本守護神について
明主様御垂示 「本守護神と使命と磨き」 (昭和24年)
信者の質問
「人間の本守護神とその人の御霊とはどんな関係でしょうか。
また、ある人の現世の使命はその人の本守護神により定められるものでしょうか。右、御教示御願い申し上げます。」
明主様御垂示
「本守護神は神の分霊である。神から戴いたともいえる。良心である。
使命・・・本守護神。いろいろ運命は転換する。本守護神といっても磨かなくてはならぬ。
そのために副守護神が間違った事をして磨かす場合がある。
本守護神は霊界に籍があり、霊線が繋っている。
霊界の幽魂へ神命が下る。霊線により本人に伝わる。
本人は知らぬから、いろいろして、結局使命の所へ行く。
副守が強いと、悪をしては破滅して地獄へ行き、修行してまた生まれる。
かくのごとく、神は本守護神を磨かれる。」
明主様御講話 「魂の大きさは心の百分の一」 (昭和10年2月11日)
「心と魂とは違います。
人間の五体全部に行き渡っているのは、精霊でありまして、その中心が心であります。
それゆえ中心の心は芯であります。
心の中にまた、魂が入っております。
魂は非常に小さいもので、心の百分の一であります。
また、心は精霊の百分の一で、体からは千分の一でありますから、九分九厘と一厘となり、また、千騎一騎のことにもなります。
千分の一の魂が、千倍の体を左右するのであります。
心の岩戸が開けるとは、魂を包んでいる心が開けるのでありまして、心の岩戸が始終堅くなっておったのが開けるから、
魂が光を拝むことができるようになるのであります。
いままでの教えや道徳では、魂まで届きません。
心までより届かなかったのであります。
それで、世界が精霊ならば、日本が心となり、東京が魂となるのであります。
あらゆるものがみな三段になっているから、これも三段になっているのであります。
それから、この東京が精霊とすれば麹町が心であって、宮城が魂となるのであります。
それで、この精霊および心と魂が、霊と体となっております。
要するに、天地となっているのであります。
精霊の天は上半身、下半身は地であります。
しかし、下半身と申しましても、体半身ではなくて、首から上が天で、下が地であります。
天の中心は脳髄の真ん中にあります。
地の中心は臍であります。
臍のことを中腑というのは、この意味であります。
ですから中心が天地になりますから、魂が天地になります。
別々のようですが感合しております。
昔は腹で考えると言う。
いまは頭で考えると言いますが、これはどちらでもあります。
両方が感応し合って考えが出るのです。
われわれが考えるにも、頭や腹で考えるような気がいたしますが、これは両方であるからであります。
しかしこの命令権は頭にあります。
それは天であるからであります。まだ詳しく解けば説けるがそのくらいにしておきまして、(後半省略)」
明主様御垂示 「人体における魂の所在地」 (昭和23年6月8日)
信者の質問
「心の中に魂があることは判らせていただきましたが、その魂は体のどこにあるのでしょうか。」
明主様御垂示
「人体は腹の真ん中と前頭部の奥とで天と地となり相通じ合っているのです。
ですから高天原を人体で言えば眉間です。邪神がつくと眉間へ来たがってしかたがない。
眉間を占領すればその人を自由にすることができるから。
そこで眉間へ来れぬときはその人を怒らせる。
怒ると頭の霊細胞が薄くなるから眉間へ来れるのです。
そのうちまた気持ちが平静になり霊細胞が濃くなると邪霊は下のほうへ下がるのです。
ヒステリーなんかはこれです。
また狐の霊なんか憑くとよくしゃべるんです。
女でよくしゃべるのは狐です。
また威丈高になって相手にものを言わせないのもそうです。」
明主様御垂示 「守護神の宿る場所」 (昭和24年5月3日)
信者の質問
「前頭部の奥と臍とで天地になっている」とのお言葉でしたが、
これは前頭部の奥にある本霊と腹部に宿る副霊とで天地になっているという意味でしょうか、それとも別の意味からでしょうか。」
明主様御垂示
「これは副霊ばかりじゃないんですよ。
やはり本霊があるんです。
本霊が二つになっているんです。
なんでもそうで、いっぽうばかりっていうことはないんです。
天に日月があるごとく、片方があれば必ず反対の片方があるんです。
この調和によって一つの活動が続けられるんです。
だからすべてに陰陽があるんですよ。
そういうわけだから腹にも本霊があるんで、これが一つの活動の元になってるんです。
で、ここの前頭部の奥が理性、智慧で、記憶や考えることをするんですよ。
だから考えるときには額に手をやるでしょう。
それで煙草を吸って、煙草の煙が口から鼻へ抜けると、前頭部の中を刺激して活動を促進するからいいんですよ。
つまり神道のほうでいうと、ここは奇魂(くしみたま)ですね。
それに対して腹は荒魂(あらみたま)ですよ。
勇気、胆力ですね。
よく「あの人は腹ができてる」とか言うでしょう。
つまり前頭部の奥で考えて、腹で実行するわけなんです。
それから後頭部は感情なんです。喜怒哀楽ですね。
この三つが総合して人間の考えになり活動に表われるんです。
そして、それが一致する場合と摩擦する場合と両方が始終あるんです。
感情ではやろうとする、ところが理性は止める、それをすると怒られるとか、罪になるとかなんとかだからっていうわけでね、
しかしどうしても感情ではやりたい、とこんなふうに始終闘っているんです。
そして、それを実際に行動に表わすのは腹なんです。
腹が命令するようなもんですね。
そういった具合に天地になるわけです。
だから副霊と天地になるというのとは違うわけですね。」
信者の質問
「霊界に行くと正副守護神はやがて離れるとのお言葉でございますが、
そういたしますと、「霊界で楽しんでいる」とか「再生する」とか言う場合の霊とは本守護神そのものを指すのでしょうか。
あるいは本守護神が守護する霊体なるものが別にあるのでしょうか。」
明主様御垂示
「霊界で楽しんでいる」っていう場合は本守護神ですがね。
一度人間に生まれたものは副守護神や正守護神の感情が残っているんです。
だから、ぜんぜん本守護神ばかりとも言えないわけです。
いま話しているのは天国の場合ですが、本守護神はいいことをするのが楽しいんで、人間界に対していろいろいいことを働くんです。
いわば神様になって天国に行くわけで、神様であり、あるいは本当の仏様だと言えるんです。
地獄にいる場合は、副守護神が離れないでくっついているんです。
副守護神は地獄を好むんですが、しかし副守護神でも改心すれば天国にも行けるんです。
狐でも龍神でも天国に行くのがあるんですよ。
正守護神は、その人が天国に行く場合でも、地獄に行く場合でも、人間が死ねばだいたい離れます。
そして人間界で人間を守護した功によって霊界で一段も二段も格が上がるわけです。
しかし正守護神の中でも働きがあるのと、ごく怠けてるのとありますからね、いろいろですよ。」
明主様御垂示 「額の浄霊は魂を包む曇りを取る」 (昭和26年9月12日)
「御浄霊の際、よく額をやるのは、本守護神をいっそう浄めるのでなく、
魂をつつんでるくもりをとり除くためである。
あたかも魂である太陽の光を雲がさえぎってるようなもので、
これをとり除くのが浄霊であると解せばよい。
浄霊をすると外から浄まり、御神書を拝読いたすと中から浄まる。」