守護神について 2
明主様御垂示 「守護神について」 (昭和26年9月8日)
「どんな人間にも三守護神なるものが体内外に存し、常に御守護くださってるものである。左に三守護神を解説してみよう。
本守護神(本霊)・・・神の分霊。神から命令を受けて人間に懸ってる神。
肚の真ん中(中腑)と頭脳の真ん中に位置す(天と地)。
神と人間との取り次ぎをなさる役目である(善性)。良心。
仏教でいう菩提心、または、仏心のこと。
正守護神(正霊)・・・これは祖先の霊であって、人が生まれるや、それを守護すべく祖霊中のだれかが選抜される。
この場合、神格化した祖霊が憑る場合もある。
すなわち、同化霊である。龍神、狐、天狗などもある。
定位とてなく、体の中にあり、必要のときはいつにても、ひょいと外にあって守護くださる。
人間が危険に遭遇したとき、奇蹟的に助かったり、また、暗示を与えられたり、夢しらせ、虫しらせなどは、この正守護神の活動によるもので、
信仰が深くなると正守護神の力が出てくる。
光明如来様の御利益は、みな正守護神を通して行なわれる。
副守護神(副霊)・・・後天的に憑依せる動物霊で、狐、狸、犬、猫、馬、牛、猿、いたち、または龍神、天狗、あらゆる鳥などで、たいてい一人一種、まれには二種以上。
(悪性)邪念・・・仏教でいう煩悩、または、般若のことである。
いったいこのお客様はどこに住むかと申すと、たいてい、臍の下(下腹)。
また、いたずらですから、上がったり下がったり、ほうぼうまわり、体の外に出たり、入ったりする。
この副霊が頭の前にゆき、本霊を邪魔して占領すると、いわゆる精神病となる。」
明主様御垂示 「守護神の宿る時期」 (昭和28年8月1日)
信者の質問
「人が生まれる場合に、その本守護神、正守護神、副守護神という守護神が宿る時期はどういうようになっているものでございましょうか」
明主様御垂示
「本守護神は腹に宿ったときにすぐです。
それから正守護神は生まれた途端にすぐ憑きます。それから副守護神はすぐということは滅多にないので、
たいていは物心がついてからで、五つとか六つというときに憑きます。
これは早く憑いても仕事がないのです。
副守護神というのは悪いことさせるのですが、これは早く憑いても赤ん坊に悪いことをさせることはできないからです。」
明主様御垂示 「守護神は変らない」 (昭和24年7月)
信者の質問
「守護神は途中で入れ替わるようなことがございましょうか。」
明主様御垂示
「こんなことはありませんよ。
守護神には本、正、副、と三つありますが、どれも決して変わることはありません。
第一、もし変わるもんだったら、人間危くて生きてられませんよ。
守護神が変わればその人の性格はぜんぜん変わってしまいますからね。
うちの女房は昨日までおとなしくていい女房だったが今日は恐ろしく乱暴になって、尻の下にばかり敷かれる・・・
なんてことになると、安心して生きてられませんからね。(爆笑)」
信者の質問
「副守護神にも霊格はあるものでしょうか。」
明主様御垂示
「ありますよ。副守護神でも改心するとなかなかいいことをしますよ。
副守護神といえば必ず悪いと軽蔑するわけにもゆかないんです。
狐でも産土神の家来になるような立派な狐もいますからね。
まあ、そんなのはもと人間だった狐なんですがね、
そうすれば、まあ早く立派になれるわけで、
要するに人格・・・じゃない狐格が上がるって言えますね。」
明主様御垂示 「守護神は変らない」 (昭和24年1月6日)
信者の質問
「正守護神、副守護神は一生の内変りましょうか。人生と正・副両守護神の関係について御教え下さい。なお、厄年とも関係御座いましょうか。」
明主様御垂示
「正守護神は変らぬ。
祖先の霊の一人が選抜されてなる。正守護神の助手が、龍神や狐等である。
副霊も変らぬ。むしろ、殖える場合がある。
