憑霊現象ついて 1
明主様御教え 「広吉の霊」 (昭和24年8月25日発行)
「私は霊的研究と治病の実験を併せ行なおうとした最初の頃である。
それは十九歳になる肺患三期の娘を治療した。
二回の治療でいささか効果が見え第三回目の時であった。
私が治療にかかると、側に見ていた娘の母親であるM夫人(五十歳位)が突然起上って、中腰になり、その形相物凄く、今特に私に掴みかからん気勢を示し
「貴様は・・・貴様はよくも俺が殺そうとした娘をもう一息という所へ横合から出て助けやがったな。俺は腹が立って堪らねえから貴様をヒドイ目に合わしてやる」というのである。
もちろん男の声色で私は吃驚(びっくり)した。
私は「一体あなたは誰です。まあまあ落着いて下さい」と宥(なだ)めたところ、彼は不精不精に座りいわく、
彼「俺は広告という者だ」
私「いったいあなたはこの肉体とどういう関係があるのです?」
彼「俺はこの家の四代前の先祖の弟で広吉というものだ」
私「では、あなたは何がためにこの娘に憑いて取殺そうとしたのですか?」
彼「俺は家出をして死んだ無縁のものだが誰もかまってくれない。
だから祀って貰いたいと今までこの家の奴等に気を付かせようと病気にしたり種々の事をするが一人も気の付く奴がない。
癪(しゃく)に触って堪らないからこの娘を殺すのだ。そうしたら気がつくだろう」
私「しかしあなたは地獄から出て来たのでしょう」
彼「そうだ俺は永く地獄にいたが、もう地獄は嫌になったから、祀ってもらいたいのだ」
私「しかし、あなたはこの娘を取殺したら、今までよりもモッと酷い地獄へ落ちるが承知ですか?」と言ったところ、彼はやや驚いて、
彼「それは本当か?」
私「本当どころか、私は神様の仕事をしているものだ、嘘は決していえない。またあなたを必ず祀って上げる」と種々説得したところ、
彼も漸(ようや)く納得し共に協力して娘の病気を治す事になった。
彼の挙動及び言語は、江戸ッ子的で気持の好い男であった。
幕末頃の市井の一町人であろう。
そうしてM夫人は神憑り中無我で、いささかの自己意識もない。実に理想的霊媒であった。
その後娘の病気は順調に治癒に向かいつつあったが、ある日突然M夫人が訪ねて来た。
「私は二、三日前から何か霊が憑ったような気がしますから、一度調べてもらいたい。」
というので、早速私は霊査法を行った。
まず夫人が端座瞑目するや、私はまず祝詞を奏上した。
夫人は無我の状態に陥ったので質ねた。
私「あなたはどなたです。」
M「こなたは神じゃ。」
私「何神様ですか。」
M「こなたは魔を払う神じゃが名前は言えない」
私は思った。(かねて神にも真物と贋物があるから気を付けなくてはいけないという事を聞いていたから、あるいは贋神かも知れない。騙されてはならない。)ーと警戒しつつ質ねた。
私「あなたは何のためにお出になりましたか?」
M「そなたが治している娘は、今魔が狙っているから、その魔を払う事を教えてやる。」
私「それはどうすればよいのですか?」
M「朝夕、艮(うしとら)の方角へ向かって塩を撤き、祝詞を奏上すればよい」
私は他の事をきいたが、それには触れず、「それだけ知らせればよい」と言ってお帰りになった。
M夫人は覚醒し、驚いた風で私に聞くのである。
M「先生御覧になりましたか」
私は、「何をですか、別に何にも見えませんでした」と言うと、
夫人、「初め先生が祝詞をお奏げになると後の方からゴーッと物凄い音がしたかと思うと、いきなり私の脇へお座りになった方がある。
見ると非常に大きく座っておられて頭が鴨居まで届き、お顔ははっきりしませんでしたが、
黒髪を後へ垂らし、鉢巻をなされており御召物は木の葉を細く編んだもので、
それが五色の色にキラキラ光りとても美しく見えたのです。
間もなく私に御憑りになったかと思うと、何にも分らなくなりました」との事で
