霊界の審判について
明主様御教え 「霊界の審判」 (昭和18年10月23日発行)
「そもそも人間は、現世において各々その与えられたる天職使命を完全に遂行すべきであるに拘わらず、
大多数は事物の外観的方面のみをみて判断し、目的の為に知らず識らず悪に属する行為もあえて為すので、
それが長年月に渉るにおいて、相当の罪穢となって霊体に曇が堆積するのである。
これは、霊界の存在を知らなかったから止むを得ない事であろう。
従って、人間が死後霊界人となるや、その罪穢の払拭が厳密に行われるのである。それらについて以下詳説してみよう。
私は幾多の死霊から霊媒を通じて霊界の事象について、出来得る限りの詳細なる調査研究を行ったのである。
そうして死霊の言説についても誤謬や虚偽と思う点を避け、幾人もの死霊の一致した点を綜合して書くのであるから大体において誤りはないと思うのである。
人間一度霊界に入るや、大多数は神道で唱うる中有(ちゅうう)界又は八衢、仏教でいう六道の辻、基督教でいう精霊界に往くのである。
しかし、ここに注意すべきは日本の霊界は立体的であって、西洋の霊界は平面的である。
私が研究したのは日本の霊界であるから、そのつもりで読まれたいのである。
そうして右の八衢とは霊界における中間帯である。
それは本来霊界の構成は九段になっており、即ち天国が三段八衢も三段地獄も三段という訳である。
死後、普通人は八衢人となるのであるが、極善の者は直ちに天国へ昇り、極悪の者は地獄に堕つるのである。
それは死の状態によって大体判るものである。
即ち天国へ復活する霊は死に際会していささかの苦痛もなく、近親者を招き一人一人遺言を為し、およそ死の時を知って平静常のごとき状態で死ぬのである。
それに引換え地獄に往く霊は、死に直面して非常な苦痛に喘ぎ、いわゆる断末魔の苦しみを為すのである。
又右のいずれでもなく普通の死の苦しみの者は八衢に往くのである。
言うまでもなく八衢へ往く霊が大部分であって、死体の面貌を見れば大体の見当は付くものである。
それは天国行の霊は生けるがごとく、時には鮮花色さえも呈し、平安いささかの死の形相もないのである。
又地獄行の霊は、顔面暗黒色又は暗青色を呈し苦悶の形相を表わし、一見慄然とするようなのもある。
又八衢行の霊は一般死人の面貌で、濃淡はあるが大体黄色である。
右についてまず八衢行の霊から説明してみるが、まず死後直ちに八衢へ行くや仏教で唱うるごとき脱衣婆(だついば)なるものが居て、それが着衣を脱がせるのである。
そうして三途(さんず)の川を渡るのであるが、その際普通の橋を渡るという説と、橋がなく水面を渡るという説とがある。
ただし、後者の説は川に水が無く、龍体が無数に河中に紆(うね)っていて、それが水のごとく見え、龍の背を渡るというのである。
又一説には、脱衣婆は娑婆からの着衣を脱がせて、霊界の白衣と着せ更えるというのである。
それは橋を渡り終る時、白色は種々の色に染るのだそうで、罪穢の多い者は黒色であり、次が青色、次が紅色、次が黄色、罪穢の最も少いものは白色というのである。
それから仏説にある閻魔の庁即ち審判廷に行き、そこで審判を受けるのであるが、
それは娑婆と異(ちが)い、絶対厳正公平で、いささかの依怙(えこ)も誤審もないのである。
その際閻魔大王の御顔は見る人によって異るそうで、悪人が見ると御眼は鏡のごとく口は耳下まで裂け、舌端火を吐き、一見慄然とするそうである。
しかるに悪の量が少い程御顔が優しく見え、善人が拝すればまことに柔和にして威厳備わり、親しみと尊敬の念が自ら湧くそうである。
又審判の際 浄玻璃(じょうはり)の鏡に映写したり、閻魔の帳即ち生前の経歴を控えてある等によって下調べを行う等は事実のようである。
そうしてその調べ役は冥官が行い、その監督は神道によっては祓戸(はらいど)の神が行うといわれている。
右の審判によって罪穢の量が定まれば、その軽重によって、それぞれ天国又は地獄の、霊相応の階級へ行くのであるが、
神の御目的は罪人を造るにあらず、天国人たらしめるのであるから、
地獄行の霊は大抵は一時八衢において修行をさせ霊の向上を計られるのである。
それは八衢においては現界における説教師のごときものがあって、それが改善に向わしむべく努力するのである。
その説教師なるものは現界においての各宗教の教誨師等が死後そういう役を命ぜらるるのである。