副守の強いのが憑いてるとなかなか変らぬものである。」
参考 明主様御垂示 「御神体奉斎後に娘が引きつけ」 (昭和24年10月16日)
正守護神の変更可能性を示唆する御垂示
信者の質問
「昨年十一月光明如来様をお迎えいたしました信者の御宅で丁度御迎え致したその日から、三才の娘が引付けるようになりました。
月並祭例祭の度にやはり引付けます。
他の子供も皆なかん性です。いかが御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「霊界で迷っていた霊が、光明如来様をお祭りしたので助けを求めて子供に憑る。普通このように解釈してよい。
また、子供に前から祖霊が憑っていたのが苦しいので引つける場合もある。
大した心配にならぬように段々治る。
引つけるのは癲癇の一種で、死んだ霊が頭へ来る、前頭部の浄霊で直に治る。
そういう霊は大抵変死急死の霊で、子供に憑る。
頭を中心に浄霊すると段々治る。
霊が浄まり救われ、霊界の良い所へ行くか。娘の守護神になる。」
明主様御垂示 「本・副守護神と体の成長」 (昭和24年2月18日)
信者の質問
「体の成長と本・副守護神との成長の関係はいかがでしょうか。右、御教示御願い申し上げます。」
明主様御垂示
(人間の成長に伴うものでない。副守護神が育つ事はない)
明主様御垂示 「守護神は成長しない」 (昭和24年2月18日)
信者の質問
「体の成長と本、副霊の成長とは関係ありましょうか。」
明主様御垂示
「本霊は人間の成長に伴って成長するわけではありません。
人間のほうが成長するにつれて智慧が出たりするんで現われる働きが違ってくるんです。
副霊だって、別に子供につくから子供の副霊ということはありません。」
信者の質問
「子供の悪智慧はいかがでしょうか。」
明主様御垂示
「小さくても悪智慧はあるんですが、あっても行動には表わせないんです。
少し大きくなれば表わします。
スリだのカッパライなどのチンピラなんかはみんなそうですね。(笑声)」
明主様御垂示 「考える自己の根本は本霊」 (昭和23年10月8日)
信者の質問
「考える自己は、本、副守護霊のいずれに属するのでしょうか。」
明主様御垂示
「考えの根本は本霊ですが、副霊も考えを混ぜるんですね。
そのとき本霊に力があればいいことをし、副霊に力があれば悪いことをするのです。
平沢なんかは凶行のときは副霊だけになってしまうのです。・・・
堀崎捜査課長は今年の三月、御守りをいただいたが、今度平沢の頭を御浄めしたらポロポロ涙を流しそれから間もなく自白したんです。
それは副霊が少し減り、それだけ人間らしくなる、いわば仏心が出るのです。
良心が閃(ひらめ)くんです。
ですから帝銀事件は私が解決したのです。
そのうちに堀崎課長や藤田部長らが私の所へ礼に来るそうです。・・・
人間は始終迷っているのですが、これは本副両方の働きです。
だから両方の中間が人間の考えとなるのです。
勿論いかなるときも本霊が勝たなければいけない。・・・
きれいな細君を見れば、あんな美人と結婚した人はいいなと思い、美しい娘をみれば結婚したいと思う、「思う」ことは差し支えなく、まただれでも「思う」ものです。
これが副霊の働きです。
が、これを抑えて行動にまで行かせないのが本霊です。
思うこと、想念は自由でいい。
キリスト教ではそういうふうに「思うこと」を罪だというが、それではあまり固すぎます。
しかし始終思っていると思いが移ります、そうなると執着になるからいけない。」
明主様御垂示 「迷いは副霊と本霊の意志の争い」 (昭和25年1月20日発行)
信者の質問
「人の個性と霊の個性との間には、どの程度の繋がりがありましょうか。」
明主様御垂示
「霊体の個性には繋がりもなにもない。
すべて霊の個性が一元であるが、だいたい霊体は一致してるものである。
