地獄について 3 (体験談)
体験談 霊に聞く (地上天国 4号 昭和24年5月25日発行)
御屏風観音様御奉斎により地獄の祖霊が救われた事例
場 所 兵庫県佐用郡○○町家内
日 時 昭和二十三年七月二十三日午後及二十九日夜
お浄霊者 TK氏
受けし人 TA子さん(二十三才)
憑った霊 祖父
問「貴方は何故この肉体に憑りましたか」
答「本年二月十七日佐用の鎌井様のお宅で、この肉体は思いも寄らぬ観音力を戴き、観音様を御祭りして戴き、嬉しくてうれしくて歓びに出て来ました。」
問「貴方は観音様をお祭りして戴く前、霊界のどこにおられましたか。」
答「地獄の十段目におりました。」
問「どんな仕事をしておられましたか。」
答「軽微な労働をしていましたが、遊ぶ暇はありません程でした。」
問「今はどこにおられますか。」
答「中有界の十五段目におります。」
問「どんなお仕事をなされていますか。」
答「上からお聞きした事を下の者に話しています。他には何にも仕事はなく遊んでいます。」
問「霊界は天国中有界地獄各六十段に分れ、全部で一八〇階級に分れ、その上に最上天国かありますね。」
答「はい、その通りです。」
問「霊界は随分明るくなって来ましたか」
答「はい、そうとも、私も生きていた間は地獄、極楽はこの世にありと思っていましたが、決してそんなものではありません。
霊界の生活が現界の生活の何層倍長いものか、私は皆の者に何とか知らせてやりたい。
若い娘や年寄りの男女があの針の山を痛々しく歩いている姿を見、大きな釜の中に毎日数千人もの霊が入れられて行く様子を見て私はじっとしていられない、
地獄の霊は何とか救って貰いたいと一生懸命になって現界の者に知らせている。
私は先の事がよく判るから余計じっとしていられない。
何とか一日も早くこの肉体の父母が観音力を戴いて貰いたいの一心です。」
問「今物や金があっても仕方がないと思われませんか。」
答「そうです。皆の者にこんな大きな家を建ててやり、今では不自由なく暮しておりますが、そんな時ではありません。
今いくら物や金があっても駄目です。こんな家があってもちょっと地震が起ればペチャンコです。
立派な額があがっているようですがこんな物紙屑にもなりません。
天幕張りをしてもよい木の根を食べてもよい、大光明如来様の御神体と観音力を皆の者が戴き、屏風観音様を戴き御額をいただく事です。
これだけあれぱ何も他にはいらない。何よりの宝です。
今一生懸命田畑を耕しているが今年の米も食べられるかどうか判らない。病気だけで人は死ぬのと違う。
問「ではあなたは東京へでも米国へでも行こうと思う所へはいつでも行けますか。」
答「どこへでも行けます。」 (後半省略)
体験談 御霊徳に知る自分の前世 (地上天国 9号 昭和24年10月25日発行)
日本観音教明成会 HS(47・女性)
「私は昭和二十二年十二月教修を戴いた一信徒で御座居ます。私は前に二度も腸捻転で手術をしましたが、三度目の手術をする寸前にお観音様に救われまして手術をせずにすましました。
本年三月十一日の夜、私の家で家族の者に浄霊をして戴いていますと霊が浮き、「タタタタ・・・・・・ツツツ・・・・・・ツ。ヂャヂャヂャ・・・・・・ヂャ。リラリラリラ。」と連続的に奇声を発し、咽喉がつまったようになり、これだけ口で言うのに一時間程かかりました。
このような状態が続き、四月十八日当地に会長先生御出張の折に御浄霊を戴き、また本部に御伺いして次のように私の前世の全貌が明らかにされました。
その時の会長先生の一問一答を傍聴記録により掲載させて頂きます。
