地縛霊について
明主様御教え 「怨霊及び地縛の霊」 (昭和18年10月23日発行)
「世間よく怨霊といって、昔から稗史(はいし)や伝説等にいろいろあり、恐ろしきものとなっている。
そうして怨霊とは怨みの霊がその復讐として、当事者又はその子孫に対し、危害を加えようとするものである。
これらも決して想像や仮想的なものではなく、実際にある事は争えない事実である。
彼の有名な四谷怪談や、累(かさね)物語等も実際あった事と想うのである。
それについて二、三の例をかいてみよう。
彼の故 西園寺公望(さいおんじきんもち)公は正妻はなかったそうである。
聞く所によると同家は代々そうであるとの事で、何の為であるかというと正妻と定まると必ず不吉又は不幸な事があるのだそうで、やむなく右のごとくなったとの事である。
かかる種類の怨霊は執着の権化である蛇霊である事は勿論である。
以前私が扱った患者で、二十才位の若い婦人で、左乳の少し上部に相当大きな赤痣があった。
それを治してくれというのであるが、その赤痣を熟視すると、ちょうど短剣のごときもので突刺され、
血がほとばしり出た状態で全く前世における怨霊の結果としか思われないのである。
ただ加害者の怨霊か又は右の女性が被害者でその再生がどちらかであろう。
又、彼の有名な菅原道真の怨霊が雷火となって、種々の変事を起した事は有名な史実であるが、これらも全然無稽(むけい)ではないであろう。
又 平の将門の霊が大蔵省の邸内に祀ってありそれが種々の祟りをしたので、先年懇ろに祭典を執行したところ、それからあまり祟りがなくなったという事実があるが、
この世の中には、唯物的では解決のつかない事が随分あるのである。
そうして怨霊はすべて執着の為、龍神となって活動するものである。
次に、地縛の霊というのがある。
これは変死者の霊であって、溺死、縊死(いし)、轢死(れきし)、墜死、毒死、自殺、他殺等であるが、
これらの死霊はいかに懇ろに葬るといえども、その死所を放れる事が出来得ないもので、
ちょうど、地に縛られたごとくであるから地縛の霊というのである。
これらの霊は、居所が墓場と異なり孤独であるから相手を求めたがるのである。
それが為、その霊の付近を通行するものを誘って自殺又は変死させんとするのである。
世間よく轢死者があったレールの付近や、溺死者のあった水辺等に、次々変死者が出るという事は、誰も知る所であるが、右の理によって肯れるであろう。
そうして地縛の霊は三十年以内には離脱出来得るものであって、死者の近親者等の供養のいかんによって、離脱に遅速のある事は勿論である。」(明日の医術 第3編より)
明主様御教え 「死後の種々相」 (昭和24年8月25日発行)
「死にも種々あるが、脳溢血や卒中、心臓麻痺、変死等のため、突如として霊界人となる場合があるが、
何も知らない世人は病気の苦痛を知らないからむしろ倖せであるなどというが、これらは非常な誤りで実はこの上ない不幸である。
それは死の覚悟がないため霊界に往っても自分は死んだとは思わず相変らず生きていると想っている。
しかるに自分の肉体がないので、遮二無二肉体を求める。その場合自己に繋っている霊線をたどるのである。
霊線は死後といえども血族の繋りがあるから、霊はそれを伝わり人間に憑依しようとするが、
憑依せんとする場合衰弱者、産後貧血せる婦人、特に小児には憑依しやすいので多くは小児に憑依する。
これが真症小児麻痺の原因であり、また癲癇(てんかん)の原因ともなるので、
小児麻痺は脳溢血のごとき症状が多いのはそのためであり、
癲癇は死の刹那の症状が表われるのである。
例えば泡を吹くのは水死の霊であり、火を見て発作する火癲癇は火傷死であり、
その他変死の状態そのままを表わすもので夢遊病者もそうであり、精神病の原因となる事もある。
次に変死について知りおくべき事がある。