人間には良心と悪心があって、たいていの人は二重人格で、ただそれが著しく表われるのと、そうでないのとあるだけである。
迷うということは副霊と本霊との意志が争うことで、心が曇ってると、魂はふさがれるから働きが出ない。
ふつうは副守護の考えのほうが多く出るが、それはみんな邪であるから、多くは失敗し後悔する。
「人生は失敗の連続である」と言った人があるのはそういうわけである。
失敗した苦しみによって曇りがとれるから、魂の働きが出る。
そして魂の働きが出ると、正邪善悪の判断が正確になるから成功する。
故に「失敗は成功の母」と言うが、右の理である。」
明主様御垂示 「三つの守護神の関係」 (昭和26年9月8日)
信者の質問
「正守護神は体の外にいつもおられて、中に入る場合もあるのでしょうか」
明主様御垂示
「そうです。
外で働く場合もある。なにかに衝突するでしょう。ああいうときは、パッと止めるんです。
場合によっては体をこっち(衝突しない別の所)へやる。
いつか、Hさんはそんなことありましたね。
あれは正守護神がやるんです。
信仰に入っていると正守護神は力が出るんです。
信仰に入っていない正守護神は力が出ないんです。
正守護神がいろいろ指図する。
そうすると副守護神が邪魔するんです。
しかし信仰に入ると、正守護神が副守護神を負かしてしまうから、ちゃんとなる。」
信者の質問
「本守護神は・・・」
明主様御垂示
「本守護神は神様との取り次ぎ者です。
始終取り次いでいるんです。
本守護神が正守護神に伝えるんです。
神様と人間との取り次ぎをするんです。
ところが、正守護神に力が出ないから、そこで副守護神のほうに負けちゃうんです。
それで副守護神は善悪無差別に、善もなく悪もないからね。
なんとなれば、悪のほうが主体だからね。
あとは野となれ山となれ・・・でやるから、犯罪を犯す。
馬鹿馬鹿しい嘘を吐いたり、失敗するのが分かっているようなことをしたりね。
失敗すると副守護神は喜ぶ。
どうだい、見やがれ、とね。
副守護神にそれだけの力があるということは、その人に曇りがあるからです。
曇りが副守護神の力になる。
罪を犯したりすると、それだけは曇りになる。
副守護神がそれだけの苦しみを与えることになり、苦しむとそれだけは曇りが取れる。
取れるときれいになるから、副守護神が働けなくなる。
副守護神は曇りを取るという役目ですね。
やっぱり、黴菌のようなものです。
黴菌が発生するということは、人間が曇っているので、曇っているということは、人間の霊界が曇っている。
それを掃除しなければならない。
溜まると、それを払うべきものができるんです。
それが黴菌です。論文にあるでしょう。
人間に黴菌がある。それが曇りを払い、それが結局人間をきれいにする。」
信者の質問
「三つの守護神は体のどこにおりますのでございましょうか」
明主様御垂示
「本守護神は魂にです。
腹の真ん中・・・中腑(ちゅうふ)ですね。
ちょうど体の真ん中です。
正守護神は体に入ったり出たりしている。
きめては働きができない。
副守護神はほうぼうまわってますが、だいたいは下腹にいて、始終上がったり下がったりしている。
頭にくると精神病ですね。」
信者の質問
「よく、ここ(前頭部)を浄霊せよという御言葉がありますが・・・」
明主様御垂示
「副守護神も、ここ(前頭部)をやられると困る。ここで考えるから、ここはなるだけ浄めなければならないからね。」
信者の質問
「本守護神を浄めるというわけでは・・・」
明主様御垂示
「そうではない。
本守護神は浄いものだからね。
それを囲んでいるのがいけない。」
信者の質問
「ランプの火屋(ほや)みたいなものでございますね」
明主様御垂示
「艶(つや)消しの火屋(ほや)みたいなものです。
天の雲と太陽の光ですね。
黒雲が来ると暗くなるでしょう。たいていは黒雲です。」
明主様御垂示 「守護神と理性、感情、本能、心」 (昭和28年9月1日)