私は女なのですが全く変った口調になってしまいました。
【HS憑依霊口述筆記大要】
昭和二十四年四月十九日及二十三日の午後。
場 所 明成会本部
御浄霊者 会長先生
速記者 OM
傍聴者 信者五十数名
御浄霊はじまるや直ちに冥目、首振り出す、無無我。問答大要左のごとし。
先生「貴女は今どこにおりますか?」
霊「やちまた(八衢)。」
先「いつ八衢へ上りましたか?」
霊「ついこのあいだ。四月十四日。」
先「どうして上れたのですか?」
霊「お観音様の御慈悲ぢゃ。有難いお光によってぢゃ。」
先「地獄には何年位おりましたか?」
霊「四百五十年、それから抜け出し狐霊界に入り四百年近くいたのぢゃ。」
先「では前の世では何をしておりました?」
霊「くげ、公卿ぢゃ。」
先「どこに住んでおったのですか?」
霊「京都ぢゃ。」
先「名前は」
霊「九條ぢゃ」
先「男だったのですね。」
霊「男だったのぢゃ。藤原鎌足に仕えておったのぢゃ」
先「どこで死にましたか?」
霊「五條で殺されたのぢゃ」
先「どうして?」
霊「五條の橋の上で宝の筒を持っていたのぢゃ。腹を突かれて今も痛いのぢゃ。」
先「その中に何か入っていましたか」
霊「軸ぢゃ。」
先「どなたが書いたものですか?」
霊「時の天皇ぢゃ。」
先「絵ですか?」
霊「字ぢゃ。」
先「天智天皇ですか?」
霊「そうそう。」
先「子供は何人ありましたか?」
霊「四人。男が三人、末子が女だったのぢゃ、末子は今いるKじゃ。三番目は山梨にいるKの妹ぢゃ。」
先「藤原鎌足は今、生れ変っておりますか」
霊「わしの弟の上條利長がそうじゃ。今京都におる。」
先「あなたはどうして死んで地獄へ堕ちたのですか。地獄へ行く途中閻魔様の審判をうけましたか?」
霊「いやいや。」(首振る)
先「直通か?」
霊「そうそう。」(傍聴者失笑)
先「いやはや。でも悪いことはしないと申しましたが。」
霊「ぜいたくをしたからぢゃ。」
先「食物ですか?」
霊「左様左様。」
先「ではお伺いしますが、第三地獄はくらいですか?」
霊「まっくらぢゃ。(身をふるわせて寒気立つようすをする)これもやむを得ん。ぜいたくをした罪ぢゃ。」
先「それからどこへ行きましたか?」
霊「第二地獄ぢゃ。」
先「明るさは?」
霊「お光が射して来たので少しは明るいのう。」
先「食べ物は?」
霊「少し。」
先「第一地獄は?」
霊「朝十時頃の明るさぢゃ。」
先「食物は?」
霊「食べておる。お観音様からいただくのぢゃ。」
先「着物は?」
霊「第一は青、第二は赤、第三は黒ぢゃ。」
先「では今度は八衢のようすを伺いましょう。」
霊「何でも食べられる。美しい鳥がたくさんいる。建物は全部鉄筋コンクリートじゃ。広い広い道路を素晴しい自動車が走っておりとてもとてもきれいなのぢゃ。」
先「それでは天国はどんな風ですか」
霊「―――。」(首をかしげている)
先「わかりませんか?行ったことがないからね・・・。」
霊「わからない。」
先「今八衢のどの辺におります?」
霊「一番下ぢゃ。これから段々と上るのぢゃ。」
先「八衢には大勢人がいますか?」
霊「大勢ではない。」
先「地獄は?」
霊「一ぱいぢゃ。」(傍聴者笑声)
先「一体、死ぬと皆八衢へ行くのぢゃないかね?」
霊「いやいや。」
先「ではここにいる人ですね、この人達が仮りに行くとしたらどこへ行きますか。八衢ですか?」
霊「第三々々。」(傍聴者一同息をのむ)
先「これは驚いた。でも大先生の御弟子は大丈夫でしょう。」
霊「今は八衢」(一同安堵)
先「信者であっても悪いことをすれば駄目ですか?」
霊「その人にある。」(声大にして云う)(傍聴者笑声)
