい。

光明如来の方へ向いて安置し、月一ぺん祝詞を奏げてやると、それで霊は救われる。」




明主様御垂示 「阿弥陀様・不動様の祟りで子供が次々死亡した事例」 (昭和24年6月15日発行)

信者の質問
「ある家で、七年前に仏壇にお祭りしてある阿弥陀様と不動様の左右の手が折れてから、子供が九人次々に肺病で死亡して、

最後に残った娘(三〇歳)も現在胃癌で瀕死の状態にありますが、なにか霊的に障りがあるのでしょうか。

またいかに処置したらよろしゅうございましょうか。」


明主様御垂示
「阿弥陀様や不動様に霊が憑っておれば、破損した腕を直してもらいたいために障ることがある。

そのような場合には仏具店で簡単に直してくれるから早く修理してもらえばよい。

なお肺病で死亡した者はふつうは霊界でも孤独の状態で寂しいために兄弟などへよく憑るもので、これはなかなか治り難いものである。

胃癌はだいたい四〇歳過ぎでないと罹ることはないので、たぶん誤診だろう。」




明主様御垂示 「地蔵の祟り」 (昭和24年11月22日)

信者の質問
「未入信の家で御座いますが、この親類には指の障害者が多く生れます。

土地の人の話によりますと、五代前のお爺さんが俄雨に会い、

地蔵堂に雨宿りを致します間に、地蔵様の指をいじっております内に指がぽろりと落ちましたそうで、

その夜帰りましてから高熱が出て、遂に指を切断致しましたそうで、その後次々に障害者の子が生れると申します。

この祟りは地蔵の霊でございましょうか。御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「地蔵は大抵人間である。変死者などを祀る。

これらも人間の霊である。非常に執念深い。怒りっぽい霊である。これでは地蔵の資格はない。

入信すれば治る。光のため、そういう霊が災されぬようになる。」




明主様御垂示 「子持石を奉斎する位置」 (昭和26年1月25日発行)

信者の質問
「ある信者さんでございますが、昨年七月ふのりを貼るため浜辺の石を海に入れるとき、

その中の一つに直径約一尺三寸くらいの不思議な石

(丸い形の石がその中にさらに玉のような石を包むようにしてできており、その外側の一部分が欠けているため中の丸い石がよく見えております)を見つけ、

それをその土地の石神様といわれる所(いろいろな石が祀ってある場所)に預けておりましたところ、

その後この人の従妹が病弱のため、現在住んでいる函館の「とちのきさん」という行者風の老婆に見てもらいました際

「貴方の親戚の人が海辺で非常に不思議な石を見つけ、それをどこかに祀っているはずだが、

その石はその人と因縁があり、金毘羅さんが憑っていて、以前この人が遭難したときに力を振って助けたことがあるから、

家に祀り変えをして毎日お水を上げるように」と申したそうでございます。

事実いまから約二十年前、沖にて小舟に乗り漁の最中、大波風に襲われて危険になりましたとき、

救助船に助けられて港まで曳航してもらい、その際波しぶき一つ入らずに救われたという記憶があり、


これらのことを考え合わせまして、さっそく家にその石を持ち帰り、御神前の左隅にお祀りしておりますが、

これはどのようにさせていただきましたら、よろしいのでございましょうか、お伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「この石は、子持石といってよくあるもので、事実石が子を生むものである。

こういう石には神霊がよく憑るもので、この人の祖先が金毘羅様を信仰していたその功徳によって、御守護を賜ったものである。

しかし床の間の隅ではいけないから、御神体と隅との間くらい、無論御神体に向かって右のほうに祀ればいいのである。

月並祭の後お祭りしてあげるとお喜びになり、ますます御守護くださるものである。」




明主様御垂示 「石塔に坊主の霊が憑依した事例」 (昭和24年11月19日)

信者の質問
「私は去年六月頃、肋膜炎のため御浄霊を頂いておりますが、大変良くさせて頂きましたが、

この六月頃よりまた少し御浄化を頂き、御浄霊を戴いておりますが、はっきり致しません。

現在私の家に左図のような石塔が祀ってあります。

その石塔は昭和十八年に今年九歳になる弟が病気ばかりしておりますので、何か障りがあるのではないかと稲荷様に見て貰ったところ、

その石塔の霊が出まして、元の位置に戻して祀ってくれと出ました。

その石塔は私の祖父が宅地の西南の一部に「ため」を掘った時に出たもので、

それを家から一丁程離れた道祖神の側に置いてありました。

現在は宅地の一隅に祀って水と線香を立てて供養しておりますが、何か私の病気に霊的に関係がございましょうか。

また、その石塔をどう致したら宜しゅうございましょうか。」


明主様御垂示
「これは坊さんである。供養してやった方がよい。

水に線香、食物など、月に一ぺん位供えて、日を決めて善言讃詞を奏げてやるとよい。

肋膜は関係ない。肋膜は二、三回起る事があるが、その都度治る。

それは再浄化であるから、少しやれば治る。」




明主様御垂示 「霊の憑依する山燈籠」 (昭和28年6月1日)