私はこれは本当の神様に違いないと思い、その後査べた所、国常立尊という神様である事が判った。
その事があってから二、三日後、M夫人はまた訪ねて来た。
「また何が憑りそうな気がしますから、御査べ願いたい。」と言うので早速霊査に取かかると今度は前とは全然異う。
私は、「何者か」と訊くと、
「小田原道了権現の眷族である」と言うので、
「何のために憑ったのか?」と訊くと、
「お詫びをしたい」と言うのである。
「それは、どういう訳か?」
「実はこの婦人は道了権現の信者であるが、
今度娘が荒神様の御力で助けられたので腹が立ち、邪魔してやろうと思った。
所がそれを見顕(あら)わされて申訳がない。」と言うのである。
そう言い終るや夫人は横様に倒れた。
瞑目のまま、呼吸せわしく唸っておったが、五分位で眼を瞠(ひら)き、
「アア驚いた。最初黒い物が、私の身体に入ったかと思うと、
また誰かが来て最初の黒い物を鞭のような物で打擲(ちょうちゃく)すると、黒い物は逃げて行った。」
というので、私は「二、三日前の神様の警告された魔というのはこれだな。」とおもった。
それから娘の病気は日一日と快くなり、遂に全快したのである。
そこで私も広吉の霊を祀ってやった。
これより先ある時広吉の霊が夫人に憑っていわく、
「自分はお蔭様で近頃は地獄の上の方にいるようになり大きに楽になった」と言って厚く礼をのべ、
次いで「お願がある。」といい「それは毎朝私の家の台所の流しの隅へ御飯を三粒、お猪口(ちょこ)にでも入れていただきたい。」というのでその理由を訊くと、
彼は、「霊界では一日飯粒三つで充分である。
また自分は台所より先へは未だ行けない地位にある。」と言う。
その後暫くして彼は、「梯子(はしご)の下まで行けるようになった」と言った。
それはその頃、私の家では二階に神様を祀ってあったからで、
その後「神様の次の部屋まで来られるようになった。」と言うので
私は、「モウよかろう。」と祀ってやった。
それから二、三日経って、私が事務所で仕事をしていると私に憑依したものがある。
しかも嬉しくて涙が溢れるような感じなのだ。
直ちに人気のない部屋に行き、憑依霊に訊いたところ、広吉の霊であった。
彼いわく、「私は今日御礼に参りました。私がどんなに嬉しいかという事はよくお解りでしょう。」といいまた「別にお願いがある。」と言うのである。
「何か?」と訊くと、
「それは、今度祀って戴いてから実に結構で、いつまでもこのままの境遇でありたいのです。
娑婆はモウ凝りごりです。娑婆では稼がなければ食う事が出来ず、苦しみばかり多くて実に嫌です。
再び娑婆へ生まれないようどうか神様へお願いして戴きたい。」
と言い終って厚く礼を述べ帰った。
これらによって察すると死ぬ事は満更悪い事ではなく、霊界往きもまた可なりと言うべきである。
そうして霊界においては礼儀が正しく助けた霊は必ず礼に来る。
その手段として、人の手を通じて物質で礼をする事もある。
よく思いがけない所から欲しいものが来たり貰ったりする事があるがそういう意味である。
M夫人は理想的霊媒ですくなからぬ収穫を私に与えたが、こういう事もあった。
ある時嬰児の霊が憑った。
全く嬰児そのままの泣声を出し、その動作もそうである。
私は種々質ねたが、嬰児の事とて語る事が出来ない。
やむを得ず「文字で書け。」と言ったところ、拇指で畳へ平仮名で書いた。
それによってみると「生まれるや間もなく簀巻(すまき)にされて川へ放り込まれ溺死し、今日まで無縁になっていたので祭ってくれ。」というので、
私が諾(うべな)うと欣(よろこ)んで去った。
右の文字は霊界の誰かが、嬰児の手をとって書かしたものであろう。
またある時憑依霊へ対し何遍聞いても更に口を切らない。
種々の方法をもって漸く知り得たが、それは松の木の霊で、