そうして八衢においての修行期間は三十年としてあり、それまでに改心出来得ないものは、地獄へおつるのである。」 (「明日の医術 第3編」より)
明主様御教え 「霊界は在りや」 (昭和26年9月19日発行)
「本教信者なら、霊界の有無など問題ではない。
有るに決っているくらいの事は、誰も知っているが、しかしながらヤハリ体験者の話を、一回でも余計聞いた方が、それだけ信じ方が深くなるのはもちろんである。
殊に信者未信者を問わず、疑いのある人には最もいい参考となると思うから、左記の体験談を是非読んで貰いたいのである。」
体験談 「昏睡して一度は霊界へ赴き新たな生命給わる」
兵庫県 松風中教会 KM
「昭和二十六年六月十七日一時頃より急に頭が重く成りましたが、食事を戴いているところへ、
松風中教会鹿塩支部のK先生がお越し下さり、当日私方の月例祭で有りましたので
K先生に早速浄霊を頂き、ズッと楽に成りました、御祭を終りましたのが午後六時頃でした、
すぐ床に就かせて頂きました、十七日夜より二十一日まで四十度位の熱が出て少しも寝れず、肩胛骨内側上下が痛み、苦しみは言葉で言い現わせませんでした、
いつも中教会会長先生が「病気は肉体の破壊では有りません、良く成るための浄化であるから感謝しなさい、
治った後は喜ぶための苦しみであったと言う事が判るのですよ」と御話を伺っておりました、
又頭が激しく痛くなって来ましたが、先生のお話のごとく今このように苦しいが、きっと私は治ると思いなおしました、
K先生は枕許へ座られ、一日何回となく浄霊をして下さいました、それより少し楽になりました、
私は記憶がなかったのですが、誰かが来たような気がして入口を三回程開けに行けと申したそうです、
二十二日の朝から、前後判らぬ事を言って腹も立てたそうです、その間色々のところへ行っていたり、お詣りをしていたり、
時には浄霊にも出て行ったようにも思います、
私が勤めている事務所へも行ったようにも思います、
又私の家がこわれそうで絶えず動いていました、それより私は判らなくなりました。
身内の人々は医者に懸らなければ命がなくなると、さんざん言われたそうですが
妻は「神様に救って頂きますから、まあ見ていて下さい」と頑張ったそうです、
私は昏睡状態になってから霊界の方に行って来たのです、その模様をありのまま記さして頂きます。
第一修養の為寮生活をするがよいと言うので、どこか阪神方面の寮へ行きました、
朝の点呼をすまし、朝食を終り、運動場へ出て好きな運動をしました、
一時間後にベルが鳴り大勢の人と共に昼食を戴き、午後は土砂の作業をしました、
すると私の側へえらい人が来られ「お前は川の作業をしなくてもよい」と言われ、
その後又一同と共に寮に帰りました、一日の感謝の御礼を申し、
一日の疲れを休ませると言う生活を三日程した後、偉い人が又来られ、
「○○警察へ行け」と言われ、一同と行きました、
二時間程北西に向かって行ったところで止まると、七ツの辻だと言うてくれました、
そこで皆が自動車より下車少し山手に上る、上へ行くと警察署が有り、医者や警察署員がいて名簿もあり、
一人一人名前を呼び「順番に今迄やって来た善い事、悪い事を皆言って見よ、隠し事はならない、嘘をつくと酷い目に遭せる」と言われ
手には割竹を持ち次から次へと調べていました、
その間色情の検査に移り、陰部より塩水を入れ、針金のような物で掃除した後ガーゼをさし込み、
その人の罪によって最悪の人はさわると痛んで堪らないようにみえます、
そしてその場で切開され、直ぐ火葬場へ沢山の人は送られます、
私は御蔭様で少しも痛まず、ちょっとさわる程度で許されました、
調べも終りますと十八名ずつ第一火葬場へ送られ、釜の中へ放り込まれるのを見ました、
私は「お前は入らなくともよい」と聞き、次に第二火葬場へ皆が行く事になり私もついて行きました、
火葬場の前迄行くと階段が有りその階段は角がなくフチも丸く、上へ上るにも掴まるところもありません、
私は小便がしたくなりましたが、する所もなく困っておりましたが、
終いにはするところも見つかり、する事が出来ました、
それからは階段を楽に上る事が出来ました、
今から思えばその時に現実の寝床に大小便と汗が出て、寝巻蒲団等がボトボトになったんだと思います、
小便の重さで下半身が重くて体が自由にならず、階段のところで小便が出てから楽に上れたのも、その時だったのです、