先「一体、地上天国に入れる人ですがね。二十万人(信者数)のうちどの位ですか?」
霊「―――。」(首かしげている)
先「何割位?」
霊「一割。」
先「もっと残りませんか?」
霊「大先生の御恵みによってぢゃ。」(一同感嘆)
先「うむ、そうですね、ではお尋ねしますが、医者や薬屋はどうなりますか?」
霊「駄目々々。」
先「料理屋や、花柳界などはどうですか?」
霊「だんだん悪くなる。」
先「あなたのところではどうしてやっておりますか?」
霊「時期ぢゃ時期ぢゃ。」
先「浄化はいつ頃からひどくなりますか?」
霊「この秋から始り、十二月にはひどくなるのぢゃ。」
先「病気ですか?」
霊「左様々々。」
先「色々な浄化作用が起るでしょう。」
霊「想像もつかぬような事が起るのぢゃ世の中の者は大馬鹿者が揃っておるから分らないのぢゃ。」
先「病気は疥癬ですか?」
霊「いやいや。疥癬は大先生がおやりになったからぢゃ。」(端坐したまま両膝をバタバタ座布団へぶちつけもどかしそうに云う)(一同感涙す)
先「では霊界はいま大変でしょう。」
霊「霊界は今、上を下への大騒ぎをしておるのぢゃ。」
先「戦争の準備はしておりませんか?」
霊「まだしておらぬ。」
先「米ソ戦は?」
霊「せずには治まるまい。」
先「戦争の時期はいつですか?」
霊「○○年○月ぢゃ。」
先「戦争の期間は」
霊「三月ぢゃ」
先「あと何年位で日本の地上天国は完成しますか?」
霊「○○年ぢゃ。」
先「世界の地上天国の完成するのは?」
霊「○○年ぢゃ。」
先「あなたも大先生様の御恵で救われてうれしいでしょう。あなたの希望を聞きましょう。」
霊「おたすけ。」(喜びの表情)
先「人救いをすることですね。」
霊(深くうなずく。)
先「では御苦労でした。お疲れでしょう霊界の様子をお聞きして皆よろこんでおります。御苦労様、お帰り下さい。」
霊、坐ったまま平伏、後頭部から首筋へかけて痙攣ややして、ふと我にかえり眼を開きて何事もなかりしごとく、もとにかえる。所要時間四十五分。
「以上のごとく身をもって体験し霊界の事象を少しでも知ることが出来まして地獄の霊がまたたく間に救われると云う、この事実は誠にお観音様の広大無辺の御霊徳であり深い深い御慈悲であります。
私の叔父が福島県岩城石川町の在に住んでいますが、先祖代々の家宝藤原家から伝わる昔の鏡があると聞いております。
また、私は一人も子供に恵まれず、Kというのは私の子供ではありませんが、一見女を想わせる風貌があり、親戚の子供で生れた時から私が手を掛けていたのも不思議な因縁で、自然と一緒に暮すようになり、自分の子供のようにしております。
このように私の身辺を見て考えて見ますと、霊の言う事とすべて一致します。
本当に不思議な事ばかりです。二月十七日には光明如来様を奉斎させて戴き、主人始め一家四人教修を頂き毎日の日常生活に数知れぬ大きな御利益を、また無限の御霊徳にただ有難さで胸が一杯です。
微力ながら一家揃って御恩返しの百分の一をと思い、お観音様の御仕事の御手伝をすべく働かせて頂いております。
誠に拙い筆で思うように表現出来ませんが、多少なりとも皆様の御参考になりますれば幸いと存じます。大先生様有難う御座居ました。」
体験談 霊界の山本勘助 (地上天国 7号 昭和24年8月30日発行)
日本観音教明成会教導師補 HK(48・男性)
「私は○○宗の信者でありましたが、昨年一月妻のすすめにより教修を頂きました。
私はその時まだ○○宗を熱心に信じ、今にして想えばお観音様の有難い御利益を頂いていながら、