信者の質問
「名古屋に田舎から出て来て焼け跡に家を建て、最近まで商売をいたしておりましたが、現在は商売をやめて教師として御用させていただいております。

西南の角に燈籠(とうろう)があり、その上に丸い石が一つあり、奥さんが見ると昼でも、信者さんが浄化で来たいと思っても来れないというときなどにその石が人間の顔に見えるそうです。

また四才になる子供には黒い猫が乗っているように見えるそうでございます。

教師がお参りの留守中は世話人が泊るそうですが、

その石のある近くの部屋の押入の側に行くと何だか気持が悪いと言うそうでございます。

教師にはぜんぜん見えないそうでございます。

何か信仰に間違いがあるのでございましょうか」

明主様御垂示
「大きさは普通の物ですか。」


信者の発言
「さようでございます」

明主様御垂示
「自然石ですか、では山燈籠でしょう。光明如来様は奉斎してますか。」


信者の発言
「大光明如来様を御奉斎いたしております」

明主様御垂示
「それでは石に向かって祝詞を奏げてやればよいです。

それは人間が憑くこともあるし猫が憑くこともありますが、それは人間に知らして救ってもらいたいのですから、そういうときは祝詞を奏げてやるとよいです。

そうして終わりに「幽世大神守り給え幸倍賜へ」と唱えてやると、それで浮かばれるわけです。」




明主様御垂示 「踏むと病気にする石 (龍神の位と向上)」 (昭和25年1月12日)

信者の質問
「KM(男性・四九歳)と申し、新しい信者で御座います。

その家の裏手に池がありましたが、現在は埋めてしまって御座いません。

その畔になった石が今でも残っております。

その石は他家の者が股いだり触ったりすれば不思議に大熱が出て医者では治らず、御祓いをすればケロリと治るそうで御座います。

なお十年前にこの信者の父が祟りのある石は他人に迷惑とて他所に捨てましたら、その人は非常な腹痛を起したそうで御座います。

それで石を持ち帰って元の位置に戻しましたらその腹痛は治りました。

何も知らぬ人には今でも迷惑を掛けるから、その場所は通行禁止にしているそうで御座います。

この石はいかなもので御座いましょうか。またいかに致しましたらよろしいものでございましょうか。御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「踏まれる事をイヤがるのである。それで踏まれぬように苦痛を与える。

というのは人間に踏まれると龍神の位が下る。

また修行中に人間に踏まれると向上が遅れる。

本当いうと小さいお宮へ安置し、小さい池のようなものを作り、時々祝詞を奏げると向上が早くなり、非常に喜ぶ。」




明主様御垂示 「泥人形壊して歩行不能となる」 (昭和24年12月11日)

信者の質問
「三十二歳の信者、戦時中、中国の山間部落のあるお堂に宿営致しました際、

お堂に投身大の泥人形が御座いましたので戦友と共に打壊しましたところ、

翌日から足の具合が変り、日一日と足の感覚がにぶって、とうとう、帰国致しましたが遂に歩けなくなりました。

去る九月上旬入信致しましたところ、お蔭様で杖に縋って歩けるようになりましたが、どうすれば宜敷う御座いましょうか。御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「中国にはそういうものが多い。

泥人形のように手足が動かなくなった状態が映るのである。

浄霊で離れ、救われる。

光明如来様に早く人間に生れるようお願いする。」




明主様御垂示 「軸物の入手によりリュウマチになった事例」 (昭和24年3月2日)

信者の質問
「奉天から復員時持帰った軸物がその家に入ってから間もなく関節リョウマチ(二人、一人は死亡)が、片足を切断した者と足の指を切断した者が出たので御座居ますが、

これは軸物に憑依した霊の働きでしょうか。

それともその家の先祖の霊の祟りで御座居ましょうか。」


明主様御垂示
「中の絵を見てからでないとはっきり言えぬが、霊が憑いているようである。

よく中国や朝鮮から持ち帰った物に憑いている。

箱根にある石の飾り物などにも、査べたら王様の霊が憑いていたので、救ってやったら帰った。

よく査べないとまた死ぬ。

以前短刀に三代将軍家光の奥方の霊が憑いていた事があった。」




明主様御垂示 「位牌を拾い関節痛になった事例」

信者の質問
「未入信のSN(七十五歳・女性)と申す者、二ケ月余り御浄霊を受けていますが、関節が痛み出し、手足が動かなくなりました。

頭の御浄化を頂いて、時々暗いとか帰りたいとか申しまして、家中の者を困らせます。

本人二十年前海岸に落ちていた位牌を持ち帰り、現在も自宅にお祀り致しております。

また、三十年程前に漁に行った時に、網に頭蓋骨が掛ったので、共同墓地に葬ったそうで、

その後この家では三人続けて若死を致しましたそうで、拾った位牌及び頭蓋骨とこの柴田家と霊的関係がありましょうか。

また、その後の処置は、いかが致しますれば宜しいでしょうか。」


明主様御垂示
「関係がある。関係がなかったらそのような手続きにはならぬ。

死霊が憑っている。

頭蓋骨のそれではない。

位牌の実家へ帰りたいのであろう。

光明如来様をお祭りして仏壇へお屏風観音様をお祭りすれば段々救われ、満足する。手足の痛むのも治る。

浄霊が足りないし、急所を外れてる。」




明主様御垂示 「三子奇形、狸の書いた書」 (昭和23年7月21日)

