副守護神について 6 (副守護神の存在意義・必要性)


明主様御教え 「守護神」より (昭和18年10月23日発行)

「(一部のみ引用) そうして本守護神は絶対善性であり、良心と名付けられているものである。

又副守護神は反対に絶対悪であって、邪念と名付けられているものである。

仏教においては良心を称して菩提心又は仏心といい、邪念を称して煩悩というのである。

この相反する想念が常に心中で闘っている事は今更いうまでもないが、これはいかなる訳であるかというと、人間の生存上、善心のみにては活動が起らない。

何となれば、物質欲が起らないから競争心も優越欲も享楽欲も発生しないからである。

しかるに、悪心なるものは、物質的欲望が本性であるから、副守護神なるものの憑依がなければならない理由があるのである。

故に、端的にいえば、人間とは神と動物との中間生物であるから、いかなる善人といえども幾分かの悪は必ずあり、いかなる悪人といえども幾分かの善はあるものである。」 (「明日の医術 第3編」より)




明主様御教え 「兇党界」より (昭和22年2月5日発行)

「(一部のみ引用) 本守護神には常に正神界から霊線を通じて良心が伝流され、また副守護神には邪神界から霊線によって、邪念を伝流して来る。

そもそも万有の生成化有は相反する二元素、すなわち陰陽、明暗、火水等の摩擦と融和によるのである。

この理によって人間といえども善悪両面の活動によって力が発生し、それによって人間天賦(てんぷ)の使命を遂行し得らるるのである。故にこの場合悪といえどもいわば必要悪である。

何となれば本守護神は良心的本質によって善を想い善を行うに反し、副守護神は悪に属するもの、すなわち体欲の本質を発揮するからである。

体欲とは所有欲、優越欲、独占欲、名誉欲、贅沢欲等々の物欲である。」




明主様御垂示 「副霊も必要」 (昭和23年7月13日)

信者の質問
「昔から種々の会合の場合、酒を飲む事が多く、また酒を飲む方が空気も和らぎ話し合いも円滑に行くように存じますが、これもやはり副霊の働きによるものでしょうか。」


明主様御垂示
「勿論そうである。すべて物質的の享楽的の事は皆副霊である。

副霊だって必要で、副霊がなければ人間は馬鹿みたいになる。」




明主様御垂示 「副守護神がないと種族が絶える」 (昭和23年8月16日)

信者の質問
「副守護神の事・・・」


明主様御垂示
「これは動物霊で、人間は生れてから三つか四つになる頃動物霊が憑く。

本守護神は神の分魂で、本守護神だけだと本当の良心であるから決して争わず、物質的欲望はない。

人類文化は善悪が摩擦して発達する。絶えず人間の心の中では善悪が戦っている。それで人間は力が出る。

そういう意味で副守護神が憑く。副守が負けていればいいが、勝つと悪になる。

副守はなくてはならぬが勝つといけない。勝たない程度がいい。両方半々ならいい。半々なら本霊が勝つ。これが理想である。

禁欲主義は副守護神が負け過ぎる。人間の情欲は副守護神で、これも必要である。でないと種族が絶える。

男は、日本人は天狗や龍神が多い。

婦人は大抵龍神の生れ更ったもので、女は執着が強いから、龍神になり易い。また女の副霊は狐が多い。

狸は両方だが、男の方が多い。狸は可笑しくないのに笑う。

酒呑みは大抵狸と天狗が多い。龍神は少い。」




明主様御垂示 「守護神と本能」 (昭和28年9月1日)

信者の質問
「本能はどういう働きでございましょうか」

明主様御垂示
「本能というのはその人の欲望ですから、正守護神の本能もあり副守護神の本能もあります。

どっちも本能ですが、一方は善にあたり、一方は悪にあたります。

だから信者になって人類を助けたい、苦しみ困っている人を助けてやりたいというのは、やはり本能ですが、正しい本能ですから正守護神から出ているものです。

それから酒を飲みたい、女も妻君ならよいですが、間違った女を欲しいとか、バクチを打つとか、そういうのは副守護神の本能です。

ですから本能にもいろいろあります。」


信者の質問
「生存本能、食欲本能、性欲本能というのはどちらにはいりますでしょうか」

明主様御垂示
「それは正しいほうです。食わなければ生きてはゆけませんから。これは正しいというよりか、絶対のものです。それから性欲がなければ種族が絶えてしまいます。