その前日その家の主人が某省官吏でそこの庭にあった松の木の枝を切って持かえり、神様へ供えたのであったが、
その松に憑依していた霊で、彼の要求は「人の踏まない地面を掘り、埋めて祝詞を奏げてもらいたい。」というので、その通りにしてやった。」
明主様御教え 「化人形」 (昭和24年8月25日発行)
「以前私が扱った化人形という面白い話がある。
ある時私の友人が来ての話に、「化ける人形があって困っているから解決して貰いたい。」と言うのである。
私も好奇心に駈られともかく行く事にした。
その当時私は東京に住み霊的研究熱に燃えていた時なので、早速友人と同行して赴いた。
所は深川の某所で、その家の二階の一室に通された。
見ると正面に等身大の阿亀(おかめ)の人形が立っている。
実に見事な作で余程の名人が作ったものらしい。
年代は徳川中期らしく十二単衣を着、片手に中啓(ちゅうけい。儀式の際に用いる扇)を翳した舞姿である。
家人の話では、
「連日夜中の、世間が寝静った頃になると、
中啓の骨の間からニタニタと笑う顔が透けて見えるかと思うと歩き初め、
その家の主人の寝所に来、腹の上に馬乗りになって首を締めるのである。
そのような訳で転々と持主が代る。」というような話を聞き私の興味頂点に達した。
早速阿亀の前に端座瞑目して祝詞を奏上し神助を乞い、人形に憑依せる霊が自分に憑依するよう祈願した。
すると忽ち私に憑依したらしく、急に私は悲哀感に襲われ落涙しそうである。
直ちにその家を辞し家に帰り、翌朝例のM夫人を招いた。
直ちに昨夜より私に憑依せる人形の霊に「前にいる婦人に憑り、化ける理由や目的を語れ」といったので、早速霊は霊媒に憑依したその語るところは左のごときものである。
「自分は約四十年前、京都の某女郎屋の女郎であったが、
その家の主人と恋仲となり、それが妻女に知れたため、
大いに立腹した妻女は自分を虐(いじ)め始めた。
それだけならいいが、ついには当の主人までが自分に対し迫害をするようになったので、
口惜しさの余り投身自殺したのである。
人形は客から貰ったもので、非常に愛玩していたので、
一旦地獄で修行していたが我慢しきれず、
怨みを晴らそうとして地獄から抜け出し以前の女郎屋へ行ってみると、
主人夫婦はすでに死亡していたので、
その怨恨を晴らす由もなく、その代わりとして縁もゆかりもない人形の持主になる主人を苦しめ怨みを晴らそうとした。」というのである。
これは現界人が聞くと不思議に思うが、常識からいえば怨みを晴らすべき相手がいなければそれで諦めるべきで、
他人に怨みを持って行くという事は理屈に合わない話だが、
このように霊の性格は現界人とちがう事を、私はしばしば経験したのである。
というのは霊が一旦何らかに執着心を起すと、それを思い反す事がなく、一本調子に進む癖がある。
話は続く、
「自分の本名は荒井サクといい、生前京都の妻恋稲荷の熱心な信者であったが、
自分は怨みを晴すについて狐の助力を懇請(こんせい)したところ、
その稲荷の弟狐とその情婦である女狐との二孤霊が協力する事を誓い、援助する事になったので、
人形の化けたのは右の孤霊の仕業である事が判った。
いつも荒井サクの霊が憑る前、M夫人の眼には見えるのである。
夫人が、「今サクさんが来ましたよ」というので
「どんな姿か?」ときくと「鼈甲(べっこう)の簪(かんざし)を沢山頭に挿し、うちかけを着て隣へ座りました。」という。
またこういう事もあった。私は霊友に右の話をしたところ「自分も一度霊査してみたい」と云うので、十人位の人を集め心霊研究会のような会をした。
その時右の友人がM夫人に対し霊査法を行ないながら、侮辱するような事を言ったので
狐霊は立腹し、いわく、「へン馬鹿にしなさんな、これでも妾(わたし)は元京都の祇園で、何々屋の何子といった売れっ子の姐さんでしたからね、その時の妾の粋な姿をお目にかけよう」と言いながら
