狐霊について 9(専従者の寄稿)


明主様御教え 「狐霊の実体」 (昭和27年8月25日発行)

「信者中でも錚々(そうそう)たるインテリゲンチャの布衣生(ふいせい)君、

下記のごとく狐霊の実在と、その千変万化の様相が分ったそうで、まことに結構である。

もちろん神様がそうなされたに違いないが、未信者は言うまでもないが、

新しい信者などでも、同君と同じように動物霊の存在は、信じられ難い人もあるだろうから、

そういう人達にはこの文を読んだら大いに目覚めるであろう。

そうして浄化による肉体的病苦は、信者なら分っているが、

憑霊による事も仲々少なくないので、これについて私は今まで余り説かなかったのは、迷信に見られ易いからと、

今一つは憑霊現象といえども、それに相応する霊の曇りがあり、浄霊でその曇りが解消して治るのであるから左程重要なものでもないからである。

という訳だからその人の必要によっては、神様が布衣生君のように直接教えて下さるので、それでいい訳である。」


体験談 「狐霊は教える」 布衣生

「私は、長虫の類や狐狸なぞの動物を見ると、生理的な嫌悪を感じる性分だ。

都会生れの都会育ちで、生きた蛇は、街の蛇屋の陳列窓で、やがて黒焼きにされる日を待つばかりの縞蛇や蝮が縄に似た生態で、うごめいているあれでさえ、顔をそむけて通るほどの蛇嫌いで、

運悪く夢にまで見ようものなら、二、三日は気色が悪く、食物ものどを通らない。

狐は上野の動物園で、子供達と何べんか見たが、高慢ちきで狡(ず)るそうなあの鼻面を、指先で弾いてやりたい思いに駆られるのだ。

御婦人が、これ見よがしに襟に捲いた狐を見ても、なんと低級愚劣な趣味だろうと、死んで毛皮を残した狐より、当の御婦人たちを軽蔑したくなるのである。

これら大嫌いな、長虫や狐狸どもが、その生を絶って霊界に赴いてから、万物の霊長様である人間に種々雑多な悪さをするというのだから、いよいよもって狐狸と長虫は度し難い。

蛇の執念の恐ろしさは、今は昔、何やら幸太郎という人が、勧善懲悪が筋書で、蛇の沢山出る芝居を、小屋がけの汚ない舞台で演じたのを見て、幼い魂を慄え上がらされた覚えがあったし、

舞踊の道成寺や安珍清姫の芝居を見て蛇の執念は知ったが、いずれも人間の念力の具象化、としか考えられず、

年寄りが語って聞かせた、狐の嫁入りの話を、子守唄がわりに喜んで聴いた時代も、私たちの年輩の者には懐かしい思い出であろう。

しかしこれ等の話や芝居は、あくまで物語りであり、芝居であって、実際にあった事でもある事でもない。

誰しもがそう信じて成長してきたはずであった。

たまたま目についた、古書の「日本霊異記」を珍本として購(あがな)い、秋の夜ながに読み耽ったこともあったが、科学に基礎を置かない。否科学そのものがなかった。

私たち祖先の考え方の単純さ、幼稚さに憐れを催しただけであった。

戦争中、草深い田舎に疎開したとき、狐に憑かれた娘の話や、狐を使って盗みをする老婆のことを聞いたり、

新聞で、狐憑きの娘を煙り攻めにしたなぞという記事を読んでも、

原子時代の今日、まだこんな阿呆な考えに捉われている人があるのか、と、密かに慨嘆した事もあった。


実のところ、今はじめて白状するが、過去、現在を通じて比べるもののない、完璧無双の大宗教である、メシヤ教の出版物に、狐、蛇、天狗、龍神なぞの時代ばなれした文字を散見する度ごとに、眼を覆いたい思いであった。