それは他殺自殺等すべて変死者の霊は地縛の霊と称し、その死所から暫くの間離脱する事が出来ないのである。
普通数間または数十間以内の圏内にいるが、淋しさの余り友を呼びたがる。
世間よく鉄道線路などで轢死者が出来た場所、河川に投身者のあったその岸辺、縊死者のあった木の枝等よく後を引くが右の理によるのである。
地縛の霊は普通三十年間その場所から離れない事になっているが、遺族の供養次第によっては大いに短縮する事が出来得るから、
変死者の霊には特に懇(ねんご)ろなる供養を施すべきである。
そうしてすべての死者特に自殺者のごときは霊界に往っても死の刹那の苦悩が持続するため大いに後悔するのである。
何となれば霊界は現界の延長であるからである。
この理によって死に際し、いかなる立派な善人であっても苦痛が伴う場合中有界または地獄に往くのである。
また生前孤独の人は霊界に往っても孤独であり、不遇の人はやはり不遇である。
ただ特に反対の場合もある。それはいかなる事かというと、人を苦しめたり、吝嗇(りんしょく。けちのこと)であったり、道に外れた事をして富豪となった人が霊界に往くや、その罪によって反対の結果になる。
すなわち非常な貧困者となるので大いに後悔するのである。
これに反し現界にいる時、社会のため人のために財を費やし善徳を積んだ人は霊界に往くや分限者となり、幸福者となるのである。
またこういう事もある。現界において表面はいかに立派な人でも、霊界に行って数ケ月ないし一ケ年位経るうちにその人の想念通りの面貌となるのである。
なぜなれば霊界は想念の世界で肉体という遮蔽物がないから、醜悪なる想念は醜悪なる面貌となり、
善徳ある人はその通りの面貌となるのでこれによってみても現界と異なっている事が知らるるのである。
全く霊界は偏頗(へんぱ)がなく公平であるかが知られるのである。
以前こういう例があった。その当時私の部下に山田某という青年があった。
ある日彼は私に向かって「急に大阪へ行かなければならない事が出来たから暇をくれ」というのである。
見ると彼の顔色挙動等普通ではない。
私はその理由を質(たず)ねたが、その言語は曖昧不透明である。
私は霊的に査(しら)べてみようと思った。
その当時私は霊の研究に興味をもちそれに没頭していたからである。
まず彼を端座瞑目させて霊査法にかかるや、彼は非常に苦悶の形相を表わしノタ打つのである。
私の訊問に応じて霊の答は次のごときものである。
「自分は山田の友人の某という者で、大阪の某会社に勤務中、その社の専務が良からぬ者の甘言を信じ自分をクビにしたので、無念遣る方なく悲観の結果服毒自殺したのである。
しかるに自分は自殺すれば無に帰すると想っていたところ、
無になるどころか死の刹那の苦悩がいつまでも持続しているのであまりの予想外に後悔すると共に、
これも専務の奴がもとであるから、復讐すべく山田をして殺害させようと思い、自分が憑依して大阪へ連れて行こうとしたのである」
この言葉も苦悶の中から途切れ途切れに語った。
なお彼は苦悩を除去してもらいたいと懇願するので、私はその不心得を悟し苦悩の払拭法を行うや、
霊は非常に楽になったと喜び厚く謝し、兇行を思い止る事を誓い去ったのである。
右憑霊中山田は無我であったから、自己の喋舌(しゃべ)った事は全然知らなかった。
覚醒後私が霊の語ったままを話すと驚くと共に、危険の一歩手前で救われた事を喜んだのであった。
これによってみても人間はいかなる苦悩にあうも、自殺は決して為すべからざるものである事を識るべきである。
特に世人の意外とするところは情死である。
死んで天国へ行き蓮の台に乗り、たのしく暮そうなどと思うがこれは大違いである。
それを詳しくかいてみよう。
抱き合心中などは霊界へ往くや、霊と霊とが密着して離れないから不便この上なく、