第二の火葬場の釜の入口迄行きますと「お前はここへ来なくてもよろしい」と言われたので、案内されて休憩所へ行きました、
法廷では御話があって御話を聞き又後はのんびりと遊びなさいと言われました、
それは丁度天国のようなところで有りました、四季の花も沢山咲き立派な三階建の家も沢山有りました、
どの家も光明如来様をお祀りして有り、御仏壇には御屏風観音様をお祀りして有り、各家々では三階は御神前で有りました。
私も松風中教会に早くお詣りをしたく思い見廻わすと目の前に松風中教会が有り早速教会に入れば、
お顔なじみの先生方、一般信徒の方々にお目にかかれ、やれ嬉しやと御神前に額けば、お祈りも間に合いまして、
会長先生の御話もお聞きさせて戴き、自宅に帰り、今帰ったと声をかければ妻や親族一同、ああ気が付いたと喜んで下さり、丁度二日間は昏睡状態でありました。
今日では家族、親族の人々が大変喜んで下さり、命のないところを御救い下さいまして真に有難う御座居ました。
明主様、厚く御礼申し上げます。」
明主様御垂示 「閻魔様の焼判」 (昭和24年1月15日)
信者の質問
「一昨年の春より母が首が痛いと申しますので浄霊をしておりましたが、中々よくなりません。
するとある晩の二時半でした。
突然母が物凄いうなり声を出しまして、暫くするとよくなり、一人で有難い有難いと申しております。
後でよく話を聞いてみると次のような事を申しました。
近くの道で鎌で首を切られ半死半生で苦しんでいると、通りがかりの人に無理に首を締められ、遂に息を引取りました。
自分は確かに一度死んだ。身体は死んだが霊はある。
だが今迄と同じように苦しんでいる。
自分の死体のまわりには大勢人が乗ってワイワイ騒いでいる。
けれども私が苦しんでいるのに皆知らん顔をしている。
すると天より一人の男のような人が降りて来て道案内して細い道を天の方に向い上って行きました。
到着した場所は川があり丸い橋が懸っておりました。
門を入ると裁判所のようなところに来ました。
するとその中の一番偉そうな人が「お前は何でここに来たのだ」
母は「私は首を切られたから参りました」と申しますと
「お前は前世にいる時何か白い四角なものを糸にて首にかけていたろう」と言われ、
母もハッと気付き「持っておりました」と答えますと、
その偉い人は「お前は死ぬのは未だ早い。また向こうの世に帰り人を救いなさい」と両手の中間に焼判をおしまして、コンニャクのようなものを弁当に下さいました。
そうして家に帰ってから私(K吉)の名を呼んだようですが、その声が「うなり」声だったのでありました。
母はただ有難い有難いと申し、また自分で気がついた時は未だ身体が冷たかったそうです。
右の場合、私の先祖に首を切られて苦しんでいる人があるのでしょうか。この事は夢ではないと本人は申しております。」
明主様御垂示
「夢ではないであろう。
首を切られた人が助かって有難いのであろう。
偉い人というのは閻魔様である。
白い四角いものはお守。お守によって生命が延びたのである。
人間の死ぬのは決っている。その時が寿命であり、それを延ばされた。
信仰に入った徳により、死の型をしたのである。
焼判は、閻魔様が助けてやった・・・死の要はないという印である。
コンニャクは寿命の元かもしれない。」
明主様御垂示 「人名簿に○付くを見せらる」
信者の質問
「私の導いた信徒で十五歳になる男子、この御教えを大変喜んでおり、神様の御話を聞きたがりますが両親は大反対です。
しかし本人のあまりにも熱心なるに動かされ、二月、献金を私が立替えてお守を授けて戴きました所、一ケ月後夜十二時頃寝て間も無く夢のごとく気が遠くなり、真暗な所に行きました。
そこには観音様のような方がおられ私をお呼びになり、そして一緒に歩き出し、絵で見る閻魔様のような方の前に行き人名簿を見せられ、その中に自分の名前の上にだけ○印の付けてあったのを見て正気になったというのですが、いかなる意味でしょうか。
その事を聞いた親もこの御話を聞くようになりましたが、未だ入信しておりません。」
明主様御垂示
「地獄へ行く所である。人名簿に○が付いてたのはこれだけは助けるという印である。地獄へ行く所であったのである。」
明主様御垂示 「死後審判受ける期日」 (昭和23年11月24日)
信者の質問