信者の質問
「理性と感情ということは、正守護神と副守護神との関係でございましょうか」
明主様御垂示
「関係はありますが、そう言い切ることはできません。
いつも言うとおり理性を使うところは前頭部で、後頭部は感情です。
これが総合して一つの思想ができるのですが、どっちにも偏ってはいけないし、また偏らないものです。
ところがたまたま偏ることがあります。
例えば人を殺したりしますが、それは感情ばかりになったのです。
それは理性から言えばそういうことをしてはたいへんな損なのです。
吉田首相の馬鹿野郎問題もそうで、感情のほうが全部になってしまって、理性が隅に押しつけられてしまったのです。
そこで後になって理性が働けば、ああとんでもないことをしたと思うに違いありません。」
信者の質問
「本能はどういう働きでございましょうか」
明主様御垂示
「本能というのはその人の欲望ですから、正守護神の本能もあり副守護神の本能もあります。
どっちも本能ですが、一方は善にあたり、一方は悪にあたります。
だから信者になって人類を助けたい、苦しみ困っている人を助けてやりたいというのは、やはり本能ですが、正しい本能ですから正守護神から出ているものです。
それから酒を飲みたい、女も妻君ならよいですが、間違った女を欲しいとか、バクチを打つとか、そういうのは副守護神の本能です。
ですから本能にもいろいろあります。」
信者の質問
「生存本能、食欲本能、性欲本能というのはどちらにはいりますでしょうか」
明主様御垂示
「それは正しいほうです。食わなければ生きてはゆけませんから。
これは正しいというよりか、絶対のものです。
それから性欲がなければ種族が絶えてしまいます。
そこで結果を見なければなりません。
同じ正守護神から出たと言っても、結果が良くなければ本当のものではありません。
だから医学が進歩すればだんだん病人が減ってきて健康な者が増えてくるというなら、結果から言っても本当のものです。
ところが病人は減らないばかりか、ますます増えるというのは、結果から言えば悪になります。
私は今度、医学というものは間違っているということを書いたのです。
だから信仰でも、あの人の信仰は立派だと言ったところで、信者ができなければ駄目です。
しかしあの人の信仰はなってない、面白くないと言っても、その人は信者をつくってドンドン増やしてゆけば、それでよいのです。
とにかく結果です。あの人は情深い人で立派な人だというだけの人よりも、あいつは少し変だがオレにご馳走したり小遣いをくれるというなら、そのほうがよいではないですか。」
信者の質問
「心の働きをする場合には三守護神が一緒のときでございましょうか」
明主様御垂示
「みんな一緒ですが、三つのうち、どれかが多く働くということはあります。
それで副守護神が一番多く働くときが危ないので、そういうときにはろくなことはしません。
しかしそれも、やっぱり副守護神の働きにもすばらしいことがありますから、ぜんぜんいけないとは言えません。」
信者の質問
「本守護神に適合した魂にふさわしいもの、きれい、汚れたということに関係して、正守護神、副守護神と憑くわけでございましょうか」
明主様御垂示
「そういうことはありません。ただ負けてしまうのです。
良いことを考えるときには副守護神が小さくなっているのです。
のさばってはいないのです。
けれどもそれは始終変化しているので、一日のうちにも一分のうちにも、本守護神が大きくなったり小さくなったりしてます。
例えば今まで良いことを考えていたのが、ヒョッと悪いことを考えることがあるでしょう。
そういうようで、始終一定はしていません。
ただいつの場合でも本守護神が勝てばよいのです。
それが魂の力です。
魂の力ということは光ですから、御守をかけていれば間違いないということは、御守から光が出るから、副守護神は光にはどうしても負けますから、のさばれないのです。