しかも他の霊に対し醜態を晒すので後悔する事夥(おびただ)しいのである。
また普通の情死者はそのその際の想念と行動によって背と背が密着したり、
腹と背が密着したりしてすべての自由を欠き、不便極まりないのである。
また生前最も醜悪なる男女関係、世にいう逆様事などした霊は逆さに密着し一方が立てば一方は逆さとなるというように不便と苦痛は想像も出来ない程である。
その他人の師表に立つべき僧侶、神官、教育者等の男女の不純関係のごときは、普通人より刑罰の重い事はもちろんである。」
明主様御講義 「善悪の真諦と光明世界の建設」より (昭和10年8月25日発行)
「前に変死等したところではその後よくそこで死ぬ事が多い。
これは変死した霊はここに喰い付いて終うのであって、
これを地縛の霊といって畳やレール等に喰い付いて離れることが出来ず、淋しい為自分は動く事が出来ぬ為、
通行人やボンヤリしている人を引張り込むのである。
この為同じところで事故を引起すのである。
変死人のあった家は皆この通りで、死んだ直後程霊が濃いのであって、
死にたての霊の濃い為に幽霊が見えるのである。
上級の霊程霊細胞が細いのである。
又稀薄である。最上級の霊は稀薄であって光が出るのである。
癲癇(てんかん)は死霊が憑くのでありまして、死んだ時の有様をそのまま見せて居ります。
脳溢血で死んだ人のひっくり返る有様が癲癇に見る事が出来る。
水死人ならば泡を吹き、水癲癇なれば水に落ちて死んだ人であり、
火癲癇は火で焼死んだ人の霊が憑いているのである。」 (「観音講座 第五講座」より)
明主様御垂示 「地縛霊の意義」
信者の質問
「自殺した霊は地縛の霊となる事は解らせて戴きましたが、
無理心中の相手方の霊、古戦場に残る霊、不慮の災厄死、一室に監禁されて殺された霊、殉死等の霊がその場所に残る事がありますのは、
地縛の霊とどのような違いが御座いますのでしょうか。」
明主様御垂示
「皆いずれも地縛の霊である。
一切の変死即ち病気でなく死んだものは一切地縛の霊である。
無理心中は殺人であるから、心中とは非常に違う。」
明主様御垂示 「地縛の年限」
信者の質問
「私の家は昔武士の屋敷跡で、以前は首切場だったとの事ですが、
右の事情を知らず買取り、家を建てた所、昭和十六年十一月二十八日の大旋風にて家は倒壊なし、長女はその時、家の下敷となって死亡致しました。
今度は私が突然病気となり、先生の御救いを求め、光明如来様を御祭りしておりますが、
このままそのところに住んでいても宜しいものでしょうか。御教え下さい。」
明主様御垂示
「変死の霊がいるから、普通はいけないが、
変死霊は普通三十年位そこにいるが、執着が強いのはもっと長い。
光明如来様をお祭りすれば、その霊は救われてゆくから、
すると救われた御恩返しをする事になるから、差支えない。
首切の個所だけ石牌か塔婆でよい、印をして、約三年位、一日に一ぺんずつ祝詞を奏げてやるとよい。」
明主様御垂示 「地縛の霊も移動できることがある」 (昭和24年7月1日発行)
信者の質問
「地縛の霊はその場所数十間より移動できぬと伺っておりますが、その地より遠隔の人間に憑依いたしますのは、いかなる解釈をしたらよろしゅうございましょうか。」
明主様御垂示
「ふつう二、三十間しか動けませんが、因縁によって広範囲に活動することができます。」
明主様御垂示 「縊死者の死後」
信者の質問
「生後九ケ月でも首が坐らない幼児は先天性小児麻痺と思い、先祖に変死者はないかと尋ねましたら、
三年前祖母が首を吊って死んだ由、生れ変りでしょうか。憑依でしょうか。」
明主様御垂示
「注射のためである。
生れて間もなくすると、骨の発育が止まる。気長にやれば治る。
祖母が首を吊ったとて三年や五年で生れぬ。
地縛の霊であるから、何十年後でなくては生れぬ。」
明主様御垂示 「戦死者の死後」