「帰幽して幽世大御神の審判を受けるのは死後幾日くらい経っての事で御座いましょうか。」
明主様御垂示
「死後五十日間は家にいて、それが過ぎて八衢に行く。
五十日以上経てば審判さるるとみてよい。」
明主様御垂示 「死後の行方」
遺骨を床の間に祀ることはよい
信者の質問
「死後四十九日の前、お骨を床の間にまつる習慣のところがありますが、
御神体をおまつりしてある場合はどういたしたらよろしいでしょうか。」
明主様御垂示
「これは一向かまわない所か、反ってそうした方がよろしい。
それは観音様の霊光をいただくから早く霊は向上し良くなる。
霊界へ行く法則として死後五十日迄はその家にいる事になっている。
そして五十日目に家を離れて、霊界へ行くのである。
そして最初はまず寺へ行く。
極善の霊は四十九日もいないで、死後直ちに天国へ行く。
また極悪者は家にいないですぐに地獄へ急落する。
普通は大体八衢に行くので、その際の霊は五十日間家にいるのである。
その場合霊がお光をいただくと早く浄化させていただくから、右の観音様を祭ってある床の間に祭るのは大変よい訳である。
そうすると天国へ行くにも早い。」
明主様御垂示 「脱衣婆の更迭」
信者の質問
「脱衣婆は現界に当てはめて見ますとどういう事をしている者をいうので御座居ましょうか。」
明主様御垂示
「脱衣婆はそう更(かわ)らない。更迭が少い。現界には相応するものがない。」
明主様御垂示 「葬団子の変色」
信者の質問
「人が死亡致しまして葬式の場合団子を作ってお上げ致しますが、
この団子を作る場合真白い米の粉を用い作りますが、
色が黒く変色する場合と変色しない場合があります。
大変苦しんで死んだ場合等は変化し、安らかに死んで住くような場合は変らない等と聞いておりますが、
自然死と不自然死とで変化するので御座いましょうか。右、御教示御願い申し上げます。」
明主様御垂示
「黒いのは地獄、白いのは極楽で、地獄へ行く霊ほど黒い。
三途の川で白衣の色が変る。
団子にもそれが表われる。」
体験談 霊層界の実験記 (地上天国 5号 昭和24年6月25日発行)
日本観音教木ノ花会前野教導所 教導師補 SG(30・男性)
「私に憑依していて浄霊で救われた霊から感謝の意味で私も霊層界に案内されました。私の見た霊層界のありのままを書かせて頂きます。
人間は生きているうちは金とか色情じかけ、口の先泣きおとし、これらの事にて楽な事をすることが出来るが、霊層界ではそのような事は出来ない。
本当の体の曇りまたは浄まり方如何で、その霊の段階に入れられるのである。
人間は死ぬと霊層界に行くのである。
迷いの霊と言うのは逃げ出すので、逃け出したらそのままでは元の段階へ帰れない、霊の体が浄まらんと入る事が出来ない。
霊層界入口の前に川があり、家の中に絶えず帳面をひろげてみている霊界人がおります。
霊層界へ入って来る皆んなの霊は入ロまではどの霊も同じであるが、受付に行き名前をいうとお前は八衢行、お前は地獄行と申し渡されるが、殆んど天国に行く霊はない八衢行の霊は十人に一人か二人位です。
入口より五十米程行くと八衢行と地獄行の辻になっており、その辻よりどちらも百米程の道のりがある。
八衢行の道はとても美しい道で急な坂道になっており、この坂道を登るのであるが、霊体が浄まっているから楽に登って行ける。
地獄行はとても凸凹の悪い道その坂道を降りるのである。
地獄は六十階級の部屋になっており、皆一つ一つの部屋には一室一人の頭がいる。その下で働くのです。
八衢は六十の部落になっており我々が住んでいる現界と同じようで大きな家もあり、小さな家もあり、霊位によって違うのである。
正しい働きをしており、八衢で正しい働きをすれば天国にも行けるのである。
天国は一級二級三級と五十八部落になっており、三級の部落の神様は多勢いられる、二級の神様は十二人おられ、一級にまつられております。
その前を通ります時には頭を下けずにはおれない気持です。大先生様の観音力と申します偉大なるお力が生きたお働きをされる事はこの私の一例をあげてもよく解るところであります。何事につけてもお観音様は私共にお教え下さいます。」
体験談 霊界より現界ヘ (地上天国 17号 昭和25年10月15日発行)
天国大教会日進中教会 MM(22・男性)
如何にして噫々如何にして報ゆべき 生命賜いし恵み思へば