メシヤ教自体は、正に現代より一世紀進歩した二十一世紀の大宗教でありながら、天狗、龍神をいうのでは、ランプが行灯の昔に逆行するものだ。

せめて信者の入門書ともいうべき「信仰雑話」からだけでも、それ等の個所を省略して貰いたい。

教団のえらい役員に、憶面もなくそう率直にお願いし、すげなく拒絶された事もあった。

この事は、ただに私の所懐だけではなく、現代の教育を受けた知識階級の人々が、こぞって思うところであり、

折角メシヤ教へ入信を思い立っても、この一条だけで迷信という印象を受け、重大な障害となって、入信する気持が挫折した。

という話も幾たびか聴いたことがあり、その都度、やんぬる哉、と嘆息したものである。


私は所縁あってメシヤ教に帰依し、明主様に救われた感激のほとばしるあまり、

神を信ぜずして無明の闇に沈吟する俗物を相手に論争しかけてはこれを凹ませ、

メシヤ教が万宗に冠たるゆえんを経々と説き、ひそかに快をむさぼった小乗的境地は、今もなお機根低くして超えられないでいるが、

論争がたまたま、狐狸、龍神に及ぶと受太刀になり、防戦、陳弁大いに努めても、敗色歴然たらざるを得なかった。

自信、確信を欠いた論理は迫力を欠き、人をして納得せしむるものではないからである。

また、同信の方から狐霊や蛇霊の話を聞く時も、人知れず眉に爪に唾を付けて承るのが常であった。


こうして今までの私に、狐や長虫の霊が悪さをするのは真実である。

原子時代といえども、明主様の御教えに違背あるべからず。

と、私に欠けていた自信確信を付けて下さる為めはからずも神様がその実験のテキストを与えて下さったのである。

それは、狐霊に憑かれた人と、蛇霊に苦しめられていた人と、共に婦人であったが、

蛇霊については又べつの機会に譲って、ここでは狐霊の実在を証明する出来ごとと、

それから知り得た教訓だけを誌して、私と同じような疑問を持っている方々の参考の便に供したい。


狐霊に憑かれていた人は、河原サキ(仮名)という四十三、四の女で、

二年ほど前に、悪質な梅毒を患らい、浄霊によって全治したが、

何を考えちがいしたものか、救ってくれた恩人の悪口を近所の信者に言いふらしていたが、

やがて日夜わかたず、狐霊に悩まされるに至ったものである。

初めのうちは、このあたりで屈指の、中教会長に縋って浄霊を戴いていたが良くならず、

そのうち、中教会へ通う交通費にもこと欠く生活難に陥り、親戚の者ももて余して、精神病院へ入れるより途はない。

とまでの土壇場まで追い込められたのだが、以前、梅毒を治してくれた信者の家が近いので親戚の者が付き添ってそこへ浄霊を依頼しに来たとき、丁度その場へ私が往き合せる羽目になったのであった。