いきなり立って棲(つま)をとり、娜(しな)を作りながら座敷中あちらこちらと歩くのである。
私は「モウよい、解ったから座りなさい」と言って座らせ、覚醒さした。
M夫人に質けば「何にも知らなかった」と言う。
覚醒するや私に対って「今ここに狐が二匹おりますが、先生に見えますか」というので、
私は「見えないが、どんな狐か?」と訊くと、
「一方は黄色で一方は白で本当の狐位の大きさで、ここに座っている」というかと思うと
「アレ狐は今人形の中へ入りました」というので「人形のどこか」と訊くと、
「腹の中央にキチンと座って、こっちを見て笑っている」と言うのである。
私は実に霊の作用なるものは不思議極まるものと、つくづく思った。
それなら私は、孤霊とサクの霊とを分離し孤霊は古巣へ帰らせ、
サクを極楽へ救うべく努力しついに成功したのであるが、その期間中の参考になる点をかいてみよう。
ある時M夫人を前にして私は小声で、「サクさん御憑りを願います。」というと
M夫人は合掌した手がピリリッと慄えたが、これは霊の憑依した印である。
種々の問答の後覚醒するやM夫人いわく、「サクさんが今日来た時は襠裳(うちかけ)を着、鼈甲の簪を沢山髪に飾り、花魁姿でよく見えた。」というのである。
またこういう事があった。
私がサクと問答していると言葉が野卑になり態度もちがうので、「誰か」と訊くと「自分は狐だ」という。
私は「お前は用がないから引込んで、サクさんと入れ替れ。」というと、
今度はサクの霊になるという具合で、人間と狐と交互に憑依するのである。
そうこうするうち狐は「京都へ帰る」と言い出し狐の要求をを快く満たしてやったので、ついに満足して帰った。
サクの霊は私の家の仏壇に祀り、今でもそのまま祀ってある。
かくして化人形問題は解決したのである。
次に前項広吉の霊が憑いて病気になった娘は一旦は快くなったが、一年位経てついに死亡したのであった。
死後一ヶ月位経った時不思議な事が起こった。
それは右の娘の兄に当る者で非常に大酒呑みがあったが、
ある一日部屋に座していると、数尺先に朦朧として紫の煙のごときものが徐々として下降するのが見えた。
するとその紫煙上に人間のごときものが立っている。
よく見ると死んだ妹が十二単衣のごときものを着し、美々しき装いをなし、その崇高き風貌は絵に書いた天人のごとくである。
と思うかとみれば娘は口を開き、「私は兄さんに酒を廃めて貰いたい事をお願いに来た。」というのである。
語り終わるや徐々として上昇し消えたという事である。
そのような事がその後一回あり、次いで三回目の時であった。
その時は例のごとく紫雲が下降し、その上に朱塗りの楷(きざはし)が見え、その橋を静かに渡って来た妹は、
「今日は最後に禁酒を奨めるために来たので、神様の御許しは今回限りである。」といい、それ限りそういう事はなかった。
この兄は、平常から信仰心などは更になく、もちろん霊的知識などは皆無という人物であったから、
潜在意識などありようはずはないから、確実性があり、霊的資料として大いに価値があると思うのである。
因みに右の娘は全く天国に救われたのはもちろんで、私は信仰生活に入って間もない頃であったから、
年若き肺病の娘などを短時日に天国へ救う事が出来たという事実に対し、神の恩恵の厚きに感謝したのである。」
明主様御教え 「狐霊と老婆」 (昭和24年8月25日発行)
「私が実験した多くの中での傑作を一つ書いてみよう。
これは五十余歳の老婆で、狐霊が二、三十匹憑依しており、狐霊は常に種々の方法をもって老婆を苦しめる。
それで私の家へ逗留させて霊的治療を施したのである。
その間五六ケ月位であったが、この老婆は狐の喋舌(しゃべ)る事が判ると共にまた狐の喋舌るそのままが老婆の口から出るのである。
