輪廻転生と記憶について
明主様御垂示 「前世のことは判らない」 (昭和24年4月23日)
信者の質問
「例えば霊は何回も生まれ変わっているのに、現在その人の頭脳には前世のことが判らないわけでございますから、そういうことが言えるのではございませんでしょうか。」
明主様御垂示
「ええ、前世のことは判らないですよ。
判らないように神様は作ってらっしゃるんですよ。
また前世のことが判っても都合が悪いですよ。
よその人の細君を見てね、「あ、あいつは前世で俺の女房だった」なんてね。(爆笑)
細君ならまだいいけど、前世で恋人だったりしたら困りますよ。(笑声)」
信者の質問
「例えば、生き霊が憑る場合に、いま生き霊が憑っているということはその人の霊には判らないわけでございますか。」
明主様御垂示
「ええ、霊には判らないんですよ。」
信者の質問
「このことは高級な神仏が人間のお姿にお生まれになっておられる場合にも言えるのでしょうか。」
明主様御垂示
「これも判りませんね。
私なんかもそんな神様が想っておられるっていうことはなかなか判らなかったもんですよ。
なにか神様に弄(もてあそば)れているような感じがしょっちゅうしたもんですよ。
ま、いろんなことで知らされてはっきり判ってきたんですがね。」
明主様御垂示 「前世歴史の忘失の理由」 (昭和23年10月13日)
信者の質問
「現界人はなぜ自己の歴史を忘却しているのでしょうか。」
明主様御垂示
「前の世の記憶は消失するよう神様が造っている。
例えば、あの娘は前の世で俺の女房だった、すぐに親しくなるのは何でもない・・・などとなると、現界の秩序が紊れる。
自分の部下だった者が社長になっている場合等もあると(都合が悪い。)
そのためにそういう風に神様が造られている。」
明主様御垂示 「霊界生活の記憶がない理由」
信者の質問
「再生の現界人に霊界生活の記憶がないのはいかなる訳でしょうか。」
明主様御垂示
「記憶があってはいけない。
娑婆で仕事をする上に妨げになる。
霊界の判らぬ事と寿命の分らぬ事は人間に必要である。
私はよく思う、先方の心が分ったらいいと思うが、やはり判るといけない。
心を聞くのも嫌になる。判らない所に良い所があるのである。
先に大隈公が、非常に記憶がいいので、その良さに苦しんだという事である。」
明主様御垂示 「再生のときに前世の記憶はなくなる」 (昭和23年10月17日)
信者の質問
「生れて前生の意識不明なのはなぜでしょうか。」
明主様御垂示
「生れ更った時、前の世の意識はなくなる。
(覚えていると都合が悪い。あの娘は前世女房だから手握る位よいだろうとか、前の世の子分が社長で、それに使われるという事もある)」
明主様御垂示 「前世のことは魂そのものにも判らない」 (昭和23年9月28日)
信者の質問
「霊は個性を持っているのに、再生した場合、前世のことを記憶していないのはなぜでしょうか。」
明主様御垂示
「判らないほうがいいんですね。判ってはいけない。
以前俺は何々だったと判ると障りになる。
ちょうど寿命が判ってはいけないのと同じです。
つまりいつまでも生きてると思うから働けるのであり、あと何年何月で終わりと判ったら働けない。
前世のことは魂そのものにも判らないのです。
もし判れば「あいつは前世で俺の家来だった」ということになってしまう。
ただある霊覚を持ってくると判ることがあります。
私も歴史上これは自分だと思われる人々がそうとうあります。
私は天皇にもなったことがある。
それは応神天皇で、最初麹町で治療所を作ったとき「応神堂」と称した。
また尾形光琳、義経もそうです。たびたび生まれてますよ。
光琳なんか好きで好きでしかたなく、美術をやっていたときはなんの気なしに光琳堂と称してました。
尾形は岡田と通じてます。」
明主様御垂示 「霊と頭脳、高級霊憑依の自覚」
信者の質問
「その人の霊は既に分っている事でもその人の頭脳にははっきり分らない事が沢山あると思いますが、いかがでしょうか。
この事は高級な神仏が人間の御姿にお生まれになった場合にも言えるのでしょうか。」
明主様御垂示
「霊と頭脳とは、同一人間の中にあって、別々ではない。
前世の事は両者とも分らぬが、信仰のおかげによれば、前生とても分る。
高級の霊が自分に憑っている事も判らぬ。」
明主様御垂示 「霊界人には現界の記憶が相当ある」 (昭和24年9月10日発行)
信者の質問
「前世の記憶は再生のときに喪失すると御教えいただいておりますが、霊界においては現世の記憶は全部残っているのでございましょうか。」
明主様御垂示
「霊界においては現世の記憶はそうとうにある。
生まれてくる際に忘れるから良いのです。」
明主様御垂示 「霊界人には現界の記憶が相当ある」 (昭和24年6月21日)
信者の質問
「前世の記憶は、再生した場合、生れる時に喪失するとの御教えを頂いておりますが、
霊界に行った場合、現世の記憶は全部覚えておるもので御座いましょうか。御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「霊界に行った時、現世の記憶は相当ある。非常な苦痛とか急死(爆死等)などの場合、記憶を喪失する。
また、霊界を信じなかった場合もやはり記憶喪失というよりは痴呆症のようになる。
苦痛でなく死んだ霊は現界の事を大抵知っているし、執着の強い霊は、現界以上に非常に記憶している。
全然忘れっきりにならぬが、段々時が経つにつれ、執着も記憶も薄れるが、生れ更ると全然忘れる。
(再生の時霊界の事は判らぬ。運命も運勢も判らぬ方がよい。予言も漠然とした予言ならよい)」
明主様御垂示 「現界の記憶持つか」 (昭和23年10月13日)
信者の質問
「霊界人は現界時代の記憶を持っているでしょうか。」
明主様御垂示
「現界の記憶を持っている人と持っていない人と両方ある。
死ぬ時に普通に死ぬのは持っている。非常に娑婆や、娑婆の人間に執着を持っているのが多い。
(夫婦相和した人は執着がある)
死ぬ状態が非常に衝撃のあった場合、例えば爆弾で死ぬような場合、霊は粉微塵になる。
そしてやがて人間の形になるが、その衝撃で記憶を消失する。
これが一番変化する。半分位消失するのやあるいは少し消失する等種々ある。
爆弾等で死んだのは当分痴呆症のようになる。」
明主様御垂示 「現界の記憶は忘れたほうがよい」 (昭和24年5月23日)
信者の質問
「霊が霊界へ行った場合、現世の苦楽等は記憶しているものでしょうか。右、御教示御願い申し上げます。」
明主様御垂示
「記憶している。忘れた方がよい。であるから、一生懸命忘れようと努めるものである。」
明主様御垂示 「現界の意識は抜けたほうがよい」 (昭和23年10月17日)
信者の質問
「霊界に入り生存中の自己意識はあるものでしょうか。」
明主様御垂示
「自己意識はある。あり過ぎて困る事がある。
(執着であるから)生存中の意識は抜けた方がよい。
(向上するに従い生存中の意識はなくなる)」