梅毒を治してやった信者さんは、気の毒なこの状態を見て信仰者らしく以前の悪感情を捨てて、この人を救うべく、私の協力を求めた。

信者の多い中教会へ、だいぶ久しく通ったので、狐霊の憑いた女のことは、このあたりの信者で、誰れ一人知らぬ者のない程、有名になっているらしく、

浄霊中のあられもない所業の数々を、その時私は聞いたのだった。

中教会長の名を呼び捨てにして、しっかり浄霊頼むぞ。

と叫んだり、浄霊の順番が廻ってくる迄、御神殿に長々と寝そべり、寝て待っててやれ。

なぞと放言した事もあったそうである。

そんな事を聞いて、狐霊の実在に疑いを持ちながらも、いざ狐霊と言われてみると、私も少々、薄気味悪くなってきた。

狐憑きの女は。と見ると、眼は吊上って絶えずその瞳はくるくると、動いている。

そうして傍にいる者にも聞き取れない程の小さな声で、何かぶつぶつと口の中で呟やいているのだ。

精神病かな。私はまだ半信半疑であった。

布衣先生。お浄霊願います。

そう言われて私はあわてた。あなたが浄霊して下さい。と私は逃げた。わたしでは駄目ですよ。

中教会の先生でさえ、名前を呼び捨てにした位の大変な狐ですから、貴君がやって下さい。

有無を言わせぬ強い言葉に、私は進退窮わまった。

悪い所へ来合わせた。今更後悔しても追い付かない。

持ち前の図う図うしさを取り戻すまでには、少し暇がかかった。

ええ、ままよ、やってやれ。私も覚悟を決めた。

同信の方々から嘗つて聞いていた、狐霊の話や、明主様が狐霊を浄霊で祓らった御経験談やらを、一生懸命思い出そうとしたり、

法華経の行者なら、この場合、相手の頭の上にお曼鼻陀羅をかざし、調伏の経文を読むであろう。

なぞと、それからそれへと妄想が湧き、かえって思念の統一が妨げられるばかりである。

浄霊を厭がる女を、二人の信者が押えるようにして、私の前に坐らせた。

あの名高い先生さえも、名を呼び捨てにして、しっかり浄霊しろよ。

と言った狐だから、私には何と言うだろう。

お前みたいな、下ッ端野郎では駄目だ。とでも言われたら世話はない。

そんな下らない事さえ気にかかったが、最早、絶体絶命だ。

一瞬、雑念を払らって、まず定石どおり、天帝にむけて浄霊して霊気を入れた。

と、女は双方の眼を一層吊り上げ、両手を頭の上に挙げて、私の顔を食い入るように見詰め、オオこわい。この先生はこわいよ。

と、一歩一歩、後ろへさがってゆく。

占めた。何んの考えもなく、私は腹の中でそう叫んだ。

後へ退がる相手を追い詰めるように、私の膝も心もち前へ進ませ、浄霊をする。

女はまた後ろへいざって逃げようとする。

同信の方が女の身体を押えて、また私の前へ無理に坐らせた。

と、今度は両手を男のように前へ組んで、よし。

まだ浄霊するか。浄霊なんか入れさせないぞ。

負けるものか。頑張れ。

と歯をくい絞って私の顔を睨んだ。

あら、不思議。今迄身体に透っていた霊気は、鉄板に向って浄霊しているような感じで、全然とおらない。

私は周章狼狽した。と同時に、怒り心頭を発した。

このド狐奴、姿あるものなら、生捕って毛皮にしてやるものを、ともすれば怒りのために、力が加わりそうになる浄霊の手を、力が加わらないように努めながら、腰を据えて根比べのつもりで浄霊を続けた。