信者の質問
「前妻の子三人あり、皆奇病・・・」


明主様御垂示
「餓鬼が憑いてる。時々意識不明になる。

黒顔となる。黒皮となる。口開けてると口中舌まで黒い。墨のようである。服毒死の状態である。

「千里・・・」の額あり、霊憑りの娘が嫌がる。

円覚寺の和尚が狸に食い殺され、狸が和尚に化けて書いた額との事である。

相当偉い狸である。

寺へ返すといい。

祝詞を奏げてやってもいい。光明如来様をお祭りし、暫くしてからでよい。

お祭りして一年位経ってから処分する。

時々祝詞奏げてやると早く改心する。」




明主様御垂示 「発音する甕(かめ)の祟り」

信者の質問
「六人家族で、その中一名一昨年入信しました。

家に七百年前の伊部焼の甕がございます。

その甕に水を一杯入れて杓をつけておきますと、夜になると時をきめて杓が「カランカラン」と鳴ります。

昔からその種の甕のある家は必ず不幸が続き、死に絶えた家も御座います。

現在骨董屋もこの甕を見てよくないと申しております。

これは霊的に何か関係が御座いましょうか。」


明主様御垂示
「甕に霊が憑いている。よく霊の希望を知らすために音をさす事もある。

また作者の霊が憑ってる場合もある。

またその甕のために間違いの起った霊の時もある。

光明如来様をお祭りした床の間へ置き、花を活けてやるといい。

霊がいるとすれば非常に喜ぶ。古備前であろう。」




明主様御垂示 「移転すると災難の起きる祟りの竃(かめ)」 (昭和24年5月28日)

信者の質問
「私は熊本県の村落ですが、転宅及び竃(かめ)の移転をすると、家に病人が急に出来たり災難が次々起ります。

この場合どんな手続をしたら良いのでしょうか。

移転前になすべき手続を御教え下さい。

特に妊婦のある家は、竃の移転は絶対とされており、現在迄に私の知っております限りの家庭では、出生児の顔面特に鼻の下が切れております。

いかがな訳で御座居ましょうか。御教え下さい。」


明主様御垂示
「霊の執着によって、一時的にこういう事もあるが、永くは続かぬ。今はもうない筈である。」




明主様御垂示 「着物と霊」 (昭和23年7月25日)

「霊はよく着物に憑く。

気に入った着物など、死んでからもその傍にいる。」




明主様御垂示 「着物に関する精神病」

信者の質問
「満二十四歳になる者、気が狂っております。早速、信者に入れました。

一時は非常に良くなりました。二、三日前より非常に浄化し、当人が云うには空襲中に親戚の者が気が狂っていた時、爆弾にやられ、

その方の着物を戴き、その着物の事、非常に気にするのです。この着物と関係ありますか。

また、以前に霊友会に入っていて、突如経文を燃やして、それより気が狂ったそうです。これにも関係あるでしょうか。」


明主様御垂示
「着物に霊が憑いていたのである。

霊がその衣を好んでいたもので、死んでから憑いたのである。

昔の振袖火事のごときはそのためである。

よく着物に執着した霊で、箪笥の側にいるものがある。

反って早く気が狂った方がよい。早い程軽くすむ。」




明主様御教え 「霊の種々相」より (昭和18年10月23日発行)

「(一部のみ引用) 次に、ある日憑依霊へ対し、何程訊いても更に口を切らないので、私は種々の方法で漸(ようや)くの事で知り得たのである。

それは松の木の霊であって、その前日、その家の主人が当時京橋木挽町(こびきちょう)にあった農商務省の役人であったので、同省の庭にあった松の木の枝を伐って持帰り、神様へ供えたのであったが、その松に憑依していた霊であった。

種々の手段を尽して漸く知り得たところは、彼の要求する所は「人の踏まない地面の土の中へ埋めて、祝詞を奏げて貰いたい」というので、早速その通りにしてやった。」 (「明日の医術 第3編」より)




明主様御垂示 「邪神の眷属が指輪に憑依した事例」 (昭和26年9月8日)

信者の質問
「金の指輪をいただき、それをもらってから変な気持ちがすると言います。

霊の見える人に見せますと、霊的になにか憑依しているらしいとのことで、御神前の脇にお供えして置いてますが」


明主様御垂示
「良いです。(邪神の)眷族が憑いているんですね。実に活躍しています。」




明主様御垂示 「機械器具に対する憑霊は通常ない」 (昭和24年7月19日)

信者の質問
「霊の憑依は機械器具等にもあって、その運転作用に支障を起しますでしょうか。」


明主様御垂示
「憑依はおかしい。

もし出来れば高級の霊で、機械器具に憑依してする事は出来る訳で、普通はない。」