ですから犯罪を犯すのは本守護神というものはほとんど小さくなってます。
しかしある時期に行くとか、何かの動機に触れると、本守護神が目覚めて活躍することになります。
そうすると非常に後悔して、悔い改めるということになります。」
信者の質問
「特別な天分を持って生まれる者がありますが、それは魂のうちのどれに当たりますのでしょうか」
明主様御垂示
「どれということは言えません。
やっぱり副守護神が大いに働くことがあります。
芸能人というのは副守護神です。
漫才家や落語家が笑わせますが、これは本守護神にはできないので、副守護神がやるのです。
けれどもそれを利用して悪いことをすれば、副守護神が利用するわけで、本守護神が眠っているというわけです。
だから決められないものなのです。決めると間違ってしまいます。
それは実に微妙なものです。」
信者の質問
「肉体的に奇形なのはどの魂の関係でございましょうか」
明主様御垂示
「それは魂というよりか、例えてみれば、これは私の本に書いてあるから読めば分かりますが、
前の世で死ぬときに高い所から落ちて死ぬとすると、そのときに足を折るとか手を折るとかして、
それが霊界ですっかり浄化されないで生まれ変ってくると、
それが残っているから、霊主体従の法則によって体がそうなるのです。」
信者の質問
「霊界にゆきますと、三守護神は分離する建前のものでしょうか」
明主様御垂示
「分離する建前です。」
信者の質問
「そういたしますと、奇形の場合には、また前の正守護神、副守護神が憑く場合もあるのでございましょうか」
明主様御垂示
「同じものが憑く場合もあり、別の場合もありますが、それは正守護神、副守護神に関係はありません。
肉体の霊のそれだけの曇りがあって、それが取れ切れないうちに生まれたわけです。」
信者の質問
「地獄に落ちましてそういう修業をするのは、三つの霊が一緒になっている場合でございましょうか」
明主様御垂示
「それはそういうことには関係ないので、その人そのものの曇りです。
曇りの浄化作用が地獄の苦しみなのです。
しかしそういう曇りをつくったということは、副守護神がつくるのです。
そういうことは言えますが、はっきり決めるということはできません。」
信者の質問
「連帯責任でございましょうか」
明主様御垂示
「と言うが、上中下があるからそうも言えません。
同じドングリならそれでよいですが、やはり階級があります。
まあ総合責任というか、総合されたものです。
だから難しく考えると、ちょっと考え難いが簡単に考えればわけなく分かります。」
明主様御垂示 「守護神と人間の調和」 (昭和24年)
信者の質問
「狐霊が自分の体にいるのが良く解り、その狐が非常に苦しめたのが、お光を戴いてからは苦痛は薄らいだのですが、この狐霊を追払う事はどうしたら良いでしょうか。浄霊は続けています。」
明主様御垂示
「狐霊が憑いてるのは女である。女の七、八割は憑いている。
人間の体欲、物質欲を受持っている。
悪い狐ではなさそうだから、可愛がってやるといい。
人間は絶えず本副両守護神が戦っている。
想念は無限の自由が与えてある。
行動に表わして初めて罪が発生する。
正副霊が思って、それで調和がとれてゆく。」
明主様御垂示 「死後に守護神はどうなるか」 (昭和24年1月23日発行)
信者の質問
「人間が死んだ場合、本、副、正の三守護神は霊界ではどうなるのでございましょうか。」
明主様御垂示
「本守護神は現界と同じ働きをする。
ただ肉体がないのみである。
正守護神は必要がなくなるから他の役をする。
また生まれ変わる場合もある。
副守護神はしばらく霊界にいて浄化するに従い離れてまた生まれ変わる。
地獄におちた霊は全部、中有界の霊はほとんど副守護神がついている。」