四、五十分もの間、彼我無言の闘いを続けると、相手は、ああ負けた。

とうとう負けちゃった。

と組んだ手を膝に重ね、眼も力なく下を向き、御免なさい。

私は悪い狐です。御免なさい。と言った。

だが、私は明主様の御教えにあるように、下手な口をきいて相手に乗ぜられては。

と思い、無言のままでいて浄霊の手を休めない。

すると、又相手は眼をいからして、まだ浄霊するのか、身体が熱くて焼かれて仕舞う。

よおし、頑張るぞ。と、一たん下した両手をまた組み直し、私を睨んだ。と、また霊気が透らなくなった。

こんな事を三、四回線返していると、私も疲れてきた。

どうせ一遍で落る狐ではないと考えてその日はそれで中止した。


狐霊が落ちるまで、貴重な時間を三日費いやしたが、

二日目、三日目の浄霊中の出来ごとを、詳わしく書いても紙幅を費いやすばかりであり、

経験した同信の方々には珍らしくもないであろうから割愛するが、

その内の疑問に思った点や、学んだ教訓だけを誌して置く。

自分から、私は悪い狐です。

と言った狐が語るところに依ると、先生が出てゆけ。

と言っても、私は元々、この女の副霊だから出てゆくところがない。

先生が、どうせ憑くなら、こんな哀れな女に憑かず、ロシアへ行ってスターリンにでも憑け。

と言ったが、私はあんな悪い奴は厭です。

私はこの女と夫婦になりたい。

それが駄目ならこの女を地獄へ連れて行って、針の山を歩かせてやる。

先生は、お前がこの女を地獄へ連れてゆけば、お前も地獄へ行くぞ。

というなら地獄へ連れていくのは止めます。と言った。

三日間の中に、私と狐の問答は以上で尽きる。

これから判断すると、副霊がこうした狐憑きの状態にさせるのと、稲荷の眷属や、何かの狐霊が憑依するのと二通りある事になる。

この一部始終を見ていた、信者たちも、私の意見を求めたが、明主様にお伺いする以外。私なぞに判る事ではない。

狐は、またこんな事も言った。

小母さん(狐は、自分が憑いている女をこう呼んでいる)浄霊のお礼はどうするんだ。金は一銭もないじゃないか。

狐でも、有難い浄霊を戴いたら、お礼をする事は知っていたのだ。

それに引かえて、人間でありながら、病気を楽に治して貰らっても、お礼は最低の上にも最低に、と出し惜しんだり、

酷い奴になると、宗教は人助けをするのが当然の仕事だから、と手前勝手な理屈を付けて、全然、礼をしないのもいる。

正に狐に劣った動物というべきであろう。


狐はまた教える。

小母さんの家に仏壇はあっても、お屏風観音がないじゃないか。

それじゃあ、御先祖が救われないよ。

お屏風観音様を奉祀する事が、どんなに大切であるか、これには私も、居並らんだ信者たちも栃麺棒を喰らった格好でお互いが顔を見合わせて感嘆した。


そして又、こんな事もあった。

狐が浄霊で大人しくなった時、その女は、他の信者への不服を洩らした。

すると狐は大変に怒り出して、それ見ろ、折角、浄霊で綺麗になった血が、人の悪口を言ったから、見ている間に、又血が濁ったぞ。と。

信仰者は平生の言動にも、心しなければならぬ理由が釈然とした、と共に、浄霊によって、血液が浄化される過程を、狐はその眼で見て、私たちに教えたのであった。

狐霊と、三日間たたかい続けながらも、冷静な気持で、私はその女を観察していたつもりである。

そして女も、狐霊とたえず格闘している。という印象を受けた。

女の家と、私が浄霊に行く家とは、二、三町程の近い距離でありながら、狐に邪魔されて何べんも足をすくわれて倒される。

女はその都度、この野郎、邪魔するか。

この野郎と怒鳴って起き上り、光明如来様をお祀りしてある、その家へたどりつくのだった。

浄霊のあと、それは正気に返えった。

と思われる時、あたしは人間だよ。

お前は畜生じゃないか。なぞと狐霊と問答しているし、私が女に、いまその狐は何をしている。

と訊くと、先生のお話を舌を出して聞いています。

とか、椅子に腰かけて、天津祝詞を筆記しています。

とか狐の動静を知らせ、先生に失礼だぞ。と叱ったりする。

煙草を一本下さい。女が手を出したので、火を付けて与えると、女は美味そうに一口喫い、さあ、お前にもやるよ。

と自分の肩のところへ、煙草を持っていった。

狐使いなら、管狐を肩へ乗せている。

というが、この狐は血管の中を通っているのを、この眼で見て逐ったのだが、考えてみると、何んだか、こちらが瞞されているような工合でもあった。


精神病の医者が、この女を診察すれば、精神分裂症の病名で、気違い病院へ入れるだろう。

とすると、精神病院の入院患者のうちには、メシヤ教の浄霊で治癒する人が沢山いるはずだ。と思った。

二日目の浄霊のとき、私の家から使いの者が、一通の電報を持って来た。

展いてみると、知人からのもので、危篤だからすぐ来い。

としてある。浄霊をやめて帰えれば、又、狐が元気を取り戻すし、困ったな。

と思うと、これはまたどうだ、すぐ狐奴が知っていて、先生はもう帰えるから、頑張るぞ。

と喜んでいるのだ。狐の持つ透視術、読心術の練達さに腹が立ったり、羨やましさも感じて苦笑した。


神様が、私に与えて下さったテキストに依って、私は三日間、修業させて戴いた訳であるが、

明主様の御教えは厘毫の間違いもなく、総てが真理そのものである事と、

メシヤ教の名はお光り様とも呼ばれ、現界の信者のみならず、霊界の諸霊様まで救われており、

浄霊の素晴らしい霊力、御祭神様のあらたかな霊顕は、霊界の動物霊に至るまで、良く徹底して弁えており、

メシヤ教を目して迷信、邪教と言って騒いでいるのは、吹けばスッ飛ぶ鼻糞ほどの智識を誇り、

霊子時代に遥か及ばぬ原子科学を至上と信じてうぬ惚れている人間共だけである事を、見事、動物霊に教えられたのであった。

生半可な智識に厄いされて信じられなかった、狐霊の存在も、迷信視されていた狐憑きのいる事も、すべては真実であったのだ。

私達が、いかに疑っていても、狐霊はあったのだ。

動物園でひとを小馬鹿にしたような面をしている狐や、婦人の襟巻になっている狐の外にも、歴然として狐霊はあった。

明主様の御教えには、針の尖ほどの誤もなかった。

眼に見える以外のものを信じないのは、無神論者ばかりではない。

狐霊を、如実に逐い落した経験を衆人環視の中に神様にさせて戴くまで、狐霊の存在を半信半疑していた、己れの不明さ、信仰の不徹底さを神様に陳謝申上げたのであった。

終りに、この狐霊の教えによって、屏風観音様を早速いただいた人と、入信をためらっていた人が、浄霊の力に感じ入って入信した、という大収穫があり、

また、狐霊の憑いたその日が、奇しくも六月十五日、昏迷、明らかならざりし霊界が、ここに完ったき黎明を迎えた日であった。ということを付け加えて擱筆する。」




明主様御教え 「狐霊でさえ薬毒の害を知ってる」 (昭和26年12月26日発行)

「左記一信者の報告は、狐霊が一老婆に憑って、薬毒の恐るべき事を知らした記事であるが、実に面白いと思う。

これによってみても分るごとく、狐霊が人間の生命を奪ろうとする目的で憑依する場合、無暗矢鱈(むやみやたら)に薬を服ませたがるものである。

ゆえにこうみてくると、現代科学者よりも、狐霊の認識の方が正確であるという事になるから、

これでは今日の科学者は、狐霊以下という訳である。としたら実に可笑しな話ではあるまいか。

この記事を世の科学者に、読んで貰いたいものである。」


体験談 薬毒を説いた狐霊の話

大分県 晴々中教会 SM(男性)