そこで結果を見なければなりません。

同じ正守護神から出たと言っても、結果が良くなければ本当のものではありません。

だから医学が進歩すればだんだん病人が減ってきて健康な者が増えてくるというなら、結果から言っても本当のものです。

ところが病人は減らないばかりか、ますます増えるというのは、結果から言えば悪になります。

私は今度、医学というものは間違っているということを書いたのです。

だから信仰でも、あの人の信仰は立派だと言ったところで、信者ができなければ駄目です。

しかしあの人の信仰はなってない、面白くないと言っても、その人は信者をつくってドンドン増やしてゆけば、それでよいのです。

とにかく結果です。あの人は情深い人で立派な人だというだけの人よりも、あいつは少し変だがオレにご馳走したり小遣いをくれるというなら、そのほうがよいではないですか。」




明主様御垂示 「芸能活動は副守護神が行う」 (昭和28年9月1日)

信者の質問
「特別な天分を持って生まれる者がありますが、それは魂のうちのどれに当たりますのでしょうか」


明主様御垂示
「どれということは言えません。やっぱり副守護神が大いに働くことがあります。

芸能人というのは副守護神です。漫才家や落語家が笑わせますが、これは本守護神にはできないので、副守護神がやるのです。

けれどもそれを利用して悪いことをすれば、副守護神が利用するわけで、本守護神が眠っているというわけです。

だから決められないものなのです。決めると間違ってしまいます。それは実に微妙なものです。」




明主様御垂示 「正副両守護神による人間の調和」 (昭和24年)

信者の質問
「狐霊が自分の体にいるのが良く解り、その狐が非常に苦しめたのが、お光を戴いてからは苦痛は薄らいだのですが、この狐霊を追払う事はどうしたら良いでしょうか。浄霊は続けています。」


明主様御垂示
「狐霊が憑いてるのは女である。女の七、八割は憑いている。人間の体欲、物質欲を受持っている。

悪い狐ではなさそうだから、可愛がってやるといい。

人間は絶えず本副両守護神が戦っている。

想念は無限の自由が与えてある。行動に表わして初めて罪が発生する。

正副霊が思って、それで調和がとれてゆく。」




明主様御垂示 「副守護神による苦しみにより曇りが消える」 (昭和26年9月8日)

信者の質問
「本守護神は・・・」


明主様御垂示
「本守護神は神様との取り次ぎ者です。

始終取り次いでいるんです。

本守護神が正守護神に伝えるんです。

神様と人間との取り次ぎをするんです。

ところが、正守護神に力が出ないから、そこで副守護神のほうに負けちゃうんです。

それで副守護神は善悪無差別に、善もなく悪もないからね。

なんとなれば、悪のほうが主体だからね。

あとは野となれ山となれ・・・でやるから、犯罪を犯す。

馬鹿馬鹿しい嘘を吐いたり、失敗するのが分かっているようなことをしたりね。

失敗すると副守護神は喜ぶ。

どうだい、見やがれ、とね。

副守護神にそれだけの力があるということは、その人に曇りがあるからです。

曇りが副守護神の力になる。

罪を犯したりすると、それだけは曇りになる。

副守護神がそれだけの苦しみを与えることになり、苦しむとそれだけは曇りが取れる。

取れるときれいになるから、副守護神が働けなくなる。

副守護神は曇りを取るという役目ですね。

やっぱり、黴菌のようなものです。

黴菌が発生するということは、人間が曇っているので、曇っているということは、人間の霊界が曇っている。

それを掃除しなければならない。

溜まると、それを払うべきものができるんです。

それが黴菌です。論文にあるでしょう。

人間に黴菌がある。それが曇りを払い、それが結局人間をきれいにする。」