「去る二月十五日いつものように仕事をしていました私、突如胸先の苦しさを感じ、呼吸も困難になって来たのでございます。
夕刻三時頃帰宅して御神前に御念じしてる内に、悪寒を感じブルブルとふるえ出して来まして急いで父に御浄霊して頂きましたところ、胸の痛みは加わるばかりで起きてる事も出来ず、夕刻床についたので御ざいます。
明けて十六日には、呼吸の困難もともない背中の中央部が急激に痛み出して来たのです。
十七日の朝から背中の痛みは広がって腎臓部にうつり、それから横腹、延髄首の回り頭と痛み出して来たのです、十七日の夜の苦痛は背中をキリでもまれるようなつらさ、そのつらさは筆舌には現すすべもありません。
浄化作用は益々はげしくなり、床の中で有難い浄化とは百も承知の上ながらつい唸き声すら出ていたので御ざいます。
二十五日には全身浄化にて呼吸は困難になり、頭はズキズキ痛み背中腎臓の痛みのため夜も床につかれず、腹は熱湯をかけたように暑苦しく痛み、足の痛みに歩く事は出来ず、熱は高いし目は開けぬ。
本当に苦しい全身浄化の日は二月二十八日まで続きました。
二十五、六、七日三日間と言うものは、本当に誰一人良くなると思った人はなかったそうです。
そばについていてくれたお母さんですら毒素が多いからと諦めていたそうです。
それもそのはず二十四、五日頃からは顔、足の甲がむくみ始めたのです。
手の爪は全部紫色に変って終い、目は三分間も開いていられず、自分ながら「毒素も多い曇りも深い。この肉体では、到底現界では御用は出来ないのだから、霊界に行って頑張ろう」と二十五日に決心しておりました。
死を決した病状はなお悪化して行きました。
二十七日全身浄化のつらさに夜も眠られずに、うとうとしていましたところ、夢のようにまたまぼろしのようにはっきりと次のような情景が見えました。
私が大きい川に釣に行ったのです。
魚が大変良く釣れてもう帰ろうと思った瞬間、空は俄かに曇り始め、あっと思う間に大雷雨となり、身動きも出来ずたちまち川水は真黒な濁りとなり、滔々と寄せて来た水で、私は首までつかって終いました。
わずかな間の出来事で私はおし流されそうになり、釣竿も魚も捨ててしまいました。
と思っていると、私の頭の上に体の小さい人が現れ、水の上を巧みに歩いているのです。
転がりそうになると、その人は私の頭をつかまえては向岸に渡ろうと私に言うのです。
首の高さにふえてる水は、今しも私を流してしまうかと思ってる内にその人は上手に私の頭をつかまえて、少しずつ歩いて行くのです。
不思議な事にその人は水の上を歩いて少しもしずまないのです。
ようやく川岸にたどりついた時には、もう川岸は水のためかけてしまって上られません。
すると、その人は楽々と上に昇って私の手を引いたのですが、私はなかなか水の中から上に昇れません。
困っておりますと川岸の上方から、真白な体の人が現れて(その方の顔は光って見えませんでした)私の手を引いてくれると、楽々と私は上にのぼれたのです。
上った所は大変美しい所でした。
その時私は布団の中で足をたてて手を布団から出して高くさしのべて、ふと、我に帰ったのです。その時の喜こび、生きていた喜び。
「ああ神様に救われたのだ、大丈夫もう良くなれる」とその二十七日の夜三時頃から意志が強くなって、
「私にはまだまだ現界に御道のための用事がたくさんあるんだ、一日も早く良くなって御道のために尽すんだ」と心にきめてより、浄化は次第に楽になったものの三月五日に始めて床をはなれ、三月十日頃までは半日程ずつ床についておりましたのが、ぐんぐん良くなって、早くも三月十五日にはほぼ全快したのでした。
あまりの感激に三月十六日不思議にも、一ケ月振りに藤枝教会に御礼の御詣りに行かせて頂いたのです。
この感激に何と感謝したらいいでしょう。どうして御報い出来るでしょう。
一旦は死まで覚悟した私が、明主様の測り知れない大きい御守護によって、御救いいただいた事を思う時、あまりの嬉しさあまりの有難さにただただ感涙に胸がせまってくるので御ざいます。
明主様、有難う御ざいました。私はただただ救われたりし幸を思う時、身を尽し心くだいて、たとえ我が身は野辺のかばねとさらされようとも、誠心誠意この大事な一年、誠、誠、誠の一字を以てすべてを実行する人となり、青年部において頑張らせて頂きます。
あまりの嬉しさに乱文乱筆もかえりみず御報告させて頂きました。」