「狐霊は本当にあるものですね」と感慨深げな面持で、入信後なお日のあさい一人の信者さんが話してくれた実話です。

「なにしろ初めての事なので、実に驚きました。まあ御聞き下さい」と前置して語りだしました。

「西大分(大分市)のある家の老婆ですが、長患いの果、いわゆる「薬石効なく」というので家人も大変心配しておりました。

ちょうどその時本教の有難い御話を耳に致し、最後の手段として御浄霊を私に頼みに来ました。

さてその御婆さんですが、驚きましたね、文字通り糸のようにやせ細ってしまい、到底この世の人とは思えぬ位、

まあ骨の上にすぐ皮がかぶさっているとでも申し上げれば大体に解っていただけましょうか、とにかく頼まれた事ですから、御浄霊させていただきました。

暫く続けましたところ、有難い事ですね、あのお婆さんの石のような顔に生気が出て参りました。

お婆さんは弱々しい声で「大変気持がよくなった」といって何度も礼を申します。

又家人も非常に喜んでくれました。私もまあ頼まれた甲斐があった訳で嬉しく思いました。

しかし勿論こんな状態ですから、いくら私でもこのお婆さんが助かるなどとは思いませんでした。

幾分でも楽になってくれれば位の気持でした。

それから三回位御浄霊させていただきましたかね。


先日真夜中に私を呼びに来まして、「様子がへんだからすぐ来てくれ」というので、早速自転車でとんで行きました。

成程いつもと様子が変っております。早速御浄霊をいたしました。

素人目にも重態なので、心の中では光明如来様を念じ一生懸命でした。

すでに危篤の報に接し驚き馳せ参じた縁者やお医者さんが枕頭に並んでいたのですが、私の眼には入らない位で、唯一心に御浄霊を続けておりました。

いきなり死んだようなお婆さんがしゃべり出したじゃありませんか、吃驚しましたね。

はてなと思って私は聞耳をたてますと、「ああ苦しい、ひどい目に合せやがった、もう我慢ができねえ」という異様な言葉が飛出したんです。

驚きましたね。私は、だが初めの中はお婆さんの指が段々黒くなって来ていましたので、その痛みにたえかねての苦しみの言葉かと思ったのです。

しかしどうもお婆さんの声にしては少々変なので、はてなと思うとたんに、

「何だって俺をこんなにひどい目に合せるのだ、もう止めてくれ、ああ苦しい」という再度の言葉、しかもはっきりした男の声です。

私はやっと気がつきました。ははこれは何か霊が憑っているな、はっとして私はお婆さんの顔をきっと見直しました。

それから居並ぶ人々の顔をずっと見廻しましたが、皆ただ驚きの眼をみはって老婆の顔を見守っているばかりです。

すぐ心の平静を取戻した私はここだとばかり、直にその霊に向って、「あなたは誰だ、名前をいいなさい。何だってこのお婆さんをこんなに苦しめるのだ」と一気にいってやりました。

すると「俺は小島稲荷だ、とうとうばれてしまった。実は長い間この婆さんに憑っていたが、とうとうやられた。もう苦しくって我慢が出来ない、もう出るよ」といったので、狐霊である事が分ったのです。