信者の質問
「戦死者の霊はいかなる状態にて昇天致しますか。」
明主様御垂示
「やはり戦死であるから、地縛の霊に当る。
国家のためという心はいいのであるから、早くそこを退いて一旦地獄へ行き、地獄の修行をして救われる。
自殺といっても、動機はいいのであるから、地獄の修行も早く済む事となる。」
明主様御垂示 「絞首刑被執行者、爆死者の死後」 (昭和24年12月27日)
信者の質問
「戦争犯罪人として過日絞首刑を執行されました七人が、それぞれ息を引取る時間が異っていた事を報じていますが、その時の霊はいかなる状態にありますか。
絞首台に上る時にすでに霊は出ますか。
息を引取る時に出るのでしょうか。また、その間霊は苦しみますか。」
明主様御垂示
「息を引取る時間の異なるのは当り前で、人間は体力と、綱が首にかかる場所が幾分違うから、いくらかの違いさがある。
(昔の磔刑で七回突かれて死ななかったのがある)
首を絞められて苦しんだそのまま霊界へ行き、その通り暫くの間なっている。
(供養するから幾らか楽になる)
しかしあの人達は仲々長い。数十年はその状態と思う。
人間の死の刹那の通り霊界へ行く。
ただ爆弾でやられたのは早い。粉々になったのが数日で人間の形になるが、暫くはボーッとしている。(意識不明)」
明主様御垂示 「爆死者の死後」 (昭和24年1月6日)
信者の質問
「遠くはなれた県にて三年前爆死したと聞きました御祖母さんの霊を救う方法をお教え下さい。」
明主様御垂示
「爆死したのは粉々になる。
まとまるのは割合早いが、爆死の刹那能力を喪失するから痴呆症になる。
で、まとまって人間の形になってボーッとしていて、意識がない。
始終、善言讃詞を奏げてやると早く意識がつく。
その人の生前の徳と、遺族の供養の仕方でよくなる。光明如来様の近くに置く。」
明主様御垂示 「爆死者の死後」 (昭和23年10月13日)
信者の質問
「霊界人は現界時代の記憶を持っているでしょうか。」
明主様御垂示
「現界の記憶を持っている人と持っていない人と両方ある。
死ぬ時に普通に死ぬのは持っている。非常に娑婆や、娑婆の人間に執着を持っているのが多い。
(夫婦相和した人は執着がある)
死ぬ状態が非常に衝撃のあった場合、例えば爆弾で死ぬような場合、霊は粉微塵になる。
そしてやがて人間の形になるが、その衝撃で記憶を消失する。
これが一番変化する。半分位消失するのやあるいは少し消失する等種々ある。
爆弾等で死んだのは当分痴呆症のようになる。」
明主様御垂示 「爆死霊の状態」 (昭和24年6月5日)
信者の質問
「原子爆弾のごとく一瞬にして多数の人命を奪う時、その失われたる人の霊魂はいかなる形態を取りて肉体より離脱するものでしょうか、御尋ね致します。」
明主様御垂示
「霊魂も肉体と同じ状態である。人間の形体はなくなり、コナゴナになり、それが集まって割に早く普通の人間になってから地獄へ行く。
丁度、原爆でやられたように、身体も動かず口も利けず、冷い。
遺族の供養などで苦しみも軽くなり、よくなる。」
明主様御垂示 「バラバラになった死体の霊は一週間で治る」 (昭和24年7月13日)
信者の質問
「イエスやガンジーのように不慮の死を遂げた場合でも、偉大な人は天国に行けるものでしょうか。
また、下山氏のごとく屍体がバラバラになった場合、その霊体は霊界でどのようになりましょうか。」
明主様御垂示
「イエスとガンジーは違いますよ。
イエスは宗教家だから勿論すぐ天国に復活するけど、ガンジーは政治家だから。
でもガンジーはふつうのと違ってバラモンの行者ですからね、だから何度も断食なんかやったんです。
だからすぐ天国には行けずにいったん地獄へ堕ちたでしょう。
勿論天国に行くのも早いですよ、ああいう人はいいことをしてますからね。」
信者の質問