また妻の熱心な説得にも拘わらず、始めて十一月大先生の御面会に熱海の神苑に参拝させて頂くまでは本当にお観音様の事が判りませんでした。
十二月二度目の御面会を頂きました。
そうして二日後の二十一日より霊がひどく浮きまして、私が武田信玄の軍師山本勘助の再生である事を知り、偉大なる大先生様の御霊徳の前にひれ伏してしまいました。
その間十二月の二十八日まで八日間というものは夜と言わず昼といわず、夜中でも霊が浮きっぱなしで戦国時代の合戦の時、武将が名乗りをあげる時のような大声を発し「コリャコリャその方大馬鹿者さがれ、さがれ」というような具合で、
武将そのままの口調で時には片眼を瞑り槍を持って構える格好をしたり刀を振り上げる姿勢をしたりしてその辺にある物を叩いたり茶碗を割ったり大騒ぎをしてしまい、
会長先生を初め教導所の並河先生、信者の方々や家族の者にずっと御浄霊を頂き、家旅の者は八日間というものは不眠不休食事も碌々とれず、
その間○○宗の狐霊も私に憑り大変皆様に御迷惑をかけてしまいました。
私は今から四百五十年前、甲州(今の山梨)の鹽山から八里入った山奥の小高い深い深い竹薮の中で、後から槍で腹を突かれて殺されたと言う事が判りました。
私の妻は山梨県人で、鹽山のすぐ近くの所の生れです。
妻の叔母の家はやはり山梨で妻の実家からさ程遠くありません。
山本という姓で、私の霊の浮いている時、「鉄扇鉄扇」と言いましたが、山本勘助が使用したと伝えられる鉄扇、刀、兜等がありましたが、死んだ叔母の主人が売ってしまったか、人に渡してしまったと言う事を妻に聞きました。
私は多くの部下を殺したために第二地獄に堕ちてしまいました。
本年二月十七日、大先生様の御霊徳によりまして光明如来様を奉斎させて頂きました。
当日会長先生に御浄霊を頂き光明如来様の祭典をして頂きますと私の霊が浮き非常に喜びまして、
会長先生の「今日は勘助さん霊界であなたが見て来た地獄の様子を詳しく話して下さい」との質問にお答え致しました。
これは霊が浮いている時私の霊眼がひらけ霊的に見えたとでも言うのでしょうか、はっきりと見えたのですが、以下その様子をありのまま記してみます。
草木もない、とてもとても寒い所でした。
切り立った山があってその山を登るには一歩々々削って登って行かなければならない、
大変だなあと思いどこか登る所はないかと思って左をみると小高い山があり、その山へ登り始めました。
その山は膝まで入る砂利の山で非常な困難をしながら登りつめると右に行く平な道があり、その道を行くとつき当りに戸の閉った門がありました。
その門を乗り越えれば越えられるがその門を越えるのは自分としては間違っている。
門の向側に行く道はないものかと思うと、門の右に道がありその道を行きました。
途中でハッと思い、これは大変、この道を行くと元の所へ行ってしまうと気付き、また引返して来るとその門が開いており凱旋門のようになっていて、その門の右に七、八寸位の白い菊の花が一輪咲いていました。
後で判ったのですがここからが第一地獄です教修を頂いたお蔭で四百五十年の永い間の第二地獄から引上げられたのです。
その門を潜ろうと思い先をみると人が三人歩いていました。
その人を一人二人三人と数えている中に人の型をした石になってしまいました。
私が門をくぐって三人の一番先頭になり、フト見ると私は右の手で一尺位ある太い光っている綱を持っています。
良くもこんな太い綱を握れるなあと感じながら、三人をこの綱に掴まされ引っぱって行き左に曲り切り立った山の頂上へ登りました。
右の手をかざして下を見おろし、成程高いなあこんな高い山を登るのでは大変だなあと見ている時、ひょっと振り返ると平な幅が広い見通しのつかない一直線の道がありました。