そこで私は、「なぜこんな悪い事をいつまでもしているのだ。こんな事をいつまでもしておれば、最後はどうなる位知っているだろう。

早く改心して善事をしないと神様は御赦しなさるまい」というかいわぬ中に、

あの足腰のたたない死んだようなお婆さんが、いきなり身体を起したんです。

吃驚しましたね。急いでささえようとしたところ、しゃんと座ってしまったので二度吃驚です。

「ああ驚いた。本当にお前の神様は偉い神様だ。さすがの俺も今度は負けた。

こんなにこわい神様とは知らなかったよ。

実は以前からお前のような奴等が来ては勝手な真似をしているのが癪に障っていたのだ。

だから随分邪魔をしてやった。大分の○○も、××も、又△△も、皆騙してやったのはこの俺だ。

とうとう皆迷って止めてしまったのだ。

しかし今度は本当に参った。こんなに大した御力とは気がつかなかった。

いよいよ俺も降参せねばなるまい。改心するから、もう勘弁して・・・」と言いましたから、

「分ったら早く改心して、これからは善い事をするのだ。

神様の御手伝いをして一日も早くお前も救われるように・・・」といってやりました。

「分った、分った、本当に改心する。では善い事の為、初めにお前に大事な事を教えてやろう。

それは薬が一番悪いという事だ。

人間共は薬を有難がって盛に飲んでいるが、これが一番いけない。

馬鹿な話だが、薬で病気が治ると思っているからお目出度い。実はサカサマなんだ。

この婆さんにしたところが、薬を飲み過ぎたんでもう助からないのさ、

かわいそうだが仕方がない、婆さんの指が黒くなったのを知っているだろう。

あれは薬の毒が下ってるのだ。まあ論より証拠だ、この婆さんが死んだら焼くのだろう。

そうすると、後頭部と肝臓に真黒になって焼け残るところが出来るよ。

それが薬の毒の塊だよ。薬をさんざん飲んで、身体を真黒にしてしまい、苦しい苦しいで死んでゆけば、どうせろくなところへ行けっこないさ、

だから霊界へ行って、皆すぐ後悔するが後の祭という始末だよ。

だがこの婆さんは倖せ者だ。お前の神様のお蔭で大変きれいにして貰った。

どんなに救われた事か、婆さん霊界に行って、きっと有難がるよ。さあ俺もこれで帰る。これからは善い事をする御手伝いもしよう。

お前も分ったら一生懸命人助けをする事だね」といったかと思うと、ばったりお婆さんは倒れました。

後はしんとしてしまい、静寂そのものでした。

一時の緊張から解放された私は思わずほっとして、もう一度お婆さんの顔を見直しました。

驚いた事には老婆のあの醜さはすっかり消えて、安らかな清々しい顔付ーふと気がついて縁者の方へ振向いてみますと、

一同放心したように驚異の眼をみはって、ただじっとお婆さんの顔を見つめているばかりでした。

お婆さんの霊はすでにこの世を去ってしまいました。

しかし不思議な事に誰の顔にも悲しいかげが少しも見られなかった事でした。


後日家族の人が話してくれたところによりますと、お婆さんを火葬にしたところ、狐霊の申しました通り、

その後頭部と肝臓が真黒に焼け残ったそうで、これには骨揚げに行った縁者一同唖然としたとの事です。

私は何しろ初めての経験ですから、狐霊の奴騙すのではないかと半信半疑でおりましたが、

この話を聞いては、どうしても信じない訳にはいかなくなりました。いかがなものでございましょうか。


明主様の御教はいつも有難く承っておりますが、正直に申し上げますと、薬毒の御話については解っているようで、実はまだ本当に分っておりませんでした。

と申しますのは、御存知の通り、私は丈夫な質でして、余り薬と縁がございませんでしたし、

又入信の動機も病苦の為めではなかったからです。

しかしこの経験によって、薬毒の霊、体に及ぼす恐ろしい事がはっきり解りました。

こうして明主様の御教の真実性が霊的にも体的にも証明されたばかりでなく、

今日の社会の裏にひそむ大きな謎が何だか解って来たような気がします。

明主様の人類救済の御意義もおぼろげながら、私の鈍な頭にもひらめいて参りました。

又御教ばかりでなくこの危機に悩み苦しむ人間を霊体ともに御救い下さる絶大な御力ー御浄霊の絶対力を御授け下さる尊さ、有難さは何と申し上げてよいか、その言葉もございません。

こうして考えて来ますと、一体全体、明主様とはどういぅ御方なのでございましょうか、などと申しますのも恐れ多い気がいたします。

とにかくこれで私も本気に御道を勉強させていただく喜びが心に溢れて参りました・・・」と言い終って、ほっと溜息をもらした彼は、その時の感慨からいまだ醒めやらぬ面持で、煙草に火をつけたのでした。

ちなみに、大分の○○、××、△△などという人々は狐霊の申しました通り、実際おられる入信者達であり、

又今はすっかり迷って教会から遠ざかってしまっている方々である事は本当であります。

勿論後輩である彼がこの人達を知らないのは当然であって、むしろこれらの名前を聞かされて驚いたのは私でした事を付記致します。」




体験談 「狐霊の離脱」 (地上天国 10号 昭和24年11月20日発行)

日本観音教大成会鶴明分会 KK(38・女性)

「私は昭和二十一年十一月尊き御道に救われて以来数え切れない御守護と御利益にただただ有難く頭が下るので御座います。この度の尊き体験に拙き文章を以って御礼の御報告を申上げます。