「ああいう死に方をしなければ天国へ行けたでしょうか。
明主様御垂示
「そうも決まってませんがね。
しかし、ああいう死に方は地獄で苦しみますね。・・・
それから下山氏のようにバラバラになったのでも、すぐに繋がるんですよ。
しかし繋がっても、その繋がった所が当分の間痛んで苦しいんですよ。
それで残った人達が誠意をこめて供養すると、その痛みが早くとれてくるんです。
例えば爆弾なんかで体がバラバラに飛び散ると、霊も粉々になってしまうんですが、けれどもすぐにまた元通りになってしまうんです。
これは割に早くなりますね。たいてい一週間くらいで治りますよ。」
(註 下山事件・・・連合国の占領下にあった昭和24年7月5日朝、日本国有鉄道初代総裁・下山定則(しもやま さだのり)が出勤途中に失踪、翌日未明に轢死体となって発見された事件。
事件発生直後からマスコミでは自殺説・他殺説が入り乱れ、警察は公式の捜査結果を発表することなく捜査を打ち切った。)
明主様御垂示 「救命活動により溺死した人の死後」
信者の質問
「溺れかかっている者を助けに入って死んだ者は霊界でどんな状態になりますので御座居ましょうか。」
明主様御垂示
「一旦地獄へ行くが早く出られる。地縛の霊にはならぬ。」
明主様御垂示 「人柱はすぐに極楽に行く」 (昭和24年8月22日)
信者の質問
「昔から河川工事や用水工事等で人柱云々の事を聞かされておりますが、
人柱になって死んだ者はやはり地縛の霊と同一に三十年が限度で御座いましょうか。
なおまたこれは世のため、人のためと言う気持ちが御座いますが、
その功罪は霊界でいかようになるものでございましょうか。御教えを賜わりたく御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「地縛とは違う。自分の身を犠牲にしてやるので、動機善であるから・・・。
自殺には違いないし、自殺は罪になるから、飛込んで地縛にはなるが、すぐに極楽に行く。
自殺は罪であるから、それだけの清算はしなくてはならぬ。」
明主様御垂示 「梁の真下に寝てうなされた事例」 (昭和25年1月22日)
信者の質問
「梁の真下に寝るとうなされるとある人が信者の知人に聞き、
以前宿泊致しました時に梁の真下に寝てみたそうで御座います。
十時過ぎからうなされ、二時頃位置を変えて寝てみますとうなされず、朝迄休まれたそうで御座います。
霊的に意味が御座いましょうか。御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「梁に霊がいたのであろう。
縊死者などの霊か、または天井にでも変死者の霊がいたのであろう。
人間は恐怖を抱くと副守護神がいたずらするものである。」
明主様御垂示 「地縛霊の祟り」 (昭和24年5月25日発行)
信者の質問
「西宮市近郊のある家で最初に建築した人は一家四人が三人まで死し、
続いてその家を買った人も二人家族の主人がすぐ死に、
三代目の家でもすでに二人死し一人はもっか病床に伏し飼猫までが病気であります。
その在地はもと池も大木もなく野原でありまして、どうしてよいか解らず困っております。
御神体をお祭りするだけでよろしゅうございましょうか。病人には霊の憑依現象はありません。」
明主様御垂示
「これはなにか祟っている。このままではいけない。
おそらく古戦場とかなにか、たくさんの人が死んだ所であろう。
地縛の霊がいて助けを求めているのだろう。
地縛の霊は建物を建てられると苦しい。
地縛の霊でも、ふつうのはなにもないが、怒りっぽい霊、しつこい霊がいるか、
あるいは地龍の特定の住所になっていて、そこをどけ、ということだから二、三十間以上移住するとよい。
やむを得ないときは、光明如来様にお願いすると夢などで知らせていただける。
時期を経れば浄まって良くなる。」