その道の両側には間を置いて何百年経ったか分らない根が一ぱいに張った松が並び、その松の根方に「どっこいしょ」と腰を下して一休みしました。
休んでいる時に私は飛脚より早いぞといい、その一直線の道をどんどん行くと段々暗くなったので不思議だなあと思いながらフト見るとトンネルがあり、トンネルをくぐると左に曲る坂道になっており、
そこに鉄筋コンクリートが柵があり柵に膝をついて寄りかかり、下に町があるのを眺め「ああ立派な町があるなあ」と眺めていました。
ここがすなわち八衢です。
その町は鉄筋コンクリートの町でした。
町へ行こうと坂道を行きどこか近道がと思うと右に石段があり、石段を下りると町の道路へ出たところに大きな大きな見たこともない蓋をしたマンホールがありました。
その道を右に行くと十字路に出、その十字路に立ち真直ぐに行くと海がありドックヘ行く、左に行くと田圃があり田舎家があり、
自分は田舎へ行くのはいやだと思い右へ少し行き、また右へ少し後へもどるけれどと思いながら右へ曲って、
この辺が良いなあと思うとそこは鉄筋コンクリートの大きな家の屋上でした。
屋上の手すりに寄りかかり町を眺め皆鉄筋コンクリートの立派な家計りだとフトみると、広い広い道路が町中を通り流線型のとてもすぱらしい自動車が三台右から左へ走って行くのを眺めていました。
以上であります。会長先生も数多くの家の祭典を致しましたが、そんな意義深いお祭りは初めてですと感激の御様子で会長先生より大先生様に御報告の光栄に浴し大先生様より地上天国に記載せよとの有難いお言葉を拝し感謝感激なす術を知らず何と御礼申上げてよいか判りません。
教修を頂いておりながら今まで何も判らず過してしまい、この度身を以て体験させて頂き到底救わるべき者でないかくも罪穢多い私をお救い下さいました大先生様の御恩の万分の一にも報い奉るべく念願致しております。
今では一家揃って明るい家庭に地上天国建設のためにすこしでも働くことの出来るのも全く大先生様の御霊徳の賜であります。謹んで御礼申上げます。
会長先生、並河先生日夜の御教導厚く御礼申上げまず。」
体験談 子供に導かれた感激 (地上天国 10号 昭和24年11月20日発行)
日本五六七教光栄会 TK子(36)
「私は四月入信させて頂きました、何も知らない我々に十四才(A子)の子供をして有難い奇蹟をみせて頂きまして早速御報告させて頂きます。
去る五月十七日朝起きて来るなり子供が「母ちゃん咽喉が痛い」と言いますのですぐ浄霊を致しましたところ、頭へ浄霊するとすぐに眠り出すのです。
気の短い私も腹が立って来て「A子お前も人を馬鹿にするのも程がある。早く起きな」と怒って顔を叩いてやりましたがいつにない受け答もなく寝ているのです。
私も不思議に思い学校を休ませすぐに阿倉川の宮下様方に御書体がお掛けしてあるので早速お詣りに行き先生にその話を致しましたところ
「そりゃあなた楽になるから眠るのですよ」と言われ先生もすぐと「浄霊をして上げましょう」と言われ頭へ浄霊をするやまたまた眠り出しました。
間もなく浄霊が終り先生にお礼も言わずに坐ったままで居眠りしているのです。
なぜこんなに眠りたがるのだろうと思う位いなのです。
仕方なく毛布をお無理願って寝かすや否や手を合せてニヤニヤ笑って寝ている姿と来たら何とも言いようのない不気味な身の毛の立つような笑顔で合せている手を何遍となく放しても放してもすぐ合してしまうような仕末で先生にお尋ね致しましたところ、