同村(地名省略)SIさん方娘、SH(二五)は一昨年前より体の具合悪く時々シャックリが出初めると七八日も続き

医師の診断によれば、こんな病気は百人に一人か千人に一人で病名は全く不明とされていたのだそうですが

本年、八月二十九日突然頭痛を起し、泣いたりあばれたりするので家族の心配は一通りではありません。

何か良い療法はないものかと各地方都会と種々聞き求めましたが、見当らず、悲観の絶頂の折柄観音教の偉大さを知り私を迎いに来ましたので、

同村佐藤かつえさんと一緒に行き早速御浄霊させて頂きましたところ、驚く程の奇蹟を体験させて頂きました。この日は八月三十一日で御座います。


まず南方箱根へ向って大先生様に御守護を御願い申上げました。

そして御浄霊させて頂き、祝詞、善言讃詞、御讃歌をあげさせて戴きまして約一時間後、病人は次の事を発言したのであります。

病人「帰る帰る。」

私 「どこへですか家はどこですか?」

病人「この家の山つづき飯盛山の作兵エの所にある稲荷様。飯盛山では氏神様ですよ。」

私 「祀られておりながらどうして憑いたのですか。」

病人「この娘を嫁に貰って行くために来た。くれなかったら帰る事が出来ない。」

私 「娘はくれる事は出来ないから何か娘に代るもの(お人形)にして下さればどんな用件も致します。」

病人「嫌だ、どうしても連れて行く。」と言い病人は非常に怒り始めましたので再び善言讃詞、御讃歌を奉唱致した後、

「いつ頃から憑いておりましたか?」と尋ねますと、

病人は、「去年七月十一日、この娘が体が悪くS市の○○医院へ行く途中新田の稲荷様の前でたおれた時、向側で手まねきしたのが私です。

あまり気の毒なので肩に手をかけ○○医院まで送って行き、家の者が迎いに来るのを待っておりましたが、誰も来ませんのでまた家まで送って来てそのままおります。」

御浄霊の後御讃歌奉唱致しますと非常におとなしくなりましたので、

私はなお祝詞、善言讃詞、御讃歌を奉唱致し、「どんな感が致しますか」と聞きますと

病人は、「有難くて有難くて。」と合掌し、頭を下げて喜び、しばらく手を眺めていたがやがて、私の指先を見、「ああきれいな御光が指先から出る事出る事、嬉しい嬉しい、今日は本当に嬉しい。」

いかにも嬉しそうに「左右の肩からスイスイスースーと入って行くこんな有難い事、親にも兄弟にも皆に知らしてやりたい。」と言うのでこの狐にも親兄弟がある事が解りました。


また、「あなたに自分の頂いている神様はどんな神様か御解りですか?」

病人、「解りますとも一番最高の神様です。」

私 「御軸、御屏風はこの家に祀っても良いでしょうか。」

病人「御屏風は家内全部解らなければ祀ってはいけません。もったいないから御軸は最高の神様ですから御神殿を別に造りヽ立派なところへ御祀りしなさい。もう一度御讃歌を奉唱して下さい。」と言う。

「御讃歌の何頁ですか。」と聞きますと「十四頁の神の御光」と言いますので早速奉唱させて頂きますと、大変喜び、合掌の姿より笑声と変り、踊るようなふうをなし指でタタミへ爪を立て、「三味線」と言うていとも嬉しそうに喜んでいましたが、

娘をもらうと最初随分元気でありましたが祝詞、善言讃詞、御讃歌と有難い事ばかり奉唱致しましたのであきらめたか

前人は、「どうしても連れて行く事が出来ない。仕方ないから代りに赤いお嫁さんもらって今夜七時帰ります。」

私は、では「赤いお嫁さん買って来るがそれだけですか。」

病人は、「赤いお嫁さんですよ、赤いお嫁さんですよお嫁さんもらふのだから結婚式の準備して、何でも正式にして下さい。」と次の事を差図しました。

五人前の御膳、三ツ重盃、御酒一升、御祝スルメ、御祝儀一封、紙二枚水引で祝う。稲荷ずし、赤飯、大きな魚、油揚、お菓子、果物沢山もらって帰ります。

送って行く人は両親、(資格者と会員)荷送一人送る場合絶対に後を見ないでと、何回もくり返す。

私が娘から離れると今一度苦しみますから今夜一晩御浄霊して下さい。

全部門まで送り結婚式は七時二十分完了でありました。

私結婚式準備の時驚いた事は言う通りに品物を取りに行くと、その通り有る事には霊の働きの不思議なものであるを知る事が出来ました。

私は一番最後に、「お家へ帰られましたら他に憑かないで、地上天国建設のために働きなさい。」

病人は、「一生懸命働かせて頂きます。有難う永い事苦しめてすみませんでした。」と頭を下げてしばらく何も言わなかった。


霊が帰り、三時間の間に三回の苦しみが来て、御浄霊によりすっかり全快致しました。

その一時間は十時三十分であり、そのまま翌朝まで眠り、目を醍しますと同時に体に異常なく元気でした。

今までのあり方を聞いて見れば全然不明でした。

狐霊の尊き体験、偉大なる奇蹟に、ただお観音様を有難く、今後のいかなる霊的事象にも救う事が出来る信念を特つ事が出来て、大いなる建設の一員として御奉仕を致す覚悟で御座います。

大先生様有難うございました厚く厚く御礼申上げます。」




読者の声 霊界異変 (地上天国 16号 昭和25年8月15日発行)