ある日 老婆いわく、「先生、狐の奴が“今日はこの婆を殺すからそう思え、今心臓を止めてしまう”というと、
私の心臓の下へ入り掻き廻しているので、痛くて息が止まりそうで直に死ぬから、
その前に家族に遇いたいから呼んで貰いたい。」と苦しみながら言うので、
私も驚いて、急ぎ電話で招び寄せた。
老婆の夫君初め五六人の家族が、老婆を取り巻いて、死の直前のごとき愁歎場が現出した。
しかるに時間の経つに従い、漸次苦痛は薄らぎ、二三時間後には全く平常通りとなったので、
家族も安心して引揚げたという訳でマンマと一杯食わされたのである。
その後二三回同様の事があったが、私も懲りて騙されなかった。
ある日の夕方 老婆いわく「先生、今朝狐の奴が“今日はこの婆の小便を止めてしまう”といった所、それきり小便が出ない。」というので、
私は膀胱の辺りへ霊の放射をした所、間もなく尿が出、平常のごとくになった。
またある日 老婆いわく、「この頃食事中狐が“モウ飯を食わせない”というと胸の辺りでつかえて、どうしても食物が人らない。」というので
私は、「それじゃ私と一緒に喰べなさい。」といって一緒に膳に向かい、共に食事をした所、
果して「今狐が食わせないといいます、アヽもう飯が通りません。」という。
早速私は飯に霊を入れ、また老婆の食道のあたりへ霊射をすると、すぐに喰べられるようになったがその後はそういう事は無かった。
また私が治療を行う時、首の付根、腋の下等を指頭をもって探ると、
豆粒大の塊が幾つもあるので、それを一々指頭をあて霊射すると、
その一つ一つが狐霊で、その度毎に狐霊は悲鳴を上げ、
老婆の口をかりていわく「アッいけねえ、見つかっちゃった。アア苦しい、痛い、助けてくれ 今出る今出る。」というような具合で、一つ一つ出てゆく。
その数およそ二三十位はあったであろう。
ある朝早く、私の寝ている部屋の方へ向かって廊下伝いに血相変えて老婆が来るので、家人は私を起こし、注意を与えてくれた。
私は飛起きてみると、今しも老婆は異様な眼付をし片手を後へ廻し何か持っているらしく、私にジリジリ迫って来る、
私は飛付いて隠している手を握ると煙管を持っているので、「何をするか。」と言うと
「先生を殴りに来たんだ。」という。
私は抱えるようにして老婆の部屋へ連れ行き、そこへ坐らせ、前頭部に向かって霊射する。
と、前頭部には多くの狐霊がいたとみえ、狐霊等声を揃えて「サァー大変だ大変だみんな逃げろ逃げろ、アア堪らねえ、痛てえ、苦しい」というので、
私は可笑しさを堪え、数十分治療すると、平常のごとくなったのである。
またある日 老婆は私に向かって「先生姜(わたし)には頭がありますか?」と質く、
私は頭へ触りながら「この通りチャントあるじゃないか。」というと、
老婆は「実は狐の奴が“今日は婆の頭を溶かしてしまう”というので、わたしは心配でならないのです。」という。
この事以来常に手鏡を持って、映る自分の頭をみつめている。
訊ねると、「狐に溶されるのが心配で、鏡が放せない。」という。
「そんな馬鹿な事はない。」と私は何回言っても信じないので困ったのであった。
以上のごとき種々の症状はあっても、他は別に変っていない。
もちろん精神病者でもない。
従って、「貴女は正気の気狂だ。」と私はよく言ってやった。
しからばこの原因は何であるかというと、
この老婆は前世において女郎屋の主婦のごときもので、多くの若い女を使って稼がしたが、
それら若い女の職業が客を騙す狐のごとき事をさせたため、
霊界に往って畜生道に墜ち狐霊となったもので、
その原因が老婆にあるから怨んだ揚句、老婆に憑依し悩ましつつ復讐を行っている訳である。
この意味によって現世における職業、たとえば遊女は狐、芸妓は猫、というように、相応の運命に墜ちるのである。
従って人間はどうしても人間としてはずかしからぬ行為をなすべきである。」