「そらー神様から御用がなくなれば霊界に帰るのですから心配するだけ無駄ですよ」と言われました。
間もなく子供は寝言に「先生が来た」と言い出したのでこれは学校の夢でも見ている位に思ってみていますと今度は畳を叩いて「大先生が来た来た」と二度程言い出しましたので一体全体何事が始まったのかと身が引締ってしまいました。
すると眠りながらボロボロと涙を流して嬉しそうに笑っているではありませんか、すると先生は『これはきっと先祖が喜んでいるんでしょう』と言われまあ何と実にその時の様子たるや筆や言葉で表現出来ません。
とにかく生れて始めての事で恐しいと言って良いのやら有難いと言ってよいのやら、その時の気持は書く事が出来ません。
私の前夫は今から約七年程前に「カリエス」で亡くなり、現在は二人目の夫なのです。
可愛いと思う子供は二人共父ちゃんになつかないのです。
私としても日夜暗黒の暮しを送るにつけたまたま先夫の事を思い出している矢先、父ちゃんに逢ったと寝言を言うではありませんか。
嗚呼何と言ってよいやら恐しいやら不思議やら、すると先生は善言讃詞を奉唱されながら浄霊をして頂き善言讃詞が終るや、パッチリと眼を開きました。
今どんな夢をみていたのと先生が聞かれると大先生か今日は父ちゃんの所へ連れてって上ると言われ父ちゃんと逢って来たと言うのです。
大先生はどんなお姿だと聞くと「金でビカピカの着物を着てみえたが父ちゃんは真黒な着物で袖が少し破れていた」と言い出しましたら
先生が「嗚呼それは地獄だよ」と言われて先生が「父ちゃんどんな所におられたか」と聞くと泥沼の中でうようよと大勢の人がペリペリの黒の着物を着てもがいておった。
その上に内の父ちゃんと外に男の人三人立っておられた。
父ちゃんが私にA子来てくれたかと涙を流して喜んでおったよ、父ちゃんがA子と呼んだ時側におった三人の人が「その子お前の子か」と聞いてみえた。
そしたら父ちゃんが「ウンそうです」と言ったら「いいなあー」と羨しそうな顔をしてみえた。
そして父ちゃんは「A子の兄ちゃん毎日何してる」と聞いたので学校へ行っているといったら
「そうかそうか」と喜んでおったので「母ちゃんは観音様のお光を持って信仰している」というたら涙を流して「嗚呼嬉しい」と喜んでおった。
そして「また来てくれよ」というとった。
そしたら大先生が泥沼の中の人に「これからお前達も救うてやるから一生懸命鎚れ」といわれたらみんな涙を出して喜んでおったところへ、美しい歌が聞えたので善言讃詞やった。
といって子供のいいぶりまた態度まあそのままお伝えする事が出来ませんからお察し下さい。
そばに聞いていた二三人の方も嗚呼何と恐れ多い事といって皆泣き出しました。
先生は「Aちゃん観音様にお礼申し上げなさい」といわれ子供はすぐ御書体の前に行き観音様がみえる真中にその横に大先生その下に父ちゃんもまた下に三人の人も甲高い声で「観音様有難うございました」と泣きながらお礼申す態度ってものは子供の態度ではありませんでした。
間もなく頭を上げると嗚呼消えて行く消えて行くと淋しがる、もう胸が一杯でかけません。
ただ感謝で一杯です。そして早速桑名の水谷先生の教導所までお礼詣りに来て先生に御報告させて頂きもう帰りには何も知らないといってすましているのです。
本当に私を導いてくれてすまなかったと今になって今まで怒ってばかりいた子供に頭が下りました。
まだまだかく事は大分ありますが涙で一杯で何もかけません。
もっと確実な様子を御報告させて頂きたいのですが、残念ながら表現する事も字も知らない私の事で御報告を終らせて頂きます。
色々と有難うございました。厚く厚く御礼申上げます。」