天国大教会陽光中教会 TM(男性)

「岡山市外大野集会所の近所にHさんと云う熱心な信者さんの一家があります。

その家の若奥様は数年来のカリエスにて臥床しておられましたが、御一家揃って熱心な信仰生活のお蔭で最近は大変軽快になられ、外出も出来るようになられました。

この奥様には今までに狐、狸、龍神等色々な霊が憑いていて霊も見える事があるし、無声の声も聞こえ、また霊が浮いてしゃべる時にも御本人には皆判っているという特殊な性能を具えた方であります。

最近興味ある憑霊現象があり、参考にもなると思いますので左に記載致します。(一部のみ引用)」

その二 狐霊 HS(男性)記

「十一月九日、朝から体が苦しかったのですが、夜になりまして、丁度八時半から母に御浄霊して頂きました。

直ぐに狐らしいものが、浮いて来ましたが、はかばかしく参りませんまま三十分程経ちました。

何か大きなものが浮いて来そうな予感が致しました。

それから十分もした頃、急に腰が、烈しく動き出しました、龍神が浮いてきた様子です。

とても烈しく動きました。暴れまわりました。

暫くしますと、大きな口を開けてハァー、ハァーと大変な勢で息を吐き出しました。

龍神らしく思われましたけれども姿も見えませず、ただ大変な力を持ったものだという事だけが判りました。

その中「口を借りに来た」と声には出しませんが、お腹の中で申しました。

「龍神か」とたずねると、「龍神だ」とただ一言申しました。

ハァーハァーと吐く息の烈しい事、物凄い形相は今まで出たどの霊よりも烈しゅうございました。

そうして息を吐き続けること三十分以上、どんな大変な霊が出たのかと恐ろしくなりました。

その中に善言讃詞を数回あげて頂きました所お腹の辺りに、わだかまっていたものがぐっと胸の方まで上って来ました。

けれどもやはり何にも申しませず、姿も見えませんでした。

ただ「おれを誰だか知っているか」ということをこれも無声の声で三回程申しました。

余り気持が悪いものですから祝詞をあげて戴きますと、今まで体全体にわだかまっていたものが、スーッと細くなりまして、中央の辺りから直経一尺ばかりの丸い形のものが、スーッと出て、そのまま何もいなくなりました。

確かに狐霊だと思います。あれだけ烈しい力で暴れていた(今まで出たどの龍神よりも烈しい力でした)ものがあんなに簡単に出る筈もありませんし、龍神だったら、そのままの姿で頭から、そろそろと出てまいります。

あんなに急に小さくなって、丸い玉になって出ることなんかありません。

何も言わないで、こそこそと尻尾を巻いて逃げて行きました。

その中また背中が苦しくなりましたから、御浄霊して頂きますと、今度は直ぐに狐霊が出てまいりました。

次に狐霊の申しましたことを書いて見ますと

「お前は狐だね」

「狐だ」

「どこから来たのですか」

「教導所から来た。今出た狐は自分の親分だ。

今まで教導所にいて邪魔をしていたけれど親分が逃げて来たから自分も一所に逃げて来た。

あの親分は、この辺り(大きく全県下という程広い意味にとれました)の狐族の親分だ、狐達は全部この親分の命令で動いている。

今まで自分達は親分の命令で一生懸命神様の邪魔をしていた。

みんな手分けして働いていたけれど、とうとう親分が負けて逃げてしまった。

狐軍総退却だ、いよいよ俺達も悪い事が出来なくなった。世も末だね。

これで、神様にお詫び申し上げて許して戴ければこの辺りにいれるし、さもなければ、山の中へでもかくれるより外にいる所がない。

こう明るくなっては自分達の悪い事も出来なくなった。もうおしまいだ」

「教導所には何匹位いましたか」

「何匹といって決っていない。地方にはそれぞれ頭目がいる。それが絶えず出入りして報告し命令をきいて帰る」

「子分は何匹位いますか」

「何匹いるか余り多くて数えられない」

「これからあんたはどうしますか」

「当分は親分の命令をきかねばならない。その中様子を見てどんな行動を取るか定めるつもりだ・・・自分は神様にお詫びを申上げて許して戴いて、この辺りに置いて頂きたいのだけれど親分は改心の色など見えないから、神様につくか親分につくか、これからよく考えてきめるつもりだ」・・・暫く間を置いてから

「自分はやはり親分のところへは帰らない。光明如来様にお詫びを申上げて許して戴く」

こうして孤霊が出て行きました。

狐軍総退却だと言った時、この人間の世界の頭上を覆っていた暗雲がさっと取払われたような気がしました。

終りましたのは十時半、丁度二時間かかっていました。」