明主様御垂示 「死後に守護神はどうなるか」 (昭和24年1月18日)
信者の質問
「正守護霊及び副守護霊は、その人が死んで霊界に行っても引続き守護霊としてついているものでございましょうか。
また、再び現世に生れて来た場合いかがでございましょうか。」
明主様御垂示
「副霊は離れる。(すぐ離れるのと暫く離れぬのとあるが)結局離れる。
正守護神は肉体を守るべきものであるから、肉体が解消されれば必要ない。
体欲は副守護神で、それによって活動が起る。
現世に生れてくると(前の副霊に関係したもの、または全然別のものである先祖で畜生に堕ちたものが憑く場合もある)」
明主様御垂示 「死後に守護神はどうなるか」
信者の質問
「生前の本霊、副霊は死後どのようになるので御座いましょうか。」
明主様御垂示
「暫くはその霊に憑いている。
本霊が霊界の修行が出来てある程度浄まると、副霊は離れる。
その頃になると天国へ行く。
副霊は動物界へ行く。そして生れ更るものもあり、おのもおのも好む所へ行く。
副霊は肉体の必要からある。肉体がなくなれば用がないから離れる。
ただ長い間憑いていた関係があり、副霊はその関係によって憑く。」
明主様御垂示 「死後に守護神はどうなるか」 (昭和24年5月3日)
信者の質問
「霊界に行くと正副守護神はやがて離れるとのお言葉でございますが、
そういたしますと、「霊界で楽しんでいる」とか「再生する」とか言う場合の霊とは本守護神そのものを指すのでしょうか。
あるいは本守護神が守護する霊体なるものが別にあるのでしょうか。」
明主様御垂示
「霊界で楽しんでいる」っていう場合は本守護神ですがね。
一度人間に生まれたものは副守護神や正守護神の感情が残っているんです。
だから、ぜんぜん本守護神ばかりとも言えないわけです。
いま話しているのは天国の場合ですが、本守護神はいいことをするのが楽しいんで、人間界に対していろいろいいことを働くんです。
いわば神様になって天国に行くわけで、神様であり、あるいは本当の仏様だと言えるんです。
地獄にいる場合は、副守護神が離れないでくっついているんです。
副守護神は地獄を好むんですが、しかし副守護神でも改心すれば天国にも行けるんです。
狐でも龍神でも天国に行くのがあるんですよ。
正守護神は、その人が天国に行く場合でも、地獄に行く場合でも、人間が死ねばだいたい離れます。
そして人間界で人間を守護した功によって霊界で一段も二段も格が上がるわけです。
しかし正守護神の中でも働きがあるのと、ごく怠けてるのとありますからね、いろいろですよ。」
明主様御垂示 「死後に守護神はどうなるか」 (昭和23年8月21日)
信者の質問
「人間が死んだ場合、本・副・正の三守護神は霊界ではどうなるので御座いましょうか。お伺いいたします。」
明主様御垂示
「本守護神は肉体が無くなったまでで同じ事である。
副守護神は霊界にいてなお憑いてるもので、ある程度霊界にいて浄まると離れる。
(八衢にいる霊など)副守護神は苦しんでも何とも思わぬ。むしろ愉快である。畜生道など、その本拠である。
正守護神は必要なくなる。外のお役になる。
中には生れ更る場合、子孫の外の者の正守護神となる事もある。
(動物霊は)汚い物など平気で食べる。蛆虫など、床の間へ上げるとサッサと糞壺へ行く。
本能欲は動物である。
本守護神の楽しみはあるが、肉欲の楽しみではない。
神の命によって 八衢などの霊を改心さすために働くなどの楽しみがある。
地獄の霊を天国へ上げると苦しくていれない。
それは副守護神が離れないからである。」
明主様御垂示 「再生時の本・正・副守護神」
信者の質問
「人間が再生する場合、その人の本守護神はどうなりますか。また、正守護神はどうなりますか。」
明主様御垂示
「本守護神は元通り。
ただ、前世の習性の働きなどで相当影響はある。
本守護神でも変化はある。
幾度も生れ代る程本守護神は利口になる。
正守護神は霊界へ行くと離れる。
正守護神は肉体を守護するのが主目的であるからで、死ねば暫くはいるも、すぐに離れる。
却って副守護神の方が長くついているが、これも結局は離れる。
正守護神の役目を果したものは、その功労によって生れ代ることもある。
総称したものである。」
明主様御垂示 「死後における守護神の分離時点」
信者の質問
「死後(本守護神脱出後)正・副両守護神はどの位の時間後離れて行くのですか。死と守護神との関係について御説明下さい。」
明主様御垂示
「守護神は相当いるもので、副守護神などは何年も憑いている。
実に一定しない。極く早いのが、二、三ケ月、長いのは数十年いる。
正守護神は大抵八衢にいる間位で、極めて早い。」
明主様御垂示 「殺人や自殺の場合の各守護神」 (昭和23年10月18日)
信者の質問
「人が自殺などしたりあるいは帝銀事件のごとく殺されたりする場合、殺される人々の守護神の御働きまたは立場はどのようなものでしょうか。
(もはや守護の御働きをしてはいられないのでしょうか)右、御教示御願い申し上げます。」
明主様御垂示
「正守護神は防禦するが、曇りがひどいと防止出来ぬ。
罪穢を早く浄化しなくてはいけない時、肉体をなくして助けようとする場合がある。
(肉体をなくして助けんとする)
荒療治である。正守護神が大声で怒鳴ってもその声に対し聾になっている。見せようとしても盲になっている。
副霊によっては肉体から出たいという意志で、自殺させようとする。
本守護神・・・本霊は殺したりなどせぬが、曇りがひどいと、霊界で浄化さした方がよいとして、自殺の方へ賛成する。
(平沢の場合、聾、盲のため副霊のまま行動する)」
明主様御垂示 「弁財天や稲荷などを自分の守護神とする場合」 (昭和23年12月8日)
信者の質問
「世間ではよく弁財天や稲荷などを自分の守護神とする人がありますが、これは信頼できましょうか。
またこれらの守護神は本副ならびに正守護神とどのような関係にあるのでございましょうか?」
明主様御垂示
「これは信頼できます。
そしてその守護神はお願いをされると御利益を授けないわけにゆかないのです。
御利益を授けないと本分を尽さぬことになるのです。
しかしだいたい力がないから邪神に負けてしまいがちです。
これは正副守護神とは別であって、正守護神に力を増してくれたり、副守護神に命令を下したりはしてくれます。
だから守護神といっても間接的守護神です。
○○稲荷では守護神をいただくということをしますが、これはやはり御守りで、結局狐の眷族がつくのです。
眷族なんかは何万、何十万あるか判りませんから。
そしてそれがいろいろ言うことを聞いてくれるのです。
しかしそれも例えば芸者が旦那に会えますようにといったふうな低級な願いを叶えてくれるが、
正神系の神様は決してくだらない願い事は叶えません。
これらの守護神は体に憑いてます。まあ居候ですね。」
参考 明主様御垂示 「倒れた樹木が自分で起きた事例」
家の守護神
信者の質問
「先達ての台風で信者の家(家族の中三人だけが信者で御神体は未だ戴いておりません)の庭の欅の木が二本(周り三尺位)屋根に倒れかかって来ました。
一本の方は枝をはらったりしてやっと起しましたが、もう一本の方は近所の人の助けを借りることにして、
それにしてもお茶を呑んでからと一服し、三十分程して行ってみますと、その木がいつの間にかもと通りに起きていました。この事についてお伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「奇蹟である。三十分ほどして起きた・・・これはある。
その家の守護神が起すのである。
木の霊を起したのである。珍しい事である。
人々にも守護神があるごとく、家にも守護神がある。
御神体を戴いておればもっと軽くなる。信者の信仰の徳に因る。」